御看護   梅谷はるゑ (本部婦人)

   祖母、梅谷たねが、夫(船場大初代梅谷四郎兵衛)とともに信仰させて頂くようになって間のない頃、初めて大阪からおぢばに帰らせて頂いた時の事です。
   当時、赤ん坊であった長女たか(春野たか)を連れてお参りさせて頂きましたので、おやさま(教祖)に親しくお目通りさせて頂きました。その時、赤ん坊の頭にくさ(瘡)がいっぱいに出来ていて、そのくさも膿(うみ)を持ったくさで、祖母も「何とかお救け頂きたいもの」と、心ひそかに念じてお参りさせて頂いたのでした。

   おやさま(教祖)には、このくさだらけの頭をした赤ん坊を早速に、
どれどれ
と仰りながら、ご自分の手にお取り下され、お抱き下さいました。祖母はあまりの勿体なさに言葉も出ぬ有り様でしたが、おやさま(教祖)には、そのくさをご覧下されて、
かわいそうに
と仰せ下されて、ご自身のお座りになっていた座布団の下から反故紙をお出しになり、少しづつ指でちぎっては、舐めて唾を付けて、それを一つ一つ頭にベタベタとお貼り下さいました。そして祖母に、
おたねさん、くさは、むさいものでんなあ
と仰せになりました。このお言葉を聞いて祖母はハッと致しました。
「むさ苦しい心を遣ってはいけない。きれいな心で、人様に喜んでもらわなければならない」
と、深く悟らせて頂くところがございました。

   おやさま(教祖)に厚く御礼を申し上げて大阪に帰りましたところ、二、三日経った日の朝、ふと気が付くと、不思議にも、綿帽子をかぶったような頭に、くさの皮がすっかり浮き上がっているではありませんか。あれほど膿を持ったグジグジしたくさも、今はすでに頭の地肌には薄皮ができていて、おやさま(教祖)に貼って頂いた紙に、すっかりくさの皮が付いて浮き上がり、ちょうど帽子を脱ぐようにして、見事にご守護いただいておりました。 
   この喜びを、祖母は母に、また母は私たち子どもに、よく聞かせてくれました。

   また祖母は、この時のお言葉を生涯の信条として、
「実に心をきれいにして、施し上手で、あの人にも、この人にも満足してもらいたい」
と明け暮れ、それをただ一つの楽しみとした人でありました。

〔みちのだい第33号「教祖特集号」25-26頁〕


【参考】「逸話篇」

   一〇七   クサはむさいもの

   明治十五年、梅谷タネがおぢばへ帰らせて頂いた時のこと。当時、赤ん坊であった長女タカ(註、後の春野タカ)を抱いて、教祖にお目通りさせて頂いた。この赤ん坊の頭には、膿を持ったクサが一面にできていた。
   教祖は早速、
どれ、どれ
と仰せになりながら、その赤ん坊を自らの手にお抱き下され、そのクサをご覧になって、
かわいそうに
と仰せ下され、自分のお座りになっている座布団の下から、皺(しわ)を伸ばすために敷いておられた紙切れを取り出して、少しづつ指でちぎっては唾を付けて、一つ一つベタベタと頭にお貼り下された。そして、
おタネさん、クサは、むさいものやなあ
と仰せられた。タネはハッとして、
「むさ苦しい心を遣ってはいけない。いつも綺麗な心で、人様に喜んで頂くようにさせて頂こう」
と、深く悟るところがあった。
   それで教祖に厚く御礼申し上げて大阪へ戻り、二、三日経った朝のこと。ふと気が付くと、綿帽子をかぶったような頭に、クサがすっきりと浮き上がっている。あれほどジクジクしていたクサも、教祖に貼って頂いた紙に付いて浮き上がり、ちょうど帽子を脱ぐようにして見事にご守護いただき、頭の地肌には、すでに薄皮ができていた。

〔「天理教教祖伝逸話篇」184-186頁〕


「静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」
73頁より謹写

最終見直し 2016.7.31  11:10