読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行したものです。 現在は“新・読後充実度 84ppm のお話”としてちょくちょく更新しています。右下の入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

June 2011

突然片チャンネルに。いと悲し ♪Prokofiev/Sym3

 金曜日の朝、出勤時にいつものようにウォークマンを聴こうとしたら、片方の音が聴こえてこない。

 このようなときに考えられるのは、

 ① ヘッドフォンの片方のコードが断線した。
 ② ウォークマン本体の回路が故障した。
 ③ 私の耳が壊れた。

という、3点が考えられる。

 しかし、家を出る前には妻から望みもしないお小言を言われ、それは左右両方の耳に暴力的に侵入し、脳へと伝達され、しかも私は脳内で、それはとても嫌な思いだと判断までできたから③ということは考えられない。

 昨日まで何ともなかったのに、予兆もなく今朝になっていきなり片方の音(右側)が聴こえないということは、やはり本体の回路に故障が生じたのではないかという疑いが強い。コードの断線の場合は、聴こえたり聴こえなかったりという症状がだんだんとひどくなることが多いからだ。

 あぁ、買い直しか……
 そう思いつつも、コードのプラグ側をねちっこいおじさんの手つきのようにいじくりまわしてみると、おやおや右側も聴こえたり聴こえなくなったりする。
 なぁ~んだ。断線による接触不良だ。
 突然だけど、接触不良だ。

 こういうときは音楽を聴くのをやめればいいのだが(イライラするから)、私が他にできることと言えば、黙々と駅まで歩くことと、寡黙に電車のシートに座るしかないし、その日は本も持ち合わせていなかったので、やっぱり音楽を聴き続けることにした。
 それにしても、片チャンネルしか鳴らないのに、両耳にヘッドフォンをつけてしまうのはなぜだろう?

 よく知っている曲だと気になってしょうがないので、私にとってはあまりなじみのないプロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)の交響曲第3番ハ短調Op.44(1928)を聴いた(小澤征爾によるCDを持ってはいるが、ほとんど聴かないままになっている)。

b429f0b4.jpg  演奏はシャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。モソロフの「鉄工場」が収められている盤である。1991録音。原盤DECCA。

 プロコフィエフの交響曲第3番は1927年に完成した歌劇「炎の天使(L'ange de feu)」Op.37の楽想を一部用いている。
 この歌劇はパリで演奏会形式で上演され好評を博したものの、完全な形での上演のめどがたたないため、この歌劇の音楽による組曲を作ろうと考えたのだった。
 ところが、組曲化の作業のときにソナタ形式にふさわしいテーマがあることに気づき、交響曲として仕上げることにしたのだった。

 曲の出だしなんかは、モソロフじゃないが、鉄工場の内部の光景なんかを思い起こさせるもの。もともとプロコフィエフの音楽って鉄鋼的だけど……
 まっ、いずれにしろ、片耳でこの演奏を聴いたので、後日あらためて両耳でのシャイー盤の体験談について書くが(先日書いたように、この2枚組CDには1981年に振った同じ交響曲も収録されている)、私はこの曲、演奏に好印象をもった。

  プロコフィエフ: 交響曲第3番, 他

 この日の昼にビックカメラに行き、新しいヘッドフォンを買った。
 いやぁ、こんなにいろんな種類があるとは知らなかった。しかも、値段がピンキリ。

 出力音圧レベルだの、再生周波数帯域だの、まるでスピーカーを買うときのように吟味して、パナソニックの製品を手にしたが、結局レジに持って行ったのはSONY製。
 前にヘッドフォンを換えたときに音の違いにあらためて驚かされた私だが(そのときはウォークマンではなくてZEN-STONEという製品だった。ウォークマンにしてからは付属のヘッドフォンを使っていた)、今回もがらっと音が変わったのでびっくりした。

 考えてみれば、こういうのってオーディオの基本であるけど。
 昔、レコード・カートリッジを換えたり、ピンコードを換えてみたりしたもんなぁ……
 昨日書いたように、再生装置によってその盤の印象もけっこう変わるのだ。

 ヘッドフォンも、もっと高いのなら、涙が出るくらい良い音がするんだろうか?
 って、本体より高くなっちゃうよな……

 さて、今日はドックで引っかかったことを受けて予約した、病院の診察に行く。
 昼前に膵臓、午後いちばんで胃である。
 昼ご飯を何にしようか、またまた親子丼にするべきか、少なからず悩んでいる。

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吉岡さんへの一方的思い出 ♪Beethoven/Sym9

3f320a6d.jpg  札幌は中島公園の横。そこには札幌パークホテルがある。

 が、これから書く話に、パークホテルは関係ない。

 パークホテル横の道をはさんだ向かいにYAMAHAの札幌店がある。
 で、これから書く話に、YAMAHAは関係がある。

 以前はここでもオーディオを扱っており、スピーカーの視聴室もあった。

 私はアルバイトで稼いだお金を握りしめ、その前からちょっと知り合いになっていたここのオーディオ担当者を訪ね、NS-600というスピーカーを買った。ほんとはNS-1000Mというのが欲しかったのだが、お金が足りなかった。私の人生はこのころから“妥協”路線だったのである。

 なぜちょっと知り合いになったかというと、高校時代に同級生だった女の子が短大卒業後にこの店に就職し、レコード・コーナーで働いていたからだ。

 彼女が就職した年に、私は2年間の浪人を終えやっと大学1年生になったのだが、片や社会人としてスタート、片ややっと大学生活スタートという2周遅れに、ちょっと恥ずかしさを感じたものだ。そして化粧をし、しかもYAMAHAのかわいらしい制服を着た“大人の”彼女を見たときには、高校時代にはまったくなんとも思わなかったのに、思わず「お、おねえさん!」と叫びたくなったものだ。

 もともとYAMAHAのNS-600が欲しかった私は(ほんとはNS-1000Mだったけど)、彼女を通じてオーディオ担当の方を紹介してもらい、社員価格とまではいかないまでもそこそこ値引きしてもらって買うことができた。

 スピーカーの代金を持って正式に注文するためにYAMAHAに行ったとき、まっすぐオーディオ・コーナーには行かずに、最初にレコード売場に寄った。
 彼女がいて、私は橋渡ししてくれたお礼を言うとともに、そのころ“レコード芸術”誌で特選盤と評価されたスウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレによるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の第9(交響曲第9番ニ短調Op.125(1822-24))のLPを買った(このレコード購入が数十分後に私を焦らすことになる)。

 スウィトナーの第9の演奏については前に書いたが、重心が低いずっしりとした演奏で、いわゆる“ドイツ的”なサウンドが心地よかった。DENONの初期のPCM録音でも成功した1枚だと思うのだが、その後はそんなに話題にならなかったのが不思議だ。

