TATUKIの部屋

初めての人もそうでない人も見てもらえるようにしました。霊に関すること、人生相談を受けます。

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 ある団体の行事で長野県の諏訪周辺に行った。その中で高島城という場所に行った。高島城は天正18年(1590年)当時の諏訪領主諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に従って武蔵国へ移った後、豊臣秀吉の家臣に日根野織部正高吉が2万7千石を与えられ、文禄元年(1591年)に着工し、慶長3年(1598年)まで7年掛かって築城した。城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えたことから「諏訪の浮城」と呼ばれた。後、関が原の戦いで頼忠の子諏訪頼水が慶長6年、家康の恩恵によって旧領諏訪に帰り、270年間諏訪氏の居城となった。この城の特長は屋根が瓦ではなく、檜の薄板を敷いた杮葺(こけらぶき)とよばれる屋根と木の外壁が特徴である。数ある城の中でこの建築は珍しい。この城の高島公園内には諏訪護国神社があった。最初は建御名方神と思ったが、後に調べると郷土諏訪出身の英霊をお祀りしている神社とわかった。本殿は流造りの古式の神社であった。
 城内に入ってがっかりしたのは大阪城同様に展示用に作られていた。かっての面影はない。中には城の模型や発掘物、日根野氏が用いたと思われる鎧、諏訪氏の旗や歴史の説明版が飾ってあった。「風林火山」のドラマで有名になった由布姫の写真付き旗が立っていた。由布姫はドラマ上の名前で正式は諏訪御料人が正式である。
 父諏訪頼忠の娘で武田晴信の妻として生きた姫である。武田信玄の諏訪謀略によって人質として捕られたが、「目の覚めるような美貌」で晴信に見初められて側室となった。後に武田家当主となる勝頼を15歳で生んだが、10年後の弘治元年、我が子の晴れ姿を見ることなく、薄幸の生涯を閉じた。歴史上その本名は知られず、海音寺湖五郎の「天と地と」では諏訪御料人、新田次郎の「武田信玄」では湖衣(こい)姫、井上靖の「武田信玄」では由布姫の名で登場している。敵である晴信を憎む一方、深く愛する心に揺れる、内に情熱を秘めた女性として描かれている。武田家の軍師であった山本勘助が自らの夢をかけて二人を見守る姿がドラマに描かれていた。
 翌日の夢で諏訪護国神社に建御名方神と由布姫が立っている夢を見た。その神は私に「私の他に神を知っているか」と尋ねられた。私は「天照大御神、素戔嗚の命、月詠命、日本武尊」などの名を挙げると「それでは足りない
もっと多くの神々を知ってほしい」と伝えて消えた。残る由布姫の案内で元の城内の姿が案内された。居間、台所、書院、御所、寝室などの古来の姿を案内した。私の所望が叶ったのだろう。天守閣の階段を下りるとき、なぜか、周りが真っ暗になって長々と続いた。負と、後ろを振り返ると姫の目が赤く光ったのを感じ、怖くなった。気づくと城内の部屋に着くと周りが明るくなり、姫の姿が目の前にあった。しばらくすると夢は終わった。あれは何だったか?疑問が沸いた。これとは別に諏訪湖など素晴らしい光景に巡り合えたのは幸運だった。

