読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行したものです。 現在は“新・読後充実度 84ppm のお話”として日々更新中です。右下の入口からのお越しをお待ちしております(当ブログも月2~3回更新中)。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。
 

はめてないのにはめられた女と、チャック全開で立ちはだかる男の話

20170910Kacchinrou  一戦交えて……ないの?
 しっかし、不倫リーク合戦ですね。世の中。

 自民党が今井なら、民進党は山尾。

 芸能界では、あほんだら女としか思えない-ファンの方すいません-斉藤由貴。
 一度ならず二度までも。二度あることは三度あるのこちらの話はばかばかしいったらありゃしない。

 山尾議員の場合は“やり手”を消せとばかり、はめられた感が強い。

 やっていることは全然褒められたことではないけど、“サイゾー”に書いてあるという“自民党のメディア工作部隊の策略”っていうのが本当なら、いやはや、なんて怖い国なんでしょう。そんな部隊があるんですかね?文春は自民と手を組んでたってこと?いや、匿名の情報が文春に入ったってことなのか?
 民進党内部からの足の引っ張りの可能性もある。
 党を超えたW攻撃にあったということだが、この人、聡明そうなのにやっていることがバカだ。時期も時期なのに、若い男の魅力には抗しがたかったのね、きっと。
 えっ、写真?なんとなくです。

 山尾議員の「一線は越えていない」発言も、逆効果。
 すぐに離党するのも、何か奥深い事情がありそうな……

 そのおかげかどうかしらないけど、安倍内閣の支持率がちょっぴり上がったそうだ。
 上がろうと維持しようと、もう安倍内閣はあきられ、あきれられてると思うけど。


IMGP1916 今井、山尾、武闘派・豊田でワイワイやっている間にも、みなさん、加計学園と森友学園のことを忘れさせられないようにしましょうね。ちんぷんかんぷん・稲田のことも、姿を見なくなったからって何もなかったことで終わらないようにしつこく覚えておきましょうね。

  一心不乱にどこかへ急ぐ怪しい人

 一週間前の今日、ということは9日のことだが、この日の夕方、私は名古屋は伏見の辺りを歩いていた。

 交差点の向かい側から、白いTシャツを着てリュックを背負った男性が-秋の登山なら救援の依頼をしてきそうな軽装だ-異様に真剣に歩いてきた。

 控え目に言っても、ちょっぴり変わり者っぽい。正直に言うと、危険な人に見えなくもない。
 えっ、写真?なんとなくです。はがれかけている文字がいかにも危険って感じをかもしだしている。

 視線は自分の正面の先を凝視して固定している。エアコンにだってムーヴアイとかあるのにむかし塩釜港で見かけた船の飾りのように定まっている。

 で、すれ違いざまに気づいた。同じ会社の〇〇さんだった。
 確かに、どこか他人(ひと)と違うところがある人だが、こういう姿を見たら、けっこう他人と違うところがあった。

 彼は私にはまったく気づかず、まるで「いま急がなければマツタケが採りつくされてしまう」ってな感じの切迫した様子で、速足で行ってしまった。


Shiogama110930b

 すれ違ったことを、彼には伝えていない。
 どうも言ってはいけないことのように思えてならないのだ。


  マナーが悪い名古屋人
 リュックといえば、名古屋の地下鉄の乗車マナーってひどく悪い。

 ステッカーなどで乗車の際はリュックは下ろすよう注意を促しているが、かなりの人がケロじゃあるまいし、背負ったまま。
 こういう人たちは、それが他の客を圧迫していることや、急に振り向くなどしたときには相手を強打しかねないってことが、全然頭にないんだろう。こっそり後ろから“取扱注意”と書かれた荷札をくくりつけたくなってしまう。

 リュックを背負ったままのサラリーマンらしき人を見ると、「この人、絶対仕事をばりばりこなすタイプじゃないな」とか「飲みに行ったりしたら店員に横暴な態度をとる感じだな」「コンビニのレジでは、〇〇円ですと言われてから小銭入れを出すタイプだな」なんて思ってしまう。ジコチューの一種ね、つまり。

 もっともリュック問題は名古屋に限ったことではないだろう。

 名古屋の乗車マナーで特に悪いと思うのが、ドア付近から奥の方へつめないこと。

 これもまぁ、どこの都市でもその傾向はあるけれど、名古屋ではドアの真ん前で仁王立ちしたままの客がとっても多い。
 このあいだなんて、車内はすいているのに、ドアの真ん前まん真ん中の場所で、床に置いたかばんを両脚ではさみ(しかもカバンのチャックが全開。だらしない……)、電車が駅に着いてドアが開いても、降りる人にも乗る人にも構わずずっとスマホをいじり続けていたサラリーマン風の若い男がいた。

 もし私に勇気と腕力(何かあったときのため)があれば「チャックあいてますよ」と大きな声で言ってやるところだ。
 しっかし、何駅分の区間にもわたってドアの前で壁のように立ちはだかって、バカじゃないのかねぇ。


25ce4b9a.jpg 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の映画音楽「その壁を砕け」(1959。監督:中平康。日活映画)。

 私が持っている音源はサントラではなく林友声/上海交響楽団による「伊福部昭・映画音楽選集」に収められたもので、録音は1997年。キング。


 廃盤にはなっていないようだが、現在では入手困難。

 現時点では、Amazonなどで中古盤が入手できる。


   このCDの中古品情報 【Amazon】
   伊福部昭 映画音楽選集


 また、サントラ盤は現役で販売されている。


   サントラ盤の詳しい情報 【タワレコ】
   伊福部昭 日活映画音楽大全


 優先席に平気で座っている若者が非常に多いのも名古屋の特徴だと思う。
 空いていても、そうそう座れるものではないと思うのだが、こちらでは学生から若者、中年も一般の席と同じように利用している。空いていれば別にかまわないが、けっこうお年寄りの乗車率は高い。近くにお年寄りが立っていても意に介さない。いや、その席をゲットするために年寄りと競い合いながら乗り込んでくる奴もいるほどだ。
 
 この気質、どういう成り立ちなんだろう?
 

  この場合、あまりいじらない方が……
 前回歯科医院に行ったのは8月の末だった。いまは1カ月に一度、歯ぐき(歯周ポケット)のクリーニングに通っている。

 ずっと落ち着いていたのに、そのときは左上の歯ぐきにちょっと違和感があった。
 それを伝えた上で、まな板の上の鯉ならぬ治療椅子の上の鶴の状態で診てもらったのだが、いつもと同じように歯ぐきのクリーニングが行なわれた。


 違和感があった箇所から相当出血した。
 なぜ相当出血したかわかったかというと、口をゆすいでペッとすると血尿かいなと思うほど赤かったのだ。そのまま貧血で気を失ってもおかしくないほどだ。

 そのあと、かなり緩慢な速度-もう20日以上経っている-で快方に向かってはいるが、痛みと歯磨きした際の出血が続いている。


 もし、今月末の治療でも同じことをされたら、また大量出血してしまう恐れがある。

 お姉さんにどのように伝えればわかってくれるだろう(お姉さんって衛生士さんです)。それとも、どんなに出血しても、ああいう治療を継続した方がいいのだろうか?

