読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行したものです。 現在は“新・読後充実度 84ppm のお話”としてちょくちょく更新しています。右下の入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

November 2012

フラミンゴとフラメンコとツルと♪シベリウス/フィンランディア

c3790146.jpg  ほんの一瞬だがフラミンゴとフラメンコという言葉で、どっちがどっちだか混乱してしまうことがある。

 しかし今までのところ、間違えて大恥をかいたことがないのは、どちらの言葉も私の日常生活にはほぼまったく関係ないもので、誤用のしようがなかったからである。

 しかし、旭山動物園からあの鳥が逃げ出したとき、世間話のなかで何度か「フラメンコはどこに行っちゃったんでしょうねぇ」と言いかけて、焦ったことがあった。

 いかんいかん、フラメンコは西郷輝彦だ。星のフラメンコぉ~ォッ!だ。カスタネットにあわせ踊るやつだ。だから、飛びはしない。

 そう反芻するのだが、また次のときに間違えそうになった。
 そんなとき、なぜか紺色と赤色のツートンのカスタネットが頭に浮かんだものだ。そして、私、自宅に1個持っているのだ。カスタネットを。
 気晴らしにあなたもカスタネットの1つか2つ、常備してはいかが?

 ヤンソンス指揮オスロ・フィルのシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の交響0c5e8b51.jpg 曲集のCDジャケットには鶴が描かれている。北海道で鶴といえばタンチョウヅルが浮かぶ。タンチョウヅルはは寒さに強いが、フラミンゴは弱い。そもそも形は似ているが、ツルとフラミンゴは別な種の鳥なんだそうだ。
 で、数日前の北海道新聞にも“フラミンゴ依然不明”って記事が載っていたけど、さて、いまいずこ?

 で、なぜこのCDジャケットがツルのデザインかというと、交響曲のほかに「悲しきワルツ(valse triste)」Op.44-1(1904)が収められているからである。

 じゃあ、ツルと「悲しきワルツ」の関係は何かと言うと、ワルツを逆から読むと最初の2文字がツルになるじゃん、ってことじゃ全然なくて、「悲しきワルツ」は劇音楽「クオレマ」のなかの曲で、「クオレマ(死)」の物語にはツルも出てくるのだ。
 「のだ」と書いたが、たぶんだからCDジャケットに鶴の絵が描かれているんだと、かってに私が思っただけだ。
 余談だが、私はてっきり、同じく「クオレマ」の中の「鶴のいる情景」Op.44-2も収められているのかなと思ったが、それはフライングであった。
 
 このCDには有名な交響詩「フィンランディア(Finlandia)」Op.26も収められている。
 有名曲だが意外とこれといった演奏にめぐり合うことが少ない。
 ヤンソンスのこの演奏は、そんなストレスを発散させてくれる。
 最初の重苦しい部分も過剰に演出せず、また後半の勝利の感情もこれでもかと煽らないが、そのバランスが見事で単なる“名曲紹介”に終っていない。

 「フィンランディア」の録音は1990年。EMI。
 現在廃盤だが、まだタワレコの店頭在庫の取り寄せが可能。

  Sibelius: Symphonies No.1-No.3, No.5, etc / Mariss Jansons, Oslo PO

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あさかの大変な朝。激安のグッチ♪リスト/ため息

d4dcdd71.jpg  しっかしなぁ。
 今朝はこんなメールが届いていた。

 【あさか】さんから新着Message★

 朝からごめん!!大変なこと起こったよ!!(…続きを読む/返信)


 こっちだって昨日から出張で東京に来ていて、非日常的な朝を迎えたのだ。
 いったいどんな大変なことが起こったんだよ?別に知りたくないけど……

 でも、送り手も完全に遊んでるね。【あさか】さんからなんだもん。
 あさかさんが「“朝か”らごめん」ときたもんだ。下手な漫才より面白いではないか!
 朝から前向きな気持ちにさせてくれてありがとう!
 ふぅ~、っとため息をつく私。

 スパムメールが送りつけられるのと、それを拒否設定する作業とは、あいかわらずいたちごっこだが、ふだんイタチなんて見ることなんてないのに言葉が生き残っているのが不思議だなぁと感慨にふけりつつ、今後はスパムごっことでも言ったら現代的でわかりやすいに違いないと、今思いついた私である。

