6448COFFEE+ESSENCE

六曜社珈琲店-セカンドライン-

2022年04月

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☆第22回 てんり高原マルシェ
☆日時:5月1日(日)11時〜14時
☆場所:天理市立山田公民館

ゴールデンウィーク期間中に森のようちえんウィズ・ナチュラと奈良県天理市の自然豊かな高原地域の人たちと共に創りあげていくマルシェが開催されます。

このイベントで出店される

『moriup』

さんが、私の焙煎豆を使用&販売して下さいます♪

・六曜社のオリジナルブレンドをホットコーヒー&豆販売。
・そしてこの日のタメにインドを深煎り焙煎した魅惑のアイスコーヒー。

以上を提供予定です。

店主はいつも丁寧で優しいお人柄で溢れ、何よりもコーヒーが大好きなお方で、何と私とはムフフな関係でもあるのです(笑)

気になる方は是非足を運んで店主に尋ねて見て下さい♬

最近は皆楽しいことを求めて晴れた日々を繋げようとしている時間が増えているようにも感じます。
まだまだあくまで「対策と注意」は忘れずに、それでもその中で素敵な時間を過ごしていきたいですね。

どうぞ宜しくお願いします。


★てんり高原マルシェ/ホームページ↓
https://www.tenri-kogenmarche.com

アムレテロン-ロゴ


今回は4月23日(土)着にて新しい焙煎豆をお届けしています。

★六曜社珈琲店(1階)より
・オリジナルブレンド
★6448 COFFEE + ESSENCEより
・コンゴ ローランドゴリラ(深煎り)
roasted by奥野 薫平

★六曜社地下店より
・ハウスブレンド
・インド
roasted by奥野 修


ご興味ある方は是非♪

※在庫状況などは直接お問い合わせ下さい。
TEL:03-5356-6639

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『喫茶の一族』でお世話になった著者の樺山さんに資料としてお貸ししていた2012年の『cafe sweets』が返ってきた。

もう10年前になるんだなぁという感慨深さと共に手前味噌な武勇伝が蘇った。

毎朝ポテトサラダ作って、営業始まってもサラダとかの仕込み(キャベツの千切りや野菜の型抜き)と、ハヤシライスやミートスパゲティ(オムライス兼用)のソースを作ったり、週替わりメニューの仕込みもして、時にはケーキ担当と共にケーキを作ったりしながらも、注文が入った料理は全て作ったし、オーダーごとにコーヒーも抽出して一日を過ごし、営業終わったら自家焙煎に向かった日々はいろんな意味でも若さ故に駆け抜けれた時間だったようにも思う。

そんな毎日を繰り返してあげくの果てには大事件を起こしてしまうのだけど、ボヤを起こして精神崩壊して、「休めっ!」と言われて体調不良(風邪)と嘘ついて初めてお店を臨時休業する時には貼り紙を父親に貼りに行ってもらった。

それでも次の日、お客さんのタメに休んではいられないと意地でも営業しにシャッターの閉まったお店の前に辿り着いた時、貼り紙の下にその時の常連のお母様から「お兄さん体調は大丈夫?…」という手紙と共に“はちみつレモン漬け輪切り大根”が入ったタッパーが一緒に袋でぶら下がっていて、思いがけない送り物を手にしてひとしきりに涙が溢れ出た事は忘れられない。
そしてその日、失態を知らず事情を知らない常連さん達に頂いた優しい言葉の数々は、正直に生きなければならないと痛感した日でもあった…。

『喫茶feカフェっさ』の月日は私にとって何ものにも代え難い時間だ。
それは『前田珈琲』という時間もそうである。

そして今積み重ねている『六曜社』での時間は、そんな月日を共にした沢山の人達への恩返しでもあれば、そんな沢山の人達が今でも私の心の支えとなり、姿勢を正してくれる大切な存在として居続けてくれているのである。

前田珈琲での時間は自分を磨かせてもらった感謝の意。

喫茶feカフェっさというお店は最高だったと思える数々のエピソードは私の無くしてはならない宝物。

六曜社の歴史やお客さんは勿論私にとっても大事な守るべきものに変わりはないが、私自身には六曜社以外にも関わる事が出来たお客様が居るという事実が、今、カウンターから眺める景色に対して何よりも繊細になる経緯だ。

毎日毎日、立派で居られる事も人間だから難しいのだけど、カウンターの中に立つと自然と居心地ややりがいを感じ『マスター』になる事に誇りを感じれるのは、更に思い返す20年という月日を、私はコーヒーとお客様と共に過ごしてきたからなんだと思う。

あの人は今どうしてるのかな?
あの子は今どうなったかな?

