読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行したものです。 現在は“新・読後充実度 84ppm のお話”としてちょくちょく更新しています。右下の入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

April 2013

晴れてくれないから、爆笑ハレルヤで気分転換

 せっかくの連休だというのに、前半は風が強かったり、雨が降ったりで、ちーっとも庭仕事がはかどらなかった。

 晴れてくれや!
 晴れろや!
 晴れるや!

 っれことで、天候回復を願いながら、たまたまYouTubeで見つけた、ヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」を観て、爆笑のあまり涙した。
 


 そうそう、この間ヘンテコな「くるみ割り人形」の「行進曲」のことを書いたが、同じポーツマス・シンフォニアの演奏によるハレルヤ・コーラスの演奏も発見した。


 ひっでぇけど、これだけ下手に演奏するにはかなりの力量がいるだろうな。

 それは良いとして、悪天による失意の私の連休について。

 26日(金)。
 仕事が終わったあと、車で自宅へ。
 途中はおおむね雨。
 自宅に着いたのは20:58。
 だらだらとウイスキーを飲みながら、ローソンのからあげクンを食べる。初めて買った。レジで店員さんに「1個増量中ですがいかがですか?」と言われ、断れなくて買ってしまった。案外、いけた。

dfe88485.jpg  27日(土)。曇り時々雨。
 何度か利用した自動車整備工場に行って夏タイヤを注文し(1本が回復不能なパンクに見舞われていた)、そのあと長男の住む近隣の町へ向かう。長男をピックアップし、妻の実家へ。伊達インターを下りたのがちょうど昼だったので、ラーメンを食べようとしたが、慣れない街でラーメン屋を偶然的に見つけることが極めて困難なことを痛感。しかたなく入った喫茶店でシーフードカレーを食べる。
 そのあと実家へ。
 私は到着後、昼寝。
 夕食後、本眠り。

 28日(日)。曇り時々雨。
 午前10時に出発。昼近くに家の近くまで来たので、そこでラーメンを食べる。この店の売りは塩ラーメンであるのに、前回同様間違って醤油ラーメンを頼んでしまう。不味くはないが、美味くもない。失敗した。
 いったん帰宅後、旭川に向かう。葬式である。
 あまり耳にしたことのない、スローなテンポのお経。
 「あなかしこ」という言葉が何度か唱えられたが、なんとなくアナコンダを連想してしまったいけないワタシ。
 行きは同じ職場のAさんの車に同乗。帰りは、やはり同じ職場のBさんの車に同乗。
 20:30帰宅。
 遅い夕食後、寝る。

a698ba36.jpg  29日(月)。
 朝から湿った空気。時折雨。風も強い。
 庭仕事には適さない天候。
 しかし私には時間がない。
 鼻水をすすりながら、まだはずしていない残りの冬囲いを撤去。
 前にも書いたが、この冬は雪も多かったが、ノネズミ(と思われる被害も甚大)。
 雪の重みで折れかかった支柱多数(写真)。
 また、ノネズミによるバラや木の樹皮被害甚大。
 写真はエバーゴールドというバラだが、それでもこの株はまだ枝の上の方に(今のところ)新芽があるのでいいが、中には地際の幹がかじられてちぎれる寸前になっているのもある。
 にっくきノネズミめ!
 もし見つけたら、思いっきりアッカンベーしてやる。
 にしても、トゲトゲの幹をよく噛めるものだ。
 口、血だらけにならないのかなぁ。

 さて、今日は会議である。

 そうそう、一応触れておくが、「ハレルヤ(Hallelujah!)」はヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)のオラトリオ「メサイア(Messiah)」HWV.56(1741)のなかの1曲で、このオラトリオの中でもとりわけ有名なもの。

 ウチの庭にも救世主が現れてくれないものかね……

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 ※ お仕事に行くのが億劫かと思います。
   それに比べりゃ、↑↓のクリックなんてお茶の子さいさいですよね?
   あとは書かずともわかるはず……

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スマンケンドモ、手ヲ洗イタイデシタ♪スーザ/海を越えた握手

1ad3d05c.jpg   先週、外人と会う機会があった。
 いや、金髪娘がいる店に飲みにいったというわけではない←そんな店あるんかね?あるんだろうな……
 かといって、「マタチョンニャントモチャンコイスミダ」みたいな言葉を話す国の人でもない。

 アメリカのお方だ。

 会った理由?
 レジャーではなく、仕事である。
 でも、彼は何年も前から日本で暮らしているので、けっこう日本語が話せる。もちろん私には及ばないが、あと2~3年もしたら追抜かれるかもしれない。

