
「吉井勇の歌碑」を知る人は多い。
「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる」
歌人、劇作家の吉井勇(1886~1960)は、
1938年(昭和13年)から亡くなるまで、京都を愛し、京都で暮らしいた。
この間、都おどりの復興など祇園のために力を尽くしている。
この碑は吉井勇の古希を記念して建てられたものである。
この場所は、
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京都人の独り言・戯言・愚痴。京都の歳時記・行事、風物詩。・・あるある京物。一体京都とは何者なのだろうか。日常の出来事を京都視点で読み解いていきます。京都街場文化に通じたClubFame社プロデューサー/五所光一郎の雑記帳です。
「吉井勇の歌碑」を知る人は多い。
「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる」
歌人、劇作家の吉井勇(1886~1960)は、
1938年(昭和13年)から亡くなるまで、京都を愛し、京都で暮らしいた。
この間、都おどりの復興など祇園のために力を尽くしている。
この碑は吉井勇の古希を記念して建てられたものである。
この場所は、
見事な樹幹に枝垂れる枝は、しなやかな女性の髪のように揺れていた。
岡崎公園内の枝垂桜は勿論、疎水縁の山桜やソメイヨシノの並木の蕾はまだ固い。
暫くすると行楽客が訪れ、十石船から仰ぎ見られることだろう。
その疎水に架かる「れいぜん橋」を渡ると、北側に桜馬場通である。
冷泉通から丸太町通までの僅か三百メートル程の道路である。
通りに面して東側は石垣の土手が続く。
中は旧武徳殿であった京都武道センターである。
武徳殿の甍の黒を背景に大きな枝垂桜が威風堂々と天に伸びているのが見える。
既に見頃に咲き誇り目映さを感じる。
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