6448COFFEE+ESSENCE

六曜社珈琲店-セカンドライン-

2022年05月

何気なく空を見たら飛行船が飛んでいて

別に何処へ向かうわけでもなく

ゆらゆら回っていて

ただの散歩ならぬ散浮遊なんだけど

それを見てるだけでちょっとウキウキしました


あぁまた何も気にせず呑みたいなぁ~
もうちょっとの我慢かなぁ~

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そんなに車も通らなくて、ジャンプしたら越えられるんじゃなかろうかというこの横断歩道に捕まる時が…、割りと嫌(笑)。

たった3本線。

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3月22日(火)から京都の出町座にて始まった映画「逆光」の上映。

そして京都滞在と共に歩み出した「須藤 蓮」の活動。

そこからこれまでの期間というのは映画逆光が確実に脚光を浴びた時間だったように思う。

京都と、そこに住み、そこで商う人達と共に織り成した数々の月日はまさに京都の街がある意味“逆光”の輝きに包まれて、そのカラーに染められた日々だったのかもしれない。

そんな約1ヶ月半に渡り刻まれた思い出は、おそらく人それぞれに様々にあって、携わる人、または訪れた方々の中にそっとしまい込み温め続けたい記憶になっているだと思います。

物語の終わりのように、また映画の上映にも必ず来る終幕に対して、私達はその結果や答えを探ろうとするけれど、どちらにおいてもこの映画とこの期間に置いては、結末はその人それぞれの中に芽生えていて、一つの作品には作り手と共に受け手にも解釈があって、そうやって正解ではない理解を両者共に共存させていくまでが一つのアートなのかもしれないと気付かされたのでした。

京都での映画「逆光」出町座上映は5/12(木)まで、それと共に当店のタイアップ企画も同日が最終日となります。

「須藤 蓮」「映画 逆光チーム」と出会えた事、そして共に過ごせた時間に感謝して、私達はこれからもお互いの道を歩みつつ背中を見せながら、時に背中合わせに刺激しあえたらと思います。

お客様にとっても魅力的だった時間が数多く残っていることだと存じます。

そんな思い出を、こちらでは六曜社からの1ページとして残しておきたいと思います。

本当にありがとうございました。

★上映期間中“六曜社珈琲店”
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★上映期間中“六曜社地下店”
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★4/13(水)イベント“昭和喫茶へ行こう”
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そして全ての関連は公式から↓
☆Twitter
https://mobile.twitter.com/gyakkofilm
☆Instagram
https://www.instagram.com/gyakkofilm/

そして京都滞在中の主な活動。
(ロングランの実現と共に、その期間でこんなにも沢山の関わりがある事が正直凄い…)

★出町座にて
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★関連活動
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★関連イベント
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★関連アイテム
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本当にお疲れ様でした。
京都から感謝を込めて…。

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2022年5月8日(日)11:00~18:00

京都のCLUB「WORLD KYOTO」が新たに展開する『世界倉庫』という場(スペース)にて、“パフェ博覧会”なるイベントが開催されます!

そこで登場する

『CAFE SARASA × 六曜社珈琲店 』

には、“さらさ”さんが出店し、私が焙煎したインドのがんがん深煎りの豆をコーヒーゼリーにして、その日限りのPARFAITを提供されます!

ゴールデンウィークも最終日、賑わう京都の最後を是非このイベントで締めくくってみて下さい♪

★公式Instagram↓
https://www.instagram.com/sekai_soko/

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薫風vol.2

【逆光】
《「逆光線」の略》写真などで、対象物の背後からさす光。

これは国語辞典を開ければ調べる事の出来る言葉の意味です。

だけど文字や言葉で表現は出来ても“カタチ”の無いモノコトが世の中には存在する。

それは「愛」とか「恋」とか「心」とか「苦楽」など“喜怒哀楽”を含む全ての『感情』をはじめ「感謝」や「姿勢」に「情熱」といった“想い”の部分にそれは兼ね揃っているように思う。

だから人はそれらに馳せ、それらを探ることに迷い悩み、そして何処にあるのかと掴み取りたいがために迷走する。

そしてきっとそこには漠然とした答えはなく、その人なりの探求により辿り着く回答というのが『価値観』として導かれるのであり、それによって人それぞれというものが付随し共存するのが世の中なのだと思う。

