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December 18, 2006

母校にて

先日(12月16日)母校でもある横浜某大学にて、暴力温泉芸者などの活動で知られる中原昌也のライブを見た。正確には、中原昌也と自分も学生時代、主に現代音楽について師事していたO氏とのセッションだったわけだが。


ざっとその様子について書き留めておくと、サンプラー、テルミン、ギター等々、様々な電子楽器から発せられる、所謂"ノイズ音"の連鎖が中心であった。不均衡と不協和音。決して一定ではないマテリアルをコントロールすることによって構成される音楽。人によっては、それは「騒音に過ぎない」と言うかもしれない。

そして、そういった類の音楽を人は『前衛音楽』と呼ぶ。一般的にバッハやモーツァルトなどの音楽を"古典・クラシック"と呼ぶのに対し、付けられた総称である。

確かに実験的であり、それは最先端、つまり前衛と呼ばれるのに相応しいのかもしれない。

しかし、ここで表されている『不均衡』は、果たして最先端なのであろうか。



人が"音楽"というものを認識し始めてから20世紀初頭まで生み出されてきたものと比較すると、それまでの音楽的手法とは全く異なることは言うまでもない。しかし、音そのものについて言えば、逆にそれは非常に"プリミティブなもの"と言えるのではないか。

有史以前、太古の地球において当然"音楽"という概念は誕生していなかった。その時代、地球上に響いていた音と言えば、雨音、水の流れる音、波音、風の音やそれによって揺れる木々の音など、自然界に存在する音そのものであった。それは、決して整理されたものではなく、偶然がない限り均整のとれたものではなかった。この原始の時代に生み出された音とは、ほぼ全てが『不均衡』によって構成されていた。人類誕生後、人類が言葉を手に入れ、そして宗教という概念を生み出し、ようやく音楽というものを生み出すまでは、この『不均衡』が地球上に存在する音を征服していたというわけだ。


そもそも現代の音楽を構成する"拍"や"テンポ"という概念は、混沌を避けるため人間が生み出したものである。その根源となっているのが、"時間の概念"である。この時間の概念とは、地球の公転・自転の速度を元にして人工的に作られたものだ。こうやって生み出された"時間"により拍、テンポ、章節など音楽を均整化させる概念が生み出されたのだ。

また、現代の一般的な音楽の根底にある機能和声や平均律の音階などが生み出されたのがバッハの時代だ。先に紹介したO氏曰く「ロックもバッハもやってることは一緒なんだ」と。このように時間を重ねる毎に音はより均整化を図られきたわけだ。そして、それを人は『音楽/music』と呼び、それ以外のものを『音/sound』と呼ぶようになったわけだ。


この差別化に一石を投じたのが、ジョン・ケージだ。彼が、「この世の全ての音は、音楽である」と論じたことは有名である。そして、音のない状態、すなわち『無音/silent』でさえ音楽だと説いたのだ。しかし、これは決して混沌を生み出したのではないように思われる。むしろ、純粋な意味で整理したのだと言えないだろうか。つまり、地球上で発せられたモノといえば、元々は所謂『音』によって構成されていたのだが、それを『音楽』というカテゴライズによって、人工的に均整化したに過ぎなかったからだ。ケージは、世のあらゆる"音"に耳を傾けるよう示唆したのである。



このように人間によって均整化を図られてきた音は、やがて音楽を呼ばれるようになった。そして、中原氏が見せたライブのような類のものを一般的にある種の異端として捉える。それを"前衛"という言葉で片付ける。しかし、この不均衡こそ最もプリミティブな次元で音と向き合ったものだと言えるだろう。自然界に存在する音についてそれを体現化したというわけだ。一般的に言われる"音楽"の成り立ちは、そこにあった。この世に潜在的に存在する音を再生しようとする作業、それが音楽の起源である。そして、中原氏の音楽とは、そこに近似しているように考えられる。実際、彼自身音楽の身体性を重要視する傾向にあると語っていた。身体とは、自然の産物であり完全に均整のとれたものでは決してない。楽器と向き合う身体、発せられる音と向き合う身体、彼の言葉からは、この関係を放棄することは出来ないように思われた。



雨音、水の流れる音、波音、風の音など自然に存在する不均衡な音の数々、それらと近似した特性を持つ中原氏の音楽は(そのようなモノは)、単に前衛というものではなく、原始の頃から受け継がれてきた"音楽"を体現していると言えないだろうか。

room426 at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コラム 

November 01, 2006

履修漏れ

連日ニュースで話題の『履修漏れ』。"高校で必修科目を履修してない"っていうアレ。

僕は地元の公立高校出身なんだけど、確かに当時から同じ公立高校でも履修してる科目が違うコトに多少疑問はあった。別の高校に行っていた友達は、『オーラルコミュニケーション』という授業を受けていたが、僕はそんなの受けてない(調べたら当時は、コレ必修じゃなかったらしいけど)。そういうのが、あからさまになったってコトか。


高校生の時、「勉強なんて"100%受験のため"」だと思っていた。要するに、大学に受かるためにしなければならないコトとしか考えてなかった。というか、そう考えてないとやってられなかったってのもあったかも。だから、もし当時この"履修漏れ"なんてことがあったって、「受験に関係ない科目なのに今さらやってられるか!」とか言ってんだろうな。

