やれやれ、今日は誕生日である。
いや、その、私の。
なんだかこの歳になると誕生日といってもちっともうれしくない。むしろ自分の誕生日を忘れそうになるくらいだ。
誕生日を迎えるたびに、また一歩着実に死に近づいている事実を痛感する。
いや、そもそも人は生まれた直後から死に向かって行っているわけだ。つまり新築した家に入居した瞬間から、どんどん家は朽ちる方へ向かっているのと同じわけだが、若いときにはそんなことは考えない。むしろ、これから先に人生のピークがあるに違いないと期待している。
そういう私は、いつがピークだったんだろう?
なんだがピークなき人生のような気がする。
誕生日といえば、みなさんの周りには2月29日生まれの人っているだろうか?
私の周囲にはいたためしがない。
2月29日生まれというのは、前後どちらかに誕生日を移してしまうのだろうか?
ロッシーニは2月29日生まれだった。あんまりわが人生には関係ない話だけど……
誕生がらみで今日は深井史郎(Fukai Shiro 1907-59 秋田)のバレエ音楽「創造(Creation)」(1940)。
「1.神々の誕生」「2.生物の誕生」「3.人間の誕生」の3つの曲(シーン)から成る。
この作品、実は皇紀2600年を記念して書かれたもので、その内容は日本神話と生物の進化論、そして当時の内外情勢を組み合わせたもの。
第1曲はイザナギ、イザナミの2神の誕生とこの神々が日本の国土を創る場面。
第2曲は生物がこの世に誕生する場面だが、原始的生物と知的生物が書き分けられている。
第3曲は人間の男女の愛の高まりを描いていくが、突然破壊的爆発が起こり闇のような世界となる。愛は実を結ばなかったのだ。そこへ「建設の踊り」という行進曲が始まり、前に出ていた「神の動機」と「人間の動機」も登場する。つまり神である天皇と日本国民がひとつになって、当時の困難な内外情勢を打破しようというものだ。
CDはヤブロンスキー指揮ロシア・フィルの演奏によるものがナクソスから出ている(前に取り上げた「パロディ的な4楽章」とカップリング)。2004録音。
混沌とした誕生3シーンをお楽しみあれ!
で、今日は私の誕生日。
February 2012
いまのマンションに住んでから、私の心を重くしているほんのちっぽけな悩みは、電波時計がしばしば電波受信に失敗することである。
朝起きて、置時計や目覚まし時計(これも置時計だが)に電波OKマークが出ていないと、なんだかこの世から無視されているような気持になる。
特に感度が悪いのは腕時計で、ここ数日ずっと電波の受信に失敗していた。
おとといの晩に、窓ぎりぎりに置いて寝たら、やっとこさ昨日の朝は電波受信に成功していた。
この腕時計、3つあるリューズの1つを押すと、秒針がYあるいはNと表示された箇所に移動するのだが、昨日の朝は「もしまたNのところを指したらどうしよう」と、ものすごく不安な気持ちでリューズを押したものだ。
そして、Yのところで止まったときの私の喜び!
うれしくて何度も押して確かめたものだ。
もう1つの、これはけっこう深刻な悩みは、電気代だ。
オール電化のマンションなので電気は食うと思っていたが、今回締日の関係か、2日分だけの請求が来た。一般の電気料金は800円ほど、そして電気蓄熱暖房機専用の電気代が917円だった。
いいですか?2日間で1600円ですよ、電気代が。
つーことは単純計算で1か月で24000円になっちまうじゃないですか!!
これは困る。
でも、同じようにオール電化のマンションに住んでいる職場の人たちに聞くと、みな口裏を合わせたように「月8000円くらい」だと言う。
本当かな?
そういうことかな?
ほかの人たちの1か月って、10日間しかないのかな。
いや、同じ地球上に住んでいるんだから約30日だよな。
とにかく暖房を節約して様子を見ることにしよう……
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第12番ニ短調Op.112「1917年(The year 1917)」(1961)。
いや、その、917だから……
今日は私が絶賛し続けているペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏によるCDを。
過激にオケを叫ばせるでもなく、かといってもちろん物足りない感じでもなく、ショスタコがあーだこーだ言っていた標題性にあまりこだわらずに純交響曲として演奏している。CDの帯には「ムダな贅肉を切り落とし、残った部分は本当に美味しそうな赤身だけ」って書かれているが、そんなパサついた演奏ではない(この執筆者は脂身が相当嫌いなのだろう)。赤身だけならこんなに魅力的にはならないはずだ。
2009録音。ナクソス。
先日取り上げた、第6番とのカップリング。
第6番の時はCDケース外側のスリーヴの写真を載せたので、今回は中のジャケットを載せておく。
私もおなか周りの贅肉を落としたい……
ペトレンコよ、私のところへ来ておくれ!
