恩に恩をきたら堕ちるで (現代用字変換)

    神様は、
人間身上は病む日に病むと思うな。災難ある日に〈災難〉あると思うな。日々月々年々に、知らず知らずに積んだ埃(ほこり)が、天然自然の理に治まって現れ出るのや
と仰る。
息子も娘も一生、息子や娘やない。十五歳からこちらへの心は誰が遣うたか、他人が遣うたのやあるまい。みな自分が遣うたのやろう。その心が現れ出るのや
と仰る。
今日、米蒔いても今穫れぬ。後で穫れるのや。倒れてから突っ張りは要らぬ。それは悪うなったら信仰する、かなわん時の神頼みやなどと言うが、倒れてから突っ張りは要らぬ。日頃、誠を尽すから大難は小難、小難ならば無難で通らせて頂けるのや。神様は、
日頃の誠を受け取り、さあ、という時に踏ん張ると仰る
如何(いか)な危ないところでも救けてもらえる〈の〉ですね。

    借物(かりもの/身体)返す時には、息の根を切って(ひきとって)下さる。
家ならば、古くなったら再式(改装)。再式するより古くなる方が早いとなれば出直し(新築)さす。決して死なんで、出直しをさす
と仰る。
人は外出(そとで)へ行く時に、古い着物を脱いで、新しい着物と着替えて行くように、それと同じ事やで。年取った古い着物を返して、今度は生まれ子となって、新しい借物を借りて、またこの世へ出てくるのやで。なれど、恩に恩を着たら、堕ちるで
と仰る。
堕ちたら、容易に人間界へ出られん(戻れん)。これを死んだと言うのや。恩に恩をきて、人間の道を切るから、道が切れて死ぬのや、堕ちるのや。神様は、 それがいぢらしいから理を聞き分けて、堕ちぬようにせよと仰る
    してみれば人間、生きている間だけが神の守護やない。死んでも生きても、神の守護に与(あずか)っているのや。
〈みちのとも大正7年4月号「高井先生お話の一節」高井猶吉〉

    人間以外に堕ち生まれるのを「死んだ」と仰います。
    また一度、人間以外に堕ちて、その後に再び人間に生まれ出ても(戻れても)、すべて「一(いち)から」やり直しで、難儀苦労余儀なき人生を「地獄」と仰います。(いんねん/生まれ変わり⑤参照)

    神様が仰る以上、この道の教えにも、実は「」も「地獄」もあるのです。


    (イタチ)などに生まれ変わるで
    教祖はある日、参拝された方に、
『「思うようにいかん、ならんと言うて、それより死んだ方がましやと言うて水に入り、井戸へ入り、川へ入って死ぬというのは、天に捨言葉(すてことば)になる理に当たる。これを(かたき)の因縁と言うて、人間に生まれ変わり出来ずして、鼬(イタチ)などに生まれ変わるで
とお聞かせ下されている。
   このお言葉から類推(るいすい)し、自ら生命を絶つことは神様への捨言葉となり、来生は不幸な通り方をせねばならん事になると戒められている。
 
〈堀越義男「幸せを求めて」78頁「捨て言葉に就て」〉より
    
『捨言葉(すてことば)とは
これから先という、もうどうしょう、こうしょうと言うは、これは捨言葉と言う。‥めんめん(銘々)は、どうなっても、こうなってもと言うは、捨言葉と言う。‥何しても、何しても構わんと言うは、捨言葉という。
おさしづ 明治34.6.25
ご神言のように
『夢や希望を失ったり、先を悲嘆、悲観したりして「この先どうしよう…」「もうどうなってもいいわ」「先は無いし、何してもいいわ」などと、やけくそ、自暴自棄となった心理から発する、なげやりな言葉』
ことです。


   信ずべからざること
   大正時代に天理教本部の修養科に学んだ人々には、
まつえが来生(らいせい)牛馬に生まれ変わる」
と修養科で聞かされた者がかなりあるようだ。
   作者(芹沢光治良)が、この作品を発表するようになってから東京都内の見知らない信者が数人、わざわざ訪ねて来てどの人も、
『「まつえが来生、牛馬に生まれ変わる」と、本当に教祖みきが言ったかどうか聞かせて欲しい』
と、真剣に作者に尋ねた。そのある人は、
まつえこそ、信仰について女性らしい疑惑や苦悩を持った、人間らしい気の毒な夫人であった」
ことを熱心に語って、
「本当のまつえを描いてくれ」
と作者に頼んだ。
   これらの老いた信者たちの話から、まつえの死が、いかに側近者の心をも動揺させたか察することが出来たが、また天理教の初期には、信ずべからざることが、みきの言葉として側近者の間に渦巻いていたのではなかったか。
   それ故に、みきがおふでさきを書き残した意味も大きい。

