6448COFFEE+ESSENCE

六曜社珈琲店-セカンドライン-

2020年04月

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自分で命を絶つこと

そして他人の命を奪うこと


それさえしなければ極論、本当に極論の話しで、もしかしたらそれ以外は何でもありなのがこのセカイなのかなと思う自分がいます。

その中で起きる事態や現実は“生”ある以上その先に続き、当事者の中で解釈や理解を巡らせ、自分の人生を歩んでいく糧に出来るかが重要になってくるんだと思うし、その経験でその人の“幸せ”の価値観や生きた心地が様々に変化し芽生え“喜怒哀楽”“感覚感情”全てが生きることの意味なんだと感じれるんじゃないかというのが僕の考えだったりするわけです。

もし「死んだら楽になるかも」と自分の命を絶つことを考えたりそこに答えを出そうとしている人がいるならば、それは絶対違うし、死んだらその楽という気持ちも芽生えず、やはり喜怒哀楽全ての感情とこれから生きていたらもしかしたら変わるかもしれない人生さえ見つけられない無のまた無になり全てが絶たれることも想像してほしいし、それが起きた時に残された周りの人や友達、特に家族や親族、その両者がもし居ない人でも産んでくれた人がいることを想像すれば「人間は生を受けたら必ずいつかは死ぬ」ってことだけは儚くも決まっていて、その楽になるかもしれない思いはいつか必ず叶ってしまうんだから、それまでを生きてみてはどうだろう…?苦しいことも生きている自分の価値なんじゃないだろうか…?と気付いてほしいと思ってしまうし、人の命を奪おうとする人がもしいるならばそれは言語道断、それでも犯罪に手を染めようとする人がいるならば、前者と同じで近くに居てくれる人や、家族や親族に産まれてきたことの価値に身を置いて、周りに迷惑をかけるかもしれない現実と理性を保ってほしいと願うばかりでしかない想いです。

そしてそれが人生で、その一人一人の行き方や生き様が交差する世の中に僕たちは約77億分の1という価値ある者として毎日を歩んでいるんだと思うし、今もこうやって歴史を残していってるんだと思います。


今起こってしまっているコロナウィルスの現実は、いろんな角度やいろんな視野があり、その中で最前線で動いてくれている人、そして後を追うよにその中で働き生活している人達の思考や実情が入り混じって様々な混雑や困惑を生んでいます…。

視点を僕の目線から話させてもらうと、やはり国や府や市の救済策はいろんな意味で生き延びることには事足りない…。
僕の店が資金力に乏しいのも実力が無い上の話しではありますが、それでも70年細々と地道に重ねてきた時間や残した足跡は今日まで続いている証だし、そこには支え続けて下さるお客様や関わってくれた人達がいるからこその話しで、時代で考えれば一瞬一瞬かもしれない数々の思い出がたくさん詰まった場所を僕は失わせたくないと強く思って今もお店に立っています。

要は非常事態宣言、自粛や休業又は時短要請のある中で営業を続けています。

改めて最前線で働きかけている方、医療現場やその関係の人、そして感染された方や恐れている方から見れば御法度かもしれないし、理解を得れない判断というか決断レベルかもしれません…。

本当に申し訳ない気持ちです。
すみません。

冒頭の命の話しにも照らし合わせれば、後者にも成りかねない状況です…。

しかし要請レベルでとどめてしまうこと、そして僕が生活している京都や地域の状況に視野と把握を特に広めながらの現実の中で、やはり府や市は、さらに日本のトップはこの業種に関しては守ることに関して比重は軽いし、そもそもこんなことが起きるなんて想像もしてなかっただろうし、そしてそれは僕もそうだし、国も京都も誰も責めることなんか出来ないことなのであれば、僕たちの納めている税金や財源の使い道はどうであれ、店や自分、そして近くの人達を守っていくのは自分達なんだと思ってしまいます。

そう、誰も頼りにしてはいられないのかも…ということです。

となると、冒頭の前者がこれから増え続けてしまうかもしれない近い将来を想像すると、僕や店が出来ることというのは人の命よりも、命ある中で生じる生活に重きを置き、それを大事にしてみることなんじゃないかと今考えています。