だけど、大人になって分かったコトがある。別に学校で習うコトやら受験で必要なコト、その全てが必要だとは思わないけど("導関数"なんて一回も使ったことないぞ)、大人になった時"最低限知っておくべきコト"の全ては、そこから学んだということだ。

"知っておくべきコト"というか、つまりこれが、所謂『一般常識』というやつだろう。例えば、歴史とか地理とか(社会)、言葉とか(国語)。別に受験勉強みたいに細かいトコまで知っておく必要はないけど、"最低限の大人としての教養"というのは、とても大切だと思うわけ。社会に出てからそういうものを身につけているかそうでないかによって、大きく印象だって変わってくる。だったら、身につけておいた方がいいじゃない。

子供の頃、「今勉強しておかないと大人になってから苦労する」と、誰だって一度は言われたことがあるはずだ。いやぁ、まさにこれが大人の意見。なるほど、と思うわけ。


大学生の時、ウチの学科には『BIG3』的な大御所教官が3人いた。彼らはよく「知識欲のないやつはダメだ」と言っていた(あの人たちは、"言葉をオブラートて包む"ということをしなかった)。別にあの人たちみたいに頭ごなしに否定するわけじゃないけど、割と大事なことだとは思う。

コレは、先に言った"一般常識"とは違う"知識"についてだけど、僕としては色々なことを知ること(あるいは経験すること)は、とても大切だし案外役にも立ったりすると思う。例えば、広く色々なことを知っていると、人と会話する時にネタに困るなんてことは、多少は回避出来るだろう。そういうレベルからさらにもっと別の次元においても、持っておいて無駄になるような知識なんてそうはないはずだと思う。


古くはルービックキューブ、新しくはDSのゲームに見られるように、根本的に人は頭を使うことが好きなんじゃないか、と。でなきゃ、あんなに売れないって。


高校の"履修漏れ"から大きく逸れてしまったけど、今回のこのニュースで僕はこういうことを思ったわけ。いつだったか、渋谷の駅前に『高校生は帰って勉強しろ』みたいなことが書かれた広告が出ていた。まぁ、極論だとは思うけどこれも割と的を得ていたような気がする。


いや、ホント、こういうことって大事なことだと思いますよ。



Posted : Ryoh Mitomi

room426 at 02:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)コラム 

July 10, 2006

"Talk 426" vol.1

466a520e.jpg今回は、"Talk 426"と題してRyoh Mitomiがナビゲーターとなり、所縁のある人物との対談をするという形式でお送りします。


そして記念すべき第一回のお相手は、香港・東京を中心に活躍中のDJ”imai fukutaro”さん。今回は、彼の原点でもある香港をテーマに話を進めていきました。


それでは、"Talk 426"スタート!!



Ryoh Mitomi:
元々、イマイさんが香港に渡った経緯ってどういうものだったんですか??

imai fukutaro :
20歳くらいの頃に都内でパーティーやってる人たちと知り合いまして、渋谷のasiaの平日の夜とか、新宿2丁目とかでDJするようになったんですけど。asiaの平日もお客さんいないし、新しく自分でパーティーやるのって怖いじゃないですか。なんか東京って。

Ryoh Mitomi :
確かに。自分もwombの平日やってた頃そんなんでした。。

imai fukutaro:
で自分でやりたい事も漠然としてるわけだし、どうやったら出来るかも判らんのですよ。

Ryoh Mitomi :
なるほど。

imai fukutaro :
で、asiaのパーティーが終わっちゃった頃から「何しようかな〜」って思ってまして、それでその頃丁度、テレビで電気グルーヴのオープニングで香港にPINKって箱が出来たのを見たんですよ。

Ryoh Mitomi :
PINKって、すごく人気あったクラブですよね?確か。

imai fukutaro :
3ヶ月だけですけど笑

Ryoh Mitomi :
あぁ・・・。なんか香港っぽい。。。

imai fukutaro :
それで、もともと王家衛とか好きだったんで、とりあえず香港にレコード持って遊びに行ってみて、PINKで回せたら帰ってこようかなと笑

Ryoh Mitomi :
何と言うか、ものすごい目標設定の仕方ですねぇ。。。けどasiaのパーティ終わって、「よし、香港行こう!」ってのが、いつも言ってますけど、そのバイタリティ尊敬しますよ。

imai fukutaro :
若気の至りってやつですよ。でも、既にtechnasiaなんかもWIREとかLOOPAでライブをしてた頃なので何かあるかなとは思ってたんですけど。

Ryoh Mitomi :
なるほどねー。やっぱりtechnasiaってのも少なからず影響あったってことですね。

imai fukutaro :
そうなんです。でも向こうに行ったらPINKは潰れてるわ、”Abusolute Magazine”って雑誌には上海のShinさんの特集が載ってるわで、「あ〜!来るところ間違えた!」ってのはありました笑

Ryoh Mitomi :
いきなり前途多難じゃないですかっ!笑 で、その最初の香港上陸が2000年頃でしたっけ??

imai fukutaro :
いえ、もうちょっと後ですね。2001年かな?いや、2002年?違う、2001年だ。

Ryoh Mitomi :
結構アバウトですねぇ。。で、初めて行った香港のクラブ、というか当時の香港のシーンってどうんな感じでした?今は、ブレイクス全盛期って感じかと思うんですけど。。

imai fukutaro :
当時はまだハードハウス、トランスなんかもありましたね〜。

Ryoh Mitomi :
当時は、まだ”早いの”についていけたんですねぇ。香港人に「テクノはダメなの?」って聞いたら「テクノは早すぎる」って言ってましたから。。。

imai fukutaro :
ブレイクスもありましたけど、今ブレイクスやってる人たちはもともとプログレやってた人が多いかな?