そんな事を想像出来る思い出と、そんな事は知る由もない現実はあれど、私がカウンターに立ち、コーヒーを淹れ続ける事でまた結ばれることがあるかもしれないという希望を胸に、これからも私は、これからのお客様とも結ばれるタメに、僕とあなたとその間のテーブルの上にコーヒーを届け続ける。

そして、そんなコーヒーを傍らに過ごす場を喫茶店という価値を通して、これからも数え切れない人に過ごしてもらいたいと切に願いながら、今日も明日も明後日もずっとこの先も共にしていけたらと歩むのです。

四人が過ごした夏休みは終わり、季節は春へと移り変わった

吉岡と晃とのその後はそれぞれの心の中に描いて

尾道で育った三人は

この春

京都に思い出を作りに旅をしていた

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4月13日(水)六曜社珈琲店

そこには確かにコーヒーを傍らに過ごす皆の時間が詰まっていた

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そして最高のパートナーになる本とレコードに

対面する会話を通して人を感じ

それらが集まり

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それぞれの一瞬が交わる事でその一つのハコは

人生が交差するサロンと化す

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それは昭和のあの時のように

令和にもしっかり存在していて

どんなコーヒーの価値が生まれていっても

守られる場所なんだと思う

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その日

晃とみーこと文江が過ごしたヒトトキの側面には

しっかりと皆それぞれが主役と感じる人となりも隣り合わせていた

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その時は何でもなくても

そんな何でもないことが

ふとした時に

あんなことがあったと思い出せる

かけがえのないものになっているのがきっと

喫茶店という場所で過ごす時間なんだと思う

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そんな思い出を後にして

三人はこれからも“映画 逆光”と旅をする



映画「逆光」presents『昭和喫茶へ行こう』

番外編/文 奥野 薫平

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先日の定休日のお休みは、息子も新学期前の春休みだったので、満開の桜の元お花見を楽しみました。

まだまだコロナのおかげで気を付けたり気にしたりする事ばかりではっちゃけたりは出来ませんが、暖かな陽気に気分も晴れやかになるのは確かです♪

いろいろな物事も、新たに感じたり切り替える事も出来る4月の新年度。

まだまだ不透明なコロナ禍にも今再び一筋の光が差している最中。

どうか少しでも令和四年度が兆しに満ち溢れる年になる事も願って、あっという間にこの土日には散り始めた桜に想いを馳せる今日この頃です。

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「映画逆光presents 昭和喫茶体験!」

定休日を利用して、六曜社を使用した初のイベントを開催します。

2022年4月13日(水) 17:00〜22:00
昭和喫茶体験@「六曜社」
一階:対話空間/地下一階:音楽空間

参加:須藤蓮 富山えり子

料金:1000円
(六曜社店主奥野薫平が再現する70年代コーヒー付き☕️)

★レトロファッションでお越しいただくと逆光ライタープレゼント‼︎

私 奥野薫平が、須藤蓮君の考え方や行動力に共感して、意向と共に生まれ企画。

この日は「昭和の焙煎珈琲」と題して、一昔前では当たり前だった、品質が優れない中でも焙煎士達が試行錯誤して表現していたコーヒーをイメージして、その日限りのコーヒーをご用意させて頂きます。

その他レコードでの昭和音楽体験も。
砂糖とクリームをたっぷり入れた「昭和スタイル」で珈琲を味わいながら、昭和音楽や交流、古本の出店をお楽しみください。
自慢のレコードの持ち込みも大歓迎だそうです!!

*定員がありますのでご予約がオススメです↓
gyakkofilm@gmail.com
までお名前をお知らせください!

◆◇◆◇◆◇◆◇

また、一足お先にこんなイベントも企画されています。↓


東京で大好評だった
「逆光presentsゴーゴー☆パーティ」
京都でも開催いたします‼︎

◆◆◆◆◆

2022年4月8日18:00start(~22:00)
GOGO PARTY‼︎
@「カフェ・アンデパンダン」

参加:須藤蓮 渡辺あや

学生:¥1,500
一般:¥2,000
(1ドリンク🥤入退場自由)

★レトロファッションでお越しいただくと
逆光ライタープレゼント‼︎

60年代ゴーゴーから70年代ディスコまで、
ヴィヴィッドでエモーショナルな
昭和ミュージック&ダンスで盛り上がる
一夜限りのParty☆Night!
昭和映像やゴーゴーダンサーズも登場。昭和的熱空間をぜひ体感してください!