 そんなわけで、ごたいめ~んのときも、私は「茄子とミート・中」と、日替わりパスタを注文するようなことを言わなくて済んだし、先方も「コンニチワ」と言った。
 
 私は実は人見知りをするほうだ。だから最初の挨拶を終えたあとは、足元の石粒に同化したいくらいだったが、今般の日米関係を考えるならば微力ながら私としても努力しなければなるまい。

 「初めマスタ!お会いできてうれしかったでシタ!」
 私は精一杯の歪んだ笑顔で続けた。
 いや歪ませることに精を尽くしたのではなく、笑顔を作ることに国際レベルの努力をしたのである。

 で、たぶんそうなるだろうと予想していたが、やっぱり握手を交わした。

 お互い深い感情を伴わない握手を交わしたあと名刺交換をしようとしたのだが、彼は「総理ぃ~、その前にテ洗いたいデス」と言った。
 そして、トイレに行った。

 私は一瞬何が起きたかわからなかった。が、そのあと傷ついたような気がした。

 だってそうでしょ?
 握手した直後に手を洗いに行かれたのだ。
 
 私と握手した
  ↓
 そのあと手を洗いに行った
  ↓
 ゆえに私の手は汚いとみなされた

 という三段論法が成り立つと言えないだろうか?

 が、そのあと判明したことは、彼は手が洗いたかったのではなく、かなり尿意をがまんしており、“手洗い”に行きたかったということだ。疑って悪かったトム!(仮称)。でも、フツーにトイレって言ってくれれば国際的誤解が生じなくて済んだのだ。

 ついでに、私を総理と呼んだというのも勘違いだった。sorryと判断することが(東電の記者会見風に言うと)“妥当”である。

 スーザ(John Philip Sousa 1854-1932 アメリカ)の行進曲「海を越えた握手(Hands across the sea)」(1899)。
 作曲のきっかけについては諸説あるようだが、マーチ王が書いた数ある行進曲の1つだから、経緯については、まぁさして重要ではないだろう。

 私が持っているCDはフェネル指揮イーストマン管楽アンサンブルのもの。
 1956録音。マーキュリー。

  海を越えた握手~マーチ名曲集

 そういえば、このあいだ何人かで中華料理を食べたとき、そのうちの1人が酢豚って言うところをスマタって言い間違えやがった。
 たぶん素股のことだろう。
 かなり性的に欲求不満と推測する次第である。

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鉛色の空が寂しいメロディーを呼ぶ♪チャイコフスキー/Sym3

 しばらく耳にしていなかった、ファゴットによる寂しげで素朴なメロディーが突然頭の中で繰り返し鳴るようになった。そのメロディーはホルンに受け継がれ……

1ac996bb.jpg  チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第3番ニ長調Op.29「ポーランド(Polish)」(1875)の第3楽章のものだ(掲載譜の旋律。このスコアはDOVER社の大判スコア。にしても、ドーヴァーのスコアってなんでこんなに印刷が汚いというか、鮮明でないのだろう?まぁ、廉価だったけど)。

 きっとこれは、たぶん間違いないと思うのだが、おそらく、連休に入ったというのに、天気がぐずぐずぐずぐずとぐずついてるせいだ。だから、この陰鬱なメロディーが私の左脳か右脳かわからないが、そのあたりの浅い皺周辺で鳴り渡るのだろう。
 でも、大丈夫、この曲、そういう魅力がある一方で、元気いっぱいの快適明朗会計的な部分もあるから、MUU、立ち直っちゃう!……ったく、アホかいな。

 チャイコフスキーの(番号付きの)6曲の交響曲の中で4楽章構成ではない曲は、この第3番のみで、5つの楽章から成る。

 「ポーランド」という名は、第5楽章に“ポロネーズのテンポで”という指示があることから、イギリスで演奏された際につけられた。
 にしても、ハイドンの交響曲第88番が「V字」と、そしてドヴォルザークの交響曲第8番が「イギリス」と、いずれも曲そのものとは関係ないタイトルがついたのには、どちらもイギリスという国が絡んでいる。困ったものだ。

8a5b795b.jpg  私にとってチャイコフスキーの前半3曲の交響曲の中で、最初に聴いたのがこの第3番。
 いろんなエピソードが詰め込まれていてあまりまとまりがないように思えたが、両端楽章のエネルギッシュな響きや中間の3つの楽章のもの悲しさは、なかなかのお気に入りであった。私は“中学生日記”に出てくる悩める脇役のような、物悲しい性格の中学生だったわけだ。
 最近あまり聴かなくなったのは、第3番が嫌いになったのではなく、なぜかチャイコフスキーの作品そのものをあまり聴かなくなったせいだ。