またまた、ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の幻想交響曲(Symphonie fantastique)Op.14(1830/'31改訂)。
いまさら言うまでもないが、恋人を表すイデー・フィクス(固定楽想)を全曲を通じて用いていること、そしてこれまでにない画期的なオーケストレーションと標題音楽の確立という点で画期的な作品である。
私は思う。
前に書いたように、私は高校生時分の自分の失恋のときにこの交響曲にひどく共感した。
しかしベルリオーズのように、好きだった、そして自分のことを好きになってくれなかった女性にいわば逆切れし、最後は魔女に仕立て上げるということ、つま、憎さ百倍という感覚は、若くなきゃ持てない感情じゃないかと……
そりゃ、ある程度大人になってもそういう感情をもつケースはある(あるいは、そういう性格の人もいる)だろうけど、自分で想像するに、もっと冷静というか冷淡というか、憎む気力もない枯渇したような感情しかもてなくなるのではないかと思う。だって、もはや若くないのだから。
とはいえ、20代後半のベルリオーズはこの曲で自分のほうを振り向いてくれなかった女優のスミスソンを、終楽章では魔女に仕立て上げた。
すごい恨みである。
27歳のころって、やっぱりこういう感情になるんだろうか?
まぁ、巷のストーカー的な犯行、もと交際相手の……みたいな事件はもっと年長の男が犯人だったりするから、私の考え方というか感情が枯れすすき過ぎるのかもしれない。
今日は、マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団の演奏を。
なんだかとってもすがすがしい“幻想”だ。
テンポは速めで、サクサクと進んでいく。
私は、これはこれで、ベルリオーズの音響世界を純粋に楽しむにはもってこいの演奏だと思うが、人によっては「だからアメリカ人指揮者は浅いんだよ!」なんて、ひどいことを言っちゃうかもしれない(それもわかる)。
鐘の音はかなり素敵。札響が持っている幻想専用の鐘の音に似ている。
第1楽章と第4楽章のリピートあり。第2楽章でのコルネット助奏なし。
1997録音。RCA。
高校生の時の日本史の先生の名前は〇〇恒子だった。
当時すでにそこそこのご年齢で、黒板の前で左右に行ったり来たりするその歩き方がジャワ原人のようで(根拠のないイメージだが)、それだけでもなかなか風変りなご婦人であった。
もうかなりの歳になっているだろうから(もしかしたらご存命でないかもしれない)、まったくの別人に間違いないのだが、恒子さんからメールが来た。恒子という文字づらを目にすると、大化の改新だとか、鳴くよ鶯平安京といった響きが頭によみがえる。
やだやだ……
突然のメールですみません。
私、57歳になります。
この年齢にして余生を持て余しております。
恒子[つねこ]と申します。
夫に先立たれ今は寂しく1人で暮らしております。
沢山の遺産も不動産も残してくれましたが、天涯孤独の身、私には使いきれないです。
どれだけでもお礼もしますし、この出会いに賭けたいと思っております。
お金があっても寂しさも孤独も解消できません。
何をするにも1人では虚しいです。
食事など、時々付き合っていただけませんか・・
もちろん、こんな年増でも女として見ていただけたら光栄です。
恥ずかしながら写真もつけてみます。
私のような未亡人でも宜しいですか?
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ラブパスポート+??
宜しくないです、恒子さん。
同じ発信者から、こんなのも来た。
恒子の次は絹子だ。
よくもまあ、似たような傾向の名前を選んでくるものだ。
一緒に居たいと思えるならば境遇は関係がないと思っています。
当たり前かもしれませんが、恋人、結婚など分類する以前の問題でお付き合いしていて癒しあえたり、楽しめれば構わないんです。
安易過ぎますか?
男女の関係は若い時だけのものでは無いですよね。
色んな経験を積んできた中でお互いが分かり合える事もあると思います。
二人の時はお互い一人の男と女になって一時だけでも現実を忘れたい気持です。、
ほんのひと時でも・・
温かさを感じるながら一緒に過ごせる時間が欲しいです。
ほんの少しの期待を胸に…。
最近つくずく思うんです。
今からではもう遅いですか?
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ラブパスポート+??
もう遅いです、絹子さん(いくつか知らないけど……)。
絹子と来たからには、次は結子か?
いや、これじゃあちょっと若っぽいから、織子はどうだ?
あれっ?私、なんで糸へんにこだわってるんだろう?
そんなことはさておき、ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868 イタリア)の歌劇「絹のはしご(La scala di seta)」(1812初演)。
全1幕のオペラ・ブッファで、プラナールの同名作からG.フォッパが台本を書いた。
曲の名は、主人公が人に隠れて逢引をするために、家の裏から絹のはしごを下ろす、というところからきている。
今日はその序曲。
ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる演奏を。
1990録音。EMI。
ところでロッシーニの名のGioacchinoだが、近年、出生届などで確認した結果、実はGioachinoが正しいとされるようになりつつある。ジョアッキーノではなくジョアキーノだ。一応、ご参考までに……
いかがでしょう?
