新・読後充実度 84ppm のお話

 クラシック音楽、バラを中心とするガーデニング、日々の出来事について北海道江別市から発信中。血液はB型かつ高脂&高尿酸血症の後期中年者のサラリーマン。  背景の写真は江別市「らーめん しょう」の味噌ラーメン。 (記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

“OCNブログ人”時代の過去記事(~2014年6月)へは左の旧館入口からどうぞ!

2015/05

えびすの顔は威圧的?それとも神秘的?♪クープラン/第6組曲

201505Ebisu  一人じゃムリかも……
 日曜日スタートのカレンダーならもう先週のことになるのだが、私は再び陸別を訪れた。
 つまり先週は東京、札幌に出張し、いったん戻って陸別という動きをした。この動きに何か特別な関連があるかというと、まったくない。

 今回の陸別訪問は日帰り。宿泊は伴わない。だから朝の散歩はできない。
 用務は昼をはさんでの会議で、そこで食事が用意されていたのでラーメンを食べに「えびす」に行くことはできなかった。

 それでも昼食休憩の合間に店の様子を見に行ってみた。昼の小散歩である。
 不定休のこの店だが、幸いこの日はやっていて暖簾が出ている外観を撮影することができた。

 冷静にというか白日の下にさらされた姿を見ると、正直なところ尻込みしちゃう店がまえだ。なんだか大きな口で人を飲み込もうとしている顔のようにも見える。

 よそ者がお昼どきなのでたまたまふらっと入る、もしくはラーメンを食べるという明確な目的があってその目的達成のために相当な意気込みをもっていたとしても、この戸を開けるのには相当な勇気がいるだろう。

 いや、戸に手をかけた瞬間に後戻りできない異次元に引き込まれそうな怖さがある。静かにそのときを待つブラックホール……
 それほど愛想っ気がない。ウェルカムという優しさが感じられない。カフカの「城」のように近づく者をはじき返しそうなたたずまいだ。あまり凹凸のない造りは障壁のようだ。あの先にはどんな光景が広がっているのだろう?優しい笑顔でおばちゃんが迎えてくれるのだろうか?

 胸がざわつくが私はあきらめない。
 今度地元の人に懇願して一緒に行ってもらおう。

CouperinOrdreCompBaumont  あれは窓を“殺した”痕跡?
 クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第6組曲(Ordre No.6)」。
 「クラヴサン曲集第2巻(Pieces de clavecin second livre)」(1717刊)に含まれる(第2巻は第6組曲から第12組曲からなる)。

 第6組曲は次の8曲からなる。

 1. 収穫をする人々(Les moissonneurs)
 2. 心地よい恋やつれ(Les langueurs tendres)
 3. さえずり(Le gazouillement)
 4. ベルサン(La Bersan)
 5. 神秘的な障壁(Les baricades mysterieuses)
 6. 牧歌(ロンドー)(Les bergeries(Rondeau))
 7. おしゃべり女(La commere)
 8. 羽虫(Le moucheron)

 もう国内では数セットしか残っていない(と言っても、タワレコに限っての話だけど)ボーモンの演奏によるCD。

 残っていないディスクを紹介するのは心苦しいと思っていたが、たまに私のブログにコメントを寄せてくれる“ぶっち”さんから朗報が
 ぶっちさんは某CDメーカーに勤務しているそうで、となると情報はもちろん信頼できるもの。
 近々、もう焦らなくても、奔走しなくても、嘆き悲しまなくても済む状況に事態は好転するというのだ。

 ということで、私の優越感はなくなるものの、安心してこれからもこのCDによる作品紹介を続けることができる。
 それまでは、この爽やかな小品集を耳にできる日を夢見ながらお過ごしあれ!

 と思ったら、“在庫わずか”という表示ながらも、もうすでにタワレコのオンラインショップに復活!
 しかも私が取り置きで買った値段よりも1000円以上オフになってるし……

 やれやれ……

 CD、特に輸入盤って買うタイミングがホント難しい。
 まだ大丈夫と思ってるとすぐに無くなったりするし、今回のようなこともあるし……

 いえ、後悔してません。
 自分がとった行動に。

いつから彼は“超”カリスマになったのか?♪ブゾーニ/嫁選び

RekoGei20156  みゆきちゃんに飽きた?
 水曜日に羽田から千歳にフライトする前、機内で読む本を買おうと地下の田辺書店に行った。

 正確に言うならば、京急の改札を出て出発ロビーの2Fへ上がる際、通りがかりにエスカレーターの横にあるこの店に立ち寄ったという方が事実に近い。

 宮部みゆきの「過ぎ去りし王国の城」が平積みになっていた。
 手に取ってみたが、あらすじを読んで元のように平らに積み戻した。どうも食指が動かない。とても好きな作家のはずなのになぜだろう。「悲嘆の門」も買ってないままだ。

 で、結局私が買ったのは「レコード芸術」。

 すっごく読みたいわけじゃなかった。しかも「過ぎ去りし王国の城」よりちょっと安いだけの高価な雑誌だ。手に取ると価格相応の重量と高級な手触り。

 特に気乗りしなかったのは表紙の人物のせいだが、1時間半のフライトで暇をつぶすにはこれ以外選択肢がなかった。意味のない計算をすると30分あたり500円の出費にあたり、これは昨今のコンビニ弁当の相場と比べても高いがやむ得ない。

 表紙の人物はダニエル・バレンボイムである。
 これといった理由はないが、私はこの指揮者を好きになれない。
 バレンボイムが表紙を飾っているワケは、この号の特集で取り上げられているからだ。

 けどしつこく言うが、私はこの指揮者があまり好きではないので、大仰なタイトルの総力特集は真剣に読まなかった。
 しかしそこには、なぜバレンボイムが日本でいまひとつ人気が高まらないのかについて考察されていた。そしてこれまで目にしたことがないくらいこの指揮者が賞賛されていた。この人の真価に気づかないなんておバカじゃない?って感じで。

 この持ち上げ方、いったい何が起こったの?
 世の中を動かすような裏の力が働いてるの?
 それとも褒め殺しってやつ?


