かたいかきもち   辻芳子 (本部婦人)

これを見て思案しなされ。そして、これを食べてみなされ
と仰せられて、教祖は祖父忠作に「お歌(おふでさき三首)」に添えて「かきもち」を下さいました。
   それは明治七年二月二十二日の夜、祖父が歯の痛みに耐えかねて、お願いに上がった時のことでした。

二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす (三 147)
二二の二の五つに話しかけ     よろづいんねん(万因縁)みな説き聞かす 

たかやまのせゝきよきいてしんしつの 神のはなしをきいてしやんせ (三 148)
高山の説教聞いて真実の                          神の話を聞いて思案せ

にち/\に神のはなしをたん/\と きいてたのしめこふきなるぞや (三 149)
日々に神の話を段々と                       聞いて楽しめ「こうき」なるぞや

   この「お歌」と「かきもち」をいただいたものの、祖父にしてみれば、
「歯の痛いところに、かたい「かきもち」を下さるのは、どういうわけであろう。食べられるはずがないのに……」
と一瞬、とまどいました。

   その頃の祖父忠作は、昼は多く「おたすけ」に廻り、または家業の畑仕事に精を出し、夜になるとお屋敷に伺い、教祖から数々のお話を聞かせて頂くのが「ならわし」でありました。
   教えを聞いて十年、その頃の祖父には、やはり様々の世情の話に心とらわれる事もあったのでしょう。心迷うこともあったことでしょう。

たかやまのせゝきよきいてしんじつの 神のはなしをきいてしやんせ
高山の説教きいて真実の                          神の話を聞いて思案せ

にち/\に神のはなしをだん/\と きいてたのしめこふきなるぞや
日々に神の話を段々と                       聞いて楽しめ「こうき」なるぞや

   教祖には、これらのお歌を通して、
神道(しんとう)や仏教の話に耳傾けることなく、親神様の仰せ下さる真実の教えに一条(ひとすじ)に進むように
と、祖父の信仰を促されたのでした。
迷いを取れよ
との思召であったのでした。

「お言葉を静かに味わいつつ、いただいた「かきもち」を口にした時、不思議にも歯の痛みはすっきり去っていた」
と言います。
   祖父は、お歌の理を噛みしめるとともに、「かきもち」のうまさを心から味わったことでした(でしょう)。そこには言い知れぬ、温かい親心がにじみ通っていたことでしょう。喜びにあふれる祖父の姿が眼に見えるようです。

   また祖父忠作は、
「こだわりのない、正直な、さっぱりした気性(きしょう)の人」
でありましたが、反面、
「頑固(がんこ)で、一途(いちず)なところ」
があったようです。
   これは「美点」でもあるし、同時に「欠点」とも言えるでしょう。
お前の心は、このかきもちのようにかたいよ
教祖は、そう仰せられているのではないでしょうか。
頑固さを取り去って、神の言葉を噛みしめて素直に通れよ
と仰せられているのでありましょう。

「一途な気性であったからこそ、あの初期の、苦難の道をも通り切ることができた」
と言えますが、また反面、
「頑固ゆえに、周囲の人々に多くの苦痛を与えていた」 
こともあったかも知れません。

「かきもち」に思いを託して、祖父の気性を戒(いまし)められた、教祖の親心を思うとき、
「謙虚になれ、謙虚になれ」
と、私は自分に言い聞かせます。

〔みちのだい第33号「教祖特集号」28-29頁〕


【参考】「正文遺韻」

   これは、明治七年二月二十二日の夜の五つ時のお筆なり。
   辻先生はいつも、多くは昼は家業をして、夜分に参拝せられることなるが、この夜、お宅にありて歯が痛み耐えられぬにつき、さっそく神様へお参りせんと、痛むを堪(こら)えて歩み来られしに、三島の村地へかかるとパッと痛みが治まりしゆえ、不思議にも、かつ有り難く思い、神様へお参りして、御教祖様(おやさま)にこの事を申し上げたるところ、
今、これを書きました。これを見て思案しなされ。そしてかきもちがあるが、食べてみなされ
と仰って、この「御筆先(おふでさき)」と「かきもち」とを下されしと。実に不思議のことなり。
   辻様は、御筆先をとくと眺めて、やがて「かきもち」も食べ試(こころ)みしに、少しも歯に障ることなく、そのまま歯は痛まざりしという。

