龍孫江が思ってみたこと 〜small counter-examples〜

♪毎日毎日僕らは鉄板の〜♪
海を泳ぎまわるタイヤキのような気持ち, 失いたくないものです.
好評 (?) 連載「数学書を読む」は、新ブログ.
龍孫江の数学日誌に移行中です.

正月、読書について思ったこと。

 近所に (ってほど近所でもないが) ちょっと目新しいものを出す料理屋があって、ときどき御馳走になる。先付けとお刺身くらいまではいいとして、椀物とか揚げ物になると何がどうなっているのかトンと判らなくなる。結婚式にあるみたいなお品書きがあるといいなぁと思う。

 最近になって、本もそう読んだ方が良いということを指摘された。つまり、目次をしっかり読んでから本を読めばよいという。書き写すとなおよいというのでやってみた。これがなんとも都合がいい。
「本は一言一句きっちり読め」という学生時分の悪癖が抜けず、ちょっと頭が衰え始めてるので当時ほどのスピードも出ず、なんかいい方法はないものかと思っていたときだったので、目からウロコだった。
 今は蔵書の目次をせっせと書き写している。ふむふむと思いながら書き写しているのが、あれ?と思うとそのあたりから読めてない。それがわかるのも都合が良い。そんなわけでもう一度読むと、もう一度眠気に襲われて、読めてない理由をもう一度思い知らされる。数学科の悲しい性で、データをどう扱うべきかはかじったことがあってもデータを扱ったことがないのだ。もう延々と数字を使って説明されていると眠たくなってくる。そんなわけでそこは飛ばす。幸い、どの辺まで飛ばせばよいかも目次が教えてくれる。

 勢い余って図書館へも行ってみる。目次をざっと読めば面白そうな本か分かる。調子に乗って借りてきたら、タイムオーバーで半分以上読めなかった。自分の読書スピードが衰えていることも考えると、あと読める本が何冊だろうかということも気になった。35歳になる正月のことである。

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竜王戦とソフト指し。

 こんな弱小ブログで書いても仕方ないじゃないか, という気もしますが, それでも長年将棋ファンで来ましたから, 書いておきます.

 一昨日, 夜9時を回って帰宅すると, こんなニュースが流れてきました.

第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について

 10月15、16日に京都市の「天龍寺」で開幕する第29期竜王戦七番勝負について、挑戦者の三浦弘行九段が出場しないことになりましたので、お知らせいたします。
対局規定により、挑戦者決定戦に出場した丸山忠久九段が繰り上がりで渡辺明竜王と対局することになります。
 当連盟は12日、三浦九段を2016年12月31日まで出場停止の処分といたしました。
 今回の挑戦者の変更については、主催の読売新聞社からもご了承を得ております。

【谷川浩司会長のコメント】
 七番勝負直前の変更となり、関係者や将棋ファンの皆様にご迷惑をお掛けし申し訳ありません。対局者のお二人には名棋譜を作り上げることを期待しています。

【丸山忠久九段のコメント】
 日本将棋連盟の決定には個人的には賛成しかねますが、竜王戦は将棋の最高棋戦ですので全力を尽くします。


 えええぇっ!? どうしちゃったの!?

 ちょうどその頃, 当の渡辺明竜王がブログを更新していました.

竜王戦。 (渡辺明ブログ)

 まずこのふたつを読んで, ぼくが思った筋書きは次のようなことです;

<仮説> 三浦九段本人あるいはご家族 (例えばお子さん) が病気あるいは事故で重篤な状態であり, 東京を離れられない. 棋士には対局の義務があるが, どうしても挑戦を辞退したいと申し入れた. とはいえ, 既に準備の進んでいるタイトル戦の状況を鑑みればお咎めなしでは済ませないので. 泣いて馬謖を斬る形で, 三か月の出場停止とした.

 対局の義務と家族の生死なら──とはいえ対局放棄の罪はかなり重いのですが──, 後者が優先するという可能性は充分にあります. なお対局拒否については, かつて石橋幸緒元LPSA代表が「1年以上の連盟主催棋戦への出場禁止」という措置を受けたことがあります.
 ただ, 本人の病気あるいは事故ならば特段伏せる必要はないですし, 他の棋士の病気休場の場合も理由つきで発表されてきました. 丸山九段の「決定には個人的には賛成しかねます」というコメントも不自然ですし, 渡辺竜王ももう少し事情を明かすこともできたでしょう. 当人の病気ではなく, ご家族の病気かな, と思いました.

 しかし, 一番気になったのは渡辺竜王の「将棋界へのご声援を宜しくお願いします」です. 挑戦者の交代は確かに大変な出来事ですが, 相当の事情があればわざわざ声援を頼む必要はありません. こういうコメントを竜王が出す事態とは何だろうと不思議に思ったのは覚えています.

