6448COFFEE+ESSENCE

六曜社珈琲店-セカンドライン-

カテゴリ: 日常

そんなバナナっ!!

っていうコントみないな現場を通り過ぎました。笑

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これ、誰かスベり転げた後なんやろか…。

関西は、お正月飾りも今日で終う時期。

小正月にも当たる本日に、今年もお店の町内の初詣に参りました。

実はの喪中でもあるので、少々お門違いではありましたが、今年は何と私個人的に本厄にも当たっているのと、そこまで堅苦しく考える家系や性格でもないので、町内の方々と1年の始まりを共にさせて頂きました。

町内の今後も含め、今年1年も穏やかに行きたいものです…。

あぁ、町内会長にもなりそう。(笑)

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本日10日(水)で十日ゑびすの参拝に足を運べました♪

「商売繁盛笹持って来~い」

の音頭のように、皆が昨年の笹を納め新たな笹を手に商いに戻る。

今年は何よりも、年明けから何も規制の無い1年の始まり。
商売をされている方々の期待や眼差しも違ったように感じれる活気がありました。

今年も1年、またお客様のタメに突き進むだけです。

どうぞ宜しくお願い致します。

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1月3日(水)より、2024年の六曜社が幕を開けました。

まずは、年初から大きな災害が発生してしまった「令和6年能登半島地震」で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、犠牲になられた方々、そのご家族様には謹んで哀悼の意を表します。
今も尚、被災地域では不安な日が続いている事と存じます。皆様の安全確保、そして被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

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新年という装いと新鮮味の中、六曜社や京都は、ある意味変わらず日常をスタートする事が出来ています。
そんな何気ない日々にさえ“当たり前ではない幸せ”が転がり隣り合わせになっていて、普段過ごす毎日の中では、その感覚を見失っている分、このような事態が起きてしまった時に“当たり前にある幸せ”の意味を確認、または実感してしまっているように思います。

日本としては、コロナ禍を経てようやく、何の制限もない1年のスタートを切れています。
ここから、本当の意味で飲食店としての回復や復興も見送っていける時期に入ったのでしょう。

何事も受け入れて、受け止めて、精進していくことも忘れず邁進出来たらと思う次第であります。

私個人としては、今年は主催企画の構想が進んでおります。
また、その他イベントや企画等の参加へも現在進行形のものがいくつかありますので、また皆様の楽しみとなるご報告を随時出来たらと思っています。

何よりも、六曜社という場所や過ごす時間が、変わらずこれからも皆様の日常に寄り添える事を第一に、今年も月日を重ねていきたいと存じますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

ずっとお見苦しいと思っていた一部のソファーも、来年に向けてやっと張り替えれました。

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家庭(家)も仕事(店)も大掃除の時期。
いつも無理矢理やってる感アリアリですが、今年は一つ一つ丁寧に焦らず過ごしたいと思っています。

何だかその他も色々舞い込んできたりしてますが、それらも一つ一つ確実にクリアにしていって、世の中が晴れやかに明けてきた分、来年こそは年明けから本当の意味で充実させていきたいと思っています。
それと共に、いろんなモノコトが制限される事なく当たり前になっていく感覚が、取り戻されていけば嬉しいなと思う今日この頃なのです。

すっかり日が暮れるのも早くなりましたが、それは同時に陽が昇るのも遅くなったということ。

うん、地球も宇宙(星)もしっかり回っている(笑)

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2月からの恒例のイベントに向けて、動き出してます。

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さぁ、もう今年が終わろうとしている…。笑

今日から12月、師走の異称のように、ここからもあっという間に慌ただしく過ごしてしまうのだろう。

今年を振り返るよりも、去年の今頃は、ここから色々あったよなぁと感じる今日この頃。

乗り切ったのか、乗り越えられたのかの今は、店としては充分に成長したのだと思っているし、感じれている。

そして年末、おそらく改めて今年を振り返るだろう時には、この1年無事に終わって良かったなぁと思えるよう、この1ヶ月間も大事にしたい。

ひとまずはまだ、クリスマスなんてものもある事だし、焦らず急がず最後にゆっくりと12月を過ごし楽しめる余裕を持ってみたい…。

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祖父母宅(焙煎小屋)の椛も真っ赤に染まりまして、南禅寺方面は紅葉のピークを迎えている今日この頃です。

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お店もお蔭様で嬉しい悲鳴にはなっておりますが、観光名所の人波にはちょっと疲れるのが本音です…。

すんません、チャリ族の私はダイレクトに進めませんねん(笑)

そういえば、11月に入って見かけた光景。

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いつだったかなぁって検索してみたら、もう終わってたんですけど、『粟田祭』の「夜渡り神事」で粟田大燈呂と共に巡行される燈呂達が列んでいました。

私も、古川町商店街の脇でお店を営んでいた時は、復活を果たした時くらいだったので、毎年楽しみにしつつも、もっともっと沢山の人達に認知されたらなぁとも思っていましたし、京都の四大行事(葵祭,祇園祭,大文字,時代祭)に並んで五大行事にまで登り詰めてくれないかなぁなんて期待もしています。

だって、“ねぶた”の原点かもしれないらしいですよ(噂)

それくらい歴史のある神幸祭でもありますので、何事も継続や発展は難しいですが、どんどんその魅力が広がっていけば良いなぁと願うばかりでございます。

って、気持ちは叫びたいけど(笑)やっぱ街は静かで…。

冷静に一人でエレファントで喜びを噛みしめてる♪

阪神タイガース、38年ぶりの日本一!

「おめでとうございます」

前回の日本一は野球も知らなければ、物心さえ付いてないので、こりゃもう初めての体験、初めての感覚♬みたいなもの。
そして、そう考えると長かったんやなぁ~って改めて思う…。

やっぱ僕、野球&阪神ファンやったんやと実感(笑)

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二つの川が合流する出町の鴨川デルタより西方面から流れてくる川の表記が実は加茂川(賀茂川)で、東方面は高野川と呼ぶのを皆様はご存知でしょうか?