 そういえば、先日スパム(いわゆるほんとのスパム。ランチョンミートね)が入ったキムチ鍋が紹介されているのを雑誌で見かけたが、あれって美味しいのかなぁ。

 スパムメールのほかに、最近増えているのがスパムコメント。
 私のブログに寄せられるコメントにスパム物が増えているのだ。しばらく落ち着いていたのにどうしたんだろう。

 こういうものには、「人肌恋しくなってきたり、しない?私は、なるなぁ・・・。一人で眠るのは寂しいよ。。」とか「あさげ、時々、女」といった、意味不明だが明らかにその手のものだとわかるコメントもあるが(URLも記載されている誘導コメント)、なかにはちょっと見ではわからないものもある。

 たとえば、「とても魅力的な記事でした!!!また遊びに来ます!!ありがとうございます。。」というのが来たが、投稿者名は“職務経歴書の例”様。“。”を2つも与えてくれて、ほんとに私の記事をほめてくれたのかと思って一瞬ぬか喜びしてしまった上に、急にぬか漬けが食べたくなってしまったが、これは私のコメント欄を利用したPRにすぎない。
 キュウリのぬか漬け、美味しいですよね?

 「お世話になります。とても良い記事ですね。」とコメントを寄こしたのは“グッチ アウトレット”様だったし、「こんにちは、またブログ覗かせていただきました。また、遊びにきま~す。よろしくお願いします。」というのは“グッチ激安”様からだった。
 グッチに何が起きているんだ、いったい?

 はぁ~……再びため息をつく私。

 リスト(Liszt ,Franz 1811-86 ハンガリー)の「ため息(Un Sospiro)」。
 1848年ごろに書かれた(1849出版)ピアノのための「3つの演奏会用練習曲(Trois etudes de concert)」S.144の第3曲である(変ニ長調)。
 ちなみに、第1曲は「悲しみ」、第2曲は「軽やかさ」というタイトルがついている。

 「ため息」といってもリストの曲は“前向きな”ため息って感じ。私のやれやれなため息とは違う。とても甘美で、幸福に満ちたようなことを考えていたら思わずもれてしまったため息のようだ。

 ボレットのピアノ独奏で。
 1978録音。デッカ。

  Liszt: Liebestraum - Favourite Piano Works / Jorge Bolet

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トリハタ?トバタ?鳥肌?で、私は風邪♪武満/そして、それが…

c353d5d8.jpg  なんとなく胃が重い感じがして、食欲もいまひとつ……
 それは月曜日のことだった。

 前の晩にちょいと飲みすぎたかなと私は断定した。
 前の晩は、すなわち日曜日の晩だったわけだが、飲酒に曜日を関連付けないというのが私の信条である。
 それはそうと、腰の痛みはだいぶ良くなっていたのが幸いであった。

 昨日の朝。
 食欲もまださほどわかない。昨日の昼のエビフライカレーのせいかなと思ったが、喉もちょっと痛い。

 さらにはクシャミが立て続けに2回出た。
 3回ならルル3錠ってことで 風邪が疑われるが、2回なのがじれったい。

 と思ってたら、朝シャンのあとクシャミが出た。
 そして私は、体調がいまひとつだったのは、風邪であることを知った。
 
 武満徹(Takemitsu ,Toru 1930-1996 東京)の「そして、それが風であることを知った(And Then I Knew 'Twas Wind)」(1992)。
 フルートとヴィオラ、ハープのための作品である。

 この曲はニコレの日本での代理人からの委嘱を受け書かれ、題名はディキンソンの長編詩の1つからとられてそうだ。
 いかにも武満っていう世界が、最初の一音から繰り広げられる。時が現実とはずれていくような感覚だ。

664c808d.jpg  武満はこの曲を、同じ編成で書かれたドビュッシーの「ソナタ」(1916)と一緒に演奏することを望んでいたという。

 CDはエイトケンのフルート、ニュー・ミュージック・コンサーツ・アンサンブルの演奏によるものがナクソスから出ている(在庫わずかという状況らしい)。
 2001録音。

