おさしづにみる正月廿六日

明治20年1月4日
(陰暦12月11日)
教祖お急き込みにて御身の内ご様子あらたまり、お障りにつき、飯降伊蔵へお伺いを願うと、厳しくおさしづありたり。(教祖お居間の次の間にて)

さあさあ、もう十分積み切った。これまで何よの事も聞かせ置いたが、すっきり分からん。何ほど言うても分かる者は無い。これが残念。疑うて暮らしているがよく思案せよ。さあ神が言うこと嘘なら、四十九年前より今まで、この道続きはせまい。今までに言うたこと見えてある。これで思案せよ。さあ、もうこのまま退いてしまうか、納まってしまうか。

この時、教祖のご身上は冷たくなる。それに驚き、1月5日(陰暦12月12日)より、鳴物不揃いにて御託(ごたく)のおつとめなしたれども、おつとめ内々ゆえ、門を閉めて夜分秘かにする為にや、教祖は何も召し上がらず、8日(陰暦12月15日)の夜の相談には(当時居合わせし者は、昨年教会の話し合いの人なり)、
「世界並みのこと二分、神様のこと八分。心を入れつとめをなす事。こふき通りに十分致す事」
に決まり、明け方5時に終わる。
9日(陰暦12月16日)の朝より教祖ご気分宜しく、ご飯も少々ずつ召し上がりたり。それゆえ皆々大いに喜びいると、またまた教祖より御話あり。
【註】御託   御託宣(ごたくせん)の略。「御託のおつとめ」とは、神意や神言によって勤める「おつとめ」の事。 

明治20年1月9日(陰暦12月16日)
教祖御話

さあさあ年取って弱ったか、病で難しいと思うか。病でもない、弱ったでもないで。だんだん説き尽してあるで。よう思案せよ。

右(上)のごとく仰せあり。しかるに1月10日(陰暦12月17日)には教祖ご気分宜しからず、午後3時頃、皆々驚き、また相談の上、御次の間で飯降伊蔵に伺う。
「教祖のご身上、いかが致して宜しくございましょうか。おつとめも毎夜致さして頂きますが、夜ばかりでなく昼も、つとめを致さしてもらいましょうか。すっきりなるようにお受け取り下されましょうか」
と伺う。

明治20年1月10日(陰暦12月17日)
飯降伊蔵を通しておさしづ

さあさあ、これまで何よの事も皆説いてあるで。もう、どうこうせいとは言わんで。四十九年前よりの道の事、いかなる道も通りたであろう。分かりたるであろう。救かりたるもあろう。一時思案/\する者ない。 遠い近いも皆引き寄せてある。事情も分からん。もう、どうせいこうせいのさしづはしない。銘々心次第。もう何もさしづはしないで。

右(上)によりて一同うち驚き、談合の上、眞之亮へ申し上げて、銘々も心定めをなす(した)。その日の人は前川菊太郎、梶本松次郎、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、高井猶吉、辻忠作、梅谷四郎兵衛、増野正兵衛、清水與之助、諸井國三郎なり。右(上)の者、眞之亮へ神の道のお話の事を迫りしところ「いづれ考の上」と仰せあり。夜9時過ぎ、またまた相談の上、鴻田忠三郎、桝井伊三郎、梅谷四郎兵衛、増野正兵衛、清水與之助、諸井國三郎、仲野秀信、眞之亮のお返事なきゆえ、前川、梶本の意見を問う。両人より眞之亮のお返事を聞く事となりぬ(なった)。しかして今夜は神様の仰せ通り徹宵(てっしょう/徹夜)つとめするには、上のところ、いかなるやと心配にて決定せず。これも眞之亮より神様へ伺う事となり、夜明けて皆々休息す。
1月11日(陰暦12月18日)朝、教祖のご気分宜しく、御床の上にてお髪を櫛(くし)けずらせ給う。12日(陰暦12月19日)夜もまた、お伺いの事につき、眞之亮のお返事を待ちたりしに、明け方3時頃その返事あり。よりて眞之亮に前川、梶本両人差し添い(付き添い)の上、教祖に伺う。

明治20年1月13日(陰暦12月20日) 
教祖御話

さあさあ、いかなるところ、尋ねるところ、分かりなくば知らそう。しっかりしっかり聞き分け。これこれよう聞き分け。もうならん/\。前もって伝えてある。難しい事を言いかける。一つの事に取って思案せよ。一時のところ、どういう事情も聞き分け。

