読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行したものです。 現在は“新・読後充実度 84ppm のお話”としてちょくちょく更新しています。右下の入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

December 2008

またまた「仮面舞踏会」の話

 大晦日である。
 権威ある方が間違ってこのブログを目にし、「だいまいにち」と読んだら気の毒なので、ひらがなでも書いておくが「おおみそか」である。

 ここ数日、新聞のページ数がずいぶんと減った。薄くなった。
 元旦号の厚さのために紙を節約しているのだろうが、それにしても例年よりは薄いかも知れない。きっと不景気で広告の出稿が減っているのだろう。だから薄くても済む。それでも記事はちゃんと載せられるのだ。

 テレビも時間の埋め合わせっていう番組が目立つ。
 NHKなんて今朝の7時のニュースのあとは、昨夜7時に流した番組の再放送だ。
 Tvh(テレビ東京系)にいたっては、朝の7時から「宮様チャリティー・ボウリング」。宮様がどうのこうのケチをつける気はまったくないが、なぜ朝からボウリングなんだろうと、実に奇妙な印象を抱いてしまう。その不思議さは「なんでダイワハウスなんだ?」以上だ。
 それとも、年末とはまったく関係ない出来事であって、毎週水曜日の朝は「宮様チャリティー・ボウリング」を放送しているのだろうか?だとしたら、大晦日であろうと自信を持ってレギュラー番組を頑なに放送する姿勢は賞賛すべきことかもしれない。

 どっちにしろ、今日も変わらないのは、雪が舞っているってことだけ。
 今日も雪かきを、少なくとも1回はしなくてはならない。
 て書いていると、急に雪が大粒になってしまった。雪雲は他人のパソコンに侵入し、情報を盗めるのかいな?って、バカか?こいつ!(←私のことですから……)

dbb3d1b2.jpg  さて、先日フィギュアの浅田真央が演技で用いていたハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」について書いたが、もう1種類CDを紹介しておきたいと思った次第の所存を新たにした気持ちであります。

 それはアンドレ・アニャチャノフ指揮サンクト・ペテルスブルク国立交響楽団による演奏で、ナクソスの8.550802(1993-94年録音)。
 これまで紹介したコンドラシンや作曲者自身の指揮による演奏に比べると重厚さには欠け、「踊っちゃおうじゃん」みたいな軽いノリだが、録音のせいもあって先の2枚では聴こえなかった細かな音も聴こえてくるのが楽しい。タワー・レコードのネット通販で販売中↓。1,190円(何年か前まではナクソスっていえば1,000円もしない、廉価盤の代表格だったのに、いまは割安感が薄れてしまったのが残念である)。
 このCDは2枚分売の「スパルタクス組曲」の2枚目にあたるため、「仮面舞踏会」のほかに「スパルタクス」組曲第4番が収められているほか、ほとんど耳にすることがないバレエ音楽「サーカス」、「ダンス組曲」も収録されている。
 それにしても“帯”に書かれているコピーが笑える。
 「民族音楽を芸術音楽に昇華した作曲者の面目躍如たる珍曲集」ときた。
 「面目躍如たる珍曲集」って、わかるような、けど変な褒め言葉だ。

 ⇒ Khachaturian: Spartacus Suites 1-3 / Anichanov
 ⇒ Khachaturian: Spartacus Suite, etc / Anichanov, Yablonsky

 
 さて、今年1年、このブログを訪問してくださった方々、ありがとうございました。
 感謝ついでに、画面左上のブログ投票のクリックもお忘れないよう、よろしくお願いします。

 良いお年を!

 コンドラシン盤はこちら↓
ハチャトゥリアン:仮面舞踏会&カバレフスキー:道化師


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大掃除でケガしちゃったドルフィンちゃん

 今日もまた雪が降ってきた。
 私は今日も仕事である。
 でも、通勤の電車はガラガラ。こういうのって、とってもいいなぁ。
 でも、雪はやんで欲しいなぁ。

 先週の金曜日はひどい天気で通勤電車が遅れ、通勤にちょっとした傷心旅行並みの時間がかかったことはすでに書いたが、土日も天気は開腹せず、ほとんど吹雪といった感じの状態が続いた。外で雪かきをしていても時折周囲が見えなくなるほどの降りと風。「やれやれ、やってらんねぇよ」とつぶやいている間にも、雪かきした場所にもう雪が積もっている。これだけからも、雪山の遭難の恐ろしさが察せられる。
 清水脩の合唱組曲「山に祈る」の「お母さん、ごめんなさい」を頭の中で歌いながら、いやいや作業を終えた(「赤いサラファン」だの「山に祈る」だの、雪かきは私の「歌いたい」欲求を刺激するのだろうか?もう少し明るい歌、例えば「カリンカ」なんかが思い浮かべば、雪かき作業のスピード・アップにもつながるかもしれない。けど「カリンカ」も明るい曲とは言い切れないか……)。

 そんなわけで、土日は外で雪かきをし、それから家の中で大掃除の一端を担い(といっても、私以外の人物が本格的に掃除していた形跡はない。つまり一端ではなく、私が主役だ)、また外に出て雪かきをし、再び家の中に戻り換気扇の掃除をしていたら羽でグサッという音と怪音とともに指先を切り(本当に音がしたのだ。けど、幻聴だったかもしれない)、またまた外に出て、とはいえ深い傷を負ったのでもはや肉体労働はできず、ウチの裏の空き地に近所の住民が雪をどれぐらい捨てにきて、かつ押し付けてきているか確認し(空き地だから雪を捨てるのは自由なのだが、ウチにギリギリまで押し付けられると、これから先、雪がもっと積もると暖房機の排気口を塞いでしまう恐れがある)、「チクショー!ロシア軍はもうけっこう侵攻して来ている」と重い気分になりながら、やっぱり家に入り、という水族館のイルカショーの主役のドルフィンちゃん並みに、飽きもせずにリピーター的なあわただしい日々(土日だから「日々」)を過ごした(長いセンテンスで失礼!)。

