2015年10月

    教祖のお言葉に
『此道は、このよたてながしの道。いつ/\までも、たて通すみち。よるやら、ひるやら、わからんやうに、助けいそがしなるで』
〔改訂 正文遺韻  119頁  参考記録  御咄し〕より
    また
『人間身上は、親神のたてながしのやかた』と仰る。『人を救けるは、神のやかたつくるも同じ理』と仰る。
〔根のある花・山田伊八郎 159頁 III 逸話・教話〕より
というものがあります。
 
    私は長年この『たてながし』の意味が分からずに悶々(もんもん)としていました。調べるにも、 各辞書(天理教用語辞典、事典含む)にも全く載っていないのです。
先日、教理文献を整理している時に、この『たてながし』の意味が記された説話を見つけましたので紹介致します。

『人間の身上は神のたてながしの屋形(館)で、まだ内造(うちづくり)が出来てないのや』とおつしやる。
『これから神が入り込んで内造りにかゝる』とおつしやる。
『うちづくりのでけない者は出直し(心の出直し、または身上の出直し)し、うちづくりのできる者は内造りする』とおつしやる。
   家にしましても建流しではどもならん。壁もつけ建具(たてぐ)もはめて人が住めるよふにせねばならぬ。人間でも綺麗な所に住んで居れば気持ちがよい。人間の身にも埃があれば神様が嫌はれる。それで身上が悩むのである。
〔本部員講話集 上  28頁  だめの教  宮森與三郎〕より

    文中それぞれ『たてながし』と『建流し』の箇所があります。つまり『たてながし』とは、『建流し(建て流し)』なのです。
    上記の説話によると、その意味は
    神からのりものである人間のからだは、普請(ふしん/建築)にたとえれば、まだ『外観だけの状態』で、居住するための内装(胸の内・心・魂)が出来ていないから、親神が入り込んで居住できるように内装造りにかかる。内装造りの出来ない家屋は、内装の改装(リフォーム/心の出直し)、または改新築(身上の出直し)させて、可能な家屋は内装造りをしていく と仰います。

    冒頭の教祖のお言葉を、現代文字に変換しますと、
『この道は、この世 建て流しの道。いついつ迄も、建て通す道。夜やら昼やら分からんように、たすけ忙しなるで』
〔改訂 正文遺韻  119頁  参考記録  御咄し〕より

『人間身上は、親神の建て流しの屋形(館)と仰る。『人を救けるは、神の屋形(館)造るも同じ理』と仰る。
〔根のある花・山田伊八郎 159頁 III 逸話・教話〕より
となります。

この世』に関して「おふでさき」「おさしづ」に
『たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ』  三 40・135  
    だんだんと何事にても この世は        神のからだや思案してみよ

『はたらきもとんな事やらしろまいな  せかいちうハをやのからだや』       十五 37
    働きも どんな事やら知ろまいな        世界中は をや(親神)のからだや

『世界は神のからだ、身の内かしもの。同じかりものならば、同じきょうだい』
    おさしづ 明治21年頃
    とあります。
    また
さて『このよ(世)といふは、夜から始めたから、このよ(夜)」といふ、このひる(昼)」とはゆハんでと、聞せられまして、実に神様のり(理)ハ違ません。 
〔改訂 正文遺韻  142頁  最初の由来  六 古記其の三〕より

天理教の教祖は『この世は、子の世』といわれたという。
〔創象 34  8頁  高野友治〕より
ともありますが
それぞれ「〝この世〟と称する理由」と「親神の子供たちの世界とも言う」といった説明ですから
この世(世界)は神のからだで間違いないでしょう。

    また教祖は
『地球は、人間の体の如くや。金類(金属類)の出るは、人間の身にすれば、爪(つめ)や。温泉といふは、キウシヨ(急所)のやう(よう)なもの。草木は毛の如く、水道(河川、用水路その他)は血のすぢ(血管)やで。同じ理やで
と、御聞かせ被下(下され)たる事あり。げに(実に)、おやさま(親神様)のからだ(躰)なりかし。
〔正文遺韻抄 前篇 逸話集 天地東西南北の事に就て〕より
と『地球と、人間のからだは、同じ理である』と仰います。

地球は『この世』の一つで、『神のからだ』の一つです。それらと『同じ理やで』と仰いますので、われわれ人間(他の動植物も含む)の身体も全て『神のからだ』の一つなのです。この世の全てをお借りしているからこそ、われわれはこうして生活させてもらえているのです。