 第3番は後半の3つの傑作交響曲(第4、5、6番)への過渡的作品と言われるが、確かに5つの楽章にこれといった強い結びつきはないし、上に書いたようにいろいろなエピソードを集めた感がある。
 でも、相変わらず、いかにもロシアってものだし、やっぱりチャイコフスキーって音楽だ。

 録音は古くなったが若きマゼールがウィーン・フィルを振った演奏を。
 のびのびしたメロディーの歌わせ方、ちょっと硬質系の爆走。聴いていて自然と体が揺れ動くという、傍から見られたら危険人物に思われる、そんな魔力をもった演奏だ。
 いいねぇ、このハツラツとした若さあふれる推進力。
 あぁ、こ~ふん。
 1964録音。デッカ。

  Tchaikovsky: Symphonies 1 [Import]

  Tchaikovsky: Symphonies Nos. 1, 2 and 3 in Full Score [ペーパーバック]

 予定していなかったが(予想できる類のものでは、もちろんない)、知り合いのお父様のお通夜に出るため、これから旭川に行って来る。

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義母が残してくれたもの……♪ブゾーニ/悲劇的子守歌

c8721ade.jpg  溝口飛鳥からメールが来た。

 おっと、親しげに呼び捨てしてしまったが、全然知らない人である。

 タイトルは、

 義母から【253120PT】がプレゼントされました

 ポイント・プレゼントって、この故・義母はいったい何をやってたんだ?

 本文は

 義母があなたに最後に残してくれていったプレゼントです…
 私からもあなたに、1つだけ、プレゼントをさせて下さい・・・


 義母からプレゼントをいただく筋合いなんて私はないし、ポイントなんて全然いらないし、加えて中身は何だか知らないが溝口飛鳥が私にプレゼントさせてくれって言われる意味がわかんない。

 ブゾーニ(Ferrucio Busoni 1866-1924 イタリア→ドイツ)の「悲劇的子守歌(母親の棺に付き添う男の子守歌)(Berceuse elegiaque - Des Mannes Wiegenlied am Sarge seiner Mutter)」Op.42(1909)。

 ブゾーニは1909年10月に母親を失ったが、この曲はその母への追悼の曲。しかし、実は1907年に書かれた7曲から成るピアノ曲「悲歌集(Elegien)」の第7曲「子守歌(Berceuse)」をオーケストラ用に編曲したものである。
 ブゾーニは「この曲で自分の響きを初めて作ることができた」と語っており、作曲家としての(彼は史上最高とも言われるピアニストであった)転換を果たした作品でもある。

 悲しみとむなしさ、脱力感が混然一体となった陰りのある音楽で、むせび泣くようなものではない。音楽としては妖艶ともいえる旋律線の不安定感があるが、やや温かみもありじわっとした感動が残る。

 この曲の初演は1911年2月21日にカーネギーホールでニューヨーク・フィルによって行なわれたが、そのときタクトを振ったのはマーラーだった。そして、これがマーラーの最後の公演となった。

 「男の子守歌って言うけど、でも母を失った飛鳥は女だろ」って?
 Non,Non,Non.....たぶん、あのメールを書いてるのは、オ、ト、コ!

 アルバート指揮NDR交響楽団(北ドイツ放送響)の演奏で。
 1992録音。CPO。

  Busoni: Orchestral Works / Werner Andreas Albert

 ところで、今日は義父母の家、つまり妻の実家へ行って来る。
 そこはネット環境にないので、明日の朝はブログのアップができない。
 皆さんにおかれましてはかなり待ち遠しいだろうが、午後まで待っていただきたい(と書くのがむなしい)。

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実際のところ彼女は優れたピアニストだったのか?♪WAM/p協9

dbf269de.jpg  寿限無寿限無……じゃなくて、ジュノム。

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271(1777)。「ジュノム(Jeunehomme)」の名で知られているこのコンチェルトは、モーツァルトがこのジャンル-つまりクラヴィア協奏曲-で飛躍的発展を遂げた作品とされている。