私は最近、※1[須藤 蓮]という俳優を知りました。
そして[逆光]という映画を引っ提げて歩き始めた監督としての彼に出会いました。

彼は“工業的”や“商業的”に織りなされる作品やアートとしての立ち位置に疑問を抱いています。

勿論私達の“商い”としてもそれらは切っても切れない関係性ではあるのは確かですが、それらを中心に回り巡る社会的意義にも葛藤を持っているのです。

認知や知名度、そして影響力といった大きさが本当に評価されるものではないはず…と。

そんな名声が得られる事に超したこともないとは思いますが、大きすぎる空を見上げれば、計り知れないほどの宇宙を想像すれば、世界やましては日本は小さくて、私達がそれぞれ生活する地域というの想像する以上にちっぽけなのかもしれません。

だけど、だから尊くてそんな身近なネットワークが何よりも大事なのです。

彼は今、自身の映画作品を通して配給という作業と普及という活動を、カルチャーとしても最先端や話題性で渦巻いている東京を中心とした飛躍に疑問を称えて、あえて渦の外である地方から自分の足で、そして携わったキャストと共に、さらには仲間の輪を広げて“行動力”と“求心力”と共に力強さと心強さといった渦に負けない土台や芯といった自分なりの柱を構築させようと突き進んでいます。

そしてこの映画逆光においては、脚本家 渡辺 あやさんという経験者の視点とそれを見守る視野が支えになっているのも確かで、各世代を通して共存する意味、継続していくという価値と関係性というものも改めて考えさせてくれるのです。

そして、そんなもしかしたらちっぽけかもしれないセカイやセカイ感が何よりも重要で世間や世の中に広がって大きく繫がる事を信じているのです。

私達喫茶や飲食店というのは、スポーツや音楽、そして舞台や映画といった一堂に沢山のお客様を歓喜または感動させるものでは正直ありません。
ただ、一組一組や一人一人の時間に寄り添い小さな喜びと幸せを持ち帰ってもらう連続で少しずつ地道にその価値を高め広げているのです。

その人の人生の中で考えればほんの一瞬かもしれない時間に重きを置き、たった一杯のコーヒーでいっぱいのお客様に笑顔と満足を持ち帰ってもらう事で、止まり木のような時間にさえも大切なモノコトが転がっている事に気付き拾い集めてほしいのです。

そしてそんな「特別」と「日常」が交差する日が4月13日(水)に※2三条河原町の六曜社にて繰り広げられました。

“昭和喫茶へ行こう”と銘打たれたそのイベントには若者が集まり、携帯を忘れ、本やレコード、そして見知らぬ人とを交えた対話や交流が生まれたのです。

令和の時代にはもしかしたら珍しいかもしれないその光景には、あの昭和の時代のような体験と体感が入り混じり、何より従来“外”で過ごすべき社交性を兼ね揃えた『サロン』としての役割が確かに存在していました。

主役であるべきはコーヒーでもなく、映画でもなく、店主や出演者のものでもなくなり、その“時間”と“場”といったそこに集まった人達の“居心地”と“居場所”になっていたことを肌で感じれたのです。

そうやって一昔前は喫茶店という存在はいろんな意義が混合し共存し、それぞれが互いに評価され、価値観や世代観の違いに対して分別する事を今よりしなかったように思えば、社会においてももっと混同していたように感じてしまうのです。

今は時代の流れが早過ぎてほとんど誰も追いついてないような感覚で、何かが先行し過ぎてしまっている。

若者よどうした!ではない
大人よしっかりしろ!でもない

それぞれを切り分けるのではなく、切り離すわけでもない、お互いの尊重と共存。
それらが、もしかしたら継承され続いていく何よりの近道なのだと実感したようにも思います。

モノの価値は大きさや重さでもなく、そこにある人達にとって、何でもない事でさえも何かの時に思い返せる事というのが大小問わず『宝物』になるのだと痛感したのでした。

そしてそれをしまう宝箱もまた“形”はなく何処に置かれているのか分からいほどに尊いのです。

何かを目指す先には光が差していて、そのモノコトが影になって見えないならば、その影の姿が見える所までまずは目指し続け、そして辿り着いた人達にだけその光の先が見えるのかもしれません。

そしてその先から後ろを振り返った時に残っている足跡の数が、何よりもあなたの支えと強さになり『自分』で居続ける事が出来るような色を放てるのでしょう。

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