このたび教祖より御自由(ごじゅうよう)お働きの理をお聞かせ下さいまして、
『知恵も仕込み、学問も仕込み、よろづの事をだんだんと教えてきて、十のものなら九つまで教えたで。このたびはその残り一つを教えるで』
と聞かせられます。そこで九つまで教えて頂いてあるから、世上においては何も不自由、不足はない、便利で重宝で結構な世界でございます。
『たった一つ、銘々に思う事が思うようにならん。「しよう」と思う事が成らずして、「しようまい、なるまい(しないようにしよう、そうならないようにしよう)」と思う事が成ってくる。とんと銘々の思うようにばかりはいかんと言うが、これが一つの不足である。その不足を無いように、思い通り、思わく通りに叶えてやったらそれで十分やろ。
    このたびは、ここの一つを教える道であるで。十の数なら一番終(しま)いの「十目の教え」。すなわち「とめの教え」や。「だめ(最後、究極)の教え」やで。
    この道は、建て通さにゃならん。末代続く、限(き)なしの道やで』
と聞かせられます。(現代文字変換済)
〔改訂 正文遺韻  177頁  御はなし草稿  身上かりものゝときわけ〕より

したがって冒頭の教祖のお言葉は
きりなし心のふしんを、違う語句をもってお説き下されたものである」と言えます。

最終見直し 2015.11.9  22:45

原典、お諭しにみる「かしもの・かりもの」②
「身上・身の内かしもの・かりもの」
「心一つが我がの理」
「心通りの守護」

原典 『おさしづ』

人間という、身の内というは、神のかしもの・かりもの。心一つが我がの理。
おかきさげ


さあ/\月日がありて、この世界あり。世界ありて、それぞれあり。それぞれありて、身の内あり。身の内ありて、律あり。律ありても、心定めが第一やで。
おさしづ 明治20.1.13(陰暦12.20) 

めん/\(銘々)家内、神のかしもの。実が承知なくばならん。‥神の言うこと眼に見えん、神の言うこと悪いこと言わん。めん/\心定まらんから分からんのや。
おさしづ 明治20年3月 

世界のところ理を聞き分け。何かのところ、かりもの自由自在(じゅうよじざい)。めん/\一つ心、順に道悟り、よう聞き分けにゃならん。神は隔ては無いで、しかと聞き分け。
押して願
さあ聞き分け。神というは隔て無い。内々とも、人間身の内かしもの順序よう聞き分け。‥鏡なら、どういう事もこういう事も皆映る。善きこと悪しきこと映るであろ。これは前生々々、身にあらわれる。鏡いかなる心定め、たんのう(足納)/\心定めるなら、やれやれ。たんのう無くては受け取るところ一つないで。
おさしづ 明治20.3.25

めん/\かりもの承知。かりもの分かっても、かりものの理、自由(じゅうよう)分からねば何もならん。‥夫婦身上はとは、一つ身の障り。たんのうして通らねばならん。
おさしづ 明治20.10.12

かりもの一条をよう聞き分け。理を聞き分けて、世界みなきょうだいの理 分からずでは見るに見られん。不自由している、身の迫り、難儀する者も同じきょうだい。‥
成る者も、成らん者も、難儀する者も同じきょうだいやで。銘々、日々きょうだいなれば、ちょっと一つやれ/\可哀想、心を定め。知らん間は何も分からん、理を聞き分け。
おさしづ 明治20.10.23 補遺

さあ/\、身のところ/\尋ねるところ/\、身の不足々々なりて尋ねる。すっきり聞き分けば分からんでなし。世上見て、理を聞き分けと言うて分かるまい。世上見て、身の内かりものと、世上みな映してある。人間はみな神の子供と、をや(親神)は、みな救けたいと、人間、身は皆かしものと、心を我がものと、心通り皆世上へ映してあるところ見て、めんめんも、あんな身ならなあ、と思うてすれば、めん/\たんのうとの心勇む。強いて言うておこう。
おさしづ 明治20年10月 補遺

尋ねる理、運ぶ順序の理、何ほど頼めども、何ほど尽し、願えども、身適わんと言うても、何ほど身を耐えられんと言うても、拝み祈祷するやなし、柔らこい話で、理を聞き分けば速やかなるもの。 めん/\にとりて一つの理、早く聞き分け。内の理と、外の理と聞き分け。内の身と、世界の身の内も皆かりもの。それ世界に、人に見せられん、見るに見られん、という理もある。前生のいんねんと言うても分かりゃせん。
おさしづ 明治20年10月 補遺

さあ/\身の内のところ、よう聞き分けねばならん。さあ/\神の方には、不足の身体は貸してない。不足というは、めん/\の心より。なるほど結構ということは分かるであろ。‥さあ誠一つ願う時の心定めねばならん。内々めん/\身に知らす。
おさしづ 明治20.11.8 補遺

世界中人間は一れつきょうだい。一れつは神の子供や。‥神からは子供に難儀さしたい、不自由さしたい、困らしたいと思う事は更になし。‥神の心に隔ては更になし。隔てられる隔てられん、隔てんならんの一つの理は前生種により、一つは我が心にもよる。 さあ世界を見よ。不自由もあり難儀もあり
おさしづ 明治20.12.1 補遺