もう以前のような京都は戻ってこないでしょう。
人々の価値観や意識が世界レベルで変わる事態が起こっている訳なんですから、国の経済も社会も生活も幸せの価値観や様々な比重のバランスがきっと変わるんだと思うし、戻るとしても数年後や数十年後かもしれない話しで、いろんなことが進化したり、進み過ぎてるモノコトに、もしかしたら前に進めるべきバランスと位置付けを見直す時間になるかもしれません。

僕は今、店の存続にある意味大袈裟かもしれないけど命懸けです。

それは自分だけのことじゃなく、家族や雇用者、そして何よりお客様の求める時間がお店にあるのであれば、今の状況で感染に関して無意識な人は居ないと思うし、お店もお客さんも、そしてそれぞれが、皆が対策や対応に意識を図っていれば防げる率も高いはずと信じたいですし、でも周りの状況を見ればこれも浅はかな認識なのだと重々承知だし…。

けど、こと店の存続を賭け、今お店に足を運んで下さる方の行為は喫茶店の位置付けとして不要不急でない生活の一部になるのであれば、不安や不満しかない今の生活の中に、中には家に閉じこもり過ぎて生きた心地もしないという声に耳を傾けれる“場”になる必要もあるんじゃないかと迷いながら日々を送っています。

僕はいち喫茶店のマスターにしか過ぎません。
だけどそれと同時に経営者です。
会社という括りでいえば最高責任者ではありますが、僕は人の上に立とうとは思っていません。
肩書きとして立場はあれど、店を守っていく者としては僕は立ち位置は皆と一緒だと思うし、どれだけ先頭に立てるかが重要とされるだけで、この考えが店の中でも紆余曲折するのであれば柔軟でいたいと思っています。
さらにはお店は僕の「物」ですが、お店事態はお客様や働き手の「場」です。
それが著しく傾き、僕のエゴでしか感じれなくなった時も早急に適切な対応を取らせてもらいます。

近くの店も、そして知った店も本当に数多くが苦境に立たされ、その判断を仰がれ、そしてもう次々と閉店(廃業)の選択に追い込まれている所もあります…。

そうなりたくはない、そしてそうさせたくはないという想いが自分目線でもお客様目線でも、そして保身と言われても現時点最良の手であると信じるしかないですし、命に矛先を向けた時にも、ある意味店が無くなっても自分の命は守られますが、それでも比重は様々なモノコトを積み重ねてきたこの場所の『六曜社』を守り続けていくことに重きが向きます…。

後は本当にお客様のことを考えた時に、命があるからこその一人一人の生活の一部の場として喫茶店があるべきなのか、命に替えられるものはないと、起こることも分からない最悪の事態を想像した時に、個々としても店としても感染予防をする中でも営業することのリスクが布石と受け止めた時は、要請など様々な発令に対応していきたいと思います。


さぁ明日から5月です…。

時間や月日の区切りとして切り替えれる時に、延長確実な宣言も一つの目安まで後1週間。
そしてまた時間や月日の進み方が今までと何も変わらないはずなのにゆるやかに感じてしまう日々にさらなる先を見据えないといけない時間も間近かと…。
ふと我に返ってみて、不安やナーバスに押し潰されそうになり、目の前の様々なモノコトの大事さや、明日や先があることの大切さに視野を向け忘れている人はいませんか?