  武満徹: エイトケン&ニュ- ミュ-ジック コンサ-ツ Ens

 風邪を吹き飛ばすべく、しばらく禁断モードだったラーメン+小ライスを昨日の昼に食べた。そして今朝、ちょっと快方に向かっている気がしないでもない。

 話は変わるが、先日ショッピング・センターの靴売り場で長靴を買った。
 レシートを見ると、店員さんの名前が書かれているが、これって“とりはだ”じゃないだろうなぁ、きっと……。

 もしそうなら、「とりはだは鳥肌だ」とか、子供の頃いじめられたかもしんないな。

 それはともかく、肌の老化も目立ってきた私は、本日東京に出張である。

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特急車内での領土問題♪チェリのブルックナー/Sym8

f5eff029.jpg  最近出張で“スーパーとかち”を利用したときのことである。いや、“キノコ”じゃなくて、ちゃんと意味を読みとるように。

 札幌駅で車内に乗り込み、私がとった指定席(通路側)に向かうと、すでに窓側に60歳くらいの女性が座っていた。
 その時点でまず「あぁ、今日はついてない」と大いに落胆する。
 隣は空席であるのがベストであるから……

 そして席に近づくと、落胆はムッとしたものに発展した。

 というのもその婦人、私のぷりぷりジューシーな上に高貴な雰囲気を隠しきれないお尻がこれから置かれるべき席に、自分の荷物を置いていたからだ。
 かばんとわかさいも本舗の手提げ紙袋とコートである。
 「ここは誰も来ないのよ、私の荷物置き場に決めました」という姿勢が非常識極まりない。
 私が幼稚園児だったらすぐに先生に言いつけるところだ。
 まだ発車前なのだ。誰かが来る可能性があり、その可能性は少なくないという前提を、無言の圧力で覆そうとするこの姿勢は、根拠なく自分の領土だと侵犯してくる国に似ている。
 先に荷物を置いてしまったなら、もはやその席には誰も来ないという願望を武力行使しているようなものだ。

 私もいつもと違って、少し遅くに乗り込んだのが悪かった。
 こういう目に遭いたくないから、たいてい私は列車の入線と同時に乗り込むようにしている。今回だって先に私が座っていれば、あの非常識な婦人も、さすがに私のひざの上にわかさいも本舗の紙袋を置くようなまねはしなかったろう(したかもしれないけど)。

 温厚な私も、さすがにちょいと不快感を30%ほど露わにしてそうに「ここ、私の席なんざぁますけど」と言うと(テレパシーで)、すいませんも、あららも、うっしっしもなく、無言でその荷物を足元に、いかにも迷惑そうに動かした。迷惑なのは私なのに、自分がひどい仕打ちをしてしまったような錯覚に襲われかけた。

 私がネットで指定席をとったときには、私の隣は空いていた。
 つまり私のほうが先だ。私が来たことを不愉快に思うなら、私にではなく自分にこの席を売ったみどりの窓口の人にその顔をさらしてほしい。

 列車は発車した。
 私のシートは後ろから4列目だったが、前を見渡すとほとんどが2人がけのシートが1人ずつでしかうまっていない。よりによって、なぜ私の横には客がいるのだろう。それも隣はわけあってお忍びで一人旅の人気若手女優-それだったら不快には思わないだろう-ではなく、罪もない私を敵対視している無名一般婦人だ。あ~ぁ、なぜ出張の移動で息詰まる思いをしなければならないのだろう。

 札幌から南千歳の30分ほどの間に、その女性はミスドのドーナツを2個平らげた。南千歳から新夕張の間で、その女性は中サイズの海苔巻きせんべいと柿ピーの2袋を平らげた。甘い香りに包まれたと思ったら、醤油とのりの磯の香り、そしてボリボリという硬質的な音響に私はさらされた。そのおばさん、両駅の中間の追分駅あたりで柿ピーのピーを一個落とした。それは私の足元をかすめて、前の席の下にもぐりこんでいった。
 これらを平らげたオバ曽根は、あとはずっと眠りこけていた。
 その横で私は、本を読むことにも集中できず、時が進むのがすっごく遅く感じながら、早くこの居心地の悪さから解放されますようにと祈った。
 やれやれ……

 チェリビダッケ指揮のブルックナー(Anton Bruckner 1824-1896 オーストリア)の交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87/改訂'89-90)。オーケストラはミュンヘン・フィルで、1993年ライヴ。1889-90年ノヴァーク第2稿。