 偶然とはいえ、行きの新書、帰りのレコ芸と、続けてバレンボイムについての文を目にするとは、私にとって地震に遭ったことと同じくらい想定外のことだった。

WagnerBa  この録音当時はまだカリスマじゃなかったけど
 翌日帰宅して、でもその日は着いたのが20:30で、ワーグナーよりもウインナー、バレンボイムよりも麻婆豆腐とかに関心が向き、翌々日の木曜日に、ひっさびさにこのカリスマを超えた存在になったという指揮者によるワーグナーの序曲集を聴いてみた(シカゴ響。1994年録音。テルデック)。

 非公式ながらイスラエルではワーグナーは演奏禁止になってるっつぅーのに、バレンボイムは伝道師のごとく「トリスタンとイゾルデ」の一部をアンコールで取り上げた。その話に引きづられ(引きこまれ、じゃない)、このCDをかけてみたのだった。


 悪くないです。いや、むしろ良いんじゃないでしょうか?
 でも、私のテンションは花火大会の誘導係バイトのように高まらず、共感できないまま最後のトラックの「トリスタン」の「前奏曲と愛の死」の音が消えいった。

 ワーグナーに限らず(いつからバレンボイムは現代最高のワーグナー指揮者と言われるようになったのだろう?)、この指揮者の演奏はいつもそう。私にはどこか空々しく聴こえちゃうのだ。ただ鳴り響いているって感じで。

 でも、せっかくだから、そしてこの曲の録音としては貴重なものということで1つ紹介しておく。


Busoni  今の時代の女性ならお怒りになりそうなタイトル
 新古典主義音楽を提唱したブゾーニ(Ferrucio Busoni 1866-1924 イタリア)の歌劇「嫁選び(Die Brautwahl)」Op.45(1908-11/1912初演)。
 おそらくいま聴ける唯一の全曲録音がこのバレンボイム盤ってわけ。

 A.ホフマンの作から作曲者自身が台本を書いた3幕のオペラ。
 で、私は筋はよく知らないし全曲を聴くことはまずないのだが、序曲が良いのだ。
 とらえどころのない浮遊する物体のようなフォアフォアした独特の音楽。

 で、演奏については発売元がこう申しております。

 巨匠バレンボイムの意欲作。ブゾーニは生涯4つのオペラ作品を遺していますが、その第1作にあたるのが『嫁選び』。巨匠バレンボイムが東西ドイツ統一後のベルリン国立歌劇場音楽監督に就任した1992年に大きな話題を呼んだ公演のライヴ録音です。完結版をそのまま演奏すると3時間を超える大作なのですが、このライヴ演奏では一部をカットすることにより、音楽や演出に影響を与えることなく締まった演奏となっており、ブゾーニ再評価を決定付ける話題作です。


 指揮者以外のメンバーはベルリン国立管弦楽団と同合唱団。フォーゲル(Bs)、ヘーン(S)ほか。

 1992年ライヴ録音。ワーナー(原盤:テルデック)

 ところで今号の「レコ芸」でいちばん興味深く読んだのは、月評でも90万円のCDプレイヤーを買ってしまったオーディオ評論家のレポートでもなく、読者投稿欄の一文だった。

 いまのわが国の首相の戦闘モードを憂う内容だが、そのことについては別な場で触れたいと思う。

脇が甘いフルヴェン、したたかすぎるカラヤン♪ブラームス/Sym2(by レヴァイン)

HonmaHiromu  ワーグナーは悪いやつ
 月曜日に帯広から羽田へ飛んだ際、機中で本間ひろむ著「ユダヤ人とクラシック音楽」(光文社新書)を読んだ。
 どうでもいい話だが、もちろん空港でこのような本が売っているわけがなく、前日に喜久屋書店で買ったのだった。

 ユダヤ人は今日まで、世界中の政治・経済・文化といった各フィールドで異彩を放ってきた。そして、こと音楽に関しては、ユダヤ人を抜きにしては語れないほどの存在感を示している。
 特に20世紀に入ると、ハイフェッツやホロヴィッツのような花形演奏家が登場し、シェーンベルクやスティーヴ・ライヒといった作曲家たちが現代音楽を牽引するようになった。
 ユダヤ人音楽家は何によって覚醒し、ブレイクスルーするに至ったのか。
 本書では4つのキーワードを軸に、彼らがどのように西洋音楽シーンに関わってきたのかを検証し、異彩を放ち続ける秘密に迫る。

と、カバーには書かれている。

 なかなか充実した内容だった。
 どのようなことが書かれているかざっくり言うと、

 ・ ワーグナーは反ユダヤ主義者であり、そしてまたワグネリアンだったヒトラーは政治にワーグナーの音楽を利用した

 ・ 2001年にバレンボイムはエルサレムで反ユダヤ主義者のワーグナーを振って物議をかもした

 ・ ワキの甘いフルトヴェングラーはナチスににらまれたが、そのくせ戦後はナチスの協力者として裁判にかけられた(無罪になったが、それに貢献したのがメニューインだった)

 ・ ずるがしこいカラヤンはナチス党員だったのでナチスとうまくやったが、戦後は妻がユダヤ人だったということと、ホントかウソか謎のままだがナチを離党したと主張したおかげで裁判を逃れることができた

 ・ 日本の西洋音楽の発展に多くのユダヤ人が寄与した

 ・ソヴィエトにおいては、ユダヤ人は豊かな生活を得るために音楽的才能がありそうな子が生れると親族一同が金を出し合って一流に育て上げる。育った暁には、その稼ぎを皆で分ける。

BrahmsSym2-3Levine ということだ。

  ハルキさんの意図は?
 この本の中には、村上春樹の「パン屋再襲撃」にも触れられている。
 というのも、このパン屋の主人はワーグナーを聴いているときに強盗に押し入られるからである。

 今日はそのワーグナーと対立関係にあったブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第2番ニ長調Op.73(1877)。

 第2番はブラームスの交響曲のなかでも最も温かみがあって幸福感にあふれるものだが、今日は良い意味で深刻さの気配が全然感じられない、明朗で悩みなんかひとっつもないもんという感じのレヴァイン/シカゴ交響楽団の演奏を。

 1976年録音。ソニークラシカル(原盤:RCA)。

 なぜブラームスがワーグナーと対立していたのかというと、ワーグナーの“新しい音楽”に対しブラームスの音楽は伝統重視の古典路線だったから。
 それぞれに取り巻きができ、派閥争いになったのだった。

 ところで、この曲の第3楽章冒頭から現れるメロディー。
 これってショスタコーヴィチの交響曲第15番第2楽章でトロンボーンがソロで吹く、ややグロなメロディーに似てません?こっちはすっかり葬送風になっていて、ブラームスののどかさはまったく消えてしまっているけど。
 これは偶然なのか、それともショスタコが確信犯的引用か?

