読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行したものです。 現在は“新・読後充実度 84ppm のお話”としてちょくちょく更新しています。右下の入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

February 2008

小さいけど、楽しい楽しいセレナード

 W.A.モーツァルトのセレナード第6番二長調K.239「セレナータ・ノットゥルナ」。1776年作曲だからモーツァルトが20歳の作品ということになるが、音楽そのものもはつらつとした喜びにあふれている。

 私は特にこの曲が好きだったわけではない。
 しかし、愛というものは突然芽生えるものだ。
 今から10年ほど前のある土曜の昼下がりに(三善英史の「雨」みたいだ)、この曲をかけながら転寝(うたたね)してしまったことがある。そのときに、この第3楽章の繰り返し現れるメロディーに妙な親近感といらだちを覚えた。
 この相容れない2つの感情が私のまどろみの意識のなかで融合し、核分裂を起こし、裏ごしされ、冷蔵庫で十分冷やされ、固まった頃、この曲が好きになった。
 私の心を迷わせたその第3楽章はロンド形式で書かれており、楽しげなメロディーが執拗に繰り返される。夜の音楽というか、祭りの音楽というか、盆踊りというか…。そんな曲なので、昼寝時には確かにうるさい。耳元に何度もやってくる蚊のようである。 

 この曲がどのような目的で書かれたかはわかっていないし、「セレナード・ノットゥルナ」という名称も、父・レオポルトの筆跡だという。
 特徴的なのは、2群のオーケストラを必要とすることで(2vn,va,cb群と、弦楽&ティンパニ群)、この2つが協奏的に掛け合い二重合奏をする。さらに、セレナードとしては異例なことに、楽章が3つしかない。ティンパニが編成に加わっていることも、セレナードとしては珍しい。

 レオポルトの筆跡で書かれているタイトルの「ノットゥルナ」というのは“夜”のことだが、もともとセレナードというのは“小夜曲”のこと。
 だとすればこのタイトルは“夜の小夜曲”か“小夜2e37535e.jpg曲の夜”ということになり、いずれにしても言葉が重複していることになる(この曲が二重合奏とな っていることと何か関連があるのだろうか?)。

 私が好きな演奏は、コープマン指揮アムステルダム・バロックoの、躍動感あふれるピリオド演奏(ジャケットのコープマンのどアップは、モーツァルトの音楽にはふさわしくない感じもするが)。特に第3楽章のアドリブが、曲がもっている楽しい気分を一層盛り上げてくれる。
 エラートのWPCS21106(1988録音)。価格は1,050円でタワーレコードのインターネットショップに在庫あり。カップリング曲は、セレナード第7番二長調K.250(248b)「ハフナー」(1776)他。
 
 こういったCD紹介場合、ふつうなら「ハフナー」をメインに取り上げるんだろうけど……

赤ん坊の楽しみ?

 アメリカのヴィクトール・ハーバート(1859-1924)のライ44f6fec8.jpg ト・オペラ「おもちゃの国の赤ん坊」(1903初演)。

 ハーバートはアイルランド出身。ドイツで音楽を学び、1886年にアメリカに移住したアメリカのライト・オペラの作曲家。アメリカに移住する前は多くの楽団でチェロを弾いていたが、移住後はチェロ奏者、指揮者として活躍したという。

 ライト・オペラというのはイギリスで成立した、オペレッタの一種。アメリカで受け継がれミュージカルの源流となったという。

 「おもちゃの国の赤ん坊」の中で突出して有名なのが「おもちゃの行進」。私もこの曲(おもちゃの行進)でハーバートを知った。フィードラー/ボストン・ポップス響の名曲集で、その中にはポール・ホワイトの「の踊り」という人を食ったような作品もあった(この曲、もう一回聴いてみたいですぅ)。