 クラヴィア(クラヴィーア)とは鍵盤楽器(有鍵弦楽器)の総称であるが、この時代の主なものはチェンバロだった。

 音楽之友社から出ているベーレンライター版のスコアの解説には、以下のように書かれている(執筆者はC.ヴォルフなる人で、訳は小林緑)。

 ピアノ協奏曲K.271は、モーツァルトの最初期の4つの協奏曲(K.175,238,242,246)とははっきりと隔たりがあり、ちょうど21歳になったばかりの青年の創造の頂点をなすものである。多くの点で、これは傑出した作品といえる。というのは、作曲者はここで一気にピアノ協奏曲を個性的な形にまとめ上げることに成功しているからであり、そのことがかれの後年の器楽様式に広汎な影響を及ぼさずにはおかなかった。K.271の形式的広がりは、そのピアニスティックな要求の高さと同様に並外れたものとなっている。

 上の文中でケッヘル番号が出ている4つの協奏曲は、通し番号で第5番から第8番のことである。

 ジュノム(またはジュノーム)というのはフランスの女性ピアニストの名前であり、その才能は豊かで、それゆえにこのようなモーツァルトにとっても才能を発揮した傑作が生まれたとされる。

80308de4.jpg  が、しかし、礒山雅は「モーツァルト=翼を得た時間」(講談社学術文庫)のなかで、最近の研究(といってもけっこう経つが)の結果、ジュノムはモーツァルト家と交流のあった舞踊家のヴェールの娘ジュナミ(1749-1812)のことで、ピアニストであったかどうかは不明である、と書いている。もしかすると、このコンチェルトはジュノムの独奏によってではなく、モーツァルト自身によって弾かれた可能性もあるということだ。

 スコアの解説にあるように、このピアノ協奏曲はモーツァルトのそれまでのコンチェルトとは明らかに違う。急速に発展しつつあったフォルテピアノの表現能力を引き出すように書かれており、もはや作曲者は、チェンバロで弾くことは頭になかったと思われる。

 オーケストラの編成はオーボエ2とホルン2、そして弦楽器。

 今日もソフロニツキのフォルテピアノ、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィアンセの演奏で。
 フォルテピアノのために書かれた曲を、このようにフォルテピアノによる演奏で聴ける。この当たり前のようでいて、なかなかできない体験は、まさにモーツァルトが意図した響きを楽しめるということ。
 むかしはこんな試みはほとんどなかった。
 良い時代になったものだ……

 2005-06録音。PRO MUSICA CAMERATA。

  Mozart: Complete Fortepiano Concertos

  ミニチュア・スコア モ-ツァルト/ピアノと管弦楽のための協奏曲第九番変ホ長調KV271「ジュノム」

  モ-ツァルト=翼を得た時間

 さて、明日からGWである。
 幸いというか、幸いというべきなんだろうけど、私は30日~1日に札幌で会議がある。
 で、2日はこのあいだの日曜日に労働した代休である。
 本日、仕事が終わり次第、自宅へと向かう。
 でもねぇ、雪が降るとか信じられないようなことを言ってんだよね、予報は。

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成分調整牛乳の味わい?♪ジンマンのマラ1

e84ef04e.jpg  D.ジンマンという指揮者の演奏(もちろん録音)を初めて耳にしたのは、私がクラシック音楽を聴き始めてまださほど経っていないころだった。

 当時の“録音曲リスト”を眺めてみると、あらためてひっでぇ字だなと、これが自分がしたためたものとは信じられないが、それはそれとして、きったねぇ字で書かれている曲名はは、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」ブリテンの「シンプル・シンフォニー」、そしてストラヴィンスキーの「弦楽のための協奏曲」だった。

 どう考えても、健全な美少年にとってふさわしいとは言い難いラインナップだが、とにかく何でも聴いてやろうという当時の積極性の表れともいえる。
 オーケストラはオランダ室内管弦楽団。
 その後も私がジンマンという指揮者とそんなにフレンドリーにならなかったのは、この時点でややすれ違ったからだ。

 そのジンマンがそのずっとずっとあと、私が健全な美少年から不健康な微壮年になろうというころに、R.シュトラウスのいろいろな管弦楽作品を録音したり、画期的かどうかはともかく、少なくとも話題となったし、実際慣性打破のようなベートーヴェンの交響曲全集を録音したが、そのCDを買って-アルテノヴァの廉価盤で、その価格は画期的だった-聴いた私は、ますます「ジンマンって良い人なのかしら?信じてもいい?それとも……」っていう気持ちだった。

 で、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)である。

 彼が振ったマーラーで最初に買ったのは交響曲第10番のCDだった。クック版じゃなくてカーペンター版だったので買ってみた。感情過多型ではなく、そして暗示的な不気味さに振り回されないその演奏は、物足りない部分もあるにはあるが、レース編みのような美しさと見通しの良さがあった。レース編みだから余計な毛玉が出ないのがうれしい。

