2015年09月

天理教事典における説明①

資料③
天理大学おやさと研究所
天理教事典
昭和52年11月14日発行

かしもの・かりもの
「かしもの・かりもの」という教理は、天理教の独特な教理の一つで「人間とは何ぞや」という問いに答えるものとみられる。この教理は、広義には幾つかの教理から成り立っている。

(1)「この世は神のからだ」であるという教理。
    人間が地上に現れたのは100万年ぐらい前とか、200万年ぐらい前とか、さらに2,000万年ぐらい前とか言われている(平成27年10月現在、管理人調べでは、猿人で約400万年前、原人で約50万年前、旧人で20万年前、新人が4〜1万年前)。
    人間の出現以前に動植物すなわち生物が存在したこと、生物が存在するのに必要な環境があったことは事実とされる。人間は天地自然の中に生まれ出たものであり、進化発展してきたことは疑えない。

このよふのぢいとてんとハぢつのをや  それよりでけたにんけんである 十 54
この世の地と天とは実の親                    それより出来た人間である

    そして人間の生存と生活は、この人間の見ている世界と密接な関係がある。この事実を簡明に次のように教えられている。

たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ 三 40・135
だんだんと何事にても この世は        神のからだや思案してみよ

(2a)「一れつきょうだい」一れつ人間は兄弟姉妹であるという教理。
    人間は現在、この神のからだの中に生活しているが、親神の教えによると、人間創造の時、一ときに一緒に産み出されたと言われる。人間は様々の人種・種族・民族・国民などに分かれ、その享受する自然や文化も色々であるが、すべての人間が創造と生存の目的を同じくしていることも明白である。

せかいぢういちれつわみなきよたいや  たにんとゆうわさらにないぞや 十三 43
世界中 一れつは皆きょうだいや            他人というは更にないぞや

(2b)「身の内、神のかしもの・かりもの」人間のからだは、神のかしもの・かりものであるという教理。
    人間は生物ないし動物として、自分自身の体を「自分である」と考えているが、自分自身の本体は「魂(たましい)」であって、この「からだは親神から借りている」のであると教えられている。これは分かりにくいことであるが、人間がこの世に存在することに関する、神秘的な教理と言える。

にんけんハみな/\神のかしものや  なんとおもふてつこているやら    三 41
人間は皆々 神の貸しものや                何と思うて使ているやら

高山にくらしているもたにそこに  くらしているもをなしたまひい    一三 45
高山に暮らしているも谷底に          暮らしているも同じ玉火(魂)

それよりもたん/\つかうどふぐわな  みな月日よりかしものなるぞ 一三 46
それよりも段々使う道具はな                 みな月日より貸しものなるぞ

    何のために、からだを借りて生存しているかと言えば、「陽気ぐらし」するためである。親神が、人間と人間世界を創られたのは、人間の「陽気ぐらし(陽気遊山、陽気づくめとも言われる)」を見て共に楽しみたいと思われたからであるので(おふでさき 一四 23〜28参照)、人間は「陽気ぐらし」を目指して生きていると言える。人間は偶然にこの世に存在するのではない。おさしづのお諭しにも、

この世へ出た人間というは、何ほどの理というや分からせんで、これをよく伝えてやってくれ。この理治まれば、何よのことも皆分かる。
おさしづ 明治40.4.10

というお言葉があるが、人間としてこの世に生まれて、人間の生活を送っていることの意義は、この「かしもの・かりもの」の教理に最も明確に教えられていると言える。

    以上の(1, 2a, 2b)の教理は、「こふき話」の中に次のごとく述べられている。

「この世は月日両人のからだなり。天地抱き合わせの世界。人間は月日ふところに住居しているものなり。それゆえに人間のすることに月日の知らんことはなし。人間は皆、神の子なり。身の内は神のかしものなるゆえに他人というは更になし、皆きょうだいなり」
16年桝井本  中山正善 こふきの研究 129頁

(3a)「ほこり(埃)」という教理
    この真実が分からないために、親神の思いである「陽気ぐらし」に反する心、すなわち「我が身思案(人間思案)」の心を遣うので、そこに悪い心遣いが出る。これを埃にたとえて「ほこり」と言う。埃は、その場で払えば直ぐ払えるので、心の埃も反省によって払われ、いつでもきれいな心でいることができるのであるが、大抵は「ほこりの心」ということさえ知らないでいる。そしてそれぞれの人間が、他人同士のよそよそしさで互いにたすけ合わずに、また人間に高低(たかびく)をつけて互いに他を傷つけ合い、この世を苦しみの世界としているのである。
「かしもの・かりもの」という真実(理)が本当に心に納得できたなら、「むほん(謀叛)」の根も「やまい(病)」の根もきれるのである(おふでさき 一三 41〜49参照)。「むほん」の例は戦争があげられるが、これも「ほこり」の結果であり、その心があらわれたものであって、このような現象・できごとは、親神の人間に対する「残念」の気持ちのために「手離れ」になった(守護できなくなった)結果であるから、これをよく思案し反省して、心の「ほこり」を払うことが必要である。親神はもちろん「つとめ」や「さづけ」という救済手段によって、単にこれらの不幸を救けられるだけでなく、さらに珍しいお働きをあらわして、人間が「陽気ぐらし」できるようにされると教えられている(おふでさき 一三 50〜58、四 93〜95参照)。このことは「むほん」だけでなく、「やまい」の場合もその他「りゅうけ(立毛 農作物)」をはじめとして、人間の力ではどうにもならないものについても、同じように救けられるのである。

(3b)「いんねん」という教理
    自分の身体は、親神よりの「かしもの・かりもの」であるということは「身体を借りている個々の人間が存在する」ということである。この個々の人間は、生物ないし動物として、親より生まれた時から生存し成長して、ついに死亡する時に消滅するのであるかと言えば、そうではない。身体の借り手である人間は、大昔に創造された時(これは学問で人間出現の時と考えるよりも、はるか以前の事と教えられている)から、様々な動物の姿をとって、生れ変わり出変わりして現在まで生存してきて、また将来も生存し続けるのである。
    この人間の本体と言うべきものこそ「魂」であり、その魂の姿こそが「心」である。

人間というは身の内、神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。  おさしづ 明治22.6.1

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取るなかに、自由自在(じゅうよじざい)という理を聞き分け。  おさしづ 明治22.2.14

