京都国立博物館で5月12日まで開催の「狩野山楽・山雪」、巡回はないというので、GWに無理やり都合をつけて京都に立ち寄り、観覧。
アメリカのメトロポリタン美術館から里帰りした山雪の「老梅図襖」は、どうしても一度は見ておきたくて、この機会を逃したら次はいつ見られることやら。
山楽を初代とする京狩野といえば、秀吉死後も豊臣家に仕えたために、徳川時代には不遇をかこつこととなり、それが2代山雪の屈折した画風となって云々…と紹介されることが多いが、こうしてまとまって眺めてみると、山楽と山雪の画風も画題も、多彩多様であると分かる。
そもそも、狩野探幽が率いる狩野宗家(江戸狩野)が余白を生かした構図を確立する一方で、永徳の豪放な画風を純粋に受け継いだのは、狩野山楽だった。永徳の「檜図」の構図を下地にした「松鷹図襖」、大迫力の「龍虎図屏風」などは、永徳の「唐獅子図」にも引けをとらない。
その一方で山楽は、中国の伝統画法である“界画”の技法を用い、定規で建物を描き、緻密な線描で人物を描いた「帝鑑図押絵貼屏風」や、「牡丹図襖」のような優美な作品も残している。
そして、狩野山雪といえば、「老梅図襖」「雪汀水禽図屏風」に代表されるような、垂直・水平を押し出した構図と、奇矯な造形描写による“アクの強さ”が代名詞のようになっているが、しかし一方では、カワイイ系の動物画「猿猴図」「松梟竹鶏図」があり、裏彩色を施した細緻美麗の「長恨歌図巻」があり、コミカルな相撲画「武家相撲絵巻」もあり…と、画風は多彩で豊饒なのだった。
2007年には、同じ京都国立博物館で狩野永徳の大回顧展が行われ、そのときはたくさんの観覧客を集めたものだが、同じ狩野派でも京狩野は知名度が低いのか、会場は大きな混雑もなく、ちょっと淋しい(見るのはストレスもなく楽だったが…)。
永徳の時ほど、大々的なPRがなかったのかもしれないが、作品の面白さ、貴重さ、レア度からしても、もっとたくさんの人に見てほしいなあ…とも感じたのだった。