1630152082406


不自由という言葉は的確ではなく、語弊を生むかもしれませんが、五体不満足という身体で夢を見つけ、目標を定め、そして努力する姿にはやはり感動を覚えます。

片眼の視力が弱い僕ですが、五体満足には生きていて、普通という感覚は人によっても価値観は違うし、幸せの角度だって違ってくる点も理解はしているつもりです。

先日から始まった『東京パラリンピック』

昨日の休みに何気なくテレビを付けてみるとその有志が映し出されて見入ってしまい、また特に僕の感情を揺さぶる高校野球と共に感情移入してしまったというか、思いふけってしまいました。

現在、世界において不自由を感じている人は少なくないと思います。
いや、それよりも多くのほとんどの人が抱いている感覚ではないでしょうか?

その中で開催のリスクと共に“是非”が問われたオリンピックを含め、次に繋いだこのパラリンピックを観ると、必要だったのかも…と強い気持ちを抱きました。

この舞台に立っている人達だけではなく、またこの舞台に立っている人達はその中でも努力を重ね光を浴びているのだと思います。
光を浴びている事が幸せかどうか、報われているかどうかではなく、人生を諦めずに進む裏側が映し出されなくても感じる有志が何よりもパラリンピックを見て見受けられ感じるセカイだと思いました。

オリンピックも素晴らしい大会だけど、普通の感情を用いれば今回だけは可否は問いました。
だけど次にこのパラリンピックに繋げられた事で、その可否に是非の問いは一般という主観や普通に捕らわれていたのかもしれないという自身への疑問にもなりました。

そして今回のこの大会には特に自身や皆様にも奮い立つ勇気を与えてもらえるのではないでしょうか?

情に流されるいるのなら、その視点さえ五体満足からの偏見に見受けられるかもしれませんが、情という感情を表す事の出来る人間として、それを大切に心や視野は広く綺麗を保ちたいなと切に思った今日この頃なのでした。