TATUKIの部屋

初めての人もそうでない人も見てもらえるようにしました。霊に関すること、人生相談を受けます。

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 皆さんは引っ越しや旅で生活上で心情的に違和感を持ったことはありませんか?歴史上の災害は見える形とみえない形があります。見える形としては立て札や説明文、石碑などがありますが、見えない場所はそれすらありません。直感が強い人には敏感に感じます。例えば、事故現場。ほとんどは過去に記録として報道や雑誌の記事として形に載りますが時が流れるにつれて忘れられます。そうした場所は乗り物自体である飛行機や列車、道路、建物にはネガティブな因縁が集まってきます。運気の悪い状態が集まります。霊能者は嫌なものを見なければいけない時があります。その現場にいれば引き付けられて情が入って逃げたくなる、泣くときがあります。
 事故現場は気持ちを持って行かれないように遮断して分析者としてコントロールしなければ見られないつらいなものです。なぜ、事故が起こるかというとマイナスとマイナス、ネガとネガが引き合って台風の目にみたいになって事故が起こります。最悪な状況で九死に一生を得る状態で生き残る人はいます。言い換えれば、助かる人は助かる、死なない運を持っています。その時、運気が下がって巻き込まれることが事故です。人間は本来、危機回避能力を持ってます。それを高めておくと無意気的にマイナスの集合を避けるようになります。ストレスを溜めず、常にポジティプに保ち、否定語をできるだけ使わないようにコントロールし、自分に自信を持ってバイオリズムを上げていくことが大切です。そこまで上がっていれば、どんなに最悪な状態に陥てもマイナスは向こうから去っていきます。その状態を作って過ごしてもみて下さい。

 私は白川にあるあるサロンにセッションを予約した。ヒーリングの予約だった。施術は直接手当と整体を組み合わせたものであった。私の場合はオーラのズレと怒りの元になっているチャクラの浄化であった。個人的な話になるが、親からの精神的な圧迫がオーラのズレを生んでいた。そのため、集中が欠いていた。苛立ちと焦りはオーラのズレを生んでいるらしい。時間はおよそ30分くらいで行った。スピリチュアルな視点から感じたのはオーラのズレは元より、チャクラの色の変化、足元に手を置かれたとき、黒いオーラのエネルギーが下へ下へと浮いては流れる気配があった。施術者はI氏としておこう。彼の背後に見えたのは翼を広げた光の天使の存在だった。天使と一体化して施術を行っていた。身体は見る見るうちに温まり。表情がよくなった。その施術は今まで受けた施術の中では霊的に最高のものであった。おかげで心も体も軽くなった。施術者のI先生には感謝したい。

