2010年11月23日

奈良追想 飛鳥寺

飛鳥大仏。アーモンド形をした目に、わずかに飛鳥仏の面影をかいま見る。

飛鳥寺01

現在の飛鳥寺(安居院)は、蘇我氏の建立した法興寺が平城遷都で新都に去った後(遷都後は元興寺)、その後身として建てられた寺院。
本尊の釈迦如来坐像は、6世紀初めに造られたと考えられているが、損傷が激しく、ほとんどの部分が後世になって補修されたものであり、オリジナルの部分がどれだけ残っているのかは、正確には分かっていない。
かつての大寺院も、今は江戸時代末期に再建された本堂を残すのみ。
門の入口に立つ「飛鳥大仏」の石碑は、1792年(寛政4年)のもの。

飛鳥寺02

そして、飛鳥寺のすぐそばには、蘇我入鹿の首塚が立つ。首塚の向こうには、蘇我氏が居を構えたとされる甘樫丘。

飛鳥寺03

飛鳥板蓋宮で起こった乙巳の変により、中臣鎌足と中大兄皇子らによって謀殺された入鹿の首は、数百メートル離れたこの場所にまで飛んできたとも、あるいは、切られた入鹿の首が鎌足を追いかけたとも伝えられている。
そのような伝説とともに、ここに入鹿を供養する五輪塔が建てられているが、その首が埋まっているのかどうかもまた、伝説の中の話だ。

飛鳥寺04

入鹿暗殺後、鎌足と中大兄は飛鳥寺に陣を構えたとされる。その様子を、入鹿の父である蘇我蝦夷も甘樫丘の居宅から眺めたことだろう。
乙巳の変の翌日、蝦夷は自らの一族の権勢の落日を悟ったのか、自宅に火を放ち、自害した。

※奈良の写真のストックをアップしています……。

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