オルタなロックの楽屋の裏で

80〜90年代のインディー/オルタナティヴロックシーンを中心に斜め目線で振り返る雑記。

お久しぶりです。




エコー&バニーメンのフロントマン、イアン・マッカロクのソロ日本公演が中止になったニュースが入ってきた。
イアンの日本公演は4月13日と14日の二日間の予定で、初日の公演は予定通りに運ばれたものの、二日目の公演の直前にプロモーターのVINAL JAPANからキャンセルの告知がツイッターで流れてきた。
そのツイッターの文面に、私はとても驚かされた。


『米国と北朝鮮の間で武力衝突があるというニュースを受け、Ianとマネージャーは無許可で日本から出国していることが判明いたしました』と、いうことである。
イギリスでは(そうです、私はまだぐだぐだとイギリスで暮らしています)、北朝鮮とアメリカのあいだにある武力衝突の可能性については、大手のメディアはほとんど大きく扱っていない。 
アサド政権がサリンを一般市民へ使用したことへの反撃として、アメリカ軍によるトマホークミサイルによる攻撃は、大々的に報道されている。
しかし、それはアメリカから北朝鮮への『メッセージ』でもあるということは、イギリスの主要メディアが伝えているのかさえ、私は知らない。
北朝鮮の危機への関心が余りにも薄いので、最近はイギリス系メディアのニュース番組はほとんど観ていいないし、ネットニュースもアメリカか日本ばかり追っている現状である。
だから、イアン・マックロクが東アジアでの危機的な情勢に対してほとんど何も知らなかった可能性は、非常に高いと思う。
日本に来てから、一触即発のこの現状を知り、そのことを事前に教えてくれなかったプロモーターに対する不信感や不満がうまれたことは、想像にかたくない。
それが、二日目のライブを中止する旨を関係者への通達なしに日本を離れた理由だったかも知れない。


しかし、それにしては余りにもプロ意識が欠けている。
30年もミュージシャンをやっていて、日本公演も何度もこなしているのに、プロモーターへの通知なしに緊急帰国。
プロモーターというよりは、ファンへの通知なしというのが、一番いけない、
お客様は神様であるように、お金を払ってくれるミュージシャンにとってファンとは最も尊い存在でなくてはならない。 
そのファンの期待と熱意と愛にこたえられなかったというのは、イアンほどのキャリアのあるミュージシャンの選択としては非常に残念である。


それから、VINYL JAPANが一体どのようにイアンと話し合い、どのような契約があったのか。
VINYL JAPANのツイッターによると、『Ianとマネージャーは無許可で日本から出国』である。
この文面から読み解くに、イアンとマネージャーはたった二日間の日本公演において、なんらかの『許可』をVINYL JAPANもしくは日本の出入管理局から貰わなければ、イギリスへ戻る『自由』もないという契約だったのだろうか。
某独裁国みたいだ。
『イアンとマネージャーが(プロモータ―に)連絡無しにイギリスに帰国』ならば、納得するのに。
誠に不可思議な話である。
或は、あまりにも『悪名高き
VINYL JAPAN』的な、態度というべきだろうか。
このツイッターにあまりにも驚愕して、ついにブログを再開してしまった。

BBC4という、カルチャー系のドキュメンタリーなどを多く放送するデジタルテレビのチャンネルでは、金曜日の夜はたいてい音楽を取り扱う。
先週末は、ポップ/ロックバンドの解散の特集だった。
印象に残る解散劇をしたバンド(ザ・スミスとか)から、解散をせずに走り続けているバンド(コールドプレイ)、揉め事も無く熟年解散を仲良く遂げたREMなど、関係者のインタヴューなどを中心に編集されている番組だった。
テレビで特集されている以上、商業的に成功を収めたバンドにしかスポットライトは当たらない。
億以上(アメリカドルやイギリスポンドでいうと百万以上)のお金ががっつりと入ってくるバンドと、ユーチューブの再生回数が百万回には及ぶことが皆無といっていい中堅レベルのインディーバンドとでは、収入のみならずビジネス形態、飛行機の座席のクラス、ツアーの快適性、仕事関係の友人や知り合い、楽屋で用意されているドリンクや食事のレベル、会計士や弁護士とのつながりが濃いか薄いか、などなど様々な違いがあるものの、人間が数人集まっている限りそこで起こる人間関係の軋轢の基本はたいして変わらない。
儲かっているバンドのほうが、関係者が多いだけに責任があるかも知れないし、解散を回避できるだけのいろいろな要因が存在しているので(喋りたくもない他のメンバーとツアー中は別移動とか、配偶者や子供をレコーディングの時ホテルに呼べる)、弱小バンドの方が解散は起こりやすい、というのはあるかも知れない。