Ryoh Mitomi :
あ、そうなんですか?!寝返ったってことか?!

imai fukutaro :
うーん。というよりも香港ってちっちゃいじゃないですか。

Ryoh Mitomi :
はいはい。

imai fukutaro :
だから”色んなジャンルが共存してる”って言うのが難しいみたいで、一つ流行が出来ると、そればっかり!ってなっちゃうんですよね。

Ryoh Mitomi :
そういうコトなんですか。。。つまり、流行が一目瞭然ってわけですな。

imai fukutaro :
そうなんです。小さくっても地道にやってるみたいな人は、殆ど居ないっていうところはありますね。どんなジャンルであれ。

Ryoh Mitomi :
それは、ちょっと残念というか勿体無いというか。。。で、そんな香港でPINK目指したイマイさんの香港初DJっていうのは、どういうキッカケだったんですか??

imai fukutaro :
香港着いた時は、まだ地理も何も全くわからなかったんですけど、とりあえず自分で作ったMIXCDをクラブに配りに行ったんです。

Ryoh Mitomi :
前向きですなー。

imai fukutaro :
無謀ってやつ。

Ryoh Mitomi :
そっちか?!

imai fukutaro :
で最初に行ったところが、中環ってところにあった”Ce-Top”ってゲイの集まるお店。

Ryoh Mitomi :
新宿2丁目に続き、香港でもスタートはゲイクラブだったんですね。

imai fukutaro :
恋する惑星”に出てくるエスカレーターのすぐ下にあった、無許可のアングラ箱です笑

Ryoh Mitomi :
無許可?!けど、香港らしい!!

imai fukutaro :
場所は”恋する惑星”なんだけれども中は”ブエノスアイレス”だったという…。

Ryoh Mitomi :
香港、ぬかりねぇーなぁー!!

imai fukutaro :
そこにCD持って「DJやらせろ」って言いに行ったら、入り口のヤクザに追い返されて。。。

Ryoh Mitomi :
これまた危機一髪じゃないですか?!

imai fukutaro :
でもマネージャーが出てきてくれて、「レコードでDJ出来るの?」って言われて、「うん」って答えたら「じゃあ明日来て」って。コレで決定。

Ryoh Mitomi :
「レコードでDJ出来るの?」ってそういう価値判断で決まりですか?!

imai fukutaro :
香港はまだ良いですけど、中国本土なんかだと未だにCDだけの人も多くって。

Ryoh Mitomi :
まぁ、レコードを手に入れるのも大変みだいですけどね。。。

imai fukutaro :
それでじゃないですかね。CDでのDJもレコードも使ったことなくってラップトップからって人が、今後は日本以上に増えそうだし。。

Ryoh Mitomi :
その傾向は、ありそうですね。しかもコピーしまくりだし・・・。

imai fukutaro :
Shinさん曰く、中国人のクレジットカードだと海外でレコード買えないとか。。

Ryoh Mitomi :
中国カードってば、どんだけ信用ないんだ?!

imai fukutaro :
”信用卡”って漢字で書くのにね!

Ryoh Mitomi :
まぁ、話戻るんですけど、一先ず無事にDJのキャリアスタートさせたわけですけど、イマイさんの(*注1)相棒・フランキーとは、どうやって出会ったんですか??

imai fukutaro :
えっと、それで毎週末はCe-Topでヨルダン人ハードハウスDJのTarekってやつの前座をずっとやっていて、平日はTarekに紹介してもらった尖沙咀のターンテーブルがあったバーで遊びつつDJしてたんです。

Ryoh Mitomi :
はいはい。

imai fukutaro :
で、そこで働いていたDJの友達がフランキーで、彼も当時はそこによく遊びに来てたんですよ。

Ryoh Mitomi :
なるほど。そのバーで知り合ったわけですね。

imai fukutaro :
そうなんです。

Ryoh Mitomi :
で、すぐに「パーティやろう!」って流れになったんですか??

imai fukutaro :
いや、その後は広州にも呼んでもらったり、PINK亡き後の香港唯一の大箱、Queensとかで何度か呼んでもらった後、例のsarsですよ笑

Ryoh Mitomi :
あぁ、あの頃ですか・・・。なんか毎度そんなんですねぇ・・・。

imai fukutaro :
sarsの頃は日本に居て香港に「次はどんな感じ?」って尋ねたら、「それどころじゃない!」って言われて笑

Ryoh Mitomi :
確かに!生きるか死ぬか?!死活問題ってやつですからね、向こうにしたら。

imai fukutaro :
結構sars自体は楽観的だったみたいだけど、「みんな遊びに行きたがらないよ〜」って。

Ryoh Mitomi :
夜中にあんなに空気と治安の悪いところ行ったら、死ぬって??

imai fukutaro :
そうそう。みんなマスクしてるからって笑

Ryoh Mitomi :
異様な光景ですねぇ。フロアの全員マスク着用って。

imai fukutaro :
それ出来たら面白いね。やるか、”sars”ってパーティー!!