 その次に聴いたのは第9番だった。これもあっさり系で、現代的なアプローチに好感を持った。

 さて、今回は交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂1893-96)である。

 マーラーにとっての青春の叫び。
 私にとってもマーラーに引き込まれるきっかけになった曲である。

 この第1番も濃厚タイプではない。かといって低脂肪牛乳ほど淡泊ではない。成分調整牛乳ってところか。
 その、ある程度のあっさりさ、というよりスッキリした響きが若々しさ、つまりこれを書いたころのマーラーの若さを感じさせる。っていっても初稿の交響詩版が出来上がったとき、マーラーはもう28歳になっていたけど……

 メタボではないマーラー、そして第1番の演奏は、今では多くの演奏のCDが出ているが、ジンマンのはまたちょっと違ったテイストのものだ。どう違うのかはうまく言えないけど。
 まとまってるけどコンパクトに知事困っていない、いや、縮こまっていない。……縮こまらない巨人……

 ヴァイオリンの両翼配置と2組のティンパニをステージ左右に配置している効果が抜群。

 SACDだが、私はSACD再生プレーヤーを持っていない。
 あぁ、SACD再生で聴いてみたいわぁ~。
 もちろん通常のCDとしての再生でも、優秀サウンド。ダイナミックレンジも広い。

 なお、第4楽章の後に「花の章」も収められている。
 花好きにはたまりませんな……←冗談。

 このジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団による第1番は2006年録音。
 RCA。

  Mahler: Symphonies No.1-No.10 [15SACD Hybrid+DVD]<初回生産限定盤>

 このあいだ買った、デジタル電波時計
 マンションの窓とは反対側の壁にかけたせいで、ずっと電波を受信しないままだった。
 でも、2日前、朝起きると電波受信のマークが表示されていた。
 だから、飛び上るほどうれしかったわけである。
 次回受信成功するのはいつになるのだろう……

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道の駅で直訳風日本語に出会い異国情緒を味わう。

f4dbbbf8.jpg  日曜日は車で片道1時間ほどの町に行ってきた。
 仕事である。
 熱心に仕事を終えたあと、途中で“道の駅”に寄った。

 その中の売店で、畳細工(と言っていいのかわからない)が売っていた。
 別に町の特産品というわけではなくて、その町にあるサークルか何かが作ったものだ。
 20センチ四方、あるいは30センチ四方くらいの畳である。
 他にカード入れなどもあったが、このミニ正方形畳は何に使うのだろう?
 鍋敷きか?あるいはお菊、いや、日本人形を置く台にするのか?それとも、イエダニの飼育繁殖に使うのか?

 問題はその説明文である。
 よくYahho!のメールにこの手の言い回しのものが来るが、つまりニッポン語がやや上手な外国人(主として中国人)が使うようなニッポン語なのである。

 このセールス文を書いたのが日本語が下手な日本人なのか、日本語が上手な外国人なのかわからないが、めちゃくちゃである。
 売店の店員はこれを見ておかしい、直すべきだと考えないのだろうか?

 それが不思議でならない。

 不思議な思いを抱いたまま帰路につく。
 FMでは山下達郎のサンデーなんとかという番組が流れていた。
 そしてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「行進曲」がかかった。

 それが笑わずにはいられないほど下手な演奏なのだ。
 もちろんきちんとしたオケによる演奏ではない(と思う)。ライヴで笑い声も入ってる。

 ひどい!
 小学校低学年の学習発表会の器楽演奏、それも前々日に先生からいきなり「これをやるぞ」と言われたかのようなものだ。

 笑った!
 運転していたヤマチ係長も笑った!
 電波の入りが悪く、細かいところまでは聞き取れなかったが、十分楽しいドライブとなった。

 帰宅してネットでこの番組のホームページを確認した。

 この日は「珍盤・奇盤特集」だった。

 そしてそれは、THE PORTSMOUTH SINFONIA による演奏だった。

 ぜひもう一度聴きたい。

 人前で披露するなんて犯罪もののあの演奏を、もう1度聴きたい。

 探さねば!