    心は自分のものとして、それぞれ人間に、ある程度知られているし、ある程度自由にできる。「ほこり」の心も、分かった限りは「さんげ(懺悔)」することができる。しかしこれには限度がある。現在にあらわれてきている事は、すべて過去にその「たね(原因)」があるが、今生(今世)の事でも前生(前世)の事でも、皆この「たね(原因)」の芽生えであると言っても、これはほとんど人間には分からない。分からなくてもその責任は自分にある。このようなものは「いんねん(因縁)」と呼ばれる。「いんねん」という言葉には色々の意味があるが、ここでの「いんねん」は、人間に不都合な結果をもたらしたもの、病気や災難などについての因果関係を意味している。すなわち「悪いんねん(悪因縁)」である。
    天理教で説く「悪いんねん」は、機械論的な因果関係を問題にしているのではなく、人間の「ほこり(埃)」の心を反省すること(むねのそふぢ 心の掃除)を目指しているのである。

このざねん一寸の事とハをもうなよ  つもりかさなりゆへの事やで     十七 67
この残念ちょっとの事とは思うなよ  積もり重なり故の事やで

月日にハせかいぢううハみなハが子  かハいいゝばいをもていれども  十七 68
月日には世界中は みな我が子            可愛いいっぱい思ていれども

それしらすみな一れつハめへ/\に  ほこりばかりをしやんしている  十七 69
それ知らず皆一れつは銘々に             埃ばかりを思案している

    すなわち「悪いんねんだからあきらめる」ということではなく、大難は小難に、苦しみも喜びのなかに「悪いんねんを果たさしてくれる」親神の御心を悟ることが大事である。
「ほこり(埃)をさんげ(懺悔)」して心を掃除し、「悪いんねん」を「たんのう(足納)」によって「さんげ(懺悔)」して果たしていくところに、人間はきれいな心をもって「ここはこの世の極楽」といわれる「陽気ぐらし」ができるようになるのである。

(3c)「出直し」という教理
    人間の寿命は現在は日本でも平均70歳(2015年10月現在83.665歳)を越えたと言われているが、昔はずっと低かった。だんだん寿命が延びてきた。しかしこれは平均の話で、どの年齢の人でも、このような長寿を得られると考えられない。誰でも「不時の死の不安」を常に持つ。実際人間は、生まれながらにそれぞれの寿命を持つ(寿命が決まっている)と半ば諦めてきたので、その上、その寿命まで生きられないで死亡すると考えざるを得ないような状況にあった。
    親神は『人間の寿命を115歳に定めたい』と仰せられた。

このたすけ百十五才ぢよみよと  さだめつけたい神の一ぢよ  三 100
このたすけ百十五才定命と         定めつけたい神の一条

すなわち人間は、115才の寿命をもらってこの世に生まれてくるので、ほとんどの人がその途中で「出直す(亡くなる)」のである。その理由は「ほこり」と「悪いんねん」にあると言われる。「ほこり」が払われ「悪いんねん」が納消(なっしょう)されれば、誰でも115才まで若々しく、病気もせず、事故にも遭わず、生きることができるのである。もちろん親神から「つとめ」によって珍しい守護が得られるようになれば、「ほこり」や「悪いんねん」が残っていても定命まで生きられる。ただしまだ、そのような例はない。途中で出直しても(亡くなっても)一旦は親神のふところに抱かれ、やがて再びこの世に出直して(生まれ変わって)くるので、その時にほとんどの記憶を持たず、再び新しい心で出発できるのであるから、死は悲しみだけの出来事ではない。

「かしもの・かりもの」の教理と言われるのは、広義には上述の如く、
(1)  「この世は神のからだ」
(2a)「一れつきょうだい」
(2b)「身の内かしもの・かりもの」
(3a)「ほこり」
(3b)「いんねん」
(3c)「出直し」
の全部の教理を含む。しかし一般には、これらをそれぞれに分けて、(2b)を指して「かしもの・かりもの」という場合が多い。この(2b)が中心的な教説である。
    この教理を如何に理解し、如何に悟るかについては様々な見解があるが、信仰というものが、如何に生きるかの問題にかかわるものと見るなら、これは生活に対する根本的認識を教えるものであると言える。


最終見直し 2015.10.16  09:05




天理教用語辞典における説明
(掲載順序は、前記事の「天理教教典 第七章 かしもの・かりもの」の説明順序に準えています)

資料②
岸 義治
天理教用語辞典
昭和35年10月15日発行 

かしもの・かりもの
    かしものかりものの教理は、天理教の「教えの台」です。私たちが日々働いたり、勉強したり、文化を創造したりするのも、みな身体が基本となります。 私たちはこの最も身近な、身体の謎を解くことから出発しなければいけません。 
    大抵の人は「身体は自分のもの」と考えていますが、天理教では「身体は神様からいえばかしもの、人間からいえばかりもの」と説いています。私たちの身体を神様からのかしものかりものと考えるか、自分のものと考えるかによって人生観、世界観に大きな開きができてきます。
    身体は神様からのかしものかりものと考える人は、「貸し主である神様の思召(陽気ぐらしの世界の建設)に沿うよう、身体(かりもの)を使わせて頂く」という気持ちになります。
    身体は自分のものと考えている人は、勝手気ままに、あくまでも自己本位に考えて使っています。
    人間の幸福とか、世界の平和と申しますが、この一番基本的な「身体は神様からのかしものかりものである」という真理に徹しない限り、その目標(めどう)に到達することはできません。まず、最も身近な人間の身体の神秘、息一筋に、驚きの眼を見張らなければいけないと思います。
    誠に私たちの身体は、遠く人間のはからいを超えた神様のご創造し給うところ、陽気ぐらしのためにこそ使われるべき、神様からのかしものかりものなのです。

心の理 
    原典の中に〝心〟という言葉が、他の言葉に比べて非常に多く出ています。このことは、本教がいかに〝心の道〟を強調する教えであるかを意味するものであります。教祖ご在世時、日本の民間信仰は、ただ現世利益にのみ終始していたが天理教祖は、かかる人々に分かりやすく心の理を強調されたのです。
    心の理とは、心の働きで、各人の心の成人なくして神の守護は望めないのです。身体は、神様からのかしものかりものでありますが、心一つは我がの理で、神様は心通りに、かりものである身体を貸して下さるのです。
    要するに、各人の心一つの理によって、この世の中は明るくもなれば暗くもなり、そして、どのようなご守護も戴くことができるのであります。人間は夫婦、親子、兄弟でも皆、身体が違うように、心の理も違うのであります。それが「一名一人の信仰」といわれる所以(ゆえん)です。
    教祖は、おつとめおさづけおまもり御供(ごく)といった、たすけ一条の道をお教え下さいましたが、これはただ単に形式的なことのみを仰られたのではなく、たとえば、