テレビを観ながら、バンドのツアーマネージャーなどをやったりして、友達のバンドの解散を目撃したり他のメンバーへの不平不満を愚痴っているのを聞いてきた相方が (私のイギリス人の夫は、80〜90年代、主にレコードのディストリビューションの会社に勤務してインディー音楽界で働いていた)いろいろつっこんでいた。
特に、グランジの影響で拡大したマーケットの恩恵で、80年代の(たいしたことないレベルだったり、マニア過ぎる)インディーバンドが90年代前半に大手のレコードと契約したり、人気のでるよい機会があったにも関わらず、その直前で解散してしまったバンドと接した経験があるからだろう。
あと一年頑張れば、もっと飛躍できた筈の80年代のいいバンド達は、本当に悔やまれる。
相方の個人的な体験とその他に見聞をもとにした、解散に関する有難い(あるいは有り難迷惑な)言葉を集めてみた。


  • コールドプレイのマネージャーは、最初からバンドに関わって一緒に苦労をともにしてきた。だから、信頼関係があるからバンド内の人間関係が崩れた時に仲介が出来る。バンドは、多少成功してから雇われたマネージャーが関係修正に努力しようとも、言うことなんかきくはずがない。
  • メンバー間の関係が悪化したら、とりあえず冷却期間を置くこと。半年でもいい。 
  • たいていのミュージシャンは、バンド仲間に文句があったとしても直接当人と対峙して問題解決に取り組もうとしない。彼女や友達に愚痴りながら、なんとなくバンド活動を続けていく。だから、いつまでも人間関係がよくなる訳はない。それで、いつかぶっ壊れる。
  • バンド内の不平等が、バンドを解散に追い込む。中心人物が他のメンバーに気を遣って、収入は全てメンバーの頭数で割る、と平等主義を最初に決める。でも、結局作曲に積極的に参加してくれるメンバーなんか限られてくる。曲作りに協力してくれないのに、お金だけは受け取りやがって、と後々不満が出てくるのは仕方ない。初期設定は重要なファクターだが、臨機応変になることも必要。
  • とにかく、どんな最悪な状態でも、解散はなるべく避けること。 


そういう相方だが、理性が壊れると、時折過去の自分の選択が間違っていたと、最近まで苛まれていることがある。
音楽関係の仕事に関わらなきゃよかったとか、あの時やめなきゃよかったとか。
面倒くさい。
人間、後悔しながら生きていくものだと、諦めるしかない。

モグワイ以降のポストロックから洋楽インディーに、日本人でいながらどういう因果かファンになってしまい没頭してしまった比較的若い世代のファンは、90年代の前〜中期の音楽シーンにどういう印象をもっているのだろうか。
マンチェスター出身のバンド達がシーンを牽引し、シューゲイザー的音楽が開花してその影響にあるバンドが活躍して、 一方アメリカからはグランジの大きなムーブメントが社会現象と化し音楽のみならずファッションまで大きく若者文化を根底から覆し、その反動からかイギリスではブリットポップなるジャンルが生まれてここでもインディー音楽がメインストリームの音楽として認知される。
こう書いていると、確かに90年代は大きなポップカルチャーの変化が大きな波となって何度も何度もシーンを浸食し、改革を迫り、変化を求め、音楽業界もファンも飽くこと無く新しき『何か』を求めた激動の時代だったかのように見えるかもしれない。
現実は、少なくとも私にとっては、拷問に近い日々だった。