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私にはチュンチュンとは聞こえないけど…♪WAM/雀のミサ

6de2a55c.jpg オオサワ課長の後任の名はヤマダである。
 オオサワ課長は札幌に行ってしまったのである。
 そして本州のある都市から、ヤマダ課長がやって来た。
 私が謝る筋合いのものではないが、ありきたりの名前であることを最初にお詫び申し上げておく。

 そのヤマダ課長と2人で昼食を食べに出た。
 目的地はカスト(仮名)というラーメン屋である。
 ところが、そこへ行く途中の交差点で、がっちり防寒対策をしたいでたちの兄さんが何やら配っていた。そのまま師走のすすきの交差点に連れてってビラ配りをさせてもすぐとけ込めそうな雰囲気だ。

 最初は知らん顔しようとしたが、その黄色い紙片がなんとなく気になって手を出してしまった。こんな性分だから、ヘンテコなティッシュももらってしまうのだろう。

 それはウィクトリア(仮名)というラーメン屋の割引券だった。50円引きである。
 ウィクトリアには過去に1度(去年の夏のことだ)行ったことがある。あっさり系で味はまぁまぁだったが、店の雰囲気とラーメンの出来上がりが遅いという難点があった。価格は決して安くない。
 一方、カストの方も1度行ったことがあり(1か月ほど前のことだ)、脂っこいタイプだが味は良い。店の中も活気があるがいつも混んでいるという難点がある。

 が、割引券を手にした。

 われわれはウィクトリアを目指す以外なくなった。というくらい、頭の中は割引券に支配された。

 店内には他に客はいなかった。12:10なのにである。
 店側の人間としては男性1人。つまり注文を受け、調理し、会計するのはすべてこの人物が行なう。
 席が全部埋まれば24人が入れる。もし満席になったらどうするつもりなのだろう。
 私たちは一番乗りだからよかったが、そのあとに来た2人組はしばらくオーダー取りに来てもらえなかった(厨房で私たちのラーメンを作るのに専念していたからだ)。その2人も割引券を持っていた。

 私は醤油ラーメンと小ライスを注文した。
 またライスをつけたのか?と私を責める人もいるだろう。そういう人はあの保健婦が乗り移っている可能性がある。いや、確かにライスをつけることは、たとえそれが小であろうとも褒められるものではない。でも今日の私には割引券があるのだ。気が大きくなるのもわかってもらえるだろう。

 食べ終わり会計しようとレジ前に行く。
 なかなか店主兼店員の兄ちゃんは来ない。2人組のラーメン作りで手が離せないのだ。
 2人にラーメンを持っていき、やっと会計となる。
 醤油ラーメン730円+小ライス150円-割引50円=830円。
 全然安くない!
 そもそも醤油ラーメン自体が高い。小ライスが150円だなんて暴利以外のなにものでもない。一般的なおにぎりより高いじゃないか!

 私はすっかり落ち込んでしまった。黄色い紙に惑わされた自分が情けなかった。
 マジ、悔しかった。
 味噌ラーメン単品を頼んだヤマダ課長がちょっぴりうらやましかった(780円-50円=730円)。

 帰り道、カストの前を通った。
 ガラス越しに見る店内はほぼ満席だった。
 店の前に掲げられているボードには、「ラーメンセット(醤油ラーメンとライスとおかず1品750円」と書いてあった。
 あぁ、なんてことだ。たとえ雀がコケコッコーと鳴こうが何しようが、絶対にこちらの店を選ぶべきだったのだ。
 そして、なぜウィクトリアががら空きでカストが満席なのは、なぜなに好きな年少さんの園児でも聞かなくとも理由はわかる。
 きっとウィクトリアはほどなく潰れるだろう。私はそう確信している。たとえ、割引券を配り続けてもだ。いや150円割引なら生き残れる可能性はなくもない……

 モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のミサ・ブレヴィス ハ長調K.220(196b)(1775-76)。モーツァルトのミサ曲の通し番号では第8番となるこの作品は「雀のミサ(Spatzenmesse)」と呼ばれる。
 
 この愛称は、モーツァルトが家の窓辺に来ていた雀にミサという名前をつけたことに由来する、なんてことではまったくなくて、第4曲「サンクトゥス」と第5曲「ベネディクトゥス」のなかに現れるヴァイオリンの高い音によるヒュインヒュインヒュインという音型が雀のさえずりの声に似ていることによる。
 私には雀の声というよりは、上品な警告音(侵入者あり!みたいな)に聞こえるけど、ワンワンという犬の鳴き声が、例えばアメリカではバウワウって聞こえるくらいだから、雀の鳴き声もヨーロッパでは日本人とは違って聞こえるんだろう(無茶苦茶な理論だが)。

 6曲(キリエ/グローリア/クレド/サンクトゥス/ベネディクトゥス/アニュス・デイ)から成り、全曲で15分ほどの短いミサである。

 P.ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団、モノイオス(S)、グラーフ(A)、プファッフ(T)、ゼリヒ(Bs)による演奏を。
 1990年前後の録音。ヴァージン・クラシックス(現在は10枚組の廉価盤としてEMIから出ている)。

  Mozart: Complete Masses<限定盤>

 なんでもドイツでは恋人のことをシュパッツィーて言うことがあるそうだ。雀ちゃんという意味だ。日本で自分の彼女のことを「ボクのかわいいインコちゃん」って呼ぶのと同じようなものだな……←全然違うし、日本のどこの誰がそんなことを言う?