 今週の日曜日は悪天候に関わらず、参加した。今回の企画はTABBICA(たびか)によって行われた。心霊アイドルのりゅうあと一緒に参加した。3時に四谷に集合したが来てなかったのでりゅあのtwitterに問い合わせたところ、四谷三丁目駅に集合とのことだった。移動すると駅にはいなかった。もしやと思ってお岩稲荷、田宮神社に行ったら、やはりいた。ガイドさん2名と男7名、女性1名だった。りゅあさんに出会ったのは初めてではなかった。怪談図書館のトークには参加して顔は知っていた。四谷怪談の舞台であるお岩稲荷は前に出向いたことがあるので、すでに知っていた。事の起こりは数年前に遡る、当時、私は東洋医学の体験学習のため、専門学校に出向いたことがあった。どうしてもお岩稲荷を見たかったので、稲荷に出向いた。忘れ物でお岩さんの霊と出会った。今回は田宮稲荷から入った。私が視ていたのは拝殿にいる神官の霊だった。おそらく、初代の神官だろう。そのあと、お岩稲荷に寄った。赤い門をくぐるとお岩さんの霊は祠のそばで立っていて、参拝者を見回していた。私の姿をみると頭を下げて挨拶した。だが、ガイドさんの呼び出しで慌てて飛び出した。私は四谷怪談は創作で実際の話とは違うと説明した。怪談映画でみるような右目の腫れはなく、きれいな顔をしていた。作者の鶴屋南北はお岩の入水自殺を誇張して怪談に仕立てた。芸能界でのお岩の祟りはお岩さん本人ではなく、観客の畏れの念が集合して集まったものが怪現象を起こしていると説明した。次に地下鉄で大手町に行った大手町といえば、平将門の首塚で有名だ。
 かってはそばに三井物産のビルがそばにあったが、取り壊されてなくなっている。入ったとき、白束衣の武士の姿が視えた。かって、将門の首塚にある大名屋敷の霊であろう。将門の首塚に直面して視えたのは大きな首のイメージだった。これにはりゅうあさんも同調した。さんばら髪の将門の首だった。そのあと、皇居に移動した。その江戸城もある意味では心霊スポットにもなっている。7人の生贄、桜田門での井伊直弼の殺害である桜田門の変の舞台でもあった。この江戸城は以前、何度かは訪れている。別の意味ではパワースポットにもあたる。
 後日談になるが、帰宅後、平将門が私のもとにやってきた。私が呼んだわけではなく、向こうからやってきた。私は「平将門様ですか」と伺うと「左様。平小次郎将門である」と名乗った。その霊は「我が胴はどこだ」と訊いてきた。私は新宿の鎧神社に将門の鎧を埋めたところがあると伝えると、「何故、それを出さないのか?」と訊いてきた。「あの場所で神社の許可なく発掘すれば盗掘になる」と伝えたら、将門様が驚き「そうであったか。余計なことを訊いてしまった」と顔を曇らせた。そのあと「お主、伝えてくれてありがとう。良ければ、我が塚にも参るが良い」と話した。私は「いずれか、お参りさせていただきます」と返答するとその後、消えた。悪天候にも関わらず、よい出会いになりました。
3676心霊アイドルりゅあさんと有名幽霊さんに会いに行こう

 漫画に興味のある読者なら一度は聞いたことはあろうと思うが、正式には「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のJUMP人気漫画が40年間の幕を閉じた。主人公の両津勘吉は下町育ちの巡査長だが、体力は人間離れした人体能力と強靭な体力の持ち主で金に対する執着はうるさく、正義感溢れる警官だ。取り巻くキャラクターは魅力な人物が登場する。大企業の御曹司中川圭一、日本人とフランス人のハーフ秋本・カトリーヌ麗子、頭が上がらない上司の大原大次郎巡査部長、白バイ隊員の本田速人を中心に下町警官の派天荒な活躍が受けている。両津のもう一つの肩書は寿司職人で「超神田寿司」で「浅草一郎」の名前で働いている。昭和時代の風景では子供の両津がガキ大将として描かれている。何より落ちは大原部長の大暴れで終わる。その単行本は200部、40年で同作品を続けた記録はギネスブックに認定されている。下町の亀有駅前にはこち亀のキャラクターの像が立っている。
 原作者の秋本治先生自身は葛飾区亀有出身で12月には名誉区民に顕彰されている。今年の9月に秋本先生は神田明神に8メートルの絵巻物が奉納された。この作品は日本橋の高島屋の特設催事場で見ることができる。
 秋本先生はこの回でこち亀を終了するが漫画家として新作や読み切りを発表するようだ。秋本治先生はひとまずお疲れさまと申し上げたい。

