2013年06月02日

【展】土田ヒロミ 俗神

DSC_0224中野にあるギャラリー冬青にて、6月1日まで開催されていた土田 ヒロミ 「俗神」展
ギャラリー冬青は、出版社の冬青社さんに併設されているギャラリーで、出版物と同じように、ギャラリーでも写真作品を扱っている。
冬青社さんから出ている須田一政の『民謡 山河』や土田ヒロミの『俗神』は、ものすごく好きな写真集です。こうして、数十年前の貴重な写真作品を出版物として送り出してくれることに、ただもう、頭が下がるばかりです。
よくよく考えてみれば、須田一政の『民謡山河』や『風姿花伝』にしろ、土田ヒロミの『俗神』にしろ、切り込み方は違うにしても、日本のあちこちでの《ハレ》の舞台を主題としたものであり、自分が心を惹かれるものとして相通じるものがあるな…と思わないではいられない。

ところで、今年の秋には東京都写真美術館で須田一政展が行われるのだが、この展覧会の出版関係は冬青社さんが引き受ける…ということを、ギャラリーでの立ち話でうかがった。
展覧会図録も、図録というか“ちょっとした写真集”的なもので自信があるご様子だったので、ますます秋の展覧会が楽しみになりました。  

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2013年05月12日

【展】狩野山楽・山雪

00079995京都国立博物館で5月12日まで開催の「狩野山楽・山雪」、巡回はないというので、GWに無理やり都合をつけて京都に立ち寄り、観覧。
アメリカのメトロポリタン美術館から里帰りした山雪の「老梅図襖」は、どうしても一度は見ておきたくて、この機会を逃したら次はいつ見られることやら。
山楽を初代とする京狩野といえば、秀吉死後も豊臣家に仕えたために、徳川時代には不遇をかこつこととなり、それが2代山雪の屈折した画風となって云々…と紹介されることが多いが、こうしてまとまって眺めてみると、山楽と山雪の画風も画題も、多彩多様であると分かる。

そもそも、狩野探幽が率いる狩野宗家(江戸狩野)が余白を生かした構図を確立する一方で、永徳の豪放な画風を純粋に受け継いだのは、狩野山楽だった。永徳の「檜図」の構図を下地にした「松鷹図襖」、大迫力の「龍虎図屏風」などは、永徳の「唐獅子図」にも引けをとらない。
その一方で山楽は、中国の伝統画法である“界画”の技法を用い、定規で建物を描き、緻密な線描で人物を描いた「帝鑑図押絵貼屏風」や、「牡丹図襖」のような優美な作品も残している。

そして、狩野山雪といえば、「老梅図襖」「雪汀水禽図屏風」に代表されるような、垂直・水平を押し出した構図と、奇矯な造形描写による“アクの強さ”が代名詞のようになっているが、しかし一方では、カワイイ系の動物画「猿猴図」「松梟竹鶏図」があり、裏彩色を施した細緻美麗の「長恨歌図巻」があり、コミカルな相撲画「武家相撲絵巻」もあり…と、画風は多彩で豊饒なのだった。

2007年には、同じ京都国立博物館で狩野永徳の大回顧展が行われ、そのときはたくさんの観覧客を集めたものだが、同じ狩野派でも京狩野は知名度が低いのか、会場は大きな混雑もなく、ちょっと淋しい(見るのはストレスもなく楽だったが…)。
永徳の時ほど、大々的なPRがなかったのかもしれないが、作品の面白さ、貴重さ、レア度からしても、もっとたくさんの人に見てほしいなあ…とも感じたのだった。  
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2013年04月28日

【展】若冲が来てくれました

仙台市博物館にて、「若冲が来てくれました プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」を観覧。
米国の日本美術収集家、ジョー・プライスさんのコレクションが来日。東日本大震災の報以来、東北で日本の美術を見てもらいたい、少しでも慰めになってほしい…という思いで実現した企画展。仙台で開催の後は、岩手、福島と巡回をする。
プライスコレクションといえば、2006年に東京国立博物館で開催された「若冲と江戸絵画」が記憶に新しい…と思ったら、もう7年も前のことなのだった。

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本展覧会でも、伊藤若冲の枡目描きの大作「鳥獣花木図屏風」や、長沢芦雪の大作「白象黒牛図屏風」など、江戸絵画が大集合。
「鳥獣花木図屏風」はガラスケースを取り払っているのでじっくり見ることができてしまうし、それから、「子どもから大人まで心から楽しんでいただけるように…」という展覧会のコンセプトの下、画1点ずつに添えられた画題も親しみやすいものになっている。
たとえば、《岩上猿猴図》であれば《岩のうえのサル》、《酒呑童子図屏風》であれば《オニの〈しゅてんどうじ〉を退治する》、《白象黒牛図屏風》は《白いゾウと黒いウシ》、そして《鳥獣花木図屏風》は何と《花も木も動物もみんな生きている》となってしまう。
と、まあ、そういったいろいろな趣向が凝らしてあって、しかめっ面をせずに気楽に楽しめる企画展だった。  
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2013年03月20日

【展】飛騨の円空

ennkuu東京国立博物館本館で開催中の特別展「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」」へ。
円空といえば、東日本の各地を行脚し、各地に“円空仏”で知られる独特の木彫りの仏像を数多く残した僧として知られる。現在知られているものだけでも5000体以上、とくに岐阜県には多く残されていて、飛騨の千光寺などの寺社に伝わる円空仏たちが、こうして上野の東京国立博物館にやって来た。