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電子正常化のために行なうべきことは♪オルフ/カトゥーリ・カルミナ

c255668f.jpg  神の威光を浴びながら性行為を行なうことで、お互いの体内エネルギーの電子が正常化され、精神エネルギーの安定化も図れる……

 なんだか村上春樹の小説に出てきそうな表現だが、そうではない。私のブログに寄せられたスパム・コメントである。

 体内エネルギーの電子???
 まっ、こんな非科学的なことをハルキ・ムラカミは書かないわな。

 同じくスパム・コメントで「リッチなマダムとバームクーヘン」ってのもあった。まったく意味不明だが、なぜか楽しい気分になってしまった。
 つまり、この2つのコメントに共通するピザ生地は、要するに倒錯めいた愛の世界だ(ろうな)。

 オルフ(Carl Orff 1895-1982 ドイツ)の劇的演技「カトゥーリ・カルミナ」(Lidi scaenici "Catulli Carmina")(1930/改訂'43)。「カルミナ・ブラーナ」に続く、劇的三部作「勝利(トリオンフィ)」(Szenisches triptychon "Trionfi")の第2作である。

3e068c63.jpg  タイトルは「カトゥーリの歌」という意味。
 前奏と3幕、そして終曲から成り、編成は語り手とソプラノ独唱、テノール独唱、合唱と4台のピアノ、打楽器各種というもの。 
 詞はG.V.カトゥルスと作曲者による。

 カトゥルスは紀元前84年頃から同54年頃の抒情詩人。
 彼が残したレスビアという女性を書いた恋愛詩がこの曲の歌詞となっている。このレスビアに対するかなわぬ恋の、愛と憎しみが相半ばする心情を綴っており、オルフの音楽も強烈である。

 この曲については前に、すっごくヘンテコなイラスト(掲載写真)がいくつも載っている解説がついたSchafer盤を取り上げたが、今日は見た目も演奏もフツーのケーゲル盤を。
 フツーといっても、CDの外観はノーマルということと演奏はヤンチャしてないということであって、リズムは冴えわたっている。
 ケーゲル指揮ライプツィヒ放送合唱団。独唱はマイ(S)とビュヒナー(T)。ピアノはチャプス、フィリップ、ウェプナー、エルバー。
 1971録音。ベルリン・クラシックス。

  Orff: Trionfi - Carmina Burana, Catulli Carmina, Trionfo di Afrodite

 音楽としては「カルミナ・ブラーナ」に比べると、はっきりいって面白みに欠ける。
 でも、それは「カルミナ・ブラーナ」が素晴らしすぎるってことだろう。

 土日も仕事だったので、すっごく体がダルい月曜の朝である。

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幸福な昼休み時間の教室に漂う刺激臭♪Schubert/Sym4

75b1fda9.jpg  このあいだ列車に乗ったときのこと(コートが行方不明になったときだ)。
 車内に入ると私の鼻をシナモンの香りが襲った。
 村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に登場するシナモンではなくて、香辛料のシナモンのことだ。いや、誰もねじまき鳥のシナモンとは思わないか……

 にしても、うぐっ……

 私はシナモンが苦手だ。
 小さいときからあの臭いをかぐとこめかみのあたりに痛みが走るのだが、決定打になったのは中学2年のときに起こったある事件だ。

 その日、母は旅行に出かけていて不在だった。旅行と言っても、単に実家に行ってただけだ。単に、と言っても、青森は五所川原だから、行くのはけっこう手間だ。だから何か行かなければならない用事があったのだろう。ちょいと行ってきますって場所じゃないから。
 函館まで特急で行き、連絡船に乗り、青森からまた列車といううんざりするような移動だ。

 私たちは父方の祖父母と同居していた。
 そしてその日の弁当は祖母が作ってくれた。

 昼になって弁当箱を開けた。
 私は刺激臭で目はしびれるは、こめかみは痛いは、場違いの臭気に対する周囲からの視線は厳しいはで、たいへんな悲劇に見舞われた。

 メインのおかずは鶏肉とタマネギの塩コショー炒め。
 ばあちゃんはコショーと間違えてシナモンを使ってしまったのだった(当時は塩コショーという調味料は一般的ではなく、独立した塩とコショーを使ったのだった)。

