新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の刺激的出来事についてたらたらと書いています。

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

愛と憎しみ……反ハルキスト宣言の書♪ゼンフル/外出欲求妻

  読み込んだからゆえに突っ込めること
 11月12日の北海道新聞に載っていた書評。
 これは読んでみなきゃと思い、買った。

 平山瑞穂氏の「愛ゆえの反ハルキスト宣言」(皓星社)である。

HirayamaHarukist

 書評(東京報道 上田貴子さんによる)から内容を書くと、

 ・ 著者は「風の歌を聴け」をきっかけに文学に目覚めた。
 ・ そのなかでも村上春樹は別格だった。
 ・ しかし「雑音が気になって」憧れは続かなくなった。
 ・ 「雑音」の1つは「やれやれ」の多用。
 ・ 純真なようで性に奔放な主人公たちの振る舞いにもイライラする。
 ・ ほかにも、超現実的な妊娠、都合のいい“年上の人妻ガールフレンド”など、突っ込みどころを列挙。


  ハルキストなら誹謗なんてしないはず
 著者は「序にかえて-村上春樹と僕」で、こう書いている。

 結局僕は、村上春樹という作家から離れられないさだめのもとにあるようだ。そのときどきのやむをえない事情はあれど、窮極には「無視できない」のひとことに尽きるのだろう。ただ単に嫌いなだけなら、あるいはなんら評価していないのなら、無視していればいいだけの話だ。実際、そういう形で一顧だにせずに見過ごしている作家だって(誰とは言わないが)何人もいる。作品がどれだけ売れていようが関係ない。肯定的に評価できる点が何もなければ、僕にとってその作家は存在しないのも同じだからだ。
 村上春樹については、そうはいかない。どれだけ無視を貫徹しようと努めても、いずれかのタイミングで必ず視野に入ってきてしまう。そして、なにごとかを言及せずにはいられなくなる。たとえそれが否定的な、あるいは批判的な内容であったとしても、「言わずにはいられない」という時点で、僕にとってこの作家はなにがしかの重要な意味を持ちつづけているということなのだ。

 村上春樹の小説はおもしろい。いや、おもしろかったというべきか?
 そう思って「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や「羊をめぐる冒険」から村上ワールドにはまった私だが、このところの作品には「やれやれ」とあと味の悪い思いをすることが多い。

 平山氏とは異なり、私は一読者に過ぎないが、ここに書かれている氏の思いはよく理解できる。

 同じ「序にかえて」のなかで、氏は、

 このような本を出す以上、僕はさまざまな批判を免れないだろう。とりわけネットでは批判どころではなく、ありとあらゆる誹謗中傷、罵詈雑言、根拠のない言いがかり、「だからそれは違うってちゃんと本文の中でも断ってるよね」と言いかえしたくなるであろう条件反射的な揶揄や悪罵にさらされることになるのが必定だと思っているし、その覚悟もできている(覚悟ができているかどうかと、実際にあれこれ言われても腹が立たないかどうかは別問題だとしても)。
 それに僕は、たとえ多数派ではなくても、僕が述べたことに「そのとおり」と深くうなずいてくれる人が一定数は存在することを確信している。だからこそ僕は、それを述べずにはいられない(述べないわけにはいかない)のだ。


 本書を読み、私は概ね氏の主張、指摘に「まったくだ」と思っている。
 村上春樹作品のなかの異様なまでの性行為への執着やら、「これ、みんな読んでてすっきりしてるのかな」という曖昧模糊な展開や終わり方など、読んでいてイライラしたりすっきりしないところを、きちんと洗い出してくれている。

 ファンだからといって目くじらを立てるのではなく-私だって、かなりトーンダウンしているが村上春樹のファンだ-、冷静に氏の作品を見つめなおすには参考になる本だ。

 揚げ足をとって悪いけど、218pの後ろから6行目。

 “〈ね〉の〈僕〉は”は、“〈ダ〉の〈僕〉は”の誤りである。

   愛ゆえの反ハルキスト宣言

Virture and Vice  昔からそういう妻はいたようです
 つい最近も取り上げた、ルネサンス期ドイツ音楽の最大の作曲家ゼンフル(Ludwig Senfl 1486頃-1543 スイス)のリートを今日もまた1曲。

 「昔、外出したがる妻がいた(Heth sold ein meisken garn om win)」。

 つまり、そういうことです。

 ズヴェン・ベリエル(ベルガー)/アンサンブル・ヴィラネッラの演奏で。

 1994年録音。ナクソス。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】 ※ポイント12倍キャンペーンは本日11/24 23:59まで
   Tugend und Untugend - German Secular Songs... / Berger

   音楽配信はこちら NAXOS MUSIC LIBRARY

 まっ、こんな会い方しててバレないなんてありえないだろうに……

    

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2番か4番か……混乱してます♪リスト/ハンガリー狂詩曲2(orch版)

Enescu  いまから70年前の作品!

 そのリスト(Liszt,Franz 1811-86 ハンガリー)の「ハンガリー狂詩曲第2番(Ungarische Rhapsodie Nr.2)」嬰ハ短調S.244(1847)をはじめとする、「ハンガリー狂詩曲集」S.244(1846-85)。


 全19曲-つまり第1番から第19番まである-のピアノ曲だが、そのなかでも第2番がもっとも有名である。


 私はこの曲を初めて聴いたのは、クラシック音楽に溺れるずっとずっと前、アポロ11号が月面着陸に成功したころのこと。「トムとジェリー」の「ピアノ・コンサート」を観てである。この「ピアノ・コンサート」、1947年にアカデミー賞を受賞したというから、私が観たときには制作から20年近く経っていたということになる。すごい国だよUSA。


 さて、このアニメではトムがピアニストを務め、オーケストラの演奏をバックにこの曲を弾く。

 つまり、オーケストラ編曲版である(ただし、独奏ピアノとオーケストラのための編曲版というのは、このアニメ以外では聴いたことがない。つまりアニメのための再編曲版だと思われる)。


 そこで今日は、くどくどと前置きが長くなったが、「ハンガリー狂詩曲」の管弦楽編曲版。

 全19曲のうち、6曲をリストは弟子のドップラーの協力のもとオーケストラ編曲している(S.359)。


  で、なんでわざわざ変えたワケ?