 やがて, 事態は「スマホによるソフト指し疑惑」という線で収斂していきます. これは「ありうるけれどもないだろう」と将棋ファンなら (願望も込めて) 思っていた線で, したがって一言で言えば「寝耳に水」でした. 12月から施行される「対局時のスマホ持ち込み・外出禁止」規定すら「先に規制するんだな, 寂しいけれども」というように見ていたファンが大多数だったと思います.
 ところがこれは微妙な話で, 明らかに白とは誰にも言えません. 将棋連盟の理事会もだいぶ時間をかけて聞き取り (警察なら「任意の聴取」というレベルでしょう) を行ったようですが, もちろん状況証拠しかありません. 確かに鋭い踏み込みで相手を突き倒したような将棋がありました. 出足が鋭すぎるようにも見えました. しかしA級棋士です.「成算はなかったがエイヤッと踏み込んでみた」と言われれば反論の仕方は難しい. 結局クロとは証明できないでしょう.
 そして, 2か月半という出場停止期間も事情を断じ難くしています. 本当に決定されたのなら2か月半で済むはずがありません. 棋士生命に関わる問題として, 除名, 長期間の謹慎, C級2組あるいはフリークラス降格等の厳しい処分が下ることは間違いありません. 今回の処分では, おそらくA級は降級, 次期竜王戦は不出場 (降級) になるでしょうが, その程度です.

 私見では「竜王戦の期間中の出場停止」というのは「竜王戦の対局を放棄したペナルティ」であって, ソフト指し疑惑についてはお咎めなし, という処分と考えます. いくら疑惑がかかろうと, 潔白ならば潔白というのが筋です. その筋を貫き通すのが難しいのは承知していますが, 覚悟を示すのに「対局拒否」をちらつかせたのは棋士として致命的だったかもしれません. 黙って休場届を出して年末か年度末まで静養すれば, 将棋連盟はそれで済ませる気だったように見えます. 復帰後は潔白にならざるを得ないわけですから.
 巷間語られている中で「将棋連盟は 30 %の疑惑に 30 %の処分をした」という話があります. 将棋連盟はしばしば運営上宜しくないと思われる手を指すのですが, さすがにこればかりは違うと思います. 公開情報から読み取れる限りでは対局拒否に対するものが主であり, ソフト指しについては注意程度しかできない段階であったと思います.

 そんなわけで, すっきりしないことは確かなのですが, これ以上この段階で考えても仕方ないので, ぼくは相変わらず将棋及び将棋界を応援していきたいと思っています.

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『シン・ゴジラ』観てきました。

 脚本と監督・三谷幸喜の『清須会議』以来, ぽつりぽつりと映画館に足を運ぶようになり, 気がつくと車で 30 分の距離にシネコンがいくつもできていたり, さらに 18, 19 の両日は旅行の予定だったのに2日前になって 18 日がまるっとお仕事になり, ぽっかり空いた 19 日に何をしようかと唸って「そうだ, ゴジラを見よう」と思い立ったという, 紆余曲折と偶然が重なってのゴジラ観賞と相成りました.
 まあ, 既に『シン・ゴジラ』については──というより庵野秀明という監督の作るもの全般に言えることですが── 多くの人がいろいろ書いていまして, それがまた深い観察と読み解きの上にあるものが多くて, それでも「ひとつの感想」として書いておくことにします.

『シン・ゴジラ』とは, ゴジラと対峙する人間を徹底的に掘り下げた作品です.

 かつて『ゴジラ』という同名作品が2度, 作られたことがあります. いわゆる「怪獣」はゴジラしか出てきません. 細かいこと, 表に出ないポテンシャルの部分について言い出せばかなり違うのですが, その筋書きは「ゴジラが日本列島と人々を蹂躙し, 立ち上がった人々がなんとか抑え込む」と言うしかありません. 『シン・ゴジラ』も, 40 字でまとめればまったく同じです.
 庵野監督はこれを「スクラップ・アンド・ビルド」──これはゴジラを抑え込んだ後で, 東京の復興を担うある政治家が語った言葉でもありますが──した. ただ付け足すのではなく, ただ置き換えるのではなく, ゴジラという存在について, これまでに見てきた, 見せられてきた知識を一旦すべて捨て, 一から新しいゴジラ像を作り出したのです.

 ゴジラはどこから, どのように来たのか. その圧倒的なパワーはどこから生まれるのか. ゴジラは当初, 水爆実験でゴジラザウルスという恐竜が突然変異して生まれたものとされていました. 後にこれに目を付けた未来人チャック・ウィルソンがゴジラの代わりにキングギドラを誕生させたこともあるのですが (ゴジラVSキングギドラ), 基本的にゴジラは一代どころか一体きりの存在であり, それを倒せばゴジラはもう現れないはずでした.
 しかし一体きりのはずのゴジラは, その後幾度となく現れます. 最初は恐ろしいだけの存在であったゴジラは, 宇宙から来たキングギドラ (これはチャック・ウィルソンが作ったものとは別の) を撃退する「地球の守り神」となったこともありました. 挙句一体しか存在しないはずのゴジラの「卵」が見つかり, 子どもすら生まれたりもしました.
 つまりは世相と興行に振り回されてきた,「ゴジラ」という映画の歴史はそう言っても過言ではないでしょう. そして興行成績の不振によって, ゴジラは2度の長い休眠期を迎えます.
 その2度目の長い休眠期を打ち破って再び現れたのが『シン・ゴジラ』でした. 総監督は, 一般には『エヴァ』の監督として, その界隈では『オタク四天王』の一人として知られる庵野秀明. ゴジラの歴史を知悉した監督が自らのゴジラを撮る. しかも筋書きは決まっている. そこにどんな創意が盛り込まれるのか.

