昨日から雨が降り、ゴールデンウィークスタートだとされる土日は少しどんよりしていた。
今朝も雨降りは続いていたが、何だか雲の向こうからは光が差してくるようで明るく、日中に向けて天候も良くなりそうで気分も少し上向いてきた。
そしてなぜか頭の中にはPUSHIMのa song dedicatedが流れだしていて、そんな中この投稿に手を伸ばしてみるのである。
そう、日本は5/8(月)からコロナウイルスの分類を第5類へと移行する事を正式に決定したからだ。
ただ勿論無くなった訳ではないし、その感染症を楽観視して良い訳でもない。
だけど…、長かった…。
そしてそう思う事が出来ている今と自分は、何だか本当の笑顔を取り戻してきているのかもしれない。
何故かといえば、それはずっとどこか悔しさがあったからだ。
店を何とか維持して、続けることが出来ている事には誇りは持てても、漠然としていて満足は出来ていなかったように思う。
それは僕が六曜社の1階店で大事にしたかったモノコトを省かずにはいられない日々になったからだろう。
コロナの流行が始まりだし、日本も時短要請などの制限を設けだした当初は、それらを受け止めずに、それが店やお客様のタメだと思って一人通常営業を続けた。
それでも猛威は止まらず、感染者が増え続ける波を繰り返すと同時に、私も様々な意味での維持と理解のために、行政の指示や要請にやむなく従い、そして何より協力金という救済策である資金の確保のタメに従う事を決めた…。
それは確実に正しい選択だったと思っている。
微々たる功績かもしれないけれど、それが従業員も守り、そんな飲食店の行動が集まっていく事で人々の不安を少しでも拭っていくタメには必要だったという事を今でも自信を持って言えるし、そんな団結の連続で世の中が明けていくことを信じるしか術がなかったのも事実。
だけどそんな日々の帰り道、それでも営業しているお店を見て、そんな店内に広がる光景を横切る中で、何だか負けたような、羨ましかったような感情や感覚を抱いていた事を情けないが確かに覚えている。
何故かと言えば、それは何よりも、六曜社がずっと築き上げてきた「相席文化」を一旦止める事しか出来ず、あの賑やかで華やいだ時間とはまた違う、ある意味本来の姿ではない場所を守ろうとしていたからなのだろう…。
私は普段カウンターの中に立つと、背筋が伸びる思いを感じている。
それは家族が築いた六曜社という歴史と、70年以上の皆様の思い出を大切にするため、そして一番は、今そこに訪れているお客様の人生の中で考えればほんの一瞬かもしれないヒトトキが交差する空間を、素敵なものに繋げるために保とうと心掛けているからである。
暇つぶし、待ち合わせ、本を読み音楽を聴き、人と話して時を過ごす。
六曜社という場所には、一つの空間にいろんな時間軸が混じり合っていて、それらを共有しながら、コーヒーを傍らに皆が共存している。
一つ前の時代は、政治的な要素を加えながら、右やら左やらの思想や個人の主張が入り交じり、少々刺激的な論争さえ繰り広げられていたけれど、個人の時間にも目を向けられるようになった現代は、そんな個々の尊重を加えながら今も若者によって、一堂を会する光景が保たれている。
私が眺める景色からは、客観的に見ても、この場所には肌感や質感といった直接触れ合う事や体験することへの価値を分かり合っている方々で形成されているのだと感謝している。
そしてそんな連続で、勿論年配の方を含めた老若男女問わない間柄が今日もテーブルやコーヒーを介して自身の居場所として居心地を求めて足を向けて下さっているのだと信じている。
ここ数年のそれらが省かれた月日が何も悪かったとは思わない。
そこから得た価値観や、それから経た経験があり、それらを蓄えてもなお、やはり揺るがなかったこのスタイルに対して、私はこれからも時代を紡いでいきたい…。
学問においては正解が問われますが、人生においては正解は無く、自分の中での答えに導き出すかの連続です。
そしてその答えにさえ誰からも回答は無く、他の人の人生は参考書にはなるかもしれませんが、やはり何よりも自分で築く方程式が掛け替えのない鍵で、その答え合わせはきっと人生の最期にでしか気付けないのでしょう…。
要するに正しい選択が出来ていくかが重要で、道をもし外したり外れたりしたとしても、それが目指す先に前を向いて進んでいれば遠回りとして、栄光に近道はなしになるのです。
さぁ、六曜社はここから、相席の制限を緩めて本来の姿を取り戻していきます。
そして賛否両論、新しい時代にそぐうかは未知数ですが、取り返す事の出来ない日々を、あんな日やこんな事があったと笑える昨今に出来るように、これからも時を重ね続けていきたいと思います。
同じくして、地下店のような個人の時間や一つのテーブルというセカイを大事にする“オアシス”と、1階店という一つのハコを共にする“サロン”としての役割を担いながら、それぞれの意義や意味がお客様にとってこれからも時代に関係なく求められ輝いていけるように、様々な人達の日常に寄り添っていければ本望です。
『君一人 この僕は 安らぎさえも 手渡せないかもしれないけど 力の限り この場所で コーヒーを淹れ続け 君に届け』
そこで過ごした時間で、微笑みを持ち帰ってもらって、それらがその人を介して、何処か風にのって、皆を笑顔に結び付けてくれると願っています。
奥野 薫平
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