押して眞之亮より
「『前もって伝えてある』と仰せあるは、つとめの事でござりますか。つとめ致すには難しい事情もござります」
と申し上げられると、

さあさあ今一時に運んで難しいであろう。難しいというは真に治まる。長う長う長う四十九年以前から何も分からん。難しい事があるものか。

眞之亮より答
「法律があるゆえ、つとめ致すにも難しゅうございます」
と。

さあさあ答うるところ、それ答うるところの事情、四十九年以前より誠という思案があろう、実というところがあろう。事情分かりが有るのか無いのか。

眞之亮より
「神様の仰せと、国の掟と、両方の道の立つように、おさしづを願います」

分からんであるまい。元々よりだんだんの道すがら。さあさあ今一時に通るところ、どうでもこうでも仕切る事情いかん。ただ一時ならんならん。さあ今という/\前の道を運ぶと一時々々。

眞之亮
「毎夜おつとめの稽古致しまして、しっかり手の揃うまで、猶予をお願い致します」

さあさあ一度の話を聞いて、きっと定めおかねばならん。またまたの道がある。一つの道も、いかなるところも聞き分けて、ただ止めるはいかん。順序の道/\。

眞之亮
「講習所を建て、一時のところ、つとめのできるようにさしてもらいとうござります」

安心がでけんとならば、まず今のところを談示々々というところ、さあ今という、今というたら今、抜き差しならぬで。承知か。

眞之亮
「つとめ、つとめとお急き込み下されますが、ただ今の教祖のお障りは、人衆定めでござりましょうか。どうでも本づとめ致さねばならんでござりますか」

さあさあ、それぞれのところ、心定めの人衆定め。事情なければ心が定まらん。胸次第、心次第。心の得心できるまでは尋ねるがよい。降りたと言うたら退かんで。

押して願(明け方、教祖ご身上につき願)

さあさあ、いかなる事情、尋ねる事情も分かりなくば知らそ。しっかり聞き分け。これこれよう聞き分け。もうならん/\/\。難しい事を言いかける。一つ心に取って思案せ。一時の事情、どういう事情を聞き分け。長らく四十九年以前、何も分からん中に通り来た。今日の日は、世界々々成るよう。

引き続きて眞之亮より
「教会本部をお許し下された上は、いかようにも神の仰せ通り致します」

さあさあ事情無くして一時定め出来難ない。さあ一時今それぞれ、この三名のところで、きっと定めおかねばならん。何か願うところに任せ置く。必ず忘れぬようにせよ。
(三名とは、眞之亮および前川、梶本両人の事なり)

眞之亮
「ありがとうござります」
と。

さあさあ一時、今から今という心、三名の心しっかりと心合わせて返答せよ。

引き続き眞之亮
「『この屋敷に、道具雛型の魂、生まれてある』との仰せ。この屋敷を指して『この世界はじまりのぢばゆえ天降り、ない人間ない世界拵え下された』との仰せ。『上(かみ)も、我々も、同様の魂』との仰せ。右(上)三カ条のお尋ねあれば、我々、何と答えて宜しゅうござりましょうや。これに差し支えます。人間は法律に逆らう事はかないません」

さあさあ、月日がありて、この世界あり。世界ありて、それぞれあり。それぞれありて、身の内あり。身の内ありて、律あり。律ありても、心定めが第一やで。

続きて眞之亮
「我々の身の内は承知仕(つかまつ)りましたが、教祖の御身の上(おんみのうえ)を心配仕ります。さあ、という時は、いかなるご利益(りやく)も下されましょうか」

さあさあ、実があれば実があるで。実と言えば知ろまい。真実というは火、水、風。

押して願

さあさあ、実を買うのやで。価をもって実を買うのやで。

明治20年1月24日(陰暦正月元旦)
教祖御話 
(教祖、床から起き上がられ、お髪をお上げになって一同に向かい)

さあさあ十分練った/\。この屋敷はじまってから十分練った。十分受け取ってあるで。

明治20年2月17日(陰暦正月25日)
教祖の身上お障りにつき、いかがと飯降伊蔵により願

さあさあ、すっきりろくぢに踏み均(なら)すで。さあさあ扉を開いて/\一れつろくぢ。さあろくぢに踏み出す。 さあさあ扉を開いて地を均そうか、扉を閉まりて地を均そうか/\。 

一同より
「扉を開いて、ろくぢに均し下されたい」
と答う。
(伺いの扇、この時開く)

成る立てやい、どういう立てやい。いずれ/\/\引き寄せ、どういう事も引き寄せ、何でもかでも引き寄せる中、一れつに扉を開く/\/\/\。ころりと変わるで。

また
「世界の事情、運ばしてもらいとうございます」
と、

ならん/\/\。

明治20年2月18日(陰暦正月26日)早朝
26日のおつとめにつきて御願
2月17日(陰暦正月25日)の夜、教祖ご気分宜しく、御床の上にてお髪をお上げあそばさる。