 ただし、管弦楽版のナンバリングとオリジナルのピアノ版の番号が異なっているものもあるため、ややこしいことになっている。


 オーケストラ版と原曲の関係は次の通り。


 ・第1番 ヘ短調 S.359/1  ← 原曲第14番へ短調
 ・第2番 ニ短調 S.359/2  ← 原曲第12番嬰ハ短調
 ・第3番 ニ長調 S.359/3  ← 原曲第6番変ニ長調
 ・第4番 ニ短調 S.359/4  ← 原曲第2番嬰ハ短調
 ・第5番 ホ短調 S.359/5  ← 原曲第5番ホ短調「悲しい英雄物語」
 ・第6番 ニ長調 S.359/6  ← 原曲第9番変ホ長調「ペシュトの謝肉祭」


 なら、あの有名な第2番はオーケストラ版なら第4番なのね、と言ってしまっていいのかというと、そうでないところがイライラのタネだ。


 というのは、オリジナルの第2番がオーケストラ版で第4番になっているのはリスト&ドップラー編の場合で、ミュラー=ベルクハウスによる編曲(ハ短調)ではオリジナルとオーケストラ版がともに第2番なのである。さらに、ドップラー単独による編曲版というのもあるらしく(ニ短調)、こちらも原曲と同じ第2番となっている。


 私が聴いているドラティ/ロンドン交響楽団の演奏は、第2番でオリジナルの第2番と同じ音楽、つまり両者の番号が一致しているのだが、編曲者はマッティになっている(ウィキペディアでは、しかしこの演奏は明らかにミュラー=ベルクハウス版(ドップラーの手によるものと異なり編成にハープが加わっている)だと指摘されている)。


 こうなってくると、私はこう考える。「めんどくさ。もうどうでもいいや」って。


 そのドラティの演奏を。管弦楽版の全6曲が収録されており、ハンガリーの民族楽器であるツィンバロンが用いられている曲もあり、第2番以外でも魅力発見の可能性が大である(あなたにとって)。


 1960年録音。マーキュリー。

 単売ディスクは取扱終了。現在入手可能なCDは、以下のボックスのなかに含まれている。


   このCDの詳しい情報 【タワレコ】 ※11/24 23:59までポイント12倍キャンペーン開催

   Mercury Living Presence Box<初回限定盤>


  そりゃ、痛そうではあったけど……

 「トムとジェリー」では多くのクラシック音楽作品が絶妙に使われていて、幼いお子さまにとっても自然と名曲に親しむ絶好の機会だったと思う。

 それが内容が暴力的すぎるということで再放送されなくなって久しいのは残念だ。教育上好ましくないといって放送内容にうるさくなっているいまの方がずっと凶悪犯罪が増えていると思うのだが。


    

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保守的で変化を好まない私を狐が招く♪ヤナーチェク/利口な女狐

Dvorak7ekiska  新型では機能不全
 先日、あるところで新しいノートPCを触る機会があった。
 新しいが、個人的には欲しい機種でもメーカーでもない。
 それはともかくとして、OSはWindows10 Enterpriseで、IE(Internet Explorer)のヴァージョンは11.0.43。

 ちょいとばかり、試しに自分のブログの投稿画面を開いてみた。

 ところがである。

 投稿用の画像や絵文字が呼び込めず表示されない。文字色の変更ができない。マーカーも引けない。
 これらのアイコンをクリックしても無視するように何も起こらないのだ。

 また、投稿設定で予約の日時も指定できない。

 ちょこちょこと原稿をいじってしまったが、まさに余計なことをしてしまった。書きかけで保存してあったその文に変なことが起きなきゃいいがと、そのまま「下書き保存」のアイコンをクリックすると、画面下にこんなメッセージが。

blog error

 同時に別ウインドウが開いたが-これがedit~らしい-ずーっと、ずーっと、永遠に続くように-放っておけば続くに違いない-真っ白いまま。これじゃエラーメッセージでも出てくれたほうがまだ救われる。

 『ファイルを開く』や『保存』をクリックしても、何やら堂々巡り。

 いや、そもそもlivedoor.blogcms.jpってなんじゃい?
 そんなの呼び寄せた記憶はない。私はくしゃみもあくびもしていない。勝手に来るな。

  初めてIE以外でログインしてみた
 なんだか気持ち悪いので、投稿画面からログアウトし、グーグル・クロームでログインし確認。
 クロームでログインしてみたのは、私にとってこのときが初めて。

 私は保守的で、最初に使ったもの-このケースだと、インターネット・エクスプローラー-を忠実に使い続けるタイプなのだ。ふだんグーグル・クロームを使う場面といえば、アフィリエイトのバリューコマースで『My Linkコード』を取得するときだけ。このコードもIEでは作成できず、エラーが出るためだ。

 初体験の“クロームでのログイン”だと、いつも通り。つまり家で使っているWindows7、IE11での投稿画面と一緒だ。
 違いは文字の形(書体)。これは好みの問題(あるいは慣れの問題)。
 この写真の上がIE、下がグロール、違った、グーグル・クロームである。編集画面の1行あたりの文字数も異なっている。

