2015年12月

    耳なれない神名(仏名?)であり、現在では、ほとんど取り上げられる事はないが、確かに教祖が仰せになったという「あっけん明王(みょうおう)」。

「明治十二卯年の陰暦二月二十三日の子の刻限に、教祖は
『ナライトの身の内、神の方へもらい受け、その上は「あっけんみよのやしろ」として人を救ける。あとなるは、みな引き受ける
と仰せられた。このお言葉によってナライトは、教祖の娘分としてもらい受けられ、一生一身暮らしで、神一条の御用をつとめることになった。この時、ナライト十七歳であった」‥

…「あっけんみよのやしろ」とは、あっけん明王の入り込む社」という意味。あっけん明王とは、お産の時の「切る・引き出す・繋ぐ」の、三柱の働きを言う。こふき本(明治十四年和歌体本)に初見。

道のさきがけ 
教祖伝にみる人物評伝  
上田ナライト より

    こふき本  和歌体十四年本 (山澤本) 

  99 うむときのしゆごくださるかみさまハ  たいしよくてんこれなるかみハ
       産む時の   守護下さる        神様は          たいしよく天   これなる神は

100 たいないのゑんきるかみでほふけさま  をふとのべへのかみさまなるハ 
       胎内の       縁切る神で        法華様         をふとのべの   神様なるは

101 うむときにひきだしのかみしんごんで  うみだしたあとしまいつなぎハ 
       産む時に    引き出しの神    真言で         産み出した後   しまい繋ぎは

102 くにさつちこのかみさまハぜんしゆで  このさんじんハあつけんみよふ 
       くにさづちこの神様は        禅宗で         この三神は       あっけん明王

中山正善
こふきの研究 所収  
和歌体十四年本(山澤本) より

    これらの史料から、あっけん明王の社(やしろ)とは「をびや許しの理を取り次ぐ者」と推測できます。          

    またこかん様は、ナライト様の「前任のあっけん明王であった」可能性が考えられます。

    そして親神様が『あっけん明王がお越してあるのに』(前項参照)と、この時なぜ、こかん様をそのようにお持ち上げになったのかは、現状不明です。

    念のために記しておきますが、どこかのサイトかブログかに
「こかんに、あっけん明王なる荒ぶる神が降り…」
のようなことが書かれていましたが、どうか惑わされないようにお願いします。

最終見直し 2016.1.4  20:35

『「からとにほん」のたとえは何を指しているのか。今日でも的確に言い換えられない』
〔芹澤茂氏談〕
『「からとにほん」は、「何を言うとも分かりあるまい」(31)と仰せられるように、理解するのが大変難しい言葉であります』
〔矢持辰三氏談〕
と、著名な研究者も仰るように、非常に難解なお言葉の一つであります。

これからハからにほんのはなしする  なにをゆうともハかりあるまい   二 31
これからはからにほんの話する         何を言うとも分かりあるまい

とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで  まゝにするのが神のりいふく          二 32
とうじんが にほんの地い(地へ)入り込んで  侭にするのが神の立腹

たん/\とにほんたすけるもよふだて  とふじん神のまゝにするなり      二 33
段々とにほん救ける模様立て                 とうじん神の侭にするなり

このさきハからとにほんをハけるてな  これハかりたらせかいをさまる  二 34
この先は からにほんを分けるでな     これ分かりたら世界治まる

【註】「おふでさき註釈(教会本部)」においては

にほんとは、創造期に親神様が、この世人間をお創(はじ)めになった、ぢばのある所。従って、この度まず、この教えをお説き下さる所、世界たすけの親里のある所を言い
    からとは、創造期に人間が渡って行った所、従って、この度この教えを、次に普及さるべき所を言う。従って
    にほんのものとは、最初に親神様に生み下ろされたる者。従って、この度この教えを、まず聞かしていただく者、親神様の真意を悟った者を言い
    とふじんとは、つづいて生み下された者。従って、このたび次に、この教えを説き聞かしていただく者、まだ親神様の教えを知らぬ者を言う」

と説明されています。
    しかしながら私は、この註釈に「最初から区別があったり、差別を容認するような要素」を感じずにはおれません。

    かたや、芹沢茂氏の「風の心  私のおふでさき入門」には

31   これからはからにほんの話する  何を言うとも分かりあるまい

    唐(から)と日本(にほん)という言葉は、躓(つまず)きの言葉ではないか。この世を創(つく)り、この世を救けようとされる神様が、日本とか唐(外国)とか言うのは、差別ではないか。
    これは一体、どのように理解すればよいか。
 
〝言葉に拘(こだわ)ることは大切なこと です。言葉によって分かり合うということは、まず言葉の意味をよく理解して、言葉の奥にある言葉、「心を悟る」ということ。
    一つの言葉には、たくさんの意味があります。「から」という言葉にも、深い意味が隠されています。それを考えていかなければ、何も分からなくなってしまう。〟
        
32  とうじんにほんの地へ入り込んで  侭(まま)にするのが神の立腹
33  だんだんとにほん救ける模様立て  とうじん神の侭にするなり

「とうじん」は外国人、「にほん」は日本の国ということは、幕末・明治の人には すぐに分かったはずである。それなのに「何を言うとも分かりあるまい」と言われるのには、どんな意味があるのか。

〝日本の国が、鎖国から開国へと移り変わった激動の時代に生きた人々が、この言葉をそのように理解したのも正しい。
    また、おや様(教祖)のお話を聞いた人々が、言葉や話が通じないことを「唐人(とうじん)の寝言」と言ったように、神の話を聞く者を「にほん」、聞いていない者を「とうじん」と理解するのも正しい。

    正に、正しいということは、一つだけではありません。
「から」とは空(から)っぽ。殻(から)。実(身)のないこと。
    昔、天保の飢饉(てんぽうのききん)には、稲(いね)は穂(ほ)をつけても、穂についた籾(もみ)の中に実がのっていない。実りがなかった。
    賑わう街の中では、実用にならない唐物(からもの)が、もてはやされた。上辺(うわべ)は煌(きら)びやかでも、中には何も入っていない。そういう人が、口が上手(うま)くて威張っていた。

    そういう人々の心を変えねばなりません。 
「にほん」とは、手が二本、足が二本。言葉をよく理解して、手足によって実行すること。

    実行することを、実(じつ)とも言うでしょう。 から(空・殻)中に、み( 実) 入れていくこと。

    から(空・殻)が悪いわけではなく、み(実)が入っていないことが悪いのです。教えでも、心の誠を尽くして実践する時はじめて、教えによって良い人生の実りが得られます。どうしたら実りのある暮らしになれるか。神は、それを教えたい、分からせたいと言われる。

「から」と「にほん」をわけるとは、そういうことです。〟

【参考】
いね(稲)の、みおさしんじん(信心)
〔静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛 教話抄〕より 
みおさしんじん   実の入っていない籾(もみ)。すなわち未成熟な信心の意味か。これに対して穀類などが実ることを「実入り」と言う。

本文
34  この先はからにほんを分けるでな  これ分かりたら世界治まる

    確かに教えを実践するという人は多いが、煌(きら)びやかな教理だけを実践するのでは、「から」と言われても仕方がない。教理の教える、心の実践によってこそ実りがある。その通りだと思う。
〝「から」と「にほん」は、まだまだ深い意味があります。今はこのように理解しておけば、次第に理解を深めていくことができるでしょう。〟
〔芹澤茂  風の心 私のおふでさき入門 第2号〕より

と、非常に興味深い解釈・解説をされています。


いままゝでハ上たる心ハからいで  せかいなみやとをもていたなり         二 35
今迄は 上たる心 分からいで           世界並みやと思ていたなり

これからハ神がたいない入こんで  心すみやかわけてみせるで                二 36   
これからは神が体内入り込んで     心澄みやか分けて見せるで

にち/\によりくる人にことハりを  ゆへばだん/\なをもまあすで     二 37
日々に寄り来る人に「ことわり」を  言えば段々尚も〈信仰者が〉増すで
【註】
    通説として各書とも「断り」と解釈しているが、この第2号は、明治2年3月から執筆されたもので、慶応3年7月23日、吉田神祇管領家より公許認可されたが、明治維新によって公認は廃止に。ただ神祇管領の正式な廃止は明治3年ですから、この明治2年はまだ、さほど寺社からの妨害もなく、比較的自由に参詣、寄進できていたはずです。 慶応3年記載の「御神前名記帳」には、この頃の記録として、大和150余ヵ村、山城3ヶ村、河内1ヶ所、大阪3ヶ所、阿波国1ヶ所の地名 が記載されている(高野友治 天理教史参考年表 参照)。また「辰年大寶恵」には当時、 相当な賽銭(さいせん/金銭でのお供え)があったと記されている(教祖とその時代 天理教史の周辺を読む 参照)。つまり参詣や寄進を「断る」理由は見当たらないのです。
    そして解釈に戻ると、大正5年発行の「評注御筆先」には、
「この頃はまだ本当に警察の干渉が厳しくはなかった。本当に厳しくなったのは明治七年頃からである。これはすなわち、その予言である」(現代用字変換)
と記されています。
    つまり「大和神社のふしによって、貼紙してでも、参詣や寄進を断らねばならない日がくる」との「予言」だというのです。この「予言説」が正しければ「断り」。

