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紅く色づいた木々達は、寒さと共に厚手のコートを身に纏う私達とは違い、装いを剥がすような姿へと変わりゆく。
陽の沈みも早くなり、夜に灯されるネオンの光は一層輝きを増し、放つ時間を延ばしながら、私達の心も何だか照らしてくれるような気もするのです。

「足早に家路を急ぐよりも、ちょっとだけ寄り道して暖まろう…」と。

そして、そんな光の中に迷い込んでいくのである。

『京都は街自体が一軒の巨大なカフェのようだ』
『京都は喫茶・カフェのテーマパークである』

と、謳う人がいるように、そんな地に身を置く私達には、いつもどこかでコーヒーを傍らに過ごせる場所が近くに存在してくれている。
そして、そんな「千差万別」「多種多様」なアトラクションを選択出来る贅沢さは、他の地方には珍しい文化になっているのではないでしょうか。

そしてそれは、人々が眠りにつき、静まりかえる時間でさえ続いているのである。

日を跨ぐ午前0時を過ぎてもなお、注がれる黒い液体は、もはや輝くように美しい。

眠りたくない訳ではないけれど、眠りにつく前に、何だか頭の中を整理したくて、心の中をリセットしたくて、誰かと話しをして何かを整えたくて、時に白い紙にペンを走らせ、また時に本のセカイのページをめくり、自分の気持ちや考えに向き合う事で、日付が変わってまで短くなっても構わない良い夢を見るタメの現実の時間を削ぎ落としながら、明けない夜はない朝に繫がる無駄かもしれないヒトトキに意味を問い、価値を持たせる時間を過ごせる場所が、京都にはいくつか存在しているのです。

そんなお店の輝やきは、暗い街並みの一筋の光でしかないかもしれないけど、百万ドルの夜景とされる綺麗さよりも眩しく、またそんなお店の店主の眼差しこそが、優しく、感謝を覚えるほどに力強く支えてくれているのかもしれない。

そして最後、温まった体が身震いするほどに寒い扉の向こうを開ける背中に、語りかけるような「おやすみなさい」の一声があるだけで、家に着くまでの体温を暖めてくれるのである。

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