☆共に詳細はこちらまで↓
・映画「逆行」公式Twitter/Instagram
https://mobile.twitter.com/gyakkofilm
https://www.instagram.com/gyakkofilm/

・須藤 蓮Twitter/Instagram
https://mobile.twitter.com/rensudo7
https://www.instagram.com/rensudo__7/



映画公開がスタートとした広島の尾道のその時のように、彼が想いを馳せる町や街は、蓮君の思考と行動により確実に『逆行色』に染められていってるように思います。
もしかしたら、その色はその時だけのものかもしれませんが、そんな中で生まれる彼や彼の仲間達になっていった“人”には確かな“体験”と共に色褪せる事のない“思い出”へと姿を残していくのでしょう…。
現代を生き抜く俳優という名の青年がこの時代に訴えかけれているモノコトには、次世代を“問い”そして“担う”人々の課題がもしかしたら詰まっているのかもしれません。

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※関連記事
https://www.houyhnhnm.jp/news/579322/
https://www.fashionsnap.com/article/ren-sudo-gyakko/

新年度の4月となり、組合新聞の刷新を行いました。

喫茶組合としての新たなステージにも向かうべく、広報(新聞担当)にも属し、改めて組合の価値を高めていく活動と、認知度を更に広めていくタメにも、新聞としての役割を再確認して発行に至っております。

そんな中、自身のコーナーも設けさせてもらい、いろんな観点からの思想や情報もお届け出来たらと思っておりますので、こちらのページ(ブログ)では毎月一回の私の担当記事のご紹介をしていきたいと思います。

どうぞ宜しくお願いします。

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私達は“食”という文化を産業として商いを営んでいます。
また、それらに“存在意義”を高めていくことを念頭に日常に寄り添う手段を見出そうともしているのだと思います。

そんな中、ここ数年のコロナウィルスの猛威に私達のみならず生活や社会といった全体が規制や制限をかけられ、本来や従来といった理想を奪われている現実が大多数を占め、私達は特にその“存在価値”を省かれているような位置付けに立ってしまいました。

それでもそんな逆境に立たされる事で、顧みるという時間を経た人もいるでしょう。

思えば真逆のインバウンドの時期、京都は誰のためのモノ?になっていたように思います。
観光地化が進み、異様なまでに人で溢れかえっていた街や町には生活の不自由も生じ、私達飲食店にも良し悪し含め多大な影響が出始めていて、迷走を究めている人も多かったのではないでしょうか?

そんな極端な両極を経て、今私達に芽生えているもの、又は構築されているものというのは何なのでしょう…。

時代はデジタルや情報化社会へと発展を遂げ、「ネットワーク」や「グローバル」といった規模が膨張しスピード感が増しています。
「システム」や「データ」という数値化が進み、マニュアルを招いたロボットのような思考が感性を支配しています。
「便利」や「利便性」は効率を生み、手間を省く最短で進むような距離感を求めるようにもなっています。

知識や答えを求めるものは画面上になっていて、沢山並んでいたり、整理されているようで混沌としていて、知れたようで身にならない。
人と繫がる手段はツールが主体となり、対面や対話を望んでいたはずの現実からは目を背けてしまい、眼差しさえ衰えてしまう。
それは目標や夢といった希望とするモノコトにもそうなってしまっているのかもしれないし、臆病だったり繊細になりすぎているのかもしれません。

以前はそういったきっかけや得たいものを手にするまでにも時間がかかった。
何より相手に対してやモノコトに対して慎重だったし敏感だったことを含め思いやりが今より多く必要で大事だったように感じれば大胆だったようにも思うのです。

あぁアナログだったあの頃の懐かしさ…
固定電話や手紙にフィルムカメラの緊張感、本やカセットやレコードに触れて感じる質感、待ち合わせ場所に向かう行為や駅の掲示(伝言)板に時計の針の動きに抱く時間の大切さ。
そうやって社会ではない生活の中でも失敗や体験が付随していて、そこから得る感情が何よりも豊かになって強くなっていったのだと思うと、今はいろんな「ルール」や「規則」に守られているようで縛られているだけにしか思えません。

決して今の時代を否定している訳ではありません。
生きやすくなったとさえ感じます。

だけど、なのに息苦しい…
溢れているようでありふれていて、自由なようで窮屈で、世界は広がっているようで狭く感じ、そんな葛藤が歯痒いです。
「共有」や「共通」を求め、同調を得る事でしか存在価値を高めれないような人間関係さえ増え始め、「個人」や「個性」といった一つの小さな光さえ輝けなくなってきているように思うのは私だけでしょうか?