 レコードを手にしてオーディオ・コーナーに行く。
 レコードを買ったために所持金はほぼスピーカー代しか残っていない。
 お金を払う。
 配送日の打ち合わせをする。
 彼が言う。
 「スピーカー・コードはどうしましょうか?」
 うっ!すっかり忘れていた。
 スピーカーというものは、アンプにコードでつながなくては音が出ないのであった。

 でも、もうお金がない。
 しかもこういうところで扱っているスピーカー・コードは高いものばかりだ。

 もじもじする私。
 焦る私。
 恥ずかしい私。

 「えーっと、いや、スピーカーが届くまでの間に買うことにするので、今日はいいです」
 冷静に考えれば、わざわざそんなことをするなんて不自然だ。金がないんだってことはすぐにばれたんだろう。
 「いいですよ。サービスしましょう。2m2本でいいかな?」
 「ほんとでありんすか?ありがとうございやす。1.8m2本でも足りるでおます」

 まったくばかだね。20cm分(合わせりゃ40cmだけど)遠慮したって、かえって相手には半端になるだけだ。

 「買ったスピーカーの音を聴いて行くかい?」
 私はどうでもよかったが、せっかく親切にしてくれているのにそれを断るなんて失礼だ。
 「はい」

 試聴室に入る。
 たくさんのスピーカーが並んでいるが、ほとんどがYAMAHA製だ。
 カタログなどでも見たことがなかった巨大なフロア型のスピーカーもある。
 入ったときは、このフロア型のスピーカーが惚れぼれするような音を出していた。
 そのスピーカーと比べると、私が買ったNS-600はみかん箱とセブンスターの箱くらい大きさが違って見えた。あとで知ったが、あのフロア型スピーカー、NS-600の約10倍の価格だった。

 試聴室には男の人が独り、目を閉じて耳を傾けていた。

 「吉岡さん、ちょっと切り替えます」
 その男性が目を開け、こちらを見たとき、どっかで見たことのある顔だとわかった。
 あの長めの顔、吉岡……

 おぉっ!札響のパーカッション奏者の吉岡幹雄さんだった。
 その当時、吉岡さんは主にシンバルを担当していた。

 YAMAHAの人は、私が持っていたLPを見て「それをかけてみようか?」と言ってくれた。
 「はい」
 「おっ、第9かい。この演奏は聴いたことがないな」
 「えぇ、新郎、いや、新譜です」
 「頭からでいいかい」
 「はい」

 第9の第1楽章が流れ始めた。
 「ちょっと待って」
 吉岡さんが難癖、いや、言葉を発した。
 「第4楽章にしてくれないか?」
 こうして、私が買ったLPは2人の大人にもてあそばれた。

 第4楽章が流れ始める。
 それにしても、自室よりもはるかに広いこの試聴室で聴くと、NS-600はすごく苦しそうに鳴る。いくら頑張って音を出そうとしてもあっぷあっぷしている。小人の絶叫のようだ。やはり、こういう部屋では力不足なのだ。

 再び吉岡さんの“提案”で、フロア型スピーカーに切り替える。結果的に私は、自分が買ったスピーカーの音のすばらしさを体験するのではなく、買ったばかりのLPをご親切に2人の大人に聴かせてあげるという、単なるボランティア行為をしただけとなった。
 第9の第4楽章は進む。
 そして、シンバルが入るところ。

 目を閉じていた吉岡さんは、いきなり目を開け、両手をシンバルを持つときのように構え、レコードに合わせて打つ格好をした。
 すごいなぁ。カッコイイなぁ。
 でも、この人が札響の打楽器奏者だって知らない人が見たら、気持ち悪がるだろうな。
 そう思った。

 さて、第9の演奏では、私はショルティ指揮シカゴ交響楽団、シカゴ交響合唱団による演奏をそれ以前からよく聴いていた。
 こちらの演奏はFMをエアチェックしたものを聴いていたのだが、アナウンサーの演奏者紹介の言葉も一緒に録音していたので、「ソプラノ、ピラール・ローレンガー。メゾ・ソプラノ、イヴォンヌ・ミントン。テノール、スチュワート・バローズ。バス、マルッティ・タルヴェラ」という独唱陣の名前も繰り返し聴くことになり、私は頭の良いセキセイインコのようにそれを覚えてしまった。
 そのときのNHKのアナウンサー、確か川上裕之さんだったと思う。

 この演奏、ショルティにしてはどうもパンチがない演奏だなぁと思っていたのだが、先日タワレコに寄ったら、ショルティのベートーヴェン交響曲全集のCDがセールで出ており、もう一度聴いてみようと買ってみた。

 もちろん最初に聴いたのは第9。
 当時の印象とはまったく違うのに自分でも驚いた。
 パンチがないどころか、かなり重量級のサウンドが繰り広げられる。なっかなかすばらしい演奏じゃん!
 ずっと引きずってきた、あまり良いとは言えない印象は、再生装置によるものだったようだ。
 録音は1972年と古いが、さすがDECCA。音もとても良い。

  Beethoven:The Symphonies :No.1-No.9 (5/1972-9/1974) (+Bonus Disc):Georg Solti(cond)/CSO

  ベートーヴェン:交響曲第9番≪合唱≫ Suitner

 吉岡幹雄さんは2005年に奏者としては引退。その後札響のパーソナル・マネージャーとして活躍してきたが、今月をもって退職するという。

 いやぁ、あの試聴室での光景、いまでも鮮烈に覚えてますわぁ。
 吉岡さんはまったく記憶にないだろうけど。

 そして、音楽の再生ってホント難しい。
 奇しくも私は、3日前の金曜日に同じような体験をしてしまうのだが、その話はまた明日。

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タイトルと音楽とのギャップに注意! ♪Hindemith/Harmonie

 私は実は自分で気づかないうちに、この社会を形成している一部の組織に多大なる迷惑をかけているのではないかと心苦しくなることがある。

 たとえばこういうメールが来ると、「悪いことしたなぁ」とちょっぴり反省してしまう。

 <お客様サポートより>
 いつもご利用ありがとう御座います。
 先日よりご連絡しております件について、
 後ほどお口座へ
 ※※━━━━━━━━┓
 ┃2,200,000円┃
 ┃ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄┃
 ┃ 貴方様へ現金贈呈 ┃
 ┗━━━━━━━━※※

 上記の金額が贈呈されます。
 (受付締切まで残り4日)
 せっかくのご当選ですが、貴方様からのご返信が無かった為、弊社としても困惑しております。
 詳細ご確認頂いておりませんでしょうか。


 ほら、私はこの会社を知らず知らずのうちに“困惑”させてしまっているのだ。
 
 また、こちらからのメールが届いていなかった等の状況でしたら一度ご返信頂ければご当選の失効・有効期限は弊社側で猶予を持たせますので、何卒このご案内をご確認頂きましたらご連絡下さいます様、お願い申し上げます。

