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六曜社珈琲店-セカンドライン-

2020年10月

鱗雲に出会えました♪

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金木犀の香りも漂ってきて何だか気持ちも揺らいで…

ふと、時々思うことがあります。


野球か音楽を続けていたら、一日で、いや何時間かで大勢の人を一同に歓喜させる大舞台に立ち続けることを目指していただろうなと。

そんな光景に憧れたりもします。


だけど今の僕の道にだって積み重ねを考えれば、数十分や数時間の連続を毎日毎日ずっと続けることでお客様の喜びに結びつけることもまた多くの人の心を奪うものとして考えれば引けを取らないのかもしれない。

充実や満足に幸せにも導くカタチは大小様々であっても、それを供給や提供する側がどれだけ自信を持っているかでその伝わり方も変わってくると思う。

そうやって両者は背中合わせに支えられ、時にどちらかが振り返り背中を押してもらっているんだと気付くことが出来れば、それはもう誇りに繫がっていくんだろう。

舞台に立つまでの我慢や努力と、脚光を浴び続けるための地道な作業もまた自分の土台を作っていく大きな糧となるんだろうけど、そうやっていろんな物事に向き合って歩く自分の人生自身が主役なのに変わりないのだから、そこから見える景色の価値観を揺るぎないものにしたり、もっと大きなことを言えば、そこから主役を離れてでも相手を想ったり誰かを輝かせることのできる脇役にもなれるならきっと、夢を与える人になれるんだろうなぁって思う…。

そんな人になりたいのか、なれないのかも分からない。

けど誇りまでは持てて来たのかな♬

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お爺さんがやっていた近所の床屋さんが引退して、母親が見つけてきた理髪店は小学校五年生から通っています。

そして子・父・孫とお世話になっているのです(笑)

そんな『ヘアカット』は知った人も沢山通う人気の散髪屋さんで老若男女問いません♪

若き頃から独立されて今に至る姿、こりゃもう通ずるモノがありますね。

TEL:(075)751-2004

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そんな僕の実家の目の前は昔から床屋さんです…なんで?

あたたかい太陽の日差し

おだやかな風

あぁ過ごしやすいすこやかな今日この頃

松ぼっくりもまだ上を向いて元気です

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鱗雲も見たくなりますね♪

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夜更けの早さに気づきだし

朝の訪れの穏やかさに一日が短く感じるようになる

そんな秋の始まり

人は皆少し寂しさや黄昏といった不安に似た感情を抱いたりしないでしょうか?

そんな時

上着を羽織って包まれる暖かさだけで何か優しさに包まれたような…

電車やバスに本屋や飲食店と生活の道のりで足を止めてみる場所の温かさだけで気持ちが和むような…


そんなこの時期の喫茶店には一人のお客様も多い


社会や生活は今何処に向かっているのでしょうか?
きっと今も尚コロナ禍において目指す矛先は様々なことでしょう

回復や進歩を目指して前に進んでいる人

維持や後退しないことを目論み我慢をしている人

静観といったような様子を伺っている人などなど

人々の見解においても行動においても千差万別
だけどその軸に今あるのは“従来”といったところでしょうか?


こんなはずじゃなかった… 本当なら…

きっと今年は様々な人がいろんなモノコトを奪われたはず

そして無情(無常)や非情(非常)といった局面に立ち
その行く末が思うようにいったり思いもよらぬ方に向かったりとその結末や途中経過も様々

以前までは当たり前だったことがそうじゃなくなり
新たな価値観が芽生えていたり生まれていたり…

だけど今は本来あるべき姿ではないんだと訴えてみたりもがいてみたり…

ここから顧みる(省みる)ことって何なんでしょうね?


また主権はすぐ代わるんだろうけど
政治は今は菅さんでいろんな意味で無難かもしれないし
少しは国民の声が届いたりはする人なのかな?