Ryoh Mitomi :
時期が時期だったら、洒落になりません!

imai fukutaro :
まぁ、それで1年くらい向こうから離れて、2003年からまた再びって感じですね。でも、Ce-Topも潰れてて(当然のことながら)。。。

Ryoh Mitomi :
やっぱり・・・

imai fukutaro :
そもそもが”営業許可無し”ですから。

Ryoh Mitomi :
潰れるとかそういう問題じゃないですよね。

imai fukutaro :
さらに2004年の春にはQueensも”和民”になっちゃうし。。。

Ryoh Mitomi :
なんじゃそりゃ?!

imai fukutaro :
それで自分でやるかってなって、色々話を聞いてたときにフランキーが手伝ってやる、と。

Ryoh Mitomi :
なるほど。それで(*注3)『Intermix』スタートですか。

imai fukutaro :
そうなんです。ちなみに、(*注2)Jamesに会ったのもその時が最初かな。で、2004年の4月17日に第一回でドクター(・シンゴ)呼んだんです。

Ryoh Mitomi :
記念すべき第一回ですな!

imai fukutaro :
そうそう。

Ryoh Mitomi :
初めから日本人DJを呼ぼうっていうコンセプトでスタートしたんですか??

imai fukutaro :
もともと香港のDJの価値観に凄くギャップを感じていて。さっきの流行の話もそうですけど、自分ならこうするのにって言うのがあってそれをやってみたかったんですけどね。まずは手短な日本からって事はありました。それで、Intermix一回目のすぐ後にJamesが「Sinosphire」って言うのを始めたんですよ。

Ryoh Mitomi :
あ、Jamesから聞いたことあります。それ。

imai fukutaro :
シャールとかアミルとかヨーリスとかレナトとか、SINOのアーティストを中心に。だからヨーロッパとかからって言うのはそっちに任せちゃおうって。

Ryoh Mitomi :
なるほど。

imai fukutaro :
そもそも僕の英語力だとブッキングは無理!!!!

Ryoh Mitomi :
けど、それがあってもはや日本のテクノDJの間では、「香港といえばイマイさん」って感じですよねー。ちなみに僕も実際知り合う前からイマイさんの存在は知ってましたから。

imai fukutaro :
Jamesからでしょ?笑

Ryoh Mitomi :
いや。Jamesから聞く以前にイシハラくんのブログで知りました。

imai fukutaro :
カートコバーン事件のブログですね。

Ryoh Mitomi :
そのすぐ後にJamesから「イマイって知ってるか?」って。

imai fukutaro :
それで「知らない」と...

Ryoh Mitomi :
いや、、、「名前はよく聞く」って。「香港でDJしてる日本人の人でしょ??」みたいな。当時は、それくらいしかイマイさんについての情報がなかったんで・・・。

imai fukutaro :
今も大した情報があるわけじゃないですけど笑 リョウ君がJamesと契約したすぐ後にJames、僕と会ってるんだよね。

Ryoh Mitomi :
去年の5月頃?契約したのは、その頃ですよ。まぁ、その前にJamesと契約したっていうかTechnorientと契約したんですけどね笑。

imai fukutaro :
そうそう、失礼。。。でもJamesが日本に来てたのそのくらいじゃなかったっけ?WIREの時か?あれは。。。

Ryoh Mitomi :
そうです。僕が初めてJamesに会ったのがWIREの直前でした。それで「この後、イマイに会うんだ」って言ってましたから。

imai fukutaro :
その時貰ったCDに”Haru-Kaze”が入ってたんですよ。

Ryoh Mitomi :
あー、あのプロモーション用の黒いジャケやつですね。けど、実際に知り合うのは、それからもう少し経ってからでしたね。

imai fukutaro :
で、話戻りますがIntermixって、もとは日本向けの営業って意味も無きにしも非ずって感じでしたけど、今はもう盛り上がればそれでいいかな〜って思ってます。

Ryoh Mitomi :
そのスタンスは、いいですよねぇ。僕個人的には、Intermix大好きですから。

imai fukutaro :
ありがとうございます。あの変な感じは、なかなか独特だと思いますよ。

Ryoh Mitomi :
今までで一番印象に残ったパーティです。

imai fukutaro :
一体感があってだらだらしてるよね、Intermixって笑 みんなでだらだら楽しんでる笑

Ryoh Mitomi :
みんな楽しんでるなー、っていうのがすごく伝わってきましたもん。お客さんもスタッフもね。

imai fukutaro :
特にマギーとかね!うちの看板娘。33歳。。。

Ryoh Mitomi :
やってる側ってなかなかそういう風になれないトコロって少なからずあるじゃないですか。けど、Intermixは別だと思いました。

imai fukutaro :
商売っ気が抜けてるからかもね。でまぁ、そんな感じで今まで9回やってます。

Ryoh Mitomi :
で、7回目が僕だったんですね。

imai fukutaro :
そうです。Intermix7。あとは、香港人のDJだけでやって僕が号泣したInterundergroundと、前回のInterbreakzで全9回。3ヶ月に1度のペースで何とか出来てますね。

