─目眩く日々に─

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去年の予期せぬ出来事を思うと、2025年の幕開けは何だか穏やかに始まったように感じます。それでも、曜日の関係で年末年始を長期に休む日取りが出来た方も多いと思いますので、飲食業界としては様々な店が賑やかなスタートを切ったのではないでしょうか。
昨年からはインバウンドが戻り、さらにはオーバーツーリズムに至る京都の街は、完全復活と言っていいのか、この境地や状況と共に過ごしていくべき術を考えていかないといけないのでしょう。
私達の日常生活としては、困惑や困難がつきまとってもいますが、世界の人々に日本の良さを感じてもらうには、この環境とも向き合っていかないといけないですし、その状態から生活に支障が出ないように、様々な角度から対策や整備をしていく事も今後の大きな課題となっていくのでしょう。
まさに、それはまたこの日々が“当たり前”という感覚に戻ってきた証拠なのだと思います。そしてこの“戻った”という感覚を私達は忘れてはいけないのかもしれません…。
そう、それは世界中の人がコロナ禍という現実を過ごし、経済や社会、そして生活までもが止まったかのような時間を過ごしたということの事実。以前は戸惑いしか感じることの出来なかったこの人の波に、少しは感謝も出来るようになったのは、いろんな物事が改めて当たり前ではないと気付かされたからなのかもしれません。
それでも私達飲食業界としても忘れてはいけないことは、そんな中で変わり果てた姿となった店や、終止符を打つしかなかった店があるという事。救済策から外れ、補助や援助が受けられない現実を受け止めるしかなかった店舗は、現在どれだけ存続出来ているのでしょうか。対象となれた店でも、その救済策が無ければどのようになっていたかと想像がつく方々も多いと思います。予想もしなかった猛威に、国の対策に感謝する一方、逃れられなかった店舗がある事を思うと、今後そんな非常事態が起きた時は、出来るだけ平等にや全体を考えた振り切った支援を与える視野も持ち合わせてほしいと願うばかりでもあるのです。
そして、それを経た昨今は、為替の変動や物価高、さらには原材料等の高騰や賃金等の上昇で経済含む社会の在り方までも変わろうとしています。これらはやはり自力で乗り越えていくしかなく、自ら対策を練り、将来や未来に向けて時代とどのように共存していくかという事も個人店や中小企業の大きな課題となってきています。
組織として、生衛組合の現状も変化が起きています。そんな中でも当組合が個人店の皆様にどのような下支えができ、横の繋がりも広げ、大きな和として価値観を共にして切磋琢磨していけるかも大きな鍵になっているのだと感じます。飲食業を展開する我々個人店は、日常に流れる時間の中で生活の一部として存在し、何よりお客様と身近に接する事が生きがいであり誰よりもお客様の笑顔に喜びを感じる人が多いと存じます。そんなお店の数々が京都や日本を少しでも支え、お客様の拠り所にもなれている商いが活気付いていけばと思うと共に、零細企業という位置付けの人達の力も再認識されていけば、それほど嬉しい事はないのなもしれません。