勿論京都の方は知っていると思いますが、そんな加茂川方面を自転車で走っていると、こんな光景が♪

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加茂川ならぬ“鵜も(いる)川”になっていて、同じタイミングで居合わせたおじちゃんも「こりゃ珍しいなぁ」ってつぶやいていました(笑)

鵜飼なら宇治川が定番だと思うので、天然なのかな?加茂川で貴重な姿を見れて嬉しかったです。

無かったん!?

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老舗洋菓子店の新たな試み♪

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朝晩と共に、日中も過ごしやすさを感じ始めてきた今日この頃。

今朝は何だかちょっと温かくなりそうだなぁという空の下、夏の日差しを感じる色と秋らしい雲が相まっている様子。

春夏秋冬を楽しめる日本ですが、ホントここ数年は春と秋が短く感じる。

景色で言えば、美しく華やぎ、心躍る両者を堪能出来る期間が欠けていくようで何だか不安になるし、いつもだったら涼しい気候になって、何となく“寂しい”“心細い”なんて感情を抱く事も多い時期だけど、猛暑含め暑さが長く続いての寒さに変わって「何か疲れたな」なんて思ってしまう…。

暑いか寒いかの夏と冬だけじゃなく、この秋と春をもう少し気候と共に長く過ごしたいよなぁと思うのは、私だけでしょうか。

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自身が小学5年生の時、目の怪我から約1年間入退院を繰り返していた時期に、病室のおじさん仲間と共に対局を繰り広げていた将棋。

ホント毎日やる事なくて、友達がお見舞いに来てくれた時は大喜びで嬉しかったけど、今思えば、お昼になったら同じ顔触れが談話室に向かって「いいとも」観て、その後横にある小上がりの畳の上に移動して足を組みながら、おっちゃん達と将棋で楽しんだ日々が懐かしく思う。

漫画もたくさん読んだよなぁ~と思い出しながら、今は時たま息子と将棋を指し合う時には当時の記憶が蘇りながら、お互い負けず嫌いだから真剣勝負する。

プー太郎の時期もそうだったけど“退屈”な時間を過ごしていた時ほど、そんなヒトトキやルーティーンも、実は平和で幸せだったんだと気付く。

その時は何でも無かったモノゴトに、今感慨深く思えるのは、きっと歳を重ねた月日だけでなく、状況や環境も変わり、成長した物事の経緯があるからだと思うけど、人間は無い物ねだりだよなぁと感じて現状の自分を知れたりする。

だから、何でもないような“今”や“体験”も大事に思えれば、それは素晴らしい“経験”として大切な日常に変わっていくんだろうなぁ…と、ふと思い馳せてみたのである。

そんなこんなで「藤井聡太」史上初の8冠まで後1勝!

久しぶりに、丸太町通りより北に向かった気がする。

先日の休日に、ある用事があって高野の方に向かった。
その帰り道、久々にと立ち寄った『進々堂 京大北門前』は、私の中では気持ちをリセットしたりなど、少し我に返りたい時などに足を運んでしまうお店だ。

よその店の事を、公にとやかく言うのは違うと思っていますが、心が揺さぶられてしまったので綴らせて下さい…。

1930年から始まる、京都の中で一番古いとされるカフェ(喫茶)。
どんな職でも節目と言えるような100年に、京都のコーヒー屋としては一番近いお店である。

ウチと同じように、学生さんのアルバイトもテキパキと働いていて、これまたウチと同じような白い小さなサロンを私服に巻き付ける姿は、空間として“静”と“動”の違いはあれど、何処か似通った雰囲気があると個人的には思っていた。

そんな場所に思い立って足を向け、大きな窓越しに変わらぬ店内の姿が覗えたと思いきや、足を踏み入れるとシステムが変わっていた…。

注文は店頭で、お水と返却はセルフ。
給仕こそして頂けるが、元からBGMも流れていない静寂の中から生まれる音を感じたり楽しめた店内は、より時間が止まったかのような場に変わっていた。

勿論批判的な話しではない。
これは強く否定させて下さい。

そして、もしかしたら訪れた日、または時間により生じていたイレギュラーだったかもしれないなら、私はそのヒトトキしか覗えてはいないのだが、4代目店主が一人店を切り盛りし、奥様かな?の手伝いもお見受けはしたが、アルバイト募集の貼り紙が現実を物語っていた。

そしてコロナ禍を経て被っただろう経緯と、時代背景に直面したかのような姿に、私には不本意ながらでも、その刻み続けた時を止まらせぬためにと、直面した現在を進み続けられているように見受けて胸が熱くなってしまった。

私の店は、街中という事もあって幸いお客様の足が戻る機会に恵まれた。
しかしながら町中にあり、学生の生活スタイルや価値観も変わりつつある百万遍という京大生の地域の中では、あの進々堂さんさえ苦しい思いをされているのかと思うと、何も出来ないかもしれないし、応援したいなんて気持ちがお門違いな感情かもしれないのだが、何とか、何とか、この境地を乗り切り、そしてこの先もずっと京都の「喫茶文化」の第一人者として、あの止まったかのような時間で感じることの出来る異空間と歴史の象徴を、どうか守り続けていただければと願っています。

私のような喫茶店主の端くれが、もしかしたら失礼かもしれませんし、その日だけで感じたその時だけの私の違和感に過ぎないかもしれないのですが、どうか皆さんで京都の中で一番歴史のあるその空間を大事にしていけたら良いなと思いました。

また行きます。

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はい。

根っからのタイガースファンであり、岡田監督の大ファンです♪

そして緊急速報です♬

誰にも信じてもらえないと思いますが、10年くらい前から岡田阪神の実現を願ってた僕からしたら“してやったり”の現実です(笑)

そらそーよ、お~ん。

夜の店内は賑わっていましたが、店から眺める外の景色は以外と静かだったので、今日はアレを逃したのかなぁと思っていたら見事優勝してました!!

