ブログネタ
どうしてもなじめないカタカナ語は? に参加中!

どうしても馴染めないカタカナ語はと言われたら、私は「これから知る全てのカタカナ語」と答える。

若いころに覚えたカタカナ語は馴染み深い。プリント、レジュメ、アルバイト……etc.
もう自分の中で常用日本語として記憶されているからに違いない。
多少古臭くて使われなくなったものや、意味合いが変化したり不適切だと消えたものも多かれ少なかれあるが、そんなに嫌悪することはない。

しかし、最近知ったりこれから知るだろうカタカナ語にはあまり馴染めそうにない。
例えば仕事でアジェンダ…はまだしも、ペンディングとかフレームワークとか言われたら「ん?」となる。
代替する適切で簡潔な日本語がない場合は、(馴染まないが)新しい言葉として迎え入れるよう試みる。
しかし代替する適切で簡潔で(何より自分が馴染んでいる)日本語があるのにカタカナ語として出てきた単語には敵対心が沸く。

中年層がナウなヤングの流行語にイラッとするあの感覚だろうか、
自分が一生懸命作り上げてきた日本語辞典を穢されているような感覚だろうか、
とにかく困ってしまう。

余談になるが、ら抜き言葉に困るのはこの感覚が近い。
自分の言語の縄張りを侵されているような気がして、イライラするのだ。
実際は現在の標準語なんて明治に定められた東京弁でしかないし、
ら抜き言葉の有用性も十分に理解しているし、
他人が雰囲気をふいんきと読んでも気にしないし、確信犯をむしろ誤用が正しいと思うくらいなのに、
ら抜き言葉を若い人間たちから「いーじゃん」などと言われると反発したくなる。
ら抜き言葉を使わないのが正しい日本語として習ったために
その自分の辞書にケチがつくようなことをしたくないのである。
※ら抜き言葉に関しては、語彙の少ない若い人間の知識不足を肯定したくないというのもある


また、別の意味でも困る。
最近私は交友の関係で英会話する機会が増えた。
英単語は毎日数十単語を覚えるようにしている。
そんな英語を覚える中で、カタカナ語が物凄く邪魔なのである。
カタカナ語の意味が英語の本当の意味の邪魔をする。
英語の本当の意味がカタカナ語の理解を妨げる場合もある。

古代はそれでよかったかもしれない。
外国語を日本語に置き換えたから日本はアジアで強国となったなんて話も聞くし、
漢文が一般人でも読めるようになったのは返し点とかの日本語への変換があったからだ。
そうやって外国の概念が一般化されることで広く知識が受け入れられ日本は成長したとも聞く。
しかし今はもうそんな昔と同じ世相ではない。
国際化の時代が目の前に来ている。
そんな中カタカナ語はどうなのと思う。せめて発音くらいはしっかりしろよと思う。

しかし
私は社会では最底辺の人間だし、頑固だし、頭もそんなに良くないのでこのように思わけであるが
頭の良い方々がカタカナ語を有効活用して社会を発展させられるというのならそれでもいい気もする。
盛大に日和って〆。