〔芹沢光治良「教祖様」365頁  第八章「うちからの掃除」〕より


    屋敷の中に置く 
    松枝さんが亡くなってから一年も経たないうちに、教祖がお湯を使って(入浴して)おいでになり、姉(飯降/永尾芳枝)が教祖の背中を流しておりますと、葛屋葺(くずやぶ)きの屋根の廂(ひさし)の上に、鼬(イタチ)がいた。教祖はそれを見て
ああ、松枝が帰っているぜ
と言われた、という事を聞いております。
彼女は再び人間界に出さんが、ここよりどこへもやらん。屋敷の中に置く
と仰せられたということですが、なるほど、屋敷の中におります。

    私ら子供の時は、松枝さんを「姉さん、姉さん」と言っていましたが、その鼬(イタチ)に遭うと
「ああ、姉さん、姉さん。姉さんいるで」
と言うと、今の夫人(たまへ)様、その頃は「嬢、嬢(いと/お嬢ちゃんの意)」と言っていましたが
「甚さん、またあんなことを言って私をいじめる」
と言って、泣かれたことを覚えております。

〔新宗教 大正5年1月号「おばさん」飯降政甚〕より


   鼬というものは
   また、鼬云々(いたちうんぬん)の事も、これは私の姉(飯降/永尾芳枝)が目撃して知っている事で、決して事実無根ではない。無根でないという証拠には、私の姉が風呂場で教祖の肩を流していると、教祖は廂(ひさし)を見て、
おう、松枝もう帰っているで
と言われた。見上げると「廂の所に小さな鼬が日向ぼこり(日向ぼっこ?)をしていた」ということである。
   松枝という人は、何か神様に〈お供えが〉上がると、教祖に隠してドンドン平等寺村の実家に運んで、教祖に対しては随分辛く当たった人であるが、それに対して教祖の仰せられるには、
鼬というものは、よく物を運ぶものである。それであるから犬や猫には何かやるけれども、鼬には何もやる者がない。松枝は大食天命(たいしよく天のみこと)で、世界では無くてはならぬ道具の一つであるけれども、生前の行(おこな)いが善くなかったから再び人間界には出さぬ。生涯、鼬として屋敷の内に置く
と言われたそうであるが、これは私の姉が何よりの証人であります。

〔新宗教 大正5年3月号「新宗教一月号の余の談話に就いて」飯降政甚〕より


    神様直々のお言葉ではありませんが、増野道興(雅号鼓雪)先生は

   人間は、いっぺんに牛馬に堕ちるのではなく、恩を重ねると次は精神薄弱児のように、生まれつき人間としての正常な営みのできない身体を借りて生まれてくる。それでも心が入れ替わらず、救からなければ、次は白犬となる。白犬は家族に近いものとして座敷においてもらえるが、次は家の外におらねばならなくなる。これが牛馬である。最後はイタチになる。「イタチの道切り」と言って、こうなると、二度と人間に生まれ替わることは出来なくなる。

と仰いますが、「いっきにイタチなどに堕ちると、人間に出変われなくなる」または「人間に出変われなくなると、いっきにイタチなどに堕ちる」は一致していますが、教祖が仰るもの(いんねん/生まれ変わり⑤参照) とは少し構図が違います。教祖はこのような過程も仰せになったのでしょうか。

また

親となり子となるは、いんねん事情から成りたもの。親を孝行せず、親という理忘れ、親に不幸すれば、今度の世は、何になるとも分かり難(がた)ない/\。この話理(はなし/り)伝えておこう。
おさしづ 明治40.4.9
と、
『親不孝をはたらくと、来世来生は、何に生まれ変わるか分からないぞ』
と仰り

めんめん(銘々)の親の心に背けば、幽冥(ゆうめい)の神を背き背きて、まる背きとなってあるのやで。
おさしづ 明治21.9.18
【註】教祖に至近であった人へのおさしづのため「幽冥の神(お隠れになった教祖)」と、引き合いに出されたのであろう。

『それぞれの親へ不幸をはたらくという事は、人間の「をや(親)」である神様に対しても「まるまる親不孝」しているという事やで』
と仰るのです。

    以上「牛馬論考」という事ですすめてまいりましたが、如何でしたでしょうか。ここでまとめたいところですが、あとは皆様の悟り におまかせする事としたいと思います。

最終見直し 2015.11.30  21:45