そう思うと、18年前の優勝は河原町にも皆人が繰り出して優勝祝いしてたし、僕も便乗して友人と街を金髪アフロ被って徘徊して、すれ違う人とハイタッチとかするほど盛り上がってたので、なんかちょっと寂しい気持ちです…。
帰り道、盛り上がってるだろうなと三条大橋も経由してみましたが、普通でした(苦笑)

18年前は、龍馬通りから鴨川に降りる所の小橋からですが、道頓堀並みにあんな浅い高瀬川に飛び込む勘違いな人もいっぱいいたし、何なら翌朝店のシャッター壊されてるっていう事件もあったみたいなので…、野球人気がちょっと心配です。

それでも聞くところによると、関西だけでも経済効果はWBC優勝越えの予想をされてるみたいなので、日本シリーズも阪神&オリックスになって、日本中の経済を更に盛り上げて回復するくらいの勢いを狙ってほしい今日この頃です。

岡田監督も、「アレ」の後の言葉を考えてなかったみたいなので、私は目の前でもあるし「ソレ」に向かって頑張れっ!と引き続き日本一に向けて密かに応援し続けたいと思います♪

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ちなみに河原町通りは、今夜からアーケードの装飾が秋仕様となったのですが、色合いがまさにジャストタイミングの祝タイガース優勝カラーと化していました!!!(笑)

ではでは明日は皆さん、どうぞ当店に沢山新聞を読みに来て下さいませ。

今年は住んでいる町内でも、店の町内でも無事に地蔵盆が開催されました。

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住んでいる町内は4年ぶり?の開催で、子供達が楽しくお手製のゲームなどを楽しみ、地域の触れ合いの大事さを感じれたのですが、店の町内は昨年から続いて縮小規模でお参りのみ。
現状住んでいる人や、子供達もいないので、いよいよ在り方を考えなくてはなりません…。

地域の行事として、また関係性の継続や構築として、大切なことは守りつつ、これからを考えるのはやはり何事にも必要だと感じる今日この頃なのでした。

大荒れの台風の後。
17日の朝方、京都市内には虹がかかっていたのでした。

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夏も終わるのかなぁ。
そういった気配を感じましたが、猛暑続いてます…。

8/15(火)台風7号の渦中もお店は営業で、個人的には休みを取っていたその日は、残念ながらの予定も流れました。

あぁ悔しい(笑)

逆に皆が頑張ってくれた事に感謝です…。

そんな中迎えた16日(水)は少しでも夏休みの思い出をと、息子の趣味と化しているお城巡りにと、弾丸で日帰りの福山城を目指そうとしたのですが…。
通り過ぎた台風の跡も交通機関には影響があり、京都駅で作戦変更。

これはむしろ行く前に新幹線が止まってくれて幸いだったのかもしれません。

すぐさま予定を変更して、安全だろう近鉄で奈良へ。

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大和郡山に向かい、郡山城跡と金魚の町を楽しむ事にしました。
(といってもお盆でお店はめっちゃ休んでた…)

それでもお城跡を堪能し、町並みでは何やかんやで風情を楽しむ思い出も出来て、残念ながらの中でも、何とか無事なお休みを過ごせた事は良かったのだと思います。

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当初の予定だった静岡は、またの機会にするとして、いろんな意味で思い出の詰まった“2023 夏”となったのでした。

台風前の14日(月)には祖父母のお墓参りにも行けてたし、本日16日(水)はギリギリ家に戻って、灯火が薄れる大文字を眺めて先祖のお見送りも出来たので、何とか大荒れの2日間を過ごして、無事に明日からの日常を取り戻していく事が出来そうです。

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焙煎小屋の煙突が抜ける隙間から

差す光に

夏の力強さを感じる今日この頃

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エアコンの無い焙煎所は

暑さとの戦い

…負けない眼差しを持とう


と、無理矢理紐付けてみる。でもまぁ大事なこと。笑

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昨日の7月24日(月)祇園祭山鉾巡行後祭り。
それは息子の誕生日でもある一日。

その日は、普段とは違う日中までの出勤で入れ替わってもらい、13時には夏休みにも入った息子が待つ我が家へ帰路に立った。

その途中の御池通りは、沢山の山鉾が巡行したとは思えないほど日常に戻る後祭りならぬ後の祭りな姿。

今年は橋弁慶山が先頭?で、前田珈琲時代本当にお世話になったマスターが、同行していたので声をかけた。

※前田珈琲の本店は橋弁慶町で、毎度祇園祭にも携わる。

ちょうど献酒が六曜社の前で行われていたので、見えたマスターに挨拶に出ると「頑張ってやってるかぁ~」「ちょっと待っとけぇ」って、橋弁慶山のお品を頂けた♪

そういえば、毎年祇園祭の前に、この“粽”を何百個と詰めたなぁ~っていう思い出が蘇ったのと、この“力縄”のように、感謝仕切れないマスター(会長)や剛さん(社長)、そして前田家の方々とはこれからも力強く結ばれていたいと思いました。

今、六曜社が継続出来ているのは、振り返れば「修行」と呼べた日々があっからこそだと言うのは紛れもない事実だと思います。

その期待、その恩恵に恩返しし続けるタメにも、ブレずに精進するのみかと思います。

そう強く思い出が蘇った7月24日(月)の夏空の下なのでした。

息子よ!おめでとう♪

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今日から宵々山♪

7月一ヶ月間の祇園祭もようやく佳境に入ってきて、河原町&烏丸界隈はいよいよ人で溢れることでしょう…。

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ジメッと厳しい暑さのこの時期ですが、こんな光景を見るとスカッと癒やされ気分は和みますね♪

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もうすぐ梅雨明け予定とのこと。
夏本番に向けて気合い入れてこっ!の焙煎通勤コース♬

兜運んではりました!

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メジャーリーグの大谷行きなら凄いけど…。

以前から掲げている、私が描いたモーニングの看板を見て「僕にも描かせて~」と息子にお願いされていたので、ちょっとした板を渡してお任せしてみたのですが…♪

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「お客さんに沢山来てもらわなあかんからなぁ」と“おすすめメニュー”を書いてくれました♬

正直、目立つ所には置いてないけれど(ごめん)皆さんに見える所には設置しております!