 居心地は悪くないが、相変わらずテンポが遅い。
 これがチェリの魅力といえば、それはその通りなんだけど、遅すぎね?
 この曲ただでさえ長いのに、まだここの箇所なのって思うし、頭がぼぅっとしてきてどこの場所だか見失いそうにもなる。「えっ、まだトマム駅なの?」って思ったら、その手前の信号所で停車中だったりするような。
 でも、大なり小なり感動させられるのが憎らしい。
 もう、チェリったらぁ~

  Celibidache Edition Vol.2 - Bruckner: Symphonies, etc

 私が降りる終点の駅(それはオバ曽根の目的地でもあったが)の1つ手前で何人かの乗客が降りて、そっくり空席になった場所ができた。
 あと10分ほどで着いちゃうのだが、私はそちらへ移動した。
 と、オバ曽根は待ってましたとばかり、つい今しがたまで私が座っていて、その生々しいぬくもりが残っているシートに再び荷物を置いた。

 すっごく腹が立った。

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こういう皇帝はお好き?エマール&アーノンクールのLvB/p協5

2d14ed9f.jpg  11月19日付の北海道新聞夕刊に、札響第554回定期演奏会の評が載っていた。1週間も経ってしまってから取り上げることについて、わずかに申し訳なさと恥ずかしさがある私だ。テュラテュラテュラテュラテュラテュララ~……

 書いているのは中村隆夫。肩書は指揮者になっている。
 確か以前は道教育大の先生だったと思うが、もう退官したってことなんだろうか?今さらながらそんなことに気づくとともに、時は流れているのねと、自分の首周りの老人性イボをなでながら思う。

 さて、「秀演だが心に迫らず…」と大書きしてある。

 エルガーの交響曲第1番については、演奏は良いのに「私には音がむなしく耳元を通りすぎるのみである」「ただし第2楽章はよかった」と書いてある。
 これって、演奏のことではなくエルガーの曲自体のことを言ってるのだろうか?
 う~ん、よくわからないな。

 中村氏が聴いたのは9日(A日程)の演奏。
 私は10日の公演(B日程)を聴いたわけだが、書いたように私も熱狂的な興奮はしなかった。中村氏が書いているのは私と同じような感覚なんだろうか?私にはむなしいとまでは思わなかったが……

bd8d4e8b.jpg  ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の方も、厳しく書いている。
 ここで私も同感だったのは、「テンポがしばしば前のめりになり」ってところ。ただし、私が思ったのは第1楽章で1カ所だけだったけど。

 9日と10日の演奏にどのくらい違いがあったのかはわからないが、なんとなく10日の方が良かったのかなと、この評を読んで思った。

 さて、気分転換にベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)のピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」(1809)をあらためて聴いてみよう(←独り言と思ってください。だいいち、気分転換にならないんじゃ……)。
 本日はエマールの独奏、アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団による演奏。
 つまり、近代オーケストラでガンガンやるのとは正反対のスタンスのものである。

 「皇帝」という名前はベートーヴェン自身がつけたものではない。
 規模や内容からそのように呼ばれるようになったとも言われるが、確かにこの曲は壮麗壮大で、ともすれば退屈になっちゃうこともあるが、とにかくそれ以前のピアノ・コンチェルトとは格が違うという感じがある。
 が、このCDは違う。いつもの「皇帝」を期待して聴くと、「あれ?皇帝様はお風邪でも?」という演奏なのだ。しかし、何度か聴くとハッタリのないこの演奏がけっこう心地よくなってくる。「皇帝」という権威など関係ないもんね、って感じのものだ。
 骨ばってなくて、私は案外と好き。

 2002年、ライヴ録音。テルデック。

  Beethoven::Piano Concerto No.1-5:Pierre -Laurent Aimard(p)/Nikolaus Harnoncourt(cond)/Chamber Orchestra of Europe