 ↓コチラのページでご当選内容をご確認頂けます。
 http://omedetoufkfhsaks.info/cp/camp_02.asp?Q=V************


 おや?
 この“弊社”さんのURL、omedetouなんて文字列が含まれていて、ちょっぴりお茶目だ。
 でも、こうなると(こうならなくても)、「勝手に困惑してなよ」ってちびまる子ちゃんの物まねの一つもしたくなる。

 上記リンクページ・詳細説明画面へアクセスしたことにより、お客様に不利益が発生する事は一切御座いません。

 この会社、果たして顧客対応文書マニュアルが整備されているのだろうか?
 いや、それ以前に日本語を理解しているのだろうか?
 だって、「お客様に不利益が発生することは一切御座いません」なんてことありっこないんだから(きっと)。

 また、分からないことが御座いましたら何でもお問い合わせ下さい。
 +─────────+
 ▼メンバーログイン
 http://omedetoufkfhsaks.info/menu.asp?Q=V*************
 +─────────+
 ▼情報通信公式サイト
 問合せ:info@uma-2.**


 わからないことだらけだってば!(ふと立ち止まって考えてみると、“だらけ”って、これだけをピックアップして読むと、すっごく変な言葉だ。太裸系……)。
 しかも、なんで、メンバーでのログインなんだ?

 で、「uma」だって?
 umaって、うまって、ウマって、きっと馬だよな。
 競馬サイトってことかい。
 ヒヒ~ン。

 わからないと言えば、タイトルだけから期待を膨らませて聴くと、すっかりわけがわからない境地に立たされる曲が、私にはある(知ってしまったからには、「あった」と言うべきだろう)。

 ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963 ドイツ)の交響曲「世界の調和(Die Harmonie der Welt)」(1950-51)である。

 この曲を初めて聴く前は、虹色が頭を支配するような色彩感あふれる音楽を想像してしまったのだが、虹色どころがぶす色(これって北海道弁か?内出血している肌などの色を言うんですが……)って感じだ。

 世界が調和するのなら、平和で明るく親しみやすい音楽で、各楽章には「虹」とか「鳩」みたいな標題がついているんじゃないかと思い込んだ私が、悪い!
 マーラーの第8交響曲なんかを無意識に心に描いていたんだろうな、私。若気の至り。赤毛のイタリー(意味不明)。

 この交響曲、実は同名のオペラ(1936-57)から改編されたもの。
 バーゼル室内管弦楽団創立25周年記念のために書かれた。
 オペラの方は、天文学者のケプラーを主人公にして、彼を通じて世界に「調和」が存在するというヒンデミット自身の芸術観を示したもの。

 この筋、マニアックというか、ついていけないというか……
 だってケプラーですよ。

 有名な“ケプラーの法則”を覚えていらっしゃるだろうか、みなさんは?
 私は覚えていない。
 この法則について、私の記憶に残っているのは、コンドータモツ君のことだけだ。

 どれどれWikipediaで調べてみよう。

 第1法則。「惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く」
 なるほど。

 第2法則。「惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である」
 はっ?、はぁーん……?

 で、第3法則であるが、高校のときの地学の試験で、「ケプラーの第3法則について記述せよ」という問題があって、さっぱりわからなかった同じクラスのコンドータモツ君は「なかなか難しい法則である」と書いたら、なんとマルをもらったのだ。
 ったく、あの臨時教師、何を考えていたんだか……

c94ca101.jpg  その第3法則は「調和の法則」と言われるのもので、「惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する」というもの。
 2乗と3乗が比例するとどうして調和なんだかわからないけど、交響曲「世界の調和」もそんなような感覚の音楽だ。聴いていてちょいと面白いけど。

 交響曲は3つの楽章から成っていて、

 第1楽章 楽器の音楽 Musica instrumentalis
 第2楽章 人間の音楽 Musica humana
 第3楽章 天体の音楽 Musica mundana

というタイトルがついている(各楽章の原題はラテン語である)。

 私が持っているCDはケーゲル指揮ドレスデン・フィルによる演奏のもの。
 1984録音。ドイツ・シャルプラッテン。
 ついでに言うならば、私はこの演奏以外で「世界の調和」を聴いたことはない。
 ケーゲル一筋である、結果的に、今のところ。

 ケーゲルのこの国内盤は現在廃盤。
 輸入盤(ベルリン・クラシックス)で入手できる。

  Hindemith: Harmonie der Welt, Pittsburgh Symphony / Kegel

 土曜日の朝だっていうのに、暗い。
 私の性格がじゃなくて、空の色が。
 芝刈りをしたいのだが、風が強いし、雨が降りそうだし……

 まずは朝ご飯にしよう。

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工場体験、再び…… ♪Mosolov/Zavod

 対人関係において相手の気持ちを満足させるために大切なことは、その人が重要とみなされ、優越感を覚え、また心を開いてもらっていると感じることだと、むかし受けた研修で習ったことがある。
 これは顧客サービスの面でも当てはまる。

 どこかの相談窓口に行ったとして、たまたま一緒のタイミングで店内に入った別な客がいたとする。そちらの客にはすぐに係員が駆け寄って来て案内をしているが、自分は「いらっしゃいませ」と声をかけられただけで、しばし放置プレイ状態のほったらかしにされたとなれば、重要と見なされていないと感じ、かなり嫌な気分になる。

 優越感では、たとえば2000ccクラスの新車の購入を検討しているとする。ショールームで「お客様ほどのお方になると、やはりもう1つ上のグレードでないと……」と言われると優越感に浸ってしまう。そ「そんなもんかなぁ。そうだよな」と、上のグレードにして、オプション装備も重くて走れなくなるくらいつけてしまう。
 次に行ったときに、そのセールスマンが自分の姿を見るなり「〇〇様!」と駆け寄って来ると、重要感も満たされ、「ほれっ、ハンコついちゃぞ!」って気持ちになる。

 が、ある日、そのセールスマンが家族を乗せてマイカーを運転しているのを目撃する。その車がFUGAなんかだったとしたら、自分の優越感はぶっ飛んでしまう。
 オプションでつけたフロントの風車がむなしく回る……

 開放感というのは、要するに相手が自分にすべてとは言わないが、相当なところまで心を開いているかどうかということで、そうでないとなかなか信用する気にはなれない。

 これまた別な研修で聞いたのだが、夜のお勤めの女性はこのあたり、かなり訓練しているという。
 彼女たちは、当然のごとくものすごく親しげに、心を開いているかのように接してくる。ここで勘違いしてしまう男性が少なからずいるのは事実。
 そして、相手が優越感に浸れるようなことを言う。端的な例は、どう冷静に見たってうだつの上がらない感じのサラリーマン客に対し、「〇〇さんって、部長さん?」なんて言って持ちあげることだ。
 さらに重要に思わせるのは、例をあげるまでもなく基本中の基本。