 「おもちゃの国の赤ん坊」がどのような筋のオペラか私は知らないし、抜粋版のCDを購入して思ったのは、やはり「『おもちゃの行進』だけで、まあいいや」って感じである。
 雰囲気としてはイェッセルの「おもちゃの兵隊の観兵式」のようなもの(確か先の名曲集には、ふだん耳にするビドゥグッド編曲のものではなくて、イェッセル自身の原曲も収められていたが、ひどくおどろおどろしい音楽だった。イェッセルがいなかったら「おもちゃの兵隊の観兵式」はここまで有名にならなかったろう)。ちょっぴり憂いがあって、ちょっぴり元気で、ちょっぴり楽しい小品である。

 その抜粋盤はMARCOPOLOの8.223843。演奏はブリオン指揮ラズモフスキー響なるもので1996年録音(写真)。MARCOPOLOのマイナー作品発掘の姿勢はすごい。でも、廃盤のよう。
 ところで「おもちゃの行進」だけならば、スラットキン指揮セントルイス響の演奏で小品集のCDがある。RCA-BVCC37629。タワーレコードでも扱っている。1,680円。

恋人に演奏してもらってシアワセ!

 コープランド(1900-1990)の「エル・サロン・メヒコ」(1936)。
 曲名はメキシコ=シティにあるダンス・ホールの名前。1932年にコープランドがメキシコ=シティを訪れた際に、有名なこのダンス・ホールにも行ったのだが、雰囲気に魅せられた彼は、その印象をもとに作曲した。
 曲中にはいくつかのメキシコ民謡が取り入れられているが、そのままの形ではなくコープランドによって処理されているという。
 
 コープランドはユダヤ系で、20世紀前半のアメリカの代表的作曲家で、それまでの作曲家と異なりアメリカ的個性をもった作風を確立した。
 「エル・サロン・メヒコ」を書く前までの数年間、コープランドは前衛手法を用いた作品を書いたが、この作品が書かれたときには聴衆に受け入れられやすい作風に戻っている。

 この曲を聴くと、私は昔の「トムとジェリー」の中の一場面を思い出す。あの番組は3本立てで、真ん中のアニメは熊のバーニーさんとかドルーピーとかが出てくるバージョンだったが、そのバーニーさんがトウモロコシ農園の農園主で、カラス退治に頭を悩ませているという一篇を思い出すのである。
 カラスたちがトウモロコシ畑を荒らしながら行進をするときに流れていた音楽の雰囲気が、この「エル・サロン・メヒコ」の陽気な雰囲気に共通するように思えるのだ。バーニーさんには気の毒だけど……

 私がふだん聴くのは、昔の録音だが(1961年)、コ029f8bcd.jpg ープランドと同じくユダヤ系で、事実上初のアメリカ人指揮者として活躍したレニーこと、レナード・バーンスタイン指揮によるCD。オケはニューヨーク・フィル。

 なんてたって、この二人、恋人同士だったんだもの、曲の解釈はいちばん作曲者の意図に近いんじゃないかと思う。
 コープランドは、「レニーがいくらほかの男と浮気をしたって、いつかはぼくのもとに戻ってくるさ」って言ったそうだし(石井宏 著「帝王から音楽マフィアまで」から引用,学研M文庫)。
 
 このCDは現在廃盤のよう(ソニー・クラシカルMYK37527。輸入盤=写真)。
 それにしても、この言葉、コープランドって忍耐強いっていうか、自信があるっていうか……そんな問題じゃないか……

 

エトワールよ、大地の音を聞け!

 「峡谷から星たちへ(Des canyons aux etoiles)」。何かとっても美しい曲名である。
 メシアンがニューヨークのムジカ=エテルナの委嘱によって1970年から74年にかけて作曲した作品。3部12曲から成る。
 美しい魅惑的な曲名だが、聴き手にたいしてはけっこう厳しい音楽である。けれども私はこういう曲、嫌いではない。3年に1度くらいは聴きたくなる。

 この曲は、メシアンがユタ州へ旅行したときの体験を音楽化したもので、大地の美、岩と鳥の歌、物質的精神的な天空の美など、神のすべての創造物への讃歌だという。メシアンらしいコンセプトである。