 これで読者は推測できると思うが、結局、土曜日の札響の第9公演には行かなかった。私のように天候判断を誤らずに聴きに行くのを断念した人は少なくないと思う。実際、客の入りはどうだったのだろう?(なんて、心配していたら、札幌中心部はそんなにひどい天気ではなかったらしい)

 ♪

 話はがらっと変わるが、先日の忘年会で23時ころに帰宅したとき、家の近くでふと空を見上げると、それはそれは星がきれいであった。かすかに“すばる”も見えた。
 多趣味というか多方面に興味をもつ癖(へき)のある私は、小学6年のときに天体望遠鏡で“すばる”をこの目で実際に見たとき、その美しさにすっかりまいってしまった。
 何年か前に「あの感動をもう一度」と、天体望遠鏡を買ったのだが、すっかり目が弱くなったのと、空も光害で明るくなったために、目的の天体に望遠鏡を合わせられなくなってしまった(自動的に座標で目的の天体に照準を合わせられる機種もあるが、もう一つの重要な「寒さに耐えられない」という問題は解決しない)。

 “すばる”とはプレヤデス(プレイアデス)星団のことで、星団・星雲番号ではM45である(ウルトラマンたちの故郷はM78星雲)。太陽系からは415光年の距離にある、まだ若い星の集団。レガシーでおなじみのスバルのマークもこの星団がデザインされている。英語ではセブン・スターズというらしい。私がスバルの車に乗っていて、セブンスターを吸っているのは、まったくの偶然である。

b6e00d9b.jpg  掲載した写真は「県立ぐんま天文台」のサイトにあったものだが、小学生のとき安物の望遠鏡を覗いたときは、まさにこのような輝きが目に飛び込んできたのだ。感動しないほうが不思議じゃないだろうか?
 参考までにプレヤデスの位置だが、オリオン座の明るい3つの星を結んだ直線の延長上にある。細かな粒々がキラキラとにじむように光っているが、空がきれいで周囲も明るくない場合以外は、よく目をこらさないと見つけられない(昔、ある天体望遠鏡メーカーが天文雑誌の広告で「公害、光害で、郊外へ」というのを載せていたが、それがやけに印象に残っている)。

 この星団の名がついた作品に、吉松隆(1953- )の「プレイアデス舞曲集」というピアノ曲がある。第9集まであり、それぞれが7曲の魅力的な小曲からなる。

 作曲者はこう述べている。

 《「プレイアデス(Pleiades)」は、牡牛座の肩あたりに位置する7つほどの星からなる小さな星団で、和名は「すばる」。
 この星たちの名に因んだ「プレイアデス舞曲集」は、虹の7つの色、いろいろな旋法の7つの音、様々に変化する7色のリズム、を素材にした「現代ピアノのための新しい形をした前奏曲集」への試み。
 バッハのインヴェンションあたりを偏光プリズムを通して現代に投影した練習曲集でもあり、古代から未来に至る幻想四次空間の架空舞曲を採譜した楽曲集でもあり、点と線だけで出来た最小の舞踊組曲でもある。》

 それぞれの曲につけられたタイトルが、また素敵だ。
 「アップル・シード・ダンス」「図式的なインヴェンション」「聖歌の聞こえる間奏曲」「過去形のロマンス」「静かなる雨の雅歌」「傾いた哀歌」「静止した夢のパヴァーヌ」「水晶の小さなロマンス」「星降る夜の子守歌」etc.etc……(吉松さんはサティの音楽作品の変わったタイトルをちょっぴり意識したのかしらん?)
 もちろん曲のどれもがタイトルに負けないすばらしさ!

fdcc903b.jpg  作曲年は、
 第Ⅰ集Op.27  1986年
 第Ⅱ集Op.28  1987年
 第Ⅲ集Op.35  1988年
 第Ⅳ集Op.50  1992年
 第Ⅴ集Op.51  1992年
 第Ⅵ集Op.71  1998年
 第Ⅶ集Op.76  1999年
 第Ⅷ集Op.78a  2000年
 第Ⅸ集Op.85  2001年、である。

 CDは田部京子が弾いたものがある。
 第Ⅰ~Ⅴ集を収めたものがDENONのCOCO80115(1996年録音)。
 ⇒ 吉松隆:プレイアデス舞曲集(全35曲)@田部京子(p)

 第Ⅵ~Ⅸ集を収めたものが同じくCOCQ83546(2001年録音)である。
 ⇒ 吉松隆:プレイアデス舞曲集2
 
 なお、楽譜は音楽之友社から出版されている。 ⇒ プレイアデス舞曲集

 ♪

 そうそう、今日、街なかのATMでお金をおろしてその場を去ろうとしたら、3台隣のATMがうめき声のような警告音を発していた。
 何かなと思ってみると、誰かがおろした現金が取り忘れられてそのまま残っているのだ。一瞬耳元で悪魔がささやいたが、いかんいかん。で、周りをみると、ちょっと離れたところで通帳の中身を目を凝らして読んでいる女性がいた。彼女が取り忘れたようだ。私の近くにいた世話好きそうな女性が「取り忘れてますよ!」と声をかけ、通帳愛読女性はわれに返った。
 こういうことってあるんだなぁ。
 通帳の記載内容をチェックする前に、まずは現金を取らにゃあ!
 危うく彼女は暗い正月を過ごすハメに、そして私は泥棒になるハメになるところだった。