 9月8日に政府が生前退位を特措法で整備すると発表した。8月8日に天皇陛下がお気持ちで「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行事や、その象徴としての行為を限りなく、縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などにより、その機能を果しえなくなった場合には、「天皇の行為を代弁する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場を求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでににも、見られたように社会が停滞し、国民の暮らしに影響が及ぶことが懸念されます。…その様々な行事と新時代に関わる人々、とりわけ残される家族は非常に厳しい状況下に置かざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」とご意向を表明された。これは非常に重いことばであった。国民の感性でいうなら定年退職である。
 安倍首相はこれを受けて「天皇がおっしゃられたことは重い。天皇のお気持ちに応えなければならない」と記者に伝えた。だが、結果は皇室典範の改正ではなく一代限りの特別措置法の検討であった。これは何を意味するのか?皇室典範は憲法の皇位について第二条の「皇位は世襲のものであって国会の議決した皇室典範の定まるところにより、これを継承する」と基づいて設定されている。皇室典範には16条に「1.天皇が成年に達しない時は摂政を置く。 2.天皇が精神もしくは重大な事故により国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」と規定している。「生前退位」を認める規定は典範にない。それなのになぜ、改定しないのか?官邸関係者は「退位の自由を認めれば天皇への退位を拒否する自由も認めることに繋がりない」と指摘している。安倍首相も「皇室典範の改正には持って行きたくない」と周囲に伝えた。なぜか?それは皇太子の問題に繋がる。女性・女系天皇の容認に繋がるからだ。小泉首相の時、「女性宮家』の創設が議論されたが、みおくられた。その背景には「日本会議」の意向があった。日本会議は現行憲法を廃止し、改憲を望む安倍首相の意向で設立された団体だ。百地章、渡辺昇一、櫻井よしこ、小堀桂一郎など相当たるメンバーがそろっている。彼らの殆どが男系固執派なのだ。女系天皇の設立には反対の立場だ。戦後、GHQが作った憲法に「国民主権」が入っているが、天皇を戴く日本の国体には本来の「民主主義」や「国民主権」は接合できない。これは天皇に対する反逆だ。海外の王室でさえ「女王」や「生前退位」また「生前譲位」があるのになぜ、認めようとしないのか?彼らのいう民主主義は欺瞞でしかない。

 私は用あって名古屋に行った。千種という場所に泊まった。朝、神社を探ろうとしてところ、ホテルの道路の左手側に気配があった。歩いて5分位の距離だった時、大きな神社が見えた。看板を見ると「物部神社」とあった。この神社は物部氏の拠点があった場所だ。物部氏について調べると大和国山辺群・河内国渋川群あたりを本拠地にした有力な豪族で大伴氏と並ぶ軍事氏族であった。神武天皇より前に大和入りしたニニギハヤの命が祖神といわれているが、ここにお祀りしているのは宇麻志麻遅(うましまじのみこと)であった。この違いはわからない。古代には物部郷古井村、中世には鳴海荘古井村とよばれ、物部氏の拠点であった。物部氏について記録を調べると敏達天皇の頃には蘇我馬子、物部守屋との間に崇仏派と排仏派の争いがあった。そのわけは疫病の流行であった。蘇我氏は天皇に奏上して仏教を信奉する許可を求めた。排仏派の天皇はこれを許可したが、そのころから疫病が起きた。大連、物部守屋と中臣勝海は異国の神を信奉したため疫病が起きたと奏上し、仏教の禁止を求めた。守屋氏は仏塔や仏殿を破壊し、仏像を海に投げ込ませる行為を実行した。馬子や司馬達ら仏教信者を罵倒した上で尼僧たちをとらえ、全裸にして奈良市の駅舎に連行し、大衆の前で鞭打った。物部氏の排仏の動きは次の天皇である用明天皇に持ち越された。その時、天皇は天然痘で崩御された。天皇を巡る争いで河内国渋川群(現・大阪府東大阪市)で丁末の乱で物部氏は没落し、蘇我氏の推薦する崇峻天皇族が即位した。その後は細々と継続し、金子家、石見家は華族として存続した。私は神官姿の物部氏の御霊と接見した。天皇との繋がりを伺うと先代は天皇との関わりはあったが、この地に国造として奉仕したが、天皇との繋がりはない」とおっしゃられた。
 
 私としては名古屋に旅した時、どうしても行きたい名所があった。名古屋城であった。名古屋城は尾張徳川家の居城として有名な名所であった。最近は本殿が半端完成し、一般に公開された。一目みると京都の二条城と造りが似ている。中に入ってみると檜で造られた長廊下に、御用絵師であった狩野派の豪華な襖絵が飾られた。竹林豹虎図や風俗図とよばれる絵が見事だった。公開された本殿は「対面所次之間」といって藩主や身内、家臣のとの私的な対面や宴席のための部屋だといわれている。ふと、玄関の出入り口の広間で赤い羽織を着た口髭の男が行き来してる観客を楽しそうに眺めた姿を霊視した。後ろに控えている側近とも立っておられた。直感で尾張徳川の殿様であることを感じた。威張っている様子はなかった。名古屋の天守額にも行った。天守閣は1930年(昭和5年)、国宝として指定された。戦中は日本陸軍の中部司令部として拠点を置いたが、1945年(昭和20年)に空襲を受け、天守閣、本殿とも焼失した。1959年(昭和34年)に再建された。天守閣に入ってがっかりした。大阪城と同様に内部は従来の姿は失われ、展示場になってしまっている。中にはかっての生活した武士たちや身内、女中などの面影はあったが、城主の姿はなかった。城主の霊は本殿におられた。
 後程、徳川園にも行った。かなりの距離でバスを利用しないとできない距離であった。そこには豪華な日本庭園があった。広い庭園は新宿御園とは比べものにはならない。流石は華族だと思った。池には数匹の鯉、豪快な人工の滝、木橋など見るところは多い。今回は優雅な旅だと思う。皆さんも行ってみて下さい。
100711-01名古屋 物部神社名古屋城徳川園