それは“飲食店”といった商いでも同様の事態を招いているように思います。

一昔前、バブルが弾けて資本力や外資系がより姿を現し、資本主義がさらに格差を生み始めました。
そこには“資金”に換えることの重要性が特出し、経済や社会が“人”をある意味全体で見なくなっていったようにも思います。

食券やセルフサービスが増加し人を介す事が減り始めれば、客席で感じる開放感は一方で不必要な自由になってしまったとも言える。
カードや電子マネーが人の目を見るやり取りやお金の重みを感じる体感を簡素化し、さらに言えば作り上げるものさえ機械に頼り、安定や量産に導いたものにはぬくもりが欠けるのです。
接客はサービスと化しているものの、そこにはあるべきはずのおもてなしの“心”は欠け、単なる仕事になっていて、やはりそんな“時間”や“場所”には“尊敬心”や“信頼関係”というものは生まれにくくなっているのではないでしょうか?

それの何が問題なのかと思う人も居るのかもしれませんが、私には少し前にはまだたくさんあった人肌を感じるお店が感慨深いし、そんなお店に“居心地”や“安心感”を抱いていたと同時にこれからも増えていってほしいと強く願っています。
そしてそんなお店達が頭や心の片隅にで残り、また訪れたいとお店を後にするのです。

それは母の味のように求めてしまい、それらは実家に帰るような感覚で店主や従業員に会いにいく。
そこは自分を快く受け入れてくれて自身の部屋のように過ごしやすいのだけど、外に足を運んでいるという感覚はマナーが生じ背筋が伸びる程良い緊張感と相まって心地良い。
今ではお店探しは片手で繋ぐ画面越しに行き場を知る事も出来れば、選ぶ事さえ簡単になったけど、少し前は本当の口コミや雑誌を片手に時に彷徨う時間さえ楽しみになった。
記録されるタメに作られるのではなく、綺麗を纏うだけではない料理には、旨さ以上の美味しさがあり、飾らなくても記憶に残る肌感がそこには確かに存在していた。
勿論そうやって足を運ぶことで、その人なりの正解や不正確、失敗や成功といった結果に繫がるのだけど、それらが体験や経験となりお店選びやお店を知る醍醐味として価値になっていたのも確か。

それは学問ではない漠然としたセカイに置いては答えを知る事よりも、その方程式を重ね選択していく作業が何よりも重要で、そこには遠回りがあっても導き出す自分なりの“やりがい”や“幸せ”に結び付ける事が何よりも自身を強くする土台作りや回答に繫がるのだとも信じたいです。


『早い・安い・旨い』もあれば『手間暇かけた熟練の技』もある飲食店のセカイ。
その中間もあれば、何処にニーズを合わせるかはお店側の信念。

だけどそこにはお客様のタメがあって生まれる意義があり、想う気持ちが無ければ続いていくことさえ難しいのだと思います。

等組合は主に個人店さんを支える役目を担っています。

脱サラして人生を賭け、生きるタメに飲食のセカイに飛び込んだ人。
自身の経験を生かし、その技術や感性を惜しみなくお店という舞台で披露して来た人達の歴史も積み重なっています。

時代背景は変わっていき、現代は生活のタメという感覚で仕事や商いに向き合う人達も少なくありません。
だけどファッションではなくパッションを持って、着飾るのではなく自分のスタイルでお客様に愛される店を作り上げ、継続されるお店さんを支え応援したいと切に思いますし、何よりも良きライバルとしても切磋琢磨していける京都の食文化や喫茶文化の継承を担いたいと思っております。

受け継ぐ事と発展する事の両方を掛け合わせ、変えない(守る)事と変える(新しくする)事の矛盾も一環出来る仲間として手を取り合っていければそれほど心強いことはないはずです。

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