どこかに出てリフレッシュしていきましょう!とは到底言えませんが、笑顔を忘れないこと、笑顔までは言わぬとも微笑みを探すことや体を動かすことを家の中でも忘れないでほしいなと勝手ながらに思ってしまいます。

僕自身このような場を使って、こんなことを語っている時点で同情を売ったり、弱音や弱気を見せているにしか過ぎませんが、少なからずどうか、どうかこの先の未来が少しでも早く明るくなる日が来ることを願っております。

そしてどんなカタチであれ、僕としては『喫茶&カフェ魂』で同業者がそれぞれでも、お客様にこんな時だからこその力を発揮していけることを信じて努めていきたいと思います。


※いろんな情報も頭に入れて、この投稿をしても正直コロナウィルスがつきまとう限りは葛藤の中にいると思います。
共感も有難くは思いますが、様々な角度からもしご意見が在られる方はコメント宜しくお願いします。
返答は差し支えるかもしれませんが、必ず参考にさせてもらい判断していきたいと思います。

どうぞ宜しくお願いします。

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ちょっと着いて来れない人もいるかもしれませんが…(笑)


地球人として生まれて

今の状況に考えることが溢れて

自然災害とか環境問題とか
ウィルスとか細菌とか

生きていく中で止めることの出来ないモノコトや
起きてしまうモノコトに 

歴史や文化とか
科学や医学とか

作り出されていく中で積み重ねていくモノコトや
発展していくモノコトに

思考を巡らせると

僕らも何かしらのセカイの
もしかしたら何かしらの生存物の微生物レベルの小ささで活動しているモノコトで生きてるのかもしれないとか

もういろんなこと全て訳が分からなくなって

何で僕は今生きてるんだろうとか
何のタメに産まれたんだろうとかになって

宇宙って果てしなくどこまで続いてるんだろうとか
そしてそもそもどこから何が何のきっかけで誕生して
誰が何がなんのタメに作ったんだろうっていうか生まれたんだろうってところまでいって

色も形も何もないっていう本当に透明色のセカイ
っていうかその表現すらも出来ない“無”ってあったんだろうか有り得るんだろうかっていうところまで行き着いて

結局

卵が先か鶏が先かみたいな感覚になって

神様みたいな存在や異空間なるものが頭に巡って

何かもう超オカルト…

今朝、家族で久々に外に出ようと散歩をしに若王子山手前までを目指してみたら、桜の季節も懐かしく、新緑が芽生える浅緑の景色の中に、一本だけ秋が深まっていました。

5月の手前の確かに紅葉です。

最近涼しいのもあるのか何なのか、先行きが不透明な夏も目の前に、秋を目指す力を示されたような気持ちになりました。

情熱的な色…、今忘れてはいけない心構えだと思います。

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あぁ

あの時あぁしていればこうなっていればと思ってしまう気持ちや後悔の時間は戻ってくることはないんだから
思い通りにいったはずの時間さえ想像しても仕方ない

それなら

そうならない選択をしていくか
あの時あんなことがあったからこんなことが起きたからと思える心と経験を募らせて取り返していくことしかできない

むしろ何かが起こってしまうっていう時もある


だから

昨日も今日も明日も大事にして
今ある一瞬一瞬と向き合って大切なものを拾い集めるだけ

そして

そうやって足跡ができる未来を受け止めること

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繰り返しているんじゃない

積み重ねているんだと

改めて思う毎日…

いや日々

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この春は、そしてこの4月は、いくつかのモノコトが前に進む予定ではありました。

「六曜社珈琲店」としては

改めて受動喫煙対策の条例に基づき検討をした結果、完全分煙の運びとさせていただきながら、細々としたことも修正して新たな気持ちでより多くのお客様に足を運んでいただく土台を作った所でした。

そしてセカンドライン「6448COFFEE+ESSENCE」としては

新たな動きとしてイベントの打ち出しをしていく企画を進めたり、その他依頼も含めてお話しが進んでいく段取りがいくつかあったのですが、今は少し立ち止まり、そして延期を含めタイミングを摸索する状況になっております。

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街や町の景色に、そして流れる風景に“ゆるやか”を感じる時間。

普段何も気を止めることもない通りすがりの人や、通り向こうの人がいるだけでその人の胸の内や心情を探りたくなり、なぜあの人は今ここを歩いているのかな?自転車を走らせているのかな?とまで思ってしまう人々の光景。