 そして、彼女たちは初めてのお客さんに対して、とにかくどこかほめるところを探すという。

 これも研修の話の中で聞いた例だが、どこもこれっている特徴がない客をホステスがほめる場合は、服装や体のどこかを言うことが多いという。
 「お顔を見て思ったんだけど、きれいなお肌ね」
 「すてきなネクタイね。似合ってるわ」
 「まぁ、指先のさかむけが見事ね」
 もちろん最後のは冗談である。

 こういう話を聞いた。
 あるホステスはどこも褒めるところがない初めての客に、困った挙句「かわいいお耳ね」と言った。
 それを言われた30歳半ばの客は、半分小馬鹿にされたようになって「バカヤロウ!何が耳だよ!」と声を荒げたというが、そのあとトイレで鏡に向かって自分の耳たぶをチェックしていたそうだ(洗面台に置いてあるおしぼりで、ご丁寧にも耳を丹念に拭いてもいたそうだ)。
 
 こういう顧客満足を目指す姿勢は、最近主流となっているバイトのネエちゃんには欠如している。スナックなどの女性の質が落ちたというおじさんたちの嘆きは、実はこういうところにあるんじゃないかと思う。

 村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」のなかで、主人公の“僕”が加納マルタに初めて会ったとき、こう思う。

 《僕がマルタ島について知っているのは、ハーブ・アルバートの演奏した『マルタ島の砂』だけだったが、これは掛け値なしにひどい曲だった》

 “僕”にとっては、この曲は耳たぶどころか、どこも褒めるところがないというわけだ。
 私にとってはすっごく懐かしい曲で、けっこう好きだったんだけど……(いま聴いたら、すっごくつまらないと思う自信もなくはない)。

 掛け値なしでひどいと言えば、先日紹介したスヴェトラーノフ指揮のモロソフの「鉄工場」の録音がそうだった。いったいいつごろの録音なんだろう?モノラルのようでモノラルじゃないし、ステレオのようで偽物っぽいし、演奏は一生懸命なのに音場がとにかくいい加減なのだ。

e1ef1ba7.jpg  そこで、やっぱり我慢できなくて買ってしまった。
 シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏による「鉄工場」を。こちらは1992年の録音で新しい(といっても、もう20年も前だ)。

 このCDの存在は知っていたが、1500円ながら2枚組と、枚数的にはお得で、シャイーが違うオケを振ったプロコフィエフの交響曲第3番の演奏が2つ収められている。
 それがなんとも無駄な感じがして手を出さずにいたのだ。異なる演奏を聴き比べることはクラシック音楽ファンにとってまったく珍しいことではないのに、このようにいきなりまとめられると多少の抵抗感が生じるのは不思議なことだ。
 ちなみに1枚目(1981録音)はもともとはグラモフォン、2枚目(「鉄工場」もこちらに収められている。1991/92録音)は、もともとはデッカで、「タワーレコード・ヴィンテージ・コレクション Vol.11」として2枚組で販売されている。

 いやぁ、スヴェトラーノフ盤とはまったく比べられないくらい音が良くて、いっそう鉄工場の描写がみごとに鳴り響く。
 演奏そのものはスヴェトラーノフ盤よりちょっとだけおとなしめだが、結果的には買ってよかった。

  プロコフィエフ: 交響曲第3番, 他

 いやぁ、それにしても面白い曲をモソロフは書いてくれたものだ。

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いきなり間奏曲から始まるのかい ♪Sibelius/Karelia

5799e5a8.jpg  全曲を通じてメロディーもその雰囲気も抜群にナイスな(←いつの時代の何人だぁ?)曲で、だから当然のごとく有名なのに、でもいまひとつポピュラーになりきれない作品ではないだろうか?

 何が?
 シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の組曲「カレリア」(Sarja "Karelia")Op.11(1893)である。

 でも、組曲「カレリア」を讃えるような書き出しをしておいて恐縮だが(←年寄りか?)、私もそうしょっちゅう聴くわけではない。きっとこの曲、わくわく感を盛り上げる最後の決め手に欠けているのかもしれない。

 先日札幌から帯広に向かった時、石勝線の最後の方のトンネルを抜けて車窓から草原が広がる景色を見たときに、私の頭には「カレリア」の第1楽章のメロディーが浮かんだ。しかもこのときは晴れではなく、少し霧がかかっていて、それがまたシベリウスの作品が持つ“非彩色”を連想させた。

 あの最後の方のトンネルが新狩勝トンネルなのだろうか?
 どこかで読んだことがあるが、新狩勝トンネルというのは出入口が3つある珍しいトンネルなんだそうだ。
 1つは石勝線のトマム側、1つは根室本線の富良野側、1つは根室本線の新得側である。
 ということで、この話は発展しないまま終わる。

 でも組曲「カレリア」も3つの曲から成る(何が「でも」だか……)。

 1. 間奏曲 Intermezzo
 2. バラード Ballade
 3. 行進曲風に Alla marcia

 で、第1曲から「間奏曲」だなんて実に人をバカにしているような感じだが、そもそもこの組曲、同名の劇音楽から改編したものなのでこのようなことになった。やや詳しくはこちらで。

 そして何と言うことでしょう!
 私はこのとき(つまり列車に乗っていて、霧がかかる大草原を車窓から見たとき)、実はウォークマンの中に組曲「カレリア」も収めてあったのである。
 偶然ではあるが、偶然を呼ぶ自分がなんだか恐ろしい……

 演奏はマゼール指揮ピッツバーグ交響楽団によるもの。
 例の交響曲全集(ソニー・クラシカル)のなかに収められているもので、1991録音。

 「フィンランディア」という作品のすごさを初めて私に教えてくれたマゼール様。
 この魅力的だけど、どこか気の抜けたビールのような音楽作品を、マゼール様は混ぜーる混ぜーるかのごとく、何か刺激的なことをやってくれるんじゃないか?
 そう期待してしまうのは、マゼール様に心を奪われた私には無理もないことである。

 が、この演奏。
 ずいぶんと優等生的なのである。
 ちょっとがっかり。
 本当は真性スケベの悪い奴のはずなのに、先生の前では良い子のふりをしている成績優秀な陰の番長のようなのだ。「えっ?ビールかけ?そんなことしたいなんて夢にも思ったことがありません」みたいな……

 マゼール様にしてもこうだということは、マゼールがここでは良い子ぶっているのではなく、結局こういう曲だってことなんだろうか?