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今日のことか?それとも……♪ボロディン/六重奏曲

9db69465.jpg  本日は日曜日である。
 ところで私にはよくわからないことが1つある。

 あっ、いえ、ウソをついてしまった。
 本当は1つどころか2億ぐらいある。

 だから、そのなかの1つということである。
 宝くじで高額が当たる確率がどれくらいか知らないが、今日のあなたは2億分の1というありえないような確率にもかかわらず遭遇できたわけで、それはそれで非常に幸運だと言わざるを得ない。不幸である可能性もあるが……

 で、その疑問というのは、昨日の土曜日の時点で“今週の日曜日”と言われた場合、それは今日のことなのかそれとも、この前の日曜日のことなのか、ということである。

 カレンダーを見ても、1週間の始まりが月曜日のものと、日曜日のものの2種類がある。
 月曜始まりのカレンダーだと、土曜日の時点で“今週の日曜日”と言われれば、間違いなく翌日、つまり来たるべく明日、だから今日のことを指すと考えるのが妥当である。

 しかし、日曜始まりのカレンダーを基準にすれば、“今週の日曜日”と土曜日に言われると6日前の日曜日のこと、つまり私の場合は日曜日なのに仕事をしていた18日を指すんじゃないかと憶測するのが無難であろう。

 何をくだらないことを言ってるんだと思われるだろうが、まったくそのとおりだ。
 しかし、次のようなメールにどう対処すべきかという重大な問題が生じたのだ。

 あの、最初に言っておきます。これ以上ポイントを買うつもりはありませんし、無くなったらこのサイトを辞めるつもりでいます。なので、今のポイントが無くなる前にお会い出来ますか?元々エッチ目的で登録したのですが、未だに出会いはありません。待ち呆けされたこともあるので、もういいかなって思って…。今週の日曜日に時間は取れませんか?少しでも構いません。
 (ちなみに〇〇〇の部分は、メール本文では明記されている。聡明な読者諸氏にはたぶん想像つくであろう)

 えっ?対処する必要ないって?
 じぇんじぇん重要な問題じゃないって?
 そうですよね……
 しちめんどくさい疑問を呈してすまなかった。あなたの聡明さに1000ポイント差し上げたい気分だ。

  でも、しつこく話を続けるが、個人的には1週間の終わりが日曜日って感覚である。
 旧約聖書の創世記にだって、最後の日を安息日にしたって書かれているし……

 そんでもって、本業とは別に趣味が高じて休日を利用して玄人はだしの仕事をする人を日曜〇〇家という。
 
 ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)は日曜作曲家だった。自分でそう言っていたという。

 彼の本職は化学者。それもかなりの学者だった。
 作曲活動は研究の合間の暇をみて行なわれたので“日曜作曲家”なのである。
 断っておくが、日曜日以外には作曲を一切しなかったのかというと、そんな質問は受けたくない。ぷんぷん。言葉のあやってもんだ。

 日曜と〇〇〇にちなんで、そのボロディンの六重奏曲ニ短調(1860-61)。
 日曜とボロディンというしょうもない結びつきはともかく、なぜこの曲が〇〇〇とつながるのかというと、六重奏曲のことを英語でsextetというからだ。
 う~ん深い!……という自己満足。

 この曲について私は情報を持っていないので、サルでも気づく点のみ書くと、2つの楽章から成り(2つの楽章しか残っていないらしい)、第1楽章は美しく優しげな音楽。第2楽章は民謡を思わせるもので、ピッツィカートが効果的に響く。
 ほとんど知られていない曲だが、どうしてどうして、なかなか良い曲なのだ。

 CDはデティソフとポロンスキーのヴァイオリン、スリガとボブロフスキーのヴィオラ、オソキンとゴットヘルフのチェロによる演奏のものを(って、これしか知らない)。
 ブリリアント・クラシックスのボロディン室内楽曲集。
 1995録音。録音も空間に弦の音がさわやかに響き渡って素敵だ。

  Borodin: Chamber Music / Moscow String Quartet, etc

 さて、昨日から珍しく腰が痛い。
 庭で草取りに精を出し過ぎたあとのような痛みだが、当然、この時期にそんなことはしていない。原因がわからない。
 でも、痛い。

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買うのを待った甲斐があった。DSch/黄金の山脈etc

4ba5f465.jpg  夕方にスーパーに行くと、いろんなものが値引きになっている。

 20円引きとか30円引きとシールが貼られてたり、20%引きとかっていうのもある。
 どういう基準でこういう引き方の違いになるんでしょうね?