  いったいどうなってるんだ?
 昨日の日経新聞に“年金未払いがあぶり出した名ばかり改革”という社説が載っていた。

 まったく、ひと様の金を集めておいて何やってんだって話だ。

 社会保険庁はとんでもなかったが、それにかわって生まれた日本年金機構も体質は同じってことか?

 こんな信用できないところにお金を払いたくない。

 でも、国民の義務。

 今回の事件はまるで“ぎむぎむ詐欺”だ。

 

   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

夢は妥当に、汗抜きし、もらっちゃったと言う企画をしている話

PA240345  謙虚な子
 もはや記憶が曖昧だが、この前の土曜日か日曜日のこと。
 夕方のローカルニュース。
 JR名古屋駅の新幹線のホームで子どもたちを対象にした一日駅員体験のイベントがあったと、男性アナウンサーが微笑みながらしゃべっていた。これが大人たちを対象にしたイベントだったら、ちょっぴり関わりたくないようなオタクさんが殺到して、たぶんアナウンサーも微笑んでられないだろう。いや、ニュースにならないな。

 映像のなかで、将来何になりたいかとインタビューを受けていた1人の子ども。「通勤電車の車掌さんです」と答えていた。

 良い子だ。

PA220311 新幹線の駅員を体験をしているにもかかわらず、それに流されないで、自分の将来の夢を語ったのだ。新幹線関係者に媚を売らない姿勢が、若いくせして頑固だ。
 しかも通勤電車の車掌さんとは、その謙虚さに頭が下がる。小学校の卒業文集で将来の夢の寄せ書きページで“王様”と書いていた東君とはえらい違いだ。

 んっ?でも、もしかして、あの子は新幹線関係の仕事に就くためには、ローカル路線の車掌になるよりも難しいかもしれないと、すでにリスクを計算しているのだろうか?
 だとしたら、小さいうちからチャレンジ精神に欠けていると言えなくもない。逆に自分のことをきちんとわかっていて、その上で人生設計がしっかり作り上げているとも言える。

 んんっ?考えてみれば通勤電車は、JRに限らない。
 もしかして名鉄なんかを狙ってる?
 だとしても、あの場で「名鉄の車掌さん」と答えなかった彼は聡明と言わざるを得ない。

  言葉巧みなだけの男
 大きかろうが小さかろうが、子どもには夢があっていい。
 でも、子どもでない私にとっては、こんなことになってしまうとささやかな老後生活すらおくれなくなってしまうと心配極まりない。

IMGP1070 働き方改革?そんなカッコイイ言葉に騙されちゃいけない。国民総奴隷化改革だ。
 だって、一生働きアリで過ごせってことだもん。

 定年になって好きなときに庭いじりをしたり、音楽を聴いたり、お出かけしたり……。そんなことができなくなるってことだ。
 こうなると自営業の人がうらやましく思う。

 年金がもらえるのが75歳からってことになると-現時点では75歳から受給する選択もできるってことらしいが-、もらい始めてほどなくしてお陀仏って人が続出するだろう。

 年金制度がこの先やっていけないなら、いっそのことここいらで制度を廃止すればいい。
 もちろん、いきなりゼロにすると生活できなくなる人が多数いるだろう。そのために、調整のための経過措置は必要。
 ただ、このままダラダラと続けていくといまの子どもたちは将来、どえらい負担を強いられる上に、自分が受け取れる年齢になったときには何にも返ってこないことになる。踏み倒しに遭うってこと。ひどい……

 年金の掛け金は自分たちがもらうための“貯金”ではなく、いま受給している人たちへの財源だという。
 お年寄りは大切にしなきゃならない。でも、自分たちが将来ボンビー生活をおくらなければ、もっと言えば餓死にしなければならないっていうのが現実味を帯びるなか、善人よろしく掛け金を払っているなんてまったくもっておかしな話だ。

 小泉進次郎が、またまたすばらしいことを考えましたとばかり、自信をもってしゃべっていた。
 年金が必要のないお金持ちは年金を返上して、その分をこども保険回しましょうだって。
 お金を持っているとか持っていないの話じゃないでしょうに。小泉進次郎って、バカなの?

P9170075 ちょっと前、彼は規制改革だか何だかで、儲けることしか考えていない経済サイドの話だけを鵜呑みにして、農協いじめをしていた。
 当然、頓挫。結局よくわかってないのに、カッコイイ御託を並べ、結論ありきで強引に進めようとしてボロが出た。よかった、彼の背後にいる独裁者に仕切られなくて。なんとか国民の良心が反映されたってことだ。

 国民が生きていくための食料。その国内生産をおろそかにする国は愚かだ。食料自給率を上げましょうと言っていたのは何だったんだろう?
 TPPだのなんだのって言ったって、ほらごらんなさい。オーストラリアは干ばつ。
 TPP協定が発効され日本の農業が弱体化してしまったあとに、たとえばオーストラリアは干ばつ、ニュージーランドは不作なんてことになれば、協定を結んでるなんて吠えたところで相手国は日本に食べるものなんか輸出してくれない。自国の食糧確保が最優先だから。「輸出できるものがないんです、以上」で終わり。。
 年金がもらえなくて食べるものが買えないための餓死か、そもそも食料がなくての餓死か、どっちにしろ豊かさなんて言葉とは無縁。

 L.Bromfieldは“pleasant Valley”でこう書いている。

 ――わが国の物狂おしい産業の発達のために、われわれは、農業がわが国のすべての経済の基盤であり、また、国家の経済機構のなかでは、常に礎石であることを忘れがちである。――われわれは、土地を所有し、これを愛育し、これを十分に利用する人が、経済的な意味においてだけではなく、社会的な意味においても、国家としてのわれわれの安定の源であることを忘れがちである。
                           (原仙作「英文標準問題精講」:旺文社)

 いまの政治によって日本は世界でも有数の暮らしにくい国になりかねない。
 そもそも庶民の暮らしをわかっている、いや、庶民の暮らしをしている人が政治をやらなきゃダメ。お坊ちゃま軍団にはお金のことも、食べ物のことも他人事。
 そもそもペコペコ頭を下げときながら、当選した瞬間に有権者に対し威厳を誇示するような人種が政治家にふさわしい人材であるワケがない。