    文面をそのまま素直に受け取って「教理を伝えれば」という意味であれば「(ことわり)」という解釈になります。
    
いかほどのをふくの人がきたるとも  なにもあんぢな神のひきうけ         二 38
如何程の多くの人が来たるとも         何も案じな神の引き受け

めつらしいこのよはじめのかんろたい  これがにほんのをさまりとなる  二 39
珍しい この世創めの甘露台                   これがにほんの治まりとなる

高山に火と水とがみえてある  たれがめへにもこれがみへんか                 二 40
高山に火と水とが見えてある  誰が眼にも これが見えんか

【参考】
『このよう(世)の火と水とは一の神  風より外(ほか)に神はないぞや』
〔高井家資料 六頁 文書類〕より 【註】おふでさき号外の類と思われます。

『火は火や、水は水や。何でもないと思うていては違う。火と水とは一の神。無くてはならんものの一つ。間違うたら、どうにもこうにも人間の力で防げん。ここをよう思案せよ。
    さあ、そうなってきたら、いかな強欲でも悪気者でも、そんな事どころではない。何もかも忘れて、まず第一に手を合わすやろ。さあ手を合わしたら何と言う。ナムという言葉が先へ出るやろがな。ナムは親々(くにとこたちのみこと・をもたりのみこと)やで。
    いかな大水も、大火事も、大風も、皆これ親の意見やから、知らず知らず親を呼び出して頼むというは、仏法というものを、人間の心やわらげるために教えておいたのやで』と仰いました。
〔諸井政一集  後篇  御講話傍聴録 二〕より  (現代用字変換)

たん/\といかなはなしもといてある  たしかな事がみゑてあるから      二 41
段々と如何な話も説いてある                 確かな事が見えてあるから

しやハせをよきよふにとてじうぶんに  みについてくるこれをたのしめ  二 42
幸せを良きようにとて十分に                 身に付いてくる これを楽しめ

なにもかもごふよくつくしそのゆへハ  神のりいふくみへてくるぞや      二 43
何もかも強欲尽くし その上は                神の立腹 見えてくるぞや

たん/\と十五日よりみゑかける  善とあくとハみなあらハれる             二 44
段々と十五日より見えかける         善と悪とは皆あらわれる

このはなしとこの事ともゆハんてな  みへてきたればみなとくしんせ      二 45
この話どこの事とも言わんでな         見えてきたれば みな得心せ
(この一件は他所事、他人事でないから、見えてくる神の守護をよく思案して、納得承知するように)

    実はここ(43〜45首)に、「からとうじん」は何を指して仰っているかの「雛型(ひながた)」が説かれています。

   おふでさき註釈  註 

    以上三首に関する史料としては、明治五年(誤植と思われる。正しくは明治二年)大和国東若井村の松尾市兵衛の話が伝えられている。
    市兵衛はお道に非常に熱心で、立教(誤植。正しくは入信)当初は高弟の一人として教えの取り次ぎに尽瘁(じんすい)していたが、理屈っぽくて気の強い人であったから、肝心自分の事になると、親神様のお諭しを、素直にそのまま受け容れる事ができなかったので、親神様からお手入れをいただいていた。その長男は、盆の十五日にお迎え取りになった。
〔おふでさき付註釈 三十四頁〕

    若江(若井)へ御出張   (現代用字変換)

    しかるに〈明治二年〉五月の半ばより、松尾市兵衛様のご子息が、身上大いにお障りでござりまして、追々大層になりますところから、教祖にお願いになりますと、お出張(でば)り下さる事になりまして、六月差し入りに、三十八日ご絶食のお身体をもって、いささかお疲れのご様子もなく、快くお出張りになりましたと申すことでござります。世並みの者でありましたら、いかがでござりましょう。いかな剛的(屈強な人)でも到底動く事も出来ますまい。実に恐れ入った事でござります。

    この時お伴致されたお方は、只今の本席(飯降伊蔵)様、辻〈忠作〉様、それから仲田佐右衛門様に、西田伊三郎様と四名で、ほかに小寒(こかん)様も、ご随行あそばされたそうでござりますが、教祖お出張りになりまして四、五日のあいだ、だんだんお話もあり、お諭しも下されましたが、速やかというところへ参りませんで、五日目の夕方になりますと、小寒様に〈神様の〉お降りあって仰せられるには
『あっけん明王がお越してあるのに、こもとに。高慢強い。すぐと〈教祖御一行を〉送り返やせ』
と厳しきお諭しでござりましたので、そこで、何はともかくも『すぐ返やせ』とのお言葉であるから、すぐさま駕籠(かご)を雇うて教祖に召して(お乗り)頂き、一同お伴して、夜にかけてお帰りになりましたそうでございます。
【註】・あっけん明王については、次項にて説明します。
           ・伝えられる中で数少ない、こかん様経由の「おさしづ」の一つです。

    この『高慢強い』と仰せられるところは、実に恐れ入った次第でござりまして、気の毒なことには市兵衛様のご子息は、その後だんだん身上悪しくなりまして、七月盆の十五日にお迎え取りになりましたそうでござります。
〔諸井政一集 前篇  道すがら 外篇 一  若江へ御出張〕

    戸板にのせて  (現代用字変換)

    市兵衛様の息子は、段々身上悪しくして、七月の中頃にお屋敷へ参詣したりしが、ますます迫り危うくなりたるより、七月十四日の夜、戸板にのせて送り返し、その翌十五日には、ついに出直しとなりたり。

〔諸井政一 正文遺韻  御筆先釈義 第二号〕より

    ふでさき  二 35の(かみ)、40の高山(たかやま)に続き、43-45を挟んで、ここにも 高山が登場します。

高山のにほんのものととふぢんと  わけるもよふもこれもはしらや          二 46 
高山の にほんの者と とうじんと    分ける模様も これも柱や

とふじんとにほんのものとハけるのハ  火と水とをいれてハけるで          二 47 
とうじんと にほんの者と分けるのは    火と水とを入れて分けるで 

【参考】
大社、高山とりはらひ(取り払い)、心の高山とりはらひ、心のたかびく(高低)ないやう(無いよう)に、心ろくぢに、ふみならす(踏み均す)、神のおもわく(思惑)
〔諸井政一集 後篇  御講話傍聴録 三〕より

    つまり、ここで仰る(かみ)、高山とは、当時の教祖のお側に居られた「お道の指導的立場の方々」を指しているのです。
    その中にいる、にほんの者と〈からの〉とうじんを、これから元のぢば(天理王命)の証拠に建立するはしら(柱/甘露台)、一の神親々である、(をもたりのみこと)と、(くにとこたちのみこと)の守護をもって悪  (ほこり) を仕分けて見せるから、その神の守護を見て、よく思案して納得承知するように。と仰るのです。

     そして有名なおふでさきですが

十人のなかに三人かたうでわ  火水風ともしりそくとしれ   六 21
十人の中に三人片腕は             火水風とも退くと知れ

註   かたうでは、片腕の意。
    東若井の松尾市兵衛、竜田の乾勘兵衛、大西の北野勘兵衛の出直しを見て、当時の人々は、このお歌に思い当たったという。
〔おふでさき註釈 六 21〕

   松尾市兵衛先生は、明治12年1月17日、45才でお出直しになったので、その四年ほど前に、この予言がなされていた事になります。
    また高井猶吉先生は、松尾市兵衛先生のお出直しについて以下のように述懐されています。

    しっかりしいや  (現代用字変換)

   中には疑うたり、我(が)を出したりして、たくさんに通り損ねている。
〈誰かが教祖に〉何か尋ねに来ると
「市兵衛という〈教祖の〉名代は、ここにいる」
と言うて、辻〈忠作〉さんや仲田〈儀三郎〉さんを下に置いて
「自分が先に」
そんなこと言うた。その時、教祖は
『市兵衛さん、しっかりしいや/\/\』
なんべんも、肩を叩いて仰った。教祖は
『そんな心ではいかんから、しっかりせよ』
と仰る。〈なのに〉それをまだ
「『しっかりせよ』と言うてもろうた。褒めてもろうた」
ように思うている。
    悟り違いやなあ、まもなく出直したがなあ。我(が)を出したらいかんなあ。人間思案は我(が)や。神様に凭(もた)れにゃ、何もできんで。

〔高井家資料  33-34頁  当時の附近の有様  神の自由用〕より

おふでさき 二 43」中強欲 と、
若江へ御張」文中の「 高慢強い
    註釈の「理屈っぽくて気の強い人であったから、肝心自分の事になると、親神様のお諭しを、素直にそのまま受け容れる事ができなかったという記述から、
    からとうじんとは

強欲で、高慢が強く、素直に神のお諭しを聞き入れる事のできない人
という事が言えましょう。

    最後に御神言で、これについて共々に、よく思案させて頂きましょう。

教祖子供中に、よく聞き分け、聞き分けのできん者あったやろう。‥その中に理の治まらん者は、ほこりの屋形(館)と残し置いたる。
おさしづ 明治40.4.10 午後五時半

そこで真実心定め、また心澄ますよう。この心澄ますのは、嘘と追従 言わんよう。また、欲に高慢ないように。これさいか弁(わきま)えたなら、心澄んである。
教祖様御言葉 明治18.4.18「根のある花・山田伊八郎」所収

嘘、追従、言わんよう。欲に高慢ないよう。人を悪う言わんよう、思わんよう。ただ立て合い、たすけあい。この心、月日が受け取りたなら、百五十歳か、二百歳か、三百歳まで、病まず死なずに弱らずに、いつも十八歳の心にて、陽気ぐらしをさしたいとの神の急き込み。
教祖様御言葉 明治18.7.19「根のある花・山田伊八郎」所収