Ryoh Mitomi :
東京と香港っていう地理的障害もありつつ3ヶ月に1回は、かなりハイペースですよねぇ。asioなんて、何となく3ヶ月空きましたから。。。

imai fukutaro :
でも空いてる時は五ヶ月とか空いちゃうし、今年の2周年も出来てないし笑

Ryoh Mitomi :
けど、イマイさん念願の”intemix tokyo”があるじゃないですか!で、いよいよフランキーが東京にやって来るわけですな。

imai fukutaro :
でも、香港は暫くお休みします!

Ryoh Mitomi :
やっぱり休むんですか?!

imai fukutaro :
それもあって丁度いいタイミングじゃないでしょうか?この”Intermix Tokyo”は。

Ryoh Mitomi :
一先ず、〆ってことで?

imai fukutaro :
いえいえ、まだまだ呼びたい人いっぱいいるんですけど、2周年もやってないし笑

Ryoh Mitomi :
なるほど。やっぱりそこ、こだわりますねぇ笑

imai fukutaro :
中環とか銅鑼湾でいい箱が無くって、湾仔でやるとマフィアのケンカとかで警察が絶対来るので…。ちょっと様子見でお休みします!

Ryoh Mitomi :
確かに警察来ましたねぇ。。。

imai fukutaro :
隅でちっちゃくなってましたからね。僕ら。。

Ryoh Mitomi :
というか、(*注4)Ball Ballが面白かったからそっちに夢中でした。

imai fukutaro :
そうそう、一人でヘラヘラ笑ってるのね。

Ryoh Mitomi :
でもまぁ、そういうある意味節目での”Intermix Tokyo”でもあの雰囲気出せるといいですねー。

imai fukutaro :
そうですね〜。東京は東京で違った感じになっても面白いと思いますし、楽しみです。

Ryoh Mitomi :
そこにお呼ばれさせてもらってありがとうございます!

imai fukutaro :
そうそう、今回は所縁ある人で纏めさせていただきました。

Ryoh Mitomi :
ホント、僕も楽しみです!フランキーに会うのもすごく楽しみだし!また「アナタナニイッテルノー?!」っていう、”フランキー一押しギャグ”も聞けるかな?!

imai fukutaro :
あればっかりだよな。あいつ。。

Ryoh Mitomi :
チザワさんも聞いたって言ってました。。。

imai fukutaro :
多分全員聞いてますね、あれ。。最近、僕なんか聞きすぎて自分の「あなた何言ってるの」の発音変だもん。。。

Ryoh Mitomi :
まぁ、というわけでIntermix Tokyo、よろしくお願いしますね。頑張ります!

imai fukutaro :
頑張りましょう!!


END...


というわけで、今回の"Talk 426"は、これで終了です。第2回も予定しているのでお楽しみに!




◎Biography
imai fukutaro(Intermix/CARD)

神奈川県出身

学生時代に聴いた電気グルーヴやハードフロア、アンダーワールド等の影響でDJを開始する。90年代末に東京のクラブで活動を始め、2001年香港に渡り、セントラルのゲイクラブの前座から本格的にキャリアをスタート。この頃の極貧生活は日本テレビ『ナイナイサイズ』で紹介された。2001年9月に赤坂blitzで行われたヘアーショウ「izm corection」、2003年11月には「wella atudio aoyama」でのヘアーショウで数曲BGMを担当している。また、2002年に広州で行われた『dark vision party』では1000人近い集客の中メインゲストとしてプレイ。2004年より香港で自身のパーティーinter mix を開始。今までにDr.Shingo,kagami,Akira Ishihara,RYUKYUDISKO等を招聘している。その細腕から繰り出されるプレイはtechnasiaのアミール・カーン曰く『build up is good』。2005年よりAkira Ishiharaとともに『CARD』@Wedge/Shimokitazawaをスタートさせた。


◎Information
『Intermix Tokyo』@ COLORS STUDIO

7.14 FRI.2006

OPEN : 23:00 | DOOR : 2,000yen

INTERMIX HONGKONG RESIDENT DJs
FRANKIE LAM, IMAI FUKUTARO

GUEST DJs FROM Remixer Remix
Toshiyoshi NKJ, Yugo Takino

GUEST DJ FROM TECHNORIENT
Ryoh Mitomi

VJ : Flapper 3

"香港クラブシーンのトップブレイクスDJ、FRANKIE LAMと、日本から単身香港に渡り現地でシーンを盛り上げているテクノDJ、IMAI FUKUTARO率いる人気パーティー”INTERMIX”が東京で開催!!現地の人気ブレイクスパーティー”Lotion”と”Remixer Remix”のコラボパーティーで話題を呼んだToshiyoshi NKJ、”INTERMIX”が開催するブレイクスパーティー「INTERBREAKZ」第一回ゲストのYugo Takino、INTERMIX 7ゲストのRyoh Mitomiと国内で活躍するDJ陣も、香港に所縁のある面々がINTERMIX TOKYOを盛り上げる!!!!"