御供という、御供でみな救かると思ている心、これは心休めの印や。…何も御供効くのやない、心の理が効くのや。明治35.7.23

とお示し下されているように、神様のご守護は、あくまでも各人の心の理を抜きにして考えることはできないのです。

ほこり
   神様の思召に沿わない、我が身勝手な心遣いを天理教では悪とは言わず、ほこりと申しております。この世の中には、根っから悪いという悪は存在しない。あるのは日々、障子の桟(しょうじのさん)に積もる埃のようなものとして心得違いがあるわけだ、と神様は仰せられるのです。我が身勝手な心遣いは、障子の桟に積もる埃のように、毎日掃除をしても直ぐ積もるので、これを日々掃除さえしていけば何でもないものを日々掃除を怠ると、だんだん堆(うずだか)く積もり重なり、ついには掃いても拭いても取り除き難(にく)くなります。
    しかし、どれほど埃が積もっても、人が一週間かかって掃除するところを、自分は一ヶ月かかってでも掃除する、という心があるならば、どのような埃も払うことができるのです。
    神様はこのような埃を払う節として、一人ひとりに身上事情のてびき(手引き)を与えられ「しっかり埃を払え」としるを見せて下さるのです。人間は、なかなかこのような身上事情の苦しみでもなければ、我が身勝手な心遣いの埃を払おうとはしないのです。埃を払う縁(よすが)としては、 おしい(惜しい)ほしい(欲しい) にくい (憎い)かわい(可愛)うらみ (恨み) はらだち(腹立ち)よく(欲) こうまん (高慢)という八つの埃が戒められています。

そふぢ(掃除)
    天理教では、掃除という言葉をよく使いますが、教外の方は「掃除なんて、妙な教理があるものだ」と思われるかも知れません。
    教祖は、誰にでも分かるように〝たとえ〟を用いて説かれましたが、およそ掃除ということぐらい、日常卑近(ひきん)な言葉はないと思います。教祖はこの卑近な掃除という言葉を通して、信仰生活において最も大切な〝悪〟の問題をお話下されているのです。
    おふでさきに、

これをみよせかいもうちもへたてない  むねのうちよりそふぢするぞや  四 108 
これを見よ世界も内も隔て無い             胸の内より掃除するぞや

と仰せられていますが、世界中の人間のきたない心を、親神様が箒となって平等に掃除をされるのです。親神様の思召に沿わない、勝手気ままな心を埃にたとえ、掃除をすると仰せられているのです。
    人間は勝手気ままで、なかなか心の埃の掃除をしようとはしません。そこで親神様が旬をみて、身上事情のしるしを見せられます。このしるしを見せて頂けるので、人は掃除をする心定めができるのです。神様が「人の心を掃除する」と仰せられるのは、あくまでも心一つの立て替えによる、真実の陽気ぐらしを望まれる上からで、わざと苦しめよう困らせようとする掃除ではないのです。
    おさしづにも、

さあ/\いかなる一つの事情、掃除一条/\、すっきり掃除してしまうで。みな片付ける道具も要る。どうでも掃除をして掃きたてる。隅から隅まで掃除一つ、道を改め。掃除の道具も要る。また片付ける道具も要る。治まる道具も要る。拭き掃除する道具も要る。いつも掃除や、あちらもこちらも掃除や、隅々までも掃除や、どういうところ心の掃除や。さあ/\後の道を改め。明治21.3.29 

と仰せられているように、この道は徹底的に心の掃除をする教えであって、単なる病気たすけのご利益信心ではないのです。

心定め
    心定めということをよく言いますが、それは天理教が単なる拝み祈祷の信心ではなく、「心の成人」を目指す信仰である以上、当然のことと思います。
    神様は、神人和楽(しんじんわらく)の陽気ぐらしを目標(めどう)として、人間世界を創造され、人をたすけるためにこそ、身上を貸して下されたのです。したがって私たちは日々、神様の思召に沿わせて頂く心を定めて、通らせてもらわなければいけません。
    しかし私たちは、身上息災の時には、つい、この心定めを忘れてしまいがちであります。神様も、

事情なければ心が定まらん。胸次第、心次第。さあ/\事情なくして一時定め出来難(できがた)ない。   明治20.1.13 

と仰せられています。
    そこで身上事情のてびきを頂いた時には、何が何でも神様の思召に沿わせて頂く心を定めなければいけません。心定めの内容は人によって異なりますが、神様の思召に沿わせて頂く、という精神においては変わりはありません。
    要するに、身上は神様からのかしものかりもの心一つが我がの理というところに、心定めの必要性、絶対性があるのです。神様は、

さあ神一条の道というは、心に一つの理が無くばなろうまい。‥後々のところ、一人ひとり定めにゃなろうまい。言うまでやあろうまい。定めるも定めんも、定めてから治まる。治めてから定まるやない、定めてから治まる。この理をよく聞き分けねばならん。‥定めかかって、神一条の道という。明治24.11.3 午後6時 

と仰せられ、身上事情が治ったら心を定める、というのではなく、何が何でも神様の思召に沿わせて頂く、という心が定まったら、身上事情のご守護がいただけるのだと教えられています。しかも、心定めを続けて実行していくところにこそ、その意義があるのです。

心の成人
    教祖は、頑是無い(がんぜない 未成熟で道理が分からない あどけないさま)子どもを育てるのに、分かりやすいようにという親心から、色々と形の上からもお仕込み下されていますが、「心の成人」ということは、決して忘れておられません。
    世間では、成人の日として祝っておりますが、年齢的、肉体的成人という意味が大変強いと思います。しかし、お道でいう成人とは、むしろ「心の成人」で、いくら年限を重ねて古くから信仰していても、心が成人していなければ、何にもならないのです。
    原典を読ませて頂きますと、至る所に、尽くせぬ親神様の温かい親心を感じさせて頂きますが、それは決して愛情に溺れた親心ではなく、子どもの「心の成人」ということも強くお仕込み下されているのです。

子供の成人楽しみに、日々に効を積んでいる。皆その通り、いつもいつまでも親の厄介になる者はどんならん。‥神一条の道も、いついつまでも尋ねてばかりいては、どんならん。明治22.1.24 午前9時 

   たすかりたい信心ではなく、すすんで人をたすける、育てるという親の心にまで、成人しなければいけないのであります。親神様は、

にち/\にすむしわかりしむねのうち  せゑぢんしたいみへてくるぞや  六 15
日々に 澄むし分かりし胸の内               成人次第見えてくるぞや

とも仰せられています。

 出直し
    天理教では、死ぬことを「出直し」と言います。

さあ/\人間というは、一代と思うたら違う。生まれ変わりあるで。明治39.3.28 

とのお言葉にあるように、人生はきりなしふしんで、何度も生まれ変わり出変わりするのです。教祖はこのことを、更衣にたとえて諭されています。すなわち死ぬということは、古い着物を脱いで、新しい着物を着るようなものだと、仰せられているのです。
    人生一代限りと思うと、「どうせ短い人生だから好きなことをして生きてやれ」という退廃的な生活になり、非常にせま苦しい人生観が生まれてきます。
    しかるに人生一代限りでないと考えると、すなわち出直しということを信ずると、死の最後まで人間は立派に生き抜きます。また、きりなし人生であるから、焦らない、おおらかな人生観が生まれてきます。