 編成はオーケストラのほかに、ピアノ、ハーモニウム、ホルン、シロリンバ、鉄琴、エオリホーン(風音楽器)、ジュオホーン(大地の音を出す楽器!!!??)、各種打楽器である。
 この編成を見ても、聴く者に対し、異様な緊張感、期待619c61c6.jpg 感、恐怖感を抱かせるというものだ。にしても、大地の音を出す楽器って……

 曲の長さは1時間半ほど。魅惑の90分をあなたもぜひ体験しませんか?
 っていっても、悲しいことに現在CDは発売されていないよう。でも、今年はメシアンの生誕100年にあたるから、リリースされる可能性は小ではない。
 ちなみに私が持っているCDは写真のもので、MONTAIGNEのMO782142(1990年のライブ録音)。あんまり良くないというか、CDに雑音が出始めている。演奏が良いか悪いかは何とも判断できない。演奏者は写真を参照してください。

 ねぇ、あなたぁ?物質的精神的な天空の美ってどういうことなのかしらね?……

すっかり有名になった無骨な踊り

 プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」Op.64。

 この作品中の「騎士達の踊り」は、ソフトバンクの携帯CFや、「のだめカンタービレ」の番組でシュトレーゼマンのテーマとして使われ、すっかり有名曲になってしまった。
 この不気味な舞曲は、確かに不気味な指揮者シュトレーゼマンの登場にマッチしているが、ソフトバンクの方は非日常を強調したのかどうかは解らないものの、よく選曲したなぁと思わせる。
 たいして騒ぐことではないのに、ずいぶんと非難されている中川翔子さんの今の気持ちは、さしずめこんな感じか?

 昨日のサンジャポのイージス艦と漁船の衝突事故で、彼女がまだ発見されていない2名の船員があたかも死んでしまったように発言したと責められているが、いいかげんにしろと言いたくなる。
 確かに適切な発言ではなかっただろうが、皆の心の中では「もう助かる見込みはない」と確信があるはずだ。それをたまたま、しかも悪意があったわけではなく、「死んじゃって」と言ったことが、そこまで責められることなのか?
 責める人間は、まだ生存していると信じているのだろうか?
 行方不明の2人の家族には申し訳ないが、常識的に考えて絶望的だろう。それを偽善的に責めるのは、いじめと同じだ。それに番組では、彼女が何かとんでもないことをしゃべってしまうのではないかと、面白がっていた向きすらある。
 別なニュースでは、家族か関係者かは知らないが、海に花束を投げ入れていた映像があった。あれが弔いの儀式でなくて何だというのだろう?
 発言内容は良くなかったかも知れないが、タレント一人を責める姿勢に問題がある。
 
 ちょいと興奮してしまったが、私は中川翔子さん自体、昨日の番組を観るまで知らなかった。逆に言えば、私の意見はなんらバイアスのかかっていないものである。

 話を戻す。
 このバレエは1938年にブルノで初演されたが、プロコ0cfec9c9.jpg フィエフの特徴が凝縮された音楽である(凝縮というわりには、けっこう長いけど。4幕から成るから)。

 私が聴いているCDはマゼール指揮クリーヴランドoのもの。
 マゼールって顔が怖いからあまり好きでないんだけど(とくに目のあたりが悪魔っぽい)、ときどきふつうの演奏をしてくれる。この演奏は成功例じゃないかと思う。
 1973年録音で、デッカのUCCD3228(2,900円)。同じものがUCCD3286としても発売されており、こちらは2,400円。なお、写真はまだロンドンレーベル時代のもので、UCCD3228は同一デザイン。UCCD3286の方のジャケットは、小ずるい悪魔のようなマゼールの顔が写っている(小ずるい悪魔=小悪魔ではありません)。

 マゼールって、もっと時代を代表する指揮者になるかと思っていたが、これからどうなんだろうね?