世界みな同じかりものというところ、身の内のりもの人間の思うようにいかんは、かりものの証拠。‥世界のところ、善も悪も同じ兄弟やと心定めよ。
おさしづ 明治20.12.6 補遺

身の内かしものや、かりものや。心通りみな世界に映してある。世のところ何遍(なんべん)も生まれ変わり出変わり、心通りみな映してある。銘々、あんな身なら、と思うて銘々たんのう(足納)の心を定め。どんな事もみな世上に映してある。なにほど宝ありても、身の内より病めば、これほど不自由はあろうまい。自由自在(じゅうよじざい)心にある。この理を弁(わきま)え。
おさしづ 明治21.1.8 

さあ/\身のところに忘れるに忘れられん ちょっと障り、これまでのところ心定めという。道も一つ洗え、どういう道も付く。これまでのところと言うも、さんげい(さんげ 懺悔)できてある。めん/\(銘々)のところ、心すうきり(すっきり)洗い切れ。さあ/\あたゑ(与え)、どういうあたゑと思う。‥人間というもの、かしもの・かりもの。自由(じゅうよう)ならんかしものならば、願い通りどうでもならんと言わん。
おさしづ 明治21.1.8

身の内かりもの聞いて、ちょっとの理、聞き分けねば分からぬ。なんぼ信心するとも、理が分からねば分からん。世界中同じ人間、身の内一つ不足なる。世界が鏡。身に心通りあらわれ、見るにも見られん。みんな心通りあらわれてある。めん/\もよう聞き分け。たんのう一つ理を聞き分け、誠一つ。
おさしづ 明治21.1.23

人間というものは皆、神のかしもの。いかなる理も聞かすから聞き分け。心の誠、自由自在(じゅうよじざい)と。自由自在どこにもあらせん、誠の心にあるのや。身は神のかしもの、心は我がもの。心次第に、かしものの理を聞き分け。子多くて難儀もある、子無うて難儀もある。子ある中に、未(ま)だや未だや、未だ追々という者もある。これ皆、前生のいんねん(因縁)である。いんねんと言うて分かるまい。皆これ世界は鏡。みな人間、生まれ変わり出変わりしても、心通りみな身に映してあるからよく聞き分け。難儀の難儀、不自由の不自由もある。それ夫婦の中も、子無いというも よう聞き分け。いんねんと。
おさしづ 明治21.2.15 

人間かりもの、思うようにならん/\というは、かりものの証拠。
おさしづ 明治21.7.28 補遺

これまでの理、大抵、人間身の内かりもの聞いている。また諭するところ聞いている。世界中々一つ理、人間残らずかりもの一つ理、一軒理、世界の理。この理を聞き分けられねばならん。‥内々ちょっと身に不足、世上理、身のちょっと不足、世上が鏡、いかなるもかりもの、心わがもの、心通り鏡に映してある。見分け聞き分け、それより聞き分け。内々かりもの、心わがもの、同じかりもの、世界中多くかりもの、内々何人かりもの、世界いんねん/\、不足々々映してあるが、前生内々かりものなら、世界難儀不自由なら、その身ならたんのうが誠、誠一つ天の理、この理を聞き分けてくれねばならん。
おさしづ 明治21.7.29

人間は皆かりもの。かりものの事情を聞き分けば、一日の日が治まるで、みな治まる。‥
人間は神のかりもの。成らん者は神が退く。
おさしづ 明治21.10.12

この所、拝み祈祷するやなし。世界は神のからだ、身の内かしもの。同じかりものならば、同じきょうだい。
おさしづ 明治21年頃

心にかりもの・かしものの理も伝え、生まれ変わり出変わりの理も、さあ/\長き長き(教祖の)道すがらの理も聞かさにゃならん、心に治めささねばならん。
おさしづ 明治22.7.29

身の内かしもの第一、かりもの第一、心一つ身上事情、日々、身上の不足の理を思う。思うからまた不足拵(こしら)える。何をすれども運べども、身上不足にては十分運ばれん。身上さえ治まれば、何かのところ みな治まる。
おさしづ 明治22.9.23

さあ/\人間というは神の子供という。親子兄弟同じ中といえども、みな一名一人の心の理をもって生まれている。なんぼ、どうしようこうしよう、と言うたところが心の理がある。なんぼ親子兄弟でも。
おさしづ 明治23.8.9

心一つというは、やさしい心もあれば、恐ろしい心もある。知らず知らずの心もある。
おさしづ 明治25.1.13 

どういう事、一年の日 諭してある。雨降る、出掛ける、諭しある。これ皆かりもの。
おさしづ 明治30.3.17 

日々みな言う人に、かりもの心で どうと思えばどうとも思わる。なるほど尋ねたる、なるほどという理を聞き分け。あちらにも信徒、こちらにも信徒という。教会や出張所という。名称下りたる理、どこから出たるか。これ聞き分けたら分かる。
おさしづ 明治30.8.2 

