5c7d78a2.jpg  交響曲第9番では《大地の歌》において達成されて個人的告白のために使われた表現の手段が、さらに発展し、われわれ皆が直面しなければならないいろいろな問題との対決において客観化されるのである。

 この文は前にも紹介したが、フィルハーモニア版の「大地の歌」のスコア(音楽之友社から出版されている)のはしがきの文末である。書いているのはR.という署名の人物。
 なかなかかっこいい、説得力があるように思われる文だが、本当にそうなのかどうかは私にはわかりかねる。

  しかし(というのも変だが)、このたびサイモン・ラトルがウィーン・フィルを振ったマーラーの第9のCDを聴いて、私はひどく感激してしまった。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第9番ニ長調(1909-10)は、dc418433.jpg マーラーが完成させた最後の交響曲であり、最後は「死ぬように」との指示があり、死の予感があるとされている作品である。

 この曲の演奏には素晴らしいものが多いが(作品の完成度が高いのだろうが、もしマーラーがもっと長く生きていれば、過去のパターンからして改訂が加えられたのは間違いない)、今回のように聴いていてどうしたものかと思うほど感動する経験は、そうそうあることではない。ましてや生演奏ではなく、CDで。

 今回私は、久々に“ちゃんとした自分の再生装置”(ラジカセとかウォークマンじゃないということ。写真)で音を大きく出して聴いたのだが、それも良かったのかもしれない。

 激しい第9だ。
 荒れ狂う第9だ。

e39c9553.jpg  だが、演奏が粗なのではない。けっこう緻密である。

 そして、先日第3交響曲の第4楽章で驚かされた、管の独特の歌い回させ方がここでも聴くことができる。

 第3楽章にホルンで現われる第3交響曲の“牧神のメロディー”は、昔の回想のようだし、同じ第3楽章の終わりに施されたテンポの急激な変化には息がつまりそうになったほどだ。

 そして、ラトルのこの演奏を聴き終わって思ったのは、この曲は決して死を覚悟した終わりではないのではないかということだ。

 9月17/18日に行なわれた札響第531回定期演奏会のプログラムに高関健が書いていたコラムを、私は思い出した。
 それは、マーラーが1909年11月から翌10年4月までニューヨークで46回の公演を指揮したほか(この間に交響曲第9番が完成する)、いったんヨーロッパに戻った後(アルマの浮気発覚)10月に再びニューヨークに渡り48回の公演を指揮、翌年2月の指揮の直後に感染性心内膜炎で倒れるという事実を踏まえたうえで、

 病を克服できれば、1911年も休暇中は作曲に没頭。おそらく第10交響曲を完成し、翌年には「大地の歌」を初演するつもりだった。状況証拠から、作曲家が早すぎた死を『予感しておびえていた』とは、私には考えられない。ずっと付き添っていたはずのアルマが、どうして事実に即さない記述を残したのか。大きな疑問が残る。

というものだ。
 確かにそうだ。
 第9交響曲の終わりに「死の予感」というストーリーを結びつけてはいけないように私は思えてきた。

 さて、ラトルのこの第9交響曲の演奏だが、ラトルがウィーン・フィルの定期演奏会にデビューしたときのライヴ録音(1993年)。
 いろいろな面で個性的な演奏で、何度も書くが私はすっかり魅せられたが、音が良くない。これが恨めしい。いくらライヴとはいえ、EMIよ、もう少しマシに録れなかったのか?

 さて、ラトルを褒めてばかりいる私だが、私が好きな鈴木淳史氏は「わたしの嫌いなクラシック」(洋泉社新書)で、ラトルのことを次のように書いている。

 サイモン・ラトルはモノマネ王だ。……マーラーの交響曲も、点描的に描きたかったのだなと思って聴いていると、突如として往年の大指揮者のパロディみたいなデフォルメをやってけつかる。
 一貫性がないのである。演奏家としての全体性がない。統一されたビジョンがない。その演奏家を成り立たせるためのバックグラウンドというものが見当たらないのである。
 このナイナイ尽くしの音楽から、わたしは心地よい喪失感を嗅ぎ取ったものだ。重たそうなものを放棄し、おいらは気軽にやるんでございますよという軽みがサワヤカに思えたのだった。同時に、底知れぬ根拠のなさに恐怖も覚えたものだ。実体がないものを前にしたときの不安感のような。……


 確かにデフォルメっていうのはわかるな……
 まあ、私はしばらくはラトルを聴きこんでみる。