ベルリオーズを折檻しようとした男

 ケルビーニ(1760-1842)のミサ・ソレムニス ニ短調。ときにはシビアな祈りの歌が、ときには幸福感に溢れたメロディーが随所に出てくる大曲。

 ところが困ったことに、手元にある三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」では、ケルビーニのミサ・ソレムニスとしてはハ長調とト長調、ヘ長調のものしか載っていない。となると、この辞典にある中では「ミサ ニ短調」(1811/1821~22改訂)というのが臭い。断定はできないけど……

 私はこの曲を1980年に知った。NHK-FMの「海外の音楽」という番組で流れたのだ。
 けっこういい曲だと思うのにずっとCDを発見できず、今から10年前にようやくCDを発見(秋葉原の石丸で)、再び耳にすることができた。

 イタリアの作曲家ケルビーニは1788年からパリに定住し、フランス語によるグランド・オペラの作曲家として名声を博した。当時はベートーヴェンをはじめ多くの人々が、ケルビーニのことを「単なる巨匠ではなく、不滅の存在だ」とみなした(当時の人たちは「不滅」の意味をよく理解していなかったらしいベートーヴェンには「不滅の恋人」なる女性がいたな……)。
 のちにパリ音楽院の院長になったが、そのころに入学したベルリオーズはケルビーニのことを完全な敵とみなしていた(ベルリオーズの入学に反対もした)。
 ベルリオーズはケルビーニの思い出を書き残しているが、ハロルド・ショーンバーグ著の「大作曲家の生涯」(共同通信社)には以下のように書かれている。

 「ケルビーニはやかまし屋で、入り口を男女別に分けるといった、こまごました問題まで一々自分で指図した。ある日、ベルリオーズが入り口を間違えたことを守衛に知らされたケルビーニは、図書館に駆け込むと『いつにも増して意地の悪い目つきで、髪をふり乱し、蒼白な表情で』不運な生徒をみらみつけ、ベルリオーズを取りおさえようと、テーブルをめぐり鬼ごっこまで演じた。二人の間に結局、取っ組み合いはなかったが、『ケルビーニが折檻したら、私はサソリを放って報復しただろう』とベルリオーズは書いている」 。
 にしても、パリ音楽院の入り口って銭湯みたいだったのね……

 このミサ・ソレムニスは、最初に書いたように精神的897143b2.jpgになんら病んだところのない音楽である。しかし、これに象徴されるような保守的なところが、彼を忘れられた存在にしつつある最大の要因だと思う(ショーンバーグによれば、「教科書どおりに教え、作曲した音楽家がいたとすれば、それはケルビーニである」)。
 まあ、こんな時代だから、たまには健康的な音楽を聴くの もいいんじゃないかと思う。そういう点でお薦めの一曲である。

 私が所有しているCD(写真)はジェンキンス指揮クラリオン・コンサーツなるオケの演奏。指揮者は曽我ひとみさんの夫とは別人だと思う。ヴァンガード・クラシックスのSVC44。これはまだ売られているかどうか不明。
 現在入手可能なのは、ムーティ指揮バイエルン放送響、同合唱団によるもの(なんてメジャーなメンバーだろう!)。EMIのTOCE55337。タワーレコードで2,800円(国内盤)。私は未聴だが、「荘厳ミサ曲ニ短調」ということなので、私が今回紹介している作品と同一作品であることは間違いないだろう。



 三浦和義って、またまた世間をお騒がせである。
 この間、万引きで捕まったってやってたような気がするが、再びロス疑惑か……
 どうでもいいけど、あんまり騒がないほうがいい。スター気分になるから。

ウゥゥゥゥゥゥッ~、マンボッ!!