 でも、ああいう警告音が出るなんて、はじめて知った。有意義だった。

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安藤美姫 on サン=サーンス

8c436a16.jpg  またフィギュアで使われていた音楽の話。
 安藤美姫が使っていたのはサン=サーンス(1835-1921)の交響曲第3番ハ短調Op.78である。あだ名は「オルガン付き」。まるで、おまけにオルガンが付いてきそうな名前である。

 この曲は2つの楽章からできているが、各楽章がさらに2つの部分に分かれているため、実質は4楽章構成と同じようになっている。
 主に安藤美姫が演技で使っていたのは第1楽章の前半。
 悪の手下が忍び寄って来るときのテーマのような音楽で、華やかなフィギュアには何となくそぐわない気もする。しかし、この旋律が交響曲全体を支配・統一しており、安藤も演技の終りにはこの曲のフィナーレを使っていた(「名曲アルバム」も9466ad2e.jpg 絶句するような強引なカット&ペースト)。もっとも、それが同じ旋律をもとにしているなんて、ミキちゃんは気づいていないだろうけど。

 この曲の名盤としては、ミュンシュ/ボストン響のものが有名(1959録音。写真上)。
 私もLP時代から、「サン=サーンスの第3」=「ミュンシュ」で親しんできた。いまでも、やっぱ名演だねぇ、とまる子みたいにつぶやいてしまうが、当時の録音ではこの曲をとらえるのはかなり苦しかったらしく、重厚な響きに聴こえるのは実は少なからず歪みだったりする。<

 私がLPからCDに移行したとき、最初に買ったCDもこの曲であった。オーマンディ/フィラデルフィア管のもの(1980録音。写真中)。「CDはすご f0a4f34a.jpg いんだぞ」的音響であるが、どうにも感動のようなものが心に響いて来ない。オーマンディっぽいといえば、そうだけど↓。
⇒ Saint-Saens: Symphony No.3 ''Organ'' / Eugene Ormandy, Philadelphia Orchestra, Michael Murray

 いま、私がいちばんいいかな、って思っているのはチョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ管のもの。1991年録音。グラモフォンのUCCG9453(写真下)。

 ところで、私は何回かこの曲を生で聴いているが、実際にパイプ・オルガンを使った演奏を聴いたことがない(電子オルガン使用)。来月の札響定期では、初めてパイプ・オルガンでの演奏を聴くことができる。楽しみぃ~。
 電子オルガン使用といっても、過去に聴いたものもなかなかよかった。カラヤンみたいなことするくらいなら、電子オルガンのほうがずっとずっと正統的。

 カラヤンがレコーディングでオルガンだけ別どりしたっていうのは有名な話だけど、ラーメン屋のラーメンとインスタント・ラーメンが似て非なるものであるように、いくらCDとはいえ、それはもはや「交響曲第3番」ではないような気がする。

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“黒い瞳”の鈴木明子

 昨日の女子フィギュアの全日本選手権。

 前日トップの中野友加里に、たまには優勝させてあげたいものだとも思ったが、あらあら残念というか、やっぱりな、という感じで後退してしまった。
 私は別にフィギュアのファンではないし(ちゃんとTV放送を見たのは昨日が初めてだったほど)、中野友加里のファンでもないが、いつもいいところまでは行くが1位になれない彼女に、たまには勝ってもらいたいと思ったのだ。彼女は性格が悪そうだと言う人もいるが、それがどうした?彼女の性格が悪くたって私の人生には何の影響もないのだ。私の人生に悪影響を与える性格の持ち主は、そこらへんに掃いて捨てるほどたくさんいるのだ。

 安藤は村主に練習中体当たりされちゃって、彼女もツキがいま一つないんだなぁ、と思ってしまった。安藤が使っていたサン=サーンスの第3交響曲の、それも第1楽章って、踊るには不向きだと思うし。
 さて、その村主であるが、私は彼女を見ていると自分の幸せが失われていくような気がして(もともと幸せではないが)、なんとなく苦手である。ほかに同じような傾向を感じる人としては陸上の土佐礼子がいるが、あくまでも私個人がそう感じるだけの話。
 私が好きな顔は武田選手。健康優良なギャル曽根みたいで、観ていて満腹、いや幸福になる。

84414980.jpg    さて、昨日観たなかでは鈴木明子がエキサイティンぐぅ~と思った。
 使っていたのはロシア民謡の「黒い瞳」。
 今日のタイトルは「鈴木明子の瞳は黒かった」という、青い目の異人さんの驚嘆の声のような意味ではないし、「黒木瞳が鈴木明子を演じた」ということを書こうとしたのに誤植してしまったわけでもない。

 ここで訂正。
 昨日紹介した本を「ロシア民謡アルバム」と書いたが、これこそ誤植(誤入力というべきだけど)。正しくは「ロシヤ民謡アルバム」でした。なんとなく「やれやれ」。

 鈴木が使っていた「黒い瞳」は、「うるわしき黒い目よ 燃え立てる君が目よ」とはじまる、激しい恋心を歌うもの。「優麗な瞳」と訳される場合もある。英名はDark Eyes。この歌は「ロシ民謡アルバム」には収録されていない。
 「黒い瞳」というロシア民謡にはもう1つあって、そちらのほうは「ロシ民謡アルバム」にも載っているのだが、逆に録音は少ない。そちらの曲は「黒い瞳の」と呼ばれることもあり、私は中学の時に音楽の授業でこれを歌わされた記憶がある。恋した女性の気持ちを表した、短いがひどく暗い曲である。「黒い瞳の若者が 私の心をとりこにした」(これが1番の歌詞)で始まるが、最後の5番の「私の秘め事 父様に 告げ口する人誰もいない」という歌詞がなんとも素敵!