 結論から申し上げれば, 圧巻でした. このような文脈を前提にした人々の期待を, さらに上回ってきたと感じました. スクラップ・アンド・ビルド. 言うのは簡単ですが, 実際にやってのける人物は滅多にいるものではありません. おそらく, 知識があればあるほどにその偉業は素晴らしく見えることでしょう.

 それでも, 全く疑問に感じる部分がないわけではありません. 最も強く感じたのは音楽でしょう. 特に伊福部マーチと『エヴァ』ヤシマ作戦の音楽です. これですね.



 もちろん, どちらも場面を絞って使っています. 伊福部マーチでいえば「あ, ゴジラだな」と感じるようになった中盤 (俗にいう「鎌倉さん」形態以降) でしか使われていません. でも, ですよ. これほどの「スクラップ」を行っているのに, なぜ音楽だけはこれを使うのか, その意味がどうしても「郷愁, あるいは執着」以外に思いつかないのです.
 何しろ他の場面ではそのために書き下ろした音楽がついているのです.「未確認巨大生物」の全く得体のしれない不気味さ, ゴジラが全身から光線を放つシーンでの慄然とした荘厳さ, どれもこれもいちいち琴線に触れてくるのに, あえて伊福部マーチをつかって既存のイメージを引っ張り出す必要はなかったのではないかと.

 逆に, 全てが終わってエンディングロールに伊福部マーチが流れてきたときは「素晴らしい映画を観た, これまで一度も観たことがない映画だったけれども, それは確かにゴジラだった」と感じられて本当に気持ちよかったです. 伊福部マーチはエンディングだけで良かったんじゃないでしょうか.

 ふと『ギャラリーフェイク』で扱っていた, 建築家ガウディとジョジュールの話を思い出しました. ガウディは自分の造形センスほどには色彩のセンスが優れていないことを自覚し, 抜きんでたジョジュールを引き入れて色彩を担当させたというのです.
 庵野秀明という監督が, 自分の不得手な音楽という側面にのみ「オタクのこだわり」を工夫なく引いてしまった, という感じなのです.

 他にも, 登場する女性像, 特に石原さとみ演ずる米国特使の浮き具合については巷間しばしば言われますが, ぼくはさほど感じませんでした. 少なくとも音楽に感じたような不可解さはないんですね.「監督はああいう突拍子がない女性が好きなのかな」というくらいで.

 とはいえ, これで明らかに「ゴジラ」は, というよりも怪獣映画は一段の進化を遂げたのです. 怪獣映画の金字塔に残る作品と言って良いと思います. この後に続き, これを超えるものが現れるまで, ぼくは怪獣映画を観続けることでしょう. ありがとうございました.

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『ペリカン・スーベレーンK600ピンク』買いました。

 いやはやご無沙汰でございました.

 最近は万年筆熱も落ち着いてきまして, 以前ほど目の色を変えて集めまくっているというわけではないのですが, それでもこまめに Pen's alley TAKEUCHIPENLAND CAFE には顔を出して情報を集め (ったって新品で買うのは Pelikan だけですから大したことはありません), どうしてもほしいと思ったものだけ予約するようにしています. 最近は限定品でも初動で売り切れるということは滅多にないので, 現物を見てからでも充分間に合うことと, 中古市場に出たときの価格差も無視できないことなどが理由です.

 そのぼくの態度が見事に裏目に出たのがこの品のときでした.

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 正直なところ, 初めて予告を見たとき「この色を誰が好んで買うんだ?」と思いました. 実際に使う場面を考えると, この万年筆に何色のインクを入れたいかがさっぱり思いつかなかったのです. コレクター気質はありますが, 立ち位置としてはユーザー寄りのマニアなものですから, 使う場面が想像できない品には食指が動きづらいのです (が, 例外もあります).
 しかし, 同時期に出た『趣味の文具箱 vol.35』の表紙を見て, 母や妹は「この色はいいね」と口を揃えて言いました. その言葉が示したように, ぼくの予想に反してこの限定品は一瞬で売り切れ, そしてさっぱり中古市場にも出てきません. 手に入らないとほしくなるのはぼくの悪い癖で,「気になるリスト」にまた一本加わってしまいました.

 発売当初の余韻冷めやらぬ頃, つまりは昨秋のことですが, Pen's Alley のGMから「うちに回ってきたピンクのボールペンが傷物だったので交換に出している」と聞き, 代わりが来るかも分からないという状況だったのに「戻ってきたら買います」と勢い余ってキープしてしまったのでした.
 ところが, 今年初頭からGMは体調を崩されて店に立たなくなり, ぼくはぼくで何度も顔は見せているのに何も言われないので「戻ってこなかったんだな」くらいにしか思わず, 仕方ないなあ, とあきらめ, 予約したことすら忘れてしまっていたのです.
 お盆明けに, 久々にご尊顔を拝したGMから「あれ, どうします?」と尋ねられて, 本当に驚きました. あきらめかけてから早1年弱, ぼくのところに彼女がやってきたのです.

