RodrigoYamashita  箸が転んで笑うのは不安定
 「音盤考現学 片山杜秀の本(1)」の第33章“山下和仁の「感情過多様式」”。
 この文の初出は“レコード芸術”の2002年8月号。山下和仁は天才ギタリストである。
 

 山下和仁が変わったのは、いつからだろうか。もしかして藤家渓子(ふじいえけいこ)という不思議な作曲家を生涯の伴侶に選んだころからだろうか。

 山下はいきなり「天才少年」として現れた。1970年代後半、在京オケの演奏会に出てきてはロドリーゴやらをやすやすと弾きこなしていたハイティーンの彼。―(中略)―それからの彼は圧倒的ヴィルトゥオーゾとして向かうところ敵なし。なにしろギターひとつで《展覧会の絵》や《新世界から》を弾いてしまう。その運指はあまりに正確で、特殊奏法は決まりすぎるほど決まり、音色は圧倒的に多彩であり、ノリもじゅうぶんで、なによりもデュナーミクの幅が広い。―(中略)―

 しかし、その「天才少年」も90年代に入って、(よわい)にすれば30代半ばあたりになると、だいぶ音楽の様子が変わってきた。そしてそこには藤家との出会いが作用したとか、どうも私には考えられない。―以下、略―


 私は藤家渓子という作曲家の音楽を聴いたことがない。いや、名前すら知らなかった。
 片山氏によれば“彼女の音楽は、わがままな貴婦人のごとく気まぐれで、(はし)が転んだのを見ても笑えるごとく不安定で、ちゃらんぽらんに推移しがちである”そうだ。

 ちょいと興味があるが、いまだこの人の作品のCDを買うまでにはいたっていない。

 さて、山下和仁だが、言われてみれば1980年前後の“レコード芸術”などに新譜の広告などが出ていたような気がする。

  巧い!けど……

 だが、私は彼のロドリーゴの演奏しか知らない(モンポウの曲も1つ入っているが)。


 その山下が弾いた私所有の唯一のCD、ロドリーゴ(Joaquin Rodrigo 1901-1999 スペイン)の「アランフェス協奏曲(Concierto de Aranjuez)」(1939)と「ある貴紳ののための幻想曲(Fantasia para un gentilhombre)」(1954)。
 この2つのギターのための協奏曲は、ロドリーゴの代表作である。

 指揮とオーケストラはパイヤールとパイヤール室内管弦楽団。録音は1981年。
 つまり、“彼女”と出会う前の、超絶技巧でブイブイいわせていたころの演奏だ。

 この演奏について、かつて私はギターの音が粒だつと書いた
 が、同時に情感がもう少し欲しいとも感じた。

 この曲の決定盤と言われる、イエペスの独奏、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団のLPは何度も聴き、もっと別なものをと山下盤を買ったのだったが、山下の演奏にはどこか距離感を感じたままだ。

 結婚によって山下の演奏がどう変わったのか?それは片山氏の文の続きを読んでもらうしかないし、上に書いたように、その後の山下の演奏を私は耳にしていない。

 気になるような、ならないような、である。

   このCD(同一音源)の詳しい情報 【タワレコ】 ※ポイント10倍キャンペーンは9/8 23:59まで
   ロドリーゴ:アランフェス協奏曲&ある貴紳のための協奏曲 山下和仁

   紙の本はこちら 片山杜秀の本(1)音盤考現学 (片山杜秀の本 1) (単行本)

 イエペスのレコードでは、「ある貴紳のための幻想曲」が終わると、次に収録されていたのがヴィヴァルディのリュート協奏曲ニ長調P.209、RV.93だった。
 もちろん曲の雰囲気がガラリと変わる。

 繰り返しレコードで聴いた曲の傷音が、その曲を聴くたびによみがえるように、「ある貴紳のための幻想曲」が上品に終わると、私の頭の中にはヴィヴァルディのノーテンキで元気いっぱいの音楽が流れる。

 困ったものだ。懐かしいけど。

    

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