 なお、終楽章にはワーグナーが引用されている。

頭巾の中で交錯する様々な感情♪クープラン/第13組曲

CouperinOrdre13-15Baumont  オンライン・ショップによると横浜にまだ在り!
 月曜日に東京に出張し、火曜日は横浜での用務もあったのでそこまで足を伸ばした。

 いまさらどうでもいいことだが、冷やかしで横浜のタワレコに例のCDが置かれているか見に行こうかと思ったが、残念ながら時間がなくそういう意味のない愚かな行為に走らなくてすんだ。

 それにちなんでクープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「第13組曲(Ordre No.13)」。
 1722年刊の「クラサン曲集第3巻(pieces de clavecin troisieme livre)」に含まれる(第3巻には第13~19組曲が収められている)。

 「第13組曲」は5曲からなるが、第4曲はさらに12曲からなる。

 1. ゆりの花ひらく(Les lis naissants)
 2. 葦(あし)(Les rozeaux)
 3. 胸飾りのリボン(L'engageante)
 4. フランス人気質,またはドミノ(仮面舞踏会の頭巾)
    (Les foilies francoises,ou Les dominos)
  ・純潔-見通せない色のドミノの中に(La virginite,sous le domino couleur d'invisible)
  ・恥じらい-ばら色のドミノの中に(La pudeur,sous le domino couleur rose)
  ・情熱-とき色のドミノの中に(L'ardeur,sous le domino incarnat)
  ・希望-緑色のドミノの中に(L'esperance,sous le domino vert)
  ・誠実-空色のドミノの中に(La fidelite,dous le domino bleu)
  ・忍耐-灰色のドミノの中に(La perseverance,sous le domino gris de lin)
  ・恋やつれ-紫色のドミノの中に(La langueur,sous le domino violet)
  ・媚(こび)-色とりどりのドミノの中に(La coquetterie,sous differents dominos)
  ・年老いた伊達男と時代おくれの守銭奴-緋色と枯葉色のドミノの中で
    (Les vieux galans et les tresorieres suranees,sous des dominos pourpres et
      feuilles mortes)
  ・気のよいかっこう-黄色のドミノの中で
    (Les coucous benevoles,sous des dominos jaunes)
  ・無言の嫉妬-モール風の灰色のドミノの中で
    (La jalousie taciturne,sous le domino gris de Maure)
  ・狂乱,または絶望-黒いドミノの中で(La frenesie,ou le desespoir,sous le domino noir)
 5. 煉獄の魂(L'ame-en-peine)

 いやぁ、こんなところにもかっこうが!
 まるで昨日の記事と連続性があるように見える。
 いえ、狙ってません。別に。

 もう入手が難しいがボーモンのチェンバロで。
 1992年録音。ワーナークラシックス(原盤:エラート)

  京急の路線網に感心
 横浜で用事を済ませたあと、羽田から千歳へ飛んだが、けっこう混んでいた。というのも、修学旅行生が乗っていたからだ。もうそういう季節なんだなぁ。
 千歳に飛んだのは、昨日札幌で会議があったから。

 ところで今回の出張でも地下鉄東銀座駅近くのホテルに泊まったが、この駅から三崎口行きに乗ると乗り換えることなく横浜まで行けることを初めて知った。帰りも横浜から羽田空港に直通で行く便があるのを知った。便利だね、京急。
 
 そうそう、月曜日は午後から都内で会議だったのだが、いきなりユラユラ。
 そしてそれとほぼ同時に、みんなの携帯電話からエリアメールの緊急地震速報の音が。
 みごとな斉唱だ。

 震度4で物が落ちてきたり倒れたりってことはなかったが、ちょっぴり焦りはした。

朝の陸別町を歩けば……(第4話)♪ディーリアス/春初めてのカッコウ……

P5210121  おバカな座長のおバカな提言
 昨日書いたように、「TPPに反対する農業団体を弱体化させてしまえ」って意図がミエミエとしか言いようがなかったのが、「規制改革会議」(議長は住友商事の岡相談役)の「農業ワーキンググループ」(座長は金丸フューチャーアーキテクトというIT企業の会長)が打ち出した“農協改革”だ。

 農協の全国段階の指導団体である全中は各地域の農協の自由な運営を阻害する悪しき存在だから解体せよとか、全農はもっと儲けるために株式会社にしろだとか、とにかく政府に邪魔になるものを潰しにかかり、また食料需給とか安定生産を度外視して市場経済の原理を適用しようとしたのだ。

 が、そんな大きな話よりも、今回陸別の町を歩きながら農協のスーパーや事務所を目にして感じたことは、農協は地区の住民にとってとても重要な存在なんだろうな、ということ。

P5210126 全国的にみて今の農協を構成する組合員は、正組合員(農業者)よりも准組合員(地域に居住し小口の出資金を払って組合員になっている非農業者)の方が多いのが実態。
 それを「農業ワーキンググループ」は、本来の農協のあり方の精神に反していると主張した。農協は農家による組織だから、農家以外の利用は制限しろってこと。
 しかし、どうやら農業協同組合法には准組合員の数は正組合員を上回ってはいけないとは書かれていないそうで、いわば難くせをつけた格好だ。

 しかも、この金丸座長なる人物は、ウィキペディアによると、「産業競争力会議」(首相が本部長)の有力メンバーである竹中平蔵氏や前のローソンの最高経営責任者新浪剛史氏などと頻繁にメールでやりとりしていたという。
 ということは、座長は経済界の意向をそのまま受け入れて改革案を作ったのではないかと思われて当然。ローソン繁栄のための片棒担ぎか?
P5210127 農協組織を弱体化させるという目的(あるいは上からの命令)のために、地域の現状を検証もせずにあーだこーだ文句をつけたことになる。首相の喜び組?

  都会の人よ、もっと勉強せよ!
 最終的には今回、准組合員の問題は当面回避された(全中の問題などもかなりトーンダウンして、結論づけは先送りとなった)。

 が、もしこのようになっていたら、たとえば私が訪れたここ陸別なら、唯一のスーパーである農協店舗を利用できなくなる人が出てくるということだ。町には農業以外の仕事に従事している人がたくさんいる。役場の職員、診療所の職員、地元の会社に働く社員、飲食店経営者、郵便局員……

 買い物だけではない。
P5210130 自動車保険や貯金、ローン、ガソリンスタンドなど農協で行なっているあらゆるものを利用できなくなる(聞くところによれば、陸別の農協は要望に応じて2階の会議室を葬儀場として貸し出すサービスも行なっているという)。

 都会に住む人は何にもわかっちゃいないってことだ。食うことに困る民衆に、“パンがなければお菓子を食べればいいじゃない”と言ったアントワネットと同じくらいズレている。