  元気に働く女性 
 たまに利用するクリーニング店“あわあわランド(仮名)”。

 そこのおばさん-といっても、私より若いかもしれない-が、なかなかチャキチャキしていて、仕事もスピーディー。
 接客の感じは全然悪くないのだが、残念なことに、職務に徹しているのかほとんど愛想っ気がない。事務仕事をしていないのに事務的。頭の中は洗濯物のことでいっぱいって感じなのだ。

 先日、朝いちばんにスーツのズボンを2本持って行ったときのこと。

 「これ、お願いします」
 「ズボン2本ですね?」
 「はい」

 そのあと、彼女はじっと立ったまま。
 はっ!カードを出さなければ。私はあわててカードを渡す。
 彼女はレジに会員番号を打ったあと、言う。
 
 「汗抜きはどうします?」
 「お願いします」
 「ありがとうござぁいまぁす」※
 「では2割引きで、〇〇円です」
 「いつ仕上がりますか?」
 「急ぎます?」

 「はい」と言える雰囲気ではないし、実際急いでいないので私は「いえ」と答える。
 「では、明日の午後にはできてます」
 「よろしくお願いします」

 ※印のところ、つまり私がオプションを追加したときには、ちょっとだけ声のトーンが変わった。心から私は感謝されていると感じた。でも、そのフレーズ以外は終始ぶれない。

 ところで、この店、いつ行っても他の店員さんを見たことがない。店にはこのお姉さましかいない。
 1日中ずっと洗濯物のつららに囲まれながら孤独に過ごしているのだろうか?
 あるいは、奥は自宅になっているのだろうか?

 “あわあわランド”で汗抜き加工というテクニックを知ったが、これはいい。
 何度かクリーニングに出しているうちに、生地がゴワゴワな感じに硬くなるが、それが元に戻る。

 もはや汗抜きをせずにはいられなくなった私だ。

UFJposter  喜ぶ女性
 セブンイレブンの、6~7月ごろに流れていたコマーシャル。
 最後に「もらっちゃった」と喜んでいる女性に、なんとなく好感をもっていた。

 世にあふれかえっているコマーシャルにはいろいろな女優さんやモデルさん-たいていは美人と称される-が起用されている。でも最近の私は、セブンイレブンのお姉さんのような素人的な人の方がなんとなく好きだ。好きだというかほっとする。歳をとると、こういう些細なことで喜んでいる女性に尊い人間性を感じるのだ。

 それは洗剤や保険などのCMでも同じ。
 主役の脇に出ていたり、銀行のポスターに載っているような匿名的な-いや、もちろん名前はあるがあまり有名になっていない-人の方に目が行く。
 たとえば、この三菱東京UFJ銀行のポスターなら、左側の列の上から3番目の女性。少なくとも私はこの人が誰だか知らないが、こういうふつーっぽいところがいい。でも、ごっそり貯金してたりして。

 あと、近ごろではAmazonのCMでバイクの後ろに乗っているおばあちゃんの、死んだ夫と一緒に写っている若いころのおばあさんの姿が-すごく小さくて一瞬なのでよくわからないものの-気に入っている。

 で、私ももらっちゃったのである。
 nanacoを使ってお弁当を買ったときに、ドリンクの無料引換券を。

 今度引き換えに行こう。
 引き換えたあと、あの無愛想で怠惰な動きのレジのおばちゃんに向かって「もらっちゃった!」と言ってやろう(かな)。

 いや、答えはわかってる。無反応だ、彼女は。

20161214Moon  起こされた女と撃ちたがる男
 近ごろはすっかり日が沈むのが早くなってきた。
 ということは、日の出も遅い。
 5時だとまだ暗い。

 妻に「日が昇るのが遅くなったね」と言うと、「全然知らない」と言われた。

 ごもっともである。
 妻の場合、起きるのは早いときで6時だ。
 しかも北海道の日の出は早い。
 彼女にとって起きたときには日は昇っているのだ。

 8月29日の早朝、北朝鮮がミサイルを発射した。
 北海道と東北や北陸の上空を通過する恐れがあるとアナウンサーが連呼していた。

 まだ6時だから早すぎるかなと思ったが、日本を通り越したと報道された6:15ころに電話してみた。
 起きていた。
 こちらは警戒エリア外だったのでそんなことを考えていなかったが、あちらではスマホに警戒情報が入ったらしい。それで起こされたのだった。

 それにしても、「安全な場所に避難してください」って言われたって、どこに避難しろというのだろう?
 しかも、5:57に発射され、6:15ころには行っちゃってしまっているのだ。狙いが日本なら、とっくに火の海と化している。
 〇〇湾に上陸し、山越えし、東京へやって来るかもしれないというゴジラの歩行速度とは全然違う(なのに、なぜゴジラの姿が見えてから、ある者は走り、ある者はリヤカーをひきながら逃げていたのだろう。←映画だから)。ラドンが来る以上に逃げられない。

 この記事によると、なんと北海道上空を通過したのは6:06。
 まったくもって、気づいたら、いや気づかないうち笑顔で爆死だ。
 同記事には、当初からJアラートはミサイルが撃たれても間に合わないと指摘されてた。なのに、政府は強引に100億円もかけて導入。どこかに儲けさせるためにこんな無駄遣いをしたんじゃないかと思ってしまう。

 ところで、北朝鮮のTVニュースのおばさんアナウンサーや完璧整髪アナウンサーが読んでいる笑っちゃうぐらい過激で陳腐な表現。

 「断固たる正義の行動で応える」「米穀の制裁策動は完全に破綻した」「危険千万な軍事挑発」「無慈悲な報復と容赦ない懲罰を免れない」……

 これって誰が作ってるんですかね?

 そういえば、首相は「ミサイルの動きを完全に把握していた」ってキッパリ言ってたけど、じゃあいたずらに国民の不安を煽るんじゃないよって言いたくなる。

  そんなことから今日の1曲は、 
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の歌曲集「ユダヤの民族詩より(From Jewish Folk Poetry)」Op.79(1948)。


 ソプラノ、アルト、テノールの独唱とピアノのための作品だが、ショスタコーヴィチは1964年に管弦楽版も作った。
Shostako15Haitink 全部で以下の11曲からなる。

 1.  死んだ幼な子を嘆く
 2. 心配性の母と叔母
 3. 子守歌
 4. 長い別れの前
 5. 警告
 6. 捨てられた父親
 7. 貧乏の歌
 8. 冬
 9. よい暮らし
 10. 娘の歌
 11. しあわせ

 各曲のタイトルを見るだけで涙があふれてきそうになる、希望などなんにもない暗く悲しい歌。
 ときに音楽はユーモラスな表情を見せるが、それはウソくさい上っ面だけのもの。だって、歌詞にはユーモアのかけらもないんだもん。
 唯一、第11曲「しあわせ」だけが、あぁ、なんだか救われた。良い話を聞かせてもらったってものだ。

 私が持っているCDは、ゼーダーシュトレーム(S)、ヴァンケル(A)、カルチコフスキ(T)の独唱、ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団による演奏のもの。

 1983年録音。デッカ。
 現在入手できるのは、↓ のボックスセットとして。

   Shostakovich: The Symphonies

  元気な中国人?
 “週刊現代”の新聞広告。
 大きな文字で、中国人がタフマンを爆売り、と書いてあった。

 えっ?どーゆーことだ?