◎注釈
(*注1)・・・フランキー・ラム(Frankie Lam)。香港人DJ。imai氏と伴に香港で”Intermix”をオーガナイズ。7月14日に六本木・Colors Studioで行われる”Intermix Tokyo”に出演。

(*注2)・・・ジェームス・チャン(Jmaes Chan)。Technasia主催のレーベル”Technorient”のスタッフ。

(*注3)・・・香港でimai氏とフランキーがオーガナイズするパーティ。2006年7月14日には、初めて東京で開催される。

(*注4)・・・ポポ。香港人DJ。Intermix7時に出演。

room426 at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)香港 | テクノ

June 23, 2006

日本代表のW杯を振り返る

23日日本時間早朝、サッカー日本代表の3回目のワールドカップが終わった。

初戦のオーストラリア戦、まさかの敗退。第二戦のクロアチア戦では、チャンスをものに出来ずドロー。そして、今朝のブラジル戦。追い込まれた日本代表は、先制点を奪ったものの、その後は防戦一方となり結果は4-1で敗退。


僕自身、サッカー経験もないし、普段から熱狂的にサッカーを見ているわけでもない。人並みに楽しむ程度だ。なので、戦術がどうだとか、誰かを批判するつもりは毛頭ない(世の中を見渡せば、ジーコや選手への批判もあるようだが。。。)。

そういう視点でサッカーを見ていた自分が見た、日本代表のワールドカップを振り返ってみる。



この3戦、辛酸を舐めさせられた日本代表。”まさかの敗退”ととるか、”当然の敗退”ととるかは、人それぞれだろう。ただ、一つ確実に言えることは、「ワールドカップで勝ち進むことが、いかに困難か」ということ。それが世界のレベルなのだ、ということだ。

それは、恐らく世界で最も競技人口が多いであろうサッカーという競技において、日本が本格的に取り組み始めたのは、この10数年のこと。Jリーグの開幕は、93年のことだ。しかし、ブラジルなんかは、もう何十年もサッカーという一つの”文化”が根付いていたわけで、そこに差が生じるのは当然だ。クロアチアもヨーロッパの中にあって、古くからサッカーが国の文化の一つであったことだろう。

しかし、オーストラリアはそうでもなさそうだ。プロリーグが出来たのも最近らしい。しかし、彼らの強さは、自国ではなくヨーロッパなど、サッカー文化の根強い海外のプロリーグに籍をおく選手が多かったことに由来するのだろう。”経験”をしっかりと吸収していたのだ。それは、彼らにとって本物の文化となっていたのだろう。

このような”文化”を”経験”してきたこと、それが大切だったのかもしれない。

一方、今回の日本代表メンバーの多くは、国内のJリーグでプレイしている選手だった。中田英や中村、高原などヨーロッパのリーグで活躍してきた選手がいたとしても、彼らの経験を他のメンバーに完全に浸透させることが出来なかったように思う。新聞記事なんかを見れば、最も経験の多い中田英と他のメンバーの間には、溝があったようだ。。。



ブラジル戦を前にして、今大会は野球のWBCと比較されつことがしばしばあった。なぜなら、その状況が非常によく似ていたからだ。

WBCにおいて、日本は窮地に立たされていた。ほぼ準決勝には進めない、そう思われていた。しかし、優勝候補だったアメリカがメキシコに破れ、運良く日本は準決勝に進み、そして決勝でキューバに勝って、世界一になったのだ。

W杯でも、状況は似ていた。追い込まれた日本代表。王者・ブラジルに2点差以上で勝たなければならなかった。その状況下でメディアは、”WBCの奇跡”を再び期待したのだろう。

しかし、実際はそうはならなかった。野球において、日本には野球を文化とする歴史があり、世界を相手に戦う実力を持っていたのだ。サッカーにおいて足りなかったのは、そこなのだと考えられる。。。



結果は非常に残念だったが、ブラジル戦での玉田の先制点から前半ロスタイムで失点するまでの間、日本中が”一時の夢”を見ることが出来たではないか。そして、試合後の中村俊輔の悔しい表情、中田英の薄っすらと浮かべた涙に、多くの人が感動に似た悔しさからにじみ出た涙を流したことだろう。。。

もちろん、この結果を不満に思う人もいてもいい。しかしこの3戦、みんな一喜一憂したはずだ。つまり、少しでもゲームを楽しんで見た、それも一つの結果だと思うわけだ。僕自身も非常に残念だとは思うが、テレビの前で1戦1戦楽しんだことに違いはない。



ワールドカップは、再び4年後に開催される。また4年後、日本代表が大会のピッチに立っていることを期待しようじゃないか。そして、サッカーの歴史を積み重ね、それが文化となりつつある日本のサッカーに、今度こそ”勝ち”を期待しよう。そして、ゲームを再び楽しもうじゃないか。。。



posted:Ryoh Mitomi

room426 at 23:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)サッカー | ニュース

May 02, 2006

Playlist:April 2006

1."The Dog's Bollocks EP" / Mark-Henning / Found Sound
"asio"でも1曲目にかけました。エレクトロなセットにもクリックなセットにもしっくり来る1枚。