 さて、鈴木明子の方の「黒い瞳」は有名曲なので、昨日紹介したダーク・ダックスのCDにも収められているが、ほかにここでは2枚ご紹介しておく。
 1つはアリアドナ・リュバコヴァ指揮パトリアーチャル・コアの合唱による「ロシア民謡集」(写真上。ナクソス8.550781)、もう1つは写真下の「赤軍合唱団ロシア名曲集」で、ヴィクター・フェドロフ指揮の赤軍合唱団による演奏である。こちらもナクソスで8.553154である。
 ともにタワー・レコードのネット通販で取扱中。
 ⇒ Russian Folk Songs / Rybakova, Patriarch Choir
 ⇒ Red Army Choir - Volga Boatmen's Song and other favourites

 浅田真央もロシア(ソ連)の作曲家・ハチャトゥリアンの曲を使っていたが、フィギュアという競技であるから、コーチ陣にもロシア人が多く、そのためにロシア音楽が使われることが陰謀のように多くなっているのだろう。というのは勝手な思いつきだが……

 ♪

 先日ご紹介した「超すきまノズル」を使って、細かな場所を掃除してみた。
 う~ん、なかなか快適だが、過度の期待もしないほうがよい。
 で、注意すべきことは、説明書きに書かれているように、掃除機を連続運転しないこと。私はついつい調子にのって、1分以上連続して使っていたら、掃除機からいやぁ~な臭いが。
 タミヤの戦車のプラモデル「チーフティーン」を無理やり雪の中で走らせた、中学の時の記憶がよみがえった。そう、あのときマブチモーターが放っていた臭いと同じだ。掃除機のモーターが焼けつきかけたようだ。
 くれぐれも節度あるご使用を!

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「赤いサラファン」を歌いながら現実的雪かき

02475499.jpg  昨日は降ったぁ~。すっごく降ったぁ~。
 雪のことである。
 風も強かったぁ~。
 要は吹雪模様だったのである。
 そのすごさはすでにニュースなどでご存知だと思うが(何気なく北海道以外の方を意識しながら記述中)、私もいつもなら30分ほど電車に乗って通勤しているところが、昨日は80分も乗らされていた。
 途中のどこかで線路のポイント切り替えができなくなり(一挙に雪が降るので、雪が詰まってしまうのだ)、電車がストップ。ポイントが復旧したら、停まっていた電車がいっせいに「いざ、鎌倉」よろしく、「いざ、札幌へ」となるわけだから、先づまり状態。天気の悪さも加わって徐行運転。+フンづまり。トロトロ動いたかと思ったら停まり。停まったかと思ったら、ずっと停まり……。そんなわけで80分も乗り続けてしまった。
7cd19bac.jpg  これは自然現象による遅れだからしょうがない(「大雪による“ポイントふてん”のため、一時停車しています」というアナウンスがあったが、「ふてん」って「不転」ということだろうか?こういうときは分かりやすく言って欲しい)。しかし、乗車前に遅れてなかなか来ない電車をホームで待っていてすっかり体が冷え切った上、乗ってからは飛行機なら千歳・羽田間に匹敵する時間を車内で過ごした私は、別な意味の自然現象、つまり刻々と強くなる尿意との戦いにも苦悶した。あー、辛かった。

 ところで、朝起きると予想以上の積雪。しかも重い雪。
 外へ出ると、まだ市の除雪も入っていない。
 新聞配達のオジサンは、雪深い道を原付で進もうとしているの だが、雪に阻まれ原付ダンス・ショーみたいな有様。大変だなぁ。
 市の除雪車が入っていないので、私は玄関ポーチから道路までアプローチの雪を道路の方まで運んだ。こうすれば敷地内の雪も、少しは除雪車が持って行ってくれる。
 すでに除雪車の轟音が聞こえているから、経験からすれば20分くらいのうちにこちらの方にやってくる。急いでやり遂げなくては……
 ということで、はっちゃきになってやった(その急激な運動のせいで、すっかり息が上がってしまい、朝ごはんを満足に食べられなかったほどだ)。

 その間、頭の中に流れていた、というか、頭の中で私が歌っていたのはロシア民謡の「赤いサラファン」であった。「えいこーらぁ、えいこーらぁ」の歌詞で知られる「ヴォルガの舟歌」の方が合いそうなのだが、なぜか「赤いサラファン」であった。

