前口上 ~Hilbert の第14問題とは~
こんにちは,龍孫江です.ここ2年ほどは数学YouTuberとして皆様に拙い動画をご覧にいれておりますが,たまにはブログも書きたいと思ってはいるのです.意志薄弱でなかなか叶いませんが.そんなわけで,本年も日曜数学アドベントカレンダーに加えていただきました.昨日は梅崎直也さんによる $\mod p$ での2次方程式 でした.ぼくは学生時代,可換環論の中でも特に不変式論を中心に学んでおりました.不変式論というのは,群の作用に関する不変式環の環論的性質について調べる分野です.まずは設定から参りましょう.
$S$ を可換環とし,その自己同型がなす群 $G \le \operatorname{Aut} S$ を考えます.このとき,どの $g \in G$ によっても変化しない要素の全体 $$ S^G := \{ x \in S \mid g(x) = x~(\forall g \in G)\}$$ は $S$ の部分環をなします.この部分環 $R := S^G$ を $S$ の $G$ による不変式環といい,この性質を $A$ や $G$ の形から導き出すのが不変式論の目標です.
今回の話を通して,$K$ を標数 $0$ の体とし,$S = K[X_1, \ldots, X_n]$ を $K$ 上の $n$ 変数多項式環とします.$S$ の自己同型 $\sigma \colon S \to S$ が
各 $x \in K$ に対し $\sigma(x) = x$
を充たすとき$K$同型といい,$K$ 同型のなす群 $G$ を考えると $K \subset S^G \subset S$ が成り立ちます.ここで次の問題が自然に浮かび上がります.問題(不変式論の第1基本問題)$S^G$ は $K$ 上有限生成か?
この問題に,巨人 Hilbert はイデアルの昇鎖律という有限性条件を巧みに用いて,それまでとは比較にならないほど一般的な設定において肯定的な解決を与えました.Hilbert が用いた抽象的方法は,当時の不変式論の大家 Gordan に「これは数学ではない,神学だ」と叫ばしめたとの逸話が残されています.当時の不変式論は膨大な具体的計算の積み重ねによって個別の事例に対処するという時代だったそうで,その途方も無い計算量を思えば Hilbert の議論は驚嘆すべきものだったと言えるでしょう.
それでも Hilbert は第1基本問題を完全に解決できたわけではありませんでした.彼自身はその後,どんどん研究分野を広げ,数学全般に多くの影響を残しました.例えば1900年の国際数学者会議における講演「数学の問題」は,その後の数学研究の方向性を示したと位置づけられています.この中に,Hilbert は第一基本問題の発展形として次の問題を挙げました.
問題(Hilbert の第14問題)体 $K$ 上の $n$ 変数多項式環 $S := K[X_1, \ldots, X_n]$ を考え,$Q(S) = K(X_1, \ldots, X_n)$ を $S$ の分数体(すなわち $K$ 上の $n$ 変数有理関数体)とする.体拡大 $K \subset Q(S)$ の任意の中間体 $L$ に対し,$L \cap S$ は $K$ 上有限生成か?
Hilbert の第14問題から第1基本問題が導かれる道筋を紹介しておきましょう.群 $G \le \operatorname{Aut}_K S$ が $S$ の $K$同型からなる群のとき,$G$ の $S$ への作用は $Q(S)$ に延長され,不変体 $L := Q(S)^G$ をとると $L \cap S$ は不変式環 $S^G$ に一致します.ここから Hilbert の第14問題が肯定的ならば第1基本問題も正しく,第1基本問題の反例は第14問題の反例でもあります.
Hilbert の第14問題自体は,1958年,日本が誇る大数学者・永田雅宜先生によって反例が構成され,Hilbert が示した23個の問題のうち否定的に,すなわち Hilbert の予想と反する形で解決された最初の問題となりました.
1990年に次のエポックが訪れます.ホモロジカル予想などに造詣の深い数学者 Roberts は,永田先生とは全く別の方向から Hilbert の第14問題の反例を構成してみせたのです.今回はこの Roberts による Hilbert 第14問題の反例を,論文
Paul Roberts, An Infinitely Generated Symbolic Blow-up in a Power Series Ring and a New Counterexample to Hilbert's Fourteenth Problem, J. Algebra, 132 (1990), pp.461-473
に沿ってご紹介します.