 このあいだは、“サザエ”でおやきが半額になっていた。
 しかも残りは1パックだ(3個入り)。
 これを逃す手はない。
 でも、冷静に考慮すると、私は別におやきは食べたくない。
 半額という誘惑と、別に食べたくないし、という冷静というか当たり前の感情。
 結局買わなかった。
 食べたくないものをいくら半額だからと買ったって、なんのメリットもないもんな。
 でも、いまだ損した気分を引きずっているのはなぜだろう。

 さて、タワレコで半額セールと書かれたワゴンが出ていた。
 のぞきたかったけど、けっこう体格のいいおじさんがずっとワゴンを占拠している。
 私が近寄っても横に体をずらそうとしない。ちょっとずれてくれれば仲良く、もしくは相互無関心で2人で見ることができるのに、がんとして動かない。こういうおじさんっていったいどんな親に育てられたのだろう?奥さんはどんな人なのだろう。子育ては順調にできたのだろうか?
 そんなことをいろいろと考えざるを得ない。

 しばらくたってそのおじさんは忽然と消えた。
 いや、たまたま私が見ていないうちにどっかに行ってしまったんだろうけど、私にはワゴン前にたたずむ亡霊がお経を耳にしてボンッ!って消失したような印象を覚えた。

 やっと見ることができる。
 私は堂々とワゴン中央部に正対し、めぼしいものがないか探した。
 なお、言っておくが、その間ほかの客は来なかった。
 もし来たなら、私は気弱なウサギのようにピョンピョンと退散し、新たな客に探索の喜びを譲っただろう。

 そのワゴンで見つけたショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の映画音楽集。

 収録されているのは、以下の4作品でいずれも組曲版である。

 1. 「黄金の山脈(Golden Hills)」Op.30a(1931)
 2. 「司祭とその下男バルドの物語(The tale of the Priest and his workwr Balda)」Op.36(1933-35)
 3. 「コルジンキナの出来事(Adventures of Korzinkina)」Op.59(1940)
 4. 「愚かな小ねずみ(The silly little mouse)」Op.56(1939)

 1.はユトケヴィチ監督の映画。スコアが散逸してしまっていたものである。
 2.はプーシキン原作のアニメ映画のための音楽だが、映画は未公開に終わった。スコアが散逸していたが、1979年にロジェストヴェンスキーが一部をオーケストラ編曲した。
 3.はミンツ監督の映画。これもスコアが散逸。
 4.はツェハノフスキー監督の映画だが未公開。この曲もスコア散逸。

 ってことで、このCDに収められている曲は、どれもスコアが散逸してしまっていたもの。

 にもかかわらずこうやって演奏されているということは、散逸していたスコアがどこかの図書館なんかで見つかったのだろう。

 いずれも若き日のショスタコのはつらつとした音楽を聴くことができるが、半額で買えてよかった。実は通常価格のときもこのCDは何度も手に取り、頬ずりし、また棚に返していたのだ。私にしては珍しく、待ちの態度でいてよかった。
 って、こと言ってたら輸入CDなんて買い逃しちゃうんだよな。今回はラッキーだった。おぉ、偉大なる半額セール!
 
 演奏はムナチャカノフの指揮。管弦楽はベラルーシ放送交響楽団とステート・シネマトグラフィック管弦楽団。「コルジンキナ」ではベラルーシ国立合唱団が加わる。
 1997録音。DELOS。
 ↓ のタワレコ・オンラインショップでは、当CDは安くなってはいるが半額までには今日時点ではなっていない。

  Shostakovich: Music from the Film Vol.5

 なお、ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳:中央公論社)には次のような記述がある。

 一時、わたしはアニメーションに熱中していた。正確にいえば、才能あるアニメーション作家ミハイル・ツェハノフスキイに惚れこんでいたのである。わたしは彼を、わが国でもっとも才能あるアニメーション作家だと考えている。彼が忘れさられてしまったのは残念でならない。
 ツェハノフスキイのためにわたしは2つの小さなオペラを作った。これはアニメーション用の音楽とみなされているが、実際は、わたしの音楽をもとにした映画だった。この小さなオペラは、プーシキンの詩にもとづく「司祭と作男バルダの話」と「ばかな鼠の話」である。そこには音楽がふんだんに入っていたが、それがすっかりどこかに消えてしまったのも残念である。
(38p)

 上に書いたように、どういう事情かは知らないが、消えてしまっていたものが見つかった。消えてしまった体格のいいおじさんの行方は知らないが。
 どの曲もハチャメチャに近いノリ。映画音楽だからそれも必要なんだろうし、とにかく動的なんだけど、若気の至りとは言わないまでも、もしショスタコが存命中にこのスコアが見つかりましたって言われたとしたら、ちょいと公開するのをためらったんじゃないだろうか?