 「赤いサラファン」を初めて聴いたのは、1981年2月のことであ ったab6de281.jpg(A.スヴェシニコフ指揮国立アカデミー・ロシア合唱団の演奏)。
 たまたまFM放送でロシア民謡をまとめて放送したのを録音したのだが、「ロシア民謡っていいなぁ」というのが率直な感想(民謡はクラシックの番組で流されることが多いのに、なぜか日本民謡は取り上げられない。取り上げなくてもいいけど)。この年の4月から大学に通うようになった私だが、大学のサークルなどではコンパのときなど、そのときでもいまだロシア民謡が何曲か歌われているのにさらに驚いた(サークルはすぐやめた。私は集団活動に不向きなのだ)。
 戦後、歌声運動みたいなものがあって、そこではロシア民謡などが盛んに歌われたという。その名残だったのだろう。その証拠に(?)、FM放送を聴いた後、たいして大きくない書店で写真の「ロシア民謡アルバム」(音楽之友社刊)を見つけたくらいだから、その余波は残っていたと思われる。
 私が持っている「赤いサラファン」を含むダーク・3a5d6c00.jpgダックスのロシア民謡のCDにも、「我が青春譜」という副題がついているし、東海林さだおのイラストも「昔の学生」である。歌声運動が起こった事情について、そのうちじっくりと調べてみたい(何となく感づいてはいるけど)。

 「赤いサラファン」はロシア民謡といっても、A.E.ワルラモフ(1801-1848)というロシアの宮廷礼拝堂の歌手が書きのこした歌曲で、1833年に出版された。掲載した楽譜(出典は前述の「ロシア民謡アルバム」)で歌詞がおわかりのように、サラファンという衣装を刺繍している母親が、娘に自分が若かりし頃の思い出を語っている内容である。まあ、つまりは雪かきとは関係ないということだ(そういえば、村上春樹が「ダンス・ダンス・ダンス」で使っていた「文化的雪かき」って良い言葉だと思う)。

3db8bb7a.jpg  ところで、私の現実的雪かきは、市の除雪車が来る前に無事終わり、敷地内の雪は道路際に積み上げられた。その少し後に除雪車が持って(半分は壁のように残して)行った。
 でも、大丈夫。除雪車が残していった最も厄介な固い壁のような雪は、個人的に契約している民間の除雪会社が持って行ってくれる。市の除雪車が入った後にやってきて、残していったものを小型のブルでさらに除雪してくれるのだ。これは便利。お金に代えられない価値がある(とはいえ、契約時の支払いにマスター・カードは使えない)。

 ロシア民謡といえば、小学生の時に大流行した歌がある。歌謡曲としてベスト10入りしていた。「ポーリュシカ・ポーレ」。歌っていたのは仲雅美。内容は原曲とは変えられていたと思うが、いい曲だなと思った。そのころはてっきりオリジナル曲だと思ったけど。
 ちなみに紛らわしいけど、「涅槃で待つ」って書き遺して自殺したのは沖正也です。

 ダークダックス(ああいう時代背景があったから、いまではすっかりすたれた男性四重唱グループがいくつも活躍していたんだろう)のCDはキング・レコードのKICX7021。このCDは現在廃盤だが、ダーク・ダックスの同じようなロシア民謡集がキングからKICW8824として出ている。タワー・レコードの通販に在庫あり。2,500円。
 ⇒ LP時代 ダークダックスのロシア民謡ハイライツ

 私としてはダーク・ダックスに執着する何ものもないし、特に「赤いサラファン」は女声の方がフィットするが、せっかくだからご紹介しておく。

 昨日ほどではないが、今日も悪天候。
 今日は札響の第9公演の日。昨日までは行ってみようかなとも思っていたが、70分の曲を聴いた後、帰りの電車に80分缶詰になったらいやだし、なんとなくすっかり行くのが面倒になってしまった。
 あぁ、怠惰……

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待望の掃除機便利グッズ

2a136137.jpg  かねてより「こんなものがあれば便利なのに」と思っていたものがある。
 掃除機のホースの先につけて、ごく小さな隙間まで入るような「管」である。イメージとしては、胃カメラみたいな掃除機用のホースである。

 なぜそんなものが必要なのか?

 例えばトイレの換気扇。
 我が家のトイレの換気扇は常時換気用の小さなもので、羽根とモーターが一体となっている。ビスをはずして壁から取り外そうとしても、中で直接電線がつながっているので、本体を引っ張り出して「よっこいしょ」っと腰を据えてキレイキレイしてやることは無理である。
 天井近くにある換気扇の羽を掃除するのは大変である。歯ブラシで羽にこびりついたゴミをこすりながら、奥(つまり換気扇よりも外壁側)にゴミがいかないよう掃除機のホースを当てる。そうでなければ羽より外側にゴミがたまっていくだけだ。これは重労働だ。片手には掃除機本体をぶら下げながらの作業になるからで、歯科のベッドに横たわっている患者のよだれをバキュームするのとは違うのだ。踏み台代わりの椅子に乗って作業になるから危険でもある。

 あるいは、セントラル・ヒーティングのパネル。
 細かなひだのなかには埃がたくさんたまっている。よくはわからないが、埃がたまると暖房効率も悪くなるような気がする。
 このラジエターみたいな迷宮の掃除にいちばん効果的なのは、パソコンのキーボードの掃除などに使うエアダスターだが、あれを噴霧すると部屋中に埃が舞い、かなりの健常者でも(例えば妻)くしゃみが止まらなくなる。

 こういった狭いところに直接差し込めるような、掃除機ホースのアタッチメントがあれば、この世の中、かなりハッピーになれるのにと、ずーぅっと思っていた。
 自作することも考えた。サランラップの筒を円錐状に加工して、片側を掃除機のホースにはめる。反対側の円錐型の先には細いビニール・ホースをつける。そのビニール・ホースをこういった秘境のようなところに差し込んで、ゴミや埃をチューチュー吸い取るのだ。これなら、ボイラーやCDラックの下、テレビ台の下、本棚など、あらゆる細かなところに効力を発揮できそうだ。
 しかし、私はサランラップの芯の筒を自由に加工できるほど力がないし、何よりも面倒くさい。ということで、このすばらしいアイデアは頭の中にしまったままでいた。