最終見直し 2015.12.28  21:40

    おふでさきにみる「

【註】人間の「ほこり・罪・悪」に対しての、神の「残念意見立腹」、その結果としての「返やし・退く・我が身止まる」など も含みます。

やまいとてせかいなみでハないほどに  神のりいふくいまぞあらハす        一 25
病とて世界並みではない程に                神の立腹 今ぞ あらわす

こらほどの神のざんねんでてるから  いしやもくすりもこれハかなハん     一 27
こら程(これ程)の神の残念出てるから  医者も薬も これは敵わん

これまでのざんねんなるハなにの事  あしのちんばが一のさんねん            一 31
これ迄の残念なるは何の事                 足の跛が一の残念

このあしハやまいとゆうているけれど  やまいでハない神のりいふく        一 32
この足は病と言うているけれど             病ではない神の立腹

りいふくも一寸の事でハないほどに  つもりかさなりゆへの事なり            一 33
立腹も ちょっとの事ではない程に     積もり重なり故の事なり

りいふくもなにゆへなるどゆうならハ  あくじがのかんゆへの事なり        一 34
立腹も何故なると言うならば                 悪事が退かん故の事なり

このあくじすきやかのけん事にてハ  ふしんのしやまになるとこそしれ    一 35
この悪事 すきやか退けん事にては     普請の邪魔になるとこそ知れ

このあくじなんぼしぶといものやどて  神がせめきりのけてみせるで        一 36
この悪事 なんぼしぶといものやとて     神が責めきり退けて見せるで

このあくじすきやかのけた事ならバ  あしのちんばもすきやかとなる        一 37
この悪事すきやか退けたことならば  足の跛も すきやかとなる

よろづよにせかいのところみハたせど  あしきのものハさらにないぞや     一 52
万代に世界のところ見渡せど                悪しきの者は更にないぞや

一れつにあしきとゆうてないけれど  一寸のほこりがついたゆへなり        一 53
一れつに悪しきというてないけれど  ちょと(ちょっと)の埃が付いた故なり

だん/\と神のゆふ事きいてくれ  あしきのことハさらにゆハんで            一 59
段々と神の言うこと聞いてくれ      悪しきのことは更に言わんで

これからハ心しいかりいれかへよ  あくじはろふてハかきによほふ            一 65
これからは心しっかり入れ替えよ  悪事払うて若き女房

このよふハあくしまじりであるからに  いんねんつける事ハいかんで        一 62
この世は悪事混じりであるからに          因縁付けることはいかんで

    上記の十四首は、主に教祖のご長男である、秀司(善右衛門)様の件を台としてお諭し下されている雛型(ひながた)です。これについては後ほど詳しく特集します。

せかいぢうとこがあしきやいたみしよ  神のみちをせてびきしらすに        二 22
世界中どこが悪しきや痛み所                 神の道教え 手引き 知らずに

とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで  まゝにするのが神のりいふく            二 32
とうじんが にほんの地い(地へ)入り込んで  侭にするのが神の立腹

   この「とふぢん」と「にほん」についても、後に詳しく説明します。

なにもかもごふよくつくしそのゆへハ  神のりいふくみへてくるぞや        二 43
何もかも強欲尽くし その上は                神の立腹 見えてくるぞや

たん/\と十五日よりみゑかける  善とあくとハみなあらハれる               二 44
だんだんと十五日より見えかける  善と悪とは皆あらわれる

    この、おふでさき第二号43/44首は、松尾市兵衛先生親子の件を台としてお諭し下されている雛型です。これについても後ほど詳しく特集します。

高山のしんのはしらハとふぢんや   これが大一神のりいふく                     三 57
高山の芯の柱はとうじんや              これが第一 神の立腹

上たるハだん/\せかいまゝにする  神のざんねんなんとをもうぞ           三 58
上たるは段々 世界ままにする            神の残念 何と思うぞ

なにもかもたすけ一ぢよとめるなら  神のさんねんみにさハりつく           三 78
何もかも たすけ一条止めるなら        神の残念 身に障り付く

いまゝでハからがにほんをまゝにした  神のざんねんなんとしよやら       三 86
今迄は からにほんを侭にした        神の残念 何としよやら

「から」と「にほん」についても後に詳しく説明します。

上たるハせかいぢううをままにする  神のざんねんこれをしらんか          三 121
上たるは世界中を侭にする                 神の残念これを知らんか

にち/\によふぼくにてわていりする  どこがあしきとさらにをもうな   三 131
日々に用木にては手入り(手入れ)する   どこが悪しきと更に思うな

しやんせよやまいとゆうてさらになし  神のみちをせいけんなるぞや      三 138
思案せよ病と言うて更に無し                神の道教え意見なるぞや

これさいかはやくわかりた事ならば  神のざんねんはれる事なり               四 34
これさいか早く分かりた事ならば      神の残念晴れる事なり

しんぢつの神のざんねんはれたなら  せかいの心みないさみでる               四 35
真実の神の残念晴れたなら                 世界の心みな勇み出る

たん/\とふでにしらしてあるけれど  さとりないのが神のざんねん        四 47
段々と筆に知らしてあるけれど             悟り無いのが神の残念

いまゝでハにほんがからにしたごふて  まゝにしられた神のざんねん      四 128
今迄はにほんからに従うて                侭にしられた(されてきた)神の残念

このかやし神のはたらきこれをみよ  いかなものでもまねわでけまい      四 129
この返やし神の働き これを見よ         如何な者でも真似は出来まい

いかほどのごふてきたるとゆうたとて  神がしりぞくこれかないまい      四 130
如何程の剛的(剛の者)たるというたとて  神が退く これ敵いまい

このよふハいかほどハがみをもふても  神のりいふくこれハかなハん          五 3
この世は如何ほど我が身 思うても        神の立腹これは敵わん

これをみていかなものでもとくしんせ  善とあくとをわけてみせるで          五 6
これを見て如何な者でも得心せ             善と悪とを分けて見せるで

    この第五号6首前後のおうたについても、後ほど詳しく説明します。

このさハりてびきいけんもりいふくも  みなめへ/\にしやんしてみよ     五 20
この障り 手引き意見も立腹も               みな銘々に思案してみよ

どのよふにいけんりいふくゆうたとて  これたすけんとさらにゆハんで     五 22
どのように意見立腹言うたとて             これ救けんと更に言わんで

にんけんのハがこのいけんをもてみよ  はらのたつのもかハいゆへから     五 23
人間の我が子の意見 思てみよ               腹の立つのも可愛い故から

はたらきもいかなる事とをもうかな  心うけとりしだいかやしを                五 50
働きも如何なる事と思うかな             心受け取り次第 返やしを

このかやしなにの事やとをもうかな  みちのりせんりへだてありても         五 51
この返やし何の事やと思うかな          道のり千里 隔てありても

この事ハなにをゆうてもをもふても  うけとりしだいすぐにかやしを         五 52
この事は何を言うても思うても         受け取り次第 直ぐに返やしを

このかやしなんの事やとをもうなよ  せんあくともにみなかやすてな         五 53
この返やし何の事やと思うなよ         善悪共に みな返やすでな

よき事をゆうてもあしきをもふても  そのまゝすくにかやす事なり            五 54
善き事を言うても悪しき思うても     そのまま直ぐに返やす事なり

そのまゝにかやしとゆうハこの事や  神がしりぞくみなしよちせよ            五 88
そのままに返やしと言うは この事や  神が退く みな承知せよ

十人のなかに三人かたうでわ  火水風ともしりそくとしれ                          六 21
十人の中に三人 片腕は            火水風とも退くと知れ

月日よりつけたなまいをとりはらい  このさんねんをなんとをもうぞ        六 70
月日(親神)より付けた名前を取り払い  この残念を何と思うぞ

しんぢつの月日りいふくさんねんわ  よいなる事でないとをもゑよ            六 71
真実の月日立腹残念は                        容易なる事でないと思えよ

これからハ月日の心ざんねんを  はらするもよふばかりするそや               六 75
これからは月日の心残念を         晴らする模様ばかりするぞや

いまゝでも月日さんねん山/\に  つもりてあるをかやしするぞや            六 77
今迄も月日残念やまやまに             積もりてあるを返やしするぞや

いまゝでもかやしとゆうてといたれど  なんの事やとをもていたなり        六 78
今迄も返やしと言うて説いたれど         何の事やと思ていたなり

しんぢつにかやしとゆうハこの事や  高山ハみなしよちしていよ               六 79
真実に返やしと言うは この事や        高山は皆 承知していよ

このみちをしりたるものハさらになし  月日ざんねんなんとをもうぞ        六 86
この道を知りたる者は更になし             月日残念何と思うぞ

こらほどにをもてはじめたこのせかい  月日の心なんとざんねん               六 87
こら程(これ程)に思て初めた この世界  月日の心何と残念

この月日大一これがさんねんな  どんなかやしをするやしれんで               六 90
この月日 第一これが残念な        どんな返やしをするや知れんで

このせかい山ぐゑなそもかみなりも  ぢしんをふかぜ月日りいふく            六 91
この世界 山ぐえ(山崩れ)なぞも雷も   地震 大風 月日立腹

月日よりしんぢつ心みさだめて  うけとりしたいかやしするなり               六 98
月日より真実心 見定めて            受け取り次第 返やしするなり   