  運転士は君だ!
 さて、農協の前まで行ったあとは道の駅に。
 廃線となった「ふるさと銀河線」の陸別駅である。

 ここではディーゼルカーの体験乗車、運転体験(指導あり)ができる。
 1両か2両ぐらいかなと思っていたのだが、なんと4両もの気動車が音もせずに構内に停まっていた。

  はちのすきけん?
 道の駅の正面の道を国道交差点まで戻る。

P5210132 すると、はっきり言ってヘンテコな庭が。

 一般民家の庭のようだが“Nature Garden”という小さな看板が。
 かといって、一般開放するほど広くはなく、一般開放を受け入れる雰囲気でもない。
 ここの家主が採って来たのだろう。ビニール袋に入ったスズメバチの巣が木の枝にぶら下げられていた。

 物置にはすっかりさびてしまった交通安全の看板が。

 この看板、すっごく記憶に残っている。
 子どものころあちこちに貼られていた。交差点というか十字路の角に。
 もちろんもともとはカラー。
P5210140 で、なんでよくよく覚えているのかというと、このトラックの目つきがとっても嫌いだったから。

 そしてその後、義務教育を終え、高校も卒業し、浪人を経験し、大学を出て社会人になり、結婚もしてすっかりいい歳になった今、久々に目にしたが、このトラックの顔、やっぱり大嫌いだ。

 とびだしきけん

 この文字づらも怖い……

 物置の中には、使わなくなった飲食店の看板がまるで自己の存在をアピールするようにしまわれている。いや、明らかに窓の中から見てくれと訴えている。
 この家、本業はハチ退治じゃなく看板屋さんなのかもしれない。

P5210143  春を告げるカッコウの声を今年初めて耳にする
 こうして朝の散歩を終え、旅館に戻る。
 朝食を食べたあと、出発。

 ちょいと寄り道して町外れまで行ってみると、道路沿いにヤチボウズが。漢字では“谷地坊主”と書く。
 釧路湿原あたりでは珍しいものではないだろうが、このあたりで見ることができるとは思わなかった。

 と、そのときカッコウの鳴き声が聞こえた。
 なんて素敵なシチュエーションなんでしょう!?
 これがこの春、私が初めて耳にするカッコウの声だった。
 
 ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の「春初めてのかっこうを聞いて(On hearing the first cuckoo in spring)」(1911)。

P5210144 「小管弦楽のための2つの小品(2 Pieces for small orchestra)」の第1曲である(第2曲は「河の上の夏の夜(川辺の夏の夜。Summer night on the river)」(1912))。

 クラシック音楽にはカッコウの鳴き声を模して用いた作品がとても多い。
 昨日取り上げたベートーヴェンの「田園」の第2楽章にも出てくるし、マーラーの交響曲第1番でもカッコウが現れる。
 でも、この2曲はほんの一例(二例?)。
 あるあるあるあるある、と“クイズ100人に聞きました”の応援観客のように連呼したくなる。

 が、そのなかでも特にモロ出しなのが(だってタイトル自体がそうだもの)ディーリアスの「春初めてのかっこうを聞いて(春を告げるかっこうを聞いて)」。
 ディーリアスらしく、春の到来の喜びを全身で表すようなものではなく、じわっと喜びをかみしめるって曲調。朝の霞の中で鳴き声を耳にするような、しっとりした大人の感覚だ。
 同じイギリスの作曲家・ブリテンの「春の交響曲」の第2楽章「陽気なかっこう」が心躍るイケイケ発散系なのと対照的だ。

DeliusParadiseG 今日はマリナー指揮ASMF(アカデミー室内管弦楽団)の演奏を。

 1977年録音。ロンドン(デッカ)。

 これで先週の陸別出張の、それも朝の30分ほど街の中を散策した報告を終える。
 しっかし、よくもまぁ4日間にわたって引っ張ったものだ。

 私は政治に関してはあまり書く気はないのだが、今回は(こういう言い方は失礼だが)田舎の町に来てみて、あらためて大都会の有識者なる人たちが経済原理だけで物事を進めようとするいまの姿勢に怒りと不安を感じたので書かせてもらった。

 アタシらしくない?

 すいません。

 かっこうの声に心躍らせたあと、陸別のミネラルウォーターを飲みながら、私たちは支社へ帰ったのだった。

P5220154

朝の陸別町を歩けば……(第3話)♪LvB/Sym6(by モントゥー)

P5210122  町民の生活を支える農協
 国道沿いには農協のスーパー(Aコープ)とガソリンスタンドがある。
 スタンドはもう1つあるが、このスーパーは町唯一のもののようだ。ほかにはコンビニ(セイコーマート)が1軒ある。
 乾物などは別として、町の人が新鮮な食料品やきちんと日付管理だれている日配物を買うには、この2軒がとても重要な役割を果たしているわけだ。

 そのAコープの窓に大きな張り紙が。

 TPP断固反対

 これを目にして私は思うところがあった。
 これからの日本がどうなるのか、ちっぽけな存在ながらも私は憂いた。

  そんなこと約束してないって、それって詐欺みたい
 TPP(環太平洋連携協定)については、その名前はよく耳にするが詳しい内容についてはとてもわかりにくい。
 そして政府も国民にきちんと中身を説明していないが、P5210123その理由は、交渉内容は極秘扱いということらしい。

 先日、西村内閣府副大臣が国会議員に対し交渉協定案を閲覧することを認めると発表。しかしすぐに撤回するという、お粗末というか、あるいは国がまずいと思ったのか、どうもうさんくさいドタバタ劇があった。

 なんだか複雑そうでよくわからないけど、食料の輸入が自由化されて安くなるならいいんじゃないの?っていうのが一般のぼやぁ~っとした捉え方だろう。
 しかしそんなことじゃすまないような内容らしい。

 詳しいことを国民に伝えると大騒ぎになりそうだから伝えないでおこう。徐々に既成事実を作り上げていって、固まった段階、「決まったからしょうがないじゃん」と後戻りできない状況になって発表しようという感じだ。いまの政権の常とう手段ともいうべき進め方だ。
 ネット上では首相のことを“売国宰相”としている文字も見かけたが、このままTPPが締結されるとそれが感情的な誹謗中傷とは言えなくなるかもしれない。

 政府はTPPに加入しないと日本は世界から取り残される、孤立すると言っていた。日本が提示する条件のせいで交渉が進展しないとも伝えられてきた。
 しかしここにきて日本だけではなく他の国の交渉も難航しているのは、たぶんあまりにも露骨にアメリカ中心の内容になっていることが見えてきたからだろう。

 そのアメリカ国内においてさえ、市民団体の“パブリック・シチズン”が、「TPPは貿易条約でさえなく、1%による人類全体の支配ツール」と反対しているらしい。一部の人間だけが利益を得るということだ。