  Lorin Maazel Conducts Sibelius<初回生産限定盤>

 ビールで思い出したが、最近TVCMで見た松坂慶子。
 その姿、昔売っていて、コンパのときには欠かせなかった“サッポロ・ジャイアント”の瓶を思いだしてしまった。

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死に損ない?実は元気なんだろ?♪DSch/Sym14

 すでにご存じの方も方も多いと思うが、新聞などで「空からオタマジャクシが降ってきた」という内容の記事が載っていた。

 石川県加賀市の南河さん方の玄関前に、8日の朝、約20匹のオタマジャクシが死んでいたんだそうだ。
 発見したのは奥さんで、掃き掃除をしようと玄関先に出たところ、体長2センチ前後のオタマジャクシが干からびた状態で大量に落ちているのを発見したという(20匹が大量なのかどうか、大いに議論すべき点ではある)。
 
 南河さんは「空から落ちてきたんじゃないですかね」と話しているというが、石川県では2年前に同じような騒ぎがあり、「ちょうど新聞のコラムで『今年は来るか』と読んだばかりだったので『あ、来たわい』と思って新聞社に電話した」んだそうだ。このおやじさん、なかなか正直なのは、「空からの贈り物? もっとええもんだとええんですけど」と応えているところだ。
 それにしても、「あ、来たわい」というノリが実にいい。

 オタマジャクシじゃないが、この騒ぎ、2年前に報道されたときから、私は村上春樹の「海辺のカフカ」でナカタさんが(本人は無意識だが)魚を大量に(こちらは本当に大量に)空から降らせるところを思い出した。
 だから、最初は春樹ファンが英知を結集してこのような事象を引き起こしたのではないかと思ったほどだ。

 そしてまた、読売新聞のものだったと思うが、空からカエルが落ちてくるCMを観たときには、絶対パクっているなぁ、と思ったものだ(と同時に、完全に滑ったCMだとも思った)。

 南河さんは「もっとええもんだとええんですけど」と、ドラえもんを待ち望んでいるかのようなことを言っているが、私のところにはこんな“ええもん”の話が来た。
 
 《Secret Garden》
 『死に損ないの爺』様から新着メッセージ受信♪

 ◎▼タイトル:
 ⇒『無意味に5億円の遺産を持った爺です。』

 ◎▼続きを見る(無料):
 ⇒『http://www.n1818n.com/inmail/******/hash=3f977********』


 続きを見るまでもなく、この爺さん、要するに5億円を差し上げたいから協力してくれという追伸を送ってきた。
 よっぽど知り合いがいないのだろう。

 こういうのがメールではなく、空から降ってくれば“ええもん”なのに。
 それよりも死に損ない爺よ、困ってるなら震災の地に寄付しなさい。

58cd4d31.jpg  このどーしようもない爺の近い将来を踏まえて、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第14番ト短調Op.135「死者の歌(Lyrics for death)」(1969)。

 死をテーマにした11の詩に音楽をつけた作品だが、ロシア語でのタイトルは付けられていない。
 作品そのものについては以前書いているのでここでは省略するが、今回はコフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団による演奏を聴いてみた。コフマンのこれまで聴いたタコsymの演奏からすれば、この第14番のような性格の作品は特に期待できそうだ。
 独唱は、タマール(S)とシュトンダ(Bs)。

 期待通りの演奏。
 コフマンのショスタコへのアプローチはこれまでも書いてきたように、大上段に構えることなくむしろ抑制的なもの。
 この第14番では、それが切なく染みてくる。
 枯れに枯れた音楽だ。
 ただ無味乾燥としているところはまったくなく、1音1音が実に美しい。
 こんなに味があって、さまざまな人の、それぞれの人生の結果を優しく包み込むような演奏を、私は“死に損ないの爺”に贈るのはやーめた。

 コフマンの演奏は2004録音。MDG。

  Shostakovich: Complete Symphonies<限定盤>

 オタマジャクシが空から降ってきた真相は謎のままだ。竜巻説もあるようだが、竜巻で20匹かい?って感じだ。

 やはり数年前のこと。
 日本各地のガードレールのボルト部分(支柱とガードレールを留めているねじ頭)に、三角形の謎の金属片が挟まっているという事象が話題になった。
 こういうときに必ず暴走発言する正体不明の評論家が、「何かのメッセージだ」とか「人を傷つけるためにこうした悪質ないたずらをする者がいる」などと話していたが、結局はガードレールに車体をこすった際に、ドアなどがねじのところに引っ掛かり、三角形にはぎとられたものが挟まっているということがわかった。

 だったら騒ぎになった時に、「私は運転が下手でこのようになったことがあります」って名乗り出る人がいたっていいのに、とも思ったけど。

 だからオタマジャクシ騒動も真相は意外と単純なもの、たとえば子供がオタマジャクシ採りをしてビニール袋に入れてきたが、たまたま迷い込んだ南河さんの玄関前で転んでしまい、ビニール袋が破れ、そのまま逃げ帰ったなど、かもしれない。
 まっ、どーも鳥あたりが怪しい感じがするけど……

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甘み控えめの餡ではありましたけど……

8da776dc.jpg  昨日書いた庭の話の続きだが、いま、オオデマリの花が満開となっている。

 この木、正直なところバッカじゃなかろうかというくらい花をつけて、ただでさえ花の重みでアップアップしているように見えるのに、雨がふったら重くなった花(花房)で枝が折れる寸前までたわんでしまう。

 まっ、自分が好きで、というか本能的にそうしてるんだから文句のつけようがないが、もしかするとある程度花を切って整理してやるべきなんだろうかと、心苦しくなってしまうこともある。

 そして、この花が散る時がたいへん。地面、そして隣の庭や歩道にまで細かな花びらが拡散してしまう。
 申し訳ないっす。

 ユーフォルビアも満開だ。
 満開と言っても、先の方の葉が黄色くなるので、花そのものはポヤポヤしたもの。
 正式な名前は知らないが、ユーフォルビア属の宿根草である。
 ユーフォルビアといえば、多肉植物でユニークな品種が多くある。
67be41ab.jpg  柱サボテンに似た、比較的よく目にする“サイウンカク”という品種もユーフォルビア属である(つまりサボテン科ではない)。ユーフォルビア属の植物の特徴は、切ると(傷つけると)乳白色の汁が出てくることである。

 話は変わって、昨日の午後から帯広に来ている。冷静に地名の漢字を眺めると“帯が広い”という意味だ。いや、別に……

 あと数時間後に札幌への帰路につくが、札幌⇔帯広はJRを利用。ということは、先日トンネル火災が発生したところを通るわけである。

 当たり前のことだが、昨日も“スーパーおおぞら”に乗ってそのトンネルを通過したが、うん、全然平気だったとは言えない。やっぱり緊張感が走る。ただ問題は、そのトンネルがいくつもあるトンネルのどれかわからなかったということだ。
 帰りも“スーパーおおぞら”に乗る。なんとか“スーパーとかち”にできないかと、ほとんど意味のないことを企てたが、時間的に合わなかったので、断念することとした。