 もう一度見返すと、タワマン爆売りだった。

 メガネも合わなくなってきているようだ。


   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

私にここでDancerになれと?♪ファリャ/恋は魔術師

  ここが舞台?
 先月、旭川に出張した時のこと。

 小道によって歩道がいったん切れていたが、その先の向かいの縁石に貼られていた鉄看板がこれ。

IMGP1819

 踊り子?

 いや、こんなところでアタシ、踊れません。

  踊りの百貨店
 ファリャ(Manuel de Falla 1876-1946 スペイン)のバレエ「恋は魔術師(El amor brujo)」G.44/68(1914-15/改訂'15-16)。

 ソプラノ(またはアルト独唱)を伴う1幕2場のバレエのための音楽で、詞はG.M.シエーラ。

 ジプシー女のカンデラスは恋人が死んだあと、別な男カルメロを愛するようになったが、死んだ男の幽霊が邪魔に入る。そこで、幽霊に若いジプシー女のルシアをあてがい、2人を結ばせる。という、こうやって書くとやれやれなストーリー。

FallaThreeDutoit 曲は以下の13曲からなる。

 1. 序奏と情景
 2. 洞窟の中で(夜)
 3. 悩ましい愛の歌
 4. 亡霊
 5. 恐怖の踊り
 6. 魔法の輪(漁師の物語)
 7. 真夜中(魔法)
 8. 火祭りの踊り
 9. 情景
 10. きつね火の踊り
 11. パントマイム
 12. 愛の戯れの踊り
 13. フィナーレ,暁の鐘

 このなかでは、「火祭りの踊り」が突出して有名だが、どの踊りの音楽も、そして踊り以外の音楽もじつに魅力的なメロディーだ。

 デュトワ/モントリオール交響楽団、トゥランジョーのソプラノで。

 1981年録音。ロンドン(デッカ)。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
   ファリャ:バレエ≪三角帽子≫≪恋は魔術師≫

 そして私は、看板を無視して通り過ぎましたとさ。

   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

理想的な姿と目の前の実像のギャップ♪バルトーク/2つの肖像

BartokPf3

  腕の良いコックも顔負けの進化
 単身赴任暮らしでの食生活で欠かすことができないもの。それは冷凍食品である。

 以前単身生活をしていた時に比べ冷食を利用する機会は高まっている。子どものお弁当用みたいな味が良いとは言えないものだけでなく、パスタやチャーハン、ハンバーグなど本格的なものが増えたためで、冷凍庫にストックがないとちょっぴり不安になる。
 このあたり、一般家庭では肉とか魚の冷凍の方が冷凍庫に占める割合が高い(たぶん)のとは対照的である。

 冷食は実際、非常に美味しくなっている。
 外食などで料理からデザートまで、いかに多くの冷凍食品が使われているか、意外と知らない人は多い。それはファミレスなんかだけにとどまらない。

 そのくらい完成度が高くなっているのだ。
 おまけに価格もむかしほど割高感がない。

 便利なうえに-内袋のままレンジで加熱できるなんて、なんて画期的だろう-味もそこそこ良い冷凍食品だが、いつになってもなかなか慣れないことがある。
 それはパッケージの盛り付けイメージ写真あるいは調理例と、内袋から皿へと中身をすべり出させたときの姿とのギャップだ。

  アメリケーヌソースなるものが中央に鎮座している例

P7100327



P7100328

  ソテースパゲティが絡んでまとまっている状況

P7230337




P7230338
 
 ウィンナーが存在感を主張しているのがちょっぴりうれしい。
 だが、見ようによっては得体の知れない怪人の顔の用にも見える。

  ボトンと落としたような投げやりな姿
 平らにならさないと、なんだか醜い……

P7250339




P7250340

  青ネギが鮮やかじゃないのが残念な例
 このあとほぐして添付のきざみ海苔をかけた。

P7280342




P7280344

 こういったレンジによる加熱後の姿は、もちろん整えてやれば立派な料理へと変わる。
 生まれたままの姿ではだめなのだ。
 いずれも味には-多少レベルの差はあるが-不満がない。

  理想が醜いものへと……
 バルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)の「2つの肖像(Ket portre)」Op.5,Sz.37。

 第1曲は「理想的なもの(Egy idealis)」(1907-08)で、ヴァイオリン協奏曲第1番Sz.36(1907-08。1958年に発見)の第1番から転用した(そのため独奏ヴァイオリンが用いられている)。
 第2曲は「醜いもの(Egy torz)」(1911)で、「14のピアノ小品(14のバガテル)」Op.6,Sz.38(1908)の第14曲「ワルツ-踊るわたしの恋人」。

 「わたしの恋人」を醜いだなんて穏やかではないが、ヴァイオリン協奏曲第1番の存在を隠していた理由とも関係があるのかもしれない。いやあるのだろう。

 ヴァイオリン協奏曲第1番を捧げたのに、その愛する女性はコンチェルトをお蔵入りにしてしまった。
 そして別な男と結婚してしまった。
 かわいさ余って憎さ百倍。ベルリオーズが「幻想交響曲」で愛しの女性を終楽章では魔女にしてしまったように、バルトークは醜い女にしたのだろう。男の嫉妬、逆恨みは怖い。

 私が聴いているのはシュナイト/南西ドイツ放送交響楽団による演奏。

 1989年録音。アルテノヴァ・クラシックス。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
   Bela Bartok: Orchestral Works: Klavierkonzert 3: Portraits

  これはほとんどギャップレス

P7300363




P7300364

 ケチャップのかけ方が下手で、逆に見た目を悪くしてしまった私。

P7300365

   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング 

怖いマネキンや車と、怖さの基準が曖昧な指摘♪アンダーソン/タイプライター

201703Biyoushitsu  怖さイロイロ?
 中川右介の「怖いクラシック」(NHK出版新書)を読んだ。電子書籍版である。

 なんだか書名からして、真面目なんだかギャグをかましてくれるのか中途半端な印象を持ったが-こういうタイトルの本を書くなら鈴木淳史氏が適任であるように思う-、読んだあとは、なんだかまとまりが希薄で雑多な感じがして、これまで読んだ何冊かの中川氏の本に比べると、内容が中途半端で強引な感じがした。