これからハよき事してもあしきでも  そのまゝすぐにかやしするなり       六 100
これからは善き事しても悪しきでも  そのまま直ぐに返やしするなり

このたびハなにか月日のさんねんを  つもりあるからみなゆうてをく       六 113
この度は何か月日の残念を                 積もりあるから皆言うておく

このところたすけ一ぢよとめられて  なんてもかやしせすにいられん       六 114
この所 たすけ一条止められて            何でも返やしせずに居られん

このかやしたいしや高山とりはらい  みな一れつハしよちしていよ          六 115
この返やし 大社高山取り払い            みな一れつは承知していよ

この事ハたれでもしらぬ事やから  むねがわからん月日さんねん                七 44
この事は誰でも知らぬ事やから      胸が分からん月日残念

これからハ月日でばりをするほどに  どんな事でもかやしゝてやる            七 59
これからは月日出張りをする程に      どんな事でも返やししてやる

月日よりこれまでなるのさんねんわ  山/\つもりかさなりてある            七 60
月日より これ迄なるの残念は            やまやま積もり重なりてある

いかほどにざんねんつもりあるとても  どふせこふせわゆうでないそや     七 61
如何程に残念積もりあるとても            どうせこうせは言うでないぞや

月日よりなにもみちすじきいたなら  このざんねんハむりであるまい        七 91
月日より何も(何もかも)道筋聞いたなら  この残念は無理であるまい〈という事が分かるであろう〉

にち/\に月日さんねん山/\と  つもりてあるをはらしたいから              八 1
日々に月日残念やまやまと             積もりてあるを晴らしたいから

そのところさしとめられてさんねんな  まだそのゝちハとりはらいまで       八 5
そのところ差し止められて残念な         またその後は取り払いまで

それゆへにたすけづとめがでけんから  月日の心なんとさんねん                  八 6
それ故に たすけづとめが出来んから     月日の心なんと残念

月日よりみなそれ/\とみさだめて  善とあくとをみハけするぞや            八 52
月日より皆それぞれと見定めて         善と悪とを見分けするぞや

月日よりなんでこのよにくどいなら  あしきみへるがきのどくなから         八 53
月日より何でこの様にくどいなら      悪しき見えるが気の毒なから(だから)

かみなりもぢしんをふかぜ水つきも  これわ月日のざねんりいふく            八 58
雷も地震 大風 水漬き(水害)も            これは月日の残念立腹

そばなるにいかほど月日たのんでも  きゝわけがないなんとさんねん         九 41
側なるに如何ほど月日頼んでも          聞き分けがない何と残念

月日よりさしずばかりでした事を  これとめたならハがみとまるで             九 50
月日より指図ばかりでした事を     これ止めたなら我が身止まるで

いまゝでハからやとゆうてはびかりて  まゝにしていたこんどかやしを     十 12
今迄は からやと言うて はびかりて(蔓延って)  侭にしていた今度返やしを

それしらずなんとをもふて上たるハ  むねがわからん月日さんねん            十 90
それ知らず何と思うて上たるは          胸が分からん月日残念

このたびの月日のしごとしかときけ  あしきのよふな事わせんぞや         十一 51
この度の月日の仕事しかと聞け         悪しきのような事はせんぞや

いまゝでわ神のさんねん山/\と  むねにほこりがつもりあれども           十二 3
今迄は神の残念やまやまと             胸に埃が積もりあれども

けふの日ハいかほとわがみはびかりて  まゝにしたとて月日しりぞく       十二 6
今日の日は如何程 我が身はびかりて     侭にしたとて月日退く

それゆへにせかいぢううをとこまても  ことハりてをく月日しりぞく     十二 13
それ故に世界中をどこまでも                 断りておく月日退く

今日の月日の心さんねんわ  よいなる事てないとをもゑよ                       十二 22
今日(こんにち)の月日の心残念は  容易なる事でないと思えよ

いまゝでもなにか月日のさんねんを  たいていくどきつめてあれども     十二 25
今迄も何か月日の残念を                     大抵 口説き詰めてあれども

せかいにハたれかしりたるものハなし  月日の心ざんねんをみよ            十二 26
世界には誰か知りたる者は無し             月日の心残念を見よ

これからのあとなるはなし山/\の  神のをもわくゑらい事やで            十二 49
これからの後なる話やまやまの         神の思惑えらい事やで

月日にわだん/\心ざんねんを  どんな事てもみなはらすでな                十二 63
月日には段々心残念を                 どんな事でも みな晴らすでな

こればかりうらみあるならとのよふな  事も月日かみなかやすてな         十二 69
こればかり裏見(疑って見る)あるなら どのような  事も月日が みな返やすでな

このさきのみちをたのしめ一れつわ  神のさんねんはらしたるなら         十二 72
この先の道を楽しめ一れつは             神の残念晴らしたるなら

なんどきにとのよな事をきいたとて  これハ月日のざねんりいふく         十二 87
何時に どの様な事を聞いたとて        これは月日の残念立腹

その事をたれでもしらぬ事やから  わかりないのが神のさんねん           十二 108
その事を誰でも知らぬ事やから      分かりないのが神の残念

月日にハうそとついしよこれきらい  このさきなるわ月日しりぞく        十二 113
月日には嘘と追従これ嫌い                 この先なるは月日退く

このためしまこと月日のさんねんわ  よいなる事でないとをもゑよ        十二 117
この試し誠月日の残念は                     容易なる事でないと思えよ

いまゝでのこのさんねんとゆうものわ  くちでゆうよな事でないぞや    十二 126
今迄の この残念と言うものは                口で言うよな事でないぞや

いまゝでハ山/\さねんとふりぬけ  このたびこれをはらしたるなら    十二 127
今迄は やまやま残念 通り抜け           この度これを晴らしたるなら

こればかりいかほどたれがそふたんも  とてもかなハん月日しりぞく    十二 135
こればかり如何程 誰が相談も                とても敵わん月日退く

このたびハほんしんぢつであるからに  これそむいたらすぐにかやすで 十二 154
この度は本真実であるからに                 これ背いたら直ぐに返やすで

月日よりゆうたる事をけすならば  すぐにしりぞくしよちしていよ          十三 14
月日より言うたる事を消すならば   直ぐに退く承知していよ

月日にハ大一これがざんねんな  なんとこれをばすましたるなら             十三 16
月日には第一これが残念な          何とこれをば澄ましたるなら

この心どふしたならばわかるやら  なんてもいけんせね〈ば〉ならんで  十三 17
この心どうしたならば分かるやら  何でも意見せねばならんで

いけんでも一寸の人でわないからに  をふくのむねがこれわむつかし      十三 18
意見でも ちょっとの人ではないからに  多くの胸が これは難し

いかほどにむつかし事とゆうたとて  めへ/\のこどもいけんするぞや  十三 19
如何ほどに難し事と言うたとて         銘々の子供 意見するぞや

このもよふどふしたならばよかろふぞ  なんでも神のさねんあらわす      十三 20
この模様どうしたならば よかろうぞ     何でも神の残念あらわす

にんけんも一れつこともかハいかろ  神のさんねんこれをもてくれ         十三 27
人間も一れつ子供可愛いかろ             神の残念これ思てくれ

このたびの月日ざねんとゆうものわ  よいなる事でないとをもゑよ         十三 32
この度の月日残念というものは          容易なる事でないと思えよ

このさきハ月日のざねんりいふくを  みなはらすでなこれがしよちか      十三 35
この先は月日の残念立腹を                 みな晴らすでな これが承知か

月日にもざねんりいふくはらしたら  あとハめづらしみちをつけるで      十三 36
月日にも残念立腹 晴らしたら            後は珍し道を付けるで

はたらきもどふゆう事にをもうかな  善とあくとをわけるばかりや         十三 40
働きも どういう事に思うかな            善と悪とを分けるばかりや

けふまでわどんなあくじとゆうたとて  わがみにしりたものハあるまい  十三 41
今日までは どんな悪事と言うたとて     我が身に知りた者はあるまい

このもとをしりたるものハないのでな  それが月日のざねんばかりや     十三 44
この元を知りたる者はないのでな         それが月日の残念ばかりや

此たびハなにをゆうてもうたがうな  これうたがへば月日しりぞく        十三 63
この度は何を言うても疑うな             これ疑えば月日退く

月日にハ大一これがざんねんな  なんでもこれをしかときめるで            十三 67
月日には第一これが残念な         何でもこれを しかと決めるで

月日にハこらほどくどきつめるから  心ちがゑばすぐにしりぞく            十三 70
月日には こら(これ)程 口説き詰めるから  心違えば直ぐに退く

それゆえに月日のざねんりいふくが  山/\つもりかさなりてある       十三 105
それ故に月日の残念立腹が                やまやま積もり重なりてある

このさきわなにをゆうてもとのよふな  事でもあしき事わゆハんで        十三 111
この先は何を言うても どのような        事でも 悪しき事は言わんで

しんぢつのたすけばかりをせくからに  そこでたん/\いけんしたのや 十三 112
真実のたすけばかりを急くからに         そこで段々 意見したのや

月日にわ大一これがさんねんな  そこでどのよな事もするのや                   十四 5
月日には第一これが残念な         そこでどの様な事もするのや

月日にハこのざんねんとゆうものわ  くちでゆうよな事でないぞや            十四 8
月日には この残念と言うものは         口で言う様な事でないぞや

月日にハ大一これがさんねんな  なんでもこれをしかとあらわす              十四 12 
月日には第一これが残念な         何でもこれをしかとあらわす