 6月11日から12日に大阪方面に旅行した。真田幸村を巡る旅であった。真田幸村は正しくは信繁であり、父昌幸の次男として永禄10年(1567年)信濃の国で生まれた。天正10年(1582年)に武田氏が滅亡した。生き残りを掛け、北条、徳川、上杉と主君を変えて、動乱の中を駆け巡った。真田父子は上田に籠城して徳川軍を迎え討ち、巧みな戦術で徳川軍を翻弄させた。やがて、豊臣秀吉の臣下に入る。秀吉の死後、慶長10年、関が原が起こると昌幸・幸村父子は石田三成の西軍に徳川側の東軍に加わった長男・信幸(信之)と争うことになる。関が原の戦いで西軍に勝った家康は父子を死罪に考えたが、信之と妻の実父の重臣本多忠勝の助命嘆願を受けて高野山への移住を命じた。その年の冬に九度山へ移った。やがて豊臣側と徳川側の対決である大阪冬の陣で幸村は真田丸を築き、徳川軍を混乱させた。講和で終わった冬の陣で和睦の条件に真田丸の破壊も含まれた。慶長20年(1615年)に家康は大阪城攻略を命じ、「大阪夏の陣」の火ぶたが落とされた。城に堀を埋められ、城を出て戦わざるを得なかった幸村は道明寺の戦いでは劣勢を強いられたが、翌日の天王寺の戦いでは真田隊は一丸となって家康の本陣に攻めた。すさまじい勢いに家康は切腹を覚悟したと伝えられる。最後は安居神社で休息したところを敵軍に討たれ49歳で無念の最期を遂げた。このことから薩摩の島津家久は真田幸村を「日本一の兵」とたたえた。今回は大阪城、三光神社、安居神社、天王寺の真田丸を探った。大阪城は外見は昔のままだが、中身は展示場になっている。昔の面影はなかった。三光神社には真田の抜け穴が残っている。安居神社は真田幸村像と真田松が残っている。大阪城にはもう一つの面がある。第二世界大戦でアメリカ軍の空襲を受け、大阪市周辺は3987人の死者が出て、重軽傷者が8500人、行方不明者が678人の災害が出た。大阪には歴史的な面では戦争に関する根深い闇があったといえる。
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 鑑定を依頼した読者から生年月日を調べたところ、当たっていると後悔した便りをいただいた。そしてこの人と結婚してよかったかなと思うことがあるとの趣旨だった。占いについては名前にしろ、生年月日にしろ、悪い人生の状態が書かれているのは事実です。それをきっかけに神頼みとか霊能者に頼んで変えてもらうのは考えものです。
 土地の状態が悪いとか仕事やプライベートで悪い事が当たったとしても引っ越しや家屋を建てる、仕事の勤め先を変えるというとかは簡単ではないです。金が掛かる、決められた時期の期間を守るなど、変えられないですね。
 そうしてことはストレスで身体のパイプが詰まってませんか?怒りや憎しみ、悲しみ、ねたみなどネガティブな感情はドロドロとしてうまく流れません。衣類が汚れたら、洗濯しますね?水が真っ黒になるなどびっくりしますが、洗った衣装は真っ白になって気持ちがよいものになります。いくつかの方法があります。皆さん、運動はされてますか?テレビ体操は単なる器械運動ではなく、運動自体が厄払いになり、くすぶった気持ちがどこか飛んでいきます。身体をぶらぶら動かすのもネガティプなエネルギーが抜けます。高いところに上る、朝日を浴びる、満月の月を見つめる、植木鉢に花などを育てる土に触れる、食事の時、陶器を使うなどで運が向上し、心がクリアになります。
 運の向上のきっかけは身近にあるものです。皆さん、やってみて下さい。病気など気にしなくなります。

 プロボクシングの元ヘビー級王者のモハマド・アリ氏がなくなった。20世紀を代表するスーパースターが逝った。60年にローマ五輪で金メダルを獲得し、同年にプロ転向。64年にヘビー級世界王座獲得。戦績は61戦56勝(37KO)5敗。華麗なフットワークと鋭いジャプを武器に「蝶のように舞い蜂のように刺す」の言葉を生み出した。
 アリの性格は挑発的で自分を「オレ様」と呼んだ。リストンを破ったとき「俺が世界の王様だ。俺に立ち向かうものはいない。強いのはオレ様だぜ」と発言した。周りからはホラ吹きアリと呼ばれた。記憶に残っているのはアントニオ猪木戦。格闘技世界一戦で猪木の名が上がった一戦だった。試合前は猪木に向かって「べリカンのような顎を砕いてやる」と挑発した。試合は1975年6月26日、日本武道館で行われた。当時の特別ルールはプロレス技は禁じられ、リング上では寝そべった格好で時折、キックでアリの太腿にヒットし、顔にアリのバンチが当たったのは数発だけだった。アリはその後「あんなに怖い試合はなかった」と振り返った。数年後のベトナム戦争の時、兵役を拒否し、チャンピオンの座を奪われた。数年後の70年にはフォアマンと戦い、全盛期を過ぎた不利の状態を8回の逆転KO勝ちを収めた。その試合は開催地の名をとって「キンシャサの奇跡」と呼ばれた。引退後はパーキンソン病の闘病生活を送った。96年のアトランタ五輪の開会式で聖火台に火を灯した姿は感動を呼んだ。アリはもう一つの戦いをした。ローマ五輪以降は黒人差別と闘い、故キング牧師とも黒人差別撤廃運動に参加した。その偉大なスーパースターが天に召された。偉大な魂は娘のレイラ・アリが継続するだろう。

