おはるさんやったのですか (現代用字変換)

    明治二十一年、山澤爲造先生の長女おさよさんが、生後まだ六十日くらいの時に、泣き出してから幾日も幾日も泣き止まれない。夜昼泣き続けで、どうにもしようがないので「神様にお伺いしてみよう」ということになって、本席様の元へ行っておさしづをお願いされた事がある。

    山澤サヨの願い
    サヨ生まれてより六十日経ちて、身上障りに付願
さあさあ小人(しょうにん)々々連れて戻りた。‥今までのところ早く呼び出せ/\。一つのところ早く名を呼び出せ。待ちかねて連れて戻りた。親が子となり、子が親となり、名を呼び出せ。一時、名を呼び出さねば分かろうまい。さあさあ生まれ変わりたで、名ははる。名は付けたる印の名でよい。
おさしづ 明治21.4.16

    これはその時のおさしづのお言葉である。すなわち、おさよさんの前生は、教祖の三女で、檪本の梶本家へお嫁入りせられた「おはるさん」であった。神は待ちかねて、その魂を今、生まれ変わらせて連れて戻ったのや。また今生の印として付けた「おさよ」という名を、「おはる」と改め変えなくてもいい、というお諭しなのである。

    そこで後で本席様に、このお言葉の次第をお伝えせられたところ
ああ、そうやったのか
と仰って、泣きじゃくっている赤ちゃんに
そうか、あんたは〝おはるさん〟やったのですか、ごきげんさん。よう早う帰って来とくなされて良かったですなあ
と言われると、おさよさんはピタリと泣き止んで、ニコニコと笑われたというお話を聞いたことがある。

    その後このおさよさんは、ご承知の如く梶本宗太郎先生の奥様になられて、前生同様、梶本家の人となって帰っていかれることになったのである。ここに私たちは魂の理の一端を伺うことができるように思う。

今村英太郎
おぢば今昔ばなし
魂の理、生まれ替わりのこと
例話の一 


    与えたる小児は、親々の親 (現代用字変換)

    高弟の梅谷四郎兵衛先生と喜多治郎吉先生とはウマの合う、いたって親しい間柄であられたが、喜多先生は実子が無いのをいつも苦にしておられたため、あるとき梅谷先生は「自分の次男を養嗣(ようし)にあげよう」と、冗談半分に口約束をしておかれた。

    明治二十二年の初夏の頃に、喜多先生がご身上になられて、どうしても高熱が下がらない。そこで本席様にお願いして、おさしづを仰がれると 

    喜多治郎吉、身上に付願
身の障り、さあさあ、ちょっと身の障り、‥何か障る身のところ、小児一ついんねんのところ、ようよう小児一人与えたるところ、身のところ、一つ一つ二つ三つ、さあさあ妊娠、さあ出産、さあさあ三才で、もの分かりかけ、よう聞き分け。 さあこれもあたゑ(与え)一つの理という。また、いんねん一つの理、この理をよう聞き分けば、身は速やかという。さあさあ小児いんねん/\あたゑという。
    只今の小児いんねんあたゑと仰せ下さるは、いかなる理でござりますか、押して願
さあさあ与えたる小児は、親々の親という。親々の親を与えたるという。
おさしづ 明治22.6.16

    以上のようにおさしづでお諭し下された。
「養嗣にやる」と約束された梅谷先生の次男は、喜多先生からいうならば「親々の親」、すなわち、お祖父(おじい)さんに当たる方の魂であるとの仰せであったのである。そこで
「それじゃあ一刻も早く、うちへ引き取って育てさせてもらわにゃならん」
と、早速お手元でお育てになることに決心せられると、不思議に連日の執拗な熱は、いつしか消えてなくなったというお話である。この方が後の本部員、喜多秀太郎先生である。

今村英太郎
おぢば今昔ばなし
魂の理、生まれ替わりのこと
例話の二

    おさしづを調べていたら、見つけました。 

    梅谷秀太郎、白土村 喜多治郎吉方へ養子にやる願
さあさあ運べ運べ、十分運べ。
    押して願
一寸(ちょと)話、縁談々々、互い理を聞け。理という、小人たるところ、長らくの道、十五才長らくのところ、親々たるところ、ぼつぼつ運び掛けたるところ、互い互い一つ道、心一つ、あちらこちらのところ、ゆくえ楽しみ分からなんだな。重々あちらこちら一つ理。早く運び、一つ一つ理が治まる。ゆくえ長くの理という。
おさしづ 明治21年2月

    今村先生が仰るように「冗談半分の口約束だけ」ではなく、一年四ヶ月も前に神様にお伺いして
『運べ運べ、十分運べ(そのようにしっかり事を運べ)
と、許しを頂いていた上に
『早く運び、一つ一つ理が治まる。ゆくえ長くの理という(一刻も早く運べば、ゆく末永く理が治まる)
と「すぐにでも養子縁組するように」と仰せ頂いていたのです。