会場に足を踏み入れると、まずは大きな仏像が数体。飛騨の森の木々から彫り出された円空仏…という展覧会のコンセプトを伝える演出だ。
ひと口に“円空仏”といっても、じっくり見ていくと、実に多彩。
立ち木から姿を彫り出した《金剛力士(仁王)立像 吽形》。木を割った切断面を生かし、最小の造形で彫られた《三十三観音立像》。そうした荒々しい彫り跡を残す円空仏もあれば、一方では、《両面宿儺(りょうめんすくな)坐像》のように丹念に掘り込んだものもある。ちなみに、展覧会のチラシに用いられている写真が、この《両面宿儺坐像》である。
これだけの円空仏をまとめて見るのは初めてのことだったが、ぜひ一度は、飛騨の千光寺にも足を運んでみたいものだ。
会場が本館特別室だったので広くはないのだが、観覧ルートがはっきりと示されているわけではないので、空いているケースから眺めることができる気安さも良かった。
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2013年02月23日

【展】始発電車を待ちながら

main昨年、リニューアルオープンした東京ステーションギャラリーの「始発電車を待ちながら 東京駅と鉄道をめぐる現代アート 9つの物語」を観覧。
早く足を運ぼうと思いつつ、まだ混んでいるかもしれないと後回しにしていたら、もう会期終了間近。
東京ステーションギャラリーは、東京駅の復元工事とともにずいぶん長いこと休館していたので、前に訪れたのはいつだったろうと調べてみたら、2005年の秋以来だから、実に7年半ぶりのことなのだった。

この展覧会では、そのタイトル通り、8人と一組のアーティストらによる、東京駅あるいは鉄道をモチーフにした作品を展示。
とくに印象に残ったのは、クワクボリョウタのインスタレーション作品。
LED灯を乗せた模型電車が走りながら、壁面に影絵を映し出していく様子は、とても美しく、驚きにあふれ、それから少し感傷的な気分にもさせられ、何回でも繰り返して見ていたい作品だった。ちょっと感動すらしてしまった。
こちらはYouTubeにアップされていた作品。https://www.youtube.com/watch?v=8EBF0qOKpns

それから、車窓からの風景を写した大洲大作の写真作品も印象的だった。
車窓といっても、窓の外を撮るいわゆる「車窓」ではなく、窓ガラスそのものも被写体となっていて、まさに我々が電車に乗った時に見る「窓越し」の風景となっている。
窓越しの風景は、にじんだり、ぼやけたり、流れたり…と、とても変化に富んでいて、それらの連続性によって、ひとつの大きな世界を作り出していた。  
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2013年02月17日

【展】須田一政「恐山へ」

横浜の山下町にあるフォトギャラリー、PAST RAYSにて、須田一政の初期作品「恐山へ」を展示しているというので、足を運んでみる。

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この「恐山へ」は、須田一政がプロになる以前に撮ったと思われる、とても貴重なヴィンテージプリントが30点。
ギャラリーの方とお話をさせていただいたところ、須田一政の自宅に眠っていたプリントであるとのことで、ネガの状態を考えると、新しくプリントし直すことも困難な状態であるらしく、ということは、これが目にする唯一のものであり、唯一の機会なのかもしれない。そう考えると、なんだかすごいぞ。
須田一政の初期の写真集は何冊か持っているけれど、何を撮ろうとも、目に見えるもの以外のザラりとした、胸に引っかかるような気持ちの悪い感覚を残すものがあって、それはすでに、最初期の「恐山へ」から一貫してあるのだった。
いやはや、それにしても、本当にいいものを見せてもらった。  
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2013年02月03日

【展】風が吹けば桶屋が儲かる

風が吹けば桶屋が儲かる東京都現代美術館、本日終了の企画展「MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる」へ。
会場でチケットをもぎってもらうと、そこでいきなり、館員の女性に「田中功起さんの作品は美術館にはありません。田中さんは美術館の外で活動しています。」と告げられる。そして、田中功起さんの活動スケジュールを記した紙切れ1枚を渡される。ずいぶん人を食ったような…と、唖然としてしまったものだが、これですでにひとつの作品として成り立っているのだとか。館員の女性の言葉は《アーティスト・ステートメント》であり、スケジュール表は《活動についてのカレンダー》。

…と、そんなふうにして始まる「風が吹けば桶屋が儲かる」展。
田中功起の作品に限らず、参加したアーティストたちの作品は、美術館の会場の外へと広がっていく。
「ロッカー#03に署名済み婚姻届が置かれている」「美術館の備品を手作りで再現して、設置しました」といったようなテキストを提示し、美術館の外へと注意を向ける森田浩彰の《人が集まる場所で、みんなで、行う、何か》。
美術館の所蔵作品をコラージュのように並べ、ひとつのストーリーを語る田村友一郎の《深い沼》は、美術館の地下駐車場にまで及ぶ。
そんな具合に、人を食ったような作品もあるけれども、それがかえって新鮮にも感じられる企画展でした。  
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2013年01月05日

【展】トーハク 特集陳列「巳・蛇・ヘビ」

な、なんなんすか、これ!