陽気ぐらし
    よく「陽気ぐらし」と言いますが、それは、人間は何のために生まれてきたか、人生とは何か、という根本問題に関わっていることなのです。すなわち神様が、ない人間ない世界をお創り下された目的は、人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しむという「神人和楽の陽気ぐらし」のためであったのです。私たちが日々働くのも、勉強するのも、文化を営むのも、みな神人和楽の陽気ぐらしという大目的のためなのです。

神が連れて通る陽気と、めん/\(銘々)勝手の陽気とある。勝手の陽気は、通るに通れん。陽気というは、みんな勇ましてこそ真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者 苦しますようでは本当の陽気とは言えん。めん/\勝手の陽気は生涯通れると思たら違うで。明治30.12.11 

と仰せられていますが、一時の歓楽を追って自分だけが楽しむというのは、真の陽気ではないのです。むしろ、我が身、我が家のことを忘れて、人のため世のために尽しきるとき、私たちは真の陽気ぐらしの境地を味わうことができるのです。人間がみな我さえよければ、という気持ちを捨てて、人のため世のために真実を捧げきるようになったら、神様はどれだけお喜びになるか分かりません。そしてどんな不思議なたすけもお見せ下さり、ますます陽気な世界が作られていくのです。

いんねん
    我がの理である心一つで、人間はいろいろな道を、いろいろな心を遣って歩んできました。過去において蒔いたる種は、善きにつけ悪しきにつけ、みな生えてまいります。これがいんねんです。
    人間は一代だけでなく、何度も生まれ変わり出変わりします。したがって、いんねんと言っても今生だけではなく前生のいんねんもあります。そのいんねんによって、それ相応に現在の生活が貸し与えられています。私たちはってくる理の中に、静かに我が身のいんねんを自覚し、前生から、どんな心遣いをして通ってきたかを懺悔(さんげ)し、そのいんねんを納消(なっしょう)する道に進まなければならないのです。

思うようになるもいんねん、ならんもいんねん、みんないんねん。知らず知らず越せば、どんないんねん持って出るやら分からん。どねしても(どのようにしても)ならんがいんねん、金銭 力でいけば世上に一つの理もあろうまい。金銭 力でいかんがいんねんという。明治23.8.25 

とありますように、自分の意思とは無関係に、しかも金や力でどうすることもできない、運命的な事があらわれてきます。これがいんねんのなすわざであり、ここにこそ、いんねんなら通りゃにゃならん、通さにゃならん、通って果たさにゃならんという道が生じてくるのです。


最終見直し  2015.09.28  16:35

天理教教典における説明

資料①
天理教教会本部
天理教教典
昭和24年10月26日発行
後篇 第七章
かしもの・かりもの

たいないゑやどしこむのも月日なり  むまれだすのも月日せわどり   六 131
胎内へ宿し込むのも月日なり             生まれ出すのも月日世話取り

    人体の、この精巧(たくみ)な構造、微妙な機能(はたらき)は、両親の工夫で造られたものでもなければ、銘々の力で動かせるものでもない。すべては親神の妙(たえ)なる思惑により、またその守護による。

にんけんハみな/\神のかしものや  なんとをもふてつこているやら  三 41
人間は皆々 神の貸しものや                何と思うて使ているやら

にんけんハみな/\神のかしものや  神のぢうよふこれをしらんか    三 126
人間は皆々 神の貸しものや               神の自由(じゅうよう)これを知らんか

    この世に生まれさせて頂き、日々結構に生活(くら)しているのも、天地抱き合わせの親神の温かい懐(ふところ)で、絶えず育まれているからである。すなわち銘々が、日々何の不自由もなく身上(みじょう 身体)を使わせて頂けるのも、親神が、温み・水気をはじめ、すべてにわたって篤(あつ)い守護を下さればこそで、いかに己が(おのが 自分の)力や知恵を頼んでいても、一旦、身上の障り(病気やケガ)となれば、発熱に苦しみ、悪寒に悩み、また畳一枚が己が住む世界となって、手足一つさえ自由適わぬようにもなる。ここをよく思案すれば、身上は親神のかしものであるという理が自(おの)ずと胸に治る。

めへ/\のみのうちよりのかりものを  しらずにいてハなにもわからん 三 137
銘々の身の内よりの借りものを             知らずにいては何も解らん

    銘々の身上は、親神からのかりものであるから、親神の思召(おぼしめし)に随(したご)うて使わせて頂くのが肝心である。この理を弁(わきま)えず、我が身思案(自分勝手な考え)を先に立てて勝手にこれを使おうとするから、守護を受ける理を曇らせて、やがては我と、我が身に苦悩を招くようになる。これを、
人間というは、身の内 神のかしもの・かりもの、心一つが我が理。明治22.6.1  
と教えられている。 

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。 どんな理も受け取る中に、自由自在(じゅうよじざい)という理を聞き分け。明治22.2.14

自由自在は、どこにあると思うな。めん/\(銘々)の心、常々に誠あるのが自由自在という。明治21.12.7

    すなわち、身の内の自由(じゅうよう)適うのも、難儀不自由を託(かこ)つのも、銘々の心遣い一つによって定まる。それを、
心一つが我がの理と教えられる。

    しかるに、人は容易に、この理が治らないままに、浅薄(あさはか)な人間心から何ごとも自分の勝手になるものと思い、とかく己(おのれ)一人の苦楽や利害にとらわれて、一れつの和楽を望まれる親心に悖る(もとる 背く 反する 歪める)心を遣いがちである。親神は、かかる心遣いを埃(ほこり)にたとえて戒(いまし)められている。
    元来、埃は、吹けば飛ぶほど些細(ささい)なものである。早めに掃除さえすれば容易(たやす)く、きれいに払えるが、ともすれば積もりやすくて、油断をすれば、いつしか堆(うずだか)く積もり重なり、ついには、掃いても拭いても取り除きにくくなるものである。

よろづよにせかいのところみハたせど  あしきのものハさらにないぞや  一 52
万代に世界のところ見渡せど                 悪しきの者は更にないぞや 