 JR北海道では、このトンネル火災のあと、快速エアポートで運転士が居眠りをしていた(これはひどい!)とか、旭川駅で列車が本来の出発ホームに移動していなかったという事故が続いているが、こういうのってどうして続き始めるのか、ある意味不思議である。

 コンサートの余韻に浸るためというわけではないが、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のピアノ協奏曲第1番ハ短調Op.35(1933)を繰り返し聴いている(スーパーおおぞらの車内では、ディーゼル・エンジンの音で聴くのが大変だったが)。

6a821e7d.jpg  アルゲリッチ&ナカリャコフのライヴ盤はあまりにすさまじく、札響定期の演奏とはひどくギャップがあるので、今回はオルティスのピアノ、ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団のものを聴いている(トランペット独奏者の表記はない)。1975録音でEMIとのライセンスによるブリリアント・クラシックス盤だ。
 このCDはショスタコーヴィチの協奏曲全集で、すでにヴァイオリン協奏曲チェロ協奏曲につては取り上げた。

 ピアノ協奏曲第1番の演奏は、ぼやっと聴くと奇をてらったところがなく標準的な演奏に思えるが、たとえば昨日のようにエンジン音に負けるものかと意識を集中して聴くと、けっこうテンポにアヤをつけたり、強弱をデフォルメしたりと、なかなか凝っている。そしてこの作品がもつ諧謔性が十分楽しめる。

  Shostakovich: Complete Concertos

 たいしたことじゃないけど、私も参加しているblogramっていうランキング。これだけショスタコーヴィチのことを書いているのにまったくランクインしていないのがかなり不思議である。
 いや、ホントに気にはしてないんです。
 不思議だなぁって思っているだけです。

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 腹を少しへこませなきゃ。
 脂肪肝ぎみなのを治さなきゃ。
 そう思っているのに、昨日は帯広といえばすっかり有名になった屋台で夕食後、食べたりなかったのでラーメン屋に寄って醤油ラーメンを食べ、さらにホテルに戻るときにセイコーマートで、なぜか出来心で、ふだん食べることなんてないのによもぎアンパンを買って、その挙句にそれを食べてしまった。
 あほだ……

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就職先を見つけなくては……焦る人と焦ってない人

275e1290.jpg  わが家の庭も、バラはまだ小さな蕾の状態だけれども、それ以外の花々が華々しく咲いてきた。

 ぷっくりと、ふふ、した蕾を、へへ、眺めるだけで、私の気持ちも、ひひ、ぷっくりとふくらみ、高ぶってしまう季節になってきたが、寒い日と暑い日が極端なのが新陳代謝のピークをとうに過ぎてしまった私にはそこそこ辛い。

 ハーブのチャイブはいままさに花を咲かせようとしているが、この薄皮を破って外に顔を出そうとしている姿は、何ってことはないけど、ちょっぴり「おまえ、けっこう“やらしっぽい”な」って感じである。

 一時は完璧に地中で死んでしまったと思っていたのに、見事に生き返り復活を遂げたクレマチスの“ドクター・ラッペル”は、今季はかなりのつぼみをつけており、こういう縞模様のぷっくり蕾は個人的には嫌いじゃない姿だが、でも人によってはグロテスクに見えるんだろうなぁ、と思っているところである。
 その株元にはカエルくんがピョンピョコ跳ねていたが、株で思い出したのが、金曜日に嘆いていたアイゼンシュタイン氏の姿だ。

326230ef.jpg  氏は会社を早期退職したわけだが、ちょっぴりだけ(本人談)株の売買を始めたという。そして、当然のことながらごくわずかだけ(本人談)損しているという。
 「株は難しいんだァー」とアントニオ猪木のように言っていたが、そりゃそうだろう。

 日々パソコンに向かって株価の動向をチェックしているようだが、彼がパソコンを操っている状況なんて、1年ほど前には奥さんに隠れてアダルト・サイトを見ていたら画面を消せなくなり大慌てしたというのがウソのようだ。

 私は株というものに手を出そうという気は120%ない。
 実は私の祖父が退職後に株をやって大損をこいたという。「という」と書いたのは私はそれを直接知らないからだ。
 祖父の息子である私の父がいくらかお金を工面したそうだが、まったく理解できないのは、その父も退職後に株に手を出したという事実だ。
 おととし。父が亡くなる1ヵ月ほど前に、病床で「だいぶ損した」と言って預金通帳を見せてくれたが、ほんbe2cfd3a.jpg とに残金はわずかだった。ただ、私に見せた以外に退職金がまだそこそこ残っている別通帳があったのかどうかは知らない。少なくとも私に伝えられ内容は、「もう、なんもないから」ということであった。

 だから、株は相当なリスクを伴うという思い込みが私にはある。
 アイゼンシュタイン氏に「株は止めた方がいいですよ」と言う資格など私にはないが、「もっとつぎ込まなきゃだめですよ」と、彼の日課をさらに奨励することを言うことはできる。そうやって煽ろうかと思ったが、思った以上に悲しげな表情でミックスピザのチーズを目いっぱい糸引きして収拾がつかなくなっていたので、黙っておくことにした。

 それにしても辞めるときには「春からは農業をやる」と言っていたのに(それは本業にはならないが)、ずいぶんと計画がねじ曲がったものだ。ほかの就職活動もしていないということで、やや楽しそうに「プーのまま」と語っていた。
 それにしても、株じゃなくカブの栽培でもしていればよかったのに、と思う。

00d68bbb.jpg  でも私は、ご親切に彼に約束した。
 「何のお役にも立てませんし、お役に立つつもりもありませんが、私のブログでときどき株情報を掲載することにします」と。
 ということで、時々じゃなくて1回限りになると思うが(どうせ彼はこのブログをしょっちゅうは読まないだろうから)、ホットな情報を載せておく。

 本日の株情報 → 2つの株

 庭に花が咲き、少しは陽気な気分になってきたこの頃の私だが、土曜日にさらにうれしい知らせが届いた。
 人間ドックの際にオプションで受けた脳ドックの結果が届いたのである。
467e24d5.jpg
 「うれしい知らせ」と書いたからには、“異常がありました”ってものではない。異常はなかった。

 ということは、これから先、仕事中に嫌なことがあっても、家庭内で耐えがたい圧迫にあっても、「頭痛がする」とウソがつきにくくなってしまった。

 ちょいと気になるのは「特に明らかな異常はみられませんでした」という書き方。
 ということは、「全般的にぼんやりした異常はみられなくもなかった」とも受け取れるが、そんなことを気にする前に、私としては胃の内視鏡と膵管のことを気に病むことに全力を傾けよう。

 ということで、心が温まる輝かしい音楽を。

 プーランク(Francis Poulenc 1899-1963 フランス)の「グローリア(Gloria)」(1959)。この曲も私にとっては、時折衝動的にすっごく聴きたくなる曲だ。