でも今は様々な角度で見ても荒れ動く時じゃないし
着々と進むべき段階というか一歩一歩階段を上る時期だと思うと丁度良い


政治だけじゃなく自分達が生きていく道のりを考えるすべを立ち止まるべきなのは今に始まったことじゃない

僕がつとめる喫茶の話しの観点からすればいかにも…


いつからか経済が崩れ(バブルが弾け)社会はシャープさやコンパクトさといった利便性を求めた

それでも逆風にさらされ時間に追われる世の中の“食”も早い安い旨いが主導を握り向き合う時間の使い方が変わった

というより大事にすべき時間を省きだした

資本で溢れたチェーンやフランチャイズが数を増やし
誰でも何処でも同じものを身近に共有することの無個性が当たり前になった

外資も蔓延りカフェで言えばスタバが日本に来てまだ30年も経ちやしないのにそのコーヒーを取り巻く環境は発展と共に介す時間の意味が以前とはき違われ自由の意味が激変した

便利な世の中…か…

食券で物事を動かせばセルフでお客様に委ねる
テイクアウトでさようなら


そんな「商品」や「お金」といった文字が見え隠れする形態に“人肌”や“人間味”は奪われた気がする

「真心」や「丹精」を込めた時間をかけるものに皆は意味を問わなくなり“無感情”になってきたようにも思う

そんなお店の『いらっしゃいませ』や『ありがとうございます』の間の時間には何が生まれているかといえばほとんどが消化といった使い方ではないでしょうか?
もっと言えばそのいらっしゃいませやありがとうございますの声を感じますか?

決してそれが悪いわけではない
肯定はしていないけど否定もしない
僕だって日常の中で正直お世話になっている

だけどそれが当たり前になり時間の使い方や過ごす意味に
忘れてはいけないことがあるというのが本音


先日長く続いている個人店を題材に卒論を書いている大学生が六曜社のことを何も知らず来店し尋ねてくれました

その中の質問の一つ
『大きなチェーン店やファミレスなどの大塔で個人店が傾いていったと思うのですが、そこに憤りなどはありませんか?』

答え
『僕は正直その傾き始めた時間にいた訳ではないですが、傾いた後の中心の時間にはいると思います。そこで思うのは個性がなかなか尊重されなくなったこと。ある意味今は生活のタメの仕事をしている人、または仕事選びをしている人が多いと思うけど、昔は人生かけて生きるために仕事をしている人が多かったし、その賭けをする人も多かった。その分だからどれだけ長続きするかも重要だったように思います。』
補足して
『だけどそれは続けていく側の実力でもあるし、きっと最後まで完全燃焼と悔いを残している人は少ないんではないでしょうか?また、本当にそれは社会や経済に生活を含め時代によって様々だと思うので受け止めながら生き延びていくかも考えないといけない。だから僕は続けないといけないと思っているんじゃなくて、続けたいと思って守っているし、それは自発的で堅苦しいわけじゃないし、後継者問題も取りだたされてはいるけど、その店の主は自分の時間は全うしてはいるけれど、その後も続いてくれと思っているかと言えば、少なからず僕はそれは自分の背中を見て感じる人の志が全てであって、決して続かなくてはいけないと思ってる人は少ないと思うし、僕も続けろ!と言われたことはないですよ。』
と応じました。


“本来”いや“従来”を

このコロナ禍が起きなくても考えさせられることが多かったこの喫茶という存在価値

それは同時に今のカフェと呼ばれる場所でもこの先に問われるものは多いと思います

だけど僕が身を置く喫茶なら
昔は未成年で煙草を吸っても怒られず注意はされれど社会勉強としての暗黙の了解みたいなものがあった

マスターやお客さんにウエイトレスとお客さんといった店側と客側の立ち位置がしっかりとした交流があり

知った人や見知らぬ人との論争で持論を構築させていく強さを持てた

店は生き様と個性を光らせ
オリジナルなカラーを放つこともお客様を出迎える上で重要な選択肢にもなっていたし
そこには何よりマナーがあった


今はルールに縛られそれを外れれば叩く人も多い
誹謗中傷など誰も知らない人に何も知らない言葉を文字で浴びせられる

規制みたいなものは必要だと思う
だけど緩和を交えることが何よりも人間らしく保っていける理性じゃないんでしょうか?
真似事だけじゃない独自性にも向き合いたい

何より“めりはり”や“強弱”があっていいと思う


人間は働かなくていい何もしなくていいとラクを覚えることが少しばかり尊重されてきています
テクノロジーの進化に人間が人間らしくならずロボットに支配されていいのかと思います