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 ペリカンのボールペンは替え芯がパーカータイプのため, 多くのメーカーの替え芯と互換性があります. おまけにこんなアダプター (ぼくは amazon で買いました) もあり, 要するに「たくさんのボールペンの中から好きなインクを自由に選べる」という状況にあります.
 ちなみに余談ですが, パーカータイプの替え芯なら今はデュポンのデフィに採用されている「easyFLOW」が最高です. 滑らかなのにサクサクとした書き心地で, 書いていてもダマもほとんどできません. 個人的にはもっと細くなれば最高なのですが, ジェットストリームでも 0.7mm と 0.5mm ではダマのできやすさが段違い (0.5mm の方ができやすい) なので, 最近は「滑らかなボールペンに細字を求めるのが間違い」と考えるようになりました.

 サイズはタイトルにもあるように600系がベースになっています. しかし実際に手に取ってみると400系とどう違うのかわかりません. というわけで, 手持ちの400系ボールペンと比べてみましょう.

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 そうそう, K400がノック式なのに対して, K600はツイスト式なのでした. そしてその分だけストライプの部分は太くなっています. ノック部まで含めればK400の方が大きいですが, あえて腰 (ツイスト部分の金リング) の高さをそろえて比較してみます. そうすると, ストライプの長さがほとんど同じなのに対して, 腰から下の部分はやはり400系の方が若干短いです.
 しかし違うのは重さです. ツイスト機構のせいでしょう, 600系はかなりズシッときます. 400系が利き手ひとつでノックから筆記姿勢に移れるのに対して, ツイスト式ボールペンは一度両手でひねる必要があります (慣れれば片手でできるのかもしれませんが). そしてこの「両手でひねる」という1ステップが何とも厳かな雰囲気をちらっと醸し出すのです. 持ち歩くにはノック式の軽快さが, デスクで使うのにはツイスト式の重みがそれぞれ強みを発揮するように感じます. 万年筆の場合には600系と800系の間に重みの差があるのですが, ボールペンだと400系と600系の間にあるようです.

 というわけで, 今は純正のインク (ボールペンに関してはペリカンの黒インクは色合いが淡くて苦手です) を使いながら, どの芯を装着しようか悩んでいます. 結局インクで悩むのは, 筆記具好きの宿痾なのでしょう.

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ペリカン万年筆・都市シリーズコレクションご紹介。

 このブログもぼくの趣味に合わせていろいろやっていますが, 書いて以来最もアクセスが集め続けている記事は「ペリカン「クラシック M200 カフェクリーム」買いました。」です. 万年筆の趣味はひそかに盛り上がり続けているようで.

 そのひそかに盛り上がり始めていた万年筆ブームに, ぼくはちょっと遅れて入りました. 具体的には 2010 年夏, ペリカンの Blue o'Blue を研いで貰ってからということになるでしょう. それ以降, ぼくは多少の例外を除いてはコレクションをペリカン一筋に決め, 現在は約 50 本ほど所有しています.
 ペリカンのコレクションをしていて何とも厄介で, それがゆえにコレクター魂に火をつけるのは, 過去に発売の限定品たちです. これらは往々にして再販されないので, どこかのデッドストックか中古市場で見つけるしかありません. 入手しにくさも金額に比例するわけではなく, 高価ながら見つけやすい品と, お手頃価格でもめったに出てこない品があります. 例えばペリカンの《1931》《1935》 の復刻シリーズは比較的よく見かけますが (高価な割に出回った本数も多かったのです), 今ぼくが真剣にコンプリートを目指しているのがペリカン万年筆の「都市シリーズ」と呼ばれる逸品です.

 というわけで, 現在のコレクションをば.

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「都市シリーズ」は, その名の通り「世界各地の都市の名を冠した万年筆のシリーズ」で, スーベレーンM600 (この大きさがまたぼく好みなのです) をベースとして, 各々の都市をイメージする意匠あふれる軸をまとっています. 全部で8本が製作されました. お写真右からストックホルム, ベルリン, アテネ, シカゴ, 上海, ニューヨークとなっています. コンプリートまではあとマドリッドとサンフランシスコが残っています.

 右側の4本は比較的簡単に集まりました. 年数にして2年もかからなかったと思います.
 中でもぼくはアテネが大好きで, ついていたペン先の具合がまた素晴らしく, 気持ちよく使い続けています. 首軸のメッキ剥がれなど多少の難があるので査定しても大した額にはなりませんが, この万年筆は買ってよかったと今でも思います. その当時はこの万年筆の人気のほど──と高価さ──を知らず, 新宿の中古万年筆屋さんで小一時間悩んだ挙句, 素寒貧になったのを思い出します. ATMでお金が下ろせるので帰れはしましたが.
 さて, そこから数年動きはありませんでした. この4本はシリーズ中でも後半の, つまりは流通本数が増えたあとの品なので今でも動きが多少あるのですが, その様子をしり目に, 前半の4本がぼくの前に姿を見せることはさっぱりありませんでした. 馴染みの万年筆屋というものがいくつかでき, もしダブろうものなら全部引き取る覚悟で「出たら教えてくれ」と頼み, 時間だけが過ぎてまいりました. 本当に流通したのかと不安になったころ, まずストックホルムが現れたのです. 一昨年の夏のことでした.
 ストックホルムは青系ながら深遠な佇まいでありました. アテネと上海は風合いが違いますし, シカゴとニューヨークはモノトーンでしたから, その姿はなんとも独特な印象でした. 現品を見ずに買ったというのに, ぼくは一発で好きになりました.