人間という、事情という、世上一つ理、諭す事情、聞き分けにゃ分からん。身上速やかならん/\。そら日々事情よう聞き分けるなら分かる。 内々それぞれ身上障り見て、たんのう(足納)諭さにゃならん。たんのう出けん。たんのう出けんやろ、よう聞き分け。たんのう理諭そ、よう聞き分け。人間かりもの持って日々という、この事情聞き分け。
おさしづ 明治30.8.31

心から、こうと言えばどうもならん。いつもどうしょう、こうしょう、どうもならん。聞かん者はどうもならん。心の違いほど怖わいものはないで、心が違う。人間身の内 神のかしもの、心一つが我がの理と、前々もって諭しある。心というものほど怖わいものはないほどに。
おさしづ 明治31.9.19

さあ、この道は心だけの道である/\。どうせこうせ言えん。言えんが、よく聞き分け。人間というは身の内かりもの・かしもの/\、心だけは我がの理。心の理、よう聞き分けにゃ分かり難ない。どういう事もこういう事も、みな世界を眺めて、心にたんのう/\。心に楽しみ無うては働けようまい/\。身の内 速やかで心勇む。心勇めば、身の内障り無きもの、よう聞き分け。
また親々という、親のなか聞き分け。いついつ一つの理でない。またまた理から心病み/\、親の理、親の理から子供々々、いついつ迄という理持たず、あちら切れずこちら切れず、いんねん理もって繋いだ/\。あちらたんのうさし、こちらたんのうさし、親の役目これ聞き分け。案じる事ない、我れに親の中から、またいんねんという。‥それ/\たんのう与え。親与えば、神が与えるも同じこと。この一つの順序をよう諭し置こう。
おさしづ 明治33.6.1

いんねんの理が分からねば、どうもなろうまい。かりものと同じ一つ理である。なるも一つ事情、ならんも一つ事情、これから聞き分け。
おさしづ 明治34.2.10

人間は一代、一代と思えば何でもない。なれど尽した理、働いた理は、生涯末代の理である。この道と、世界先々理と、理を聞き分け。道に一つ一つ諭す、かりもの聞き分け。かりものというところから一つ心定めてみよ。‥日々通る、尽す、一時の心はみな受け取ってあるほどに。どんな理も受け取ってあるほどに。
おさしづ 明治37.3.3


山田伊八郎 筆写『教祖御言葉』編  
道友社編 のある花・山田伊八郎」
敷島大教会山田伊八郎文書」  所収

明治十七年旧三月十二日より、こいそ(伊八郎夫人)右りの(右の)足痛み、翌十三日が大豆越(まめこし)れんぞ(連座/村の春祭り)にて、右同日半日疼(うず)き休み。翌十四日、神様〈へ〉下拙(げせつ/私、伊八郎)参り候(そうろ)う。すぐさま神様に(神様より)お話お聞かせ下さる。そのお話には
人を腹立ちささず。人を腹立てさし候(そうら)えば、人また我れを腹立てさし。
人を恨みな(恨むな)。人を恨みたら、人また我れを恨みたり。
人に(人より)物を買う時は、代価を値切りな(値切るな)
また、人に物を売る時には、掛け値言いな(ふっ掛けるな)
人に損をかけたら、人また我れに損をかけるべし。
人のことを言わんようにせよ。
前の、こいそ足痛みたのは、神様、奈良の監獄署へ十二日の拘留にてご苦労下され、かたじけなく、丹波市〈警察〉分署役人に「〈神様に〉足をたたぬよう〈にされたら宜しい〉」か、また〈中山家の〉門前へ来ても同様にて「〈神様に〉門の内へ入ること出来ぬようになされるや宜しいこと」と申し候えば、その後、足痛にあいなる。これを思案せよ。
明治十七年四月九日(旧3.14) 神様に(神様より)御噺し御聞せ被下

一、神と言うて、どこに神がいると思うやろ。この身の内離れて神は無し。また内外の隔てなし。というは、世界中一れつ人間はみな神の子や。何事も我が子のことを思てみよ、ただ可愛いいっぱいのこと。百姓は作物(つくりもの)豊作を願うし、それゆえに神がいろいろに思うことなり。また、人間の胸の内さい(さえ)受け取りたなら、いつまでなりと踏ん張り切る(いつまでもしっかり守護する)
明治18.3.28(旧2.12) 神様ヨリの御噺し聞取の写