 TPPが締結されると、農業だけではなく広い分野で日本はアメリカの餌食になってしまうという。
 いまの政権は、戦争に近づこうとし、安全が担保されないまま原発を動かそうとし、TPPによって自立した経済を放棄させる方向に動いている。

 しかも自民党は公約で、TPP交渉参加において6項目を示している。そこには、

 1. 政府が“聖域なき関税撤廃”を前提にする限り交渉参加に反対する。

 2. 自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない。

 3. 国民皆保険制度を守る。

 4. 食の安全安心の基準を守る。

 5. 国の主権を損なうようなISD条項は合意しない。

 6. 政府調達・金融サービス等は、わが国の特性を踏まえる。


と、書かれている。つまり、首相は公約に反して交渉に参加してしまったのだ。

 断片的な情報しか報道されないが、米や麦、牛肉や乳製品、砂糖などの重要品目を犠牲にしかねない動きがあるようだ。
 舌の根も乾かないうちにというか、うそつきというか、首相は2月28日の衆院予算委員会で、これを“正確には公約ではない。目指すべき政策だ”と表明し、この6項目を同列視しない考え方を強調した。
 誰かぁぁぁ~、舌切り雀のばあさんを呼んで来てくれ!100人ぐらい。

  農業だけではなくあらゆることに重大な影響が
 農業者や農業団体が先頭きって反対運動をしているので農業のことばかりに目が行きがちだが、上の6項目でわかるように、協定の項目は農畜産物だけにとどまらない。

 交渉参加当初から現在までのやり取りによって項目ごとの濃淡はでてきているようだが、保険や金融、医療など、あらゆる分野でアメリカのご都合主義が押し付けられることになる。
 保険外治療の拡大や、金融や保険のサービスが外資系に食われてしまう恐れあるのだ。

 国内農業が受ける打撃によって食料自給率は低下。
 安価な輸入農畜産物があるので食料は潤沢に確保できるかというと、その考えは甘い。輸出国が干ばつや不作になったときどのようなことになるのか?
 そんなときでも自分の国の人々の空腹をがまんさせて、優先して日本に輸出してくれる奇特でおめでたい国があるはずがない。これまでだってロシアの小麦が不作でパンが値上がりするだの、アメリカが干ばつで大豆が高騰し、豆腐が食べられなくなると日本人は大騒ぎしたではないか。

 さらに、集団的自衛権の行使がこのまま強行に決められ、それが実行に移され、万が一のときに日本が敵国と見なされたときに、制裁として食料がストップってこともあり得る。

BeethovenSym6Mon そんなときに大騒ぎになっても時すでに遅し。作物を作る人もいなけりゃ、作る田畑もいいだけ荒れ放題。回復するには長い年月を要するだろう。
 
 一方で首相は、農業の発展、農家の所得向上とも言っている。
 しかし、これはTPPの影響と真逆のこと。どうしたらそうなるのか私には理解できない。
 これって、「お嬢さん、強姦魔を家に招き入れたらきっと良いことがありますよ」と言ってるようなものじゃない?あるいは赤ずきんちゃんをだましたオオカミを思い出す。

  いつまでも豊かな大地がありますように
 このあいだ“緑萌える木々”のことを書いた。

 豊かな環境、そしてその保全という点では、森林資源と同じように田畑も重要な役割を果たしている。
 環境保全はもちろんのこと、農業が衰退するといま目にできる景観は失われてしまうことになるだろう。

 で、ベタだけど、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園(Pastorale)」(1807-08)。
 古今東西を問わず、田園風景は人の心をなごます。

EihyoFarmer モントゥー指揮ウィーン・フィルの演奏を。

 この演奏、前にも紹介したが、こってりしておらず、かといって淡白でもない、独特のすがすがしさと優しさを感じさせるもの。

 1958年録音。ロンドン(デッカ)。

  農業は国家の基盤
 高校生のころ英語の勉強で使っていた原仙作著「英文標準問題精講」(旺文社)。

 優れた英文学作品のなかから例文として多くの文章が紹介され、その英文構造を解説してくれているもの。学習目的はさておき、ここで取り上げられている例文がどれも面白く教訓的。

 青年期に出会ったこれらの文は、その後の私のものごとに対する考え方や生き方に少なからず影響を与えたと思う。
 またなかには例文が紹介されている小説そのものを買って読んだものもある(もちろん和訳されたもの)。「グレート・ギャツビー」とかマンスフィールドの短編集などがそうだ。

 この「英標」も、ボロボロになったものをその後に買い直し、いまでもそれを持っている。

 そのなかに紹介されているアメリカの小説家 Louis Bromfield(1896-1956)の “Pleasant Valley”の一節。

 すぐれた農園主は、わが国の社会では、常に最もそう明で最も教養のある人である。わが国の物狂おしい産業の発達のために、われわれは、農業がわが国のすべての経済の基盤であり、また、国家の経済機構のなかでは、常に礎石であることを忘れがちである。農業は歴史を通じて常にそうであったし、また、人間が地球上にひとりもいなくなくなるまで、そうありつづけるだろう。われわれは、土地を所有し、これを愛育し、これを十分に利用する人が、経済的な意味においてだけでなく社会的な意味においても、国家としてのわれわれの安定の源であることを忘れがちである。

   
P5210135 これは時代が変わっても変わらなことだろう。しかしいま、その国家としての安定の源が、政権の独断的な暴走によって売り渡されそうになっている……

 TPPにはデメリットしかないということではないだろう。
 しかし、国民の意見を聞こうとしないで、強引に締結ありきで進んでいる姿勢、聖域が聖域でなくなる譲歩の動きがが大きな問題だ。

 TPPに反対しているのは農業関係者だけではない。
 が、最も強硬に反対する農業団体が邪魔でしょうがない。だから潰してしまえ。そう思わざるを得なかったのが、昨年出てきた農協改革論。

 Aコープの店を見て、改革論の中のおバカとしか思えない項目をまたまた思い出したのだが、今日のところはこのへんで。

 たまたま通りかかった愛嬌あるペイントの牛乳の集荷タンクローリーの写真も載せておく。

朝の陸別町を歩けば……(第2話)♪GM/さすらう若人の歌

P5210115  “ひかり”並みに速い!
 ところで前日の夜に私たち(今回は2人で出張)が行ったのは「炉ばた 俺ん家」。取引先の方々3名と一緒に食事をしたのだが、この店に来るのはこれで3回目。おそらくこの町で最も居酒屋らしい居酒屋なんだと思う。