 14日にSMAP解散が報道された。きっかけは香取が中居に「二度と口を利くな」と声を荒らしたのが理由だそうだ。解散の危機は23年前にも起こった。香取は末っ子で年齢が4歳年下だった。奴隷のように顎でつかわれた。「おーい、ジュース買って来いとなどでバシリとして使われた。それ以外に口を利くことがなかった。ステージではなかよく音楽に合わせたが、解散しては4人は年越しの紅白歌合戦しかないだろう。ジュリー藤島が日本中の解散をマスコミに真夜中に報道した。オリンビックイベントの最中の報道は火事のように広がった。SMAPはジャパニーズという芸能プロダクションの犠牲者だ。TOKIOも解散の危機にあったと聞く。二人の独裁者が派閥争いに展開するのは困ったものだ。一族を芸能界から追放しない限り第2、第3のSMAPの解散が起こるのだろう。

 今はリオ五輪や高校野球が行われている最中であるが、最近は沖縄問題や原発、領土問題が山積みしている。
 まず、沖縄問題であるがやはり、辺野古基地に関するもので政府側は裁判を起こし。沖縄県側の行政の政令を違憲確定訴訟し、複雑にしている。政府はヘリボート基地建設を強行し、反対住民ともめ事を起こしている。
 原発については高浜、伊方が再稼働を実施している。政府は再生可能エネルギーとして安定電源として稼働させようとしている。反対住民が運転差し止めの訴訟を起こしている。判決受け入れと門前払いと二つの結果がでた。政府側は原発停止が実用化を妨げていると訴えるなぜなら、稼働すれば3.7兆円の支出ができるからだ。老朽化した火力発電の稼働の継続は停電する問題が発生すると主張する。化石燃料の依存を減らしたいというのが政府の考えだ。だが、福島原発の原因が究明されてない。それと原発周辺の住民の避難の安全が確保されない。なぜ、そんなに急ぐのか?ガスタービン発電などで代用はできるのに。
 最後は領土問題である。最近は中国が尖閣諸島で230隻の漁船を航行しているやはり、日本に対する脅威は増発している。自衛隊については自主防衛を認める範囲での出動はある。集団自衛権となると憲法9条とリンクする。安倍の目的はやはり9条の廃棄である。平和と戦争について国民が危機感を持ったのはこれ程ない。
 だが、侵略した場合は相手国と戦わなければならない。安倍は改憲に執念を持っている。よくよく討論しないと日本は危険な道を歩むことになる。終戦の祈念祭で安倍は核兵器なき平和を表明したが、言っている事と心の内は矛盾している。天皇陛下は平和を脅されることに懸念を抱いておられる。

    

 今回はブラジル・リオでオリンピックが開催されている。選手の活躍を見て感動を覚える場面が多数あった。選手は自分が磨き、積んできた成果を発揮してほしい、と願っている。

 だが、喜んでばかりはいられない。オリンピックの後はあるシングルスがある。事故や事件が多く起こっている。
 1980年のロンドンオリンピックの後、1964年に第一次世界大戦。1904年の東京オリンピック開催決定の後、1941年。太平洋戦争。1936年ベルリンオリンピックの後、1940年にドイツのポーランド侵攻、第2次世界大戦。
 1964年の東京オリンピックの後、オイルショック。1988年のソウルオリンピックの後、1995~1997年にソウルのデパート崩壊、地下街のガス爆発。2008年の北京オリンピックの後、天津爆発事故、4年前のロンドンオリンピック後はイギリスのEC離脱や中国の南シナ海の人工島建設強行が起こっている。
 このようにオリンピックの後は何らかのシングルスが起きる可能が高い。
 今年のオリンピック後はブラジル政府のデモによる暴動と政権交代、中国と周辺国との衝突が高い。なぜ、起こるかは理由はわからない。宇宙人の操作とも悪魔の介入とも思われる。
 