 そんなとき、新聞に画期的なアイデア商品が紹介された。
 その商品は、率直に言えば、私が考えていたものをそのまま具現化したかのようなものであった。
 名前がすばらしい。「超すきまノズル」。いかなる疑念を抱くことも許さない妥協や妄想を排するネーミングである。どう考えてもこの名前から、ICチップの回路クリーニング専用品とは思う幼児はいないだろう。

 掃除機に負荷がかからないよう、空気抜きの穴もついているし、さらには連続して1分以上は使わないよう細かな指示がなされているのも、この殺伐とした世相には珍しい親切さだ(空気穴を開けておけば連続運転しても良いらしい)。
 ヘッド(というかチューブ)も3種類用意されていて、掃除したい場所に応じてちょっぴり悩めるのも楽しい。車の掃除にも便利そうだ。

 私は東急ハンズで購入したが、ファンケルのネット通販でも扱っているようだ。
 製造元は大阪の株式会社コジット。
 ホームページはhttp://www.cogit.co.jp

 何?通販なら年末の大掃除に間に合わない?
 だめだめ。大掃除は年末にするという既成概念を打破しなくては!

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SEIYUへのオマージュ

 北海道新聞の12月23日付(つまり天皇誕生日)の朝刊。

 西友がカラーの全面広告を出している。

 ぼんやりと見てるぶんには、単なるスーパーの広告だが、これは西友の販売戦略の大転換を訴えているのではないだろうか?

 「KY(カカク ヤスク)でいこう!」という、しょうもないコピーはともかくとして、その下には「時代の空気を読んで、徹底的に『価格』を『安く』」とある。これだけでも、従来のどちらかといえば、おすまし型志向であった西友のありかたとは違っているが、まあ不況で苦しむ消費者への応援セールという点では、もう目新しくはない。

 問題は大きく書かれているキャッチ。
 「めざすのは地域でいちばん安いお店」
 おいおい、西友が、あの西友が「地域でいちばん安い店」を目指すだって?

 その説明書き。
 「わたしたちは、暮らしに欠かせない品々から、徹底的にお安くします。つねに、1円でも価格を引き下げる努力を続け、日々の節約をお手伝いしていきます。これからも、西友にそうぞご期待ください」
 「これからも」って、いままでの西友はどこか落ちぶれながらも貴公子的なところがあって、それはそれで高級感を求める人には人気があったんだろうけど、価格も高めでいつもガラガラ。だから「これまでは」価格面では期待はしてなかった。無印を見に行くくらい(西友のPBの靴だと思うが、「Clothing」というブランドは安いけど)。

 さらに、
 「うれしい価格が毎日つづく!それが西友の「毎日お買得」
 「『冷凍食品』も毎日安い!もうチラシや日替わりセールを待たなくていいんです」

 「そして、さらに安さのお約束…」ということで、「当店表示価格より安い価格の他店のチラシ広告がございましたらお持ちください。その広告価格でご提供させていただきます」ときた。

 こうなったら、かつてのダイエーどころか、生鮮市場(ローカルですまない)や北海市場(まったく申し訳ない)も通り越して、ビックカメラなみだ。
 まあ、客にチラシ・チェックさせないで、自分たちで他店より安いかどうかきちんとチェックしてくださいな、と言いたくなるが……

 これが本気で長続きさせるつもりなら、もうかつての「SEIYU」ではない。「せいゆー」(毛筆書体が望ましい)だ。
 ちょっと楽しみである。イオンの一人勝ちも嫌だしね。

 私はかつてずっと、札幌は西野に住んでいた。
 カスタム・パルコがオープンしたときに衝撃を受け、当時は珍しかったパン専門店のウィンキーができた時にはワクワクし、この街の無限の発展を信じたものだ。
 そして昭和51年の西友西野店の開店は、そのクライマックスであった。
 こんなに華やかなショッピングセンターがあるのか、と感嘆した。
 この影響で近くにあったホクレン・マーケット西野店はシャッターを下ろし、札幌市民生協(いまのコープさっぽろ)西野店は大幅に客が減った。
 その後、西友西野店は西町店として新築移転、コープさっぽろ西野店も旧店舗の横に新築移転(旧店舗はペットショップになっている)したが、現在では生協の方が西友よりも客の入りがいいようだ。
 こんなわけで、私には西友に特別な思い入れがある。
 清田店がオープンした時は、バイトで売り子として働いた。すごい客の入りだった。そして、あの大食中毒事件の被害者に、私もなった。今年、20年以上ぶりに清田店に立ち寄ったが、あの栄華はなんだったんだろうというさびれ方であった。
 ちなみに、ウィンキーのあとにはマンボウが入り、そのマンボウは現在地に移転。いまは何が入っているのかしらない。カスタムパルコのあとはパチンコ屋になっている。
 とにかく、西友よ、息を吹き返せ!