いまゝでに月日ざんねん山/\と  つもりてあるをみなはらすでな          十四 17
今迄に月日残念やまやまと             積もりてあるを みな晴らすでな

せかいにハこれらとゆうているけれど  月日さんねんしらす事なり           十四 22
世界にはコレラと言うているけれど      月日残念知らす事なり

月日よりよふきづくめとゆうのをな  これとめたならさねんゑろなる       十四 27
月日より陽気尽めというのをな         これ止めたなら残念えろなる(大変な事になる)

これからハをやがかハりてまゝにする  これそむいたらすぐにかやすで    十四 31
これからは親(親神)が替わりて侭にする  これ背いたら直ぐに返やすで

けふまてもをやのさねんとゆうものわ  一寸の事でわないとをもゑよ       十四 32
今日迄も親(親神)の残念というものは   ちょっとの事ではないと思えよ

それしらすみなせかいぢうハ一れつに  なんとあしきのよふにをもふて    十四 36
それ知らず みな世界中は一れつに        何と悪しきのように思うて

なにもかもをやのさんねんよくをもへ  こ共ばかりにいけんしられて      十四 37
何もかも親(親神)の残念よく思え           子供ばかりに意見しられて(意見をされて)

これからわどんなところのいけんでも  をやがでゝいるうける事なし      十四 38
これからは どんな所の意見でも            親(親神)が出ている受ける事なし

このいけんとのよなものがはひかりて  ゆふとをもゑばすぐにしりぞく  十四 39
この意見どの様な者がはびかりて(はびこって)言うと思えば直ぐに退く

あすからハをやが一はなでるほどに  とんな事てもかやしゝてやる         十四 64
明日からは親(親神)がいちはな(真先に/先頭に)出る程に どんな事でも返やししてやる

このそふぢどふしてするとをもうかな  とんないけんをするやしれんで  十四 73
この掃除どうしてすると思うかな          どんな意見をするや知れんで

とのよふな事がありてもあんちなよ  なにかよろすはをやのいけんや      十四 74
どのような事がありても案じなよ      何か(何もかも)万は親(親神)の意見や

くちさきでなんぼしんぢつゆうたとて  きゝわけがないをやのさんねん  十四 75
口先で なんぼ真実言うたとて                聞き分けがない親(親神)の残念

とのよふなせつない事がありてもな  やまいでわないをやのさねんや      十四 77
どのような切ない事がありてもな      病ではない親(親神)の残念や

しんぢつのをやのさんねんでたならば  このをさめかたたれもしろまい  十四 79
真実の親(親神)の残念出たならば           この治め方 誰も知ろまい

どのよふな事をゆうやらしれんでな  これそむいたらすぐにしりぞく      十四 81
どのような事を言うやら知れんでな  これ背いたら直ぐに退く

いまゝでハ上にわなにもしらんから  さしとめはかりいけんしたれど      十四 87
今迄は上には何も知らんから             差し止めばかり意見したれど

このたびハどんなものでもかなハんで  ゆう心ならをやがしりぞく          十四 88
この度は どんな者でも敵わんで〈何か意見を〉言う心なら親(親神)が退く

もふけふわなんでもかてもゆうほどに  をやのざんねんこれをもてくれ    十五 2
もう今日は何でもかでも言う程に         親(親神)の残念これ思てくれ

けふまてハたいてさねんもいくたびも  ちいとしていた事であれども      十五 12
今日迄は大抵残念も幾度も                    ジッとしていた事であれども

さあけふハ月日のはらがはぢけたで  しかゑていたる事であれども          十五 13
さあ今日は月日の腹が弾けたで         しかえて(控えて)いたる事であれども

こらほどにさねんつもりてあるけれど  心しだいにみなたすけるで          十五 16
こら程(これ程)に残念積もりてあるけれど  心次第にみな救けるで

いかほどにさねんつもりてあるとても  ふんばりきりてはたらきをする   十五 17
如何程に残念積もりてあるとても         踏ん張り切りて働きをする

けふの日ハなにをゆうやらしれんでな  をやのざんねんみなあらわすで   十五 18
今日の日は何を言うやら知れんでな      親(親神)の残念みなあらわすで 

いまゝてのをやのざんねんしらしたさ  そこでこのたびみなしてみせる   十五 38
今迄の親(親神)の残念知らしたさ           そこでこの度みなして見せる

このたびのさねんくときのこのはなし  みな一れつわなんとをもてる      十五 40
この度の残念口説きのこの話                 みな一れつは何と思てる

このつとめどんなものでもしやんせよ  これとめたならわがみとまるで  十五 53
このつとめ どんな者でも思案せよ        これ止めたなら我が身止まるで

この事ハしいかりしよちせんならん  これとめたならすくにしりぞく      十五 56
この事は しっかり承知せんならん     これ止めたなら直ぐに退く

をやのめにさねんのものハなんときに  ゆめみたよふにちるやしれんで   十五 67
親(親神)の眼に残念の者は何時に           夢見たように散るや知れんで

なに事をたのんだとてもたれにても  きゝわけがないをやのさんねん      十五 76
何事を頼んだとても誰にても             聞き分けがない親(親神)の残念

このたびのざねんくときのこのはなし  とふぞしいかりきゝわけてくれ   十五 77
この度の残念口説きの この話               どうぞしっかり聞き分けてくれ

このはなし四十三ねんいせんから  むねのざんねんいまはらすでな          十五 81
この話 四十三年以前から                胸の残念 今晴らすでな

このたびのつとめ一ちよとめるなら  みよだいなりとすぐにしりぞく      十五 88
この度の つとめ一条 止めるなら       名代なりと直ぐに退く

それゆへにもふせへつうがきたるから  せひなくいまわかやしするぞや     十六 8
それ故に もう節(その時)が来たるから  是非無く(やむをえず)今は返やしするぞや

このかやし一寸の事とハをもうなよ  あゝちこゝちにをふくみゑるで         十六 9
この返やし ちょっとの事とは思うなよ  あっちこっちに多く見えるで

このたびのざねんとゆうわしんからや  これをはらするもよふないかよ   十六 14
この度の残念というは芯(心の底)からや  これを晴らする模様(手段)ないかよ

このことを神がしいかりひきうける  どんなかやしもするとをもゑよ       十六 15
この事を神がしっかり引き受ける      どんな返やしもすると思えよ

このかやしみへたるならばどこまでも  むねのそふぢがひとりでけるで   十六 16
この返やし見えたるならば どこまでも  胸の掃除が独り(ひとりでに)出来るで

けふの日わもふひがつんであるからな  とんな事でもすぐにかやすで       十六 18
今日の日は もう日が積んであるからな  どんな事でも直ぐに返やすで

このところとめる心でくるならば  そのまゝとこい月日でるやら              十六 19
この所 止める心で来るならば        そのまま どこへ月日出るやら

いかほどにくどいたとてもたれにても  きゝわけがないをやのさんねん   十六 49
如何ほどに口説いたとても誰にても      聞き分けがない親(親神)の残念

けふの日の神のさんねんりいふくわ  よいなる事でないとをもゑよ          十六 52
今日の日の 神の残念立腹は               容易なる事でないと思えよ

そのところなにもしらざる子共にな  たいことめられこのさねんみよ      十六 54
その処(それを)何も知らざる子供(人間)にな  太鼓止められ この残念見よ

このたびハこのかやしをばするほとに  みなとこまでもしよちしていよ  十六 55
この度は この返やしをばする程に         皆どこまでも承知していよ

この事ハなんの事やとをもている  神のざんねんはらす事やで                 十六 58
この事は何の事やと思ている         神の残念晴らす事やで

それしらすみなたれにてもたん/\と  なんどあしきのよふにをもふて  十六 66
それ知らず みな誰にても段々と            何と悪しきのように思うて

けふまでわとんな事でもゆハなんだ  ぢいとしていたこのさねんみよ      十六 68
今日迄は どんな事でも言わなんだ     ジッとしていた この残念見よ

いまゝでの月日ざねんとゆうものわ  なか/\一寸の事でないぞや          十七 21
今迄の月日残念というものは             なかなかちょっとの事でないぞや

いまゝでハとのよな事もきいていた  このたびこそわざねんはらすで      十七 25
今迄は どの様な事も聞いていた        この度こそは残念晴らすで

このはらしとふゆう事にをもうかな  なんどきどこでしりぞくやらな      十七 26
この晴らし どういう事に思うかな     何時どこで退くやらな

これまでのながいどふちうこのざねん  一寸の事でハないとをもゑよ      十七 27
これ迄の長い道中この残念                    ちょっとの事ではないと思えよ

これからハこのかやしをばするほとに  みな一れつハしよちしていよ      十七 28
これからは この返やしをばする程に     みな一れつは承知していよ

これからハ月日ざんねんでたならば  とのよな事があるやしれんで          十七 32
これからは月日残念出たならば         どの様な事があるや知れんで

けふの日ハどのよな事もつんできた  神のさんねんはらすみていよ          十七 33
今日の日は どの様な事も積んできた 神の残念晴らす見ていよ

それをばななにもしらさるこ共にな  とりはらハれたこのさねんわな      十七 38
それをばな 何も知らざる子供(人間)にな  取り払われた この残念はな

しかときけこのさきなるハとのよふな  かやしあるやらこれしれんでな   十七 39
しかと聞け この先なるは どのような    返やしあるやら これ知れんでな

月日よりこのざんねんとゆうのわな  なか/\一寸の事でないぞや          十七 40
月日より この残念というのはな        なかなかちょっとの事でないぞや

