TATUKIの部屋

初めての人もそうでない人も見てもらえるようにしました。霊に関すること、人生相談を受けます。

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    submalin5@yahoo.co.jp

 私は団体旅行で横須賀に行った。横須賀は三笠公園と国指定史跡の猿島がある。三笠は日露戦争で活躍した軍艦三笠が保存されている。猿島はかっては日蓮上人が建長5年布教のために鎌倉を目指して房総から三浦に渡ろうとしたところ、途中で嵐に遭い、危機的な状況に陥ったところを白猿に助けられてこの島に辿りついたことから「猿島」と名付けられた。その伝説の日蓮洞窟があります。それともう一つ、猿島は旧陸軍、海軍の要塞として利用され、レンガ造りの兵舎や弾薬庫、塁道があり、美しい景観が見られる。太平洋戦争時はB-29爆撃機に対抗するための高角砲跡が残されている。この中にトンネルがあり、私が霊視したところ、夥しい兵士たちの姿が映った。
 猿島を案内したガイドによるとここにおよそ300人くらいの兵が立て篭もって戦闘したという。終戦後、イギリス軍が莱所して3万発の砲丸や砲弾を爆破処理したという歴史的な出来事があった。要塞の弾薬庫では軍の顔ではない霊の姿を視た。入口にでっかい顔が映ってニヤリと笑った。気味が悪かった。
 三笠公園の戦艦三笠にも足を運んだ。三笠は1902年に建造され、全長122m、幅23メートル速力18ノット、乗務員は860名、主砲は30㎝砲4門、副砲14門、補助砲8㎝砲20門、45㎝魚雷発射砲4基あった。東郷平八郎司令官を筆頭にロシアの軍事的憑依に対抗した。日本艦隊主力は2列のバルチック艦隊と日本海で対決し、主力艦隊を全滅させた。1度はロシアに敗れたが2度目に勝利した。実際に砲弾による被弾の跡がある鉄板が展示され、戦闘の生々しさが感じられた。至るところに艦橋や船内に海兵や上官の霊が視えた。苦戦を強いられて戦闘の勝利への流れと軍人の戦いぶりを肌で感じた。
 私としては晴天に恵まれて見学出来て良かったと思った。

 最近、北朝鮮の党大会が開催し、金正恩は「党最高位」の委員長に就任し、その代表に異議を唱えたものは一人もいなかった。軍が依然と利権を握ってミサイル開発の継続を証明した。北朝鮮には階級制度があり、首都のビョンシャンに入れるのは階級ランクが10以上のエリートしか入れない。ランクの低い平民はたまったものではない。貧しい暮らしや飢餓に飢えた住民が多数いる。それでけではない隣国の中国にも言えている。天安門事件以来、民主化運動家は締め出され、裁判なしの処刑や壮絶な拷問はいとまがない。自治国のチベットや香港などは中国軍や警察が介入し、自由と民主化を奪われている。研究家は共産党の支配に疑問を持ち、党への批判をしている。習近平主席による体制のもとで「文革」に対する異論封じが行われている。中国は数年前から南シナ海の埋め立てを行い、最近の米国の中国関係の白書では6倍に膨れ上がったとしている。
  ともに独裁の共産党国家は鎖国体制に近い政治体制を敷いている。国際の非難の的になった2国は周辺国による監視や領海や領空への航行によって独裁国家を猛省を促し、国際連合国の仲介を受け入れるしか救済の方法はない。

 私は用事で名古屋に行った。戻りに新幹線で海が見える方に向いた。ところが、見えたのは防波堤さえ、設置されてない海だ。数年前の東日本大震災で洪水対策の必要なことを痛感した。なのに新幹線からは防波堤さえ見えない。これは地震が起こったら浸水するなと思った。設置しているのは発電所だけ?そんな条例なしで設置なしはふざけるなといいたい。東海地震は間もなくやってくる。そう遠くない時期に関東大地震が起こる可能性がある。県は土木課、建設課は動いてもらいたい、

 霊的な話を一つ。皆さんは地上や建物のみに霊が現れると思ってませんか?霊は場所問わず、現れます。過去の記事から抜粋します。1955年7月28日、三重県津市の女子生徒36人が同市の河原海岸で訓練中に溺死したという事件が起こりました。当時、原因としては「異常流」とか「急激な水位上昇」の諸説が取られました。しかし、「何故、そのような現象が発生したかは、科学的な説明は不可能」と見解が示されました。だがある週刊誌記事をきっかけに事件は次のような「怪談」として語られるようになった。
 