IEScreen

ChromeScreen

 つまり、家で使っているものもIE11だが、このちょっと触った新しいPCでは編集画面が機能不全でヘンテコ極まる原因は、Windows10にあるってことになる。

 だが、北海道の自宅のPCもWindows10(IEのバージョンは11.0.47)。だが、このように一部(いや大半)の機能が停止してしまうってことはない。

 考えられるのは、IE11のなかでもバージョン11.0.43が不適、もしくは、Windows10でもEnterpriseってのに問題がありそうだ。

  定評ある低評な事象らしい
 ただ、Internet Exprolerで投稿画面が正しく動作しない問題は、間違いなく起こってる。
 というのも、livedoor blogのヘルプページに載っているからだ。

 Internet Explorerをお使いの場合、「記事を書く」ページで正常に動作しない場合があります。
 
 主な現象
 •画像の挿入や文字サイズの変更、絵文字の挿入ができない
 •Javascriptエラーが表示される

 正しく動作しない場合、以下をお試しください。

 その他アドオンの無効化

 Internet Explorerにインストールしたアドオンが不具合の原因になっている可能性が考えられます。アドオンを無効化してお試しください。

 アドオンを無効化にする方法
 •メニューバーの[ツール] > [アドオンの管理]選択
 •表示されるアドオンを選択して「無効にする」をクリック

 まだ問題が解決しない場合、以下の情報を問い合わせフォームよりお送りください。ご協力のほどお願いいたします。

 1.使用しているアドオンを可能な限り教えてください
 アドオンの調べ方:
 [ツール] > [アドオンの管理]を開いて、そこに表示されるアドオン名を教えて下さい
 2.最初に不具合に気づいた前後で行ったパソコンの設定変更などがあれば教えてください 
 例:パソコンを買い替えた
 例:ウィルスソフトをインストールした
 例:ブラウザソフト(Internet Explorer)をアップデートした
 例:ブラウザソフトの設定を変更した(ブラウザのセキュリティレベルを変更した)


blog IE error

 はい、他人の新しいパソコンで試してみました。私の場合。

 このヘルプページでは、IEではなくグーグル・クロームやファイヤーフォックスを使うことを推奨している(ような)記述がみられる。

 しかし、グーグル・クロームはどうも反応が遅くじれったい。

 そこでファイヤーフォックスをダウンロードして使ってみた。

 ……なんかいい感じ……

 編集画面の文字はクロームと同じだが-こっちの方が好きになってきたけど-、反応がいい。サクサクしている。

 アタシ、乗り換えちゃうかも……

 ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928 チェコ)の歌劇「女狐ビストロウシュカの物語(利口な女狐の物語)(Prihody lisky Bystrousky)」(1921-23)の組曲(ターリッヒ編)。

 ここでも取り上げたエリシュカ/札響盤を。

 2009年ライヴ録音。pastier。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   ※ ポイント12倍キャンペーン開催中!11/24 23:59まで。
   ドヴォルザーク: 交響曲第7番 / ラドミル・エリシュカ, 札幌交響楽団

 そうそう、IEを使って原稿を書いているときは、文頭でスペースを入力すると、なぜかカーソルが1行下の2文字目に飛ぶという珍現象が頻発する。
 しかし、クロームでもファイヤーフォックスでもそういうことは起こらない。起こってはいけないことが当たり前に起こらないことが、こんなに精神衛生上良いとは!

 原稿を書くときはFoxちゃんにしちゃおうかしら……
 ねえねえ、そこのlivedoor blogを利用している皆さん!どのブラウザを使っているんですか?教えて!Muu……

 ※ 実は-ってほどのことじゃないが-昨日の記事は最初の1文字から最後の1文字まで FireFoxを使って書いて投稿してみた。

    

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キリギリスの汚名返上。雪に埋もれたバラを救う!♪ネッケ/クシコスポスト

GrovesPO  雪の中、雪防止の冬囲い
 今度の日曜日は仕事である。

 昨日の月曜日、つまり外一面が-家の中一面だったら大ごとだ-がすっかり雪景色になった翌日、幸い天気が良かったので私は冬囲いを強行した。

 なぜ月曜日なのに仕事もしないで庭仕事をしているのか?

 つまり今度の日曜日は仕事なので、この日はその振替休日だったのである。

 ここまで周到に言い訳しなくてはならないのだろうか?いや、大切なことだろう。

 バラたちの株の周囲の雪をどけ、冬囲い。
 例年ならばそれぞれの株で支柱を3本使い三角すいのように囲うのだが、今回はそれは一部。
 というのも、今年はいつも使っている竹材がHomacに入荷していなかったことで、支柱不足という危機に見舞われたからだ。
 そこで支柱2本で対処。しかも晴れていたとはいえこんな状況だから突貫作業。

 だが、みごとな集中力と手抜きで、午前中のうちに庭はこのように本格的な冬にすっかり備えることができた。

IMGP2038

IMGP2039

  同情?激励?非難?嘲笑?
 作業している最中に、近所のおばさんが通りかかって「すっかり積もりましたね」と私の至らなさをやんわりと指摘。郵便配達のお兄さんは「いっきに冬になりましたね」と私の準備不足を遠回しに非難した。というふうに、ねじ曲がった捉え方をしまうほど、今回は切羽詰まっていた。

 急いで作業を進めたので何本かの指にトゲを刺してしまい、そのため白いロープがピンク色に染ったりして、まさに虎の穴の死闘状態。
 しかし23日には気温が10度くらいまであがるからそれまで作業は延ばしのばしにしようと堕落した考えをもっていたわが心に鞭を打ち、一気に終えることができ、すっかり解放状態。
 バブを投げ込んだ風呂-もちろん『ホワイトローズの香り』だ-に入り、幸せを感じた私であった。