 午前中、思い切って床屋に行って来た。
 私にとって床屋で過ごす1時間(前髪にパーマをかけるときは2時間)は、人生においてとてももったいない時間だと思う。だからなかなか行く決心がつかない。
 しかし髪が長くなってきた最近は、他の多くの善良な庶民の方がそうであるのと同じように(違うだろうか?)、私は寝ている間に髪をかきむしるようになった。なぜ、このような優雅な癖があるのか不思議だが、髪がうっとうしくなると眠りながら髪を引っ張ってしまうのだ。もちろん自分の髪である。間違って妻の髪を引っ張ろうもんなら、私はバラバラ死体にされるだろう。
 
 そういうことで、熟睡した気分にならないし、起きたら頭皮が痛い。
 髪さえ豊富になかったらこんなことで悩まなくて済むのだろうが、だからといって禿げたいという意向はまったくない。困ったものである。
 そこで、対症療法にしかならないが散髪に行って来た(散髪という言葉は北海道人はあまり使わないが、関西人は良く使っていた)。髪が短くなれば癖は影を潜めるのだ。草刈りをすれば害虫の姿がなくなるのと同じである。

 今日はまた天気が悪い。吹雪模様だ。
 床屋のマスターとの会話は、示し合わせたかのように「雪」についての話題となる。スナックの女の子の名前ではない。本当の雪である。
 もう2月も終わりだというのにまだ降り続いて参った、という序章から始まり、結論は「もう雪かきに精を出すのはやめよう。自然に融けるのを待とう」という、実に後ろ向きな内容で合意した。

 そんな話をしているときに私の頭の中で流れていた音楽は、マンボ5であった(曲名が違うかもしれないけど)。昔々、「スターどっきりマル秘報告」という番組で、芸能人をジェットコースターに乗せてその恐怖の顔を映すというコーナーがあったが、そのとき流れていた曲である。

 なぜマンボ5が浮かんだかというと、10年ほど前の今時期に九州に出張に行ったからだ。
 なぜ九州出張が関係あるのかというと、そのときに北海道は雪なのに九州はすっかり春だなあと思ったからだ。
 なぜ春とマンボ5が結びつくかというと、たまたま大分のホテルで観たTVで音楽番組をやっていて、黛敏郎の「トーンプレロマス55」なる曲が演奏されていたからだ。
 なぜ「トーンプレロマス55」とマンボ5かというと、こ56f710d5.jpgの曲に変形されたマンボ5が現れるからである。

 黛敏郎(1929-1997)の音楽に対し、私は冷たい。 あまり魅力を感じないし、かつて司会を務めていた「題名のない音楽会」での印象も嫌いだった。詳しくは知らないが、彼の政治活動も嫌だった。ソース焼きそばが好きなくせに、そんなそぶりを見せないところも許せない。
 ただ、この「トーンプレロマス55」はマンボ5が出てくるところがちょっぴり楽しい。曲全体としては、なじみやすいものとは言えないが……。だって、トーンクラスターの手法で書かれている、聴衆が嫌うタイプの「ゲンダイオンガク」の典型だから。

 CDは岩城宏之指揮の東京佼成ウインドoのものが出ている(佼成出版社KOCD2907。タワーレコードに在庫あり。ただし定価販売で2,940円)。このCD、全曲が黛敏郎のブラス作品。ちょっとマニアっぽいCDではある。

ラッパ隊のいないファンファーレなんて……

 ヤナーチェク(1854-1928)の「シンフォニエッタ」(1926)。
 私がクラシック音楽を聴くようになってから半年ほど経ったときだったろうか。NHK-TVで放映されたN響によるこの演奏、オーケストラの後ろにずらりと並んだトランペット群を観て、「すごいなぁ。なんかゴージャス」って思ったものだ。そのとき、曲そのものはまったく頭に残らなかったけど。

 ヤナーチェクはモラヴィアの国民主義を代表する作曲家。その音楽は他のどの作曲家とも異なる独自の響きを持っている。彼はムソルグスキーに深く傾倒したという。
 私が初めて「シンフォニエッタ」を生で聴いたのは、岩城宏之指揮による札響の定期演奏会。
 ところがどっこい、12本のトランペットが居ない!どういうアレンジか知らないが、オケ本体の中のトランペットですべてまとめあげられてしまった。がっかり……。