何方かは、席からこのメニューに目を凝らしてもらってご注文頂ければ幸いです。笑

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『しゃちほこアイスコーヒー』なるものが描いてあるそうなので、縁起が良い代物なにる事を期待していまっす♩

「なんでやねん!! 」

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って突っ込まれているような光景…。

先日の台風の影響で大雨が心配された日。
焙煎小屋の脇に今も置いてある『喫茶feカフェっさ』を営んでいた時の案内看板にほうきが傾いて「イテッ!」ってなってました。笑

息子が小学生になってからもっかどハマり中の歴史は、小3になっても途切れる事を知らず、絵で合戦を描いたり、武将ノートを作ったりと熱を増していて、どうやら夢にも登場してほしいのか寝室にもお城の絵を貼り出しています…。

今後は授業でも加わってくるし、ここ1,2年体制が整い出した店では、学校の長期休暇中には休みを取る事が出来て旅行にも行けて、もっぱらお城巡りが定番になって思い出が増えているのも良い事だとは思っている。

個人的には習っているサッカーをもっと力を入れていきたいと言ってくれたら応援したいけど、私は小さい時にあまり行きたい所に(そもそも欲もあまり無かったけど)旅行には連れて行ってもらえなかったので(笑)
今は興味があることを好きになって、楽しい事には夢中になってくれたら嬉しいし、それが今後に活かされたら申し分ないのだけれど、ちょっと歴史はマニアック過ぎる…かなぁ…。

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本当に久々に再会した知人から頂いた♪

とあるお店(人)のカスタムブレンド。

おそらくなかなか手に入らない代物♬

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まだお店に立ち寄る事も出来ていないし、語り合った事も無いけれど、おそらく長沼さんとは、豆に対する考え方や価値感、焙煎のアジャストのタイミングや捉え方が似ているのかもしれないと思っている。

お互いの豆を普段から届けられているその共通の知人も、液体にしたコーヒーからそんな印象を受けているようだ。

京都と東京、近いようで遠く離れているそんな地の焙煎豆が誰かの手に渡り、今日もその人達の生活を彩っていると思うと何だか嬉しい。

そんなことを思いながら、私達は今日も互いに自身のお店に立ち続けているのだろう♪

たったの、そう本当にたったの二日間共に『カフェの天使』は舞い降りた。

それは、お客様の時間と僕の心情も相まって生まれる本当に素晴らしいと感じる場面が空間として漂うことで、そう簡単に現れるものでもない。
ほんの些細な事で亀裂が入ってしまうほどに繊細なヒトトキは、まさに同じ場所を皆で作り上げているかのように、素敵な光景が広がる。

お客様の話し声や楽しそうな笑顔、はたまた本を読む真剣な眼差しに、イヤホンで音楽を聴きながら目を閉じる人。
年配の方や若者が入り交じり、世代を問わずテーブルを共にする皆さんの傍らにはコーヒーが介されている。
BGMが流れる店内には、食器が重なる音や新聞をめくる音さえ漏れ、従業員の声もこだまする。
そうやって皆で奏でる『喫茶的オーケストラ』は時として幸福を感じさせるかのように優しく響き渡るのだ。

六曜社が本来の姿を取り戻してまだたったの二日。
私達も抵抗が無い訳ではない中で再開した相席の緩和に、まずはお客様も受け入れて下さる方が多く、そういった中で両日共に感じることの出来たその醍醐味を胸に、私はやはり飢えていたんだと実感した。

今、素顔さえ知らない仲間達がいて、表情すら覗えない見知らぬ人も存在する。
すれ違う事でさえ何かを感じる事が出来ていた以前にはもっと感受性が生まれていたように思う。

無かった事にはしない。
無くなった物にもならない。
もっと言えば奪われてしまったモノコトさえある。

そんな昨今を大事に、やはりこれから新たな時代を大切に生きていかないといけないのだろう。

だから、一昔前を取り戻していくという感覚が、これからは非常に重要だと僕は感じている。
リスタートではないけれど、ただリセットするだけではなく、ただ前進するだけでもなく、受け止めて前を向く。

そうやってここからや、これからに繋げていかなければならないのだと思う。

たった数十席の小さな喫茶店にはまた、そんな事を感じさせてくれる光景が再び繰り広げられ始めています。

水槽の向こう、その黄金色のセカイにどうぞ勇気を持って足を踏み入れてみて下さい。

自信を持って言えます…。
こんな時代があったんだときっと気づけることを。
そんな場所が、皆様に存在価値を生み出していく事を細やかながらに訴えかけていけたらと思うのです。

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めくるめく日々が巡り、11年目を迎えた。

広島県中区十日市町『喫茶めくる』

丁度オープン当初くらいに訪れた日から、久々に休日を利用して訪れたそのお店の姿は、変わってないけど違っていて、しっかりと時間と日々が重なっている感覚。

増えた額の絵や植物に、ドライフラワーは彩られ、新たになっているのではなく、改めていくように積み重ねられたお客さんの笑顔や思い出の数がしっかり充満しているような素敵な空間だった。

きっと、喜怒哀楽沢山の感情や経験を得ながら、喫茶めくるは今の姿を映し出している。

お客様の小さな幸せと微笑みを求め、それらが自分達の幸せや幸福になるような感性で日々を繋げているそのお店の姿は、どこかにあるようで、でもどこにもないような特別なお店になれているような気がした。

そんな素晴らしいお店に、私の焙煎した豆が、めくるのスタッフを通してカップ1杯に注がれ、お客様の元に届いているのだと思うと嬉しくて仕方がない。

きっとこれからも等身大の姿で、自分達とその地域に根ざした時間に寄り添いながら、未来に進んでいくのだろう。

目指す先ではなく、今という一瞬一瞬を大事にしながら前に進む大切さを改めて私自身も実感させられた朝、雨降りな一日もどこか気分は晴れやかに外の景色を楽しむ事が出来ました。

どうも、ありがとう。

そしてこれからも末永く宜しくお願い致します。

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いろんな意味で、今年は本当に春を迎えようとしているのかもしれない。

新年度という時期も訪れようとしている近頃は、別れを惜しむ光景や新たな道に挑む眼差しさえ伺え、寒い冬から暖かな季節へと向かう行楽シーズンへと入った動向や行動も、人々の感情や想いが様々に入り混じっているような風景に見える。