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…と、写実的すぎる爬虫類や昆虫が強烈な印象を残すのは、「蛇の皿」。
16世紀フランスの陶工、パリッシーの作品を模作したもの。19世紀のフランスで流行したデザインで、明治9年にイギリスから寄贈された。こんなデザインが流行するなんて…。

というわけで、トーハク新春恒例企画「博物館に初もうで」では、「新春特別公開」と並んで、干支にちなんだ特集陳列「巳・蛇・ヘビ」も開催中。  続きを読む
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2013年01月03日

【展】トーハク 新春特別公開

今年も美術館初めは、東京国立博物館の恒例の「博物館に初もうで」です。1月14日までの期間限定で「新春特別公開」を開催中。

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今年は、久しぶりに、国宝室に長谷川等伯の「松林図屏風」が登場。
企画展でもあれば人だかりができるであろう「「松林図」だが、こうした作品をゆったり鑑賞できるのも、トーハクの平常展ならでは。  続きを読む
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2012年12月30日

【展】北井一夫 いつか見た風景

kazuo_kitai先日の東京都写真美術館の続きで、「北井一夫 いつか見た風景」を観覧。
60年代の学生運動や成田闘争(三里塚闘争)を題材にしたルポルタージュ的なシリーズ「抵抗」「バリケード」「三里塚」、そして政治の季節が終わり、多くの写真家たちの目が“都市”に注がれる中、1970年代の北井一夫は、主に東北の村を題材にした「いつか見た風景」「村へ」を撮る。
こうして眺めてみると、どんな題材を扱うにしても、北井一夫という写真家は被写体となる対象の中に入っていき、撮る撮られるという関係というよりは、撮られる側と同じ高さの目線という立ち位置にあるように感じられるのだった。
というわけで、これが本年の美術館めぐりの最後となった。今年は写真展へ足を運ぶ回数が増えたな…。
  
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2012年12月26日

【展】この世界とわたしのどこか

この世界毎年恒例、「今注目の…」という新進作家を特集する企画展、今年は「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」です。
一口に写真といっても、いつもながら、この企画展での表現方法は様々。一筋縄にはいかない。
“伊勢参り”というスタイルを借りた蔵真墨の東海道の道中の写真。磯で釣りをする人の姿を写し撮る笹岡啓子の写真。田口和奈は、もはや写真というよりは絵画的なアプローチに近いといってもいい作品。大塚千野は、自らの少女時代の古い写真に「現在の自分」を合成で並べて見せるという、びっくりなアイデア。中国の都市で廃退的な生活を送るゲイの姿を追った菊地智子の写真は、ドキュメンタリーを見るようだ。
心に響くような「これ」という作品はなかったが、蔵真墨の被写体とのビミョーな距離感は印象に残った。被写体の視線は、カメラに向いているわけでもなく、付かず離れずの一定の距離を保つことを自らに課しながら、写真を撮っているようにも感じられる。いわく、「たくさんの人に好かれずとも嫌われないようなものの見方に矯正しようともしたがそれは簡単でもあり、難しいことだった」…。

それにしても、今回の特集で取り上げられた作家は、みんな、女性なのだった。
気鋭の新進作家は、女性の方が勢いがあるのかな。
  
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2012年12月20日

【展】有田泰而 First Born

FirstBorn有田泰而という名前を聞くのは初めてだった。
なんでも、伝説の写真家なのだそうである…ということを、芸術新潮の12月号の記事で読んだので、竹芝にあるGallery 916まで足を運び、写真展「First Born」を見る。
有田泰而は広告写真を撮るフリーランスのカメラマンとして活動する傍ら、1976年に『カメラ毎日』にて「First Born」の連作を掲載、その後は写真家としての活動を深化させることはなく、カナダや米国で油絵や彫刻の創作に専念していくこととなる。そんな経歴もあって、「伝説の…」と称されるのかもしれない。
「First Born」は、最初の妻であるジェシカととも旅した金沢(この時、ジェシカ夫人の妊娠中)の写真や、その後に生まれた長男と妻を撮影した、家族写真の連作である。
とはいえ、一見したところ日常的な家族写真であるようにも見えるが、ここには演出的な部分も盛り込まれていて、日常と演出とが微妙なバランスを保ち、そこには危うさもあり、それが魅力的でもある。いわば、妻ジェシカも参加しての共同作業としての撮影だったわけだ。
連作の中には、妻を縛ったり吊るしたりという試みの写真もあるが、このあたりになると演出臭さが先行して、あまり好みではなく、そそられるものがなかった。  
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2012年12月17日

【展】中国 王朝の至宝展

中国 王朝の至宝東京国立博物館で開催の「中国 王朝の至宝展」へ。
ここ数年、トーハクでは中国関係の特別展が多く、2010年は「誕生!中国文明」展、2011年は「北京故宮博物院200選」、そして今年は「中国山水画の20世紀」ときて、今回の「王朝の至宝展」、さらに来年には「書聖 王羲之」 展が控えている。
日中国交正常化40周年の企画の流れですが、肝心の政治外交の方ではいろいろと困難続きの日中関係、それでも文化的に見てみれば、近くてやっぱり近い国なので、少しずつでも、歩みを揃えるような関係を築いていただきたいものです。