不安や心配が多くナーバスにもなってしまいそうなそんな時間の中で、そのトキのナガレがどこか自分を我に返らせてくれてもいます。

“前向きを探さねば”…と。

現実を突き付けられてはいますがそんな時プー太郎をしていた時のことを思い出してみると、時間を持て余して外に出て近所を散歩してみると「あれ?こんな所あったっけ?」「あそこの家あんな屋根の色だったかな?」とか、些細な発見をするだけで何かを見つけることが出来たと嬉しく思えたこと。
状況は違いますが、カフェっさを始めた時、なかなか思うように行かず、一人や一組のお客さんが訪れてくれるだけで心の底から「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と思えたこと、言えたこと。

美しいはずのモノコトに、素晴らしはずの日常に、僕たちはなぜか“当たり前”を感じ、その連続が幸せを遠のかせていて“普通”と感じているのかもしれません。

近くても離れて改めて気付くように、小さくても幸せだと感じれることは向かってくるだけじゃなく、遠のくことがあっても自分で拾い集めることも出来るんだとやはりこうやって立ち止まり、いろんなことや自分のことを見直した時に初めて、いや改めて思い知らされる感情があります。

近くに起きてることや近くにいる人の状況によっても今は、そして今回ばかりは知識や認識に対応や対策が様々に変化して、目まぐるしく動いている事態でもあります。
置かれている状況も様々で一概には言えませんが、それでも共通して言えることは、「我慢」と「辛抱」が大きいのかと思います。
止まることを知らない未知数な未来の中に、この状況が止まらないことはないと、終わらないことはないと、その部分に目を向けて今何が出来るのか、何をしなければならないのか、そして何を守り何を残そうとしていくのか、さらには新たに始めるのかを見極め行動しないといけない転機なのだとも思えます。
立ち止まらないといけなくなってしまった世の中に、自分の立ってる場所や位置から足跡も振り返ってみながら将来に向けての光を自分で探っていかないといけないのでしょう。

一人一人がどこか何処を見つめていいか分からない視線を少しでも前に向いていく気持ちがきっと大事だと思う今日この頃、自分の大切なものにも目を向けて一人一人が行動を選んでいけたら事態も将来も良い方向に進むのかもしれません。

つかみかけたものは離したくない性格。
少し先に延びても、皆様に影ながらでも微力でも心躍るひとときのご報告が出来たらと思っています。

踏ん張りますので、どうぞ今後とも宜しくお願いします。

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ガラッと変わったムードは閑散。

本当に予期せぬコトというのは起こるもので、予期せぬモノに悩まされ、不安にされる事態が他人事ではない所まで京都も追い込まれてきました。

その感覚の導かれ方は遅かったのかもしれませんが、“ひとごと”にならない気持ちが芽生えたのは良かったのかと思います。

今でも桜を楽しんでいる人もいます。
桜なんて見てる場合じゃないと我慢する人もいます。

それは面白いことに本当に様々です。

その人の中に心情があって、誰が悪いわけでもなければ、どの価値観も正しいという答えはなく理解できるかのセカイ。

けど、ただ一つ今の状況で言えることがあるならば「覚悟」を持って行動する、考えるといった所かもしれません。

そうすると周りの人にも“もしかしたら”や“もしも”を想像することが出来るかもしれませんし…。

その中で私はというと、世論から言えば批判的かもしれない営業を続けています。
勿論それはいろんなモノコトを抱えているという部分もあるからですが、それでもやはり今は大きな声で「ご来店を心よりお待ちしております」とは言えません。

理解を得、一緒に士気を上げ支えてくれる従業員と共にやはりある意味「覚悟」を持って、お客様にも「覚悟」を持ってもらい、その中で足を運んで下さる方をいつも通りお待ちすることしか出来ません。

大げさかもしれませんが、それが最悪の事態も想像すれば浮かび上がる現実かと思います。

そして、それでもこんな状況の中足を運んで下さるお客様には明日へ向かう“何かしら”を得て帰ってもらいたいし、それを心掛けれるなら、今問題とされている飲食店の時間を意味のあるひとときに繋げれるのかもしれません。

プロとは何ぞや?と聞かれたら
(この聞かれたらシリーズ若干定番になっていますが、誰にも聞かれてない自問自答です 笑 )
喫茶業にその境界線は無いと思うけど、目を見て挨拶ができ、帰られるお客様の後ろ姿にお見送り出来る人や店の姿勢というのが価値あるものとして残り、いろんな人の明日へ繋がるんだと信じたいです。

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暖冬もあって早く咲き乱れだした桜は毎年晴れやかで心弾む存在のはずなのに、今年は何だか無情に感じてはしまいませんか…?