一れつにあしきとゆうてないけれど  一寸のほこりがついたゆへなり      一 53
一れつに悪しきというてないけれど  ちょとの埃が付いた故なり

    心遣いも、銘々に〝我がの理〟として許されてはいるが、親神の心に沿わぬ時は、埃のように積もり重なり、知らず識(し)らずのうちに心は曇って本来の明るさを失い、ついには手もつけられぬようになる。かかる心遣いをほこりと教えられ、一人のほこりは、累(るい)を他に及ぼして(悪影響を与える、巻き添えにする)、世の中の平和を乱すことにもなるから、常によく反省して、絶えずほこりを払うように、と諭されている。
    このほこりの心遣いを反省する縁(よすが)としては、をしい(惜しい)、ほしい(欲しい)、にくい(憎い)、かわい(可愛)、うらみ(恨み)、はらだち(腹立ち)、よく(欲)、こうまん(高慢) の八種をあげ、また、うそとついしよこれきらい(嘘と追従これ嫌い)と戒められている。
    親神は、これらの心遣いをあわれと思召(おぼしめ)され、身上や事情の上に〝しるし〟を見せて、心のほこりを払う節となし、人々を陽気ぐらしへと導かれる。

せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ  神がほふけやしかとみでいよ      三 52
世界中 胸の内より この掃除                  神が箒や しかと見ていよ

めへ/\にハがみしやんハいらんもの  神がそれ/\みわけするぞや      五 4
銘々に我が身思案は要らんもの             神がそれぞれ見分けするぞや

めへ/\の心みのうちどのよふな  事でもしかとみなあらわすで             一二 171
銘々の心 身の内どのような            事でも しかと皆あらわすで

これみたらどんなものでもしんぢつに  むねのそふぢがひとりてけるで  一二 172
これ見たら どんな者でも真実に            胸の掃除が独り出来るで

    すなわち、いかなる身上の障りも、事情の縺(もつ)れも、親神が箒となって、銘々の胸の内を掃除される、篤(あつ)い親心のあらわれと悟り、すべて、あらわれてくる理、なってくる理をよく思案するならば、自ずと心のほこりを払うようになる。かくしてほこりさえ、きれいに掃除するならば、あとは珍しいたすけに浴して、身上は病まず弱らず、常に元気に守護いただける。

ほこりさいすきやかはろた事ならば  あとはめづらしたすけするぞや     三 98
埃さえ すきやか払たことならば        あとは珍し たすけするぞや

    しかるに人は、心の成人(精神的信仰的成長)の未熟さから、多くは定命(じょうみょう 本来生きることのできる年齢)までに、身上を返すようになる。身上を返すことを『出直しと仰せられる。それは古い着物を脱いで、新しい着物と着替えるようなもので、次にはまた、我がの理と教えられる心一つに新しい身上を借りて、この世に帰ってくる。

きゝたくバたつねくるならゆてきかそ  よろづいさいのもとのいんねん  一 6
聞きたくば 訪ね来るなら言て聞かそ     万委細の元のいんねん

    人間には、『陽気ぐらしをさせたい』という親神の思いが込められている。これが人間の元のいんねんである。
    しかるに人間は、心一つは我がの理と許されて生活(くら)すうちに、善き種子(たね)も蒔(ま)けば、悪しき種子も蒔いてきた。善きことをすれば、善き理が添うてあらわれ、悪しきことをすれば、悪しき理が添うてあらわれる。

世界にも、どんないんねんもある。善きいんねんもあれば、悪いいんねんもある。明治28.7.22

    およそ、いかなる種子も、蒔いて直ぐ芽生えるものではない。いんねんも、一代の通り来たり理を見せられることもあれば、過去幾代の心の理を見せられることもある。己一代の通り来たりによるいんねんならば、静かに思い返せば思案もつく。前生いんねんは、まず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねていくならば、自分のいんねんを悟ることができる。これが〝いんねんの自覚〟である。
    親神が、種々(いろいろ)といんねんを見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、あるいは勇ませて、『陽気ぐらしをさせたい』との篤い親心からであって、好ましからぬいんねんを見せられる場合でさえ、決して、苦しめよう困らせようとの思召からではない。いかなる中も、善きに導かれる親心に凭(もた)れ、心を治めて通るならば、すべては、陽気ぐらしの元のいんねんに復元されて、限りない親神の恵みは身に遍(あまね)く、心はますます明るく勇んでくる。
    人の幸福は、その境遇にあるのではなく、人生の苦楽は外見によって定まるのではない。すべては銘々の心の持ち方によって決まる。心の持ち方を正して、日々喜び勇んで生活(くら)すのが信心の道である。
    すなわち、身上かしもの・かりものの理をよく思案し、心一つが我がの理であることを自覚して、日々常々、胸のほこりの掃除を怠らず、いかなる場合にも、教祖ひながたを慕い、すべて親神に凭れて人をたすける心で通るのが、道の子の心がけである。そこには自他の心を曇らす何ものもなく、ただ親神の思召のままに生活(くら)させて頂き、連れ通り頂いている喜びがあるばかりである。

このよふハ一れつハみな月日なり  にんけんハみな月日かしもの  六 120
この世は一れつは皆 月日なり         人間は皆 月日貸しもの


    ここ数年、お道における権威本や古い文書を、たくさんかき集めて拝読させてもらっています。
    今回改めて、しっかり「天理教教典」を通読致しまして、当たり前でしょうが、教理説明の精度の高さに驚かされました。それは原典の引用部分以外の、本文の内容なんですが、大部分が各文書に記されているお言葉や教理説明の読み下しなんです。つまり、分かりやすいように簡潔に口語で記しているだけで、ほとんどの箇所が、親神様、教祖の教えの理そのものなのです。今日まで教典を小馬鹿にしていた、自身の埃心を恥じるばかりです。みなさん、しっかり教典を拝読させて頂きましょう。

    二代真柱様が、「教祖伝」について解説された講習会において、「最初の御宣言」について詳細にご説明下されています。

資料⑩
中山正善
第十六回教義講習会 第一次講習抄録
昭和31年4月26日発行
第一章  月日のやしろ  最初の御宣言
本文
    最初に「啓示」と欄外にありまして、
『我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。 このたび世界一れつを救けるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい』 
    この御宣言のお言葉でありますが、ただ今この冒頭に出て参りましたお言葉は、「天理教教典」の冒頭にある、お言葉の文字と全然同じであります。しかしながら、このお言葉の内容はともかくと致しまして、内容ではなくて、お言葉の文字遣い、言い回し方でありますが、これは初めから、どの書物にもこうあるわけではないのであります。昨日申しました色々な権威本、また半権威本というような中に違った文句もあります。

    たとえば、一番最初に掲げました、神道本局に提出した「最初之由来」、それには、
『我ハ(われは)天の将軍なり』と云ふ故に恐れて伺へバ(と言うゆえに恐れて伺えば)『此度ハ(このたびは)みきの心体(からだ)を社に貰受(もらいうけ)に天降(あまくだ)れり』云々(うんぬん)」
と、こういうような言葉になってあります。

    それから辻忠作さんの文には、
『天より深い思わくにてあまくだりた(、)やしき親子もろとも神にくれるなら三千世界たすけさそ(、)(いな)とい(う)なら此(この)家断絶(粉)もないよ(う) にする』
これは後の言葉と一緒になって先に出て参っております。