本展覧会は、紀元前2000年の「夏」王朝から始まり、12世紀頃までの遼と宋の時代まで…と、一口に言っても、その間、約1400年。したがって、展示会場も駆け足で歴史を辿るので、ひとつひとつの時代はものすごく薄まってしまう印象は否めない。
とはいえ、中国文明の中心地である黄河流域の「中原(ちゅうげん)」とは異なる面を見せた、長江流域の「蜀」や「楚」といった王朝の残光は、とても興味深いものだった。シャーマニズムなどの影響も色濃く、造形などもプリミティブなエネルギーがある。長江流域の王朝は、中国文明の多様さを今に伝えてくれている。
10月からNHKスペシャルで3回に渡って放送された「中国文明の謎」も興味深く見たけれど、やはり中国文明の深さと広さには驚くばかりだし、広大な土地と多様な民族を統治するための発想力と創造力が歴代の統治者に要求されたことで、こうして綿々と受け継がれてきた強靭な文明を生み出したのだろう。
  
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2012年11月22日

【展】東京国立博物館 館蔵仏像名品選

東京国立博物館の11室といえば、仏像の部屋。
ただいま、トーハク140周年ということで、特集陳列の館蔵仏像名品選を開催中。

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どれもこれも、折りにふれて登場するので、トーハクではおなじみの仏像たちだが、こうして一堂に会するのは貴重な機会。
展示方法にも工夫が凝らしてある。

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たとえば、浄瑠璃寺伝来の十二神将立像たち(残りの7体は静嘉堂文庫美術館にある)。トーハク所蔵の仏像でいちばん好きなものだ。
ケースの中に展示されているのは何度も見たけれど、こうして揃って外に出てきて並べられているのを見るのは初めてのはずだ。
しかも、ライティングも下から照らすなど、趣向を凝らしてある。

最近になって、この十二神将像は運慶作ではないかという見方が再浮上してきている。
明治時代の新聞記事に、12体のうちのいずれかに運慶の銘文があるという具体的な記述があるのが発見されたとのことで、記事の真贋は、いずれ修理・調査の過程で明らかになっていくことだろう。
けれども、これらがもしも運慶の作品であると…と想像をめぐらせながら眺めるのは、とてもワクワクするじゃないか。  続きを読む
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2012年11月20日

【展】須田一政 風姿花伝

アートはお金を払ってみるばかりではなく、ギャラリーに足を運べば、現代美術や写真作品などは手軽に見ることができる。
銀座のBLDギャラリーで開催中であるのが、写真家・須田一政の『風姿花伝』
さすがに全部のプリントを展示というわけにはいかないが、前後期で内容を入れ替えての展示ということで、とても力が入っている。
この前期の展示も、見ごたえのあるものだった。後期もぜひ足を運ぼう…。

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ギャラリーではこういう作品を見せてくれるのだから、ありがたいものだ。
全作品を収めた写真集『風姿花伝』も欲しくなってしまったが…15,750円なのか…悩ましい。  
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2012年11月18日

【展】須田悦弘展

千葉市美術館で開催中の「須田悦弘展」
須田悦弘は、本物と見まがうような細緻な花や草木の木彫作品で知られる現代美術家。初めて作品を見たのは、2008年のこと。彼の小さな作品は大きな印象を残し、以来、なんとなく気になるアーティストである。千葉市美術館は、本当に目の付けどころが面白い。時々、「これは見に行かなくては!」と思わせるような企画展が開催されるのだから。

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この企画展では、ただ木彫作品を見せるだけではなく、作品を置くための空間をもひとつの作品とし、いわばインスタレーションとして展示される。観覧者ひとりずつ、靴を脱いで、茶室のような、あるいは細い路地のような小さな空間に入って、作品と対峙する。(なので、待機列ができてしまうと、見るまでに時間がかかる)
そして、同時開催のコレクション展「須田悦弘による江戸の美」では、江戸時代の美術品と須田作品とのコラボレーションを見ることができる。
喜多川歌麿の『画本虫撰』では、画の中の露草から飛び出してきたかのように木彫の《露草》が生え、長澤芦雪の『花鳥蟲獣図鑑』では、画の中の雀たちが食べようとしているかのように木彫の《米》の粒が置かれ、『椿図屏風』では屏風からこぼれてきたかのような木彫の《椿》の花が落ちている。とても面白い試みだった。  続きを読む
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2012年11月05日

【展】篠山紀信 写真力

写真力大きいことはいいことなのか!?
なんでもかんでも大きければいいというわけではないが、この写真展は「大きいことはいいことだ!」と言ってしまおう、東京オペラシティ・アートギャラリーで開催中の「篠山紀信展 写真力」。ポートレートを中心に、大きく引き伸ばされた写真が並ぶ光景は圧巻。
会場に入れば、正面にはいきなり三島由紀夫。両手を縛り上げられ、上半身裸のマッチョな三島先生が、矢に射られて恍惚の顔でいらっしゃる。これは「聖セバスチャンの殉教」。三島由紀夫が苦手な自分は、もうこれで、おなかがいっぱいである。
美空ひばりや勝新太郎もいれば、宮沢りえや山口百恵もいる。AKB48もいれば、澤穂希もいるし、中村勘九郎や坂東玉三郎だっている。これだけ多彩なジャンルの著名人のポートレートを集めることができるのも、長年、コマーシャルフォトやメディアの第一線で活躍を続けている篠山紀信ならではというか、篠山紀信にしか実現できないことなのかもしれない。そして、意外にも美術館での個展は初めてなのだとか。
そうそう、そういえば、宮沢りえの『Santa Fe』の広告で、当時人気絶頂だった宮沢りえのヌードが新聞の一面を飾った時は、本当に衝撃的だった。それから、樋口可南子の『water fruit 』で“ヘア・ヌード”なる言葉にドキドキしたのも淡い思い出で、次に誰が脱ぐのかと思ったら、モックン(本木雅弘)が脱いでしまったことも、これまたビックリしたものだった。
篠山紀信は、ただメディアを媒体に写真を発表するわけではなく、それを利用して、センセーションを作り出す術にも長けていた。いつだって、誰も思いもつかないようなことをやってのける。それが篠山紀信という写真家なのだろう。
  