2."Passion Cocktail" / Marco Bailey / MB Elektronics
最近だいぶ路線変更をしたMarco Baileyの新作。Phill Kieran Remixが、個人的にはオススメ。


3."Manu EP 01" / Manukan / Deka Traxxx
沖縄に住む名古屋人・Manukanの新作。本人は「特殊な人間」だけど、トラックは素晴らしい。アルバムも期待大ですな。


4."Fe En Erratas" / Alex Under / Trapez
Alex UnderのTrapezからのリリース。ちょっとデトロイティッシュでミニマルなフレーズが最高。


5."Imagine" / U-Ravar / DEMO
先日、メールで僕にトラックを送ってくれたU-Ravarというポーランド人DJ。デトロイティッシュなミニマルフレーズにハードなリズム。いずれクラブでかけたい一曲。



Posted by Ryoh Mitomi

room426 at 00:29|PermalinkComments(0)テクノ 

April 24, 2006

都市と色彩

豊島区は12日、建物外壁の色や性風俗店の進出などを規制する内容を盛り込んだ地区計画を決めた。〜読売新聞


対象になるのは池袋駅周辺の広場と主要道路。対象地域では、性風俗店や馬券売り場などの進出を規制するほか、無店舗型の性風俗店などの看板広告も禁止される。また新たに建設したり、色を塗り替えたりする場合、外壁に使う色は色の鮮やかさを示す日本工業規格(JIS)の指標である「彩度」が8以下になるようにルール設定されているらしい。(*日本工業規格(JIS)の彩度8以下とは、原色の半分程度の鮮やかである)


これまで看板等の色彩規制が行われてきた地域は、いくつかある。自分が生まれ育った街のお隣、”京都”では観光都市として景観を損なわぬように、これまでかなり厳しく規制されてきた。例えば、赤い看板でお馴染みのファーストフード店・”マクド○ルド”の看板は、今でも京都では規制の対象となっている。そのため、京都のどこを探しても、あの赤い看板を見つけることはできないのだ。あの『鮮やかな赤い色』が、京都独特の”古都のイメージ”にそぐわないという理由で、彩度を下げたり、別の色(シルバー・茶色など)に変更されているからだ。


そして、この度豊島区が規制対象に盛り込んだのが『外壁』。これまで外壁の色彩を規制対象とした自治体はないらしい。

まぁ、大方外壁なんていうものは、それ自体を派手にしようと考えることが疑問に思われるのだか、この規制によって今後、豊島区においては奇抜な色彩を放つ建造物は姿を現さなくなる、というわけだ。

現時点で、どれ程規制対象になる建造物があるかは分からないが、もはや規制対象になった時点で、それがどれ程”悪趣味なもの”であるかは、うかがい知る事が出来るだろう。そんな悪趣味なものを排除しようというのだから、大いに豊島区はコレを実行していくべきだと思う。

このような”景観の規制”は、治安の向上などにも繋がるということは、よく知られているだろう。有名な例として、元・ニューヨーク市長でるジュリアーニ氏が、地下鉄などの落書きを消す運動を実施したところ、犯罪率は著しく減少した、という事例である。

一見、都市の景観美の維持や治安の向上といったいい面ばかりが目立つこの規制なのだが、”お役所の管轄”ということで若干の不安も否めないのは僕だけだろうか。。。


確かに実施されて然るべき条例ではあるのだが、全て一括りに規制をかけてしまうと、”よきもの”まで規制の対象になり兼ねない、という不安も生まれてくる。

かつて、某広告デザイナーが手がけた、あるファッションブランドのキャンペーン広告に『店舗自体を真っ赤に覆ってしまう』というものがあった。これは、一種のパフォーミングアート的なものとして注目されたわけなのだが、恐らくこのようなものを規制されることになるのであろう。

他にも、”外壁の色”と”壁画”の区別なんかも曖昧にされかねない。


お役所の”融通の利かなさ”は、いつでもバカバカしいと思わざるを得ないのだが、ここからが豊島区の手腕が試されるというものだ。”景観を守るために『景観』を壊す”ことにならなければいいのだが。。。


いつだったか、愛知県での市町村合併の問題が浮上した時、お役所のお上である市長の提案で、新たに誕生する市の名前が「南セントレア市」という残念な名前になりかけたことがあった。結局、住民の猛講義の甲斐あって、この名前はおろか、合併の話まで白紙になったのだが、往々にして言えることはただ一つ。


『オッサンの感性は厳しい』


ということだ。

豊島区の色彩規制。臨機応変な対応によって、より美しい街を作り上げることが出来るかどうかは、区の”懐の深さ”にかかっているというわけだ。



Posted : Ryoh Mitomi

room426 at 19:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ニュース | 文化

April 04, 2006

私的香港考察

0753079c.JPG先月末、5日間の香港滞在。。。自分がそれまで持っていた”香港のイメージ”とは、大きな看板にギラギラとしたネオンサイン。実際は、、、まさのその通りだった。特に『九龍』は、イメージ通りの街並みだったと言える。