   思うに、このお筆をお付けあそばされたるより、辻様にも、身上よりお知らせ下されて、お引き寄せ下されたるなるか。

高山の説教聞いて』云々(うんぬん)というは、ご維新(明治維新)後、大いに神道を知らしむる御上(おかみ)の目的より、教導職という者を命じて、神道の説教や、演説を各所にてやるようになって、この頃が一番盛んの頃でありしゆえ、この事を仰せらるるならん。
   そこで、
神様のお話と、ひき比べて思案して、神様の真実なる話の理を悟って、楽しむよう
との事なりかし。

〔諸井政一「正文遺韻」249頁〕


【参考】「おふでさき註釈」

   一四七、註
   これは明治七年二月二十二日の、夜の五つ刻(午後八時)の「おふでさき」で、当時、辻忠作は、昼間は家業に従事し、夜分、教祖様(おやさま)の元に参って御用を勤めていたが、当日は、歯が痛んで困るから、早くお参りをして救けてもらおうと内(家)を出かけると、忘れたように歯痛が治った。それで彼はありがたく思い、早速お参りして教祖様に(おやさま)にその由を申し上げると、教祖様(おやさま)は辻忠作に、
今これを書きました。よく見なされ
と、このお歌を示して、親神様の話を諄々(じゅんじゅん)とお説き下されたのである。

   一四八
   神職僧侶などの説教を聞き、また、この道の話も聞いて、よく比較して、どれが真実の親神の胸の中(うち)を伝えているか、よく思案するがよい。

   一四九
   日々に、この真実な親神の話を聞いて喜べ。この話こそ、いついつまでも変わることなく、永久(とこしえ)に「世界たすけ」の教えとして伝わるべきものである。

〔教会本部「おふでさき註釈」各所〕


【参考】「おふでさき拝読入門」

  辻忠作が、明治七年二月二十二日の夜の五つ刻(午後八時)に参拝に来たが、それはさらに一層の成人を願う上から、昼間、激しい歯痛に知らせて、親神が手引きしたのである。
   そして教祖より「よろづいんねんの理」、すなわち、人間創造の「元の理」の話から、辻忠作個人の因縁の話まで、すべて説いて聞かせたのである。(一四七)

   この親神の教える「よろづいんねん」の話と、「高山(たかやま)」といわれる、神社・仏閣の、神官・僧侶の説教とを比較した時、どちらが真実であるか、よく思案せよ。
「親神の話が真実である」と納得できるだろう。(一四八)

   信心というものは、日々に親神の真実話を聞き分けて、それを楽しみにして通ることが、末代にわたって「たすかる台」となるのである。(一四九)

   辻忠作は、妹くらの精神の病を救けられて、熱心に信仰を始めましたが、家族の反対で頓挫(とんざ)し、そうするうちにくらの病が再発して、再び熱心さを取り戻した…。
   しかし、またもや信仰が途絶(とだ)えていました。そして数年経って、突然に歯が痛み出して、どうにもならなくなって、教祖の元を訪ねた時に示されたのが、このお歌です。

   こふき(一四九)とは、いついつまでも変わらずに語り伝えられていく「たすけの台となる話」ということでしょう。

〔矢持辰三「おふでさき拝読入門」120頁〕


【参考】「ひとことはな志」

   忠作さんは、実に逸話に富んだ人です。
   思ったことは、すぐに口に出したり、行いに表現(あらわ)したりした。そのために同行の者が、
恥ずかしい思いをした」
というようなことは、たくさんあります。忠作さんには一向感じなかったのでしょう。

   ひたすらに信仰に終始した、その飾り気のない姿は、同行の人々の心地(こごち)は別として、今日としては私(中山正善)には実に嬉しい姿なのです。…
   しかも、何ら体裁を飾らないところに、子供をも惹(ひ)きつける尊さが伺われます。

「片手で器用に、グルリと一遍(いっぺん)で顔と口とを洗い、懐(ふところ)から引きずり出した白い布で、顔を拭って平気でいたとて、同輩から敬遠された」
という話も、幾回となく聞く話ですが、忠作さんの面影躍如(おもかげやくじょ)たるものあり、私は常に懐かしく、嬉しく思うところです。

〔中山正善「ひとことはな志」31-32頁〕


中山正善「ひとことはな志」
33頁より謹写


大和あたりの「かきもち(欠餅)」
「京ことば」では「おかき(御欠)」

「鏡開き」から「立春」頃まで
約一ヶ月間、寒風に晒し干す

かんてき(七輪/しちりん)での
「炭火焼かきもち」は最高!

最終見直し 2016.8.4  8:00