導分と不変式環の関係
Roberts が示した構成方法は,現在では局所冪零導分の核と位置付けられています(Roberts 自身は,もう少し別の問題意識からこの例にたどり着いたようです).まず用語をいくつか定義しましょう.定義 1 (導分).多項式環 $S := K[X_1, \ldots, X_n]$ の導分とは,以下の2条件を充たす写像 $D \colon S \to S$ をいう:
(1) 加法性 任意の $x, y \in S$ に対し $D(x+y) = D(x) + D(y)$;
(2)Leibniz 則 任意の $x, y \in S$ に対し $D(xy) = D(x) y + x D(y)$.
さらに次を充たすとき,$D$ を $K$ 導分という:
(3) 任意の $s \in K$ に対し $D(s) = 0$.
$S$ の導分 $D$ に対し,その核 $$\ker D := \{ f \in S \mid D(f) = 0 \}$$ は $S$ の部分環になります.そして,ある種の導分の核は不変式環と見做せることが知られています.さらに導分に性質を添加して考えてみましょう.
定義 2 (局所冪零導分).多項式環 $S = K[X_1, \ldots, X_n]$ の導分 $D \colon S \to S$ が任意の $f \in S$ に対し,充分大きな $n$ をとれば $D^n(f) = 0$が成り立つとき,局所冪零という.
この定義だけ見ると,局所冪零導分がどう不変式環と関係するのかという疑問が湧いてきます.もっともな疑問です.例を挙げる前に,この疑問を解消しておきましょう.
定理 3.$D \colon S \to S$ を多項式環 $S$ の局所冪零導分とする.$t \in K$ に対し,写像 $\exp (tD) \colon S \to S$ を $$ \exp (tD)(f) := \sum_{k \ge 0} \frac{D^k(f)}{k!} t^k = f + D(f)t + \frac{D^2(f)}{2} + \cdots$$ と定めると,以下が成り立つ:
(1) $\exp (tD)$ は $S$ の $K$ 自己同型である.
(2) 体 $K$ を加法により群と見做したものを $\mathbf{G}_a$ で表す.このとき,$$ \Phi \colon \mathbf{G}_a \to \operatorname{Aut}_K S~~;~~t \mapsto \exp (tD)$$ は群準同型をなす.
(3) (2) の作用に関する不変式環 $S^G$ は核 $\ker D$ に等しい.
これで局所冪零導分が不変式環と結びつきました.もうひとつ,本題の例を述べる前に,ある導分が局所冪零となる充分条件をひとつ与えておきましょう.
今,多項式環 $S = K[X_1, \ldots, X_n]$ の $K$ 導分 $D$ を定めたいとします.加法性により,多項式の $D$ による値はそこに現れる各単項式での値から定まります.さらに単項式での値は,Leibniz 則により各変数での値で決まってしまうのです.したがって,$S$ の $K$ 導分 $D$ を定めるには各変数 $X_t$ での値を定めればよいことがわかります.
定義 4. 多項式環 $S = K[X_1, \ldots, X_n]$ の導分 $D$ が各 $t = 1, \ldots, n$ に対し $D(X_t) \in K[X_1, \ldots, X_{t-1}]$ を充たすとき三角的という.
補題 5. 三角的導分は局所冪零である.
さて,これで例を紹介する準備が整いました.
Roberts の反例
いよいよ Roberts の反例を紹介します.とはいえ,見かけはそんなに難しいものでもありません.定理 5 (Roberts による Hilbert の第14問題の反例).$K$ を標数 $0$ の体とし,$S := K[X,Y,Z,S,T,U,V]$ を $K$ 上の7変数多項式環とする.整数 $t \ge 2$ を固定する.$S$ の $K$ 導分 $D$ が$$ D(X) = D(Y) = D(Z) = 0,$$ $$ D(S) = X^{t+1},~~D(T) = Y^{t+1},~~D(U) = Z^{t+1}$$ および $$D(V) = (XYZ)^t$$ で定義されるとき,核 $\ker D$ は $K$ 上有限生成ではない.
ネーター局所環 $R$ のパラメーター系 $x_1, \ldots, x_n$ と整数 $t > 1$ に対し,単項式 $(x_1\cdots x_n)^t$ はイデアル $(x_1^{t+1}, \ldots, x_n^{t+1})$ には入らないという主張を単項式予想といいます.この予想は可換環論の一大トピックであったホモロジカル予想のひとつです(予想とは言うものの,現在は証明されて単項式定理になりました).1987年に Roberts は単項式予想から従う新交叉予想を証明しており,当時はおそらく単項式予想を気にかけながら研究を進めていたのでしょう.この論文中でも Roberts は単項式予想について言及を残しています.なお,Roberts 自身はこの例を定義するにあたって,導分の核としては導入していない(証明中では意識されていますが)ことも興味深いところです.
