最底辺からの景色

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今更ながら、ケーブルテレビでやってたのを視聴
お恥ずかしいことに人生初セブンです。
誇らしいことに人生初セブンです。
適当にネタバレです

ああいう終わり方ですし、結構モヤモヤが残りはしましたが、面白かったですね
最後はあんな感じでしたけど、ブラピはとても良い演技をしてました
撃つ前、一瞬嫁の顔がよぎるのが好きです
あれで下手に幸せな回想シーンをいくつも出してたら駄目だと思うんです
かといえ、ブラピの顔芸名演だけでも足りない
一瞬、発作のようによぎる感情が、彼に撃たせたんだと。
それに、色々と回収されない伏線みたいなのが沢山ありまして
考えるのがこれもまたなかなか面白い

ちなみに私が視聴後に考えていたのは
・登場人物全員、そして私のような視聴者も、誰もが罪を犯しているということ
・私なら銃を投げ捨てて、殴りに行くだろうということ(ブラピは銃を撃った経験があると言っていたので、ハードルが低かったのかな?)
・怠惰の罪を受けた女児レイパーが一番ひどい拷問を受けているし、スロウスを発端に犯人は図書館で色々調べ始めたのではないかと思うこと
・結局この事件は、こじんまりとした終わり方を見せたので、ワイドショーでせいぜい2週間騒がれて終わる程度の事件だ、という感想に至ったこと
です

不安なまま終わればもっとよかったのに、解散って感じで終わってしまって
その辺はなんか、なんか。

部屋掃除をしながら某サイトの「社会の底辺になって気づいたこと」を読んでいたのだが、そこで何となく投稿したコメントをもう少し深く考えてみる

私は一回、自分なりの最底辺に落ちた
そこで特に強く感じたものは
・生得的に持ち得たものはどうしても残ってくれる。そこに感謝の気持ちを絶やしてはいけない
・自分を底辺に貶めた向き合うべき自分が浮き彫りになる。それは自分の弟のように思って接するべきだ
・貧すれば鈍ずるという言葉があるように、なにもないと確かに余裕は少しなくなる。しかしそれは、今まで多くのものに甘えてきたから作れた余裕ではなかったか
・生きてさえいれば、どこからでもまた始められる
・いくら失おうと、空いた手でまたそれなりにものを抱えることが出来る
ということである

それを踏まえた上で改めて

底辺に落ちるということは、生き方や欲望の断捨離みたいなもの。
そこからまた生活は始まるし、空いた手で多くのものを抱えることが出来る。
」と。

自分自身の戒めに

LGBT問題には割と積極的な私だが、たまにクソ面倒だなーと思う時がある

例えば今回の記事は蛆テレビの保毛尾田保毛男の件を発端としているが
あれも私からすればクソ面倒くせーって案件だ
あれが放送されることについて是非や影響への話し合いが起こるまでは良い
改めてLGBTについて考え、子供への教育、偏見の刷り込み、メディアに露出している他のLGBTについてetc.
この件を機に大いに議論され、より良い世の中になればいいと思ったさ
しかし
ヘイトしか生まないだの擁護するのは差別主義者だのと馬鹿が騒ぎ始めると
あークソ面倒だなーと思うのである

今日自己弁護したい、もとい主張したいのは、この面倒クセェが無関心からくる傲慢さとか差別とは関係ないのではということだ

では何なのか
ネットでは「マイノリティを支援してやるとか関わるのは面倒だとか言うのは傲慢だ、それこそマジョリティの特権だ」という意見が見られるようだが
これはどっちかって言えばマジョリティとかいう枠組みに入れられて勝手に課せられている義務だろう

そう、義務だ
強き者として弱者の意見を聞かなくてはいけない、みたいな義務だ
大いなる力には大いなる義務が伴う、というアレである
しかし困ったことにほとんどの人は、強き者の枠に生きてはいるものの、全然強くないのである
だいたいの人は強き者カーストの底辺にいるのだから、それなりの差別を受けている
差別も受けろ義務も果たせの中間管理職かという話だ

今回その層の爆発も割と多く見られた
性的・身体的特徴で馬鹿にされてきて、そのままの自分でいたいのを無理に周りに合わせたり、馬鹿にされることに寛容になったり努力してきた人たちが
「なんでお前らばっかり守られるんだ、過剰に喚くんじゃねぇ」「そんな痛み誰でも受けてるだろ、そのくらい寛容になれ」と、
本件をマイノリティの特別扱いだと主張していた
私は、彼らが正しいかどうかはともかく、彼らにとっての理屈があることは当然だと思った

また、マジョリティ内のヒエラルキーは置いといても
義務を果たせと言われたら、どうなるか
普通に面倒くさいのである
一番若いからって町内会長には誰もなりたくないだろう
自分の義務(差別)と向き合うのに手一杯であるなら尚更、他人の差別に義務を果たす気が起こらないのは当然のことだ

しかも最近の風潮によってか
弱者の意見が逸脱しているという疑問を抱くことも許されない状況が出来上がりつつある
弱者が痛いと言えば、全力で対応しなくてはいけない
当事者(仮想当事者)の声が、弱者至上主義と言わんばかり
義務を果たさなければ理解がないと貶められ、差別主義者だと言われてしまう
これで誰が積極的に、自分のすべきことを投げうってまで、LGBT問題に取り組もうか

勿論、それでもマジョリティは恵まれていて、マイノリティがいるならばそれを理不尽から守りたいという気持ちはある
それに、確かに不理解だと言って仕舞えばそれで論破できて勝つこともできるだろう
だが、そんなことしても反感を買うだけなのは明白ではないか

だから個人的な結論
マジョリティなんだから取り組めよ差別だぞ、ではなくて
マジョリティだし頑張って!かっこいい!って応援してくれたら頑張ると思う
こっちがマジョリティ(本当にマジョリティなのか?)なのをいいことに、義務を果たせと文句を言うだけではなく
マジョリティに働きかける時は、気持ちよくその気にさせる努力をすべきだと思うのだ
それをしないでマジョリティの不快感を買うことを繰り返すなら、もうそれはクソではなかろうか

「ぼくたちLGBTは◯◯という酷い有様なの」って分かりやすく説明してくれるたとなおベターだ
んでもって「◯◯って差別なの?」って質問にも嫌な顔せず根気強く納得させて欲しい
あとマイノリティ同士で意見をちゃんとまとめておいてほしい
なんで貴様ら一人一人の不快感をスタートラインにせないかんのじゃってたきがよくある

マジョリティにも色んな人がいるんだから、その多様性をきちんと理解しようよ
その上で手を取り合っていい世の中を作ろうよ(提案)

ほんとなんでマゾい方向に追い込むのかよくわからない

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