 なぜわが家の台所にシナモンがあったのだろう?
 母が大のお菓子作り好き?いや、地球が爆発してもあり得ない話である。

 実は私が買ったものだ。
 あのころコーヒーを淹れるのに凝っていた私は、保育社のカラーブックス・シリーズの「コーヒー入門」という本に載っていた、シナモン・コーヒーを作るためにシナモンの粉末を買ったのだった。本来はスティック状のシナモンを使うのだが(といっても、コーヒーに突き刺すだけ)、私は粉末を買ってしまった。しかも、コーヒーだろうが何だろうが、苦手なものは苦手。シナモンはそのままずっと放置されていた。

 朝起きたときに、なんか嫌な臭いがするなとは思った。
 が、それがシナモンということに気づかなかった。じいちゃんが漢方薬を煎じてるんだと思った。
 余談だが、数年後、じいちゃんは松の葉が体に良いとどこかから聞きつけ、毎朝庭に植えてあった松の針のような生葉を数本ずつ食べていた。皮肉なことにそれを食べ始めて1年ほどで亡くなった。でも、はて?、死因は何だったのかさっぱり思い出せない。

 そして弁当箱の箱を開けたとたん、臭いはすれども姿は見えぬすかしっ屁のごとく、シナモン臭が放散されたのだった。
 もちろんその日の弁当は食べなかった。150%食欲がなくなったし、どう考えても鶏肉とタマネギのシナモン炒めが昼食のおかずにふさわしいとは思えなかったからだ。

 ばあちゃんには罪はない。申し訳ないことをした。でも食べられなかった。周囲への迷惑もあったし。蓋を開けたままにしていたら生活委員がやってきて「臭い迷惑条例違反です」って指導されただろう。
 
 さて、車内のシナモン臭は、しかし一瞬のものだった。
 私の弁当が教室に及ぼしたような波紋は起こらなかった。
 想像するに、まばらな客の誰かがミスドのシナモンドーナツを一瞬にして1口で食べてしまった……そんなところだろう。

 長岡弘樹の「線の波紋」を読んだ(小学館文庫)。
 長編小説だが、“談合”“追悼”“波紋”“再現”という4つの章があり、最後の“再現”ですべてのエピソードが1つの線になるという形。
 目次では、談合と追悼と再現の文字がゴシック体なのに、波紋の書体は明朝体。
 こりゃあ誤植だぁ~と、大発見をした気分になったが、表4にも同じように書かれている。
 ということは、意図してそうされているわけだ。

f9a5f378.jpg  彼の「傍聞き」ですっかり感心してしまったが、あの短編同様、読み手の想像をひょいと覆すところにすっかりビックリ、ワクワク。
 すごい作家だ。
 そういえば、昔のレコード店って必ずと言っていいほど、どこでもレジの近くにナガオカのレコード針の陳列棚があったな……

 遠い昔のわが悲劇にちなんでシューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828 オーストリア)の交響曲第4番ハ短調D.417「悲劇的(Tragische)」(1816)。
 このタイトルはシューベルト自身がつけたものである。

 第5番と同じ年に書かれているが、第5番よりもこちらの方がのちのシューベルトの“大きな交響曲”を予告するかのようだ。
 そしてまた、この曲でベートーヴェンのシンフォニーに接近している。とはいえ、シューベルトのロマン性はここでも強く、同じハ短調のベートーヴェンの交響曲第5番「運命」ような男臭さはなく、闘いや勝利といった攻撃性も少ない。

 ブリュッヘンの演奏が面白い。
 どこかとらえようのない、とりとめもないように聴こえがちなこのシンフォニーが、実にドラマティックに鳴り響く。曲のとりとめのなさが、魅惑のモザイク(うふっ!)に思えてくるのだ。

 1996録音。ライヴ。フィリップス
 現在は第1番とのカップリングCDが現役盤として出ている。

  シューベルト : 交響曲 第4番 「悲劇的」,第5番&第8番

  シューベルト: 交響曲第1番, 第4番「悲劇的」 / フランス・ブリュッヘン, 18世紀オーケストラ
 
 やや悲劇的めいてるといえば、今日はお仕事に行かなければならないということだ。だから、私が。
 パチンコとかじゃなくて、ほんとの仕事。

  線の波紋
 
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