長かったのか…。

出版物として生まれた「喫茶の一族」から準えるのであれば、その後、コロナウィルスという猛威に襲われ、そんな中、叔父の現役引退に直面した。
それでも六曜社として、その先の未来のタメにと改めて土台作りを構築させながら、将来を見据えた時間はまさしく辛抱や精進と共に、お客様やその時間とも向き合いながら今日に至ったように思う。

そして、父 修の体調との戦いも生じた今日この頃。
これでもかと落ち着く時期が少なく、それでもそんな中、発展よりも地盤を固め続けているような月日は既に10年を費やしていたというのが、私個人的なここまでの家業の時間である。

更には、世の中としても予期せぬ物事が生じる中で、世界規模で冒されてしまったこの避ける事も変える事も出来ない事実と現実が入り交じるこの数年のセカイは、感覚の変化と共に新たな価値観も生み出していったのだろう。

それでもそんな中、良い意味で痛感した事がある。

父が現場を離れている約2ヶ月の間、私自身は恐らく多忙と言っていい月日を過ごしていたと思う。

そしてその生活の中で、12時にお店にドーナツなどのお菓子を届けてから、改めての出勤までに1時間だけ自分の時間を設けさせてもらっていた。
そこで僕は初めて、お客さんとしてほぼ毎日近所の喫茶店で止まり木のような時間を過ごすルーティーンを設けていたのである。

たかが15~30分くらいの休息タイム。
それはされどになる数十分。

そこで過ごす時間は正直コーヒーを求めている訳ではなく、物事を整理したり、頭やスケジュールを整えたり、はたまたリセットするためにとボ~っとするだけの時間なんだけど、それでもコーヒーは優しく傍らに寄り添ってくれて、そしてカップを啜ればホッと一息つける幸福感みたいなものを抱かせてくれた。
そして遂にはお店の人が“毎度”という感覚で送り迎えの挨拶をして頂けるようになり、気付けば自然と足を向けたくなっていたのである。

今はまた日常のルーティーンに戻り、その生活リズムからは離れてしまっていて、それでも今までお客様や常連さんの気持ちを分かっていなかった訳ではないけれど、改めてこの“常連”になる体験を経て、僕は小さな幸せのようなモノコトを届ける意味を実感したように思う。

勿論人や時期によっても、その価値観や幸福感も変わってくる。

だけど自分や人と向き合う時間というのは、これからもずっと何処かで必要になってくるはず。
それは些細な時でも、重要な場面でも、そんな多様性がコーヒーを介して過ごせる場所には付随し、ある人には不可欠になっていってるのだろう。

様々な意味も含めて距離感も求められた月日は今、ここから社会や経済、そして生活や人々を含めて何を求めていくのだろうか。

私はこれからも人々が交流する術を、対面することや、肌感や質感という直接的に触れ合うモノコトで生じる感覚を大事にしたい。

そして喫茶店やカフェという空間であれば、その1つのハコの中を共有しながら、自分の家ではないけれど、テーブルに座る一席があなたの部屋のように過ごせて、居心地を感じてもらえる場所でいたい。

この数年で奪われたものや失われたものもあると思う。
だけど復興ではないけれど、人々の心を1つに復活させていくには、以前を取り戻していく勇気も必要なのでしょう。

だから、今日もあなたの街や地域の喫茶店にカフェが、誰かの生活を豊かなものに繋げていると信じ、切っても切り離せない糸で結ばれていく事を願って、私も自分のお店を大切にしたいと強く思うのである。

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ちょうど1ヶ月前の1月25日(水)に惜しまれつつ閉店してしまった「中華料理 雄」

河原町御池を下がった所に移って、何年くらいが経っていたんだろう…?

それ以前の店舗から、ママ(祖母)の繋がりで、六曜社の皆で新年会を開くようになってからはずっと利用していた“町中華”
ここ数年はそんな宴会も開けなかったので心残りなのですが…。

本場の技術や味を楽しめて、ボリュームも満点で、河原町界隈にお勤めの方にはランチでも親しまれていたはず!

最後の方は、閉店を惜しむお客さんで賑わっていたので、こうやって幕を閉じてからのお伝えにはなりましたが、私も最後に家族でたらふく食べて、思い出となるその味を噛み締めて参りました♪

今後の展開もあるそうですが、ひとまず“雄”としての歴史は有終の美を飾られました。

遠い将来かもしれないけど、僕もここの味を引き継ぐかもしれない“ある一品”を手解き頂いております。

それは今は内緒ですが、大将の今後のご活躍を願うとと共に、喫茶店と同じよように庶民に優しい町中華の数々が、これからも皆様の胃袋を満足させていく日々を願うばかりです。

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去年の秋に開催された「ENJOY COFFEE TIME」との関連事業も行われた『ANDY WARHOL KYOTO』の個展も残りわずかとなってきたので、先日観て参りました!

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そもそも改装されてからの美術館にも初めて入ったので、新鮮さと驚きもあったのですが、何よりウォーホルの展示は圧巻で、どの作品もセンスの塊というか、観ていて心地良く、何の疑問も抱かずスッと目や心に届く感覚が心地良かったです。

何様レベルの感想ではありますが、一部体験出来るコーナーもあり、とても楽しい感覚を持てる会場でした。

開催は2月12日(日)までなので、残り2日、まだ間に合います!

