生成的な行程

流れの向きはいつも決まってはいない

2021年06月




社会のカラクリが見えてくる。
池上さんのように世の中の仕組みが分かると日々のニュースも面白いだろうな。

「おとなの教養2」で書かれていた「フローとストック」という考え方のストックの成果といえそうだ。
経済学部出身の池上さんでも大学時代にはぴんと来なかった経済ニュースもあったようで、
社会人になってから自身で習得したいった知識も意外とあるらしい。
(1971年のニクソンショック、金本位制の停止の意味に当時は気づけなかったとのこと)
そんなことを知ると親近感が湧きます。

目からウロコだったのは、経済学は人間心理の集大成ともいえそうな点。
合理的な数字だけで説明できず人間心理に端を発する学問の面が強そうだ。

「合成の誤謬」
今回は、ここから講義が始まる。
スポーツ観戦などで1人だけ立ち上がるとよく見えるが、みんなが立つと見えなくなる状況が生まれる。
個人としては合理的でも集団となると悪い事態になることをいう。
インフレやデフレ時に起こる値段の変動と購買時期への影響に集団心理が働いている。

80年代後半のバブルも、本書では壮大な「合成の誤謬劇」として描ける。
円高(プラザ合意)→低金利→財テク(土地神話)→地上げ屋→総量規制→不良債権
今でも狭い土地にあるコインパーキングの数々はバブルの傷痕だ。

バブルは30年ごとに起こる、というのも人間の世代交代に関連していると考えると、
これも人間心理の変わらない習性に気づかされる。

2008年のリーマンショック→世界規模の金融危機も、その背景に人間心理のコントロールできない「過ち」が見えてくる。
サブプライムローン→債権の証券化(金融商品)→格付け会社による格付け→制御不能な金融技術(悪商品)
集団心理が事態をより一層悪化させている。

バブルとリーマンショックは現代人に刷り込まれたトラウマだ。
カラクリを知ることで、人間は歴史から学ぶ賢者にもう一歩近づけると思うのだが、さていかに?

このほか、第二次大戦以降の日本の現代史も社会の動きがポイントで解説されている。

今回もとても勉強になった。

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職場から一番近いインドカレー屋さん
南インドカレー
御徒町公園すぐ

ナンの下にひき肉のカレーが一つ隠れてます
4皿のカレーと1皿はラッサム(スープ)
べジ、ノンベジ、2種類づつ
なんて大盤振る舞い。どれも本格的でうまい。
ライスもナンも両方楽しめる
Bランチ 950円

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今まで食べたインドカレーの中で5本の指に入りますな。
店を出たら、インドor中東系の2人組が背広姿で歩いていた。
ここはどこだ!?

転迷 隠蔽捜査4 (新潮文庫)
今野 敏
新潮社
2014-04-28



竜崎伸也の人間力全開。

署長室での決済箱の書類押印という日々の”重労働”のなか、矢継ぎ早に飛び込んでくる管内、近隣からの事件の数々。
外務省官僚殺害、悪質なひき逃げ事件などから組織を超えて解決を導くところが彼ならではの本領発揮ですね。

管轄(警視庁内)、警察庁、厚生省、外務省、各省庁の面子など、どこ吹く風。
本人にその気はなくても廻りが彼を徐々に認め始め、彼のやり方で物事は動き出す。
マルチタスクを手品のようにこなすのに竜崎の理論は明解だ。
方法論に迷いはなく原理原則で道筋を付けて行くのが国家公務員としての彼の矜持でしょうか。
(警視正以上が国家公務員)

麻薬取締官 (麻取り/厚生省)の泳がせ捜査とどう対峙するか?
麻取りの担当者は、国を守るためには、麻薬・覚醒剤の捜査の方が、殺人の捜査より重要だと考えている。
水道の元栓か蛇口か?
エッジの効いた彼の発言力と行動力が状況を好転させていく。
全力で責務を果たす。

読後感、爽快でした。

(「転迷」は仏教用語らしい。「転迷開悟」から。迷いを転じて悟りを開くこと。)

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ランチにて。
ワンコイン500円の丼とスープ&ドリンクバー200円で
計700円

普段あまり見かけない羊肉が街中で身近にあるのが御徒町らしくていい。
見た目は牛丼に似ているけど、味は確かに羊肉。
クセのある味とジンギスカンのタレが日本人ルーツ?のモンゴル遊牧民魂を呼び覚ます!?
スープがラムスープなのも羊好きにはうれしい。
カット玉ねぎを入れて気分的にフレッシュな野性味が足されます。
2回お代わりした。