  ってことは、クシコス=馬車?
 勤勉な郵便配達のお兄さんに敬意を表し、今日はネッケ(Hermann Necke 1850-1912 ドイツ)の非常に有名な通俗曲「郵便馬車(Csikos post)」(作曲年不明)。
 通称「クシコスの郵便馬車」と呼ばれるが「クシコスポスト」という言葉そのものが「郵便馬車」という意味らしく、ゆえに「クシコスの郵便馬車」といおうのは誤訳である。と、井上和男氏は「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)で断言している。
 どうやらクシコスというのは『馬に乗る人』ということらしい。

 この曲は小学校の運動会なんかでなぜか流されることが多いが(駆け足とか徒競走向きらしい ⇒ 運動会のための音楽 ベスト<入退場・競技・式典>)、活気がある反面、ちょっぴりほの暗さもあって、運動嫌いの私にしてみれば負の面ではあるが運動会にふさわしい曲だった。

 ピアノ版もあって(もともとはピアノ曲?)、ウチの次男が幼稚園児の頃、通っていたピアノ教室の発表会でこの曲を演奏。
 馬が暴走しだしたかの如く、どんどんテンポアップし、自分でテンポを速めているのに指がついていかなくなり、演奏し終わった後は「やってらんない」と自分のせいなのに文句をたれていた。
 なお、そのすぐあとに彼はピアノ教室をやめた。

 クシコスポストの中間部分は、リストのこれまた有名な「ハンガリー狂詩曲第2番」によく似た箇所がある。「チャカチャカチャカチャカ、チャカチャカチャカチャカ、チャリラリラリララ、チャリラリラリラー」というところだが、こう書いてもだれも私の伝えていことなんて理解しちゃくれないだろう。

  AとFの差って……
 それはともかく、似た箇所があるものの全音ピアノピースでは、リストのハンガリー狂詩曲第2番の難易度は F。一方で、クシコスポストは A、つまりいちばん易しいのである。だからこそ、幼稚園児が弾けたわけだ。

 私が持っているCDはグローヴズ/フィルハーモニア管弦楽団の演奏によるもの。管弦楽名曲集の中に収められている。
 写真の、つまり私が持っているCDは廃盤だが、同一音源の別CDが入手できる。

 1988年録音。DENON。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
    ※ポイント12倍キャンペーン、本日21日11:00から24日23:59まで開催!
   CREST 1000 413::威風堂々/ワルツィング・キャット グローヴズ卿の音楽箱

 今日はちゃんと仕事に行きます。
 本社で打ち合わせです。

    

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キリギリスじゃないのに、なんでこんな目に?♪ペンデレツキ/冬の旅

PendereckiHornCon  もしカツカレーなら私は爆死
 土曜日はちょいと遠出。
 昼は輪厚PAで、妻はかき揚げうどん、私は醤油ラーメン+ミニカレー。

 醤油ラーメンはある種ちょっぴりクセのある味だがおいしい。
 が、ミニカレーのセットにしたことは失敗だった。

 というのも、この日は朝食の時間が私にとっては遅く、そしてそのあとはインフルエンザの予防接種に行ったので、インフルエンザの接種のことはまったく関係ないものの、昼になってもあまりおなかがすいていなかったのだ。

 が、こういうところでサンプルやら写真やらを見ると、なぜかカレーに惹かれてしまう。
 結局ミニのくせして半分しか食べられなかったが(ラーメンは完食)、おなかがいっぱいになったということに加え、そのカレーの味がまったくもって私の口に合わなかったためでもある。

 カレーという食べ物も、人によって好みがずいぶんと違うものだ。

 羽田空港第2ターミナルのスタンドカレー店のポークカレーはなかなかうまいという人もあれば(私のことだ)、ククレカレーの中辛は最高という人もいる(かもしれない)。

 が、ここ輪厚PAの《きたde麺や》でラーメンとともに渡されたカレーは、悪い意味での典型的なレトルトの味。胸やけしそうな感じだった。

 レトルトカレーが悪いわけではない。あの羽田のカレー店だって業務用のレトルトの段ボールが5箱ぐらい積んであるのを見たことがある(見えないところに置いてね)。でも、おいしい。

 隣のテーブルではカツカレーを食べていたおじさんがいたので、私は何となく悪く思い、半分カレーが残っている食器を隠すように返却口に戻した。

  完全に出遅れてしまった私
 そして翌日。

 室蘭方向から札幌へ向け車を走らせていると、道路情報に《北広島⇔美唄 吹雪通行止め》という表示が。

 北広島から札幌にかけて吹雪?
 さらに進むと、《北広島出口通行止め渋滞4km》という表示。
 そこで恵庭ICで降りる。だって北広島で4km分の渋滞にはまり込んだら、私の膀胱が耐えられないに違いない。

 そして家に着くと、庭の状態は一夜にして、トンネルを抜けた先の国のように。

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 やられた。
 完全にバラの冬囲いのタイミングを逸した感がある。
 やれやれ……
 でも、このまま積もったまま根雪になるはずがない。
 次に土が見えたときには、風が吹こうが雨が降ろうが、私は囲い作業を強行する決意である。

 ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki 1933-  ポーランド)のホルン協奏曲冬の旅(Winterreise)」(2008/改訂2009)。

 作品についてはこちらの記事をご参照いただきたいが、とにかく私は自分では冬の旅をしたつもりはないのに、結果的に冬の旅をしちゃったワケだ。

 前回同様、モントンのホルン、ヴィト/ワルシャワ・フィルの演奏で。

 2010年録音。ナクソス。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   Penderecki: Fonogrammi, Horn Concerto, Partita, etc

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  家の中では……
 外はすっかり冬景色だが家の中はというと、あのシャコバサボテンが花を開いてくれている。