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予報から「最強寒波」と名付けられるほど、極寒が予想された1月24日(火)。

京都市内もお昼頃には雹が降り、風も強かったが、雪が予測されるだろう夕方まではゆるやかに時間は流れた。

そして予報通り、夕刻からは天気が一変し大雪と化した天候は、街を一気に雪景色へと誘い、喜ぶ人もいれば、困惑した人もいて、いろんな表情が覗えた。

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店内の時間はというと、予定が崩れたり、行き場を失った人達が足を向け、普段とは違うゆったりとした空間が漂った。

雨宿りならぬ、雪宿りに暖を取る人達は、いつもの時間のいつもの顔ぶれとは違い、何だか少し緊張の糸が解けたような緩やかな雰囲気に包まれ、日常とは違う時間軸で時が流れていたように思う。

何よりも「ホットミルク」なんて優しい飲み物が多く注文され、各々の気持ちや心のよりどころが“あたたかさ”を求めているのが感じれて感慨深かった。

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まさに喫茶店の役割を実感し、担えたような夜は、僕自身は勿論、お客様にもきっと、居心地を感じてもらえたのではないだろうか。

悪天候という現実から離れ、異空間とされる喫茶という場所に身を置く事で、その時間を如何様にも“良いモノコト”に変えてもらえたのかもしれない。

そんな一日に終わりを告げ、危険すぎる道を帰りながら現実を受け止めて夜は明け、訪れた朝の景色は雪の反射を受けてより一層眩しかった。

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今年は11日の訪問となってしまいましたが、水曜日だったので、ゑびす神社に商売繁盛のお祈りをして来ました。

数年ぶりに日中に足を運んだので、人の多さにびっくりしましたが、去年の年末前の休業という悔しい思いもあったので、2023年へのさらなる切り替えと、益々の発展を願って、まずは気持ちから、お参りをすることで心を洗わせて頂きました。

さぁ、今年も日々精進あるのみです。

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昨日、無事に父(奥野 修)の手術が終わりました。

コロナ禍という事もあり、家族さえまだ誰も顔を合わせておりませんが、当日病院には1名滞在可能という事で、母親が在中し、術後に電話にて結果を確認しました。

まだ、合併症など他の影響が起こりうる可能性がある状況なので、経過観察という状態みたいですが、手術自体は成功を収めております。


ほんとに10年前、父親の心臓弁膜症の手術をきっかけに自身の店の継続よりも、家業への想いを強くし携わる事を決断した背景があります。

それからまた10年、歳を重ねると共に機能が弱くなり、今回は人工弁へと移し替える手術となりました。

ここまで多くを語らなかったのも、実は、祖父(マスター)もこの心臓の病気からペースメーカーを入れた体で長く生きていたのですが、月日が経ち部品の取り替えを行う手術にて、他の問題が生じてしまい、帰らぬ人となってしまった経緯があったからなのです。

大丈夫だろうと過ごしていても、付き纏うその不安は、やはり結果が出るまでは何も発する事が出来ず、信じる気持ちを胸の内に秘める事しか出来ませんでした。
それでも沢山のお客様や知人・友人と関係性の深い方々も多い父ですので、改めて無事手術が成功したこの時点で、ご報告をさせて頂きました。

ご存知の方も多いとは思いますので、ここまでご心配やご迷惑をおかけしている事をお詫びすると共に、地下店再開や音楽活動を楽しみにして頂いている方々には、ひとまず安心してもらえる良い報告となります。


「奥野 修はもういません。だけど今後は僕のコーヒーがあります。」

そんな日が来る事も少なからず想像し、自信と経験を得ながら、家業に携わる前から覚悟を持って『六曜社』という場所を守り続ける事に意思と志しを持ってはいました。

そして、それは今後やはり必ず起こりうる事でもあるのですが、家業に携わってのこの10年で、本当に様々な出来事が繰り返され、祖母・叔父が現役を退き、父親と中心に二人三脚でここ数年を過ごす私には、まだ今回の現実の直面には、一人で守り抜く力と体制、そして覚悟が付いてこない心境があり、復帰を想像するからこそ、今を皆で走り抜く事が出来ている感があるのが正直な所です。

父親も勿論、まだまだ地下店での日々を過ごしていく最中での出来事ではありましたが、自身も現実に直面したのだと思います。
手術前に衰えていた体には、今後どうなるか分からない不安を除かせていましたし、分からない事には「また戻ってくる」といった前向きも発さない人間なので、心中定かではありませんが、父のその語らないスタイルは“なんとかなる”“なるようになる”と欲を出さず、起こりうる現実の中で過ごしてきた生き様なのだと思います。
そしてそんな語らない背中に、皆様も様々な想像をして、修さんの胸の内を探る作業を楽しまれ、修さんという人間像を作り上げていってるのだと思います。
そして、それは本人のみぞ知り、本人の中でしか答え合わせをしないのかもしれません。

その点の価値観は、私の経営者も兼ねた価値観とは相違があるのは事実ですが、コーヒーが好きで、何よりも喫茶店やカフェという場所と時間の大切さは、お互いに存在意義を共有出来ていると思います。

もう少し、恵まれた今の従業員と共に六曜社を切り盛りして、おそらく2月になるのかな?そんな復帰を想像しながら、またいつもの六曜社がこれからも再開される事を目指したいと思います。

またこの先に、いつしか訪れる『修さん』が居なくなる日々に向けて、私もこれから益々何かを蓄えていかないといけない事実も痛感しましたが、今言えることは…

「もう少し、一緒に六曜社を続けてほしい」

そんな風にしかまだ思えない未熟者なのでした…。

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COMME des GARÇONS 京都店

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この秋

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装い新たになられました♪

大雨の悪天候や台風などの災害が多い時期に、鴨川の増水や荒れ狂う川の模様でいつもヒヤヒヤしていた三条大橋。

そうじゃなくても古さが際立っていた姿。

勿論歴史を感じれて、とても良い橋だとは思っていましたが、いよいよ改修作業に入ったようです。

まったく跡形もなく綺麗になっていくのか、名残が残されていくのかは分かりませんが、また新たな時が刻まれていくのを楽しみにしたいと思います。

こればっかりは安心安全第一で。

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現在、北側は今までの状態が残っていて、南側は仮設の柵が設けられて、新旧が入り混じっております。

この3ヶ月間、告知や報告が続き、何となくではあるけど決めている5日間定期の投稿もあり、日常の一コマを記す機会から離れていた。

確かに、いろいろな繋がりのおかげもあって、忙しい日々は過ごしていたのだと思う。

ようやく年末前に、一旦少しばかりの落ち着きは見えているのだが、世間が活気を取り戻しつつある行楽シーズンや年末年始という来年に向けても、まだまだ課題は山積みなのである…。