そこで真実心定め、また心澄ますよう。この心澄ますのは、嘘と追従言わんよう、また欲に高慢ないように。これさい(さえ)か弁(わきま)えたなら心澄んである。何事もわが子に取りて思案せよ。「子はどうでも」と思う親は無し。また神様が罰当ては更になし、「どうど」と思うばかり。この真実の話、聞かしたさの一寸/\の手入れしたことである。また、どこも悪のうては(具合が悪くなくては)ここまで来まい。また前に申す通り、神が罰当て更になし。そのはずや、この人間を拵えたのは、この人間の陽気遊山を見たさに拵えた人間やもの。また世界中どこに隔ては更になし。
【註】「どうど」あれやこれや
明治18.4.18(旧3.4) 神様ノ御噺シ

そこで、どうぞ皆一れつは可愛いばかり、たすけ一条。それゆえに内外の隔てない。また世界には「神様が罰当てや」と言うているが、必ず神様が罰当ては更になし。 この世界中一れつの人間は皆々わが子なり。何事もわが子に取りて思案せよ、万事のことは皆分かる。
明治18.5.24(旧4.10) 神様の御噺し

明治十八年六月七日昼過ぎより、私(伊八郎)左の手首痛い、この身障り。その夜こいそ(伊八郎夫人)左の腹こだわり、翌八日、神様に参詣致す。神様の仰せには
これは手を引かれたな
と言うて、その手へ息をかけて下さる。「なんど(何か)貼ろ」と思えば、紙に息をかけ下さる。
ご神水(こうずい)は鉢に水を汲み、門(かど)へ持って出て、日様がその水の中へお映り下されたら、それをご神水、これにて致すこと。
そのはずや、天地は月日様からだなり。その抱き合わせの中に人間が住まいしている。月日様とは実の神。この神様より外(ほか)に神は無し。みな人間、月日様が掛かりて(入り込んで)いる。
そこで神様より、ちょっと手を引けば手が痛い。ちょっと神が持ちた(掴んだ)とこ(所)、みな「痛い」と人間が言う。
明治18.7.19(旧6.8) 神様の仰

明治十八年旧六月十三日より、倉之助(伊八郎長男)が熱が強く、食(しょく)たべず、同十四日の日、私(伊八郎)の左手首に障りつき、翌十五日、参詣致す。神様にお伺い候えば、神様の仰せには
何も案じることは更になし。ちょっと用向きがでけた(できた)ゆえ、ちょっと呼んだ。その用向きというは何も難しいことやない。
明治18.7.26(旧6.15) 神様の仰

世界というは、神のからだや、神の世界や。この世界中、人間はみな神の子や。またこの世界中の神々というは、元人間を拵えた道具に、使うた道具に神名を付け、それをみな拝ましてある。
その神というは人間のからだにて、眼に、ぬくみ。皮に、骨。飲み食い出入りに、息。これが神なり。
この人間の身の内離れて神は無し。それゆえに人間の胸の内は鏡の如く。またこの世界中に、どんなことでも月日せんこと(しないことは)更になし。また人間の身の内に、病というは更になし。
そこで家内中、からだ無事に(健康で)あれば「今日も忙し、明日にちも忙し」と思うやろう。なれども、言い付けは言い付けだけのこと、又聞きは又聞きだけのことであるによって、ちょいよちょいと神より手入れしたのや。‥
それゆえに、本真実を定めてくれるよう。その心、月日が受けとりたなら、人間の寿命も三百、四百、五百歳までも病まず、弱らずに、いつも十七、八歳の心にて、陽気遊山をさせたさの神の急き込み。
明治19.7.26(旧6.25) 八十九歳成神様ノ仰



典、お諭しにみる「かしもの・かりもの」
「人間のからだは、親神様からのかりもの
「心一つが我がの理(心だけが自分のもの)」
「心通りの守護」
「この世は神のからだ」
「人間は神の子供」
註 : ここでは基本、各単語を含む、また関連するお歌を選出しましたが、複数首にわたって諭されているものは、思召の理解のために前後続けて掲載しています。

原典『おふでさき』

人のものかりたるならばりかいるで  はやくへんさいれゑをゆうなり        三 28
人のもの借りたるならば利が要るで  早く返済 礼を言うなり

子のよなきをもふ心ハ違うでな  こがなくでな神のくときや                      三 29
子の夜泣き 思う心は違うでな     子が泣くでない神の口説きや

〔参考〕『おさしづ』にみる「夜泣き」
これまでにも諭したるところ、子の夜泣きは、親の心からということは分かりあろう。
おさしづ 明治21.12.31
さあ/\夜泣き、子が泣く。どんな事情も諭してある、よう聞き分け。何もかも神口説き、皆ふでさきにも知らしてある。読んで分からん、どんなであろう。
おさしづ 明治22.5.7
『「夜泣き」は、親の心遣い(心得違い)を神が口説いているのである。これは前々から〝おふでさき〟にて諭してあるであろう』と、「聞き分けがない」「理を治めない」ことを戒められています。

はや/\と神がしらしてやるほどに  いかな事でもしかときゝわけ            三 30
早々と神が知らしてやるほどに         如何な事でも しかと聞き分け