IMGP2015

 また、外に置いてあった《オルニソガルム・カウダツム(コーダツム)》は、こんなに大きくなった。
 薄皮をはがすと、ふふふふっ、すっごく美しくみずみずしい緑色の肌。おまけに子だくさん。

IMGP2017

 でも、こんなに増えてどうする?
 銀杏じゃないので食べられないし……

    

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私の札響感動史(11)♪マリちゃんの想い出

SSO172nd  重鎮現る!
 札響が岩城時代(1975年10月正指揮者、1978年10月音楽監督・正指揮者、1981年8月音楽監督)になってから、集中的に(ってほどでもないが)客演した指揮者にジャン・バティストゥ・マリ(Jean-Baptiste Mari 1912- )がいる。

 1977年6月に行なわれた第172回定期演奏会では、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロア」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(独奏:D.アレクセーエフ)、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」を振った。

 当日のプログラムノーツには、マリのプロフィールが次のように記されている。


 パリのコンセール・ラムルー管弦楽団の首席指揮者。日本にも屡々(しばしば)来演しており,諸外国ではアメリカ,ドイツ,オランダ,ルクセンブルグ,スイス,ポーランド,ユーゴスラヴィア,ルーマニアなど数多くの国で活躍しており,シャルル・ミュンシュと共にオルケストル・ナショナールとのアメリカ演奏旅行で絶賛を博す。63年~69年にはパリ交響楽協会の会長をつとめている。札幌は今172回定期が初指揮。


 ONTOMO MOOK「指揮者のすべて」(音楽之友社:1996年)での記述はこうだ(執筆は吉村溪氏)。

 東フィルへの客演が多い。アルジェリアのパレストロに生まれた。父にチェロを教わり、同地の市立劇場の奏者を経験した後、パリ音楽院でP.バズレールに師事。26年にはレオポルド・ベラン賞を受けている。卒業後アルジェリアに帰国し、アルジェリア放送響のチェロ奏者として様々な指揮者の下で研鑽を積んだ。46年からパリなどで本格的に指揮活動を始める。62年にラムルー管の常任指揮者に就任。76年まで同ポストにあった。その間フランス交響楽協会の会長を2期務めている。81、85年来日時のライヴが東フィル創立80周年記念の「名演集」の中に収録されており、ドビュッシーの「小組曲」や「アルルの女」組曲は濃厚な表情を伴った熱い演奏。

 「小組曲」で濃厚で熱いというのが想像できないけど、まあ、それはよいとして、何度か来日しているわりにはそんなに話題にならないのは評価が高くないのか?
 いや、これがN響ならテレビに映っちゃって、国内での知名度はそれなりに上がった可能性もある。


 もともとはチェリストだったところは、P.シュヴァルツと一緒だ。単なる偶然だろうけど。


 1912年生まれということは、77年のときにはまだ65歳くらいだったわけだが、元気ながらもけっこう老いて見えた。そのせいか、風貌はまったく異なるのだが、エリシュカを最初に見たときにはマリのことを思い出してしまった。
 重鎮とは書かれているが、当時は外国人指揮者ならメジャー・レーベルに録音しているようじゃないと二流みたいに見られる風潮があったが、世が世ならマリだってエリシュカのようにブレイクしたかもしれない。

  工藤の魅力をたっぷり引き出した指揮
 私がマリの演奏を聴いたのは、初来札となった第172回を含め計3回。

 残りの2回は、

 第198回定期('79.11.20)
  ・ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
  ・イベール/フルート協奏曲(独奏:工藤重典)
  ・ベルリオーズ/幻想交響曲


SSO198th

 第205回定期('80.6.23)
  ・シャブリエ/狂詩曲「スペイン」
  ・モーツァルト/ピアノ協奏曲第17番(独奏:小林道夫)
  ・ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」


SSO203_206th

 このころは、定期会員をずっと続けていながらも、何かと忙しくというかちゃらちゃら出歩いている状況下になく-なにせ浪人生の身-コンサートに行けないことが多かったのだが、マリが登場するときには欠かさず-といっても3回だが-足を運んでいる。

 マリが登場するときのプログラムが、またまたか、たまたまか、私好みの曲ばかり。その点でもひじょうに印象に残っている指揮者だ。
 ただ、プログラムが魅力的だっただけではない。マリが登場した夜は、いつも盛大な拍手がおくられた。つまり、札幌の聴衆にとっては毎度毎度期待を裏切らない良い指揮者だったのである。

 私もどの回も、日々の憂うつから解放してもらうことができたのだった。やっぱりマリちゃんは私を裏切らなかったのだ。

 第172回は、1曲目のラヴェルの「マ・メール・ロア」がとってもチャーミングに演奏された(ような気がする。あるいは濃厚だったのだろうか?)。
 プロコフィエフの第3協奏曲も興奮もの。そして、「シェエラザード」で叩きのめされた。

 第198回は、私のとって初めての生「幻想」だったが、打楽器奏者の動きとその響きにすっかりメロメロ。
 受験勉強なんてやめて、大太鼓奏者の弟子入りをさせてもらいたいと思ったほどだ。
 札幌出身の工藤重典のテクニックも最高!演奏後のカーテンコールでマリが工藤を盛んに讃えていたのが印象的だった。

 第205回は最初の狂詩曲「スペイン」が、これまたチャーミングで楽しくて……
 で、この日の演目でいちばん印象に残っているのも、シャブリエである。
 
 私が知る限りでは、マリが札響を振ったのはこの3回。
 それが正しいとすると、なぜそのあと来なくなったのか気にかかるところ。

 まだご健在なのだろうか?いや、100歳超えてるってことになるからなぁ……

  岩城/札響 黄金時代の1枚
 リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の交響組曲「シェエラザード(Scheherazade)」Op.35(1888)は、札響でも何度も聴いている作品。