    それから橋本清の「天理教会由来略記」には、
『天、汝(なんじ)の慈悲心深(ふかき)を愛し、 汝に憑(よっ)て以(もっ)て神教を布(し)き世道人心(せどうじんしん)を救(わ)んとす。 汝、嘗(かつ)て信奉する所の神あり。 今より天理王命と唱(え)て神の教(おしえ)を奉(ほう)ずべし』
かような文句になってあります。

    それから宇田川文海の書物には、
『予(よ)は天の将軍(かみ)なり。此(この)屋敷は予(あらかじ)め神の定めたま(う)因縁あり。 今其(その)約束の時節到来せるを以て、あらゆる世界の人類(ひと)を助けんが為め天降れり、因(よっ)て此屋敷をはじめ親子を併(あわ)せて貰(い)受けたし』 、
かような文句になってあります。 

    それから中西本では、
『我は天の将軍なり。 此屋敷は神の予定の地なり。今や時至れり。我は全世界を救わんが為めに降れり。 此屋敷と親子を併せて我に捧げよ』
かような言葉になっています。

    別席の方ではこの点、この頃の本では、
『世界に珍しき たすけをさすのであるから、教祖の身体を神の社に貰ひ受けたい』
さようにいろいろ違っておりますし、

    最後に父(初代真柱中山眞之亮)の書きました「教祖様御伝」、その片仮名本、いわゆる三十一年七月三日と書いてあります。「稿本教祖様御伝」には、「『大神宮ナリ』ト」、「『天の将軍』トモアリ」、かような割注になっています。それから中に文句を入れまして読んでみますと、
「台ニ向ッテ何方(どなた)ノ御下(おくだ)リナルヤヲ問ヒシニ
『大神宮ナリ』ト(天ノ将軍』トモアリ) 御答エアリ市兵衛曰(いわ)ク「是迄幾度(これまでいくど)モ降神アルモ如斯(かのごとき)神ノ御下リハ嘗(かつ)テナシ」ト大(おおい)ニ怪訝(けげん)ノ想(おもい)ヲナセリト且(か)ツ仰セラルルニハ
『此屋敷親子諸共貰ヒ受ケタシ(この屋敷、親子もろとも、もらい受けたし)ト仰(おおせ)ラレキ尚(なお)仰セラルニハ
『聞キ入レ呉(く)レタ事ナラバ三千世界ヲ助クベシ若シ(もし)不承知ナラバ此家粉モナヒ様ニスル(粉も無いようにする)ト   (復元 第33号 27頁) 
「これは前川の隠居から聞いた話である」こういう風に割注があります。

    これがその後に訂正されましたところの「稿本教祖様御伝」、平仮名本の「教祖様御伝」では、
「市兵衛御尋ね申上げしニ(お尋ね申し上げしに)
『天の将軍なり』と宣へ(のたまえ)り市兵衛重ねて御尋ね申すに「天の星様で御座り升(ござります)か」 
『否元の神である此屋敷ニ因念あり(否、元の神である。この屋敷に因縁あり)美支の心見すまし世界の人を助くる為めニ天下りた(みきの心見澄まし、世界の人を救くるために天降りた)此屋敷親子諸共神の社ニ貰ひ受けたい(この屋敷、親子もろとも、神のやしろにもらい受けたい)返答せよ』と宣玉ふ(のたまう)」  (復元 第33号 145〜147頁)
かような言葉になってあります。

    多少違ってありますが、最後に読みました「教祖様御伝」を基準として、この前に「天理教教典」の中に書きましたこの言葉を、今度も持ってきてあるので、前と違いますのは〝屋敷の問題〟がここには書いてないのと、〝親子諸共〟という文字がないのと、それから文語体に〝元の神である〟これは前にも〝元の神である〟とありまするが、その他に多少言葉じりを変えてあるので、持ってきた言葉の何と申しますか、基準となっている点が「教祖様御伝」であるとお考えいただきたい。

    次は、その基準となった「稿本教祖様御伝 平仮名本」のご紹介です。

天理教教会本部
天理教教祖伝稿案
昭和31年2月18日発行
第一章 月日のやしろ
中山眞之亮「稿本教祖様御伝  平仮名本
本文
    教祖四十一才十月二十三日庄屋敷村イノコ(亥の子)なるニより市兵衛氏ハ乾家へヨバレ(招ばれ)に来てをれり。教祖御夫婦ニハ夜の四時に一人ハ腰いたみ一人は眼頻(しき)りニ痛むニより、幸ひ市兵衛氏乾方ニ来合せ居らるゝ故、市兵衛氏を招き御尋ねなされたるニ
「全く神の祟りならん」
とて、寄加持(よせかじ)の準備をなし置き(、)翌朝ニ至り寄加持を行ふニ当り、ソヨを雇ひニ行きし処、不得止(やむをえず)、市兵衛の頼みニより教祖加持台ニ御成り遊ばれ、御自分ニ幣を御持ち成されたり。市兵衛御尋ね申し上げしニ
『天の将軍なり』
と宣へり。市兵衛重ねて御尋ね申すニ
「天の星様で御座り升か」
『否元の神である、此屋敷ニ因念あり、美支の心見すまし世界の人を助くる為めニ天下りた、此屋敷親子諸共神の社ニ貰ひ受けたい、返答せよ』
と宣玉ふ。善兵衛様答なさるニハ
「子供ハ小さくありますなり、美支ハ世帯盛りの者でありますから差上げる事出来ません。外様ニハ立派なる家も澤山(たくさん)御座り升ニより、ドウカ夫れ(それ)へ御越し下されとふ御座り升」
と申されたり。市兵衛氏も言葉添えて神様に御上り被下(下さる)よふニ御願ひ申上ぐれども、神様ハなか/\聞入れ玉ハず(給わず)、市兵衛も大ニ(大いに)心配し顔色を変へて申すニハ
「是迄幾度(これまでいくど)も降神ありたれども、如斯き(かくのごとき)神様御下りなされたる事嘗て(かつて)なし」
ソコデ親族の者を呼び寄せ一同協議の上(、)御断り申上げたれバ、益々(ますます)御聞入れなく
『誰が来ても神ハ退かぬ、今種々と心配なすハ無理でなけれども、二十年三十年経たなれバ、皆のもの「成る程」と思ふ日限が来る程ニ』
と仰せ玉へ(給え)ども、一同の者申されるニハ
「二十年も三十年も人間の我々ハ待てません、只今より御帰り下され」
と申せども、神様ハ
『神の思ハく通りするのや、神の言ふ事承知せよ』
と宣玉ひ(のたまい)益々烈しく(激しく)なり、御持ちなされし幣ハ振り上り、紙ハ散々に破れ、御身は畳に擦り付けなされて御手より流血淋漓(りゅうけつりんりん)たるをも御わきまへ(お弁え)なく、昼夜夢中ニ御なり遊ばさる。依て(よって)致方(いたしかた)なく、廿六(二十六)日朝五ッ時ニ、善兵衛様より
「差上申升(差し上げ申します)」
と御答へなされたり。ソウすると一時ハ静まり玉ひぬ(給いぬ/お静まりになった)。然れども常に身体ユラ/\して有りしに(身体はユラユラしていた)。