それでもそんな物事を、荷物として背負うのではなく、胸の前に抱えるように包みながら、期日を問わないものには、まだちょっと先でも良いという余白を加えることによって、物事の整理も付くし、同時にゆとりも手提げ袋を肘にかけながら歩くような感覚にすれば、前に進むことをやめない日々を過ごせたりする。
むしろ一旦下ろして、止まってもう一度抱える力をつける時間を作ったて良いのだろう。


今日この頃の、肌寒さは少しの寂しさのような感覚を持ち合わせるけど、秋の色付きの温かい配色や、コートや上着などを羽織り始めた人々の景色は、何だか心和む一幕をもたらせてくれているのかもしれない。

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いや、もう酷暑な日々…。

そんな暑さや夏に負けそうな体力に悔しさも感じつつ、今もうこれはまさに“夏い!”って状況かと思うのです(笑)

そんなこんなで、そんな苦痛も吹っ飛ぶ気持ち良い風を感じながら、8/3(水)3周年も迎えられた『aswell』さんに足を運んで来ました♪

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実はこの日、本当ならコーヒー担当として一日aswellさんに滞在する予定だったのですが、スケジュール的な事も含めて今回は特別イベントに参加出来なくなってしまっていたのです…。
そこは申し訳なく思いながらも、それでも当初はお邪魔する予定だったので、細やかなお祝いの気持ちと共に、センスあるセレクトの服を選びに行って来たのであります!

入っておられるテナントのビルも個性ある建物で、さらに店内の雰囲気は無機質な中に、ファッションに雑貨とカフェのカラーがそれぞれ広がって華やかになり、本当に楽しい空間になっています。

セレクトされた品物には全てストーリーがあって、コンセプトも冴えていて、本当にわざわざでも足を向けたくなる大好きなお店の一つです。

ご縁あって、こうやって焙煎豆も提供させて頂き、本当に嬉しい限りですし、今回特別イベント訪問は叶いませんでしたが、イベント期間限定の豆は変わらずにご提供させて頂いておりますので、この機会に是非、特別なラインナップも揃う商品達を選びに、そして近くにある琵琶湖沿いを楽しみながらの時間を過ごしに足を運んでみては如何でしょうか?

滋賀県大津市は瀬田にあり、盆地な京都の纏わり付く暑さと鴨川から感じる風とは違い、広大な琵琶湖から吹く風に建物も広い滋賀県の間隔が何とも健やかで新鮮でした♬

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あ、はい。一人です…。
セルフタイマーで格好付けて撮った自撮りです…。(笑)

今年の7月も、もう終わりを告げようとしているのは、本日で一ヶ月間に及ぶ『祇園祭』も終幕を迎えるという事。

三年ぶりに復活した前祭り・後祭りの巡行。

そして宵々山・宵山のビッグイベントである歩行者天国での露店のお祭りには、本当に沢山の人々が訪れ、「こんなんだったなぁ」という“懐かしさと喜び”の反面、揶揄する訳ではないですが「人混み」と化した烏丸界隈の光景を新聞記事を通して目の当たりにした時は“戸惑いと不安”が入り混じって複雑でした…。

BA.5と名付けられたオミクロン株のコロナが再び感染拡大を遂げている中、それでも開かれた祇園祭には賛否両論もあるのでしょう。

勿論、神興行事は縮小されたものや省かれたものも多かったみたいですが、メインとなる神幸は行われ、人々の歓喜も戻っていたように思います。

withコロナの時代に直面している昨今。
後は結果論という時間の進み方にはなってしまうのでしょうけど、今回の光景に“違和感”みたいな感情を抱いてしまった事は、やはり私達がコロナ禍の生活に慣れてしまっているからなのでしょう。

今の時期はやはり、以前を取り戻していく“慣れ”も必要で、そこにおける心情への免疫も強くしていかないといけない日々なのかもしれません。

以前の生活の中での感覚が“当たり前”とされていた時に戻れるなら、やはりそこに焦点は当てたいと思いつつも、感染症という知識や認識が高まり、今後も環境や衛生面、ソーシャルな部分やデイスタンスな面に置いても、敏感になる感覚が拭えない人が多くなるのは少しばかり僕個人としては厄介で…。

六曜社の1階店はやはり、あの「詰められる」くらいの相席文化が当たり前に流れていたし、それを認め合う人通しのハコとして、またはそこで過ごす経験としての醍醐味が培われていたと思うので、今はそんな六曜社の風景も知らないお客様も増えているのが現実でもあるのです。

希望はやはりあの時に戻りたいと願いながら、そこまでの道のりはやはり、withコロナな生活と共にまだ少し時間がかかるのかなぁと辛抱するつもりではいますし、その先に野望も持っています。

例年、露店や巡行の日には雨が降る事が多く、そんな祇園祭が終われば梅雨明けみたいな季節の流れも今年は大崩れして、もう酷暑な毎日。

そんな慣れた月日の流れが崩れていくように、コロナや、コロナ禍によって生まれた感覚が、今年の梅雨明けのように早く良い方向に崩れていってくれたらなぁと願う今日この頃なのでした。

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そりゃ~、誰も入ろうとは思わんね!(泥棒)

けどペットじゃないよ団扇だよ♪(笑)

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何処ぞの誰かの家ですが…、失礼しました。

家にこんなコーナーが出来ていました(笑)

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小学2年で絶賛歴史どはまり中!