復活に向け、今日はちょっと頑張って書いてみました。
スパムメール系の話題ではありましたが……
昨日は支社内のある課が私、ならびに、その課に異動してきたもう1人の方、つまり2人の歓迎会を催してくれた。
イタ飯屋さんで、ワインを飲んだためちょいと酔っぱらってしまった。
そんなとき、妻からメールが来た。
「いま、帯広につきました!」
すごい!
いつからこんなアクティヴな女性になったのだろう!
近いとはいえ、特急列車で2時間半かかる場所だ。
なかなかたいしたものだ。
純粋に感心した。
で、ゴミだらけになったTシャツの再洗濯をお願いした。
よろしくお願いします。
昨日はこちらに来て初めて自分で洗濯をし、ワイシャツにアイロンがけをした。
洗濯で失敗したのは、紺色のTシャツをネットに入れなかったことだ。
洗濯後のTシャツは、その裏側が白いゴミでまみれていた。
このゴミがどこ由来のものかはよくわからないが、たぶん一緒に洗ったタオルが元凶だったに違いない。ネットが大事という妻の忠告をすっかり忘れてしまっていたバチが当たった。
夜はニールセンの交響曲第5番を聴いた。
が、途中でうたたねしてしまった。
だから、この曲については(まだ取り上げていないので)あらためて後日ご紹介したい。
昨日は首をキリンにして待っていたNTTのBフレッツ開通の日だった。
朝、まずは「お・値段以上」の配送センターからソファーが届いた。もちろん似鳥様からのプレゼントではない。札幌で私が買い、配送を頼んでいたものだ。
引越しの当日、つまり2月2日に届いてくれたなら私も幸せな気分になれたのだが、残念なことに品物を手配するのにはこれだけの日数がかかるということだったのだ。
おっと、もちろんソファーが届いたことと、NTTとはまったく関係がない。両者を結びつけるものは、同じ日に私に起こる出来事だということだけだ。
この日も晴れていた。
マンションの窓からは、日高連峰というのか十勝連峰というのか知らないが、なかなか雄大な眺めが楽しめる。レンホウの威圧的態度とは大違いだ。
で、NTTの工事は午後の予定だったが、予定より早い12時過ぎに来た。
なんとうれしいことか!
工事は20分ほどで終わった。
そして快適なPCのネット・ライフが再スタートするはずだった。
いや、実際に再スタートしたのだが(ネットに問題はなかったし、今回申し込みの際に2ヶ月は無料ですからとオプションでつけられた無線LANもスムーズに動いた)、皆さんも経験があると思うが、購入した新たなパソコンは、やれウィルス対策ソフトがどうだの、カスタマー登録はどうしただの、デスクトップ画面が派手すぎるだので、すぐに私の頭脳の一部にはなってくれない。
それにまずは転勤の挨拶状を印刷しなければならないという大命題が私にはあった。
ということで、プリンタ・ドライバのインストールと設定に結構な時間を要し、さらにはがきを印刷し、宛名書きをし……ということで、読者がいま、のどの渇きにも似た切望感を抱いている私の“通常記事”を書けるような状態ではとてもなかった。全然なかった。
ということで、実はいまこの記事も、お世辞にも頭の回転が速いとはいえないネットブックの方で入力しているし、本来のリズムに戻るにはまだまだかかりそうだ。まさか、「パソコンを自分好みに設定し、かつ記事を書きだめしたいので3日間ほどお休みをください」とは上司には言い出せない。いや、部下にも相談できない。
さて、“開通”という言葉を目にして、誰もが間違いなくまっさきに思い浮かぶことといえば、運河の開通のことだろう。
そこでショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「祝典序曲(Festive Overture)」Op.96(1954)。
以前にも書いたように、この曲はヴィルガ-ドン運河開通に捧げられた曲だ。そして、私も最近知ったのだが、モスクワ・オリンピックでも使われていたそうだ。
今日はネーメ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団による演奏を。
1987年もしくは'88年の録音。シャンドス。
私ですか?
もちろん、回線開通後に聴きましたよ、これ。
私はいつもミニロトとロト6をみずほ銀行のATMで買っている。
窓口ではなくATMで買っている理由は、当選番号を調べる必要がなく当たっていれば口座に当選金が勝手に振り込まれるからだが、ある日口座残高を調べてみると当選金によって残額が増えていたという経験は、1000円という場合を除いて残念ながらない。
駅前にみずほ銀行があるので、来週の分を出勤途中に買った。
驚いた。
ATMが4機もあった。
いや、それだけのことだ。
未明にへんな夢を見た。
すごく焦って、すごく不安になる夢で、寝汗をびっしょりかいていたが、お化けとかの夢ではない。
夢の中で「これは夢ではなく現実のことなのだ。まずい!」と考えていたほど、リアルかつ大いなる勘違いをしている夢だった。
それとはまったく関係ないが、朝はいきなりボンカレーを食べた。
明確に説明すると、ボンカレー・ゴールドの中辛である。
冷ごはんが残っていたのを食べきるための措置だ。
で、食べても全然ジョイフルな気分にはなれなかった。
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