    事典による説明と、立教の経緯の比較として進めてきましたが、ここで一旦〝立教について〟は終了したいと思います。
    後日改めて、立教の意義と目的、この世と人間創造の目的、教祖のお立場、救済の必然性など、詳しく勉強を進めたく思います。
 
最終見直し 2015.10.30  22:10


 

立教の経緯の比較④

    資料⑥より更に「教祖の語り口調」で、細部は除いて、他文献に散見される事実相違などの誤りが極めて少なく、教祖から直接伺って直接筆写したかのような、非常に整った文章構成の貴重な文献です。

資料⑦
中山正善
成人譜その三「こふきの研究」
昭和32年7月26日発行

神乃古記
神憑略記
明治十八年ノ書之
教祖御齢八拾八歳
古記類集
明治二十年以後ノ古記を抜書ス
教祖御帰幽後

本文 
    抑(そもそも)この元は、われ中山善兵衛の妻、美支(みき)という。われ三十一(満齢30)歳の時、わが子三人あり、しかるに当村、足達源左衛門の倅(せがれ)、照之丞(てるのじょう)と申す者、二歳の時、乳不自由にして世話を致したるおりから、四月二日より疱痘(ほうそう 疱瘡)に取り合い、十二日目より黒疱痘とあいなる。もっとも医者にもかかりあり。しかるに、
「この疱痘は難しく、とても敵わず」
と申さるにつき、わが乳の世話中に死亡致しては、何とも申し訳もなく、何卒(なにとぞ)して本復(ほんぷく 病気の全快) 致したき一心で、わが夫にも知らさず、一心不乱に氏神様へ、百日間はだし詣りを致しますと神々様(へ)願かけ、また奈良二月堂観音様へも一ヶ年間、月参りを願い、また武蔵、稗田の両村の大師へも願をか(け)、願いの儀(祈願の旨)は、
「わが子三人のうち男子一人を残し、あと二人の寿命を差し上げ、預かり子 (の)命と代えて下されと願い、もっとも預かり子へ八十歳までの寿命を下され、もし、わが二人の子で不足に候えば、わが願い叶いたる上は、わが命も差し上げます」
と願えば、預かり子の疱痘、無難に全快致したり。この人、今に存命で居るなり。
    その後、わが子八ス(やす)と申す者、四歳にて死せり。また、われ三十六(満齢35)歳の時、女子(おなご)産まる。常(つね)という。三歳のとき死亡致したり。

    われ四十(満齢39)歳の時、長男 善右衛門、農業致し居るに俄(にわ)かに足痛み、医師にかかり、種々、手を尽くせども全快せず、難儀致し居るおりから、同郡長滝村の山伏、市兵衛なる者を頼み、病の拝み祈祷を致させば宜しく候えども、また元のごとく痛むゆえ、前の祈祷致せども宜しからず。それゆえ、勾田村のおさよ(おそよ)なる者を頼み、御幣を持たせて祈祷すること度々なり。また市兵衛もすれども善からず(よくならない)
    われ四十一歳の十月二十四日、初めて自ら御幣を持って願えば、われは三日三夜(みっかみよさ)夢中とあいなるその時、誠にもの音高く、荒振神(こうしんかみ あらぶる神)御降(おんくだ)りたまう。尋ねるところ、
『わが神は、天の将軍という。このたび、この者の身体を神の社ともらい受けたい。われは〝くにとこたちのみこと〟という神なり。また代わりてくる』
と仰せて上がりたまう。しばらくすると御降りたもうて仰せあり。実に恐ろしき御勢いなり。謹(つつし)みて尋ねるところ、
『わが神は〝をもたりのみこと〟という神なり。わが姿現せば、恐ろしき神なり。われは、頭十二ある大蛇なり』
と仰せたまう。
『今よりこの屋敷、親子諸共(もろとも)神の社にもらい受けに天降りたり』
と仰せらる。
「いかにも恐ろしきゆえ、荒振神様、退きたまえ」
と願えば、大いに怒りたもうて、
『この屋敷と親子諸共もらい受ければ、三千世界を救けさす。さもなくば、この家断絶に及ぼす』
と仰せたまうにつき、拠(よんどころ)ないことと、夫善兵衛も是非なく、「差し上げます」と申し上ぐるなり。これより、
『人間に神名を授け置かれぬゆえ、この屋敷の地名に〝天理王命〟と神名を授けたまう。この屋敷へ、最初の人間世界をはじめの因縁ありて天降りた』
と仰せたまうなり。
『天理王命と神名を授けらるは、美支(みき)の心、天理に適いたるより天理王命と名を授く。この美支(みき)の魂は、元の親の〝いざなみのみこと〟の魂なり』
と仰せたまう。

    こうした〝教祖略伝〟や〝元初まりのお話〟など教理が記された古文書は、直接(教祖直々に命じられたもの)、間接(写本)すべて含めて、現存する、発見されているものだけで百件あまりもあるそうです(驚)。その中から、③、④、⑥、⑦という、代表的な同系統文献をご紹介しました。 これらの根元となった、教祖直々に伺い、記したものがあるとすれば…発見が待たれるばかりです。


    次の資料は、以下の解説にもある通り、教史的価値の非常に高い「辻忠作文書」からの抜粋です。
資料⑧
天理教教義及史料集成部
復元 第三十一号  
天理教教祖伝叢書 一
昭和32年10月26日発行
辻 忠作
ひながた
明治三十一年

解説
    この辻忠作文書には三通りある。①初代真柱様へ呈出(提出)したものと、②その稿本と、③後に道友社から本部員講話集中巻の中に輯録(収録)して出版されたものとである。ここには第一のもの(①)によった。原本は「別席之御話」と題され、別席話の記録と思われる。出版本により「ひながた」の題を付して、ここに輯録させて頂く。教祖と同時代に生き、直々に御教示頂いた人の口述に基づく教祖伝としては、最も詳しいものの一つであり、その文献的価値は、高く評価されて然るべきものと思う。(後略)

昭和卅二(三十二)年五月一日
嘉成(上田嘉成)