さあさあ、いかなるもよう聞き分けよ/\/\。さあさあ、いかなるもどうも、さあ今一時、前々より毎夜々々々々伝えるところ、今一つのこの事情早うから、今からと言うたなあ。さあ今というところ諭してある。 今から今かかるという事を、前々に諭してあるところ、さあ今の今、早くのところ急ぐ。さあというところ、応分(おうぶん)というところあろう。待つというところあろう。さあさあ一つのところ、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか。この先、どうでもこうでもなる事なら仕方あるまい。前々より知らしてある。今という刻限、今の諭しじゃない。どういうところの道じゃな、尋ねる道じゃない。これ一つで分かろう。
【註】応分   身分や能力にふさわしいこと。お道では「徳分相応(とくぶんそうおう)」などと言う。

この日12時より支度をして、一同、本づとめを終わるとともに、午後2時、教祖のご身上冷たくなり、ついに身をお隠しあそばさる。

明治20年2月18日 午後
明治20年1月9日(陰暦12月16日)より、教祖身上ちょっとお障り付き、おやすみになり、同1月18日(陰暦12月25日)の夜より、おかぐらづとめ並びに十二下り始まり、2月17日(陰暦正月25日)夜まで毎夜おつとめあり、また2月18日(陰暦正月26日)正午12時より、教祖のご身上迫りしにつき、それより甘露台にて、おかぐらづとめ、あとへ十二下りのてをどりあり。そのとき眞之亮より詰め合いの人々へ、だんだんご談示の上
「おつとめの時、もし警察より、いかなる干渉ありても、命捨てても、という心の者のみ、おつとめせよ」
と仰せあり。それより皆々心を十分定め、その用意して、おつとめにかかりたる者、

地方          泉田藤吉   平野楢蔵
神楽          眞之亮   前川菊太郎   飯降政甚   山本利三郎   高井猶吉   桝井伊三郎   
                 辻忠作   鴻田忠三郎   上田いそ   岡田與之助(宮森與三郎)
お手振り   清水與之助   山本利三郎   高井猶吉   桝井伊三郎   辻忠作   岡田與之助
鳴物          中山たまへ(琴)   飯降(永尾)よしゑ(三味線)   橋本清(鼓)

の人々なり。
家事取り締まりの任に当たりたる者、
梅谷四郎兵衛   増野正兵衛   梶本松治郎
にて、以上総人数19人なり。

おつとめは午後1時より始まり、2時に終わる。右(上)おつとめの終わるとともに、教祖、息をあそばされずなる。それより内蔵の二階の中にて、飯降伊蔵によりお伺いあり。

さあさあ、ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱に入れておいたが、神が扉開いて出たから、子供可愛いゆえ、をやの命を、二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見ていよ。今までと、これから先と、しっかり見ていよ。
扉開いて、ろっくの地にしようか、扉閉めて、ろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と言うたやないか。思うようにしてやった。
さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。またまたこれから先、だんだんに理が渡そう。よう聞いておけ。

右(上)のお話あり、これよりご葬祭の拵え(準備)にかかる。

中山眞之亮 初代真柱

その他の関連するおさしづ

さあさあ、分からん/\何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしてもこうしても、すっきり分からん。ゆえに二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて、世界をろくぢに踏み均しに出た。神でのうて(神でなくて)この自由自在(じゅうよじざい)はでけようまい。止めるに止められまい。神はちょっとも違うた事は言わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、みな楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。
おさしづ 明治20.2.24 午後7時

遅れきてあるところどころ、年が明けたら、ろくぢと言うてある。なれども、みな案じてどんならん。扉を開いて、世界をろくぢに踏み均らすと言うてある。扉を開いて、世界をろくぢに踏み均しに廻りている。なれども皆んな、案じてどんならん。筆に記した通り、みな出てくるのやで。遅れてあるのや。みな心定めているなれども、心にちょっとかかれば、案じてどんならん。これ皆んな、よう聞いておけ。扉を開いて、ろくぢに踏み均らす、と言うてした通りに、みな踏み均らす。速やかと踏み均らさにゃならん。
おさしづ 明治21年7月

百十五才と楽しみとしたるところ、縮めたところ、嘘やと言っている。百十五才縮めたるところ、すでに一つの道のため、すでに一つの国のため、たすけ一条のため。日本国中やない、三千世界一つの理、はじめ出したる一つの理。
おさしづ 明治22.1.24 午前9時

さあさあ正月二十六日と筆に付けておいてはじめかけた理を見よ。さあさあ、また正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て、はじめかけた理と、さあさあ取り払うと言われてした理と、二つ合わして理を聞き分けば、さあさあ理は鮮やかと分かるやろ、と。
おさしづ 明治22.3.10

【参考】 十一に九がなくなりてしんわすれ  正月廿六日をまつ   おふでさき 第三号 73首

   上記の下線部は、このおふでさきのおうたを指して仰います。つまり教祖がお隠れになる事は「13年前からの決定事項であった」という事が言えます。


最終見直し 2016.1.12  13:00