 そしてそれから約1年半, 再び奇跡がベルリンとしてやってきました. このベルリンはストックホルムと同様の作り方でありながら, 青, 黒と合わせて白が目立つストックホルムと異なり, 全身がうっすらとした深い緑に覆われ, 森林に囲まれた都ベルリンをイメージするにふさわしいものでございました. ストックホルムと2本並べて, ここから都市シリーズが始まったのだと思うと, またコレクターとしての無駄な意欲がむくむくと湧き上がってくるのです.

 と, いうわけで, ぼくは相変わらずの日々を送っています.

明けましておめでとうございます。

 皆さま, 明けましておめでとうございます. 緊急時には松の内なんて気にしちゃくれないこの商売, 早々に一仕事終えまして, 今日に至ってしまったわけなのでございます.

 ブログに書くよなこともなく
 目先のことで日々は過ぎ
 さすがにそれではいけないと
 思い立つのもそこそこに,
 決めたばかりの決意も砕け
 のんべんだらりと生きている.

 そんなお正月でございました. 全くお恥ずかしい限りで.

 まあ, 今年はなんか起きるんじゃないですか (投げやり).

 Qwerkywriter にだんだん慣れてきたのですが, いざというときに頼りになるのはやはり有線でございまして, 今でも有線キーボードをひとつPCにつなぎっぱなしにして使っています. 立ち上げ時のキーワードとかは優先の方がやっぱり早いですね. あとほんとにちょこちょこっとした仕事とか.
 すると困るのはアメリカキーボードと和製キーボードの微妙な差で (特に記号関係), 括弧がひとつずつずれていたりとか,「かな/半角」キーがないだとか (これは当たり前か), 悪戦苦闘していたら昔聞いたとある数学の先生の話を思い出したわけです.

 その先生はフランス人でして──大学の先生, それも数学の先生となると (最初は) 日本語はさっぱり, という人も少なくないですがその方はペラペラでした──, なんでもフランスのキーボードは英語圏のものとはかなり違っているらしく, PCを準備する担当だった先生は気を利かせてフランス語キーボードを取り寄せたんだそうです. そして赴任してきたフランス人の先生, しばらくそのキーボードを使ったあとでおっしゃったんだとか.

「普通のJISキーボードはありませんか?」


「フランス語の書類が来るとその先生ではなく, フランス語に堪能な日本人の先生に応援を求める連絡が来る」という話もありましたっけね.

 う〜ん, キーボード配列をちょっと Qwerkywriter に合わせていじったので, 有線キーボードではちょっと戸惑うなぁ.

 本年もとりとめのない話ばかりですが, よろしくお願い申し上げます.

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QwerkyWriter 届きました。

 そんなものどうするんだ, という各方面からの突っ込みを受けること必定ながら, 今年最後になるであろう (なってほしい) 無駄遣いの品が今日届きました. その名は QwerkyWriter. お写真はこちらです:

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「それでオマエは何を書くんだ」とか突っ込まれると返す言葉もございませんが, このルックスにはなんとも惹かれるものがございます. 約一年ほど前にこの商品を発見した時は本当に「いいところに目をつけたな」と感心していたのですが, しかし自分がまさか事前予約まですることになろうとは思っていませんでした.

 話は5年ほど前に遡ります. 当時購入したばかりだったPC (先月買い換えました) に付属のキーボードが邪魔になってきました. 当時はディスプレイを台に置き, その台の下にキーボードが収納できていたのでなんでもなかったのですが, 新調した書斎には台が置けず, キーボードの大きさを持て余したのです.
 思えばこれがミソのつき始めでした. そのルックスでぼくを魅了したタッチパッド付きキーボードは, 意図して使う分には便利だったのですが, うっかりパッドに触れてしまった時の突発的な動きに始終悩まされ, しばらくして接触不良となり廃棄. 次はテンキーもない (ぼくはテンキーをあまり使いません) 自立式の Bluetooth キーボードで, これは大きさも小さくすぐ動かせて悪いやつではなかったのですが, 矢印キーが横一列 (左上下右だったと思う) というのには馴染めませんでした. やっぱり下は上の下にありませんと! そして今年の正月にOSを再インストールした際に Bluetooth 受信機が繋がらなくなりお役御免となりました. 先代PCの4人目の相棒はキーピッチの狭い有線キーボードで, 最初からこれがあれば最後まで添い遂げただろうと思いますが, さらなるものを求めることに慣れてしまったぼくは, なんとなしにキーボードを物色したりしては, これなら使いやすいだろうか, と思ったりしていたのです.

 そんななかで現れたのが, この QwerkyWriter でした. 詳細の前にこちらをどうぞ.



