2009年02月16日

サーセン昨日の続きです

0.何かを為していく時に
 文化系トークラジオ・Life 1/17放送『2008年のチェ・ゲバラ』より,スティーブン・ソダーバーグ監督のインタビューを抜粋してみました(ラジオ中では日本語で放送が流れていたけれど,これは英語で聞いてみたい!).

1.以下が抜粋
重要なのは,
何かに反対するだけでは足りない,
ということです.
その代わりに
「こうしたい」
という代替案が必要だと思います.

そしてその代替案は,
思いつきなどではなく,
じっくり考え抜いたもの,
これならなんとか機能するだろうという,
現実的なものでなくてはなりません.
反対のための反対では,何かを成し遂げることはないのです.

今の世の中には,
何かに対して声を上げ,
そして
その声を他人に簡単に聞かせることができる手段があります.
しかしその言い分が,
まともに取り上げられるだけの価値があるものなのかどうか,
そこを意識する必要があります.

若い人達は,何かに対して"no"という衝動が強い一方,
"yes"という気持ちは,あまりありません.
若い人達のエネルギーが
無駄に終わらず,生産的になるよう,
よく考えてほしいと思います

(巷のブログよろしく,やたら改行を繰り返してみました)

2.今日も語らせてください。
 理念や言葉は行動の原動力であって,それそのものを弄するためのものではないと思います.
 同様に,行動は理念や言葉で規定されているべきであって,成果に直結しているからと,行動が理念に対し優越すると考えるのは,あまり良い結果を生み出さないような気がします.
 今は,理念を担う人間と実際の行動を担う人間を分けていられる時代ではないと感じています.
 理念や言葉の世界と行動の世界をつなぐ人間が求められる時代,或いは理念を描ききることのできる人間が行動も起こす時代なのではないでしょうか.
 理念だけで閉じこもる存在は,昔から「象牙の塔」と揶揄され,批判されてきました.
 同様に,知を否定し,行動に重きを置きすぎた結果,原始共産主義による悲劇が起こったりもしました.
 どちらかに過度に振れることなく,うまくバランスを取ることができる.そういう人材が必要とされているのだと思うし,私はそれを志向するし,またそれは世間から高等教育への要請でもあるはずです.
 ついでに昨日の言葉に関連させてしまうならば,これは,気付いてしまった人が,しなければならないのだと思います.
「僕がすることになるんだろうな,気付いちゃった以上」という諦念と.
「気付いた人間が社会を担っていくんだ」という自覚と.
 存在意義は,所与されるものではなく,自分で気付くものなのでしょう.「気付いちゃった人達」に世界が支えられている以上,その自覚を決して傲慢とは呼ばせない.

∞.あとがき
 「お前のブログの書き方,いやらしい」と成人式の場で友人に言われたことを思い出しました.

roget at 06:10│Comments(0)│TrackBack(0)│ │日々の暮らし 

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身辺整理(特に深い意味はなく)に夢中な京大生.
国民年金の督促に怯えるお年頃.ああ,金玉はついてます.
最近は住環境と体内環境の正常化に乗り出す.要はまともな暮らしをしようとしているわけですよ.
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