 ♪

f5d70ffe.jpg  セキュリティ・ソフトを購入した。
 SOURCENEXTの「ZERO」である。ビックカメラで4,980円(定価じゃないかっ!なんでネットショップの方が安いんだ?いまさら気付いても遅いが)。ソフトはUSBに入っているので、扱いもひじょうに便利。

 いま使っているパソコンには、当たり前のように90日間のウイルス対策ソフト無料体験版が入っていて、私はNortonを選択していた。
 最近になって「あと13日です」「あと12日です」と、やたらメッセージが出てきてうるさい。しかも「今すぐ購入」ってボタンが出てくるのが、ひじょうに押し付けがましい。悪徳アダルトサイトへの勧誘みたいだ。
 それが気に入らないから、絶対Nortonは買うまいと心に決めた。
 安くて、軽くて、3台までインストールができ、更新料がかからないという「ZERO」にした。評判もいいらしい。パッケージには「第1位」と書いてある。自分でそう主張しているのだから、何よりも信頼できる情報だ(ということにしたい)。
 まだインストールしたばかりで、Nortonと比較しての軽さや速さは実感していないが、Nortonをアンインストールしただけでも、私は十分に心が軽くなった。

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浅田真央が舞う「仮面舞踏会」

74beca5d.jpg  子供ぽかった浅田真央も、いまやすっかりお嬢さん。
 なんて書くと、スケベ親父のスケベ独白のように聞こえるが、私の狙いはそんなもんじゃない。じゃなかった、私が言いたいのはそういう方面のことではない。

 いま浅田真央が演技で使っている音楽のことである。
 アナウンサーは「仮面舞踏会」と当たり前のように言っているが、本当に当たり前のように知っているのだろうか?
 という私は、実はちゃんと浅田真央の演技の放送を観ているわけじゃないので、それまた偉そうなことは言えないけど……

 独立した音楽作品で「仮面舞踏会」という名がついているものは、私が知っている限り7曲ある(すべて聴いたことがあるかというと、答えはNon!である)。
 列記してみると、
 ・ ヴェルディ(1813-1901)の歌劇「仮面舞踏会」(1859初演)
 ・ グラズノフ(1865-1936)の付随音楽「仮面舞踏会」(1913)
 ・ ニールセン(1865-1931)の歌劇「仮面舞踏会」(1906初演)
 ・ パーシケッティ(1915-87)の「仮面舞踏会」Op.102(1965)(吹奏楽曲)
 ・ ハチャトゥリアン(1903-78)の付随音楽「仮面舞踏会」(1941)
 ・ ハルヴォルセン(1864-1935)の付随音楽「仮面舞踏会」(1922初演)
 ・ プーランク(1899-1963)の世俗カンタータ「仮面舞踏会」(1932)

 である。

 だから、「浅田真央が舞う『仮面舞踏会』」というアナウンスは、けっこう不親切である。別に音楽番組じゃないんだからいいじゃないかと言われれば、「はい、それまでよ!」であるが。

 それでもって、浅田真央が使っているのはハチャトゥリf60e001c.jpg アンの「仮面舞踏会」である。
 この作品については昨年11月10日の当ブログで詳しく書いているのでここではしつこく書かないが(しつこい人は嫌われるようだから)、この曲は劇付随音楽として書かれたが、現在は5曲から成る組曲として聴くことができる。
 昔、私がクラシックを聴き始めた35年前には、一応は「管弦楽の名曲」に入っていたが、時代とともに忘れられていった作品の一つだ(といっても、ディスクはコンドラシン盤くらいしか出ていなかった)。
 こんなにいい曲なのに、と思っていたら、何をとち狂ったのか(失礼!)、浅田真央が使ってくれたので、これで一気に名曲に返り咲き(してほしいものだ)。荒川静香のときには「誰も寝てはならぬ」が流行ったから、ハチャトゥリアン先生が「剣の舞」以外でも知られるチャンスが訪れたといってよい。

 現在もCDの種類は多いとは言えないが、それでも増えた。
 ちょっぴりほの暗いが、それがまた演歌好きの日本人の魂にしっくりいくような気がする。
 実際、浅田真央が使っているのは第1曲のワルツだが(ほかの部分も使っているのかも知れないが、私は通して演技を観たことがありませんのです)、なんとも陰鬱なワルツが快感でしょ?その出だしの部分のスコアを載せておきますの、ブンッ、チャッチャッ!(スコアは全音楽譜出版社から組曲版が出ている)。

 演奏はというと、やはり古いものの不動の地位、という感じでコンドラシン盤がいちばんに思うが、それは去年紹介したので今回は作曲者自身がモスクワ放送交響楽団を振ったものを。1969年の録音でコンドラシン盤の録音時期よりは新しいが、やっぱり音が強くなったときの濁りはある。しかし、作曲者はこういう演奏を考えていたんだということを知るにはいい(思ったとおり表現できているかどうかの確証はないが)。

 Russian DiskのRD CD 11 005(輸入盤)。
 カップリングとしてガウクがモスクワ放送響を振った、同じくハチャトゥリアンの交響曲第1番が収められている。

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今年も腑に落ちないまま越年だぁ

 おとといの日曜日は年賀状作成に時間を割いた。
 「年賀状なんてだいたいでいいや」と年々適当になっていくが、これは自分が潜在的に正月を歓迎していないのだ、と思い知らされるときでもある(年をとりたくない)。

 で、「筆王」で作ろうと思ったら、すっごく面倒というか、恐ろしいというか、厄介なことに気づいた。
 夏にパソコンを入れ換えたのだが、そのときに「正月まではまだまだ時間がある。一度住所録もきちんと更新しなくちゃならないから、今のデータはきれいさっぱりクリーンしましょ」と削除したことを思い出したのだ。

 やれ、
 やれやれ、
 やれやれやれ、

である。きれい好きな私の悲劇。

 それからが大変。
 昔買った「筆王」のソフトをインストール。XP時代に買ったものがVistaで動くかどうか一か八かやってみたら、動いた(でも年が明けたらアン・インストールしよう)。