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2012年11月03日

【展】小林紀晴 遠くから来た舟

遠くから来た船

品川のキャノンギャラリーで開催の小林紀晴写真展『遠くから来た舟』へ。
9月で終了してしまったBSジャパンの「写真家たちの日本紀行」では、小林紀晴が秋田県の西馬音内盆踊りを撮影する姿と、この展覧会の準備の様子を放送していたので、興味を持って足を運んだ次第。
それに、この展覧会のテーマにも、共感を覚えるものがあった。
「遠くから来た舟」とは、写真家が名付けたひとつの比喩である。日本各地の祭礼の姿を通して、過去から現在へと受け継がれてきた伝統や風習の中に息づく日本人の遺伝子や原風景…とでも喩えられるだろうか。
自分自身も、日本のあちこちの旅先で祭礼の場面に出会ったりすると、祭礼のしきたりや風習に、古き良き日本の姿を想像することがある。そして、その空想は楽しくもある。ただ、そうした祭礼を守り、維持していくことは難しいということも、同時に感じる。
時代の変遷や地域社会の変質で形ばかりのものになってしまったり、廃されたりすることもあるだろうし、あるいは観光目的のものに変質して、本来の祭礼的な意味合いが形骸化してしまうこともあるだろう。事実、この写真展の中にもある秩父の「天狗(テンゴウ)祭」は、担い手の子供の減少によって、今年から中止になってしまった。
写真家自身は“私たちは一艘の舟に乗り、遠い過去から未来に向かう航海の途中にあるのかもしれません”と言葉を締めるが、「遠くから来た舟」としての日本の原風景へ思いを馳せるロマンチシズムに浸るのも、なかなか容易ではない。航海の途中で、船は転覆してしまうかもしれない。この先の未来、船を転覆から守ることの大切さを伝えることは、いっそう難しくなるのではないかと、心配でもある。  
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2012年10月17日

【展】奈良美智 君や僕にちょっと似ている

青森県立美術館で開催中の奈良美智展、「君や 僕に ちょっと似ている」
横浜から始まったこの巡回展、横浜で見ようと思っていたら時が過ぎ、はるばる青森までやって来たのだった。
まあ、奈良美智は青森の人だし、青森で見ることができるのは、悪くない。

青森県立美術館 (5)

展示されているのは、2011年〜2012年の新作が中心。
ということはつまり、その製作の期間には、東北出身の奈良美智の身の上にも、当然、震災という大きな出来事が影響を及ぼしたのだろうし、実際に作品を見てみると、震災の影を痛切なまでに感じてしまうのだった。
黒い壁に囲まれた会場では、うつむいた人物を描いたドローイング作品、あるいは彫刻作品が並べられる。無邪気さは奥底に閉ざされて、彼らは哀悼を捧げる姿そのものに見える。《フタバ》《両手フタバ》では、うつむいた少女が手に小さな草の芽を持っている。彼女の手にする小さな芽吹きは、痛切だ。
しかし、その黒い会場を抜けると、一転して、明るい白い壁に囲まれて、《春少女》《夜まで待てない》といった明るい色調のドローイング作品が待つ。中でも、《春少女》の少女像の表情は印象的だ。笑みを浮かべるわけでもないが、とても穏やかな顔。無表情というわけではなく、とてもフラットな心象であるようだ。フラットなところから、またスタートするという意志を、彼女の表情からは感じ取る。(※上の写真のポスターが《春少女》)
闇を抜けて、白い春へ。その会場構成の転換は、とてもドラマチックでもあった。  続きを読む
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2012年10月11日

【展】奈良美智 青い森のちいさなちいさなおうち

JR東日本の「スリーデーパス」を使って、青森と美術館の旅。
現在、十和田市現代美術館と青森県立美術館では、青森の生んだアーティスト、奈良美智の企画展を開催中。
結果的に、美術館のはしご旅は、奈良美智をめぐる旅になったのだった。

十和田市現代美術館 (6)

八戸駅からバスに乗ってやって来たのは、十和田市現代美術館。企画展「青い森の ちいさな ちいさな おうち」を開催中。

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美術館の壁面に描かれた《夜露死苦ガール2012》がお出迎え。  続きを読む
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2012年07月06日

【展】トーハク総合文化展

ただいま企画展の行われていない東京国立博物館、とても静かです。

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平常展には、曽我蕭白の屏風がひとつ出ているので、見てきました。《蝦蟇鉄拐図屏風》。

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ボロボロの衣服のラフなタッチと、人物表現の緻密なタッチが同居する屏風絵。蕭白の画としては、おとなしめ。
蝦蟇の横に描かれた蛙が、片足で立っている姿がユーモラス。  続きを読む
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2012年07月04日