 なんともユーモラスな良い曲だと思ってます. 作った人にしてみれば, ユーモアというより皮肉の方が強いのかもしれませんが, 今となっては「わざわざタイプライター」みたいな目線が入ってきますからね.
 そんなわけで, もしタイプライターみたいなキーボードがあればなあ, というのは努々思っていました. 一方で, 昨今のキーボードは薄さ志向ですから, 流行らないだろうというのも予想はしておりました.

 そこに現れたものですから, ぼくは約1年ほど悩んだのです. Bluetooth 環境が失われて欲は一旦は落ち着いたものの, PCの買い換えとそれに伴う Bluetooth 環境の復活によって遮るものはなくなり, さらには「良いPCには, 良いキーボードを」なんて何かのCMみたいなことをつぶやきながらポチッといってしまいました. 事前予約と本発売で70ドルほど違うというのも背中を押す一因でした. どうせ買うのだから早いうちに買ってしまえ, というわけです.

 さて, 開封の儀を終えまして既にこのエントリを QwerkyWriter で書いているのですが, もう何しろ気分がいいです. 押しているという感触がその都度カチカチカチカチと, 共用オフィスなら隣の人に叱られてしまいそうな音とともに伝わってきます. 決してオフィスには浸透しないでしょうね.

 キーボードとしては異例の重さでもあり, 無線キーボードでありながら持ち運びには決して向かないという素晴らしいものです. 今は電源をつないでいるのでわかりませんが, 一旦充電するとかなり保つそうです. どうせ持ち運ばないのだからひも付きでも関係はあまりないと思いますが.
 キーはそれぞれ丸いボタン式で, トップはマットな感触で滑りません. 中央が少しくぼんでおり, 触れた指が自然にキーの中央に誘導されタイポが出にくいよう工夫されています.

 そして「こだわり」という他ないのが改行レバー. しっかり作りこんでいて, 押すと「カッチッ」という感触とともに改行してくれます. 指一本だと空振りしがちなのが玉に瑕ですが, むやみに触りたくなる妙な存在感を醸し出しています.

 今後とも当ブログをよろしくお願い申し上げます.

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連続テレビ小説『まれ』観ました。(その2)

  前回の続きです.

 翻ってみれば,朝ドラのヒロインで「私が夢を叶える!」というタイプは滅多にいない. 強いて分類すると,ここ数年 (午前8時スタート移行後) では「純と愛」と「まれ」のヒロインにこの気性が強い. そしてこのタイプのヒロインは概して好かれない. してみると朝ドラのヒロインというのは

  ヒロインが頑張りました
 → みんなが少しずつ影響されていきました
 → みんなが幸せになりました

くらいで充分であって,ヒロイン自身が「夢を叶える」必要は必ずしもない. ヒロインに影響されて周囲が少しずつ良く変わっていくのを見て,視聴者が「私も頑張ろう」と思えれば. 評判は自ずから上がっていくのだ.

「まれ」には,明らかに「悪い」キャラが3人いた. 父親の徹と幼なじみの一子,それに師匠・池畑大悟である. この3人をまれが「どう幸せにするか」がドラマ構成上の最大のポイントであった.

 大悟については,なんとかゴールまでこぎ着けたと言える. もっとも最終月の伏線回収 (というか帳尻合わせ) によって「たどり着いた」というレベルのものではあるが, 大悟を演じる小日向文世の演技は「弟子に学ぶ偏屈な師」というキャラクターにリアリティを与えていた. だからこそ, まれの影響を受けた大悟をもっと見たかった.

 一子はいささか微妙である. 物語の中盤の山場としてまれと戦ったものの, 実際に改心を促したのは洋一郎をはじめとする能登の人々だったわけで, 不完全燃焼の感が否めない. まれとの対決は大がかりな割に意味が見いだしにくく「主人公なんだから何とか話に絡めないといけない」という事情を勘繰ってしまう.
 対決後の一子の変わり身の早さがまた不気味で, ご都合主義の誹りを受ける一因となった. 人間そんな簡単に気持ちの整理がつくものじゃない. じっくり時間をかけて縁を結び直すさまを描けば, まだまだ話の作りようはあった.

 最後に徹だけれど, これは明らかに失敗だった. ダメおやじはダメおやじのままで時間が切れてしまった. 大泉洋という世にも稀な器用貧乏俳優を使いながら, それを使いきれなかったと思えてならない. 例えば「孫が徹を改心させた」のであれば孫を生ませたことに必然性が出る. そうすれば, 家族のバックアップを得てまれ自身が夢に加速できた. お為ごかしのコメントはあったものの, 結局徹は最後まで「逃げたおやじ」のままであった. 「ダメじゃなくなったお調子者のおやじ」を演じる大泉の姿を是非見たかったと思う.

 こう観察してみると, つくづく「ちりとてちん」はよくできていた.
 とどのつまり, ヒロインが望んで勝ち取ったのは「恋した兄弟子のの嫁」というポジションくらいで, 落語家だって願ってなったわけではなかった. クセの強い師匠や兄弟子たちに流されるまま, その場その場で頑張ってきただけである.
 しかしその結果として, やさぐれた師匠を立ち直らせて一門を蘇らせ, A子と和解し, 家族とも幸せをつかんだのである. これほど八面六臂の活躍を遂げたヒロインも珍しい. たいていは家族を幸せにして終わりである. 「梅ちゃん先生」しかり, 「ごちそうさん」しかり. 家族を幸せにすることだって, とんでもなくすごいことなのだが.