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実はこの店、主に80~90年代に活躍した大関 霧島が経営している。
和製ヘラクレスの異名があって、確か筋肉質のかっこい関取だった。
鹿児島出身で同郷の若島津とごっちゃになるけど。。。
あの頃はストイックな力士が多くて、そんな国技に国民の敬意がもう少し集まっていたような気がする。

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南口すぐのハトヤビル3号館 5F
駅前のパンダ広場を見下ろしながら。
いいお店なのだけど、滞在中、客はオレ一人しかいなかった。

次は羊のハンバーグに挑戦したい。




18世紀にはじまり今に至る5人の学者と経済理論の潮流(本書の目次順)はこうなるのかな。

アダム・スミス (1723-1790)→マルクス (1818-1883)→ケインズ(1883-1946)→フリードマン (1912-2006)→リカード(1772-1823)

(見えざる手/社会的分業) → (資本論/労働価値説) → (公共事業/乗数効果) → (新自由主義/マネタリズム) → (比較優位/国際貿易)

活躍年代で見るとリカードはアダム・スミスの後なのだけど、潮流でいうと、「今」が旬の理論とも言えそう。
あるいは、アダム・スミスの後に来たマルクスの理論が社会に与えた影響力が大きすぎて、軌道に戻すのに時間がかかったとも言えるのかな。
当時、資本主義がイズムの主流となり、その資本家と労働者の仕組みを分析した眼力はお見事としか言いようがない。
対象の切り取り方が神の視点を感じさせる。
商品の使用価値、交換価値、労働力の再生産費、必要労働、剰余労働など
その理論は、その先と目された社会主義の国家を産んで、結果、失敗したが、
その責任は政治家や為政者にあるのであり、学者にそれを求めるのは筋が違うだろう。

一方、「今」に目を転じると・・・
リカードの比較優位の話は、池上さんもはじめキツネにつままれたような気がしたそうだが、人間だけが分業ができるという能力を徹底して考えると生まれる新たな発想なのかもしれない。
仕事でも使うFTAやEPA、またどの国が参加するしないが議論になるTPPはこの延長線上にある。

しかし、最も感銘を受けたのは、冒頭で説明される「経済学とは何か」という原点の話。

それは選択の学問
資源の稀少性が経済の基本問題を生む
あらゆるものがあふれていたら経済学は成り立たない
例えば、時間は有限だからこそ人生は選択の連続だといえる
そして、機会費用へと話は進む

ここから堀り下げていくからこそ、池上さんならではの経済学だ。

天国までの百マイル [新装版] (朝日文庫)
浅田 次郎
朝日新聞出版
2021-04-07



心臓病を患う母の命を救うため、天才外科医のいる病院を目指しポンコツ車で100マイルをひた走る。
世の中の善意をかき集めて、援護してくれた人たちの気持ちと一緒に。

事業の失敗で過ごした失意の2年間からどう抜け出すか、
自分の人生、母の人生、兄姉たちの人生も旅になぞらえて、それぞれの生き方を考えさせられた。
別れた妻、同居しているデブ女マリの人生も旅の重要な同行者だ。

「愛されることは幸せじゃないけど、愛することって、幸せだもんね。毎日うきうきするもんね」
負け惜しみなのか素朴なのか、またはそれ以上の何かを持っていそうなマリの存在感は光っている。
余談ながらマリは遠藤周作の作品に出てきそうなイメージがあった。

読者によって、または読んだ時の状況によって心に響く場所が変わりそうな作品ですね。
ページをめくれば、行間のあちこちで登場人物たちの個性が声を上げているようだ。

本作はピーター・ポール&マリー(PPM)の「500マイルも離れて」という曲がモチーフになっている。
哀切なメロディーが人生の旅への想いを搔き立てる。
着想は曲が先かな、それともプロットが先だったのでしょうか。
曲先だとしたら、作家の想像力(創造力でもOK)の大きさに恐れ入ります。

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休憩時にビルの6Fから外の非常階段の踊り場に出ると見える景色。
隣の区立中学の校庭。
都会の学校は校庭が狭いが、狭いながらも体育や部活の様子が窺える。
今日はラジオ体操をやっていた。
何年生か分からないけど1学年分の生徒たちかな。