 明るく元気な“かあさん”が1人で切り盛りしているのだが、何を頼んでも出来上がってくるのが速いのに感心する。

 陸別は内陸地だが、町の観光協会のパンフレットによると、この店の自慢は“選び抜いた食材を使用したお刺身や焼き魚”。私は刺身が得意な方ではないが、いただいてみた。
P5210117 なるほど、きちんとした上質な刺身だった。海沿いで海鮮を売りにしているのに素材はさっぱりで料金は高い店なんかよりはるかにすばらしい。
 他に鶏串や豚串(いずれもきちんとした肉)や地元産のアスパラガス、出張目的先の取引先の方がスペシャルに用意してくれたシカのルイベなどを食べた。


 飲みながらいろいろな話をしていると、「『えびす』のラーメンはなかなかうまい。あそこのトンカツもうまい。トンカツラーメンは食いきれなかった」という情報が。

  “えびす”は“マルタマ会館”の隣
 その「えびす」の朝の姿は食堂どころか、果たして何の建物かさっぱりわからない。
 そのせいで写真を撮るのを忘れてしまったが、ちょっぴり変わった名前の、でも(たぶん)地元資本のパチンコ屋の向こう側にかすかに確認できるのがその店だ。

 先のパンフによると、“鶏ガラのあっさりしたスープと中太のコシのある麺”であり、“家庭的な雰囲気の中でいただくおいしいラーメンはいかが?”とある。家庭的な雰囲気というのは一歩間違うと他人の家の居間にいるようP5210120な、ラーメンを食べるには極めて気まずい感じになる恐れもある。
 が、非常に気になるラーメン屋だ。そしてまた、もしかするとトンカツラーメンというのはメニューにはなく、トンカツとラーメンを頼んで勝手に乗っけちゃったってものかもしれない。あの口ぶりだと。
 不定休というのが障害だが、今度ここを訪れたときにはぜひともラーメンを食べてみたいものだ。

P5210119  あっ!カニさんだ!
 陸別は天文あるいは天体の町と前回書いたが、街路灯にも星座をデザインした電飾プレートがつけられている。
 そしてそこには日本一寒い町であることも謳われている。真冬のこの時間なら「散歩です」なんて言って歩いていられないに違いない。油断すると氷結してしまう恐れがある。

 上ばかりではない。
P5210118 たばこ屋の前に置かれた木製のベンチにも星がらみの文字が。
 いま私がいるこの道は“きらきら星通り”であり、このあたりは“きらきら星通り商店街”だということを教えられた。
 関係ないけど、窓の位置、低すぎない?

 また、もうやってないようだが自転車屋(“モータース”っていうからにはバイクや除雪機も扱っていたのだろう)の壁には“丸石の自転車”と書かれている。
 丸石自転車といえば超一流のイメージがあるメーカーだった。

 私が子どものころは自転車は今のように安いものではなかった。そもそもホーマックといったホームセンターもP5210116大型量販店もなく、自転車は自転車店で買うものだった。
 逆にいえばそこで売られている自転車もきちんとしたメーカーによるきちんとした製品だった。カワムラとか丸石、超高級なセキネというメーカーがあった。

 当時はギヤは5段変速でウインカー付きが主流。ママチャリなんて少年たちは誰も乗らなかったし、マウンテンバイクというものもまだなかった。

 私が買ってもらったのはカワムラの自転車だったが、何人かのクラスメイトが乗っていた丸石の“何とかトロン”だかという名のウインカー付きの自転車がうらやましかった。
 トゥルルルルル、トゥルルルルルという音とともに右に左に光が流れるのだ。それにしてもウインカー付きの自転車って完璧にこの世から消滅してしまった。安全のために今こそ必要な装備だとは思うが、うん、正しく使わなきゃ意味ないものだからな。
P5210141 私たちも電池が減るのがもったいなくて(当時は電池の値段も他のものに比べ相対的に高かった)あんまり使わなかったし、一度夜に信号待ちしていて、左に曲がるのにウインカーをつけていたら、横に停まっていたトラックの助手席の人に嘲笑された(と感じた)ことがある。自分は良いことをしているにもかかわらず、恥ずかしかった。
 あれは実用的に使えば悪いものではないが、実用的に使う人はいなかったわけだ。

  中華料理店の転身?
 さらにウロウロしていると、“R'z”というバーが。
 店の上を見ると、消された文字がうっすらと残っている。どうやら中華料理店だったようだ、かつては。
 もしかしてこの中華屋、“未完星”や“えびす”に競争で負けたのか?ラーメンや餃子で。
 
P5210134 これまで私は陸別での昼食といえば、有名なそば屋「正巳 秦食堂」にしか行ったことがない。
 その「秦食堂」も、早朝はひっそり寝静まったままだ。
 朝から麺を打っているのかもと期待したが、「そば粉の銀行」からも店の中からも物音はしなかった。

  さすらうおっさんですいません
 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「朝の野辺を歩けば(Ging heut' morgens ubers Feld)」。「さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)」(1883-85/改訂1891?-96)の第2曲である。

MahlerWalter 今回朝の陸別町を歩いた私は若人ではないがそれはさておき、「さすらう若人の歌」は4曲からなる歌曲集。
 
 第1曲 「恋人の婚礼のとき(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)」
 第2曲 「朝の野辺を歩けば」
 第3曲 「私の胸の中には燃える剣が(Ich hab' ein gluhend Messer in meiner Brust)」
 第4曲 「恋人の青い瞳(Die zwei blauen Augen von meinem Schatz)」

 歌詞はマーラー自身による。
 第2曲のメロディーは交響曲第1番第1楽章の第1主題に、第4曲は同第3楽章の中間部に転用されている。 

 今日はミラーのソプラノ、ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏で。

 1960年録音。ソニークラシカル。

 さすらい報告はまだまだ続く。
 そしてまた、今日私は東京に行く。

朝の陸別町を歩けば……(第1話)♪グラズノフ/Sym9

P5210108  ピンクですがエッチなホテルじゃありません   
 日曜始まりのカレンダーに従うならすでに“先週”の出来事になるが、泊りがけで陸別に行ってきた。
 もちろん仕事でである。

 陸別には比較的よく赴くし、年に2~3回は泊まるが、今回の宿は初めて泊まる浜田旅館。
 そして翌朝は天気も良く爽やかな気候だったので、朝食前に街の中をゆっくりと散歩してみた。陸別では泊まってもいつも朝早くに帰路につくので、こういう怪しい動きをするのも初めてだ。
P5210109
 以下はその早朝徘徊カメラ小僧の報告である。


