2022年が終わろうとしている。

1年間を通して全体を眺めてみると、今年も着実に前に進みながら月日を積み重ねる事が出来ていたのだと思う。

しかしながら、年の瀬を前に父親の不調を目の当たりにし、検査入院を待つ前の12/10の父親自身の誕生日の日に離脱する形になってしまった事には、正直老いという逃げ切れないハードルがある事を実感した。

さらには年末前、自らのコロナ陽性発覚で、喫茶店としての日常を止める事だけは避けていた想いを、結果的に4日間だけではあるが、休業という選択肢を選ばずにはいられなかった現実は悔しい思いでいっぱいでした。

「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず」のようなバランスのように、長い目でみれば“たかが4日間、されど4日間”であるかの比重は自身の胸の内に秘めておくことなんだけど、誰かの一日で考えれば、省かれた止まり木のような寄り添う時間を奪ってしまった事には、申し訳なさを痛感する事しか出来なかったです。

それでも復帰してここ数日、優しいお言葉を告げて下さる常連の方々には感謝しかなく、年末の挨拶も含め、こうやって2022年の最後を営業しながら皆様と過ごせた事には、タイミングとしてはギリギリセーフだったと切り替えることが出来ています。

71年目も過ぎ、六曜社は少しずつ未来を見据え模索しています。
それは僕が家業に戻ってからの10年間でさえ、本当に途切れることなく何かが舞い込み、絶えることなく越えなければいけない壁が幾度となく立ちはだかってきているからです。

思い返せば、もう少し安心や安定の時期が長くあっても良いんじゃない?と思うほどに、家業に費やしてきた日々が今の私を築き上げています。

良かったのか悪かったのかで言えば、そこには答えは出ないけど、感想としてとしてはしっかりと受け止め、そして乗り越えることは出来ているだろうと思える自分がいる事には安堵しても良いのかもしれません。

そして長年携わってくれている家族のような従業員と、新たに歴史を共にしようとしてくれている従業員も支えとなり、家族ではない中心メンバーが横に居てくれるようになりだした事は、何よりもの収穫なんだろう。

六曜社を守り続けようとする限り、その道は途切れる事はない。

ただ“何とかなるだろう”では越えられないハードルがあると思う。
そういったモノコトには“何とかするんだ”というレールを敷いていかなければならないのが事実。
歴史を途切らせないという事は、先頭を歩く者が、中心となるべき人間が、未来を見据え、様々なモノコトを牽引していかなければならない現実があるからこそ繰り返されるように続いていくのである。
そして、それらは途切らせたくないがタメの意地だけになって、眺める角度や目線やを間違えてもいけない。
変わらないの意味を問い続けながらの美学と共存さないといけないのである。

「変わらないね」の価値が、どれほど重要かは分からない。
だけど、変わらないねの安心感や思い出は、私には大切だ。
そんなお客様にとっての感覚を大事に、今日も明日も明後日もこれからもずっと、私達はテーブルの上にコーヒーを届け続ける日々なのである。

途切れないことの重要性、そして続けていくことの価値を高めていける「喫茶店」として、これからも絶え間なく継続の意味を見出していけたらと思うのでした。

20221231_063712


皆様、今年も大変お世話になりました。
来年も何卒宜しくお願い申し上げます。

それでは良いお年を。