をや/\の心ちがいのないよふに  はやくしやんをするがよいぞや            三 31
親々の心違いのないように             早く思案をするがよいぞや

しんぢつに人をたすける心なら  神のくときハなにもないぞや                   三 32
真実に人を救ける心なら             神の口説きは何も無いぞや

めへ/\にいまさいよくばよき事と  をもふ心ハみなちがうでな               三 33
銘々に今さえ良くば良きことと         思う心は みな違うでな

たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ  三 40・135
だんだんと何事にても この世は        神のからだや思案してみよ

にんけんハみな/\神のかしものや  なんとをもふてつこているやら        三 41
人間は皆々 神の貸しものや                何と思うて使ているやら

このよふハにぎハしくらしいるけれど  もとをしりたるものハないので     三 92 
この世は賑わし暮らし居るけれど          元を知りたる者はないので

このもとをくハしくしりた事ならバ  やまいのをこる事ハないのに            三 93 
この元を詳しく知りたことならば      病の起こることはないのに

なにもかもしらずにくらすこの子共  神のめへにハいぢらしき事                三 94 
何もかも知らずに暮らす この子供     神の眼には いじらしきこと

なにゝてもやまいとゆうてさらになし  心ちがいのみちがあるから            三 95 
何にても病というて更になし                 心違いの道があるから

このみちハをしいほしいとかハいと  よくとこふまんこれがほこりや        三 96 
この道は 惜しい欲しいと可愛いと     欲と高慢 これが埃や

このよふのにんけんハみな神のこや  神のゆう事しかときゝわけ                三 97 
この世の人間は皆 神の子や               神の言うこと しかと聞き分け

ほこりさいすきやかはろた事ならば  あとハめづらしたすけするぞや         三 98
埃さえ すきやか払たことならば         あとは珍し たすけするぞや

高山にそだつる木もたにそこに  そたつる木もみなをなじ事                     三 125
高山に育つる木も 谷底に            育つる木も みな同じこと

にんけんハみな/\神のかしものや  神のぢうよふこれをしらんか          三 126
人間は皆々 神の貸しものや               神の自由(じゅうよう)これを知らんか

一れつハみな/\わがみきをつけよ  神がなんどきとこへいくやら          三 127
一れつは皆々わが身 気を付けよ        神が何時どこへ行くやら

たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ  三 40・135 
だんだんと何事にても この世は        神のからだや思案してみよ

このたびハ神がをもていでゝるから  よろづの事をみなをしへるで          三 136
この度は神が表へ出てるから             万のことを みな教えるで

めえ/\のみのうちよりのかりものを  しらずにいてはなにもわからん   三 137
銘々の身の内よりの借りものを             知らずにいては何も分からん

しやんせよやまいとゆうてさらになし  神のみちおせいけんなるぞや       三 138
思案せよ 病というて更になし               神の道教せ(道教え)意見なるぞや

一寸したるめへのあしくもできものや  のぼせいたみハ神のてびきや       三 139
ちょとしたる眼の悪しくも出来物や      逆上せ痛みは神の手引きや

けふの日ハなにかめづらしはじめだし  よろづいんねんみなついてくる     四 60
今日の日は なにか珍し はじめ出し        万因縁みなついてくる

いんねんもをふくの人であるからに  とこにへだてハあるとをもふな         四 61
因縁も多くの人であるからに             どこに隔てはあると思うな

このよふを初た神の事ならば  世界一れつみなわがこなり                           四 62
この世を初めた神のことならば  世界一れつみな我が子なり

いちれつのこともがかハいそれゆへに  いろ/\心つくしきるなり             四 63
一れつの子供が可愛い それ故に            いろいろ心尽しきるなり

このこともなにもをしへてはや/\と  神の心のせきこみをみよ                四 64
この子供なにも教えて早々と                神の心の急き込みを見よ

だん/\とこどものしゆせまちかねる  神のをもわくこればかりなり         四 65 
だんだんと子供の出世待ちかねる          神の思惑こればかりなり

めへ/\にハがみしやんハいらんもの  神がそれ/\みわけするぞや           五 4
銘々に 我が身思案は要らんもの            神がそれぞれ見分けするぞや

一やしきをなじくらしているうちに  神もほとけもあるとをもへよ                  五 5
一屋敷 同じ暮らしている内に            神も仏もあると思えよ