さて、香港と言えば、1997年に中国へ返還されたものの、未だ”特別行政区”扱いの、一風変わった都市である。イギリスでもなく、完全に中国でもない。通貨も”元”ではなく、”香港ドル”が流通している。

そんな曖昧な線引きをされた香港。そこに住む人々の意識は、どこにあるのだろうか?と、出発前に気になっていた。なので、それとなく彼らの意識を探ってみようと思ったわけだ。


まず、彼らはよく「This is Hong Kong style.」という言葉を口にする。例えば、彼らと一緒に食事をしている席で、日本にはないモノが出されると「This is Hong Kong style.」。僕が、驚き(あるいは戸惑い)の表情をみせると、彼らは決まってそう言うのだ。まぁ、それを少し楽しんでいるのかもしれないけれど。。。お陰で”ゲテ物”を食べさせられたりもしたのは事実・・・。

他にも、日本ではありえないスピードを出すタクシー(的士)に乗っても「This is Hong Kong style.」だ。


そして、言葉について。彼ら(特に若い世代)は広東語と英語を話すのだ。お陰で僕は助かったのだけれど、これが大陸になるとそうはいかないらしい。上海のような大都市でさえ、英語は全く通じないらしい。これは、長い間イギリス領だったことが、大きく影響していることに違いない。

また、街を見渡せば、看板は広東語と英語で表記されている。まぁ、たまに間違った日本語が書かれた商売用の看板もあるけれど、駅などで見かけるモノは、ほぼ全てが広東語に英語のスタイルをとっている。これもある意味「This is Hong Kong Style.」なんだろう。。。


先日、フルーツ・チャン監督、サム・リー主演の『Made in Hong Kong』を見たのだが、そこに出てくるギャング達の会話には「大陸の奴ら」という言葉がよく出てくる。そう、たった電車で30分の深センの人間でさえ、彼らにとっては「大陸の奴ら」なのだ。この映画に出てくるギャング達は、どこか自分と中国本土の人間(大陸の奴ら)を、区別して意識しているようだった。


つまるところ、こういうことだ。香港の人々にとって、自分がどこの国の人間なのかということは、あまり重要なのではないのだ。彼らは、中国人でもなければ、イギリス人でもない。あくまで『香港人(ヒョンゴン・ヤン)』なのだ。「This is Hong Kong style.」とは、つまり「Hong Kong is Hong Kong.」というわけだ。

中国とイギリス、そして地理的にも近い東南アジア(料理などで実感)の文化がミックスされた”国”、それが香港であり、彼らは”香港人”なのだ。


彼らのアイデンティティは、彼らの中にしっかりと根付いている。自分にとって、それを実感させられた5日間の香港滞在だった。


posted:Ryoh Mitomi

room426 at 22:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)香港 | 文化

March 29, 2006

Playlist : March 2006

1. "Some Eat It Raw" / Mossa / Circuscompany
ボイスサンプルの使い具合が最高。

2. "2 The Floor" / Technasia / Promo
先日リリースされた『Popsoda』からのシングルカット。DJ Nastyのラップも注目。

3. "Strat Rec" / Chizawa Q / F...U!F Com
言わずと知れた”DEKA TRAXXXのパーティ番長・Chizawa Q”による、フランスはローラン・ガルニエのレーベル『F...U!F Com』からのリリース。

4. "Rising(Joris Voorn Remix)" / Justin Berkovi / Music Man
以前、インターネットラジオで聴いて気になってたトラック。

5. "Pink-Force(Subaka Acid Mix)" / Subaka / Promo
テクノリエントの新プロジェクト『Module』の1番。シカゴ風ミニマルトラック。


:posted by Ryoh Mitomi

room426 at 19:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)テクノ | DJ

March 23, 2006

田舎の音楽から学ぶこと

田舎に住んでいた中・高校生の頃、近所のお祭りで「祭り囃子」みたいなやつの横笛のパートを吹かなくてはならなかった。で、春休みはみんなで集まって毎日練習していた。

でもちゃんとした楽譜がない。紙に書いたものがあるが間違えが多い。笛は10音ぐらいあるのに楽譜は3種類の「言葉」で記述してある。音の高さも長さも書いてない。
毎年この音はあれだとかこれだとかってもめるもんだから、おいおい、と思い、「これ、ちゃんと楽譜つくって書き直せばいい」と提案したことがある。

すると、こういうものは伝承されていって、その年、その年で微妙に変わった音色になる、そんでもってそこに文句をつける御老人がいる、みたいなのがいいんだよ、みたいに諭されたことがある。

この人たちは本番とか再現ということを音楽の終着点と考えていないんだなぁと思った。毎年毎年伝えていくこと、そこで起こる楽譜の読み違いっていうディスコミュニケーションをレベルの違うところでのコミュニケーションに変えるんだなぁって。

学校ってなんか本番に完璧を求めるみたいな空気がある。そういうものが音楽を通したコミュニケーションだと思ってた頃の僕には衝撃だった。
なんかレベル違うなって。

音楽の枠が広いのか。もしくは音楽外のコミュニケーションとして(一般的な意味での)音楽をとらえているのか……。

春のお祭りの季節が近づくと毎年思い出します。

shimonakayoshiaki at 23:44|PermalinkComments(1)TrackBack(0)