かやしても一寸の事とはをもうなよ  どんな事をば月日するやら              十七 41
返やしでも ちょっとの事とは思うなよ  どんな事をば月日するやら

このはなしなんとをもうぞみなのもの  神のざんねんゑらい事やで          十七 42
この話 何と思うぞ皆の者                       神の残念えらい(大変な)事やで

けふの日ハもふぢうふんにつんてきた  こくけんきたらすぐにかやすで  十七 45
今日の日は もう十分に積んできた        刻限来たら直ぐに返やすで

たすけでもあしきなをするまてやない  めづらしたすけをもているから  十七 52 
たすけでも悪しき直するまでやない      珍したすけ 思ているから

このみちハどふゆう事にをもうかな  月日ざんねんいちじよの事             十七 57
この道は どういう事に思うかな        月日残念一条の事

このざねんなにの事やとをもうかな  かんろふ大が一のざんねん             十七 58
この残念 何の事やと思うかな            甘露台が 一の残念

このざねん一寸の事でハないほどに  どんなかやしを月日するやら         十七 59
この残念ちょっとの事ではない程に  どんな返やしを月日するやら

月日にハどんなざねんがあるとても  いまゝでぢいとみゆるしていた     十七 64
月日には どんな残念があるとても     今迄ジッと見許していた

さあけふハ日もぢうふんにつんできた  なんてもかやしせずにいられん  十七 65
さあ今日は日も十分に積んできた         何でも返やしせずに居られん

このかやしなにの事やとをもている  神のさんねんばかりなるぞや         十七 66
この返やし何の事やと思ている         神の残念ばかりなるぞや

このざねん一寸の事とハをもふなよ  つもりかさなりゆへの事やで         十七 67
この残念ちょっとの事とは思うなよ  積もり重なり故の事やで

この心神のざんねんをもてくれ  どふむなんともゆうにゆハれん             十七 70
この心 神の残念思てくれ           どうむ(どうも)何とも言うに言われん


最終見直し 2015.12.18  21:35




    おさしづにみるほこり(埃)

あちらもこちらも、ほこり(埃)あっては、錦(にしき)の仕事場にならん。さあ、すっきりとしたる仕事場にするのやで。‥綾錦(あやにしき)の仕事場に仕立てる。
おさしづ 明治20.3.17

【註】ほこりとは

「罪や悪」と云(言)えば人が嫌がるから「ほこり」と云うておく。
   増野鼓雪全集二十一 111頁

と仰います。つまり「ほこり」とは「罪や悪」の事です。

罪口説(つみくぜつ)言うは、ほこり
おさしづ 明治20年4月 補遺
【註】罪口説 ー 他を不快にする、悪い、罪な言葉全般。悪口、陰口、粗探しをして嫌みを言う、讒訴・讒言(ざんそ・ざんげん/人をおとしいれようと事柄をでっち上げて言いふらす事)ほか。

めんめん(銘々)身上のところ、一度二度のところの障り(病傷)というものは、聞くや否、すぐと癒(なお)るは身の障り、すぐと癒らんは、ほこりである。
おさしづ 明治20.10.24 補遺

何ほどのこうのう(効能)尽す。それに身のところ不足でける(出来る)。知らんと思うものと、思う身の内かりもの(借物)と言うたところ、こうさしてもろた〈ら〉結構や、と思う心を神が受け取るから、身に不足なし。これ八つのほこりの道もあるところ、理を聞き分け。今まで知らん間というものは、そのまま。裕福に暮らす中にも、身に不自由となれば どうもなろうまい。‥それ誠一つであれば案じない。誠、天の理である。
おさしづ 明治20.12.4 補遺
【註】身の内かりもの ー 「人間の身体は神様からの借り物」である。

通る道、だんだんほこりや。ほこりという道も、どんな道もある。どんと一つのたんのう定め。たんのう(足納)というところの道、どんと心を定めるよう。
おさしづ 明治20年 補遺 5262頁

長くの心を持ちて、だんだん互いの心持ちて行けば、何一つのほこりもない。この道、天然自然の道やと思え。
おさしづ 明治21年

とんとどういうほこり、ほこりというものは、すうきり(すっきり)嫌いや。
おさしづ 明治21.10.29

人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何もかも分かる。そこで、たんのう(足納)という理を諭してやれ。もう一段。
おさしづ 明治21.7.4 補遺

人間というものは皆かりもの。この理を分からんや何にもならん。身のかりもの、八つのほこり、一時分からんやならんで。
おさしづ 明治21.7.24 補遺

人が障りがあれば、あれほこりやと言う。どうも情けない。日々の理が辛い。 
おさしづ 明治22.10.9

今一時、人を毀(こぼ)つで、ほこりが立つのやで。世上の道が狭くなる。人さえ毀たねば、〈人がその〉人のことを悪く言う事はない。人を毀つで、〈その人をみんなが〉あちらからこちらから眺める。あの者この者が、何でも実々の道を通るのに悪く言うたら、善き道とも、たすけ道とも言うまい。日々の道を通ろうと思うては、人を毀ったり悪く言うてはどうもならん。人を毀つで、なんぼ道を神が付けても、毀つから道を無いようにするのやで。  
おさしづ 明治23.2.6
【註】 ー 壊す。削る。この場合は、人権や個人の体面、名誉、精神面などを著しく毀損(きそん)すること。悪口・陰口、讒訴・讒言ほかの言動。


事情に一つの案じる事は要らん。ほこりいんねん、だんだんの理を諭す。 
おさしづ 明治23.5.10

これ一つの理を、聞いてほこり、見てほこりは、一つも要らん。 
おさしづ 明治23.6.30

人間心出そう、出すまい。なれどもほこりを聞かし、気兼ねをしたりしては、心胆(しんたん)神入り込む事ができん。【註】心胆 ー 魂。こころ。肝っ玉。
おさしづ 明治23.8.12
【参考】
一人限り、身の内いづむ(勇むの反意)人間も、埃の中に住んで居られやしよまい(住んでいられないであろう)。神も同じこと。神が、身の内に居るに居られんから、退いてしまうのや。
静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛  教話抄  心通りの守護  ほこりの中に神はいられん

いかなるもいんねん。ほこりもいんねん。難儀するもいんねん。暮らすもいんねん。それぞれのいんねん。‥いんねん事情、いんねん事情なら通らねばならん。 
おさしづ 明治24.5.20【註】ほこり(埃)を積む=悪いんねん(因縁)を積む、ということです。

聞けばみすみす、ちょっとにも一つの理に持たず、側(はた)の事、これ第一ほこり。だんだん遠くほど澄む、近くは濁る。どうも見ていられん。さあさあ、一つの尋ねさしづ事情は間違わん。めんめん(銘々)よりよう(寄り合う)心の理により間違うのや。気の悪いこと言うと思えば、そのままそう言え。いかなる事もみな見ているで。俺はそんなこと聞かん、と言えばそれまで。 
おさしづ 明治24.11.6

明らか明らか、すっきり掃除。掃除するには、話せねばならん。 
このくらい運び、これくらい尽しているのに掃除掃除、何でやろうと思う。よそ(他所)のほこりは見えて、内々のほこりが見えん。遠くは明らか、近くはうっとしい(鬱陶しい)。これ元が濁る。身の内かりもの/\と聞いた時だけ。一日経ち十日経ち、言うている間に二十日経ち、ついには忘れる。ちょっと箒(ほうき)を持って、掃除するようなもの。初めは少しの埃(ほこり)でも掃除する。なれども、もう箒は要らん、と言う。さあさあ積もる積もる。ごもく (ごみ/塵埃)はすっきり浚(さら)い、明らかなら、心に心配は要らん。
心配するというは、心に曇りあるから。今日の日は遊びに行く。天気といえば結構、あたゑ(与え)も十分といえば楽しみやろ。なれども、さあ出ようとすれば、あたゑは少なし、うっとしい風が吹く。さあ楽しみとなるか、よう聞き分け。可愛いから口説き話やで、しっかり聞き取れ。これ言えばどうやら、これ言えば、入りにくい、出にくい、というようでは真のきょうだいと言えるか。 
遠慮気兼(えんりょきがね)、人間の義理を病むは、一のほこり、悪気(あっき)とも言う。 さあ、すっきり掃除、明らかならば、どんな雨風でも怖わい恐ろしいは無い。すっきり掃除をして、心に錠前を下ろしておけ。遠慮気兼は要らん、すっきり要らん。遠慮気兼は、あってはどうもならん。遠慮気兼あっては、真のきょうだいと言えるか。互い互いの疑いは、神の理やない。‥すっきり掃除ができねば、寄る理は無い。‥そこで二度三度五度六度七度までは、もうであろうか、もうであろうかと見逃してある。すっきり掃除できんようでは、払うまでやない。めんめんより、払われる理を拵えるのやで。‥ 
火の中、いかなる中も、怖わい恐ろしいという理は無い。めんめん日々尽す、それ相応のこうのう(効能)の理は、みなそれぞれ返(か)やす。日々の塵(ちり)を払えば、きれいなもの。‥めんめん皆、身上の理がある、よく聞き分け。 
子供という、親という、親は辛抱して、この物は数ない物や、残してやろ、というが親の理。上と言えば上、兄と言えば兄、親と言えば親の理。しっかり聞いてくれ。分からん事は尋ねてくれ。 
おさしづ 明治24.11.15
  