 そのなかでも強烈に印象に残っている演奏は、この曲を初めて聴くことになった北電ファミリーコンサート(指揮は飯守泰次郎)だが(ここでも触れている)、現在、札響の「シェエラザード」では岩城宏之が指揮したCD(SACDハイブリッド=通常のCDプレーヤーでも再生できる)がリリースされている。

SSO263rd

RKorsakovScheSakkyo

 1985年10月に行なわれた第263回定期演奏会のライヴ。

 岩城にしては-という言い方はまっこと僭越だが-情感豊かにたっぷりとメロディーを歌わせていて、アンサンブルもピシッと決まっている、ドンチャン騒ぎに陥らない高レベルな演奏。

 なのに私には記憶がない。
 会場で聴いた音楽も、ステージの光景もすっぽり記憶から欠落している。

 どうしちゃったのかしら、ワタシ?
 んっ?だから勉強しても頭に入っていかないんだって?
 それって、核心を突きすぎです。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】
   リムスキー=コルサコフ: シェエラザード; 武満徹: スター・アイル<タワーレコード限定>

 なお、もともとレコーディングするために収録した音源ではないため、音響的にはちょっぴりハンデがある。
 だが、透明度の高い札響サウンドはきちんと耳にできる。

    

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      ↑ 真理・麻里・万理・真里・茉莉(←うわ言) ↑

ユーバンってわかります?♪100台のメトロノームで頭は濃霧状態

IwakiBoufuri  ネスカフェ・ゴールドブレンドはご存じか? 
 岩城宏之の「棒ふりの控室」(文春文庫)。

 棒ふりの控室というのは、出陣を今か今かと待つ棒ふり意欲満点の野郎がいる風俗店のお客様控室のことじゃないのは言うまでもない。

 このなかの「違いがわからぬ男は肩がコル」で、岩城はこんなことを主張している。

 わが国では、音楽や絵はお好きですか、と言われると、「いやあ、音楽も絵もわかりませんで……」という答が多い。こういうことには、「わかる」、「わからぬ」という単語を使ってほしくなく、好き、嫌いと言ってはくれぬものかと、常に不満なのだが、「道」の畏れ多さの前にはつい「いやあ、コーヒーはわかりません」と言ってしまいそうになる。

 これは日本のコーヒー事情について書いてあるのだが、こんなことを書いたせいか、岩城はこの後(実際には本が出版される前の校正中に)、“違いがわかる男”の、つまり「♪ダバダー」でおなじみの-いまの若者にはまったくなじみがないか……-ネスカフェ・ゴールドブレンドのCMのオファーが来て、出演することになる。

  わからないことは多々ある
 でも、好きか嫌いかもわからない状況ってある。それが“わからない”である。
 程度の差はあれ、何かがわかったうえで好きか嫌いか判断がつく。

 だから岩城宏之が何と言おうと-そしてまた、他でも同じようなことを主張していた人がいたような気がするが-、音楽を聴いていて“わからない”って気持ちになることはあるはずだ。

 また、逆に“わかる”なんて軽々に言うと、楽譜が頭に浮かぶようにその音楽構造まで理解しているように誤解される恐れがある。

 つまり、“わからない”は使ってもおかしいとは思わないが、“わかる”は慎重に使わなければなんだか鼻持ちならぬ奴と嫌われそうだ。

 で、“わからない”という表現だが、たとえばケージの「4分33秒」を初めて-でなくてもいいけど-耳にした人は、即座に好きか嫌いか言えるだろうか?好きも嫌いもなく、ほとんどの人が「何が起きたの?もう終わったの?」って状態になるだろう。つまり“わからない”のだ。

 あるいは“わからない”というのは「この曲のどこが良いのかわからない」って意味にも使われる。
 この場合は、“私には良さがわからない=好きではない”、ということになる。

Ligeti  一応従ってみたが……
 若いころは岩城ファンだった私は、この岩城の主張に従おうとした。
 つまり「わかる」「わからない」を使うまいとした(もちろん音楽作品に対してで、学業ではわからないことだらけだった)。

 だが、途中からばかばかしくなって、堂々と“わからない”を使うことにした。そもそも、わかる⇔わからないと、好き⇔嫌いは必ずしも同じ感覚ではないように思えるのだ。

 「ブーレーズの曲はよくわからない」
 「あの指揮者の解釈はわからない」

 私の言いたいこと、わかっていただけます?

 たとえば、リゲティ(Gyorgy Ligeti 1923-  ハンガリー→オーストリア)の「ポエム・サンフォニック(Poem Symphonique)」(1962)。

 無理やり日本語に訳すと「交響詩曲」ってな感じなのだろうか?だとしたら、なんだか味わいがありそうにも思えてくる。

 が、この作品、100台のメトロノームのための“音楽”なのである。

 ウィキペディアに書かれていることを読むと、理屈としてはリゲティの狙いがわかるような気がしないでもないが、この“音響”を耳にしながら「わかる、わかる。あなたのキモチ、よーくわかる」と、交錯するリズムの妙に胸打ち震え息をするのも忘れそうになるくらい引き込まれた経験は、私にはまったくない。
 というよりは、大量のBB弾を坂道にぶちまけてしまったときのような取り返しのつかなさに、呆然とするだけだ。

 私が大切にしているあまりずっと棚に飾ってあるCDはラリューによる演奏、というよりはメトロノーム稼働役の録音。って、1人じゃ無理じゃないかと思うんだけど。

 でも、このディスク(1995年録音。ソニークラシカル)は廃盤。

 探すとこんな録音ありました。私はもちろん未聴だが、リゲティの試みに興味のある方、メトロノーム・コレクターの方、現実逃避でボーっとなりたい方は聴いてみては? 