今、若い世代のインディー音楽ファンに引き継がれているバンドやミュージシャンは、主に商業的に成功したか、或る種のカテゴリーに分けられたか、カルト化したか、と認識している。
商業的に成功した例としては、レモンヘッズ。
音楽的にこのバンドに影響された次世代のミュージシャンとかいるわけはないし、 ジャーナリスト達は(昔はレコード会社の影響力があったから悪く書くこともなかっただろうが)今現在、たいして書くことも無いので放置状態だろう。
それでも、商業的に成功していたのでインディーファン以外の一般のファンが多いこともあって、 今でもツアーすればそれなりに稼げるだろう。
二つ目のカテゴリーとは、『シューゲイザー』とか『グランジ』とか『ブリットポップ』とか『マッドチェスター』とかいう分類に括られたバンド達である。 
確かにブリットポップは今となっては忌々しいインディーロック/ポップス史の黒歴史かもしれないが、(以前のブログ:ブリットポップ 英国音楽史の黒歴史?  )黒くても歴史と認識されているだけマシだと思う。
括られることによって、付加価値がつく。
Rideのメンバー達が、その後付けされた評価に驚いているだろう。
そして、たかだか四半世紀前に存在したバンドだというのに、伝説とか神話みたいに語られてしまうカルトなバンド(SlintとかSpacemen3とか)。
そういった商業的な成功とかジャンル分けというセイフティネットにひっかからなかったバンドは、実は結構な数がいる。


35歳以下のインディー音楽ファンの方にお尋ねしたいのだが、The Sultans of Ping FCというバンドをご存知だろうか。
The Sultans of Ping FCはアイルランド出身のバンドで、1988年に結成されて一時期は大手のエピックレコーズとも契約、英国の音楽誌にも大きく取り上げられてそれなりの成功していた。
勿論、日本盤もリリースした、日本ツアーを敢行している。
ところが、 現在のウィキペディアには、The Sultans of Ping FCの日本語の記述がない(もっと正確に言うと、英語以外の言語によるまともなエントリーはない)。
日本語でググってみても、殆どなにも出てこない。 
あれだけ日本人のファンが気に入っていたバンドではなかったのか。
あんなに多くにファンがライブに行って熱狂していたのではないか。
元スペースメン3のピート・ケンバーのバンド、Spectrumのロンドンでのライブの後、そこにいた日本人女性二人がThe Sultans of Ping FCのライブに行くことを話し合うくらい、このバンドが好きな人は多かったのではないのか(あの時は心底驚いて、開いた口が塞がらなかった。Spectrumに来ているにも関わらずThe Sultans of Ping FCが好きでライブに行くということが、若かった私には極右翼の政党のメンバーのマルクス主義者のように、信条や哲学に潔癖ではない人に映った。今考え直すと、彼女達は単なるインディーミュージックみたいなものなら何でも楽しみたいファンでしかないのだが。当時は私は妙に変に凝り固まったところがあったので)。 
音楽的には私の好みではなかったので(音楽は実は全く知らなくて、ちょっと雑誌の記事や写真を見ただけで「これは私の求めているものではない」を分かるから、無視)、何故このバンドがもてはやされるのか分からなかった。
"Michiko"とか"Japanese Girls" なんてタイトルの曲があって、実際にフロントマンには日本人の彼女がいるという噂を聞いて、とても分かりやすいバンドだと思った(いくつかあるよねー、この時代のインディーバンドで日本人女性を歌った曲)。
が、その"Japanese Girls" って、The Sultans of Ping FCのライブにも行っていないしアルバムも購入していない、Pavement好きの私は含まれてませんよね、とだけ願った。


いつもはYoutubeのビデオをはめ込むけど、やはりちょっと抵抗があるのでリンクのみ。
こういったバンドがもてはやされていた時代だった、といことだけ、若い世代のインディーファンにアピールしたい。


最近、The Sultans of Ping FCの曲がアイルランドのテレビ番組に使用されたとか。
なかなか運のいいバンドである。
再結成してちょこちょこ活動しているらしいが、イギリスとアイルランド以外でツアーをしているのかどうかは、不明。
Where's me jumper(テレビ番組が使った曲)


この時代、他にも似たようなバンドは、いくらでもある。
そこそこの成功をおさめて、ロンドンなどでは2000人以上キャパシティ―のあるクラブを満員して、日本ツアーをして、忘れられたバンド。
ウィキペディアに、英語以外掲載のないバンド。
NMEなどのイギリスの音楽誌の表紙になったり、大手のレコード会社や一線で活躍しているインディーレーベルと契約したり、それなりのお金を手にしたのに、人々の記憶からも消されていったバンド。
そういったバンドをまとめて紹介したいのだけれど何せ覚えていないので、もしある程度数が揃ったらブログにしてみたい。


