2011年02月09日

【展】「日本画」の前衛 1938-1949

「日本画」の前衛 1938-1949まもなく会期終了の東京国立近代美術館の企画展《「日本画」の前衛 1938-1949》は、歴程美術協会を中心とした日本画の革新を試みる画家たちの運動を俯瞰する、とてもスリリングな展覧会だった。
展覧会場は山岡良文の《シュパンヌンク》(1938年)で幕を開ける。
「シュパンヌンク」とは「緊張」という意味のドイツ語である。ふたつ以上の事象が生み出す緊張関係とも解釈される。
おおよそ日本画らしからぬカタカナ語を携えたこの作品は、描かれたものも抽象的なものであり、伝統的な日本画からは一線を画すものだった。抽象画の生みの親ともされるカンディンスキーがバウハウス時代に書いた書『点と線から面へ』(1926年)にも登場した「シュパンヌンク」というキーワードは、日本画の前衛活動の高らかな宣誓のようにも響いてきて、とてもドラマチックな幕開けだ。

歴程美術協会の画家たちは、ヨーロッパ絵画の美術運動を敏感に取り入れ、日本画と洋画という境界を自由に超えて、表現の横断のみならず、人的にも交流し、造形意志を共有していった。モダニズムの空気漂う都市的な作品であったり、シュルレアリスムであったり、キュビスムやコラージュを取り入れた抽象表現であったり、活動は実に多様な展開を見せていく。
けれども、彼らが日本画の伝統を真っ向から否定するのではないことは、いくつかの作品を見れば明らかなことだった。たとえば歴程美術協会の展覧会では、日本画の伝統的モチーフである扇面をテーマにした作品を持ち寄るなど、彼らの意志は伝統との決別ではなく、伝統と前衛の融合であったことが分かる。

しかし、こうした自由な空気のあふれる運動にも、やがて戦争の足音が暗い影を落としていく。
戦時下の歴程美術協会でも戦争画が増えてゆき、戦意高揚のためのナショナリズムは歪曲された伝統回帰を生み、画家自身も戦地に召集されたり、作品が消失したりで、急激に前衛活動は終息に向かっていく。
そして、この展覧会は、戦後に復活する前衛活動までを紹介するが、やはり戦前の画家たちが見せた新鮮で生々しいきらめきは、もはやそこにはないという印象を受けた。


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