 浜田旅館の外観はよくある“旅館”って感じの造り。しかしピンク色の壁がかわいらしいと言えばかわいらしいし、そぐわないといえばそぐわない。

 宿の前の道は左に行くとオホーツク管内の津別、美幌へとつながる。
 ちょいとずれるもののまっすぐ正面方向に行くと商店街。
 右側に進みさらに国道を横切った先には道の駅“オーロラタウン93陸別”がある。ここは廃線となったふるさと銀河線(さらにさかのぼれば池北線(池田⇔北見間))の旧駅舎だ。

 その国道だが、左に折れると帯広方面、右に折れるとオホーツク管内の置戸へつながる。

  街路樹はコリンゴ
 宿の前から国道方向を見る(写真3枚目)。
 国道の先には 街路樹が濃いピンク色の花を咲かせている。変わったサクラ、開花の遅いサクラだなと思ったが、これはサクラではなくコリンゴ(小林檎)の木なんだそうだ。
P5210112

 近くで見てもなかなか可憐で美しい色合いの花だ。
 成った実はどうするのだろう?

 旅館の隣にはシャッターが下りたままの呉服店が。
 早朝だからシャッターが下りているのではなく、閉店・空き家となっているようだ(別な場所に移転したらしい)。

 壊すのを中断しているのか、よく見るとシャッターには“休工中”のマグネット・プレートが。

P5210137 いやいや、違う。
 これは道路工事なんかで日曜日に工事を休んでいるときに使うやつだ。
 誰かがいたずらかユーモアでつけたに違いない。


  未完の星 
 陸別には天文台がある。また冬の寒さは日本一。
 そのため、数年に一度見られるかどうかの頻度だがオーロラを見ることができる。そして街のいたるところ、通りや店に天体にちなんだ名が付けられている。

 ラーメンや餃子まで品揃えしているパブ・スナックの名は「未完星」という。

P5210111 私は利用したことがないが、町の観光協会が作ったパンフによるとあんかけラーメンがおすすめメニューで、“麺もあんもボリュームたっぷり。飲んだ後の最後の締めにもどうぞ”とある。

 確かにラーメンと書かれたのぼりにそそられる。
 すまんね、前日に出したゴミが回収される前に写真を撮っちゃって。


  だって死にたくないもん……
 グラズノフ(Alexander Konstantinovich Glaznov 1865-1936 ロシア)の交響曲第9番ニ短調(1909)。
 1909年ということはグラズノフが亡くなる25年以上前なのに、この曲は未完成に終わった。

P5210113 ご存知のように、交響曲の第9番を書いた作曲家はそこで死んでしまう、というジンクスがある。

 ベートーヴェンが完成した最後の交響曲が第9番、いわゆる「第九」だったことからこのジンクスが生れたが、それを信じるか、それとも「ばかばかしい単なる偶然」と考えるのはあなた次第(えっ?考えたくない?)。

 このジンクスにおびえたのがマーラーであり、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。しかし、実際は10番目だからと自分に都合のいい理由をこじつけて作った「交響曲第9番」が完成した最後の交響曲となった(第10番は未完)。

 書き上げた交響曲が第9番までという作曲家にはほかにドヴォルザークやヴォーン・ウィリアムズがいるが、第9番を書いている途中で亡くなったのはブルックナーシュニトケだった。

 一方で交響曲という形式の育ての親であるハイドンモーツァルトにとっては第9番というのは単なる、それも初期の通過点。また、ショスタコーヴィチは、ジンクスを信じてわざと第9番を小規模にしたわけではないだろうが、その後も嫌味や文句と戦いながら15番まで交響曲を書いた。

GlazunovSerebrier そしてグラズノフであるが、資料が少ないので私にはよくわからないものの、どうやら“第九のジンクス”を信じて作曲を放棄したらしい。
 結局残されたのは第1楽章のスケッチ。G.ユーディンがそれをオーケストレーションした。

 アダージョ - アレグロ・モデラート - アダージョという構成となっているが、本人の気が進まなかったせいか、あるいはショスタコーヴィチが“グラズノフの場合、交響曲の終楽章がとりわけうまくいっていない。活力と緊張に欠けているのだ。これはグラズノフのほとんどすべての作品に共通する性質である” と指摘しているように、この残された楽章は終楽章ではないが、やはりだら~んとした音楽という印象は否めない。
 なお、上のショスタコの言葉は、偽書とされているS.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)の第5章に出てくるものである。

 セレブリエール指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏をご紹介。
 いえ、気が進まないなら無理して聴かなくていいと思いますけど……

 2009年録音。ワーナー・クラシックス。

 今回の陸別での朝の散歩報告、けっこう続く予定。

太っ腹なlivedoor♪ブラームス/Sym1(by レヴァイン)

BrahmsSym1Levine  これによる収入減はいくらぐらいになるのかろう?
 5月1日からlivedoorブログの全プランが無料となった。
 というか、最上級プランである“PREMIUM”に一本化され、この多機能なプランが無料で開放されることになったのだ。

 恐るべき太っ腹である。
 夢じゃないかしらと思ってしまう。人に優しくされたことがない私は、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。こんな疑い性格でごめんなさい。

 でも、売上激減っていうか、利用収入がゼロになるわけで、livedoorはその分をどこで穴埋めするんだろう?
 やがてサービスが低下して、挙句の果てにOCNブログ人のように終了するなんてことはないだろうな。それだけは勘弁してほしい。
 有料だからこそ安心、っていう感覚も実はあるわけで……

 私はいまどき珍しい not スマホユーザーなのでわからないが、スマホの方は広告が残っているらしい。こちらが運営費に充てられるのだろう。

 それにしても5月1日から有料プランが撤廃されたってことを私が知ったのは1週間前のこと。
 鈍くてすいません……

 太っ腹といえば、1987年のメトロポリタンでの「カルメン」
 指揮はレヴァイン。このとき44歳。
 そのDVDを最初に観たとき、ウシガエルのような腹に驚いた。


Mahler1Levin2 もともとスマートな体型じゃなかったイメージがあるが、それでもデビュー(1970年)当時の顔写真はあどけなささえ残っていて、顔から推測するに狂暴化したカオナシのような体つきではなかったはず(下の写真はマーラーの1番のCDジャケに載っているものだが、この録音は1974年)。
 なのにデビューから20年も経っていないこのころにはすっかりカーネルおじさん顔負けのオナカ。


 指揮者でこういう体型の人ってあまり記憶にないが、指揮者だから常に鍛えられ太らないっていうのはウソ、もしくは例外があるってことだろう。まぁ、N響を振ってたマタチッチとかシュタインとかもスマートな体型じゃなかったけど、レヴァインはすごい。あれで糖尿病を患ってないとしたら、私が浮かばれない(私は境界型)。