 というわけで, 今回学んだことは「俳優でドラマを選んではいけない」です. 日本のドラマ作り, 本当に転機にきているんだと思いますよ.

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連続テレビ小説『まれ』観ました。(その1)

 久しぶりに半年通して朝ドラを観た. もともとは「大泉洋が朝ドラに出る」ということで観始めたのだが, 半年も俳優一人でモチベーションは持続し得ないわけで, 見せる側でないにも関わらず, 半年間もの間毎朝「見せる」ことの難しさを痛感した. もっとも逆説的に言えば, 目を引く俳優が一人か二人出演していれば, 1クール10回くらいのドラマならきっと人は見てしまうのだろう. ぼくは, かつての「トレンディドラマ」がキャスティング偏重のドラマづくりをもたらし, 結果として現在に続くアイデアの無駄遣いとドラマの不振を引き起こしたと思っているのだけれど, それも仕方ない流れだったのかもしれない.

 ドラマとは「枠」だ, 同じ4時間の映像作品でも, 4時間ぶっ続けの1本, 2時間の前後編, 週1回1時間4週では構成の仕方がずいぶん変わってくる. どれが簡単でどれが難しいというわけでもないだろう.
 例えば「新参者」というドラマがあったが, ここでは基本的には1クールかけてひとつの事件を追い, その捜査の過程で1時間枠に収まる小さな事件がいくつも起こるという形式をとった. 1クールを一気に見させられたとしたら, 本筋の話の進まなさに耐えられず, とても観ていられないだろう. このシリーズは映画化されたが, 映画版では余計なパートを含まず本筋だけを追い,ドラマ版とは違って主人公の切れ味の良さが際だつ構成になっている.

 朝ドラはもっとも短い枠を重ねて作る. 週ごとにサブタイトルが付くので,90分のドラマを15分ずつ放送していると考えるのが適当だろう. したがって90分の中に起承転結を組み込むことになる. 月曜に起きた騒動を火曜・水曜に大きくし,木曜に転機が来て,金曜・土曜で大団円,という具合である. 言うのは簡単だが,15分ごとに区切られている枠の中でそれをするのは,90分1本の枠の中でやる場合と比べて格段に難しい. 自由に転機を組みこめるからだ. ちなみに15分×6回の利点は,小さいネタをコツコツ積み重ねられる点である. 90分に脈絡なく6個のネタが入っていても見ていられない.
 その一方で,朝ドラは放送時間の合計では大河ドラマと並び,あらゆるドラマの中でダントツの長さを誇る. それだけの長い時間視聴者を引きつけるには,やはり何らかの本筋がなければならない. 本筋があって,いろいろ問題が起きる中でも本筋を追いかけるから共感を呼ぶし応援したくなるのだ.

 ということを前提にして見ると,「まれ」は,各週ごとのドラマとしてはそれでも健闘したと思う. その上で,本筋があまりにも細く弱く見えた. 何しろ週と週との間が何年も飛ぶのだから筋を蔑ろにしていると言われてもやむを得まい. あまりに点が飛びすぎて線が見えにくいのだ.

 もうひとつ,まれが今一つ共感しにくかったのは,あまりに行動が場当たり的に見えるところである. 問題が起きたときに,人は「現在は●●だ」+「私は××でありたい」から「私は■■する」を導く. そして朝ドラのヒロインは基本的に「××でありたい」が揺るがない (これは,現実的な目標よりも一段階メタな「哲学」のようなものである). しかしながら,まれはしばしばいったん自分を引く. 「私は××でありたい」が、まれの場合は「わたしたち(家族)は××でありたい」に変わりがちなのだ. それだけ家族を大切にしているのだが,それと別に「わたしは(世界一の)パティシエになりたい」という夢を公言してはばからないものだから,言行がちぐはぐに見える. 行動原理の基準は家族においているのに,口では「世界一のパティシエ」と言うので混乱する.
「地道にこつこつ」と言い続けた子供時代のまれが,パティシエという夢にかけて横浜まで出てきたのはいかにも朝ドラという展開だった. だから余計に,夢に向かって一直線に進めないまれの姿を歯がゆく感じる.

 ネットを見ていると「あまちゃん」との比較でとらえている評価が多い. BSでの放送は「あまちゃん」の再放送の後に「まれ」なので,比較したくなるのは自然だと思うのだが,ぼくは「ちりとてちん」を基準にしたい. ここ数年で最も出来が良かった朝ドラだと思う.
「ちりとてちん」は視聴率が悪かった. その一方で,DVDの売り上げは朝ドラ中最高を記録して揺るがない. 要するに序盤で観客をつかみ損ねたのだが,その一方でつかんだ観客は離さなかった. ドラマとしての出来の良さを示すエピソードの一つである.