【展】トーマス・デマンド展

トーマス・デマンド展会期終了まで残りわずか、東京都現代美術館の「トーマス・デマンド展」
このトーマス・デマンドというドイツのアーティストが日本で本格的に紹介されるのは初めてのことということで、いったいどのようなものかと足を運んでみたら、その創作技法はとても独特。一見、なんてことのない部屋の風景の写真なのだが、実は、わざわざ厚紙で部屋の模型を製作し、それを撮影したものなのだった。紙で作った部屋のコピーを、さらに写真に写し取ってコピーする。コピーのコピー、コピーの反復。そして、写真に撮ってしまった後は、その模型は壊してしまうという。もったいない!…とも思うのだが、紙という素材の性質上、湿度やら温度やらで保管は難しいらしい。
いったいどうしてわざわざそんな手間を掛けるのか…と思わずにいられないが、こうして自ら厚紙で部屋を製作するからこそ、いかようにも自分の思うとおりの場面を写し取ることができるわけで、実際、彼の手にかかれば、どんな場面でも作り出すことができるのではないかという錯覚に陥る。
そして、彼の写真作品(模型作品)は、人の「不在感」を強く感じさせる場面が多い。
ついさっきまで誰かが入っていたであろうと想起させる《浴室》、無数のコピー機が並んだ《コピーショップ》、誰かが割ったであろう花瓶のようなものの破片が散らばった《踊り場》。さらには、2011年の震災に際しての福島原発事故に題材を得た《制御室》といった作品もある。天井が崩れ、誰もいなくなった原発の制御室は、あの震災の後、我々が報道で見た制御室を写し取ったものなのだった。
それらの写真の中には、何かしらの物語がある。模型によって場面を思うがままに作り出すだけではなく、そこにひそむであろう物語をも思うままに作り出すことができるわけだ。トーマス・デマンドの作品は、そうした想像を促してくるのだった。

ついでに常設展示「MOTコレクション」を覗いてみたら、こちらは奈良美智の初期作品がまとめて並べてあり、なかなかお目にかかれないので、とても興味深かった。
いちばん若いもので1988年の作。1990年代初めのものが多く、いわゆる“奈良美智らしい”こどもの画が出現する以前の、ちょっと違うタッチの画を見ることができる。  
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2012年06月29日

【展】川内倫子 照度・あめつち・影を見る

川内倫子展今をときめく女性写真家、川内倫子の個展「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」を東京都写真美術館にて観覧。
《照度》は、ローライフレックスによるスクエアフォーマットの写真作品。昨年、写真集として発表された「Illuminance(イルミナンス)」を再構成したもの。この展覧会では、45分の映像作品も登場。パラパラ漫画のように、二つの画面の中で次々に切り替わっていく映像は、川内倫子の写真の手法を映像作品で試みたもの。
一見、無関係な映像が淡々と流れていくのだが、ある瞬間に、二つの映像がシンクロするところがある。滝花火と滝の映像が重なったり、水面に照り返る光のゆらめきと、夜の街の明かりだったり。
もっとも、“シンクロする”といっても、自分がそうやって想像をしただけのことであるから、同じ場面を他の人が見てもシンクロはしていないかもしれない。また、同様に、他の人が何かを想起した映像であっても、僕は何も感じないでスルーしているかもしれない。無関係に見えるものが、ある瞬間に重なり、混ざり合い、それが延々と繰り返されていく。そうした想像を喚起し、発見をするのが面白い映像作品だった。
それから、渡り鳥の群舞を淡々と写した映像作品《影を見る》、阿蘇の野焼きの写真と映像、プラネタリウムの夜空や神社の夜神楽などの写真で構成された《あめつち》がひとつに会したブースは、“時間”という大きなイメージを想像させる。大きすぎて、うまく言葉にできないくらいだ。
冬の一時期に毎日のように繰り返される鳥たちの群舞、季節ごとに行われる野焼きなどの行事、それから宇宙。それぞれの作品が写された場所や事象は無関係でありながら、過去から現在、そして未来へも延々と繰り返されるであろう“時間の反復”というところで融合して、ひとつの大きな流れを生み出していくのだった。  
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2012年06月28日

【展】生誕100年 松本竣介展

松本竣介とある雨の週末、逗子駅からバスに揺られて、神奈川県立近代美術館・葉山の「生誕100年 松本竣介展」へ。
ここ最近、生誕100年の企画展が多いです。3月のジャクソン・ポロックも生誕100年。藤牧義夫も生誕100年。写美のロベール・ドアノーも生誕100年。生誕100年だらけです。それぞれに何のつながりはないものの、こうした人たちが同時代の人だということを思うと、それだけで感慨深いものがあったりなかったり。
そして松本竣介。東京国立近代美術館の常設展示などではお馴染みの松本竣介だけれど、こうしてまとまって作品を見るのは初めてのこと。
展示の構成は、数年ごとに変化していく作風を追いながら、『黒い線』『蒼い面』『モンタージュ』…といったように、キーワードを分かりやすく切り出してくれるので、大きな流れに乗って鑑賞することができて、とても好印象。