    ここからは管理人の考察ですが
一度約束して、神様からもお許しを頂いたものの、何かしらの人間思案の縺(もつ)れや、擦(す)れ合い、擦れ違いから、この縁談が延ばし延ばしになっていたので
『擦れ合えば、熱くなるという理、聞き分け』
と仰るように、 神様が喜多先生の身上に高熱の障りを付けて
『一刻も早く養子縁組を運ぶよう』
急き込まれたものと推察します。


    前生にて、お前の妻であったのや (現代用字変換)

    泉州堺(現大阪府堺市)に、昆布を担(にな)い売りする某なる者あり。十年前に妻と死別し、三才になる少女ありければ、後妻をすすめる人もありしが、少女を愛しく思うより、ついに独身にて暮らすことに決し、職人なれども職を捨てて昆布売りとなり、幸い近所に住居する姉ありければ、昼のうちには姉に小児を託し置き、昆布を担いて一里(3.92727273㎞)内外の所を売り歩き、わずかの銭に満足し、かなり早く帰り来たりて小児を愛して育てける。

    かくして二年経ち、三年経ち、小児も十才を超えければ、二里、三里と遠く出売りして、時には一夜くらい帰らざる事もあり。かかる時には、食べ物も小遣い銭も小児に与えておきて不自由はさせざりけり。

    しかるにこの子、五、六才の頃より、人の物に手をかける(盗む)癖あり。ときどき近隣より、あれこれの苦情を聞きければ、太く憂い居た(非常に悩み心配していた)りしが、成長するほど甚(はなは)だしくなりて、止む気色(止む様子)もなく、他人の家に遊べば、必ず何なり持ち帰りて、これを食べ物に換(か)えて食う。

    父なる人は、厳しき意見を加うる(厳しく注意する)事もたびたび重なり。
「今は可愛の子なれども、我が手に掛ける他なし。汝(なんじ)を殺して、我もまた自害せん(自殺する)」
と、二階の柱に括(くく)りあげ、泣きつ、恨みつ、脅しけるに、少女も太く感じける(事の重大さに気づいた)ようにて、涙とともに言いけるは
「私とて、敢(あ)えて人の物を盗み取らん(盗み取ろうという)心はなく、意見せられる(注意される)その度には〝決して人の物に手を掛けじ〟と決心すれども、どういうわけか人の物を見れば、たちまちその心わきて、思わずも持ち帰るなり。今日よりは充分注意すべければ許してよ」
とて泣けるにぞ、手を下す(殺す)ことも、えとげで止みたりける(踏み止まり未遂で済んだ)。

    しかるに、なおも変わる事なく、おりおり不行跡(ふぎょうせき/不良な素行)あるものから、如何(いか)ともする道なく、嘆き憂いて暮らす中、この道の〝おたすけ〟あるを聞き出したれば、ある日、例の荷(昆布)を担うて、おぢばに来たり
「神様の〝おたすけ〟何にも叶わんことなし、と聞きければ来たりたり。この少女の身持ちを、救けさせ給うことは叶うまじきか」
と、事細かに物語りて願いければ、仲田佐右衛門様 取り次ぎて、この由、教祖に申し上げぬ(申し上げた)。
    教祖、仰せられるには
『どういう事も叶えてやろうが、神の言う事を守るか、守れんか聞いてみよ』
とありければ、その由、昆布売りに申し伝えけるに
「もうもう、いかなる事も守ります。三才の時より、ここに十年あまり、男の手で育て上げるは並みや、おろかじゃございません。それが人並みの者にならず、親に難儀をかけるかと思えば、どのような事も守りますほどに、どうぞお救け下され」
と、涙を垂れて(流して)答えける。
    仲田様、その由、また教祖に申し上げれば、お話下さるには
『これ(娘)は前生にて、お前の妻であったのや。相当な暮らしをして何不足ないのに、お前が旦那(だんな)の身でありながら、今の子供の通りの事をしていたのや。そこでその妻は、何べん泣いて諌(いさ)めたか分からん。それに「ちょっとも聞かぬゆえ、世間を恥じて(はずかしめて)情けない人や。こんな事してくれねば立派に通れるのに、惨(むご)い事をしてくれる」と、嘆いたり、恨んだりして、それが積もり積もりて死んでしもうた。そこで、この世は親子となって、その理があらわれてきたのやで』
と仰せられしかば、仲田様も恐れ入りて、この由、ご教話とともに申し伝えけるに、いとど(いっそう)感じたるようにて、涙を流して詫び入り、喜びて去りたりしに。

    その後、ひと月ばかり経て再び来たり、申しけるには
「その後すっきり止まりて、今は安心になりました」
と深くお礼述べたりしと。実に不思議の事にぞありける。

諸井政一集 前篇
道すがら 外篇 二
子供の盗癖おさとし

最終見直し 2015.12.1  22:05