 グローリアというのはミサ通常文における栄光の讃歌で、「いと高きところ神に栄光あれ」と歌うもの。関係ないが、土曜日に私は髪を切ってきた。

 この作品では、以前ピケマル指揮のナクソス盤を紹介しているが、それはこじんまりした透明感のある愛らしい演奏で、あれはあれで魅力のある。

 今日ご紹介するのはプレートル指揮フランス国立管弦楽団他による演奏。
 同じ「グローリア」でも、こちらはやや骨組みががっちりした仕上がりになっており、言っちゃ悪いが、プレートルの貫禄というものが感じられ、ピケマルの演奏がアマチュアっぽく聴こえてくる。

 1988録音。EMI。
 タワレコでは取扱が終了しているようなので、Amazonをご紹介(現在新品もあり)。

  Gloria / Stabat Mater [Import, from US]

 とは言え、世の中、良いことばかりではない。
 わが家にも不況の波が……(いや、経済的困難はずっと前から押し寄せてはいるんだけど)

 アイゼン氏とは異なり、必死に就職活動中のわが家の長男。
 最終面接までこぎつけた会社が数社あったが、結局どれもダメ。
 いやぁ、ほんとに大変だ。
 これから採用試験を実施する企業もわずかになってきたというし……

 親としては「グローリア」じゃなく、むしろカップリング収録されている「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」の方を祈りを込めて聴くべきなのかもしれない(私は父だから、聴くのは妻が。でも聖母じゃないからなぁ……。そもそもクラシック音楽に興味ないし)

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札響第539回定期演奏会(A日程)を聴いて【場外編】

862be22a.jpg  札響第539回定期演奏会を聴いた感想の続き、というか、その後のひとときについて。

 このように分けて書くのは珍しいことだが、昨日の朝はけっこう寝不足気味で、書きたいことを書ききれなかった感があるので、今日も書かせてもらうことにした(“書”が多いな)。

 コンサートが終わり外へ出ると、雨。

 そこで私・貴公子と他のメンバーはタクシーに乗って食事をする場所へ移動することにした。Kitaraのタクシー乗り場には初めて行ってみたが、あんなに長い待ち行列となっているとは思わなかった。

 そして、だいたい人生なんてそんなもんだが、並んでいるうちに、雨は上がってしまった。

 でも、私にも意地がある。
 せっかく並んで、すでに列全体の半分は先に進めている今、ここで方針を切り替えて“歩き”にすることは悔しくてできない。
 つーことで、じっと待ち、タクシーに乗り、乗ったはいいけどけっこう道が混んでいて時間がかかり、果たして私の決断は正しかったのだろうかと思いつつ(こう思うときって、たぶん正しくなかったと、自分で気づいている)、すすきのの某ビアホールへ。

 タクシーの中でアイゼンシュタイン氏が言う。

 「最後の曲のとき、右の方からなんか鳥の鳴き声みたいのがしませんでしたか?」

 明らかにした。「なんか」ではない。「ローマの松」の第3楽章のことである。
 「右だけじゃなくて、あちこちからしましたよ」とアルフレッド氏が答える。アルフレッド氏の方に軍配が上がった格好だ。

 今回の鳥の鳴き声は、聴衆を包み込むようにホールのあちこちから聴こえた。
 まるで朝焼けの中の草原にいるような感じで、とてもすてきな演出だった。音も非常にきれいだった。

 「あれはまさしく鳥の声です。双眼鏡を持ってくるように事前に言っておけばよかったですね」と私はかなりいい加減に答える。
 
 「あはははは」。アイゼンシュタイン氏は私の皮肉に気づかず大いに笑う。
 タクシーのドライバーが、「うっせーな」みたいなため息をつく。

 ビアホールに着き、ビールを飲みながら噛みあわない会話が始まる。
 どのくらい噛みあわないかと言うと、いきなり「沖縄出張はどうでしたか?」というアイゼンシュタイン氏の質問から始まったからだ。

 「忘れました。だって2月の話ですから」

 そう。沖縄に出張に行ったのは2月のことだ。考えてみればアイゼン氏とは12月以降会っていなかったのだ。

 アイゼン氏の元部下のアルフレッド氏が、一応は気を遣って言う。
 「パイナップル・パークに行きましたよ」
 「おお。あれは楽しかった」と、私もあのときのことを思い出す。♪パパパパパパ、パーイナップゥ~ル。

 私はジャズ好きのアイゼンシュタイン氏に切り口を変えて質問してみた。
 「今日の小曽根真さんがアンコールで弾いたジャズの曲は有名なんですか?」
 「えぇ、まっ、すっごく、有名です」
 アイゼンシュタイン氏は目を泳がせながら答えた。ジャズには詳しいはずだが、それ以上のコメントはなかった。たったいま届いた厚切りベーコンに気を取られているようだ。

 私はふと思った。
 今回のショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番のピアノについてである。
 この日の演奏で、第1~3楽章までは、いつ何かが起こるのかなと期待していたが、実にフツーに進んだ感がある。私には物足りなかったくらいだ。
 終楽章、つまり第4楽章になって小曽根節を聴くことができたが、私はここで素朴な疑問が。
 それはアドリブについてである。

 ジャズではおそらく当たり前なアドリブだが、そしてショスタコの第1協奏曲はジャズ的な要素もあるが、アドリブを加えることは行きすぎなのではないかという疑問である(良い悪いではない)。
 終楽章で独奏トランペットが弦のリズムの上で奏するところ(練習番号68~)。ここではピアノは休みだが、小曽根はごく小さな音で楽譜にない音を弾いていた。
 また、練習番号71からのカデンツァ。このカデンツァに入る前にけっこう長いオリジナルのカデンツァを弾いた。
 モーツァルトのコンチェルトのように、カデンツァはそのときの奏者にアドリブで弾くようまかせているのとは違い(そもそも当時は弾くのも作曲者自身だったことが多かったのだ。そのため現在ではそのカデンツァは、後年他者の手によって書かれたものが弾かれることが多い)、ショスタコは近現代の作曲家である。楽譜にもアドリブの指示はなく、カデンツァがきちんと書かれている。
 となると、このような演奏会でアドリブっちゃうのっていいのかなぁ、と素朴に思ってしまう。面白かったけど。もちろん、そういう演奏(アドリブ)をしている録音に出会ったことも、私にはない。

 そんなことを思っていると、「あのー、外国に松があるって変じゃないですか?」とアルフレッド氏の声が。
 彼は松は日本にしか生えていない木で、だからイタリア人であるレスピーギが松にちなんだ曲を書くのはおかしいのではないか、という植物学、音楽史、地理の3分野に対して喧嘩をうるような発言をしてきた。
 でも、大丈夫。喧嘩にならない。
 なぜならちっともおかしくないから。