 空襲で亡くなった霊が生徒たちを海底に引き摺りこんだ。

 昭和38年(1963年)の生存者の一人によれば一緒に泳いだ同級生が{「弘子さん、あれ見て…」としがみついたので2,30メートルの沖をみると同級生が次々と波間に姿を消した。彼女は黒いかたまりが、こちらに向かって泳いでくるのを見た。それは何十人の女の霊でぐっしょりと水を吸い込んだ防空頭巾を被り、もんべを履いていた。逃げようとする彼女の足をつかんだ力はものすごく強く、水中に吸い込まれ、意識が薄れていく中で足にまどわついて離れない無表情な白い顔をはっきり見続けた。弘子さんは助けられたが、肺炎を併発して20日間入院した。ベットの中でうわごとのように「亡霊が来る、亡霊が来る」といっていた。

 あとでわかったのは1945年7月24日、28日に津大空襲があり、市民が250人余りが殺された。火葬しきれない死体は事故現場の海岸に埋めたという話があります。しかし、明確な記録がないため数は不明とのことです。

 このように出没しない場所というものはあり得ません。最近の海難事故もそのような目撃談があります。皆さんも海岸に行くとき、情報に注意して下さい。


 江戸東京博物館で「真田丸」に関する展示を見た。この展示は特別展で行われた。真田三代記はもちろん、真田昌幸、信繁、信之像や頭形兜、六連銭文旗指物、軍配団扇や真田昌幸、信繁の書状、幸隆が用いた法螺貝などが展示されている。霊的には用具足や戦に用いた刀や槍には複数の霊が見られた。展示室の通りには至るところに武者の霊の姿も見えた。しかし、歴史上では載らず、展示には見せられない姿もある。乱世に生きるのは大変なことである。強いて言うなら、今のサラリーマンの雇用状況と同じだといえる。解雇された家臣はホームレスとなり野垂れ死に、休日出勤や残業など、労働過多、血縁者しか重役になれない、冷遇された環境。それを生きるには主君の前で道化で笑いをとり、好みの美女を付け届けたり、嫌われないように必死でゴマをすらなければならない。戦争で謀略に乗って豊臣側を裏切った小早川秀秋の方も55万石という恩賞を与えられながら最後には石田三成の亡霊に怯えて精神が崩壊するという。裏切りも精神的な負担が大きい。戦争で落ち武者になったものは家屋の井戸に糞尿や毒を入れたり、主君を殺して馬や武具を身ぐるみ剥がされ、命すら奪われることがある。
 このような受難が類を見ない悲惨な運命が待ち受けていた。江戸時代の俳聖松尾芭蕉は藤原三代が滅びた奥州を訪れた時、こう詠んだ。
 
 「夏草や 兵どもが 夢の跡」

 目を背けたくなる乱世を生きる者は勝者と敗者には雲泥の差があり、悲惨なものだった。

 今、人気の大河ドラマで人気の{真田丸」である。真田信繁(幸村)は昌幸の次男である。大阪の陣で有名になったのだが、実績があったのは兄の信之だった。戦国時代で大切なことは『お家を残す』ことであった。父信繁は上田の合戦で7000人の徳川軍に対し、2000人の軍でおとりの兵を出して徳川軍を誘い込み、身動きが取れなくなったところで鉄砲を浴びせ、少ない犠牲者で勝利を治めた天才軍人であった。徳川が恐れて家臣として招かれた。その昌幸に豊臣側の石田三成から相談を持ち掛けられた。その相談が豊臣に付くようにとのことだった。そこで昌幸は兄の信之を徳川側に、次男の信繁を豊臣側に付かせたといわれてます。それが『犬伏の別れ』といわれる逸話です。徳川との対決で有名にしたのは大阪の陣だった。冬の陣の時、大阪の南東側に「真田丸」という半楕円の砦を築いた。7万という徳川の大軍に対し、4千という少ない兵で鉄砲や武者落としなどの戦術で徳川軍を破り、有名になった。その後大阪城は堀を埋め立てられ、大阪城は丸裸同然であった。大阪夏の陣で豊臣秀頼が家臣を集めて戦い抜くことで勢いを上げたが、徳川は勝利し、幸村のを御首として手柄を上げ、凱旋して駿河に戻ろうとした。だが、幸村の御首は偽物で真田軍は少数の軍で帰国途中の家康を襲った。追い詰められた家康は最後まで迫った幸村によって首を斬られたといわれている。家康身代わりの首地蔵という謎の遺物がある。家康は実は夏の陣で死に後の家康は替え玉だといわれている。東照宮で祀られている家康は双子の替え玉で本当の遺体は静岡のある小さな墓に祀られているといわれている。ちなみに秀頼は大阪城で定殿と一緒に自害したのではなく、真田軍の佐助によって秘密の抜け穴で救い出し、トンネルで堺に逃げ、鹿児島へ逃げたといわれている。密かに伝えられた伝説は島原の乱を起こした天草時貞四郎は秀頼の落とし種といわれている。こうした「幸村伝説」は実は徳川によって処刑されたのではなく、秀頼とも鹿児島へ逃げ延びたともいわれている。歴史ファンの人は一つ探ってみませんか?