   そのCDの詳しい情報 【タワレコ】
   Insomnia

 そうそう、岩城のこの本には“ユーバン”って言葉が出てくる。

 そういうインスタント・コーヒー、あったなぁ

    

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伝承詩なら真の伝統に近いのでは?♪伊福部/アイヌの叙事詩に依る~

IfukubeJokun  何を信じたらいいの?
 「クラシック迷宮図書館 片山杜秀の本(3)」の「伝統なんて、信じるなよ!」。初出は2001年4月の“レコード芸術”。


 ここで片山氏が取り上げている本は谷本一之著「アイヌ絵を聴く 変容の民俗音楽史」。


 片山氏は、


 あくせく破壊的な現代に対し、しばしば自然との調和を重んじる悠久のユートピアのイメージで、現代から超然として語られがちなアイヌの伝統が、少なくともその芸能のある部分にかんしていえば、現行のかたちになったのはけっこう新しいと、この本は教えてくれるのだ。

と感想を書き、変容の事例をあげたうえでこう結ぶ。

 ようするに、われわれがこれぞアイヌの伝統の真髄と思いがちなものの多くは、じつは和人に歪められてきたアイヌの歴史がきつく刻印された、その意味で伝統的というよりなかなか生々しいしろものらしいのである。伝統なんて言葉はやはりそう安直に使えるものではない。

  おくさん、いい仕事してますね
 伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌(Eclogues after epos among Ainu races)」(1956)。

 1. 或る古老の唄った歌
 2. 北の海に死ぬ鳥の歌
 3. 阿姑子(あこし)山姥(やまんば)の踊り歌

の3曲からなる、ソプラノとティンパニのための歌曲。

 おととい黛の曲を紹介したときに取り上げた、1988年に行なわれた伊福部昭 叙勲祝賀コンサートのライヴCD。
 それに収められている、藍川由美のソプラノ、山口恭範のティンパニによる演奏がすばらしい。

 藍川の気迫のこもった歌唱は、同じく山口と組んだ1987年のスタジオ録音(ビクター)よりも生気に満ちている。
 それにしても、なんという物悲しさ、なんという力強さなのだろう。

 EMI(EMI × TOWER RECORDS Excellent COLLECTION Vol.4)。

   このCDの詳しい情報 【タワレコ】 ※ポイント10倍キャンペーンは本日17日23:59まで
   伊福部先生の叙勲を祝う会祝賀コンサート<タワーレコード限定>

 余計な情報かもしれないが、藍川由美の夫は片山杜秀である。
 
    

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いまは、その肝心の車両が足りないわけで♪DSch/vc協2

Sato JR  消費税が10%になったらどうなるのか?
 北海道新聞に最近書評が載っていて、おもしろそうだと思って買った本がある。そりゃそうだ。おもしろそうだと思わなかったら買うもんか。

 佐藤信之著の「JR北海道の危機 日本からローカル線が消える日」(イースト新書)。
 私は電子書籍を購入した(紙の本は こちら JR北海道の危機 日本からローカル線が消える日 (イースト新書) (新書))。

 いまたまたま読んでいる箇所が、半分より少し進んだあたりの、第6章「JR北海道が輝いていた時代」。

 こんなことが書かれている。

 ・JR北海道はJRが発足した1987(昭和62)年度に726億円の鉄道事業営業収益で始まった。

 ・青函トンネルを含む津軽海峡線が開業し、1988年度の鉄道事業営業収益は811億円に達した。


 ・その後も、青函トンネルの開業とリゾート開発によって増収が続き、バブル崩壊の1991(平成3)年には895億円となった。その後は増収のペースは落ちたが、1996年度の930億円まで増加。97年4月の消費税率の引き上げによる消費不況のなかで減収に転じた。


2016-12-02_135 ・最近もてはやされているリゾート列車やクルージングトレインだが、1985年にキハ56系気動車を改造した「アルファコンチネンタルエクスプレス」を投入。JR北海道発足後もジョイフルトレインの投入を続け、北海道は観光列車の先進地だった。


 ・1988(昭和63)年11月3日に札幌駅の高架化が完成したのに合わせて、JR北海道は約2700kmの列車の増発を行い、収入源と期待される札幌都市圏の輸送力増強を進めた。


 ・JR発足後の15年間は、JR北海道も長距離列車の高速化や札幌圏の輸送力増強など、積極的に設備投資が行われた。鉄道事業は列車が売り物であり、車両の快適性が消費者である利用者にアピールするのだ。

  本業に金をつぎ込めない
 “列車が売り物”というのは、私が賛同するまでもなく核心を突いている。

 なのに、いまJR北海道は車両も満足に用意できない。だから利便性に逆行するダイヤを組まざるを得なくなり、それがまた乗客離れを起こしている。

 なぜJR北海道はいまのような状況に陥ったのか?
 それは説得性、納得性のある佐藤氏の論をお読みいただくしかないが-というか、北海道にゆかりのある人、JRに関係のある人、北海道の鉄道利用者ならびに鉄道ファンにはぜひ読んでいただきたい-、少なくともJRが発足したときの勢いを再び、と願うのは私だけじゃないだろう。

 この本、読みはじめたのが小樽に出張するJRの車内で、であった。
 JRに乗りながら、こういう本を読むなんてなんだかバチあたりな気がするが、決して意地悪くこの本を選んだわけではなかった。

 ところで、このときはじめて気づいたことがある。
 “張碓”という駅がなくなっているではないか。

ToyohoroMap むかしっから、札幌から小樽方面へ向かう列車(普通列車)では張碓を、そして岩見沢方面に向かう列車では豊幌を通過する列車が多かった。1日に何本停まっていたのだろう。