 これらのなかには、他の作品にも使われた素材やメロディーもあって、ショスタコの根っこのようなものが垣間見える。
 にしても、「黄金の山脈」にある、オルガン大活躍の曲は、「これショスタコが書いたの?バッハみたい」というもの。ショスタコとオルガンというのも珍しい。

 なお、ベラルーシ放送響による「黄金の山脈」については、他の演奏よりも音の混濁があり、録音がやや悪い。
 それより、ベラルーシって美女が多いそうですね。困ったなぁ←何が?
 
  ショスタコーヴィチの証言 (1980年) [古書]

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第1次大戦後のドイツの傑作オペラ♪ワイル/三文オペラ

cbf565ff.jpg  だいたい私が朝目覚めるのは5時ちょっと前である。

 5時ちょうどに目覚まし時計のアラームをセットしているが、ほとんどの場合その前に目が覚める。自分でもたいしたものだと思う。

 そしてまた、そんなに早く起きているのに、ブログの更新(たいていは大筋は前日までに書き上げている)をし、ランキング・サイトに更新通知をして、ポイントサイトの「今日のプレゼント」の応募をし、夜中のうちに届いた大量のお誘いメールを受信拒否設定したのちに削除すると、なんとなくつけていたテレビ(テレ朝)には早朝にもかかわらずお坊さんが映っている。

 5時40分ころに、“今日の説法”なるお坊さんのありがたいお言葉を与えられるコーナーが毎朝流されるのだ。美輪明宏の曜日もある。あの黄色い髪の毛はいつ観ても鮮やかだ。どっちにしろ、この時間はTVの音量をゼロにしているので、どんなありがたい言葉が話されているか、私にはまったくわからない。
 そうこうしているうちに6時になる。

 私は6時になってから1階に新聞を取りに行く。
 以前は5:50に行っていたのだが、必ず別フロアのおばさんとエレベーターが一緒になり、新聞受けの前でもたついていると(私が。錠をかけているので時間がかかるのだ)、ずっと帰りのエレベーターを開けて待っていてくれるので申し訳なくて時間をずらすことにしたのだ。

 にしても、どうも朝の時間を効率よく使っているとは自分でも思えない。
 早起きは三文の徳というが、私にはあまり徳も得もない。
 つまり、体力がないからずっと寝続けられないということだ。あるいは前世が働き者のニワトリだったのかもしれないし……

 ワイル(Kurt Weill 1900-50 ドイツ→アメリカ)の「三文オペラ(Die Dreigroschenoper)」(1928)。J.ゲイの「乞食オペラ」(ペープシュ(Johann Christoph Pepusch 1667-1752 ドイツ→イギリス)作曲)の台本をもとに、B.ブレヒトとE.ハウプトマンが台本を書いた3幕の舞台作品である。

 乞食や盗賊、娼婦など下積み生活をおくる人々と警察権力を対比させて社会の矛盾を暴く内容で、伴奏は9人のジャズ・バンドによる。
 その編成は、ピアノ、2クラリネット(または2サックス)、2トランペット、トロンボーン、リード・オルガン、打楽器、バンジョー(またはギター)。
 この曲を編曲した8曲からなる組曲「小さな三文音楽」を以前取り上げさせてもらっている。

 その歌詞の内容はよくわからないまま私は聴いているわけだが、毒がある音楽だということはわかるし、無気力感がある一方で強烈な刺激もある。この作品は大ヒットしたというが、その魅力は今でも失われていない。

 時代的には第1次大戦後の、ナチスが力をつけてきたドイツの不穏な時期のもので、ワイルは1933年のナチス政権成立によってパリに移り、その後'35年にはアメリカに移住し市民権を得た。
 