 2020年に予定されている東京オリンピックの開催をめぐり招到委員会側が国際陸上競技連盟(IAAF)のラミン・ディアク前会長の息子が関係する口座に「7桁」の金額を支払ったとされた。きっかけはWADA(反ドービング機関)の独立委が今年1月に提出した腐敗関連報告書だった。ディアク副会長の息子ハリル氏とトルコ・イスタンプール招致委員長の会話内容で、会話記録は日本の招致委が「ダイアモンド・リークかIAAFのいずれかに」、「協賛金400万ドル~500万ドルを支払った」と示唆している。2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の広報担当は、WADA報告書の記述は「我々の理解と異なる」と弁明している。ディアク前会長はフランス当局に捜査され、ロシア陸連によるドーピングを見逃がして賄賂を受け取ったとして汚職と資金洗浄の疑いで逮捕された。父親の息子のパパ・マサタ。ディアク容疑者も捜査線上に上がり、インターボール(国際刑事警察機構)が指名手配した。パパ容疑者はIAAFから永久追放をうけた。別の報道では東京オリンピック招致委から130万ユーロ(1億6100万円)が渡ったとされている。2020年オリンピック開催を巡って東京を選ぶように便宜を図るために送った闇献金である可能が高いとフランス紙は指摘している。そのディアク前会長はなぜか保釈された。電通のスポークスマンは「そのような闇献金は知りません。lan Tan Tong  Hanという人物と契約した事実はありません」とコメントしている。
 菅義偉官房長官は「あくまで東京五輪はグリーンな形で招致しました。フランスから要請があれば対応しますが、特に私たちの方からIOCに対して調査を行う予定はありません」とコメントしている。だが、新国立競技場のいざこざやエンプレムデザインの造作問題に続き、東京オリンピックは開始前からスキャンダルまみれである。
 だが、日本の検察はなぜか動いてない。フランス司法当局は予審判事による捜査が始まった。森会長、竹田オリンピック委員長、外添東京都知事の責任は重い。ややもすると東京五輪は開催を返上し、イギリス五輪委に譲り渡すかもしれない。

 27日夕方。アメリカのオバマ大統領は現職大統領として初めて被爆地広島を訪れた。平和記念資料館を視察し、原爆死没者慰霊碑で献花した。今まで元大統領が広島を訪れたが、現職大統領は71年間訪れたことはなかった。17分の演説で戦争の悲惨さを強調し「恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と『核なき世界」を主導していく決心をした。結びに「広島と長崎は『核戦争の夜明け』ではなく道徳的な目覚めの始まりです」とで締めた。だが、被爆者への謝罪はなかった。プラハでは「核なき世界を目指す」と演説したが、それが空虚に聞こえる。その演説も謝罪を避け、米国の世論に配慮したないようだった。中国に対抗して日米同盟を軍事的に強化する方向を強めている。それでは核廃絶の方向と矛盾してないか?アメリカとロシアなどは核弾頭やその運版手段である原子力潜水艦、戦略爆撃機の「近代化」をすすめており、世界は『核軍拡」に転じかねない。核補強は中国も北朝鮮も戦略抑止の中心に据えている。核兵器の使用は通常戦力を埋め合わせるためのものでしかない。広島の被爆者の声をどう受け止めたか?オバマ大統領自身が答えを出さなければならないだろう。それと米国世論の「原爆投下は戦争を終わらせるためだった」と正当化するようでは戦勝国の論理を脱却できない。驕る心を変えない限り、真の平和は実現しないだろう。