どんな所でも話するは、八つのほこり、また、いんねん為(な)すこと諭している。いんねん諭すること、他に事情なるほど、という道初めに それぞれ付いて先々という、よう聞き分け。諭す中に内々理あるによりて、これ聞き分け。いんねん諭して先に諭すれば、いかなることも自由(じゅうよう)。また、めんめん諭すところから、めんめん先に〈心〉定めにゃならん。先に定めてすれば、みな自由(じゅうよう)そこにある。
おさしづ 明治26.12.24

多くの中には色んな所もできる。一つ治まり、また一時 治め難(がた)ないと言う。めんめんも、とんと治まり付かんと言う。元という事情、こうというところを尋ねる。どうしたらよかろうと言えば、どうも断るより仕様ないと、精神を定めて通らしてきた。ほこりの中に事情あって、どうしよう、知らんと言う。尋ねるところ十分の話を伝え伝えて、それでもいかんと言えば、余儀なくの事情運ばにゃならん。十分諭して治めにゃなろまい。これ一つ諭しおこう。
おさしづ 明治28.7.10

春風のような、そよそよ風の間は 何も言うことはない。神も勇んで守護する。なれど、今の事情はどうであるか。黒ほこり、泥ぼこり立ちきってある。この黒ほこり、泥ぼこりの中で、どうして守護できるか。また守護したところが世界へどう見えるか、よう聞き取れ。大変 口説き話であるほどに/\。‥あの者には義理や、この者は放っておけんという、人間心の理から世界の曇りとなる。数々の曇りは、皆この理一つにあるほどに/\。 
おさしづ 明治30.2.1

みんな談じ合い。それはよいなれど、談示の中に、理が触れるからどうもならん。これもう一つ、ほこり立ったら暗闇やで。 
おさしづ 明治30.11.20

あちらから黒ぼこり、こちらから黒ぼこり、年限ようよう ちょっと事情、払うて払うて、どうでも払い足らん。まだもう一段 払い足らん。そこで刻限ちょっと諭さにゃならん。身上から尋ねかけたら二、三分(にさんぶ)事情になりて、ちょいちょい分かりかけ。身上尋ね、長らえて不足なりたる。ちょっとよかろうと言う。またちょっと分かりかけたら、気分が良いと言うようになる。 心得のため、何か証拠になる事情がなくばなろまい。神の自由(じゅうよう)して見せても、その時だけは覚えている。なれど一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れてしまう。大ぼこり大ぼこり、提(さ)げ出す、担(にな)い出す、積もる。後向いても、どっこにも橋がない。神が除いてしもたら是非がない(やむをえない)で。どれだけ塵をためておいても、払うてしもたら、もういっぺん どうしようと思てもいこまい。‥
まあ一時のところ容易でいかん。ほこりありては、大雨大風で吹き流されてしまうも同じこと。そこで諭したところが理が立たん。立たんやない、立てんのや。立てんから、ほこりの台となる。‥
これまで大き〈い〉ほこりの中に居たによって、小さいほこりは何でもない。今までは帳消ししたようにしてやる。‥
長い間、積もり積もりた大ぼこり大ぼこり、ほこり払わにゃならん。後々小ぼこり、これも積もりたら どうもならん。世界可哀想でならん。道を道という、恩を恩をという心あればこそ、今日の日、よう聞き分け。‥
この道、並大抵の道でなかった。今の道、心胆難しいところの道、分からんようになりてしまう。分からんようになるから、ほこり積もるのや。‥
心にほこり無くば、身に切なみも無い。これ心得てくれたら、きれいなもの。‥
ほこりだらけ塵だらけでは誰が来るものか、よう聞き分け。大ぼこり大ぼこり、大ぼこり払うた。小ぼこりは、まだどうもならぬ。すっきりすれば、みな一つの心に治まるやろう。日々のところは言うまでやない。万事のところ人々何名の中、一つの理を聞き分けたら、何かのことも、あれとこれと、これとあれとが、これが濁りの台である。年限の軽きもあれば、重きもある。重きでも成る者もあれば、成らん者もある。また、でける者もあれば、でけん者もある。同じ心と見て、何事するも言いにくい事もある。こら言いにくいからというて、放っておいては、ほこりになる。小ぼこりが大ぼこりとなる。‥
互いに遠慮は要らん。遠慮は追従(ついしょう)になる。追従は嘘になる。嘘に追従は、大ぼこりの台。この理さえ聞き分けるなら、日々吹き払うようなもの、これ聞き分け。
おさしづ 明治31.5.9 

人間心、これまで神の自由(じゅうよう)知らず、まあ忘れてしもたような理の 世界道理で通りた年限、このほこり、なんぼとも分からん。そこでほこり払う、よう聞き分け。あちらこちら十分掃き掃除、ほこり去ってしもたら、後々さしづ一つで治めるという。これちょっと、さしづしておこう。 
おさしづ 明治31.6.2

十のものなら九つまで運んで、あと一つ残りては一つほこり、また濁り、これ仕切りて こうせにゃならん。‥澄みきって澄みきって、またほこりあろまい。神はほこりは嫌い。すっきり澄みきらにゃならん/\。人間心から見て曇りちょっとあれば、底まで濁ったるというも同じ事。 
おさしづ 明治31.6.12

何人あれど一つの理/\。もう順序一人先に立って、後々育てるがこの道。日々きょうだいの中、先を兄とす。中を順序、この理この道である。内々理を諭する、それが一つの台。めんめんが勝手から理が台、後から先から間違うてある。神のさしづ守りていると言えん。この理、あちらちょっと濁る、こちらちょっと濁る。堤切れば、容易ならん理が出る。ならん日があってはなろうまい。中は美しい口で言うて、行いと違うてはならん。塵があって、一つの水の中に塵があっては飲まりゃせん。この道理から聞き分けてくれ。これさえ澄めば、きれいなもの/\。中にちょっとちょっと濁り濁り中で、きれいな働きでけん。また大事なことは、掃き掃除、拭き立てた上にも拭いてする。やしきの中、罪ほこり。掃き掃除が足らんから塵がたまる。こういう諭しあったと談じてくれ。 
おさしづ 明治31.9.19

日々、八つのほこりを諭している。八つ諭すだけでは、襖(ふすま)に描いた絵のようなもの。なんべん見ても美し描いたるなあ、と言うだけではならん。めんめん(銘々)聞き分けて、心に理を治めにゃならん。この教(教え)というは、どうでもこうでも心に理が治まらにゃならん。あちら話し こちら話し、白いものと言うて売っても、中開けて黒かったらどうするぞ。今日この理のさしづ、よう聞き分け。跨(またが)りは無い。あちら眺め こちら眺めて勝手のよい理を出し、無理の理でも通すというは人間凡夫(ぼんぷ)の理である。今日の日のさしづは、うっかり聞いていられん。この理さえ運ぶなら、神はどんな事も引き受ける。どんな難も逃れさすという。 【註】凡夫 ー 教えを理解しない人。平凡な人。凡人。
おさしづ 明治32.7.23

ほこり積もりたら、世界の道理ある。世界の道理の理に 曇りかかりてはならん。早く事情 曇りたら 先々曇り、先々まで曇りたら どうなるとも分からん。これ聞き分けて、早くたんのう(足納)ささにゃなろまい。
おさしづ 明治33.1.4

あちらから妬み こちらから妬み、ほこりの元。元は障りという。善い者に障り付くは どういうもの。ほこりの者に障り付かんという。すぐに行けば、多く日々取次要らんもの。一人のために道を広めたんやないほどに。ようこれを聞き分け。みな世上救けたいため。一人のためやない、世上救けたいために広めた道。その道うっかり思ていてはならん。この道、諭しの中からでけた道。ほこりの中から付けた道やない。‥
一人のために運びかけた道やない。世界救けたい、心通り救けたいという道、よう聞き分け。道をはじめ、こうして多く連れ帰る道、水晶の玉の如(ごと)くに映さにゃならん。濁りありては、玉とは言いにくい。みな心同様にあったら心に見えん。真実水晶の如くなったら、天よりの働き知らんか。あの人 何にも言わんなあ、この人 何にも言わんなあ。道は 心尽しての道。人間の道やない、神の道。神の道なら、怖(お)め恐れないほどに。この理よう胸にもってくれにゃならん。
おさしづ 明治33.5.17

二十年三十年間 同じよう〈に〉通りたとて、理がなくば何もなろまい。十年の者でも、二十年三十年に向かう(に匹敵する)理もある。これ聞き分け。みな来る者〈に〉優しい言葉かけてくれ/\。道には言葉かけてくれば、第一第一やしきには優しい言葉第一。何にも知らん者〈が〉、道はこんなものか、と思てはならん〈から〉/\。年取れたる、また若き者も言葉第一。愛想ということ、また一つやしきに愛想無うては(愛想がなくては)道とは言わん。男という女という、男女に限り(隔て)ない/\。言葉は道の肥。言葉たんのうは道の肥/\。みな見習え/\。強うするは道。早く道洗うて/\、知らん者に言うて聞かせ/\。十年後には こんな道やない。艱難苦労(かんなんくろう)の塊(かたまり)の道という。上に立つ者から言うて聞かせ/\。遠慮気兼は要らん。遠慮気兼は、ほこりの元やで。いついつまで艱難通るやない。理が世界にある。たんのう楽します道もある。第一言葉愛想。満足は言葉に限る。ただ言葉と言うたところが、第一 人に愛想たんのう知らずしては、道失うてしまう/\。見習え/\。上から言葉かけて優しいは道。
おさしづ 明治34.6.14