少なからず苦楽や喜怒哀楽
様々な感情や経験を持つことの人間らしさに価値を置きたい
強く生きていたい

ネットワークというツールではなく
見えない糸や心と心のコミュニケーションといった少々キザなもので繫がっていたい


今の六曜社の店内は
勿論この店だけではないと思うけど

おそらく人と人とが直に向き合うことの重要性
混じり合うことの必要性を感じさせるそんな時間が続いている

少し前
本当に一日にご来店いただくお客様が少なかった時間にも感じたお客様とのある意味密な時間も今は尊い

本当なら六曜社らしい相席文化だってすぐにでも戻したい
あの会話で溢れお客様の横顔で満ちた独特の空気感

新聞をめくる音や食器が重なりあう音
そしてトースターのチンッという音やふぅと息つくため息にでさえ音を感じ全てが奏合う最高のBGMにまた埋もれてみたい…

今後もどうなるかは分からない
生活様式や営業形態にさえ変化は生まれるのか?

だけど
僕もそれなりに六曜社という場所に身を委ね
それと共に過ごしたお客様の時間も増えた

前田珈琲や喫茶feカフェっさから続くお客様も居て下さる

そんなお客様がフラッとまた
「お久しぶりです」や「久々京都に来ました」
とトキを交えることもある

さらに言えばこの空間を求めに
「学生時代はなぁ」とか「何十年ぶりに」
と懐かしくタイムスリップしに来る方もいる


その人の人生の中で考えれば本当にほんの一瞬かもしれないコーヒーを介す時間をやはりこれからも預かったつもりで
そして時にはかけがえのない思い出にもなれるよう
一杯のコーヒーでいっぱいのお客様に微笑みを提供したい…


今は息苦しい世の中も
時代はまわる
明けない夜もない

辛抱…辛抱…
地道の積み重ね
何でもなかったことを抱きしめて離さないように
こんなことが起きた世界を噛み締めるように

僕は喫茶文化をこれこらもこよなく愛したい

本日(正式には昨日)の夜はふっとカフェの天使が舞い降りて(川口葉子氏の表現を活用)、何だか店内の光景に心奪われて、何となく今閉店と共に思いふけってペンを走らせるかのようにこの文章を記す画面に向き合っています…。

緩みだした世間への期待と不安の気持ちは今日は置いといて、目の前に広がるセカイだけを眺めれば、それは少し前まで何でも無かった時間と同じようなトキを刻みだしているかのように写り、少し違うといえば、皆が顔半分をマスクで隠しながら異空間へと足を傾けることくらいかもしれません。

黄金色の空間に腰掛けて皆の横顔や、テーブルを挟んで過ごすひとときが輝くように見え、僕の脳裏に尊いという感情が生まれ、外の時間は今も尚、コロナウィルスという不安と現実で戦っているんだということにハッとさせられる…。

そんな不自由の中の少しでも自由を探そうと、人は今皆手探りで居場所を求めているようにさえ感じる。

何でも溢れていて、何でもありふれて簡単に手に入れることが出来ていたモノコトに、それが普通では無かったんだと気付かされた様々な価値観に対しても今、人はそれぞれに自分の拠り所へかき分けるかのように目指しているようにも思えます。

そんな時間に至った経緯を今は決して悪いだけではなかったんじゃないかと思いたい。

当たり前だったことに、奪われて改めて気付かされる特別感なる感情は、何かを大事にするきっかけになるだろう。

同じような毎日を人は繰り返して歩いているのではなく、積み重ねて進んでいるんだと日々を大切にし始めるだろう。

進化が優先されていたような時代に今まではもう皆、追いかけるようにしがみついていたように思うけど、皆と歩幅を合わせる進歩の方がこの先もずっともっと重要なんじゃないかと考えさせられてるんじゃないでしょうか?