 この本は、


 クラシック音楽は、日本ではいつからか「癒しの音楽」と喧伝されるようになった。だが、本質はその対極にある。死、神、孤独、戦争、国家権力――。こうした「恐怖」こそが、偉大な音楽家たちを駆り立ててきたのだ。モーツァルトからショスタコーヴィチまで、「恐怖」をキーワードに辿る、異色の西洋音楽史。

ということなのだが、「恐怖」をキーワードに辿るといったって、たとえばベートーヴェンの第5交響曲と第6交響曲についてはこうだ。


 この(引用者注:交響曲第6番「田園」のこと)なかで「怖い音楽」は、第4楽章の〈雷雨、嵐〉である。「地震・雷・火事・親父」の二番目だ。しかし第4楽章以外は、穏やかで楽しく、まさに牧歌的な音楽だ。だから、《田園交響曲》全体は「怖い音楽」ではない。
 むしろ、同じ日に初演された、「運命」と言う俗称で呼ばれることの多い第5番のほうが、怖いと言えば、怖い。幼児に何の予備知識も与えずにいきなり聴かせたら、冒頭のダダダダーンというところで、感受性の強い子だったら泣き出すかもしれない。少なくともびっくりはするだろう。


 だったら、うとうとしているご婦人たちを驚かせようと仕組んだハイドンの交響曲第94番「驚愕」も怖い音楽とみなさないと、差別になる。
 感受性の強いご婦人だったら悲鳴を上げるかもしれないくらいの曲だからだ。


 8つの章からなっていて、各章はモーツァルト、ベートーヴェン、ベルリオーズ、ショパン、ヴェルディ、ラフマニノフとマーラー、ヴォーン=ウィリアムズ、ショスタコーヴィチを中心に書かれている。

 では、ショスタコーヴィチの交響曲第4番について。


 たしかに第4番は、演奏の技術面において難しい曲だった。狂っているとしか思えない、混沌とした音楽だ。曲想が次々と変化していく。落ち着かない。具体的な標題はないが、ひとを不安に陥れ、混乱させる。心理的に「怖い音楽」だ。


 同じくショスタコーヴィチの、交響曲第10番

 第10番は標題音楽ではない。暗い。最初から最後まで徹頭徹尾、陰鬱だ。絶望の音楽であり、もちろん「怖い音楽」だ。究極の「怖い音楽」である。

 究極って、あなたのその決めつけが怖いの……

 要するにいろんな種類の怖さが-それって怖さなのかなぁっていうのもある-ごちゃまぜになっていて、何が当たるかわからないとっても怖い闇鍋状態。

 闇鍋といえば、私はアニメ「巨人の星」の一場面を思い出す。
 野球部員たちが闇鍋を作って食べるのだが、伴宙太か誰かが鍋に箸を突っ込んで取り上げたのが下駄だったのだ。
 それからというもの、私は闇鍋というのは非食料品を煮込む料理だとばかり思っていた。

 全体的に、話のまとめ上げ方がNHK的である。関係ないかもしれないけど。

 ついでにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番

 このピアノ協奏曲第2番も「怖い音楽」だ。冒頭は弔いの鐘のような重厚なピアノの響きの連打で始まる。


 つまり、冒頭が弔いの鐘のようだから怖いんですね?


 しつこくチャイコフスキーの交響曲第1番


 ……第1楽章に「冬の日の幻想」という標題が付けられているので、そう呼ばれているが、交響曲全体の標題ではない。第2楽章には「陰気な土地、霧の土地」という標題があり、その題の通り、陰鬱な楽章だ。「怖い音楽」に入れていいだろう。第3、第4楽章には標題はない。


 いいんですか?本当に入れてしまって。

 とにかく、恐怖の味噌汁かと思いきや、今日麩の味噌汁って感じなのだ。
 あるいは、登別伊達時代村のろくろ首人形みたいだ。

 じゃあ、怖くない音楽を。

65f4885a.jpg アンダーソン(Leroy Anderson 1908-75 アメリカ)の「タイプライター(The Typewriter)」(1950)。

 いや、これだって考えようによっては怖い音楽と言っていいだろう。アームが紙を打つ瞬間指を挟んだときのことを思えば。
 それよりなにより、いまの若い人たちはタイプライター自体を知らないだろう。それまた怖い。

 フェネル/イーストマン=ロチェスター・ポップス管弦楽団の演奏を。

 1958年録音。マーキュリー。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   ルロイ・アンダーソン名曲集

  こっちは本当に怖いぞ
 怖いといえば、松居一代、泰葉、豊田真由子。

 3人ともその精神構造がわからない不気味さと暴力性を兼ね備えている。

 松居一代のスッピン投稿動画では食欲をなくしたし、豊田真由子におかれましては独裁首相に罵声を浴びせてほしいと思ったし、泰葉については病院に行った方がいいんじゃないかと感じた。

 名古屋で見かけた看板。
 この車、子どもの飛び出しに驚いているんじゃなく、危ない顔つきでひこうとしているようにしか見えない。

PB050394

 その点、下の陸別でみかけた、驚きの表情のトラックとは違って怖い。
 が、陸別の方のは、あえて物置の中の看板たちを外に見せようとしている持ち主がある意味怖い。

P5210140

 要するに、何でも見よう言いようによっては怖いものになるってわけ(あの3人の女性は正真正銘筋金入りのように思えるが)。

   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

藍ちゃん、引退に至る……♪ムソルグスキー/死の歌と踊り

  はがすのもご苦労なこって
 とあるビルで、こんなふうにいたずらされているのを見かけた。

 あるいはこれは悪意あるいたずらではなく、彼女の引退を惜しむ気持ちが強すぎるあまりやってしまったのかもしれない。

P5080088

 宮里藍?
 いえ、官里ですけど……それに、こういう状態になっていたのは去年からですし……

 管理人室なのにこれじゃ、管理人の意味がないな。実際、いなかったし。

  ビリュ?
 一方で、北海道ではこんなミスだが狙ってんだかわからない看板が。

P6200295

 この間違いのすごいところは、英語としてもローマ字としても、どっちにしろ正しくないところだ。

67b44ce1.jpg  一貫したテーマは“死”
 ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky 1839-81 ロシア)の歌曲集「死の歌と踊り(Songs and Dances of Death)」。

 第1曲「子守歌」/第2曲「セレナード」/第3曲「トレパーク」(以上1875)/第4曲「司令」(1877)の4曲からなる。

 詞はムソルグスキーの遠縁にあたるA.ゴレニシチェフ=クトゥゾフ伯爵で、当時の農民の苦しい生活を表現している。

 ピアノ伴奏による歌だが、ここではショスタコーヴィチが1962年に管弦楽編曲した版を紹介しておく。

 アレクサーシキンのバス独唱、ショルティ指揮シカゴ交響楽団による演奏。

 1997年録音。デッカ(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol.10)。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   ショスタコーヴィチ: 交響曲集<タワーレコード限定>
 