 4月15日午後9時26分ごろ、熊本県益城町を中心に地震が起こった。震度7の地震は2011年3月11日の東日本大震災以来で4回目になる。当時の地震は布田川断層地帯、日奈久断層帯の上に起こった。家屋敷は146世帯に被害が及び、25日時点で死者48名、ケガ人1396名避難者6万人の大惨事となった。衝撃なのは国指定文化祭の熊本城と阿蘇山神社の破壊であった。まず修復は半年くらい掛かるだろう。今のところ阿蘇山の火山帯の繋がりは指摘されてない。だが、この地震には疑問がある震源地が浅いという指摘がある。断層の上に白い光が数回発行したとの目的情報がある。その白い光はプラズマだろう。地震は電気的な衝撃で起こると何かで読んだことがある。かってオウム真理教はセルビアの科学者テスラという科学者が理論した人工地震発生装置である仮定の説がある。テスラという科学者はかって発明王エジソンと電気に関する発明を争ったとされている。その一つが交流発電による発電所製造である。電球を発明したのはエジソンだが、発電機を製造したのはテスラである。テスラという名は今でも電気の単位として使われている。その地震装置を作ったはアメリカ軍だといわれている。だが、なぜ、地震を熊本で発生させたのか謎である。ただ、被害がこれ以上広がらないことを祈るしかない。

 今回は用事で田園調布へ行ってみた。武蔵野の台地に多摩川はゆるやかにうねる丘陵になっていて住宅街が多い町だ。用事が終わって帰りに多摩川台公園へ行ってみた。公演は川に沿って伸びる丘陵地に約750mにわたって展開している。自然の林、古墳、展望台、水生植物園、あじさい園、四季の野草園と見所は豊富にある。中でも特記すべきなのは田園調布古墳群である。多摩川下流左岸には50基から成る古墳群がある。この公園には亀甲山古墳と宝莱山古墳、小古墳群が残っている。亀甲山古墳は東京都を代表する古墳で墳丘長107.25m、前方部幅49.5m、後円部径66m、前方部高7.63m、後方部径66m、後円部高11.75mであり、国指定文化財の前方後円墳である。発掘調査は行われてないが、4世紀後半に作られたと考えられる。この墓は首長墓といわれる。宝莱山古墳は都指定の古墳で墳丘長97.5m、前方部幅37m、前方部高8m、後円部径52m、後円部高11mで多摩川地域の最古の前方後円墳でこの地域の最初の首長と考えられる。この円墳は発掘され、中から被葬者を納めた木棺があり、中に四獣鏡、鉄剣、勾玉、藍色の石製品、直刀が見つかった。この古墳の記録は残念ながら全く記録されてなく、誰であったかは謎である。二つの古墳の間に7基の円墳がある。この古墳は小さく、高いところでもおよそ3mしかない。直径は14m~20mくらい。この横穴式石室から直刀、鉄製の武器類、耳飾り、装身具、馬具の鐙、須恵器、埴輪等が発見されている。この公園には「古墳展示室」があり、出土品をみることができる。首長の棺のレプリカがあり、古代の姿を見ることができる。当時、人々は顔に入れ墨をつけ、魔よけのまじないに使われたといわれている。公演の通り道に緩やかな坂道がある。そこで葬儀の時に棺を運ぶ列を霊視した。前の人は刀剣を両手で捧げる感じでもち、後ろは棺を担ぐ人の前後に兵士が護衛として歩き、その後ろに親族と思われる人の姿が見えた。古墳の上ったとき、監視する指導者が土を運ぶ列の後ろに立ち、工事をする人は白装衣をつけ、土を被せたり、土を固めたりする様子が感じ取れた。だがパワースポットとしては田園調布駅の多摩川に近い場所にある浅間神社の方が神気が高い。私の見解は水源豊かな多摩川を一望できる景勝の地を領地にした大和政権の首長の一族であろうとみている。私にとっては優意気な旅であった。