ルオーの影響も指摘される『黒い線』の初期作品では、竣介の画家人生で大きな比率を占めることになる“都市”や“建物”という題材がすでに出現している。『蒼い面』で大きく作風を変えて、竣介の画家人生における最初のハイライトともいえる『モンタージュ』へとつながっていくのだが、そこにも”都市”というテーマは脈々と息づき、初期の太い線描は繊細な線へと変貌したが、『蒼い面』で試みた色調が引きつづき生かされている。人物と風景、実景と寓話的な景色、色と線などが絡み合い、多層的な世界を一枚のカンバスに表出してみせたのだった。
その後、竣介は古典的リアリズムに回帰し、大画面での自画像を描く。おそらく竣介の作品でもっとも有名な《立てる像》をはじめ、都会や郊外の風景の中にたたずむ画家自身の姿は、内省的でもある。そして、ここにもやはり、人物と風景というモチーフが生かされている。
けれども、やがて戦局が厳しくなるとともに、戦時下の東京や横浜を描いた画からは、人物の姿が消えていく。ごみ処理場や公衆トイレや路地裏など、どこかの、しかしどこにでもあるような、名もなき土地の風景を、スケッチのように淡々と静かに切り取っていく。
戦時下の中で、竣介は何かに急き立てられるようにして、自らにその作業を課したのかもしれない。そう想像すると、これもまた、松本竣介の画家人生の流れの中においては、必然であったのかもしれないと思えてくるのだった。  
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2012年06月17日

【展】杉本博司 ハダカから被服へ

現代美術の第一人者、杉本博司の個展「杉本博司 ハダカから被服へ」を、品川の原美術館にて観覧。



人はなぜ服を着るのか?服を着たことによって、人類にどのような変容をもたらしたのか?
展示は、そうした根源的な問いかけから始まる。
そして、シャネルやイヴ・サンローラン、三宅一生や川久保玲ら、20世紀のファッションデザイナーたちの作品を、その名前の通りに彫刻(スカルプチャー)として撮影した「スタイアライズド・スカルプチャー」シリーズを中心に、古代人の生活を再現した「ジオラマ」や、歴史上の偉人たちの蝋人形を撮った「ポートレイト」といった過去の作品も巧みに構成していく。
それらの写真に付けられた作家自身のキャプションも合わせて読めば、それはさながら杉本博司流の服飾史となり、また、身体と服飾との関わりの考察ともなっていた。  
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2012年06月04日

【展】石元泰博写真展 桂離宮

桂離宮今年2月になくなった写真家、石元泰博が1950年代に撮った桂離宮、「石元泰博写真展 桂離宮 1953,1954」は、神奈川県立近代美術館・鎌倉にて会期終了間近。
桂離宮といえば、八条宮智仁親王と、その子である智忠親王により、17世紀に造営され、整備された離宮。この時代の造形や意匠が、1950年代のモダニズムと呼応しあって再発見されたというのが面白い。石組、池泉の庭、畳、障子、襖、襖の引手、壁、違い棚、竹垣…桂離宮を形作るありとあらゆるものが、幾何学あるいは抽象的な構図の中に純化されていく。
とはいえ、そもそも桂離宮には、現代にも通じる進取な気風のデザインが備わっていたし、石元泰博がフィルムに収めてから50年以上経った今も、色褪せることがない。
以前、桂離宮を訪れた時は、ガイドの方のペースに合わせて歩かなければならない都合上、目で追いかけるのが精一杯で、どうしても細かいところまでは写真に撮ることができなかったのだが、この石元泰博の「桂離宮」を見たら、またその地を訪れてみたくなってきた。

※2008年に訪問した桂離宮 1. 視覚を遊ぶ2. 窓からの景色3. 書院
  
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2012年06月03日

【展】写真の現在4、他

写真の現在毎月第一日曜日は常設展無料観覧日。
…ということで、東京国立近代美術館の「写真の現在4 そのときの光、そのさきの風」など、常設展を観覧。
“写真”と一口に言っても、その表現方法は多種多様。新宿のストリートポートレート(=有元伸也)から、タブロイド形式の冊子等の印刷物もひとつの表現手段であったり(=本山周平)、写真と映像作品を組み合わせたインスタレーション(=中村綾緒)やら。
その中でも、世界最初の写真技法である銀板写真(ダゲレオタイプ)を今の時代に用いた新井卓の作品が印象的だった。…そう、それはフィルム写真とは違い、複製できない銀板は、まさに“作品”と呼ぶにふさわしいものだった。震災後に撮影された東北の画もあり、銀板に埋められたポジティブ画像は、どこかの誰かによる唯一の記憶の画でもあるようで、不思議な気分にさせられる。
それから、故郷である福島を震災前から継続的に撮影してきた村越としやの風景写真。荒野をさまようような風景は、僕の心に小さなささくれを残す。
  
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2012年05月21日

【展】蕭白ショック!!