   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

神宮の参道で快楽を求める罪深く汚れた者♪リキエの音楽

01d2ac42.jpg  円山もにぎわっている
 昨日は北海道神宮祭(札幌まつり)の例祭の日だった(今日は渡御で、神輿が神宮を9時に出発する。なお、おとといは宵宮祭)。

 私は過去に一度だけ祭りの日の日中に北海道神宮まで出かけたことがある。

 神宮に至る道の両側に露店があんなに出ているものとは知らなかった(中島公園に集中し、神宮にはちょぼちょぼ程度しか出店されていないと思っていた)。

  保護色で目立たない
 並んだ露店のところどころに、ベンチなどもともと置かれているものがあって、店が出されていない箇所が途中いくつかあったが、ある場所のベンチに見るからに浮浪者とわかるおっさんが体を斜めにして座っていた。

 かなり陽に焼けた&汚れた黒い顔、季節外れの厚手の、これまたうす汚れたシャツ。しみだらけの茶色いズボン。この姿を見て、実はお忍びでやってきている神主だとはどう考えても思えない。

20170616Image しかもそのオヤジ、一見するとズボンの色が保護色になっていてわかりにくいが、股間から茶色い物体を出し、それを手でしごいているではないか!
 しごいているのになぜかどう見てもふにゃふにゃでそびえていない(って、年を重ねた今の私には、その硬度&角度不足を非難する権利はないが)。

 つまり、オンナ子どもが多く行きかっているこの神聖な場所でシコシコしていたのである。

 そのことに気づき、露骨に嫌な顔をする人もいたが、私の知っているかぎり全員が無視して通り過ぎていた。
 私の妻も気づず、通り過ぎた後に教えたところ、見そびれたのが少し残念そうな顔をしていた。

  地に洩らすと殺される
 だがそのオヤジ、目の前を行きかう女性の姿を見てズリズリしているようではなかった。
 生気のない表情で、うつろな瞳の先は人々ではなく、地面だった。
 地面の方をぼんやり見つめながら、手を動かしていたのである。

 これぞオナニーの本道に近いとは言えまいか?

 オナニーの語源はオナンからきている。

 旧約聖書の「創世記」第38章。

 6ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。 7しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。 8そこでユダはオナンに言った、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」。 9しかしオナンはその子が自分のものとならないのを知っていたので、兄の妻の所にはいった時、兄に子を得させないために地に洩らした。 10彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。

 兄が死んでしまい、弟のオナンが父の命令で兄嫁としたのだが、中出ししなかったがために殺されてしまったということだ。

 あの汚らしいオヤジがそのあと地に洩らしたかどうかは知らないが、地を見つめながらしていたことは、オナンのことを思い出ささずにはいられなかった。

 漏らす前に通報された可能性もあるが……。帰るときにはもう見かけなかったし。
 あるいは、隣のタコ焼き屋のおやじに、アツアツのタコ焼きを押し付けられて、退散した可能性だってある。

  ギロー・リキエ(ギラウト・リキエル。Guiraut Riquier 1230-1300 プロヴァンス)の「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」。

 ギロー・リキエは最後のトルバトゥール(12世紀ごろに南フランスで活躍した詩人、作曲家、歌手)の1人と言われている人物である。

 ラフィットのヴォーカル、ポッシュ/アンサンブル・ユニコーンの演奏を。


 1996年録音。ナクソス。


   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   Early Music - Music of the Troubadours / Unicorn, Oni Wytars


   音楽配信はこちら NAXOS MUSIC LIBRARY

  最初はベジタリアン
 ところで「創世記」といえば、第1章で神は男女を創造する。アダムとイヴ(エバ)である。
 
 神は2人にこう告げる。

 28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 29神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。


 10年ほど前に書いたことがあるが、この段階で神は、2人に草や実を食べ物として与えている。
 逆に言えば、魚や肉を食べることは禁止している。


 ところが、ノアの方舟が登場する大洪水が終わったあとの第9章になって、神はこう告げる。


 1神はノアとその子らを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。 2地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、 3すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。 4しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。


 魚や肉を食べることが許されたのだ。


 よかった。肉が食べられる世の中になって……
 でも、レアのステーキとか、スッポンの生き血なんかはNGじゃないの?

 *) 緑文字の箇所はすべて日本聖書協会の小型聖書(口語)の旧約聖書(1955年改訳)による。

    blogramのブログランキング 音楽ブログランキング
 

ぶにゅぶにゅ、たらたら♪WAM/flとhpのための協奏曲

HoshinoGenSeikatsu  私は肛門を応援したい
 星野源のエッセイ集「そして生活はつづく」(文春文庫)。

 妻がおもしろいからと貸してくれたものだ。

 星野源という名はどこかで耳にしたことがある。最近売れっ子の人なのだろう。1981年生まれの音楽家・俳優・文筆家なんだそうだ。
 いちおう顔はネットで確認してみたが、私の知った顔じゃなかったし、この人についてそれ以上のことは何も知らない。

 このエッセイのなかの「はらいたはつづく」。

 なんでも生まれてこのかた、星野さんは-こう書くと、「海辺のカフカ」のホシノ青年を思い出してしまう-ずっとおなかが痛いという生活が続いているという。

 今でも昼間にラーメンを一杯食べただけで、その夜ほぼ確実にトイレに駆け込むハメになるし、アイスなんぞを食べた日にはもう腸と肛門の戦争勃発は必至だ。腸は出したい、肛門は出したくない。どちらも負けられない戦いになってしまうのである。

 これは気の毒だ。私もよくおなかの調子が悪くなるのでよくわかる。
 飛行機に乗る前は食事を控え目に(早朝の便(“べん”じゃなくて“びん”)のときなら、人間ドック同様絶食)するぐらいだ。
 どこか観光地に出かけても、絶対にソフトクリームは食べない。そのあと肛門がぎゅるぎゅると謎のうなり声をあげる腸に負ける恐れがあるからだ。

 そして、ここで紹介されている演出家Sさんの話。


 そのときSさんは駅から自宅に向かってひとりで歩いていたそうだ。
 家まであと半分というくらいの所でおなかが痛くなってきてしまった。しかし昔からの腹痛持ちなので、この腹痛は何レベルなのか、あとどれくらいで限界を迎えるか、彼にはなんとなくわかっていた。
 この程度なら急げば大丈夫だろうと家路を急いだ。あともう少しで家が見える。自然と早歩きになる。ここで走ってしまうと出てしまう可能性があるのであくまでも早歩きだ。家が見えた。なんとか間に合いそうだ。玄関でタイムロスをしないように既に鍵は手に握りしめている。あと十メートル。あと五メートル。よし、何とか着いた。玄関から家に入り、トイレに直行してドアを開ける。見ると、便器のふたが閉まっていた。礼儀正しい妻が閉めてくれていたようだった。
 まずい、もう限界だ。ベルトはもう外している。片手でズボンを下げつつ、座りながら勢いよく便器のふたを開けて座ろうとした。すると、勢いがよすぎてふたが跳ね返ってまた閉じたのである。
 気がつくと彼は便器のふたの上に座り、そのまま出してしまっていたのだ。
 