 今日はマウチェリ指揮RIASベルリン・シンフォニエッタ、RIAS室内合唱団、レンパー(ヴォーカル)、デルネッシュ(S)、コロ(T)の演奏で。
 1988録音。デッカ。

  Weill: The Threepenny Opera


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輝いていても節電はしているらしい♪ブリテン/イリュミナシヨン

b1d37026.jpg  今日22日の夜から、札幌大通公園のホワイト・イルミネーションが始まるそうだ。

 これが節電の問題をどうクリアしているのかよくわからないが、よく言われていることは、ホワイト・イルミネーションを2人で見た恋人同士は破局を向けるという話だ。

 たぶん、実際にイルミネーションの前で大ゲンカし破たんしたカップルが、腹いせに流したうわさに過ぎないだろうが、節電という観点からすれば暗い部屋で2人っきりで過ごせば一石二鳥だろう。
 なにが一石二鳥だかわかるようでわからんが、ほほぅ、ここにもニトリが!

 そんなことで、今日はブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「イリュミナシヨン(Les illumination)」Op.18(1939)。A.ランボーの詩による、高声(ソプラノまたはテノール)と弦楽のための作品である。
 以前、ピアーズのテノールによる演奏を紹介したので、今日はゴメズのソプラノによる演奏を。指揮はウィトフィールド。弦楽はエディミオン・アンサンブル。
 響きが精緻で良い演奏だ。
 1986録音。EMI。

  Britten: Serenade Op.31, Les Illuminations Op.18, Nocturne Op.60, etc

 独唱がソプラノかテノールということで、どちらが良いかは好きずきなんだろうけど、個人的にはテノールを起用した演奏の方がちょいとばかり好きかな……

 なお、ホワイト・イルミネーションだが、BDF発電で点灯させるので節電になってて、しかもエコなんだそうだ。
 よくわからないが、喜ばしいことである。

 なお、「イリュミナシヨン」を日本語に訳すと、“着色版画”なんだそうだ。
 電飾ではなかったのですね。

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祭りだ祭りだ!太鼓だ太…♪ラ・ヴェッキアによる「ローマの祭」

b9f6df20.jpg   たぶんいろいろ賛否の声があるのだろうが、意外と嫌いじゃないのがラ・ヴェッキア指揮ローマ交響楽団の演奏によるレスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の交響詩「ローマの祭(Feste romane)」(1928)。ラーメン屋付き公衆大浴場“ローマの泉”のときに取り上げたCDだ。

 賛否の声ってどういうことかというと、まず遅めのテンポであること。
 チェリビダッケなんてだいたいの曲において遅く演奏するのが当たり前となっているんだけど、それは別として、「ローマの祭」でこういう演奏はあまりない。

 それからパワーがやや弱い。オーケストラの力量不足か?下手ではないんだけど。

 しかし、不思議なことに混沌となりがちなこの曲を、けっこう見通しよく演奏してくれちゃっている。各楽器の音がよく聴こえてくるのだ。決して録音が良いわけじゃないんだけど。

 第1曲「チェルチェンセス」ではオルガンの音が聴こえてこない。まさかオルガン省略ってことは39534f54.jpg ないと思うのだが、もし入っているとしても聴き取れないほど小音量。
 第4曲では私の大好きなドンドンドンという大太鼓が入っていない。これは明らかに欠落。その部分のスコアを載せておくが、この練習番号35直前のG.C.(大太鼓)の音がない(CDでは第4トラックの1'55"あたり)。どうした、大太鼓、ぼっとしてたのか?あるいは深い意味があってのカットか?でもさ、祭りには太鼓が欠かせないでしょ?(掲載譜はROCORDI社のもの)。

 練習番号46の部分でも、ちょいとあれっ?と思うところがある。
 ヒュンと飛ぶところがあるのだ。これは省略か、編集ミスか、あるいは本当にヒュンと一瞬にして演奏しているのか?

 こんな演奏ながら、でも全体を通しての曲の歌いまわしは巧い。
 下手ウマというほど変ではないが、不思議な引力を持った演奏なのである。

 2010録音。ブリリアント・クラシックス。

  Respighi: Complete Orchestral Music Vol.1

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