本文
    教会教祖は、元お生まれなされた所は山辺郡三昧田にて、御年十三才で今のご本部へおいでなされ、神仏信心深く、十八、九才で五重伝法(ごじゅうでんぽう)にお入りなされ、廿四(二十四)才の時、長男 善右衛門様お生まれなされ、三十一歳の頃、同村 足達氏の小人、照之丞という子がありまして、教祖お乳たくさんにありますから、ご自身のお子ども衆を育てるほかに、照之丞という子(に)お乳をお飲ましなされるなかに、その年、四月二日より、その子が疱瘡にかかり、十一日目に黒疱瘡となりましたが、教祖、御心には、
『先方の大切(な)長男を死なせては気の毒』
と思いなされ、夫善兵衛様にも知らさず、村の氏神様へ百日の裸足詣りをし、また氏神の地面から、日本八百万神様にお願いなされ、また稗田の大師、武蔵の大師、二月堂観世音様へ、一年三月(みつき)の心願おかけなされ、
『この人、八十才まで寿命下されと。その代わり、わが子三人(男一人、女二人)のうち、女子二人は身代わりとして差し上げますから』
とお願いにより、その人いま存命であります。その時の御心、天の神々様の理に適うたと、それより教祖四十一年(才)の御時まで、天より見澄ましてござりました。
    その一年前、四十年(才)のお年頃に、いわば人並みでなき心の触れたるか(気が触れてしまったのか)、というような事なさるゆえ、夫様はご心配なされ、伏見稲荷へ二度三度詣り、祈祷札を受けなされ、教祖お寝間の側に置きなされ、また山辺郡長滝村旧山伏というて、祈祷者市兵衛という人があるを頼みて護摩を焚きなされ、同郡勾田村におそよという者に金二百を与えて雇い、護摩の幣を持たせて九度、祈祷しておいでなされましたが、今年、明治卅一(三十一)年より、六十一年以前の十月二十四日より教祖に護摩の幣をお持たせなされたところが、神様は荒立ちなされて、幣の紙飛び、お手は血の出るごときありようになり三日間、夢中におなりなされたゆえ、ご家内心配のところへ、
『天より、深い思惑にて天降りた。屋敷、親子もろとも神にくれるなら、三千世界救けさそ。否と言うなら、この家断絶、粉もないようにする』
と教祖の口をかりて仰せあるにつき、そのとき夫様は致し方なきに、「左様(さよう)なら差し上げましょう」と申しなされた。これは、この屋敷に〝いんねん〟また〝御魂のいんねん〟がありまして、その〝元のいんねん〟をもって世界はじまりより、
『九億九万九千九百九十九年の年限、九億九万九千九百九十九人の人数宿し込みの年限、経ち来たるから、元この屋敷にて宿し込みになりし〝いんねん〟により、天より見澄まして、人に天理王命の名を付けたいけど、人が疑うから、屋敷に天理王命と名を授けた』と。(後略)


資料⑨
道友社編纂
本部員講話集 中巻
大正9年4月25日発行
辻 忠作
ひながた
講演執筆年月日不明
(上記 解説の③にあたるもの)

本文
    教祖の元お生まれ里は、山辺郡三昧田(やまべごおり さんまいでん)前川氏でありまして、御年六歳の頃より他の子どもと遊ばず、親の膝元で針糸縒(はりいとよ)りしてござったが、十三歳で当お屋敷へ五荷(ごか)で振り袖(ふりそで)着てお嫁入りなされた。夫は中山善兵衛と申します。幼少の頃より孝行の心篤(こころあつ)く、また神仏(かみほとけ)を信仰なされ十八、九の頃に、五重相伝(ごじゅうそうでん)をお受けなされました。廿四歳の時、長男善右衛門(後の秀司)様お生まれになり、のち女子二人ありました。
    教祖三十一歳の時、同村足達氏の長男 照之丞と申す子が乳不自由につき、親切で乳を与えておられたが、四月二日より天然痘(疱瘡)に罹(かか)り、十一日目に黒疱瘡になり、医師の診察では「難しくある」ゆえ教祖は、
『わが世話中に、この子死なしては気の毒』
と思い、 夫善兵衛様にも知らさず、村の氏神へ百日の裸足詣りの願をかけ、また氏神の地場より日本中の神々へ願い、稗田大師、武蔵大師、二月堂観世音などへ、一年三月(みつき)の月詣りの心願をかけ、 
『この子の病気を救け、八十歳までの寿命を下され』
と、一心にお願いなされ、
『救かりし上は、わが子三人のうち、かかり子(あととり)一人のこし下され、 娘二人の寿命差し上げます。それで不足となれば、この子救かりし上は、わが寿命も差し上げますから』
とお願いなされて、その子、救かりました。 教祖は、八十歳までの寿命をお願いなされたが、その子、救けてもろうた恩を忘れたので、七十二歳で死なれました。
    その後、教祖の二女(次女)安子様を四歳にてお迎え取りなされ、また出直しさせて、教祖三十六歳の時、常子様とお生まれになり、三歳の時また迎え取り、教祖四十の時、小寒(こかん)様とお生まれになりました。
    その後、教祖の御心が天理に適いしところから、天の大神様(親神様)が、ちょっと十年ほど見定めなされて、四十歳の頃から、気の間違いというようになりました。そこで夫善兵衛様は、伏見の稲荷へ二度、三度も詣り、祈祷の札を受けて床の下に敷き、また長滝〈村の〉市兵衛という人が山伏にて、それを頼み護摩を焚き、勾田村おそよという者を雇い、銭二百文やりて、幣を持たせ、護摩を焚きなされた。十月二十四日から、初めて教祖に幣を両手で持たせ祈祷せられたに、たちまち荒立ち幣の紙とんでしまい、手の下、畳へ擦り付け血だらけになり、怪我をなされました。二十四、五、六日と三日間夢中になりなされたが「何ゆえ」と家内心配のところへ、教祖の口にお話ありました。その話は、
『天より、深い思惑ありて天降りた。屋敷親子もろとも、神の方へくれることなら、三千世界を救けさそ。否とあれば、この家断絶さす』
と仰せあるにつき、夫善兵衛様が
「左様ならば差し上げましょう」
とお答えなされて、その時から教祖の御身上、天の神様よりおもらい受けになりました。屋敷の因縁、魂の因縁、その因縁を慕うて、この世界人間の創(はじ)まりから、
『九億九万九千九百九十九人の子数の年限経ち来たるから、天より見定め天降りになった。なれども人間に神名を付けること、人が誠に受けぬゆえ、屋敷心末代の名前に〝天理王命〟と名を授けた』
とのお話でありました。これは、おもらい受けになりし後で、教祖がお話下されたのであります。(後略)

    辻家と中山家とは、立教以前からの親密な間柄であった上、ご親戚で、とても嘘を仰るとは思えません。上記の二文献には「秀司様の足の痛み」が全く記されておらず(他の辻文書には記されているが)、二件とも加持祈祷に至った理由は、教祖の「精神の不調」です。

最終見直し 2015.10.29  23:30

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