 私は団体旅行で横須賀に行った。横須賀は三笠公園と国指定史跡の猿島がある。三笠は日露戦争で活躍した軍艦三笠が保存されている。猿島はかっては日蓮上人が建長5年布教のために鎌倉を目指して房総から三浦に渡ろうとしたところ、途中で嵐に遭い、危機的な状況に陥ったところを白猿に助けられてこの島に辿りついたことから「猿島」と名付けられた。その伝説の日蓮洞窟があります。それともう一つ、猿島は旧陸軍、海軍の要塞として利用され、レンガ造りの兵舎や弾薬庫、塁道があり、美しい景観が見られる。太平洋戦争時はB-29爆撃機に対抗するための高角砲跡が残されている。この中にトンネルがあり、私が霊視したところ、夥しい兵士たちの姿が映った。
 猿島を案内したガイドによるとここにおよそ300人くらいの兵が立て篭もって戦闘したという。終戦後、イギリス軍が莱所して3万発の砲丸や砲弾を爆破処理したという歴史的な出来事があった。要塞の弾薬庫では軍の顔ではない霊の姿を視た。入口にでっかい顔が映ってニヤリと笑った。気味が悪かった。
 三笠公園の戦艦三笠にも足を運んだ。三笠は1902年に建造され、全長122m、幅23メートル速力18ノット、乗務員は860名、主砲は30㎝砲4門、副砲14門、補助砲8㎝砲20門、45㎝魚雷発射砲4基あった。東郷平八郎司令官を筆頭にロシアの軍事的憑依に対抗した。日本艦隊主力は2列のバルチック艦隊と日本海で対決し、主力艦隊を全滅させた。1度はロシアに敗れたが2度目に勝利した。実際に砲弾による被弾の跡がある鉄板が展示され、戦闘の生々しさが感じられた。至るところに艦橋や船内に海兵や上官の霊が視えた。苦戦を強いられて戦闘の勝利への流れと軍人の戦いぶりを肌で感じた。
 私としては晴天に恵まれて見学出来て良かったと思った。

 最近、北朝鮮の党大会が開催し、金正恩は「党最高位」の委員長に就任し、その代表に異議を唱えたものは一人もいなかった。軍が依然と利権を握ってミサイル開発の継続を証明した。北朝鮮には階級制度があり、首都のビョンシャンに入れるのは階級ランクが10以上のエリートしか入れない。ランクの低い平民はたまったものではない。貧しい暮らしや飢餓に飢えた住民が多数いる。それでけではない隣国の中国にも言えている。天安門事件以来、民主化運動家は締め出され、裁判なしの処刑や壮絶な拷問はいとまがない。自治国のチベットや香港などは中国軍や警察が介入し、自由と民主化を奪われている。研究家は共産党の支配に疑問を持ち、党への批判をしている。習近平主席による体制のもとで「文革」に対する異論封じが行われている。中国は数年前から南シナ海の埋め立てを行い、最近の米国の中国関係の白書では6倍に膨れ上がったとしている。
  ともに独裁の共産党国家は鎖国体制に近い政治体制を敷いている。国際の非難の的になった2国は周辺国による監視や領海や領空への航行によって独裁国家を猛省を促し、国際連合国の仲介を受け入れるしか救済の方法はない。

 私は用事で名古屋に行った。戻りに新幹線で海が見える方に向いた。ところが、見えたのは防波堤さえ、設置されてない海だ。数年前の東日本大震災で洪水対策の必要なことを痛感した。なのに新幹線からは防波堤さえ見えない。これは地震が起こったら浸水するなと思った。設置しているのは発電所だけ?そんな条例なしで設置なしはふざけるなといいたい。東海地震は間もなくやってくる。そう遠くない時期に関東大地震が起こる可能性がある。県は土木課、建設課は動いてもらいたい、

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