自分で命を絶つこと
そして他人の命を奪うこと
それさえしなければ極論、本当に極論の話しで、もしかしたらそれ以外は何でもありなのがこのセカイなのかなと思う自分がいます。
その中で起きる事態や現実は“生”ある以上その先に続き、当事者の中で解釈や理解を巡らせ、自分の人生を歩んでいく糧に出来るかが重要になってくるんだと思うし、その経験でその人の“幸せ”の価値観や生きた心地が様々に変化し芽生え“喜怒哀楽”“感覚感情”全てが生きることの意味なんだと感じれるんじゃないかというのが僕の考えだったりするわけです。
もし「死んだら楽になるかも」と自分の命を絶つことを考えたりそこに答えを出そうとしている人がいるならば、それは絶対違うし、死んだらその楽という気持ちも芽生えず、やはり喜怒哀楽全ての感情とこれから生きていたらもしかしたら変わるかもしれない人生さえ見つけられない無のまた無になり全てが絶たれることも想像してほしいし、それが起きた時に残された周りの人や友達、特に家族や親族、その両者がもし居ない人でも産んでくれた人がいることを想像すれば「人間は生を受けたら必ずいつかは死ぬ」ってことだけは儚くも決まっていて、その楽になるかもしれない思いはいつか必ず叶ってしまうんだから、それまでを生きてみてはどうだろう…?苦しいことも生きている自分の価値なんじゃないだろうか…?と気付いてほしいと思ってしまうし、人の命を奪おうとする人がもしいるならばそれは言語道断、それでも犯罪に手を染めようとする人がいるならば、前者と同じで近くに居てくれる人や、家族や親族に産まれてきたことの価値に身を置いて、周りに迷惑をかけるかもしれない現実と理性を保ってほしいと願うばかりでしかない想いです。
そしてそれが人生で、その一人一人の行き方や生き様が交差する世の中に僕たちは約77億分の1という価値ある者として毎日を歩んでいるんだと思うし、今もこうやって歴史を残していってるんだと思います。
今起こってしまっているコロナウィルスの現実は、いろんな角度やいろんな視野があり、その中で最前線で動いてくれている人、そして後を追うよにその中で働き生活している人達の思考や実情が入り混じって様々な混雑や困惑を生んでいます…。
視点を僕の目線から話させてもらうと、やはり国や府や市の救済策はいろんな意味で生き延びることには事足りない…。
僕の店が資金力に乏しいのも実力が無い上の話しではありますが、それでも70年細々と地道に重ねてきた時間や残した足跡は今日まで続いている証だし、そこには支え続けて下さるお客様や関わってくれた人達がいるからこその話しで、時代で考えれば一瞬一瞬かもしれない数々の思い出がたくさん詰まった場所を僕は失わせたくないと強く思って今もお店に立っています。
要は非常事態宣言、自粛や休業又は時短要請のある中で営業を続けています。
改めて最前線で働きかけている方、医療現場やその関係の人、そして感染された方や恐れている方から見れば御法度かもしれないし、理解を得れない判断というか決断レベルかもしれません…。
本当に申し訳ない気持ちです。
すみません。
冒頭の命の話しにも照らし合わせれば、後者にも成りかねない状況です…。
しかし要請レベルでとどめてしまうこと、そして僕が生活している京都や地域の状況に視野と把握を特に広めながらの現実の中で、やはり府や市は、さらに日本のトップはこの業種に関しては守ることに関して比重は軽いし、そもそもこんなことが起きるなんて想像もしてなかっただろうし、そしてそれは僕もそうだし、国も京都も誰も責めることなんか出来ないことなのであれば、僕たちの納めている税金や財源の使い道はどうであれ、店や自分、そして近くの人達を守っていくのは自分達なんだと思ってしまいます。
そう、誰も頼りにしてはいられないのかも…ということです。
となると、冒頭の前者がこれから増え続けてしまうかもしれない近い将来を想像すると、僕や店が出来ることというのは人の命よりも、命ある中で生じる生活に重きを置き、それを大事にしてみることなんじゃないかと今考えています。
もう以前のような京都は戻ってこないでしょう。