 松が日本にしか生えていないというのは、勝手な思い込み。
 ヨーロッパカラマツとかストローブマツとかけっこう耳にしたことがある“あちら”の松があるではないか!
 たぶん彼は、松と言えば盆栽の松のようなイメージがあったのだろう。

 「ローマの松」が英語で「Pines of Rome」であるように、マツはPineである。
 輸入住宅なんかでは「パイン材をふんだんに使った」なんていうのもあるが、そもそもパイナップルというのが松ぼっくりのことを指す。
 それが転じて(説はいろいろあるようだが)、松ぼっくりのような見かけだがリンゴのような味がする果物を、パイナップルと呼ぶようになったというが、完熟していないパイナップルを食べ過ぎると舌が割れて痛い思いをするので気をつけたほうがいい(関係ない話だが)。

 つまり、食事の開始に当たって口火を切ったアイゼン氏が沖縄出張をテーマにしたのは、沖縄→パイナップル→松、という実に奥深い流れを計算していたわけ、があるはずがない。

 「『祭り』でハンマーみたいなので叩いていた楽器はなんですか?」とアルフレッド氏に聞かれたが、その場で私はわからなかった。ここでお答えしておく。タヴォレッタという楽器である。木づちで木の板を叩くものだという。

 「ローマの祭り」の演奏は圧巻だったが、最後は打楽器の音にメロディー・ラインがかき消されていて、初めて聴く人にはよさこいソーラン祭りの喧騒のように思えたかもしれない。なかなかバランスが難しい曲だと思った。
 一方、「松」の第2楽章のステージ外からのソロ・トランペットは、かなり遠くから聴こえてきてしばしばステージ上の弦の音にかき消されていた。指揮者の考え方だろうが、ちょいとトランペットを抑えすぎだったように思えた。

 「ローマ3部作」のCDで、今日はバティス指揮ロイヤル・フィルによる録音を紹介しておく(1991録音。ナクソス)。
 ナクソス・レーベルのCDは、その録音傾向から、きれいな音ではあるがパワー不足なものも少なからずあるが、この録音は音の美しさを備えたまま、非常にパワフルに響いてくる。演奏そのものもエキサイティングでかなりお薦め。
 また、収録順が今回の札響定期と同じであるところが、別にどーってことはないけど、何となくうれしい。

  Pines of Rome / Fountains of Rome [Import, from US]

 また、この演奏、avexからも再発売されている。しかも500円。ただし、「ローマの噴水」は入っていない。

  ベスト・オブ クラシックス 47::レスピーギ:ローマの松、ローマの祭り


 飲んでだあとは「ローマの祭り」の終楽章でトロンボーンによって奏される「酔っ払いの歌」のような足取りで、私たちは家路についたのであった。

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札響第539回定期演奏会(A日程)を聴いて

1fd52f4c.jpg  昨日6月10日、19:00~。札幌コンサートホールKitara

 指揮は秋山和慶。
 ソリストはピアノが小曽根真。トランペットは、原発事故の影響を心配した家族から「セルゲイ、頼むから行かんどいてぇ」と泣きつかれ(想像)、来日中止を決断したナカリャコフに代わり、札響首席奏者の福田善亮が務めた。

 ナカリャコフが来なくなったことで、当初プログラム1曲目に予定されていたアーバンのトランペットとオーケストラのための作品「『ヴェニスの謝肉祭』の主題による変奏曲」が割愛され、2曲目以降に予定されていた4曲、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番とレスピーギの「ローマ3部作」が演奏された。

 「ローマ3部作」の演奏順は作品が書かれた年の順ではなく、最初に演奏されたのは3部作の最後の作である「ローマの祭り」(1928)。
 3つの交響詩の中では最も巨大でパワフルな作品から秋山は始めた。

 2曲目は3部作では最初に書かれた「ローマの噴水」(1914-16)。「祭り」で大騒ぎした後にしっとりとした「噴水」を持ってくるのはうまい演出だと思った。オーケストラもここで少し休めたのではないかと思う。
 
 そして最後は3部作の中で最もバランスがとれた傑作「ローマの松」(1924)。
 「ローマの松」を生で聴くのは確か22年ぶり(「祭り」と「噴水」は生の経験なしだが)。前回は札響の第300回定期で指揮は今回と同じ秋山和慶だった。

 細かなところではいくつか不満が残ったものの、演奏は3曲とも立派なもの。レスピーギの見事な色彩感がきらびやかにホールに響き渡った(Kitaraのオルガンの音もGood!)。

 「祭り」「噴水」「松」という演奏順序は、あたかも緩徐楽章を中央においた3楽章からなる1時間ほどの交響作品を聴いているかのよう。その最後は「祭り」ではなく「松」であることによって、散漫な感じを残すことなく、巨大な絵巻物がピシッと閉じられた。この配列は良かった。
 なお、「松」のナイチンゲールの声は“グラモフォン”ではなく、オリジナルの音源のようだった。

 「ローマ3部作」の前に演奏された小曽根真と福田善亮によるショスタコのピアノ協奏曲第1番は、どんな小曽根節が聴けるのか楽しみにしていたが、ピアノはとてもおとなしめの演奏。ミスタッチも目立った(それとも“アヤ”か?)。
 終楽章になってやっと小曽根らしいノリが。アドリブやオリジナルのカデンツァが楽しかったが、全体としては不満が残った。
 トランペットも控えめながら好演。

 余談だが、小曽根真というピアニストはクラシック音楽しか聴かない私にはほとんど縁がないが、前にPMFでバーンスタインの交響曲第2番のソリストを務めたときの、あの機知にとんだアドリブ演奏が忘れられない。私はあの一瞬の出来事だけで好感を抱いてしまったのだった。
 アンコールとして、ジャズの「クバーノ・チャント」(レイ・ブライアント)が演奏された。

45d4ceba.jpg  今日はショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番のCDを。
 アルゲリッチのピアノ、トゥーヴロンのトランペット、フェルバー指揮ハイルブロン・ヴェルテンベルク室内管弦楽団の演奏。
 この演奏もすごい演奏だ。音がぐいぐいと前に出てくる。

 しかし、アルゲリッチのあのライヴ録音盤を聴いてしまっている私には、もはや“驚き桃の木山椒の木”とまではいかない。
 この録音を先に聴いていたら、こんなにすばらしい演奏があるのか、と思ったことは間違いない。
 ただ、ライヴ盤の方はこの曲の決定盤というにはあまりにも過激で正統的名演とは言い難い。末永く落ち着いて聴く分には、間違いなくこちらの演奏の方で決まりだろう。
 1993録音。グラモフォン。

  Shostakovich: Piano Concerto No.1 Op.35; Haydn: Keyboard Concerto H.18 No.11 / Martha Argerich(p), Guy Touvron(tp), Jorg Faerber(cond), Wurttemberg Chamber Orchestra of Heilbronn

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