0556d9ba.jpg  イカの次はタコとくるのがふつうだ。
 何において、どのような根拠でふつうかは知らないが、ふつうだと思うことを提案したい。

 そうそう、先日blogramというランキング・サイトで、私がこれだけタコ、タコ、ショスタコと騒いでいるのに、ショスタコーヴィチでのランキングには、エントリーすらされていないのが不思議だと、ちょっぴりプンプンしながら、でも素朴な疑問だと大人なふりをして書いた。6月14日のことだ。

 するとなんということでしょう。
 翌15日から私のブログがショスタコーヴィチ部門でもランキングに反映されることになった。

 なんでだろう?このタイミングの素早さ。
 blogramの社員がブログ内容をいちいち読んでいるとは思えない。いや、ありえない。ありえたとしても、だったら疑問を呈する以前に、内容を見てもっと早くに反映させるだろう。
 なんだかさっぱりわからない。

 過去にもここでショスタコーヴィチでランクインしたことが何度かあるが、数日でランク外というか私のブログは抹殺されたかのように消え去ってしまった。だからちょいと様子を見ていたのだが、もう10日以上続いている。
 今度はホンマもんか?

 で、タコである。
 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)である。

 先日ヤンソンス盤を取り上げた、交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。

 本日は、コフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団による演奏。2004録音。MDG。

 この曲、少なくとも表向きは、ソヴィエトが戦争の苦難を乗り越え勝利へと前進するっていう内容を音楽にしたということになっているが、コフマンの手にかかると第1楽章なんてすすり泣きのよう。ほんと、こちらももらい泣きしそうになる。

 胃カメラ検査のあと、医者が最初に「何ともないようです」と言うのか、「ちょっとただれてますが、たいしたことないようです」と言うのか、「組織を取りました。検査に回します」と言うのか、そのときのビビリ付き緊張感みたいなところもある。

 全曲を通じてコフマンはこの曲の裏街道を進んでいく感じだ。
 心の琴線に触れる、美しくもはかない演奏。第2、第3楽章だって、「騙されて浮かれちゃいかんのよ」という、さりげなく釘を刺して虚脱感を醸し出す。
 第4楽章から終楽章へ入るところなんて、つかの間のささやかな幸せが垣間見えたかのような安堵感が漂う。その幸福はすぐにかき消されるんだけど……

 ヤンソンス盤もコフマン盤も、方向性は一緒だろう。でも、別な曲じゃないかと思えるくらいコフマンはこの曲の表向きの仮面を最初からはぎ取っていて、「苦難は続き、国民は内部の力に敗北する」という、暗い悲歌となっている。

  Shostakovich: Complete Symphonies<限定盤>

 それで胃カメラ検査の報告であるが、ほぼ1年ぶりの受検とはいえもう慣れたもので、ちょっとだけオエオエしたものの、ほとんど涙目になることもなく、聞き分けの良い子供の散髪のように、実に粛々と進行した。

 ご存知の方も多いと思うが、カメラを飲む前に看護師から問診がある。
 「今までのどの麻酔で気持ちが悪くなったことはありませんか?」
 「血圧の薬を飲んでますか?」
 「今朝は飲んできましたか?」
 「血をさらさらにするような薬を飲んでますか?」
 「はずせる歯を入れてませんか?」
 といった内容である。素直に「入れ歯」って言ってはダメなのかね?

 私のようにY染色体を備えた人間には「前立腺肥大などで尿が出にくいといったことがありませんか?」という質問が加わる。

 この部屋、男女混合で4人ほどが詰め込まれているが、もうプライバシーなんてないね、こりゃ。最後の質問のときに「ちびちびと、しょっちゅう尿意があるほどです」と言ってやろうと思ったが、私の他はY染色体をもたない高齢のホモ・サピエンス3体で、私としては彼女たちに笑いをサービスする義理もないし、だいいちに3人ともこれから舌を抜かれるかのような深刻な表情だったので、余計なことは言わないでおいた。
 こうして、私は素直にアーンと口を開け、のどの麻酔を入れてもらった。

 私より先にいた高齢の女性の1人、仮にA江とするが、は前立腺の質問はもちろん受けなかったが、閉経の質問もなく(不公平だ)、さらに去年私が超音波内視鏡を飲んだときのようにすっかり眠ってしまう麻酔を使うらしく、「今日は車で来ませんでしたか?」と聞かれていたが、それには「ええ、タクシーで」と答えていた。違うだろ、意味が。

 今回の看護師はとてもかわいらしい声だったが、瞳は完全に笑いを失った冷徹な様相を呈していた。まあ、1日に同じことを何回も聞くのだ。いちいち受検者の答えにアメリカ人のようにオーバーにリアクションなんかしてられないのだろう。
 このA江のとんちんかんな答えも完全に黙殺した。
 で、A江は不安からか「血圧の薬は最近変わったので」と唐突に過去問に戻ったが、「それはもういいですから」と、看護師に一蹴されていた。
 
 ここまでは多少A江に同情的だった私だが、このA江、もうのどの麻酔を出してもいいと言われたら、ゴェー、おぇー、ベーッ、カッ!と、よほどの酔っ払いでも出さないような汚らわしい声を発した。すでに自分も麻酔をのどにホールドしていた私だが、すっかり酔いがさめた、いや気持ち悪くなってしまった。
 このようにして私はA江のことを嫌いになった。

 私の検査時間は短かった。
 被検者の態度が良いこともあるが、早いということは気になるところがないということだ。
 こうなると、ほぼ同じ手間と時間と料金なのに、とちょっと損した気持ちになるのが不思議だ。

 惜しくもカメラは私の口から抜き取られ、華麗な撮影テクを駆使した医者(なのかな)は「潰瘍はないですし、去年荒れた痕跡があった場所もピロリ菌の薬の効果があったのか滑らかになってます」と、私が理想とする言葉を言ってくれた。

 「しょ、しょ、しょくどーはどうでしたか?」。このところのどに引っかかりを感じていた、私のいちばん気にかかっていたことを聞く。
 「食堂は10時からです」と言ってくれたら面白かったのにとあとから思ったが、医者(なんだろうな)は「全然だいじょーぶっす」と太鼓判を押してくれたものの、最後の最後でのこの軽くぞんざいな言い方には、かえって多少不安が残った。

 30分は水も含め物を食べないようにと言われたので、検査前に計画していた、検査が終わったら院内の喫茶コーナーで何かを食べよう(スパゲティ・ミートソースかカレーライスか迷っていた)という夢は、会計をすませてから実行に移そうとしたが(このとき9:15。地下のレストランはまだ準備中だから喫茶コーナーに白羽の矢が立った)、会計があっというまに終わってしまい、その時点で9:25。

 しかたない、会社へ戻る途中にどこかの喫茶店ででも食べようと計画変更したが(この時点で、すでにカレーかミートソースしか選択肢になくなっていた。「カレーよりもミートソースの方が傷ついた食道や胃にはやさしいだろうな。でも、ミートソースでもタバスコは使えないな」などと、けっこう真剣に考えていた)、病院から会社への間はオフィス街でも交通拠点でも歓楽街でもないため、喫茶店らしきものはことごとく準備中で、結局は行儀の悪い学生のようにコンビニでおにぎりを買ってすませた。

 ということで、主治医による診察は7月に入ってからであるが、「検査を担当した先生の話、ちょっと勘違い。けっこう気になるところがあるわ」なんてことにならないことを祈っている。
 と同時に、私には膵臓の検査という関門が残っている。

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