 また、大地震が起こる可能が高いとも言われている。紙面を埋めたいが時間が限られているので、この辺にする
起こらないようただ、祈るばかりである。

 21日の都知事選で無所属の小池百合子元防衛相が当選し、自民党、公明党推薦の増田寛也元総務相、野党連合推薦のジャーナリスト鳥越俊太郎らを大差で退け、当選して東京都初の女性都知事が誕生した。
 この選挙は政治資金の私用流用問題の批判を受けて辞職した外添要一前知事に伴う選挙だった。知名度もさることながら、自民、公明党の国会議員や都議のヤジや自民党の所属議員の応援禁止などの弾圧を受けたが、それに屈せず、当選したのは素晴らしい。オリンピックや政治倫理問題など山積みになるが、最大の壁にぶつかるだろう。落選した増田氏の応援をした都議が解散を了承するとは考えにくい。自民党は最大の与党であり、何よりも自民党東京都連の幹事長を務める内田茂の存在だ。安倍チルドレンの勢力のトップで「都議会のドン」と呼ばれる男である。内田夫人の葬式の時、安倍首相が自ら葬儀委員長を務め、交盃の友だといわれている。
 自民党を袖にした小池知事を許さない。私はかっての三木首相の時の三木下ろしの二の舞になりかねないかと懸念している。国会参議院選で見せたように自民党の野党連合批判は凄ざましい。共産党の「自衛隊は人殺しの集団だ」と批判を受けて攻勢を掛けた。その結果、参議院で自民党が単独多数を獲得した。当然、都議会で小池いじめを展開するだろう。だが、小池に対するヤジがあれば、当選させた都民は黙っていられないだろう。
 それに挫けず、任期を全うしてほしい。

 相模原市の知的障害者福祉施設で25日19人が刺殺される戦慄すべき事件が起こった。19人殺害は戦後最大だという。容疑者は大麻を使用した上「障害者は抹殺すべき」と危険思想を持っていた。その容疑者はかって施設を勤務した元職人であった。衆議院議長公邸を訪れて直訴する異常な行動に加え、『犯行予告』を特定施設に挙げるという薄ら笑いを浮かべる異常さは神奈川県津久井警察が「自傷他害の恐れがある」として精神保健福祉法に基づき、入院させたが、13日目で「症状が消えた」として13日目に解除した。その容疑者は4か月後に事件をおこしている。なぜ、その男を退院させたか、疑問が残る。過去に精神医療を巡っては精神科の閉鎖病棟で患者への暴力事件から不祥事が起きたことから精神障害者の人権尊重と社会復帰の促進を打ち出した。
 だが、殺人を起こす人物をなぜ、拘束しなかったのか、警察はもちろん、行政関係者の責任を問われる。
 似たような事件は戦前の昭和13年に起こった津山30人殺しという戦慄する事件が岡山県西加茂村(現津山市)で起こった。都井睦雄は怨恨による動機で同村の住民を29人殺し、自らも自害した。当時は猟銃と日本刀を用いた。かって日本には夜這いという習慣があった。その夜這いの女に対する怨みは凄まじいものだった。都井は結核を患い、兵役を丙種合格(事実上の不合格)から村民にのけ者にされた。5月21日の夜、村を停電させて22戸の家を襲い、29人殺したという。その事件は横構正史の「八つ墓村」のモデルになった。私は津久井を都井と読み、不思議な符合を感じた。当時はヒロポンと呼ばれた覚せい剤があった。今回の事件の容疑者は大麻を使用したということからその符号は偶然とは思えなかった。私が霊視したところ、都井ではなく別の悪霊が背後にあるとみている。だが、障害者を襲うということは背景に障害者に対する差別や冷遇が根強く残っているとみる。日本の宗教にはケガレという思想がある。穢れは別の字で気枯れと書き、障害者を邪魔ものとしてのけ者にする思想が背景にある。今は障害者差別禁止法が国会で近年、認定されたが、人間を認めるのは表面的だけ、心の中では排除すら感じる。だが、現在、IS国による大量殺人が起こっている今、犯罪を模倣することが起こらないとは限らない。起こることがないよう祈らずにはいられない。



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