増野道興(鼓雪)先生のご解説
「神のような人」というのは「子供のような心の人」をいう。教祖は子供が来ると
『小さい神様が来た』と仰ったことがある。子供というものは欲気のない初心(うぶ//無垢/むく)なもので、物を隠しても見えるように隠している。また腹一杯ものを食えば、その上、欲しいとは言わない。‥子供のように欲気を離れておれば「神様と同じ」ことである。お言葉にも
『心澄みきれ神同体』と仰せられ、また
『三歳の小児といえば、気に入らねば無理を言う。心に適えばニコニコ笑う』とも仰せられた。三つ児(三歳児)のような心になっておれば「神様と同じ」ことであるから
『同じ屋敷の内にも、欲気を離れた〈心が〉きれいな人もあれば、また仏のようになった(なる)人もある』と仰せられたのである。【註】「仏になる」死者または霊(みたま)になる。死亡すること。
〔増野鼓雪選集 第一巻 講壇より(一) 神も仏もあるが より〕
この説明ですと、前後のお歌との意味が疎通し、以降のお歌による説明も活きてきます。

これをみていかなものでもとくしんせ  善とあくとをわけてみせるで           五 6 
これを見て如何な者でも得心せ             善と悪とを分けて見せるで

このはなしみな一つハしやんせよ  をなじ心ハさらにあるまい                      五 7
この話 みな一れつは思案せよ        同じ心は更にあるまい

をやこでもふう/\のなかもきよたいも  みなめへ/\に心ちがうで           五 8
親子でも夫婦の中も きょうだい も  みな銘々に心違うで

せかいぢうどこのものとハゆわんでな  心のほこりみにさハりつく               五 9
世界中どこの者とは言わんでな             心の埃 身に障り付く

みのうちのなやむ事をばしやんして  神にもたれる心しやんせ                    五 10
身の内の悩むことをば思案して          神に凭れる心 思案せ

はたらきもいかなる事とをもうかな  心うけとりしだいかやしを                五 50
(神の)働きも如何なることと思うかな (人間の)心受け取り次第、返しを

このかやしなにの事やとをもうかな  みちのりせんりへだてありても         五 51
この返し何のことやと思うかな          道のり千里隔てありても

この事ハなにをゆうてもをもふても  うけとりしだいすぐにかやしを         五 52
このことは何を言うても思うても      受け取り次第すぐに返しを

このかやしなんの事やとをもうなよ  せんあくともにみなかやすてな         五 53
この返し何のことやと思うなよ          善悪共に みな返すでな

よき事をゆうてもあしきをもふても  そのまゝすくにかやす事なり             五 54
善きことを言うても悪しき思うても  そのまま すぐに返すことなり

この事をみへきたならば一れつわ  どんなものでもみなすみわたる             五 55
このことを見え来たならば一れつは  どんな者でもみな(心が)澄みわたる

一れつハみなめへ/\のむねしたい  月日みハけているとをもゑよ             六 97
一れつは みな銘々の胸次第               月日見分けていると思えよ

月日よりしんぢつ心みさだめて  うけとりしたいかやしするなり                六 98
月日より真実心 見定めて             受け取り次第 返しするなり

いまゝでハなにをゆうてもをもふても  みなにんけんの心はかりで             六 99
今迄は何を言うても思うても                 みな人間の心ばかりで

これからハよき事してもあしきでも  そのまゝすぐにかやしするなり       六 100
これからは善き事しても悪しきでも  そのまま すぐに返しするなり

いまゝでハなにかさとりもありたけど  もふこれからハさとりないぞや    六 101
今迄は何か(人間銘々の)悟りもありたけど もうこれからは悟りないぞや

このよふのしんぢつのをや月日なり  なにかよろづのしゆこするぞや       六 102
この世の真実の親 月日なり               なにか(何もかも)万の守護するぞや

どのよふなものも一れつハかこなり  月日の心しんばいをみよ                  六 119
どのような者も一れつ我が子なり      月日の心 心配を見よ

このよふハ一れつハみな月日なり  にんけんハみな月日かしもの               六 120
この世は一れつはみな月日なり      人間はみな月日貸しもの

せかいぢうこのしんぢつをしりたなら  ごふきごふよくだすものわない    六 121
世界中この真実を知りたなら                 強気強欲 出す者はない

こゝろさいしんぢつよりもわかりたら  なにもこわみもあふなきもない    六 122
心さえ真実よりも分かりたら                 なにも怖みも危なきもない

たいないゑやどしこむのも月日なり  むまれだすのも月日せわどり           六 131     
胎内へ宿し込むのも月日なり             生まれ出すのも月日世話取り

このせかい一れつみゑる月日なら  とこの事でもしらぬ事なし                     八 51 
この世界 一れつ見える月日なら    どこのことでも知らぬことなし

月日よりみなそれ/\と見定めて  善とあくとをみハけするぞや                 八 52 
月日より皆それぞれと見定めて      善と悪とを見分けするぞや

月日よりなんでこのよにくどいなら  あしきみへるがきのどくなから          八 53
月日より何でこの様に口説いなら      悪しき見えるが気の毒なから(だから)

いまゝでと心しいかりいれかへて  よふきつくめの心なるよふ                  十一 53
今迄と 心しっかり入れ替えて        陽気尽くめの心なるよう

