力くらべ   植田つる (本部婦人)

   父(上田民蔵/たみぞう)の十八才の時だったと思います。教祖のお齢(よわい)は、聞いたように思いますが、忘れました。     

   父の母(上田いそ)と一緒にお屋敷へ帰らせて頂いた時のこと、教祖が、
民蔵さん、私とおまはんと、どちらが力強いか、力くらべをしよう
と仰って、教祖は、昔のお祀り所の上段の板間の下から、ほんのわずかの高さですが、一、二、三のかけ声で、お手を取って、引っ張り合いをすることになりました。
「わしは一生懸命ひっぱった。男の十八、「やぶ力」というて、思いきり、えらい力を出したのに、教祖がお勝ちになった。ビクともお動きにならへん。教祖、お齢を召しておられるのに、力のお強いこと!わしはもうビックリしてしもた」

   またある日のこと。教祖のお側へ行かせてもらったら、
民蔵さん、あんた、今は大西から帰ってくるが、先になったら、おなかはんも一緒に、お屋敷へ来ることになるのやで
と仰った。
『わしは百姓をしていて、男衆(おとこし)も雇っているし、子供もあることやし、「そんなこと出来そうにない」と思うてたが、教祖のお言葉通り、子供の身上から家族みんな、お屋敷へ寄せて頂き、結構に通らせて頂いているのや』
と申しました。
   
   その話、やはり母と一緒にお屋敷へ帰らせてもらった時、教祖の仰せられたのは、
民蔵はん、お屋敷は先になったらなあ、廊下の下を、人が往き来するようになるのやで
と聞かせて頂いたことがあるが、教祖の仰せ通り、回廊の下をみんな往き来するようになった。それで父は、
「教祖は、ずっと先の見えんことを仰っているが、だんだんと、仰せ通りに成ってくるのが誠に不思議なことや」
と、いつも考え込むように申しておりました。

〔みちのだい第33号「教祖特集号」27-28頁〕


【参考】「逸話篇」

   六一   廊下の下を

   明治十一年、上田民蔵十八才の時、母いそとともに、お屋敷へ帰らせて頂いた時のこと。
   教祖が、
民蔵さん、私とおまはんと、どちらの力強いか、力比べしよう
と仰せになり、教祖は、北の上段にお上りになり、民蔵はその下から、一、二、三のかけ声で、お手を握って、引っ張り合いをした。
   力いっぱい引っ張ったが、教祖はビクともなさらない。民蔵は、そのお力の強いのに、まったく驚嘆した。

   またある時、民蔵がお側へ伺うと、教祖が、
民蔵さん、あんた、今は大西から帰ってくるが、先になったら、おなかはんも一緒に、この屋敷へ来ることになるのやで
とお言葉を下された。
   民蔵は、
「わしは百姓をしているし、子供もあるし、そんなこと出来そうにもない」
と思うたが、その後、子供の身上から、家族そろうてお屋敷へお引き寄せ頂いた。

   またある時、母いそとともにお屋敷へ帰らせて頂いた時、教祖は、
民蔵はん、この屋敷は先になったらなあ、廊下の下を人が往き来するようになるのやで
と仰せられた。
   後年、お言葉が、次々と実現してくるのに、民蔵は、心から感じ入った、という。

〔「天理教教祖伝逸話篇」107-108頁〕


天理教教会本部の西回廊
建物の二階部が周回できる回廊
桜門(ろうもん)開扉時に
回廊の下を往来できる

最終見直し 2016.8.3  13:00