 ふたからのポタポタについては賛否が分かれるところだろうが(きっと否が多いような気がする)、この切羽詰った状況というのは実に共感できる。これは大のみならず、小のときも同じである。

  翡翠餃子に腸が負け……
 帯広に住んでいたとき、妻と珍宝楼に夕ご飯を食べに行ったある日のこと。

 食事を終え、店を出て、2町角ぐらい歩いたインデアンの前あたりで、にわかに、本当に突然、おなかがぎゅるぎゅる鳴りはじめた。
 鳴ってるだけなら別の問題はないが、腸管の中の物体が-粥状に違いなかった-外の空気を吸いたがっているのは明らか。その勢力は強く、肛門が決壊するのは時間の問題だった。

 辛さで涙がにじみ出てくる。なぜ、店を出る前にトイレに行って排泄しなかったのだろうかと自分を責める(でも、そのとき-つい数分前のことだ-は、ちーっともしたくなかったんだもん。笑顔で会計を終えたくらい元気だったのだ)。

 私は妻に、「先に帰ってる」と言い、マンションに向かって早歩きし、やがてそれは競歩並みの速度まで上がった。妻は何が何だかわからなかっただろう。いや、私の脱肛のような足取りを見てコトを察したに違いない。
 こういうときに限って、途中にある信号はことごとく赤に染まっているし、マンションのエレベーターは最上階で停まっている。

 あんなにつらい思いをしたことは、これまでの人生の中でも38回ぐらいしかない。

  天才はウンコねたが好き?
 ウンコといえば、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791 オーストリア)だ。
 モーツァルトのスカトロジー(糞尿趣味)は有名。

 神童モーツァルトがウンコのことをお下品にあれやこれや手紙にしたためているのを読んで、むかしのお堅い伝記作家は、なんとかそこを避けて通りたいと悩んだことだろうが、いまではすっかり知られている。
 目がキラキラと輝いているマンガのモーツァルトの伝記でも、そこのあたりをしっかりと描いてほしいものである。

 ベーズレという愛称(“従妹”の意)で呼ばれていたマリーア・アンナ・テークラに宛てた手紙(6通残存)には、ダジャレ連発の上に、ウンコ現る!っていうものだ。

 1777年11月5日付の手紙には、次のようなくだりがある(出典:池内紀「モーツァルト考」:講談社学術文庫)。

 ありゃ、お尻(・・)が火のように燃えてきたぞ! こりゃ一体なにごとだ―きっと、ウンコ(・・・)ちゃんのお出ましだな。―そうだ、そうだ、ウンコちゃんだ。ぼくにゃおまえのことはわかってるぞ、見つけたぞ、うん、匂ってくる。

 ちなみに、同じ箇所ながら、吉田秀和編訳の「モーツァルトの手紙」(講談社学術文庫)ではこうなっている。

 あつ、おしりがあつい、燃えてるみたい!これは何の意味かしら?-よごれものが出たいってわけ?-そうとも、汚物め、お前の正体は先刻ご承知、それみろ、口にいれてみろ

 吉田センセは、一生懸命“ウンコ”という表現を避けている。考え抜いたんだろうなぁ。けど、よごれものってなぁ……

 続けて池内氏は、モーツァルトのスカトロジーについて、

 モーツァルトのこういうスカトロジーを、天才のもつ独特の精神構造とか、ある種の幼児性とか、そういうことから語られますね。もっと日常的なレベルで考えたほうがおもしろいんじゃないかと思うんですよね。いちばん近いところにある、いちばん身近なものでしたから。
 もうひとつは、ひり出したあとの爽快さというのか、それを非常によく言うのは、健康の印だったんでしょうね。その色と出ぐあいは重要な問題で、ちょっとでも下痢とか、ある種の変調をきたしたときの危険さということですね。そこで三日後に死んじゃったなんて、よくあるケースでしたから。ウンチというのは、非常に彼らにとって大きな目印だったと思いますね。ですから、それを言うか言わないか、これはたしかに精神構造と関係しているわけだけど、モーツァルトにとっては、そのことが次の自分の仕事に非常に重要だった。だから、思い切りひり出して、「さあ、やるぞ」っていうんで、嬉遊曲書いたりとか。仕事のための、必要なコンディション作りだったんでしょうね。


と書いているが、確かに水下痢だったり、いやふつうの下痢でも、下痢じゃなくて軟便でも、「さあ、やるぞ」とはならない。気持ちがヒュルヒュルヒュルヒュルとしぼんでしまう。
 個人的にはそういう日、少なくないけど。もう数えきれないくらい、3日後には死んじゃっていたかもしれない経験を私はしっかり積んでいる。

MozartFlConBruggen そのモーツァルトの優雅で美しいフルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299(K6.297c)(1778)。

 ウンコちゃんがお出ましする場面を想像しながら、この名曲を聴いてみるといい。
 想像の中で姿を現わすのは、ラメをまとったピンク色の……。いや、心を無にして聴いて下さい。

 ヒュンテラーのフルート、シュトルクのハープ、ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラの演奏を。

 1991年。デッカ(TOWER RECORDS PREMIUM CLASSICS)。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   モーツァルト: フルート協奏曲第1番&第2番, フルートとハープのための協奏曲<タワーレコード限定>

  ですから、私にどうすれと?
 大阪の支社に勤務していたときのこと。当時の上司が、「けさ、電車のなかでこっそりおならをしたら、実も少し出ちゃってさぁ」と、聞いてもいないのに私に教えてくれた。

 正直者だ。言わなくてもいいのに、迷惑なくらい正直だ。
 よい人だったが、こういうことを言うなんて、やはり精神構造に問題が多少あったのか?実際、ちょっと変わったところがあった。
 でも、そのとき私がひたすら考えていたことは1つ。「それ以上近寄るな」だった。

 星野源は別な章でこう書いている。

 中学生の頃、学校に行きたくないあまり、通学の途中でわざと服を着たままうんこをし、それをパンツの中にキープさせたまま家に帰って「うんこもらした」と親にアピールし、そのまま学校を休んだことがあるのも吾輩だ。

 天才の持つ独特の精神構造の成せるわざなのだろうか?

 でも「変わった人だなぁ」と思いつつも、「わかる!わかる!」「そういうこと、ある!ある!」と“クイズ 100人に聞きました”のギャラリーのように共感するところも多く(うんこの話だけのことではない)、楽しめるエッセイだった。

   そして生活はつづく

 ところで呼び方だけど、あなたはウンチ派?それともウンコ派?まさか実っこ派ってことはないでしょうね?