 

奢れる者は久しからず。インディー音楽界だって、氷河期が襲ったことがあった。個人的に『インディー氷河期』と呼んでいるのは90年代後半から00年前半、イギリスではブリットポップとかいう陽炎のようなムーブメントが吹き飛んで、アメリカではヒップホップがメインストリームのポップミュージックとして広く受け入れられ、ニュ―メタルの台頭がグランジの恩恵で生き残っていたインディーバンドを苦境に陥れた時代である。某大手レコード会社が潰れて、運が悪かったり元々それほど人気のなかったミュージシャンやバンドは寒波に襲われて存続の危機に立たされた。ちなみに、この時期はまったく音楽から離れて日本で自由に生きられるようになっていた時期なので、個人的に全く音楽界隈で何が起こっていたのか分からない。とはいえ、80年代以降なんとか命を繋いで90年末まで頑張って来たミュージシャンは、なんとか生き残っているパターンが多い。真の悲劇は、この時代に売り出そうと奔走していた若きミュージシャン達である。


90年代の後期、短期旅行でイギリスに来た時にふと入った小さなクラブで細々と演奏していたとあるアマチュアバンドを見かけた。深く味わいのあるメロディーと、それに比例するかのような淡々とした味気ない演奏。今振り返ると、いわゆるサイケデリックフォークとかそんなジャンルに部類されるようなスタイルである。ライブのその真摯過ぎる演奏と緊張感に、若かったらこのバンドに溶けまくっていたこと間違いなし。当時の彼(今の夫)と一緒だったのだが、彼もやはり気に入ってこのバンドを高く評価していた。暫くして、インディー音楽業界の某有名な方もそのバンドに注目しているというウワサ話を聞き、とある弱小インディーレーベルからデヴューという運びになった。いつもデヴューしたバンドを追っかけていたわけだが、デヴュー以前に私が目を付けたバンドが音楽業界の方々から賞賛されてデヴューしたという知らせは心底嬉しかった。が、業界のそこそこお偉いさんが後押ししたにも関わらず、氷河期のジャーナリストは心も凍てついていたのか、そのバンドは殆どレヴューもされず、たまたましてくれたとしてもかなりの辛口の批評に終わっていた。その後、そのバンドがどうなったのかは知らない。もし、この2010年代にこのバンドが出現していれば、そこそこの成功は収めた筈である。それくらい、個性があるよいバンドであった。


バンドの命運は、0.1パーセントの才能と3パーセントのキャラ(やっぱりキャラは必要、芸人だけじゃない、インディーミュージシャンもキャラが命。生き残っているカルトミュージシャンは殆どマンガになりそうな人達ばかりだもの)、残りは運だと思ってる。
運のひとつは、出会い。
しかるべき場所で、先輩ミュージシャンや音楽関係者に偶然出会ってデヴューの足がかりを得る。
二つ目の運は、時代。
このバンドには、時代という運がなかった。


一方で、時代という運ばかりに恵まれたバンドが腐るほどいた時期があった。
今現在、誰も語らないバンド達である。
90年代初期から中期の、インディー音楽マーケットが潤っていた時。
それについても、今度書こうっと。 

暫く、ブログさぼっていた。
このまま止めてもよかったのだが、十個以上書きかけのネタがあるし、まだインディー音楽にまつわるビジネスや金銭面の話やツアー話をしていない(ツアー話の殆どは夫の経験談になる予定)。
毎月4つくらいブログを書いたとしても、多分一年分くらいのネタのストックがある。
過去の洋楽インディー音楽の裏事情の暴露話は、結局自分のためにやっている。
猫がお腹にたまった毛玉吐き出すようなもの。
過去に蓄積したストレスを出すためのブログ
ブログは続けられる限りは続けたいのだけれど、最近はちょっと身の回りに変化が起こったので、続けられる自由がいつまであるのか、分からない。 
そういう訳なので、いきなり消えていたら、ごめんなさい。


