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昨日は四年に一度の閏年、午後からは雨とともに僕は15時からお店に立った。
世間の話題はコロナウィルスへと移り変わり、モーニングの時間は閑散としていたと伝え聞く。
それでも打って変わってティータイムと言える時間からは本日老若男女が入り混じり、一つのハコの中でトキを共にし、それぞれのテーブルの時間、そしてその人一人一人の人生が交差するひとときが見事に交錯し相俟って、僕たち働き手と共にいろんな会話や表情と全ての音が本当に一つの空間として広がりナガレていると感じるセカイへと繋がった。

それを僕は“喫茶的オーケストラ”と呼び、時には“喫茶ロック”と化す姿もある。

そしてそんな光景や風景をカウンターの中からの視点や肌で感じれた時に、僕はこの仕事の醍醐味を痛感し、鳥肌と共に少しの涙をこぼしそうになる時がある。

「これを待っていた!」

いつ訪れるか分からないその感覚や感性の中で想いふけりながら、やりがいと幸せを感じれる時があり、その感情がいつまで続くかは分からない。
そしてそれは薄いガラスで守られいるかのように繊細で、何か一つ少しでも何らかのズレが生じてしまえば脆くもヒビが入り、瞬く間に現実へと突き戻されてしまう。

そして今度は「いつ会えるかな」

と次の一瞬一瞬へと我に返るのである…。



名前の知らないお客様の注文を聞き、それを提供し見守るひとときを経て、お客様を送り出すだけのこと。

そんな連続に、「毎度!」と声をかける人が出来れば、一言二言言葉を交わす間柄を築き上げる人もいる。
何年ぶり、いや何十年ぶりに訪れたという方の思い出を共にすることもあれば、今日だけになるお客様とだって時間を共にすることを積み重ねていく毎日。

それが“一期∞会”と繋がってほしいと願う日々。

いつからか時代背景と共に“早い安い旨い”が求められ時間を消化する感覚に奪われてきて、経済の在り方と共に資本力のある店や外資系も増え、食券やセルフ式が増えたと思えば“ほったらかし”を自由と感じるようになってしまった飲食の時間。
そして今はお客さん自体がどう感じるかが全てになってしまっているのがほとんどで人任せ。

更には簡素化が生み出された社会。

でも本来は空腹を和らげることに、外で時間を過ごすことに、何らかを満たす“豊かさ”を求めていたはずであって、そこにはそこで過ごす時間でさえも充実が図られるはずだったと思う。
そして作り手にも手間があり、愛情や想いを込めるような個性が放たれ、いろんな意味で時間をかけることにも抵抗がなかったようにも思う。

これもまた便利や利便性を求めすぎて出来た価値観の違いなんだろう…。

だから何も悪いわけじゃない、相手がそれが良い、それでいいと思っているのであれば尚更。
だけど期待を裏切ってはいけないよなと思う今日この頃。

僕が本当に良いと感じる場所には“機微”という絶妙の距離感でその時間を一緒に過ごせる感覚があるし、その時間がほったらかしではなく見守られているようで心地良いし、それがお客さんという立場でもある意味マナーを問われる背筋が伸びるものにもなる。

それがお客様と働き手の尊敬心で、それらが双方の求める信頼関係の構築になるはずではないだろうかと強く思う。

確かに時代や社会は時間に追われるような、様々な現実問題として余裕のない日常と化してしまっているのかもしれない。
けど、本来喫茶店やカフェという場所の時間は止まり木のようなリセットやリフレッシュといった何かを蓄える場所で、ただ消化するものではない。
その人の人生の中で考えればほんの一瞬かもしれないコーヒーを傍らにする時間を預かったつもりで外に出るまでの時間に結びつけないといけないし、外に出てからの充実に繫げれる場所でありたいと僕は思う。

それはもしかしたら一緒に時間を共にする働き手にだって目を向ける必要があるかもしれない。

腰を掛け、コーヒーにホッとひといき息つくため息が何かを吐き出し小さな幸せを再度吸い込む空間でいたい。
そしてそんな一人一人のお客様の時間が満足となり一つ一つの積み重ねとして、その人にもお店にも次に繋がっていけばいいのだと思うし、そういったモノコトの本質を説いていく連続にもアンテナを張っていきたいと思う。

喫茶店やカフェとは何ぞや?と問われても今も答えは出ないし、答えのない正解を追い求める日々を過ごして何かしらに行き着くことが大事なんだと思うけど、あなたにとってコーヒーという存在は何?と問われれば迷いなく僕は“飲む音楽”と答え続けていくと思う。

こんにちの世間や世論の真っ只中で、お店としても、お客様が外に出ることにさえもお互いが注意をはらわないといけない中で、それでも今お客様がお店を目指してくれること、今ならそれは予定も崩れて行き場を失ったり時間を持て余してる人だっているかもしれない。
そんな時でさえ、どんな時でさえ、この喫茶店やカフェという場所は人々にこれからも飲食として満たすだけでなく、時間も心も満たしていける空間としても日常に寄り添う身近だけど特別な矛盾を一環出来る居場所や異空間として在り続けたい。