本来ならば,ここで定理 5 を証明するのが筋でしょう.当初はそうしようと試みたのですが,1回の記事で全部語りつくすのはいささか無理がありました.そこで,証明の核となる命題2つを紹介し,これらから定理 5 を導けることを確かめてお茶を濁したいと思います.
3変数 $X,Y,Z$ の多項式全体がなす $S$ の部分環を $S_0 := K[X,Y,Z]$ とし,変数 $X,Y,Z$ が生成する $S_0$ の極大イデアル(すなわち定数項が $0$ であるような $X, Y, Z$ の多項式の全体)を $\mathfrak{m}_0 = (X,Y,Z)S_0$ と表します.$S$ の単項式の全体を $${\cal M} := \{ X^i Y^j Z^k S^a T^b U^c V^d \mid a, b, c, d, i,j,k \ge 0 \}$$ とし,$S$ の次数写像 $\deg : {\cal M} \to \mathbb{N}$ を $$\deg (X^i Y^j Z^k S^a T^b U^c V^d) = a+b+c+d,$$ と定義します.導分 $D$ は斉次式を斉次式に写すので $\ker D$ は $S$ の次数付部分環で,その $n$ 次斉次成分を $(\ker D)_n$ で表します.すると,以下が成り立ちます.
命題 6.次数 $\deg$ により $S$ を次数付環と見做すとき,いかなる整数 $n > 0$ に対しても $(\ker D)_n \subset \mathfrak{m}_0 S_n$.
命題 7.いかなる整数 $n > 0$ に対しても,単項式 $XV^n$ の係数が $1$ であるような $f \in (\ker D)_n$ が存在する.
これらの命題から,定理 5 は比較的容易に導かれます.というのも,命題 7 で存在が示されている $f$ は,$\deg f$ よりも次数の低い $\ker D$ の斉次式の多項式としては表せません.というのも,命題 6 により $\ker D$ の定数ではない斉次式の各項は $X, Y, Z$ のどれかで割り切れるので,その2つ以上の積の各項は $X, Y, Z$ で2回以上ずつ割れるはずです.しかし,$f$ にはそうではない項 $XV^n$ が存在するというのですから,次数の低い $\ker D$ の斉次式の多項式としては表せないのです.
するとどうなるでしょうか.$\ker D$ が有限生成だとすると(背理法です!)有限個の多項式からなる生成系が存在します.この生成系の各要素は斉次式とは限りませんが,その斉次成分も $\ker D$ の要素ですから,全部バラバラにしても斉次成分を総て集めてくればやはり $\ker D$ の生成系をなします.特に,斉次式からなる $\ker D$ の有限生成系 ${\cal G}$ が存在するのです.ここで,その生成系のどの要素の次数よりも大きな整数 $N$ に対し,命題 7 を用いて $XV^N$ の係数が $1$ であるような $f \in \ker D$ を取りましょう.この $f$ は ${\cal G}$ の多項式として表せるでしょうか? ${\cal G}$ の多項式として表せるはず,だって生成系なのだから. ${\cal G}$ の多項式としては表せないはず,だって次数が低いのだから.これは明らかに矛盾であり,$\ker D$ は有限生成ではないことがわかりました.
おわりに
この Roberts の反例をきっかけにして,多項式環の局所冪零導分,およびそこから派生して得られる自己同型の研究は飛躍的に進みました.Roberts は7変数での例でしたが,現在では3変数以下の多項式環の導分の核は総て有限生成になることが証明され,4変数多項式環の導分の核で有限生成ではないものの例が構成されています.多項式環の導分や自己同型には,まだいくらでも面白い話題が転がっています.当然ながら(大したことはできないにせよ)龍孫江もまだまだ知りたいことがいくらでもありますから,楽しく数学ライフを送りたいと考えています.同好の方が増えるのは大変嬉しいですし, YouTube をはじめとする龍孫江の数学活動にお付き合いいただければ何よりの喜びでございます.どうぞ末永くご贔屓に.
最後までご覧いただきありがとうございました. 今後ともご愛顧のほど, よろしくお願いいたします.