 さて「ちりとてちん」のヒロインも夢が怖い後ろ向きな女の子だった. フツーにしていても気後れしがちな女の子に同姓同名の優等生のライバルをぶつけ,コンプレックスを視聴者にまでがっつり植え付けた. このキャラ設定は見ていても辛かったし,だから観客をつかみ損ねた. ぼくも再観するときは1巻を飛ばしてしまう. もちろんこの設定は「居場所を見つける」という本筋につながり,大阪でやさぐれた師匠の家に迷い込んで落語と出会うという一大転機につながっていく. 落語好きのおじいちゃんの遺言という線の引き方がなんとも絶妙で (そしてこのおじいちゃんの出番は辛い序盤の中でなんともほっとするシーンなのだ),この辺がしっかりとした「本筋」を感じさせる.
 そして毎週騒動が起こる. 起こる出来事に強引な感じはなくはないのだが,相手は噺家,それも世を捨てた無頼の芸人であるからして,何となく説得力があり頷かされてしまう. それが設定の妙というか,脚本の力だ. その騒動を乗り越えていくうちに,ヒロインは「ここにいてもええんや」から「ここにいたい」「落語をしたい」と願うようになり,最後の最後に「落語を守っていきたい」と寄席の主人になることを決意する. 一つ一つのステップがきちんと描かれているから,最後の大団円に心を奪われるのである.

 翻って「まれ」には,結局「パティシエになりたい」と「幸せな家族でありたい」という以外にテーマが見当たらない (これらは現実的な目的であって,もうひとつ深いところにテーマとか哲学があれば良いが,なくても何とかはなる). その本筋を追えばいいドラマになったと思う.

 それでも横浜編, すなわちパティシエ修行中のまれとIT企業で働く父親との父娘の生活には, 2つの夢を叶えるべく努める構図があった. 横浜編は同時に師匠・池畑大悟の家族の幸せを見つける物語でもあった. 2つの夢, 2つの家族がともに歩んでいく「朝ドラらしい」展開だったのだ.
 この展開が, 能登へ戻って塗屋の女将になるところから一変する. 2つのテーマは互いに相反する存在になる. ある時には家族を優先し,またある時にはパティシエの夢から離れられない. その判断に基準が見えないから,視聴者は樹海に引きずり込まれたように感じてついていきにくい.

 はっきり言えば,横浜編まででも十分朝ドラになった. 夢嫌いの女の子が,夢を叶えるべく弾みで飛び込んだパティシエの世界で,偏屈な,愛情表現の苦手なシェフに揉まれて最後に結婚し店を開く. 振り返れば,このあらすじは「ちりとてちん」と全く同じである. つまり「まれ」のあらすじは,「ちりとてちん」から修行パートを薄めて家族パートを付け足したものなのだ.
 そうしたからには,脚本家の意図は家族パートにあったのだろう. 仕事と家庭の両立は現代人に否応なく突きつけられた課題でもある. しかし,それをテーマにするならそれひとつに絞るべきだった (家族と家庭との両立については「梅ちゃん先生」はじめ多くの朝ドラで描かれたし, 成功したものも多い).

長々と済みませんが,この項続きます.

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優しくなければ。

 久しぶりに, そして唐突にマーロウのあの台詞を聞いた.

「強くなければ生きていけない.
優しくなければ, 生きていく資格がない」

 そして, ああそうだよな, とつくづく思った. この2文はどちらも真実だ. 一方が他方を否定も, 重複も, 排除もしないのに, 堂々と並び立っている.

 安全保障とは, 第1文に他ならない. 言葉で何を語ろうと, 生き延びるには強くなければならない. つらく, 苦いけれども, それが現実だ.

 そして第2文は理想を語る. 強かろうと弱かろうと, 理念も理由もなく暴力を尽くすなどまともな人間のすることじゃない. 力のあるものが, 無闇に力を振るわない. それでこそ, 生きていく資格がある. だからこそ, 優しくない者, 力をコントロールできない者は罰せられることになっている.

 すべてのものが, 優しくある. それは誰もが夢見る理想の形だ. そうありたいと努めるのが, 平和主義ということだ. だがそれは, この現実の世界で, 強くなくても生きていけることを意味しない. やはり, 強くなければ生きていけないのだ. それは, あるべき理想, 求めるべき理想とは無関係の事実である. 悲しいけれども, 見据えるべき事実だ.
 戦争は誰だってしたくない. ともに生き延びるために優しくありたいと思う. しかし降りかかる火の粉を払わないでいたら焼け死ぬ. 力を振るうくらいなら焼け死んだ方がましだと考える人がいるとしたら, ぼくはその思いを否定するほど強い意志はないので黙って去る. そして自分のできる範囲で, 優しくあろうと努力する. 平和主義の理想とは, ぼくにとってはその程度のものだ. 自分の命を, まずは優先する. それが弱いと笑われるなら, それならそれでも構わない.

 平和主義者が強くあろうとするのは矛盾か. そうではない. 強くなければならないと心に決め, 優しくありたいと努める. それが平和主義だ. そう思う.

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龍孫江
 秋ごろになるとアニメが見たくなる. どうしてかは分からない. 思えば 3 年前, 今さらのように『新世紀エヴァンゲリオン』を見始めた頃から急速に変貌を遂げてきた感がある.「ま〜別にいいか, おもしろいし」呟いた言葉には少しオジサンの気配がする. そういえばバイト先の生徒に「25 なんてオジサンです」って言われたっけ.

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