最近、ドキュメンタリー映画の"Dig!"(2004)を初めて観た。
アメリカのバンド、ザ・ダンディ・ウォーホルズとザ・ブライアン・ジョンストン・マサカーの音楽活動を中心として、ミュージシャンになる、そしてミュージシャンとして生きるうざったさを垣間見せてくれる。 
ポップなバンドとしてそれなりに成功を収めるザ・ダンディ・ウォーホルズと、才能はあるのに問題行動の多いアントンがフロントマンの商業的に成り上がれないザ・ブライアン・ジョンストン・マサカーが、交流しつつ対照的に描かれている。 
Youtubeに上がっていて、しかも英語の字幕付き。
英語の苦手な人でも、英語圏の国に長く住んでいるのにたいして英語力が向上しない私みたいな人でも、これなら楽しめる(俗語と卑語だらけのボロボロの生活を送っているアメリカ人のミュージシャンの英会話は、結構辛くて痛いので、字幕は有難い)。


    


思ったより内容はショッキングなことや新事実みたいなこともなく、ちょっと残念。
私が期待していたのは、もっと醜くてだらしなくて馬鹿らしくてどうしようもない音楽産業の世界だった。
一番良かった印象的なシーンは、アントンのお父さんだった。 
アントンが中心になっているドキュメンタリーっぽい。
アントンの家庭環境、問題行動と暴力的な性格、ドラッグの乱用、それでもアントンは才能があるからミュージシャンとして頑張れよ的なメッセージを読んでしまった。
おかげで、スペースメン3に似ているとかその音楽を継承した、といった修飾語が多用されるザ・ブライアン・ジョンストン・マサカーだけど、聴いてみてもなんとなくしっくりこなかった理由が分かった。
アントンは、『外』へと表現するタイプのミュージシャンだ。
怒りも苦悶もストレスも、言葉を使ったり暴力を使ったりして吐き出してしまう。
表現が『内』にしか向かえないソニックやジェイソンとは、正反対のタイプである。
例え音楽的に似ているところがあるにせよ、実際にライブに行ってステージで受ける印象はまったく反対になる筈である。
あと、影響を受けている音楽の幅も広く、それを音楽に変換できるだけの技術と冒険心がある。
気に入ったものと表現できるものだけでやりくりするような、料理下手でカレーしか作らない主婦とか奮発して買った同じジャケットのみを着続けるのが『ファッション』な英国人男性みたいに(実際、ホントにこんな感じ。いつも同じものとか似たもの着ている)、スペースメン3は融通がきかないバンドなので、ザ・ブライアン・ジョンストン・マサカーのレパートリーの多さと多産な活動には脱帽する。


あと、個人的には彼らの年齢を考慮したい。
ザ・ダンディ・ウォーホルズのフロントマン、コートニー・テイラー・テイラーも、アントンも1967年生まれである。
80年代後半にはデヴューして、90年代前半にはアイドルバンドと勘違いされて人気のでた、音楽的には誰も評価しようとしない、インディー音楽史のなかではどうでもいい扱いのレモンヘッズ(The Lemonheads)のイヴァン・ダンドーと同じ1967年生まれで、どちらのバンドもちょっと遅咲きのきらいがある。
二十代後半からレコード会社から注目されるようになったのでは、内心かなりあせっていたのではないか。
同世代のアメリカのミュージシャンは、大学卒業デヴュー組(ペイブメントなど)でも25歳までにはなんとかそれなりに注目されてミュージシャンとして認められるようになっている。 
ドキュメンタリーとして撮影されるのを許可したのも、そんな絶望的な状況に対するささやかな自嘲的反抗だったのかも知れない。 


日本にツアーしているにも関わらず、ウィキペディアに日本語の表記もなく、日本語でググってみてもたいして何も出てこないザ・ブライアン・ジョンストン・マサカー。
日本の洋楽インディーファンはやはりサイケなものに弱いのか、それとも単に移り気で浮気性なファンが多くてすぐにライブに行ったバンドのことなんて忘れてしまうのか、はたまた単にマネージメントが上手くて日本ツアーが出来ただけなのか。
とりあえず、今現在でも音楽がやれるだけ幸せなのかも知れない。

 


このページのトップヘ