さあ、罪やほこりやと言うて、日を送りたる。‥さあ、あちらほこりや、こちら罪やと言う中では、どこへどうしょ〈う〉と言うたところが でけるかでけんか、これ聞き分け。 
おさしづ 明治34.2.11 補遺

金銭というものは、始末(倹約)する者なくてはならん。誰彼取り扱うては、ほこり付く。
おさしづ 明治39.1.28

教祖子供中に、よく聞き分け。聞き分けのできん者あったやろう。‥その中に、理の治らん者は、ほこりの屋形(館)と残し置いたる。みなこれから取り持って道という理、ひながた(雛型)見て、明らかに一つ理 聞かしてやってくれ。
おさしづ 明治40.4.10 午後5時半


最終見直し 2015.12.9  21:55

    おふでさきにみるほこり(埃)

一れつにあしきとゆうてないけれど  一寸のほこりがついたゆへなり       一 53
一れつに悪しきというて無いけれど  ちょと(ちょっと)の埃が付いた故なり

もふみへるよこめふるまないほどに  ゆめみたよふにほこりちるぞや       二 19
もう見える横目振る間もないほどに  夢見たように埃散るぞや

このほこりすきやかはろた事ならば  あとハよろづのたすけ一ちよ           二 20
この埃すきやか(すっきり)払たことならば  後は万の たすけ一条

このみちハをしいほしいとかハいと  よくとこふまんこれがほこりや       三 96
この道は惜しい欲しいと可愛いと     欲と高慢これが埃や

ほこりさいすきやかはろた事ならば  あとハめづらしたすけするぞや       三 98
埃さえ すきやか払た事ならば            後は珍し たすけするぞや

このふしきなんの事やとをもている  ほこりはろふてそふぢしたてる     三 105
この不思議 何の事やと思ている        埃払うて掃除仕立てる

いまのみちほこりだらけであるからに  ほふけをもちてそふぢふしたて 三 145
今の道 埃だらけであるからに                箒を持ちて掃除を仕立て

どのよふないたみなやみもでけものや  ねつもくだりもみなほこりやで 四 110
どの様な痛み悩みも出来物や                熱も下痢も みな埃やで

せかいぢうどこのものとハゆハんでな  心のほこりみにさハりつく            五 9
世界中 どこの者とは言わんでな            心の埃 身に障り付く

このさきハどのよなほこりたつとても  これをやまいとさらにをもふな   六 76
この先は どの様な埃立つとても            これを病と更に思うな

一れつハみなめへ/\のむねのうち  ほこりいゝばいつもりあるから       八 61
一れつは みな銘々の胸の内                埃いっぱい積もりあるから


    みかぐらうたにみるほこり

あしきをはらうてたすけたまへ  てんりわうのみこと                        第一節
悪しき(ほこり)を払うて たすけ給え  天理王命

あしきをはらうてたすけせきこむ  いちれつすましてかんろだい      第三節
悪しき(ほこり)を払うて たすけ急き込む  一れつ澄まして甘露台

五ッ いづれもつきくるならば                                                 
六ッ むほんのねえをきらふ                                                               二下り目
        何(いず)れも随(つ)き来るならば誰でも皆この道に随いて来るならば〕
        謀反の根を切ろう
     〔啀(いが)み合い、傷つけ合い、殺し合うような、「一れつきょうだい」という神意、教理に背く「むほん」の原因となる「ほこりの根」を切ってやろう〕

七ッ なんじふをすくひあぐれバ                                                   
八ッ やまひのねをきらふ                                                                   二下り目
        難渋(なんじゅう)を救い上ぐれば〔苦しみ悩む人々を救けるのであれば〕
        病の根を切ろう〔病傷の原因である「ほこりの根」を切ってやろう〕

八ッ やむほどつらいことハない  わしもこれからひのきしん           三下り目
        病むほど辛い事はない          儂もこれから日の寄進
     〔病傷に苦しみ悩む事ほど辛い事はないから、私も心入れ替えて「ひのきしん」に励もう〕

八ッ やまひのすつきりねはぬける  こゝろはだん/\いさみくる    四下り目
        病のすっきり根は抜ける          心はだんだん勇みくる
     〔病傷の原因である「ほこり」がすっきり無くなれば、心は段々、一段と勇んでくるのである〕

三ッ みづとかみとはおなじこと  こゝろのよごれをあらひきる       五下り目
        水と神とは同じこと             心の汚れを洗いきる
     〔神は、流れる水と同じように 人間の心の汚れ(ほこり)を きれいに洗いきるのである〕

四ッ よくのないものなけれども  かみのまへにハよくはない           五下り目
        欲の無い者なけれども          神の前には欲は無い
     〔欲の心の無い人間はいないが、神意、教理に適って通ると、欲の心は無くなる〕

六ッ むごいこゝろをうちわすれ  やさしきこゝろになりてこい        五下り目
        惨い心をうち忘れ                 優しき心になりてこい
     〔冷酷、無慈悲な、酷(ひど)い心をすっきり忘れ去り、あたたかい、優しい心になりなさい〕

一ッ ひとのこゝろというものハ  うたがひぶかいものなるぞ            六下り目
        人の心というものは             疑い深いものなるぞ
       (すでに信仰している者に対して)〔人間の心というものは、なんと疑い深いものであろうか〕
【参考①】おふでさき
いまゝでハ神のゆう事うたこふて  なにもうそやとゆうていたなり       一 42
今までは 神の言うこと疑うて        何も〈かも〉嘘やと言うていたなり
【参考②】 おさしづ
何ほど言うても分かる者はない。これが残念。疑うて暮らしているが、よく思案せよ。さあ神が言うこと嘘なら、四十九年前より今まで、この道 続きはせまい(続きはしないであろう)
おさしづ 明治20.1.4

七ッ なんぼしんじんしたとても  こゝろえちがひはならんぞへ        六下り目
        なんぼ信心したとても         心得違いはならんぞえ
     〔どれだけ信仰しているといっても、神の心に沿わない心得違いがあってはならないぞ〕

八ッ やつぱりしんじんせにやならん  こゝろえちがひはでなほしや 六下り目
         やっぱり信心せにゃならん         心得違いは出直しや
      〔やっぱり神意、教理に適った信仰をしなければならない。心得違いは「心の出直し」するように〕
【参考】 
心のでなほし(出直し)したら、身上のでなほし(出直し)たすけるで、心のたてをかへたら(かえたら)、身上のたてがかはるで(かわるで)と常住(常々)お聞かせ被下(下され)た。
〔諸井政一集 後篇  御講話傍聴録 三 より〕

    つまり「心得違いは出直し(死)」と直結ではなく、神はまず「心の出直し」を促されているのです。
この場合は「心得違いに気付き、さんげ(懺悔)し、心を入れ替えて、一からやり直す」ということになるでしょう。

四ッ よくのこゝろをうちわすれ  とくとこゝろをさだめかけ            八下り目
         欲の心をうち忘れ                篤と心を定めかけ
      〔欲の心をすっきりと忘れ去り、よくよく念を入れて心定めをするように〕

三ッ みれバせかいのこゝろにハ  よくがまじりてあるほどに            九下り目
        見れば世界の心には             欲が混じりてあるほどに
     〔世界中の人間を見渡せば、誰の心にも欲が混ざっているのである〕

四ッ よくがあるならやめてくれ  かみのうけとりでけんから            九下り目
         欲があるなら止めてくれ     神の受け取り出来んから
     〔欲の心は神は受け取れないので、捨て去る事ができないのなら、たすけを願う事は止めてくれ〕

三ッ みづのなかなるこのどろう  はやくいだしてもらひたい            十下り目
         水の中なるこの泥を             早く出だしてもらいたい
        (人の心を水にたとえて)〔水の中にあるこの泥を、早くかき出してもらいたいのだ〕

四ッ よくにきりないどろみづや  こゝろすみきれごくらくや            十下り目
         欲に限(き)りない泥水や      心澄みきれ極楽や
     〔際限なき泥水のような欲心をかき出せば、心が澄みきって、そこに極楽が見える〕

七ッ なんぎするのもこゝろから  わがみうらみであるほどに            十下り目
         難儀するのも心から            我が身恨みである程に
      〔苦しみ悩むのも、原因は自分の心遣いであって、恨むなら、自らを恨むほかないのである〕

八ッ やまひはつらいものなれど  もとをしりたるものハない            十下り目
         病は辛いものなれど             元を知りたる者はない
      〔病気は辛いものであるが、その本当の原因を知っている者はいない〕

九ッ このたびまでハいちれつに  やまひのもとハしれなんだ            十下り目
        この度迄は一れつに             病の元は知れなんだ
     〔この度迄は世界中の人間は、病傷の原因を知ることが出来ずにいた〕

十ド このたびあらわれた  やまひのもとハこゝろから                       十下り目
         この度あらわれた     病の元は心から
      〔ついにこの度、病傷の真の原因は、心遣いであることが明らかにされた〕
【参考】
身上悩む/\。身上悩むやない。心という理が悩む。身上悩ますは神でない。みな心で悩む。
おさしづ 明治34.1.27

四ッ よくをわすれてひのきしん  これがだいゝちこえとなる         十一下り目
         欲を忘れて日の寄進            これが第一 肥となる
       〔欲を忘れ、欲から離れて「ひのきしん」に勇んで励む。これが成人がための肥(徳積み)となる〕


最終見直し 2015.12.12  22:10

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