校舎に目を向けると教室で授業をやっている時もあり、
自分の頃と重ね、昔を思い出したりする。

一時、仕事を忘れ、気分をリフレッシュするのにいい。

また仕事中でも、たまに生徒たちの無邪気な叫び声が聞こえてくるときもある。
ふざけあっているのか、部活でしごかれているのか?
こちらも楽しくなってくる。

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再訪。

1回目は御徒町で外出ランチが始まった3月、会社の近くを開拓していた頃。
先日、お店が工事中で もしや!?と思っていたら、実は改装ということが分かりホッとしたところだった。

なかなかいい店です。
刺身、煮魚、焼き魚、揚げ物など、魚を中心に一通りの和食を提供する個人店。
昔ながらの料理人といった風貌の親父さんと奥さん、給仕の若いお兄さんの3人が役割分担してやっている。
ランチ時は程よい入りで、固定客が結構いるようだ。
時間をおいてぽつぽつと入ってくる。

刺身と角煮定食
1,000円也。

前回と同じ。
刺身はぷりぷりで、角煮はトロットロでした。
いい素材を選んでいるのだろうな。
味はもちろんのこと、和食店の澄んだ静謐な時間の流れがいい。

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いつまでも続いてほしいと思う。
外装の工事でそんなに変わった印象はないのだけど、
画一的なチェーン店と違い、佇まいに個性が表れている。
下町らしさを感じる風景だ。

バカにならない読書術 (朝日新書 72)
吉岡 忍
朝日新聞社
2007-10-12



前半は養老先生の読書論。
後半は養老、池田、吉岡、3氏による14のテーマ別に愛読書を語る鼎談。

養老先生の知的存在感を改めて感じた。
バカの壁 → 意識外を意識 という言説の一連の流れは、
読書を行為という観点でお題目に取り上げることで、より具体的に伝わってきた。

二宮尊徳の薪を背負って歩きながらの読書が理想形!

人間が生き物であることを前提とした発想が、従来のさび付いた常識を打ち破ってくれます。
解剖学を専門としてきたからこそ、身についた総合的なものの見方の重要性でしょうか。
脳の活動を疑ってかかる、あるいはその限界を知ることは、科学者の正しい態度だし、
そこから新たな知識や知恵が生まれていることを知る例は分野に限らずいくらでもある。

他の著作などでもよく出てくるが次の話は印象的だ。

「目玉は2つあり、脳も左右に分かれているのに、物は一つしか見えない」
 →デカルトはそれを右脳左脳の真ん中にある「松果体」に原因を求め、魂の根源とみた→近代哲学の始まり

「完全無欠なリンゴ」
 →イデア論。頭の中でできた現実感と、感覚から入って来るものを現実と見るか

文化論にも話は及ぶ。

「”自分はこう思う”よりも”どう見えるか”の方が信用できる。
  ・・・・・
 (人間の意識は実際に行動を起こすよりも半秒遅れだ、と書いた本がある・・・)
 たとえば僕が水を飲みたいと思ってコップに手を出したとする。
 じつは脳はその0.5秒前に動いているわけ。自分の意識が発生する以前に、脳がどう動くかは、脳自身が決定してしまうことなんだ。
 だから、理由なんて後付けなんだということが、科学的によくわかる。
 東洋の文化は、玄関に打ち水をしたり、周りの状況から考えようとするでしょ。
 意識的な行為はそのあとにくる。こういうやり方が、ほんとうは正しいのかもしれない」

3人の鼎談からは、いくつか読みたい本が出てきた。

オルハン パムク「雪」
ジョン スタインベック「怒りの葡萄」
隆 慶一郎「吉原御免状」
井上 靖「井上靖全詩集」
野町和嘉「地球巡礼」(写真集)

など。

これも「意識外を意識した」と言えるでしょうね。

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かつて地元にもあったのだけど、スーパー改装のあおりを受け、数年前に閉店。
わりと気に入っていたんだけどなあ、と残念に思っていたら、御徒町で再会。

時々、食べたくなるラーメン。

野菜つけめん大盛 990円。
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並盛 200g 大盛 300g 特盛 400gで値段は同じ。
つけめんは840円なので野菜は150円ということね。

濃厚豚骨魚介スープに はまります。
太麺は箸で切れてしまい掴みづらいのは前から変わりませんな。。

ランチで2回目。
お腹はパンパンに膨れた。
午後、歩くとちゃっぽん、ちゃっぽん鳴るのが悲しい。。
麺は並盛で十分ということを次回忘れないようにしよう。

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