この心どふしてなるとをもうかな  月日たいない入こんだなら                  十一 54
この心 どうしてなると思うかな     月日 体内入り込んだなら

にち/\にひとり心がいさむなり  よふきづくめの心なるよふ                  十一 55
日々に独り(独りでに)心が勇むなり   陽気尽くめの心なるよう

月日よりにち/\心いさめかけ  よふきつくめにしてかゝるでな              十一 56
月日より日々 心勇めかけ            陽気尽くめにしてかかるでな

このはなしなんとをもふてきいている  たすけ一ぢよのもよふばかりを   十一 57
この話 何と思うて聞いている               たすけ一条の模様ばかりを

月日よりどんな事でもみているで  なにをゆうてもみなしよちせよ          十一 58
月日より どんなことでも見ているで  何を言うても みな承知せよ

いまゝでにふでにつけたることハりが  さあみゑてきた心いさむで          十二 44
今迄に筆に付けたる理(ことわり)が       さあ見えてきた心勇むで

これさいかみへきたならば一れつわ  とんなものでもよふきつくめや       十二 45
これさいか見えきたならば一れつは   どんな者でも陽気尽くめや

この心どふぞはやくに一れつわ  しよちしてくれ月日たのみや                  十二 46
この心どうぞ早くに一れつは      承知してくれ月日頼みや

せかいぢういちれつわみなきよたいや  たにんとゆうわさらにないぞや   十三 43
世界中一れつは皆きょうだいや             他人というは更にないぞや

このもとをしりたるものハないのでな  それが月日のざねんばかりや       十三 44
この元を知りたる者はないのでな          それが月日の残念ばかりや

高山にくらしているもたにそこに くらしているもをなしたまひい           十三 45
高山に暮らしているも谷底に        暮らしているも同じ玉火(魂)

それよりもたん/\つかうどふぐわな  みな月日よりかしものなるぞ       十三 46
それよりも段々使う道具(身体)はな       みな月日より貸しものなるぞ

それしらすみなにんけんの心でわ  なんどたかびくあるとをもふて           十三 47
それ知らず みな人間の心では        なんど(どういう訳か)高低あると思うて

月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ  どうぞしいかりしよちさしたい    十三 48
月日には この真実を世界中へ                どうぞしっかり承知さしたい

これさいかたしかにしよちしたならば  むほんのねへわきれてしまうに    十三 49
これさいか確かに承知したならば          謀叛の根は切れてしまうに

月日よりしんぢつをもう高山の  たゝかいさいかをさめたるなら               十三 50
月日より真実思う高山の             戦いさいか治めたるなら

このもよふどふしたならばをさまろふ よふきづとめにでたる事なら         十三 51
この模様どうしたならば治まろう        陽気づとめに出たることなら

この心たれがゆうとハをもうなよ  月日の心ばかりなるぞや                      十三 52
この心 誰が言うとは思うなよ        月日の心ばかりなるぞや

このつとめ高山にてハむつかしい  神がしいかりひきうけをする               十三 53
このつとめ高山にては難しい         神がしっかり引き受けをする

このはなしにんけんなんとをもている  月日かしものみなわがこども       十三 79
この話 人間なんと思ている                   月日貸しもの皆わが子ども

このせかい高山にてもたにそこにも  をやのたにわこ共はかりや              十四 53
この世界 高山にても谷底も               親のたあには(親神にとっては)子供ばかりや

このたびわなんてもかてもしんぢつの  をやの心をしらしたいから          十四 54
この度は何でもかでも真実の                親の心を知らしたいから

なにもかもとのよな事もゆておいて  それからをやがはたらきをする       十五 36 
何もかも どの様な事も言ておいて     それから親が働きをする

はたらきもとんな事やらしろまいな  せかいちうハをやのからだや          十五 37
働きも どんな事やら知ろまいな         世界中は親のからだや

をやのめにかのふたものハにち/\に  だん/\心いさむばかりや          十五 66
親の眼に適うた者は日々に                    だんだん心 勇むばかりや

をやのめにさねんのものハなんときに  ゆめみたよふにちるやしれんで   十五 67
親の眼に残念の者は何時に                    夢見たように散るや知れんで

このはなしとこの事ともゆハんでな  せかいちううハみなわがこやで      十五 68
この話どこの事とも言わんでな          世界中はみな我が子やで

一れつのこどもハかわいばかりなり  とこにへたてわさらになけれど      十五 69
一れつの子供は可愛いばかりなり      どこに隔ては更になけれど

しかときけ心ちがゑばせひがない  そこでだん/\ていりするのや         十五 70
しかと聞け心違えば是非がない      そこでだんだん手入れするのや

この事ハ高山にてもたにそこも  ゆだんなきよに心さだめよ                    十五 71
このことは高山にても谷底も      油断無きよに心定めよ


最終見直し 2015.10.29  16:30





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