「僕は今、喫茶店の中に広がる風景にそんなことを感じて立っています」

まだ相席を含め店内への入店人数を制限している中でも、一つのハコとなる場所を皆で共有する足並みの揃え方は、それぞれを尊重する共存にも繫がっているんじゃいかと痛感するし、何よりも対面することを通して、体感することを介して、“肌で感じる”という触れ方に今一度情報共有のツールも視点が少しは昔のように戻っていくんじゃないかな?とさえ実感しています。

そう、便利な世の中は文字通り利便性で都合が良いだけで、人間味を奪わないタメには不便や不都合にどう向き合うかの段階も残していかなくてはいけないんじゃないでしょうか?ということ…。

要するに何で人間はこんなに弱くなってしまっていってるんでしょう…?っていう感覚。


そういう点では、世の中や世間と比べる訳ではないけれど、今の六曜社には誇らしく思います。

勿論携わる場所や視点で、それぞれ尊敬の念は変わってくることは重々承知ですので僕の視野からの話しをすればですが、「時間のかかることや」と先代のママに言われた時から地道に根気よく僕なりに蓄積させた月日の経ち方は早いのか遅いのかを含めどうなのかは分からないけれど、確実に今在籍してくれている従業員は“個”を持っています。

長年守り続けている人、その人達と共に色を染め合おうと歩み出している人、そして逃げない離れないとまた戻ってきてくれる人を含め新旧が同じ道をしっかりと辿りながらも、それぞれが色を放ち今の六曜社を築き上げてくれているように思えて感謝しかないです。

それは同時に客席に目を向けたお客様にも同じような感覚を抱けて、いつまでもこの場所が時を刻み続けていけるのではないだろうかという自信に似たような感情を最近特に得ることが出来ています。

おごってはいけないし、足元をいつまでも見続けながら先を見据えないと勘違いにもなるから妥協は許せないし、精進を忘れてはいけないけれど、世界に猛威を振るったコロナ禍を生きながら、冒頭の今の世間に目や耳を傾けてみると、本当に“おかげさま”で生き残ることが出来ています。

いろんな現実、様々な事実にも直面し悪い方向に進んでいる方には反感しか生まないかもしれませんが、今の証を記させて下さい。


エルマガジン社様に陰ながら書籍にもしていただき、題材となっている身としてはお恥ずかしい気持ちもありますが、こうやって在り続けることや残り続けることの執念が、これからの時代にも価値や意味のあるものにしたいですし、風の噂で少しばかりドラマ化などの期待の声もあるみたいですが、そんな話しがもし奇跡的に寄せられたとしてもそこは当然ウチに終止符や幕切れが訪れない限りありません。

なぜなら現実にあるこの場所で繰り広げられている六曜社の時間が何よりもドラマで、映画のような1ページの連続で、そして掛け替えのないリアルなんですから、誰かに映し出してもらうものではないですし、それはもう皆様に足を運んでいただき、これこらもずっとこの舞台で一緒に月日を重ね続けていくことが、過去になっていく歴史に対しての一番の恩返しだと思って歩いていきたいと思っています。


本日21:30店内の雰囲気に合わせ“Kath Bloom”にBGMを流してみてからより一層心奪われ想い溢れた感情がこんな時間に…!?

邪魔ではなかったけど、今現実に戻されたよ(笑)

少々一直線な熱さだけの内容で分かり辛い中身の有るような無いような文章お許し下さい…。

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2020年10月1日(木)コーヒーの日

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自家焙煎珈琲豆の通販を始めます

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2020年が始まり、徐々に事態が拡大していった世の中の状況に考えさせられ、思うことがあり、たかがコーヒー屋や喫茶店としての存在や位置付けに今まで大事にしてきたことの歯痒さを感じていました。

勿論それは今もこれからも変わらないんだけど…。

これまで足を運んでもらうことで、場所を知り空間を通してその液体を味わい体験してもらうことが何よりの醍醐味なんだと月日を積み重ねて来ました。

だけど行きたくても行けない人がいる時…。

どこかで自分や誰かのタメに淹れている人達のコーヒーの時間を大切に想うことも必要なんじゃないかと揺らぎ始めました。

珈琲豆だけが誰かの手に届くことは、美味しさを含め全てに責任は取れません。
だけど、コーヒーという液体が何より身近や日常に溶け込む飲み物にもなってきてる以上、カウンターの中に立ち続けるだけではなく、その楽しさを伝えていく意味は僕らにもあるのかもしれません。

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あくまで当店は自家焙煎珈琲豆販売店ではなく、喫茶店であるコーヒー屋さんであることを前提にご理解頂き、それでも遠くても同じ空の下、コーヒー豆の一粒一粒が見知らぬ誰かと結び繋げてくれることにも喜びを広げていきたいと思います。

そして一番はコーヒーを飲むことで笑顔が広がっていくように…♪

https://rokuyosha-coffee.stores.jp/

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