別れを惜しむことや、次に向かうタメのリセットの時間が省かれた冬の終わり3月。

これからのスタートや新たな出会いを知らせる春の始まり4月。

皆さんには現状様々なことがどのような景色に映り、どのような胸の内を感じさせているのでしょうか?

取り分け私のお店では現在“若者”に助けてもらっている印象です。

この世界的に広がったコロナウィルスの影響で確実に落ち着きはらっていた店内はこの2,3週間その若者が集まり、歳を重ねた店が若返ったかのように活気をもたらしていたのです。

昔で言うカフェーとされた店にハイカラな人達がその空間を探りに、楽しみに訪れている感じ。
それは僕たちのお店のような古くからある喫茶店としては何より今後もお客さんと共に年を重ねて行くうえでは重要なことで“感謝”という気持ちが強くなる光景でもあります。

「本当にありがとう」

ただ状況は刻々と変わりこの数日はまた静寂を取り戻し、それが様々な角度から見て最悪の事態を想定すると良いのか悪いのかは別として、それでも早く終息してほしいというのがもう皆さんとの共通意識かと思います。

それでも認識の違いも伺えます。

世界的に見れば日本の若者はまだマナーを心得ているのだと思いますが、今足が離れているお客さんとの層の違いを感じるとそこはやはり“欲”が出るのだと思うし、いろんな現実を突き付けられる大人とはまた“責任”の違いがあるので理解も出来るし、僕もまだまだ若かったら外に出るのだと思うし、この有り余りそうな時間をどう楽しもうかと考えてしまうのも事実だと思います。

時期的にも「卒業式が無くなっちゃって…」「春から京都を離れるんで…」や「新学期どうなるんかなぁって感じで…」「どこどこに引っ越すんですけど大丈夫かな?…」といった報告や挨拶を兼ねて来てくれている人もいます。

やはり大変なことになっていますし、ヨーロッパなど世界の方に目を向ければ封鎖や閉鎖、そして自粛等々店としても休業を余儀なくされ、国や地域に街としても機能しない状況があるわけで、それを思えば僕の店も年配のお客様のことを考えればリスクは大きいし、それでも「開けなきゃやってられない」という現実があるわけで…。

いろんな情報や報道に対し、対策や対応に対し疑問や問題に思う部分も沢山ありますが、そこは一般人レベルの知識や認識なので、やはり公式的なものや最前線で動いている方々の見解に対して向き合い、惑わされないように的確に動いていかないといけないのかなぁと思うし、お店としても出来る限りの計らいの中営業は続けさせてもらいたいと思っています。

なのでお客様にも最善の注意を払ってもらい、目指していただける方にはいつも通り宜しくお願いしますの思いですし、お店としても出来る限りの対策は心掛けて参ります。

ただ、もうどこでどうなるかも分からないというのも事実という状況ですので、もしもの時があった場合はそれに基づいた対応を取らせてもらう所存でございます。

目の前の事や自分たちだけの事を考えれば何も起きないことに超したことはないので、その意識が秩序を守り様々なモノコトへの安心や安全には繋がるはずなので、どうぞ外出や施設等で過ごされる時間、そして飲食店で過ごすリスクへの認識も含めご理解いただき、その中でやはりご来店はお待ちしておりますので宜しくお願いします。

あぁ、もうこんな風に語っている僕も歳を重ねたなぁと感じるし、この先に待ち受けているだろう経済の不安も含め、観光地化なる経済や国の活性化ではなく、自国や地方、地域からなる日本の中での発展や愛国心というものが強く根付いていかないかなぁと個人的には思ってしまう今日この頃です…。

皆で乗り越えていけたらですね!

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