喫茶店あるあると言えば、冷コーを注文する際にお砂糖が先に入っているもので良いかを問われるシステム。

昔でいえば、砂糖を先に入れて甘くして美味しく感じてもらう誤魔化しだったり、お客様に手をわず割らせない配慮だったり、現代で言えば使い捨てガムシロップのゴミの軽減だったりする。

そんな選択で、とある店のママにもいつも通り有無を聞かれて無しな気分だったのでブラックでお伝えしたら…。

「甘っ!」

いや、いいんだ…。
これはきっと暑い気候に対して糖分を取っておきなさいという配慮なのだ。

ママの笑顔を見て取り替えなんて必要ない。
私の気分ではなくママの優しさだとポジティブシンキングで受け入れるべきそんな日なのだと受け止めるのである。

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これを“違う”と言える人もいる。
“違うな”と言えない人もいる。

ポジティブでもネガティブでも、ハッキリモノを言って自身の気持ちを伝える事も、これもまた喫茶店で『人』を映す、感じる醍醐味なのである(笑)

出町柳座で上映されていた映画『逆光』が京都を後にしてから一ヶ月ちょっとが過ぎ、観た人にも、携わった人にも、ある意味日常が戻ったんだと感じるほどに旋風を巻き起こしていたんだという感は否めません。

こうやってまたこのブログで記してしまう事もまたその影響で、“普段”と“特別”の違いや意味に価値を解いてしまうのです。

今も映画 逆光はどこかの地で映し出され、それと共に監督須藤 蓮はそんな地で風を起こそうと精力的に動いているのだろう。

それでも、置き去りにされた訳ではなく、置き土産を残された地の京都の若者は今も、それを大事に抱えながら自分なりの色と共に育もうとしている。

そして今日も何処かで茶をしばきながら、各々の時間を過ごし、あるいは六曜社で想いを募らせながら、友達と言葉を交わしたり、またある時は本を読んだりペンを走らせたり、そしてまたある人は映画を撮り始めたりして、“私達は”というそれぞれを思い返しながら我が道を歩んでいるのです。

さらにはそんなカタチが、京都でメインにサポートメンバーとして活動していた3名の力によって自主制作の『逆光記』という書籍になったのです。

それぞれの表現で、それぞれのカラーで、自分なりの「逆光」や「須藤 蓮」への想いを記したその一冊は、逆光の眩しさに負けない輝きと共に、人々の元へ届いていくんだと思います。

京都では「誠光社」にて販売が開始されています。
どうぞお手にとって、彼らの“絆”を確かめてみて下さい。

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「かっちょえぇ~!!」

ってなる光景が、ここ数日の店前、河原町通りの深夜に広がっていました。

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かの有名な映画のワンシーンのように、トランスフォームされるんじゃなかろうかと想像出来るような夢のある迫力は、実際京都が今年久々に開催する祇園祭にも向けて、三条界隈を舗装したり快適化する超リアルな現実なのでした!

まぁ良い事なんだけどねぇ…。
財政の行く末、いや末路には慎重に頼んます(笑)

正直、生活圏的にめったに向かう地域ではないのですが…、それでも西陣界隈といえば「さらさ西陣」に「逃現郷」そして「cafe marble」や「喫茶パーチ」と、観光地じゃなくしても魅力的なお店の多い町。

そんな西陣界隈にまたしても魅惑のお店が増えたのです。

『織ーSHIKIー』

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そう、ショコラティエがオープンさせたケーキ屋さん♪

若き店主が開いたお店は才能に溢れつつも、実力も折り紙付きで、既に存在感を放っています!

そんな店主とは「こんな小っちゃい時から知ってるんや~」と自分の膝くらいの位置にまで手をかざせるくらいの間柄というか関係性があるのですが、そうやって大人になってからも時折顔を合わせる度に彼の努力を伺えたほど経験も豊かで満を持しての新店なのです。

お店に立ち寄った時に「また一緒に面白いことも出来たら良いねぇ」なんて発展的な話しも出来て、そんなお店には家族の関わりや理解もあって、建物自体にも“想い”が詰まったこれからのお店に、私も負けてはいられないと刺激ももらえたのでありました。

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昔から捨てられない性格で、家の何処かにそれがあるってだけで何か安心感を持ってしまうタイプの私。

それでもさすがに最近は、チョコチョコいるモノいらないモノを分別して、最終的には悔いのないカタチで処分するなどが出来るようになってきた気がする。

とは言え、やはり何となくでも“思い出”となるものは、ボロボロの服でも着てないのに部屋着になるだろうとか、何年も聴いてないのにまた聴くときがあるだろうというCDなどなど、やはり残しているのも沢山あるのは事実。

それでも使い続けているモノもあって、その代表格は20歳になって一人暮らしを始める時にプレゼントしてもらった「コーヒーポット」で、今でも家や時にはイベントでも、僕が大事にしたい場では必ず使用している相棒だ。

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そんなこんなで息子も小学校1年生からサッカーを始めて、初めて買ったスパイクはサイズが小さくなったのもそうだが底が剥がれ始めたので新しいものを購入する事にしたんだけど、同じものが良いと遊びのサッカーでは今でも古い方を履いていて、新しいスパイクも同じデザインにすると言って聞かなかった。

お店に買いに出かけたら、少し仕様が違うものしかもう無くて、勿論他のものには目も暮れず、それでも何とか渋々受け入れてくれたけど、ホント「これくらいなら良いやん」レベルでもこだわりがあるのかもしれない。

散髪だって、前髪伸びて目にかかってるのを気にしてても、ヘアカットの稲垣さんの予約が取れて切りに行けるまでは大概切らしてくれない。

赤ちゃんの時に大好きだった肌触りの良いババ(母方のお母さん)手作りの毛布も手放せなくて、再度ババのお陰でハンドサイズになっけど(笑)もう肌触りさえスカスカで何の意味があるのか分からないのに枕元にいつもある。
それと同じように好きな頂き物のぬいぐるみは、遠出の時は必ずカバンに入れて一緒に連れて行くし、こちらも寝る時には今でも必ずベットにいる。

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誰にだって思い出のある大切なエピソードにモノやコト。
それは人にとっては“?”なことでも、その人にとっては心のより所や支えになっていることだってあるはず。

そうやって物を大事に出来る事、物でも気持ちを宿すことは悪いことではない。

いつか手放す時や離れてしまう時があったとしても、そんな時ほど掛け替えのない感情と引き換えに人は強くなるのかもしれない…。

愛着がある事、そして持つことの素敵さを息子を通してまた純粋な気持ちにさせてもらっている。

私の人生もおそらくまだ半分、ゴミのように溜まらないように気を付けよう。

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何気なく空を見たら飛行船が飛んでいて

別に何処へ向かうわけでもなく

ゆらゆら回っていて

ただの散歩ならぬ散浮遊なんだけど

それを見てるだけでちょっとウキウキしました


あぁまた何も気にせず呑みたいなぁ~
もうちょっとの我慢かなぁ~

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