 その後も私は似たような経験をした。
 それは大学の学食でチャーシューメンを頼んだら、善良そうな調理のおばちゃんが、「ごめんね。今日はもうチャーシュー切れちゃったの」と言いながら、プレスハムを5枚トッピングしたラーメンを出された経験だ。この衝撃、困惑、落胆、失望、屈辱は、ラッパ隊のいない「シンフォニエッタ」を目にしたときに似ている(しかも“プレスハム”ですよ!)。
 実際その「シンフォニエッタ」を耳にしても全然良くなかったし、「プレスハムラーメン」を口にしても、やっぱり全然良くなかった。当たり前だけど。

 その後、札響では正しい編成の「シンフォニエッタ」を聴くことができた。確か指揮は秋山和慶だったと思う。12本のトランペットが整列している本来の編成であったという圧倒感とは別に、演奏自体すばらしいものだった(このステージはNHKで全国放送されたはずだ)。

 この作品の第1楽章は、ソコルの第8回全国大会の開会ファンファーレとして書かれたものである(その大会がどういうものだったのかを私に尋ね48a4bc7a.jpg るのは、罪というものだ)。その後、5楽章からなる「シンフォニエッタ」となったわけだが、12本の金管群は第1楽章と第5楽章のみに加わる。オーケストラ本体のみによる中間の3つの楽章も、民俗色にあふれた魅力的なものだ。 

 今回紹介するCDはノイマン指揮チェコpoのもの。スプラフォンのCOCO70411。1982年録音。初出のときは「レコード芸術」誌の特選盤に選ばれた演奏である。タワーレコードではオンライン・セール中で945円。
 私がもう一つ好きな演奏は、クーベリック指揮バイエルン放送響のもの。ノイマンよりも土臭いところがなかなか良い。ミミズが間違って寄ってきそうだ。1971年録音でグラモフォンUCCG3961。↓

 CREST1000(011) ヤナーチェク:シンフォニエッタ|タラス・ブーリバ


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名ヴァイオリニストが残した一発

 ルーマニアの名ヴァイオリニストであり、作曲家でもあっ75bc9ea4.jpg たエネスクの代表作といえば、ルーマニア狂詩曲第1番イ長調op.11-1(1901)である。
 彼は第2番の狂詩曲も残しているが、圧倒的に第1番の方が有名。そして、実際聴いていてもはるかに楽しめる。

 この作品はルーマニアの民俗色豊かな音楽とよく評されるが、私にとってルーマニアという国は独裁者チャウシェスクが断罪されたり、ドラキュラ伝承の国だとか、妖精はコマネチということぐらいしか知らない。
 むしろ、この曲を聴くとコープランドのエル・サロン・メヒコに通じるような、暑すぎない南国の情景といったものを感じてしまう(私は南国にも行ったことはないですが……)。

 演奏でお薦めはドラティ指揮ロンドン響のもの(1960年録音)。マーキュリーのB0004500。このCDはSACD Hybridで、通常盤は現在廃盤のよう。タワーレコードで販売中で価格は2,405円。なお、カップリングはリストのハンガリー狂詩曲が数曲。



 イージス艦と漁船の衝突事故。まったく、ウソの発表するなよなぁ。
 けど、さっそく民主党が石破防衛相の辞任要求をしているが、それってちょっと違うような気がする。辞めればいいってもんじゃないでしょ?

師に対する弟子の愛憎……

 モーツァルトのレクイエム ニ短調K.626。この作品は、ホルン協奏曲第1番ニ長調と共にモーツァルトの未完の作品であり、補筆完成したのは両曲とも弟子のジュスマイヤーである。
 ホルン協奏曲第1番(K.412+K.514)については、第1楽章が1782年、第2楽章は1787年の作とされていたが、その後の研究で、第2楽章は未完に終わり、モーツァルトの死の翌年の1792年にジュスマイヤーが補筆完成したということが解っている。

 さて、1791年(つまり実際に没した年)に、モーツァルトが自分の死が近いことを予感していたことは事実のようである。
 この年の夏のある日、そんなモーツァルトのもとにグレーの服を着た男が訪問してきた。男は名前を告げずにレクイエムの作曲を依頼、予約金として50ドゥガーデンを置いていった。召使いがすぐに後を追って名前を尋ねようとしたがすでに姿はなく、モーツァルトは「あの男はあの世からの使者で、自分は自分を弔うためのレクイエムを書くのだ」と思いこんだという。