 インストールは序の口。
 まずは基本作業である住所録作りから始めなきゃならないハメになった。
 しかも、その唯一の手がかりとなる、去年(厳密には今年)来た年賀状を探し出すのに1時間も要してしまった。その束はリビングボードの下の扉の中に入っている救急箱の裏側に落ちていたのである。

 やれ、
 やれやれ、
 やれやれやれ、
 やれやれやれやれ、

 である。

 しかも、束ねるためにかけていた輪ゴムが、手を触れたとたんに勢いなく息絶えるように切れて、私の美しい手の甲をはじいた。

 住所録の入力を終えるのに約1時間(意外と早く終わった。入力ミスだらけかもしれない)。
 そのときちょうど12時になったので昼食(といってもシーフード・ヌードル)。

 次は裏面デザインの作成。
 本当は宛て先に応じて、家族用、私用、妻用と裏面のデザインを変える予定だったのだが(前夜までは)、こうなってしまってはそんな贅沢は言ってられない。
 デザイン完成に45分。

 そして印刷。これがいちばん時間がかかる。
 もし途中で紙詰まりしたらどうしようという不安神経症ぎみな私は、どうしてもプリンターの前から離れられない。忍耐の時間だ。

 途中、カラー・インク・カートリッジの中身が無くなったために、2枚ほど色が悪くなったものの、今回は印刷ミスがゼロという優秀な成績。
 例年ならばハガキから大げさにはみ出しただの、表と裏のセッティングを間違えただの、ハガキの上下を勘違いしただのというトラブルがあるのだが、今年は完璧。すでに来るべき新年のツキを使い果たしてしまったかのようにも思える。

 刷り過ぎないように枚数をこまめに確認しながら(宛名印刷と交互にすると間違いがない)、作業を進めていったが、あと20枚というところで今度は「黒のインクがほとんど空だぜ」っていう警告メッセージが出て、本日の作業は終了(カラーインクは予備を買ってあった)。

 それにしても、インク・カートリッジっていうのはなぜ肝心なときに切れてしまうのだろうか?

 さらに、この残された20枚を使うと今回買ったハガキをすべて使い切ってしまうということに気づいた。
 これは由々しき事態だ。
 今回は150枚年賀ハガキを購入したのだが、子どもの分も含めそれで十分足りるはずだった(記憶に基づく。昨年何枚使ったかをきちんとメモしておいたのだが、そのメモをどこに書いたのかついぞ発見できなかった)。
 しかし、その150枚は使い切ってしまうことになり、予備はゼロ。 長男は2枚使うと言っていた(2枚って、いったい何なんだ?)。次男は35枚使うと言っていた。つまり、これだけで37枚不足である。さらに、家族用の予備のことを考えるとあと合計で50枚は必要である。

 ということで、だらけきったスェット姿から颯爽とした服装に着替えてコンビニに買いに行く。
 当初の分と合わせると都合200枚。
 毎年こんなに出していただろうか?
 しかも、今年はミス・プリントなし。さらに、自分の年齢に比例するように喪中のハガキも多い。なのに不足。

 腑に落ちない。

 ウチにはヤギさんが潜んでいるのだろうか?

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映像の編集=新たな事実の創出

4133d71d.jpg   森達也 著「王様は裸だと言った子供はその後どうなったか」(集英社新書)。

 タイトルに惹かれて買い、読み始めた時には私好みじゃないかなとも思ったのだがその失敗感は最初だ。なかなか考えさせられる「創作話」集だった。

 著者のことを私はまったく知らなかったのだが、映画監督でありドキュメンタリー作家なんですね、森さんって。

 本書は著者が太宰治が「お伽草紙」を執筆した手法を真似て書いたもの。つまり、太宰が古典作品を題材にして、そこに新しい解釈を加えて再構築していったのと同じように、著者も既成の物語に触発されて創作するという手法を試みたというのである。

 この中では第2話の「桃太郎」がいちばん個人的にはおもしろく、マスコミの怖さをあらためて考えさせられた。

 時代設定はもちろん現代。
 もう人間たちと無用な争いをすることをやめて久しい鬼が島の鬼たちは、自給自足で平和にくらしていた。そこに正義感の強い優秀なジャーナリストである桃太郎が取材に行く。桃太郎は、自分の使命は鬼たちの悪事を暴いて世間に伝えることと確信している。

 島に着いた桃太郎が最初に目にしたのは、浜辺でモリやヤスで魚を獲っていた鬼の子供たち。カメラを回しながら、桃太郎は「鬼の子供たちが魚を虐待している」と実況しながら子供たちのもとへ走っていく。驚いた鬼の子供たちはパニック状態になって逃げ出す。すると「やましいことがあるから逃げる」と声を吹きこむ。子供を助けにきた親オニも悪者に仕立て上げられ……

 こうやって鬼たちは極悪で存在してはならないものとして放送される。

 ひどい。
 自分と同じような境遇にいるオニに深く同情する。

 さらに感心(?)したのは、「報道の使命は報せることと悪を絶つことです。反抗する悪には、中学の卒業アルバムの顔写真と、ビデオ屋でレンタルしたビデオやDVDのリストを日本中に晒すという奥の手があります」という記述。
 著者が映画監督という映像に携わる人であるから、その恐ろしさには説得力がある。

 やれやれ……
 家の中にHなDVDを隠しておくなんて、とっても危険だな。

 全部で15話からなるこの本、第1刷が刊行されたのは昨年夏で、いまさら読んでいる私は遅れているのだろうが、まだの方にはぜひお薦めしたい。

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