蕭白久しぶりの千葉市美術館は、5月20日で会期終了を迎えた「蕭白ショック!!曾我蕭白と京の画家たち」
千葉市美術館の江戸絵画関連の企画展は、本当に面白いです。“蕭白ショック!”というネーミングが、また、いいじゃないですか。
前期と後期で大幅に展示が入れ替わるということで、本当は2度行きたかったのだけれど、千葉なのでちょくちょくと足を運べないこともあり、《群仙図屏風》《美人図》《唐獅子図》などの出品される後期を選んで足を運んだ。

展示会場は三章立て、「蕭白前史」「蕭白」「同時代の京画壇の人々」という構成。蕭白については「登場」「高揚」「円熟」と、年代ごとに三部に分けて紹介。
「蕭白前史」では、蕭白の師ともされる高田敬輔(画風に共通点があるものの裏付ける資料はない)や、敬輔の弟子である月岡雪鼎らを紹介。雪鼎の肉筆美人画は、女性の体を赤い線の輪郭で描いており、これは蕭白にも共通する手法。蕭白が敬輔の門下であれば、当然、雪鼎ともつながりはあっただろうし、であれば、こうした画の技法の共通点も頷ける…といったことを考えなら、前史を眺める。
そして、蕭白ワールドへ突入。
描き込まれた鷹と、簡略化された背景の対比が印象的な《鷹図押絵貼屏風》。木にとまった鷹が水の中に映っているのも面白い。鷹の画は、蕭白が名乗る曾我派のお家芸的な画題。若き日の蕭白も鷹の画をせっせと描いた。画に変態的な要素は薄いけれど、蕭白はすでにテクニシャンだった。
おどろおどろしいまでの《寒山拾得図》は、画題としてはポピュラーなものだけれど、奇怪さでいったら蕭白のこれがナンバーワンだろうか。拾得の手にした箒はあまりにも重厚すぎて、箒ではなくて武器のようにも見えてしまう。
それから、あどけないはずの子供の画が気色悪い《群童遊戯図屏風》や、超絶テクニックで変態ワールド全開の《群仙図屏風》、手紙をびりびりに破いた裸足の女を描いた《美人図》の薄気味悪さなど、一筋縄ではいかない作品が目白押し。もうおなかがいっぱいである。
巨大な《唐獅子図》は、荒々しい筆で描かれた即興画のようにも見え、落款の文字も酔っ払ったようにヘロヘロなのであるが、これほどまでに大きな画の出来上がりを、蕭白がどのようにイメージしながら描いたのか、興味が尽きない。下書きもなく、一気呵成に描いたのだとしたら、蕭白こそ、江戸時代に出現した唯一無二のアクションペインティングの先駆者ではなかろうか…とさえ思えてくる。
そう、こんなに面白い画家は、洋の東西を見渡しても稀有な存在なのである。
そんなことを再認識して、あらためて蕭白ショックを受けたのでした。  
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2012年05月14日

【展】生誕100年 ロベール・ドアノー

ドアノーつい先日、会期が終了した東京都写真美術館の「生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー」を駆け込み観覧。
ドアノーは二眼レフカメラを使っていたが、その理由は、ファインダーを上から覗きこむ二眼レフカメラは、撮る対象を直接見なくていいので、そのスタイルがシャイだった彼の性格にはぴったりだった…ということらしい。
自分でも二眼レフカメラを使うので、これにはとても共感を感じてしまう。スナップ写真の巨匠であるドアノーに気軽に共感するだなんて、おこがましいかぎりだけれど。二眼レフを構えて、上からそっと覗き込み、息をひそめて、チャッという控えめな音で静かにシャッターを切る。この一連の動作は、目の前の風景とは別に、ファインダーの下の黒い箱の中で繰り広げられているミニチュアな世界にも思えてくるのだから、楽しい。
というわけで、当然のようにチラシのおもてを飾る《パリ市庁舎前のキス》があまりに有名なドアノーですが、僕が魅力を感じるのは、ドアノーが二眼レフで撮影したであろう、街角のこどもたちのスナップの数々。温もりのある子どもたちの姿を通して、街角に立ち、カメラをかまえ、優しげな目でファインダーを覗いていたであろうドアノーの姿を想像すると、なんだかこちらまで優しげな気分になってくる。そんな展覧会だった。
  
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2012年05月02日

【展】三都画家くらべ

三都画家くらべさあ、江戸絵画でどんどんいってみよう。
春の府中市美術館といえば、江戸絵画。今年は「三都画家くらべ 京、大坂をみて江戸を知る」です。
そのタイトル通り、江戸・京都・大坂の三都市の絵師たちを取り上げながら、その時代のそれぞれの市民の精神性、地域性を比較してみようという試み。ありそうでなかった切り口。毎年、府中市美術館の江戸絵画の企画展は好企画だ。それに、有名無名を問わず、面白いものはどんどん紹介してくれる軽快さが、この美術館の良いところである。

伊藤若冲や円山応挙、狩野山雪に狩野探幽…といった超ビッグネームの作品を押さえつつ、今年はどんな作品が登場するかな…と楽しみに会場をめぐってみると、ありましたありました。うっかりポストカードも買ってしまいました。
左の美人画を描いた祇園井特(ぎおんせいとく)は、2年前に初めて名前を知った京都の絵師。肉筆で描く美人画は、いわゆる“美人画”のイメージをくつがえす異様さ。類型的な美人画を離れて、その人物の醜い部分や老いでさえも描き込んでいるようにも感じる。井特の画はインパクトが強すぎて、すっかり名前と画風が結びつくようになっていたので、会場の片隅に展示されているのが遠目にも分かってしまう。
右は長澤芦雪のなめくじの画。なめくじを画題にするなんて、それに、這った跡を一筆描きで描くなんて、こんな小さな画の中にも、奇抜で大胆なアイデアの持ち主たる芦雪の面目躍如といったところ。本当に、人をおちょくっているというか…まあ、これが芦雪らしいところなんだけど。

三都画家くらべ
  
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