2017年06月24日

ミスターポーゴさん

FMW、W☆ING時代

“初代付き人”として、試合が終わって深夜2時3時(時には朝まで)まで、ご一緒させて頂いた日々を思い出しました。

自分はリング上のライバル、パートナーで無かった分、素のポーゴさんを他の誰よりも沢山見れたと思います。

多くの人が

“極悪ヒールだけど本当は優しい人だった”

と言います。

それは確かにその通りなんですが、90年代初期、間違い無くポーゴさんは厳しい人でもありました。

以前も書いたと思いますが

WING時代はよく

「新弟子を甘やかすな。犬(服従させろ)にしろ。」

と厳しく言われてきました。

今の時代それは聞こえ(印象)が悪いのかも知れませんが、ポーゴさんのバックボーン(中央大学柔道部→大相撲→新日本プロレス)を考えれば、それは当たり前の事だったと思います。

FMWと比べて上下関係が緩かったWINGを、ポーゴさんなりに引き締めようとしてたのは事実。

時代と共に、フリーランスとして団体を転々とする度に、丸くなっていった気がします。

優しくて良い人なんです。

ですが、無鉄砲な一面もあって

今振り返ると

“よくあの時大きな事件、事故にならなくて済んだな”

って事もあります。

当時の気持ちは早く上で使われるようになって、付き人から解放されたかった。

ですが

27年経った今振り返ると

「随分と贅沢な時間を(ポーゴさんと)過ごさせて貰ったんだな」

になります(やはり人の気持ちは変わります)。

2年以上付き人をしてましたから本当に色々な事がありました。

良い事悪い事含めて“本当に色々”です。

例え嫌な事、理不尽な事があっても心底憎めなかったのは、出会ってすぐの頃、ポーゴさんのお母さんの体調が悪く

危険な状態の連絡が来る度に、2人で電車を乗り継いで伊勢崎に向かうのですが、その時自分は駅のホーム、電車の中、タクシー乗り場、公衆電話の前で

「おふくろが、おふくろが、、」と気が動転しているポーゴさんを間近で見てしまってます。

母親の死に直面した時の、男の一番弱い部分を見てしまってるのです。

だからどんなにポーゴさんがリング上で大ヒールを演じ切っても、羽目を外しても

自分の中ではこの時の

“母親思いの優しいポーゴさんの姿”

が常に頭の片隅にあります。

それは27年経った今でも変わりません。

最後に話したのは半年程前

「今年は子供を連れて伊勢崎に行っても良いですか?もし良かったら子供を抱いて一緒に写真を撮って頂けませんか?」

「勿論だよ。俺も楽しみにしてるよ。」

自分の子供に

「パパはこんな凄い人に揉まれて青春時代を過ごしたんだよ」ってとこを見せたかったのですが、その願いは叶いませんでした。

伊勢崎に向かう途中

「こんな形で会いに行くなら、何故元気な内に行かなかったんだろう?バカだな俺は。。」って後悔しました。

タイムラインで、地元のボンバー力抜岩選手の差し入れを一緒に食べて、嬉しそうなポーゴさんの写真を見てたので

「楽しそうにやってそうだから(会いに行くのは)先でも大丈夫かな」

と、勝手にポーゴさんがまだまだ長生きする前提の解釈(判断)。

亡くなった日から(ブログの)アクセスが急に伸びだして

「何か発信した方がいいのかな」

と思いつつ

毎日YouTubeでポーゴさんの動画を見たり、思い出を振り返ったりして過ごしてました。

66歳でリングに立とうとしてたポーゴさんの気持ちを考えると、40歳の時に既にリングに上がる(バンプを取る、攻撃を受ける)のが怖くなった自分と大違いだな、と。

ジャンルは違いますが、最後までリングに立つ事を諦めなかったポーゴさんの精神を、自分はパワーリフティング競技、その中の“ベンチプレスの分野”で追い続けて活かそうと思います。

鍛錬、怪我、コンディションで何度も心が折れて諦めそうになりますから、その度にポーゴさんを思い出します。

不謹慎かも知れませんが、憔悴し切った状態で、各方面への連絡事項に追われてるマネージャーのラーメンマンさんの姿を見て

ポーゴさんは地元で暖かい仲間に囲まれてたんだなと思いました。

rose_color2002 at 02:06│Comments(0)PRO-WRESTLING 

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