伊福部昭(1914-2006)が1979年に完成した「オーケストラとマリンバのための『ラウダ・コンチェルタータ』」(1979)は、私がもっとも愛する伊福部作品である。

 すでに書いてきたが、私は1983年1月の札幌交響楽団定期演奏会でこの作品を知り(指揮は山田一雄、独奏は安倍圭子)、それまでに受けたことのないほどの音楽的衝撃を受けたのだった。

 シューベルトはパガニーニの演奏を聴いたあと、感動と興奮のあまり街の中を夢遊病者のようにさまよい歩いたというが、その気持ちがわかる。私はバスに乗ってまっすぐ帰ったけど。

 この作品は1979年に安倍圭子の独奏、山田一雄指揮新02d93004.jpg 星日響によって初演されているが、ここに紹介するCDは初演時のライブ録音である(本作品は新星日響創立10周年記念作品として委嘱されたものである)。マリンバの音が乾き気味に収録されているが、初演時の興奮がそのまま伝わってくる演奏だ。
 CDはフォンテックFOCD2512、CDタイトルは「伊福部昭/交響作品集」(写真はそれ以前に発売されたCDなので、CD番号が異なる)。

 まだ新星堂には在庫があるようである(右の新星堂のバナーで入り、クラシック検索で作曲家名に「伊福部昭」と入力。2ページ目の後半にある。価格は2,548円)。カップリング曲は同じく伊福部昭の「日本狂詩曲」と「土俗的三連歌」である。この2曲については、いずれまた触れることになると思う。
 なお、タワーレコードでは、「マリンバとウィンド・アンサンブルのための『ラウダ・コンチェルタータ」のCDを扱っている(金洪才指揮佼成ウィンドオーケストラ。独奏は山口多嘉子)。私はこの吹奏楽版による演奏は聴いたことがない。

 伊福部昭は初演時のプログラム・ノートに、「ラウダ・コンチェルタータ」について次のように書いている。

 《ラウダ・コンチェルタータとは、司判楽風な頌歌と言う程の意ですが、この作品では、マリンバとオーケストラとの協奏の形がとられています。ゆるやかな、頌歌風な楽案は、主としてオーケストラが受け持ち、マリンバは、その本来の姿である打楽器的な、時に野蛮にも近い取扱いがなされています。この互いに異なる二つの要素を組み合わせること、言わば、祈りと蛮性との共存を通して、始原的な人間性の喚起を試みたものです》

 曲はA-B-A’(Aはa+b、A’はa’+b’)の形をとる。
 Aは2つの部分に分かれる。まず「頌歌風」のメロディー(a)が登場し、それに「野蛮」とも言えるマリンバが加わる。テンポを増してAの後半(b)に入る。Aの部分は音の跳躍が頻繁。
 大きな爆発の後、物思いに沈むようなBの部分に入る。オーケストラは邦楽合奏のような響きを奏でるが、これは郢曲『鬢多々良』の中間部を思い起こさせる。
 A’はaの「頌歌風」で始まるが、マリンバは優しくオーケストラに絡む。
 やがて、狂乱とも言えるb’に入る。バス・オスティナートが強調され、コーダへ。
 荒々しくマリンバが単純リズムを叩く中、冒頭の「頌歌風」メロディーが金管群で力強く吹かれる。このように、曲頭の旋律を曲尾で登場させる曲は多数あるが(伊福部昭も「交響的エグログ」などでこのような形をとっている)、「ラウダ・コンチェルタータ」の「回顧結尾」(私が勝手に命名)は背筋がぞっとするほど感動的である。
 

 大きなパワーを爆発させ続け、曲は終わる。
 
 ブラボー!ブラボー!(録音の拍手には、あの片山秀杜氏の拍手も入っているはずだ)

 札響の演奏会の翌日、私は当時札幌市内では最もクラシック・レコードの品揃えが充実していた「玉光堂すすきの店」に行ってみた。
 するとあった!初演時のライブLPが!
 何度聴いただろう。私にとって、あのLPほど繰り返し聴いたレコードは他にはない。

 こんなに共感する私は、原始的な人間性の持ち主なのだろうか?んっ?原始的?