 その張碓駅-銭函と朝里の間-は、調べたところ実質的に1998年から完全休止の駅になったという。
 やれやれ、そんな前にかい。ちっとも知らんかった。
 
 一方、豊幌駅は現在、通過しちゃう普通列車はなくなった。
 この駅の周りは宅地開発が進み、利用者が増えたためだろう(といっても、当初の目論見どおりに人口は増えてはいないようだ)。

  とにかく起死回生を願う!
 本を読んでいてなんか暗い気分になったので、それに追い打ちをかけるように明るい気分にならない-JRの苦境に感情移入したのだ-、でも私にとってはドラえもんとは比較にならないくらいとっても大好きなショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のチェロ協奏曲第2番ト短調Op.126(1966)を聴いた。

 この作品については、ここで詳しく書いているし、これを読めば私の惚れこみ度合いもわかっていただけるのではないかと思うが、とにかくブーブリキなのである。いまの話の流れからすると、「買ってください乗車券」だが……

ShostakoVcCon ノラスが弾いた演奏がなかなかだったが、現在その音源は入手困難。

 なので、わたし的にはオーソドックスな-この曲ではいちばん繰り返し聴いているという意味で-シフのチェロ、マキシム・ショスタコーヴィチ(ドミトリーの息子)指揮バイエルン放送交響楽団の演奏を。

 1984年録音。フィリップス。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】
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   Shostakovich: Cello Concerto No.1, No.2

 JR北海道が投入したリゾート列車はどれも未来的なフォルムでカッコ良かった。

 が、写真に載せたように末期はボロボロで悲惨。
 もちろん写真を撮ったのは引退したあとで、鉄道の日に苗穂駅に展示されていたもの。にしても、ひっどく痛々しい。

    

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黛 vs. 武満。将来の評価は?♪黛の“師匠のエキス”たっぷりの小品

IfukubeJokun  政治活動が災いしたのは確か
 「クラシック迷宮図書館 片山杜秀の本(3)」のなかの「黛敏郎をバカにするな!」(初出は1999年8月の“レコード芸術”)。

 ここで片山氏が取り上げているのは岩城宏之の「作曲家・武満徹と人間・黛敏郎」という本。


 片山氏は、1960年代の途中までは黛の方が有名だったが、67年に武満の「ノヴェンバー・ステップス」が初演されたころから逆転劇が始まったと指摘。


 そして、岩城の文を紹介する。


 黛さんは、パリに留学し1年で帰ってきて、盛んに作曲したわけです。しかし、あとで調べてみると、それらは全部ヨーロッパで仕入れてきたものでした。のちに作曲しなくなったのは、悪くいえば、タネが切れたのかもしれません。つまり、作曲家としての本当のオリジナリティはなかったかもしれない。

 岩城は黛と親しかった。
 その岩城がこんなことを書いているとは!


 また、片山氏は、


 ご本人は僕に、70年代以後、作品数が減ったのは、『タネが切れた』からではなく、政治活動のせいで音楽界から干され、作品の委嘱がこなくなったせいだ、書きたいものはいっぱいあるよと言っていた。


と書いている。


  小さな伊福部ワールド
 私は黛の作品も武満の作品もそう数多く知っているわけではない。
 ただ、何度か書いているように武満の音楽の良さが私には“わからない”。

 では黛の良さは“わかるのか”と言われると、やっぱりわからない。が、武満を聴くときほど居心地が悪くはない。

 そして、私が黛敏郎(Mayuzumi,Toshiro 1929-97 神奈川)ってすごいと思うのは、こう言っては叱られるかもしれないが、イベントのために書いた小品を耳にするときである。

 その小品は「Hommage a A.IFUKUBE」。
 ここでも取り上げているが、この曲は師である伊福部昭の叙勲を祝うコンサート(1988年2月27日)のために、他の弟子8人の作品とともに書き上げられたもの。

 9人のなかでは、黛の曲が実に面白い。師の作品3曲が自然と結び付けられからみ合い、最後にはいつの間にやらゴジラのテーマに似ているラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章が現われるというもの。

 ゴジラ・メインタイトル→交響譚詩第1楽章→アイ アイ ゴムテイラ→交響譚詩第1楽章→アイ アイ ゴムテイラ→交響譚詩第2楽章→交響譚詩第1楽章→ゴジラ・メインタイトル→ラヴェル「ピアノ協奏曲」第3楽章、という流れ。

 黛の曲というと、どこか小難しい印象があるが、この曲を聴くとそのテクに感心してしまう。
 9人の弟子たちのトリを務めるのにふさわしいものだ。

 そのときのライヴ録音を。石井眞木指揮新星日響のメンバーによる演奏。

 EMI(EMI × TOWER RECORDS Excellent COLLECTION Vol.4)。

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SSO166th  札響が真に全国区になったコンサート
 ところで、日曜日の記事では札響第167回定期演奏会のことを取り上げたが、その前の月、つまり1976年12月の第166回定期は、

 このような大胆な試みは、東京のオーケストラでも行えなかったもので“正にど胆を抜かれた企画”(在京オケの関係者)で“札響はスゴイ”とオーケストラ関係者を驚かせた。
  (札幌市教育委員会編 さっぽろ文庫57「札幌と音楽」:北海道新聞社)

という、全武満徹作品のプログラムだった。

 私はこの演奏会には行っていない。
 もし行っていたら、武満に対する思いが180度変わっていたかもしれない。

 片山氏は、こうしめくくっている。

 数十年前、R.シュトラウスよりマーラーが演奏されるようになると、だれが予想できた?二人のほんとうの勝負はおそらくこれから始まるのさ。


 これが書かれてから18年経つが、いやいやまだ情勢は変わっていない。タケちゃん優勢、トシちゃん劣勢だ。

 この先、30年、50年経つと形勢は逆転するのだろうか?

    

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