2010年11月24日

奈良追想 石舞台古墳

夏五月の戊子の朔丁未に大臣薨せぬ。乃りて桃原墓に葬る。大臣は稲目宿禰の子なり。

石舞台古墳01

石舞台古墳は、蘇我氏の全盛を築き上げた蘇我馬子の墓とも伝えられている。
「日本書紀」には大臣=馬子の死の記述があり、葬られた「桃原墓」が、この石舞台古墳であると考えられている。
本来は盛土に覆われていたが、墓は暴かれてしまい、現在は露出した石室を見ることができる。

石舞台古墳02

石舞台古墳の近くのアイスクリーム屋。石舞台古墳には多くの人たちが訪れ、とてもにぎわっている。

石舞台古墳03

蘇我馬子は、6世紀から7世紀にかけての半世紀に渡り、天皇の側近として天皇以上の権勢を振るった。
馬子の死後、孫の入鹿を中心にさらなる専横が進み、多くの遺恨が生まれてしまう。
そして、馬子の死からわずか19年の後、入鹿が乙巳の変で討たれたのを機に、蘇我氏の本宗家は滅んでしまうこととなる。

石舞台古墳04

※奈良の写真のストックをアップしています……。

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