人々の価値観や意識が世界レベルで変わる事態が起こっている訳なんですから、国の経済も社会も生活も幸せの価値観や様々な比重のバランスがきっと変わるんだと思うし、戻るとしても数年後や数十年後かもしれない話しで、いろんなことが進化したり、進み過ぎてるモノコトに、もしかしたら前に進めるべきバランスと位置付けを見直す時間になるかもしれません。
僕は今、店の存続にある意味大袈裟かもしれないけど命懸けです。
それは自分だけのことじゃなく、家族や雇用者、そして何よりお客様の求める時間がお店にあるのであれば、今の状況で感染に関して無意識な人は居ないと思うし、お店もお客さんも、そしてそれぞれが、皆が対策や対応に意識を図っていれば防げる率も高いはずと信じたいですし、でも周りの状況を見ればこれも浅はかな認識なのだと重々承知だし…。
けど、こと店の存続を賭け、今お店に足を運んで下さる方の行為は喫茶店の位置付けとして不要不急でない生活の一部になるのであれば、不安や不満しかない今の生活の中に、中には家に閉じこもり過ぎて生きた心地もしないという声に耳を傾けれる“場”になる必要もあるんじゃないかと迷いながら日々を送っています。
僕はいち喫茶店のマスターにしか過ぎません。
だけどそれと同時に経営者です。
会社という括りでいえば最高責任者ではありますが、僕は人の上に立とうとは思っていません。
肩書きとして立場はあれど、店を守っていく者としては僕は立ち位置は皆と一緒だと思うし、どれだけ先頭に立てるかが重要とされるだけで、この考えが店の中でも紆余曲折するのであれば柔軟でいたいと思っています。
さらにはお店は僕の「物」ですが、お店事態はお客様や働き手の「場」です。
それが著しく傾き、僕のエゴでしか感じれなくなった時も早急に適切な対応を取らせてもらいます。
近くの店も、そして知った店も本当に数多くが苦境に立たされ、その判断を仰がれ、そしてもう次々と閉店(廃業)の選択に追い込まれている所もあります…。
そうなりたくはない、そしてそうさせたくはないという想いが自分目線でもお客様目線でも、そして保身と言われても現時点最良の手であると信じるしかないですし、命に矛先を向けた時にも、ある意味店が無くなっても自分の命は守られますが、それでも比重は様々なモノコトを積み重ねてきたこの場所の『六曜社』を守り続けていくことに重きが向きます…。
後は本当にお客様のことを考えた時に、命があるからこその一人一人の生活の一部の場として喫茶店があるべきなのか、命に替えられるものはないと、起こることも分からない最悪の事態を想像した時に、個々としても店としても感染予防をする中でも営業することのリスクが布石と受け止めた時は、要請など様々な発令に対応していきたいと思います。
さぁ明日から5月です…。
時間や月日の区切りとして切り替えれる時に、延長確実な宣言も一つの目安まで後1週間。
そしてまた時間や月日の進み方が今までと何も変わらないはずなのにゆるやかに感じてしまう日々にさらなる先を見据えないといけない時間も間近かと…。
ふと我に返ってみて、不安やナーバスに押し潰されそうになり、目の前の様々なモノコトの大事さや、明日や先があることの大切さに視野を向け忘れている人はいませんか?
どこかに出てリフレッシュしていきましょう!とは到底言えませんが、笑顔を忘れないこと、笑顔までは言わぬとも微笑みを探すことや体を動かすことを家の中でも忘れないでほしいなと勝手ながらに思ってしまいます。
僕自身このような場を使って、こんなことを語っている時点で同情を売ったり、弱音や弱気を見せているにしか過ぎませんが、少なからずどうか、どうかこの先の未来が少しでも早く明るくなる日が来ることを願っております。
そしてどんなカタチであれ、僕としては『喫茶&カフェ魂』で同業者がそれぞれでも、お客様にこんな時だからこその力を発揮していけることを信じて努めていきたいと思います。
※いろんな情報も頭に入れて、この投稿をしても正直コロナウィルスがつきまとう限りは葛藤の中にいると思います。
共感も有難くは思いますが、様々な角度からもしご意見が在られる方はコメント宜しくお願いします。
返答は差し支えるかもしれませんが、必ず参考にさせてもらい判断していきたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。