   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

異教徒は誰だ?♪ベルリオーズ/宗教裁判官

  信者になるにあたって……?
 先週、金沢出張から戻るときのこと。

 特急列車の窓からこんな看板が見えた。

 確かにそうだ。
 よ~く注意してから決断した方が良い。

20170512Nyuushin

 実はひたすら金儲けすることを目的にしているかもしれない。
 あるいは性の桃源郷のような団体かもしれない。

BrliozOverture  どつぼにはまって……
 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の序曲「宗教裁判官(Les fancsjuges)」Op.3,H.23d(1823)。

 もともとはオペラの序曲として書かれたが、オペラは未完に終わったため序曲だけが出版された。
 ベルリオーズは大編成のオーケストラ作品を得意としたが、その最初の試みがなされたのがこの曲である。

 ベルリオーズが残した序曲では「ローマの謝肉祭」がほかに比べて突出して有名だが、実は私が初めて知ったベルリオーズの序曲作品(という言い方は変だけど)が「宗教裁判官」。

 というのも、札幌交響楽団の定期演奏会で取り上げられたからだ。

 1976年9月のことで、指揮はセルジュ・コミッショーナ。
 この曲がまだほとんど聴かれることのなかった時代だと思う。

 コンサートに足を運ぶと、未知の作品に出会えることが多々ある。
 好みでなかったときは苦痛だが、つぼにはまったらひどく儲けた気になるものだ。
 そして、この夜、私はどつぼにはまったのだった。

 この曲の演奏では、C.デイヴィスの1965年の録音がいまだに色あせていない名演。
 オーケストラはロンドン交響楽団。

 フィリップス盤だが、現在はTOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plusで出ているディスクで聴くことができる。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
   ベルリオーズ: 幻想交響曲, イタリアのハロルド, 他<タワーレコード限定>

 さて、上の写真だが、場所は大垣駅近くだったと思う。
 そして軌道敷地内である。

 ってことは、信者になるのを注意しろってことではなく、信号に注意しろってことなんだと思う。常識的に考えれば……

 岐阜駅近くではこんなのを見かけた。

20170512e

 別に変なところはないわけだけど、なんだかいにしえの栄華を感じさせる。

 そして、はい、私は元気です。

20170512g

 ところで宗教裁判官って何をするかというと、どうやら異教徒かどうかを審査する人らしい。

   blogramのブログランキング  音楽ブログランキング

丼の中を黄色に染めない器用な店主♪DSch/Sym3(by ペトレンコ)

20150225Tsukimi  労働者の日の行事に参加するのもたいへんだけど……
 ゴールデンウィーク真っただ中の今日、労働者の皆様におかれましてはメーデーにも参加しないで、仕事のやる気の起きなさからボーっとしていることと思われるし、学生諸君については、ラッキーなところでは開校記念日とかで休めているだろうし、そうでないついてない学校に通学中の人々は、いつにもまして勉強する意欲が薄らいでいることと思う。

 私はといえば、連休中である。
 すまない。申し訳ない。
 が、休みをとることは悪ではないという政府の方針に従っているだけである。

 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第3番変ホ長調Op.20「メーデー(May Day)」(1929)。

 作品については、あちらこちらの過去記事をご参照いただきたいが、非有名どころではあるが聴き込むと単に若気の至りのユニークな形をした交響曲にとどまらない魅力を感じるようになる。
 もちろん個人差はあるが……

Shostako01Pet1 今日はペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィル,同合唱団の演奏を。

 2010年録音。ナクソス。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   Shostakovich: Symphonies No.1, No.3 "The First of May"

   音楽配信はこちら NAXOS MUSIC LIBRARY


  おねがい、守り続けてきた膜を破かないで
 そんなGWのさなかに床屋に行って来た。

 今回の店主との話題は冷やしたぬきそばの話だった。
 なぜ、床屋で冷やしたぬきそばの話をすることになったのかさっぱり思い出せないが、彼は生卵が苦手であるということがわかった。

 店主は先日、“大番”という、私が思うに味は2の次、3の次だが盛りだけは4次元的にすさまじいそば屋に行って来たそうだ。
 そこで頼んだのが冷やしたぬきそばだったらしいのだが、予想しなかったことに生卵の黄身がトッピングされていたという。

 彼はその黄身の膜が破れ、黄色い粘質物が丼の中に拡散しないよう実に慎重にそばを食べ進め、ついぞ最後まで黄身を球体のまま温存することに成功したそうだ。

 さすが床屋である。手先はやっぱり器用なのだ。
 私は手羽先だってきれいに食べることができないほど手先が器用ではない。

  余熱で凝固させるのは好き
 私も生卵が苦手なのはご存じの通りだ。
 特に玉子かけご飯は悪魔の食べ物に違いないと信じている。

 だからごまそば処“八雲”で冷やしたぬきそばや冷やし五目そばを注文するときも、玉子抜きで頼む。
 そうでないと、生卵の黄身がプルルンの中央に乗せられてくるのだ。

 月見そばなる混濁させて食べるものは、10円足りないときにしか頼んだことがない。それも人生の中で一度だけだ

 ただし、味噌煮込みうどんに生卵は必須のものだと思っている。

 グツグツ沸騰状態で運ばれてくる味噌煮込みうどん。麺の上には生卵。
 私はあわててて麺を持ち上げ卵の上に乗せる。つまり卵を沈ませ余熱で固まらせるのだ。こうして固まった卵はお・い・し・い。普通の鍋焼きうどんでもできることだけど。

 あるいは、言っていることが少々矛盾しているが、“霧の下”のざるそばについてくるウズラの卵。
 あれは悪くない。
 あのくらいの生卵の量だからつゆの味が生卵に支配されず、おいしくいただけるのだ。

 ただ、このとき私は店主に自分もそうであることを告白しなかった。

 なぜなら、彼は話に夢中になると手を休める癖(へき)があるからだ。
 あるいは「おぉ!同士よ!」と、ハサミをもった手で頭に抱きつかれても困るからだ。

 上の写真は名古屋市内で見かけたもの。

 生卵の軍艦巻きが看板メニューか?

 いや、どうやらこのあたりの住所が月見町ということらしい。

   blogramのブログランキング 音楽ブログランキング

意味はないが励みになるかも






blogramで人気ブログを分析

音楽ブログランキング
最新とは言い難いコメント
お暇ならメッセージでも

名前
メール
本文
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

NO MUSIC,NO LIFE.
旧館にようこそ!
お探し物はこちらから
お空のご機嫌
各種つぶやき情報
月別アーカイブ
孤独な私のプロフィール
今の私の微妙な立ち位置
QRコード
QRコード
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2007 「読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