 私たちが住んでる地球はおよそ1億5千年前くらいで宇宙上で誕生した。かっては太陽を中心に渦を巻いていた。そこはガス雲状態で星さえ存在しなかった。だが、突然、星の原型ができ、1つ1つの星が固まった。12惑星の誕生である。宇宙物理学でいうビックバン現象となる。地球もでき初めは海も陸もない星だった。やがては火山ができ、大気が作られた。雲ができ、長い年月をかけて、海と陸ができた。生命の誕生は雲から発生した雷により海の中に生命がつくられた。最初の生物はバクテリアのような小さな生物だった。後に魚や海草に進化し、魚は陸に上がるほど進化した。地上にも生命が誕生し、植物が作られた。数千年後には人類が誕生した。当時は大気は済んだ状態でオゾン層も存在した。人間は誕生以降およそ3千年くらいほどで機械を発明し、産業を発展させた。そこで問題が発生した。煤煙による大地汚染、廃水による水質汚染、人類が出すゴミ問題が発生した。そこで科学者や工業関係者、政府が知恵を絞り、公害を出さないようにした。だが、中には山焼きの作業などで一酸化炭素を発生するのもある。2000年以降宇宙から撮った写真でオーゾン層に穴が開いているのが判った。それに対して1997年に京都市で開かれた第三回気候変動粋組み条約国会議で気候温暖防止のため先進国は温室効果ガスを90年比52%削減することを京都議定書として採択しただが、アメリカ、中国などは決議を認めず汚染は大地に広がっている。紫外線は皮膚細胞を通して浸透し、人体の生体組織を破壊する。皮膚だけではない。眼などの感覚器も破壊する。転移したがん細胞はあらゆる臓器にも及ぶ。そうならないように衣類、化粧品、飲水などで紫外線をできるだけ防ぐようにしたい。だが、ここ数年は少しずつ地軸が傾いている。最近はイギリスの方に向かって傾いているらしい。巨大化した太陽は地球に向かって大量の太陽光を向けている。そこでどうなるか?電子レンジのような状態で人体が燃える現象が起こるらしい。その時期は今年の夏だという情報がある。フォーンベルト現象と呼ばれる。ある科学者はその状態を防ぐため研究、実用化に向けて宇宙に何かを飛ばすらしい。

 第2次世界大戦後、アメリカは日本を占領し、独立した後、日本を占領している。それについて気付くようになったのは田中角栄元首相の生涯だった。当時、小学生低学年だった私は田中角栄が総理大臣でロッキード事件で賄賂を受け取って有罪を犯した犯罪者としか認識してなかった。後、歴史番組で田中角栄は天才政治家でロッキード事件はアメリカが仕組んだ罠であることを知った。田中角栄は新潟県の貧しい農家生まれで建設会社を務めた。政治家に転じたのは会社の上司の一言だった。「建設屋で終わるのはもったいない。お前の行動力は政治家向きだ。政治家になったらどうだ」といわれた。実際、建設大臣だった当時は東京タワー建設や道路拡大に奔走した。首相になってから「日本列島改造論」に基づき、新幹線路線設置や郵政省時代に100近くある放送局を49局に縮小したりした。今まで多くの政治家や官僚がやり遂げなかったことを彼はやってのけた。アメリカの罠は田中角栄が台湾維持に傾いた議員の反対を振り切って中国に渡り、日中和平条約を結んだあと、アメリカは日本に対して石油輸入を禁止し、中国などの共産主義国と手を斬るよう当時、キャンジャー国務長官に忠告されたが田中角栄はアラブ諸国の石油輸入に切り替えたことがアメリカの怒りを買った。地方検察によってロッキード事件として起請され、有罪判決になったのは歴史通りである。その時、彼は「アメリカにしてやられた」と悔しがった。数年後の2015年、TPPによる締結条約を結んだ。アメリカ政府は関税を撤廃させ、農産物ところが、医療保険まで踏み切るないようだった。最近の国会でTPP法案審議で外務省は黒塗りの回覧書を民進党に提出させて激怒させた。アメリカが仕組んだのは安保条約の基地移設だけではない。貿易においてもアメリカの罠にはまった。戦後に仕組んだ罠は今も継続され、今も独立はアメリカ政府の傘下にある。気づいたら国民が反対しても遅いである。

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