 ところでレクイエムというのは御存知の通り「死者のためのミサ曲」である。これを「鎮魂歌」と訳すこともあるが、皆川達夫氏は、ヨーロッパ(キリスト教)における死の概念というのは、日本の恨みつらみを持って死んでいった死者の魂という概念とは違うので、魂を鎮めるという言葉は適当ではない、と書いている。まさにそのとおりだと思う。「鎮魂歌」というのはレクイエムの性格を正しく訳しているとは思えない。

 話を戻すが(戻さなくていいと言ってるのは誰だ?)、モーツァルトの前に突然現れたグレーの服を着た「不吉な人物」が誰であったかは、今では解っている。
 この人物はフランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥパハ伯爵の使いであった(どうでもいいが、言いにくい名前だ)。
 この伯爵はタチの悪いことに、名のある作曲家に密かに作品を依頼しては、完成した作品を自分で写譜し、あたかもそれが自分の作品であるかのように演奏させて楽しんでいたという。そんな性悪伯爵だから、レクイエムも匿名で依頼したのだった。
 伯爵はこの年に妻を亡くした。その追悼ミサのためにレクイエムを注文し、自分の作品として演奏させるつもりだったようである。これじゃあ妻も浮かばれまい……

 モーツァルトはレクイエムを完成させることなく亡くなった。
 妻のコンスタンツェはモーツァルトの構想を理解していたジュスマイヤーに完成を託した、と言われていたが、どうやらそれはウソらしい(以下の話は、石井宏著「帝王から音楽マフィアまで」(学研M文庫)に詳しく書かれている)。
 というのも、最初に完成させるように依頼されたのはヨーゼフ・アイブラーという人物であったからだ。しかも、なぜかアイブラーは途中で筆を投げ出し、筆跡からさらに複数の人物が手がけたようだが、結局完成されなかった。なんとか報酬を手に入れたいコンスタンツェが最後に依頼したのが、モーツァルトの弟子とされていたフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーだったのである。
 なぜ、コンスタンツェは初めからジュスマイヤーに依頼しなかったのか?あるいは、なぜ最初からジュスマイヤーは師の作品の補筆を買って出なかったのか?そこには、微妙な心理が働いていたようだ。

 死の前年の1790年、モーツァルトは9月22日にフランクフルトに向けて旅に出た。経済的に苦しい生活を解消するため、一発当てて稼ごうというわけである。しかし結果は悲惨。そしてウィーンに戻ったのは11月10日であった。その間にコンスタンツェは妊娠した。まぁ、おかしいじゃない?日にちが合わないわ!

 コンスタンツェが出産したのは7月26日。
 モーツァルトはその子にフランツ・クサヴァー・モーツァルトと名づけた。モーツァルトはフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーを父親と認めたわけである。
 モーツァルトの死後、コンスタンツェが負い目を感じたのか、あるいはジュスマイヤーがモーツァルトに敵対的な感情を持っていたのか、それは解らないが、2人が微妙な感情にかられたのは間違いないだろう。だからこそ、ジュスマイヤ3dcc73c5.jpg ーがすぐに師の作品に手を付けることがなかったのだと思う。
 モーツァルトの実の子供は音楽家にならなかったが、フランツ・クサヴァー・モーツァルトはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世を名乗って音楽家として活動した(1844没)。

 CDはいろいろな名演があるし、ジュスマイヤー版以外による演奏も出ているが、ここではベームが1971年に録音した演奏をご紹介しておく(ジュスマイヤー版)。
 ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団連盟、マティス(S)、ハマリ(A)、オフマン(T)、リーダーブッシュ(Bs)、リーゼンベック(org)という布陣。グラモフォンUCCG3353。タワーレコードで1,800円。

 私はモーツァルトの楽曲は断然ピリオド演奏が良く感じるのに、レクイエムに関してはモダン演奏が好きである。そんな私って、変ですか?

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