 今年レヴァインは72歳になる。
 ウィキペディアの載っている今の姿は、怪しい神父って感じだ(このCDの写真はおいくつのころのものなのだろう?)。


  生気あふれるブラ1
 そのレヴァインが1975~'76年にシカゴ交響楽団を振って録音したブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲から、交響曲第1番ハ短調Op.68(1855-62,'68,'74-76)。


 良くも悪くも渋みを抑えた喉越しのよいブラームス。
 レストラン“ボンジュール”のコックが何日牛すねを煮込んだとか、ブラームスがこの曲を産みだすのにどれだけ苦しんだかなんてことは知ったこっちゃない、味わう前に腹を満たせ!、悩んでる暇があったら先に進め!、ってもの。
 ブラームスの第1番って脳が胃もたれし、腸が緊張するんだよねぇ~って人には最適。
 ユニークな快演だ。


 交響曲第1番の録音は1975年。ソニークラシカル(原盤:RCA)

 第1楽章の1'45"のところで、弦の音がヒュルっとする。ノイズである。
 エアチェック世代の人はご存知の、録音時にテープの一瞬の走行ムラで生じるしゃっくりのような音だ。
 懐かしい……

 また、第4楽章のホルンのファンファーレが鳴り渡るときに、それを支えるようなシュリシュリという弦の音(こちらはノイズではない)。これがよく聴こえてきて、ちょいと快感。

鳥さんたちの喜怒哀楽?♪クープラン/第14組曲

CouperinOrdreCompBaumont  鈴木その子じゃねーよ
 クープラン(Francois Couperin 1668-1733 フランス)の「クラヴサン曲集」(全4巻27組曲)から、今日は「第14組曲(Ordre No.14)」。「第15組曲」と同じく「クラヴサン曲集第3巻」(1722刊)に含まれる。

 7曲からなり、そのうち5曲が鳥の名をタイトルにもっている。

 1. 恋のナイチンゲール(Le rossignol-en-amour)
 2. ナイチンゲールの変奏(Double du rossignol)
 3. おじけた紅ひわ(La linotte effarouchee)
 4. 嘆きのほおじろ(Les fauvetes plaintives)
 5. 勝ち誇るナイチンゲール(La rossignol-vainqueur)
 6. ジュリエ(La Julliet)
 7. シテール島の鐘(Le carillon de Cithere)
 8. ささいなこと(Le petit-rien)


 有名な第1曲「恋のナイチンゲール」に現れる鳴き声の模倣は、ヒクッヒクッとちょっとぎこちないところが求愛モードっぽくてリアル。

 また、第3曲では怖気てる感じがよくでているし(暗闇で真っ白な頬の人を見てしまったのかしら?)、第5曲はちょいと鼻につくくらいの誇らしげな態度が伝わってくる。

 「ジュリエ」はクープランが飼っていたカナリアの名、ではなく彼の女弟子の名前だそう。

 第7曲はフランス民謡「フレール・ジャック」(マーラーが交響曲第1番で短調に編曲して用いている)を思い起こさせるメロディー。まさに鐘の音のような響きに、チェンバロでこのような多彩な表現ができることに驚く。

 「ささいなこと」は、細かいことは気にしない!ってな感じの軽やかな曲だ。


  フランスの精神的系譜なんだそうです
 クープランの音楽には茶目っ気、奔放さ、遊び心が感じられる。これは同時代のドイツにおけるバッハ(1685-1750)が残したクラヴィア作品に比べ、かなり自由な感じだ。

 そんなことをズバリ書いてあるのが以下の文である。


 大クープランについて語るには、すぐれてフランス的な気質、とくに彼の時代のフランスの特質をなしていたものに、ふれずにいるわけにいかない。彼は明澄、優雅、高雅、高貴な秩序に対する愛好、といったものをもっていた。彼はクラヴサンの響きから最も優美で確実な効果を引きだすことを心得ていた。卓越した知識にもとづく熱烈さと軽快さをもって、フランソワ・クープランはイメージ豊かな芸術をつくった。彼は活気のある風景、完全に自由で宝石をちりばめたような歩みをもつ肖像画を描くことを好んだ。彼の曲の標題を示すだけでもそれがよくわかる。彼は、『病後の女』、『陽気な女』、『おごそかな女』、『肉欲的な女』などを描き、『ひるがえるリボン』、『神秘なバリケード』、『老いたる伊達男ともうろくした財務官』といったふうの甘美な絵画をデッサンする。だが、クープランはあまりにも、愛すべく温雅な小大家にされすぎてきた。明快で緊密で、すべての大言壮語を避けた言葉で語るからという理由で、よく力強さが足りないとされている。しかし彼の荘厳な『王宮の合奏曲集』、とくに『ルソン・ド・テネブル』や『聖スサンナの大モテット』などのようなカンタータを聞けば、反対に、最も感動的な厳粛さの心にしみ入るような調べから、深い感動を与えられずにいられない。彼をあんなに嘆美し、熱心に彼の技法を学んだバッハは、彼自身の天才に従って、この同じ堅実なスタイルと和声的純粋さを実践するようになる。クープランは、そこに少しばかり意地の悪い気楽さや特別なタッチを加え、それによって、理性の規律と心情の躍動との正しい均衡のうえにおかれた表情的な感性をいう、あのフランス的な精神をもった大家のひとりとなるにいたったのである。彼は、ジョスカン・デ・プレのような人からモーリス・ラヴェルのような人にいたる数世代をつうじてフランス国民のあいだにいつとはなしに打ちたてられてきた、あの精神的系譜のなかに位置づけられる。

    ベルナール・シャンピニュール著/吉田秀和訳「音楽の歴史[改訳]」(白水社文庫セクジュ)


CouperinBaumont まったくそのとおりである。って、誰に向かって言ってんだよ、偉そうに……
 でもくどい言い回しになっていることについては、責任のない私ではあるが、代わって謝罪したい。


 上に写真を掲載したボーモンの全曲演奏盤だが、まだタワレコの店舗で取置きが可能かもしれないものの、まぁほとんど入手困難な状況。

 なので、第14組曲からは「恋のナイチンゲール(夜鳴きうぐいす)」と「ナイチンゲールの変奏」、「シテール島の鐘」の3曲が入っている抜粋盤を再びご紹介しておく。

 1991-94年録音。ワーナー(原盤:エラート)

 鳥といえば、昨日今年初めてカッコウの声を聴いた@陸別。

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