なんと全曲札響初演の第153回
スダーンがタクトを振った1975年9月の第152回定期演奏会は創立14周年の回だった。
札幌交響楽団は1961年の9月に創立された。
152回定期のプログラムノーツには、“札幌交響楽団14年間の作曲家別演奏曲目”というリストが載っている。
その翌月には岩城宏之正指揮者就任記念の第153回定期演奏会が行なわれた。
そこで岩城が組んだプログラムは、石井眞木の「オーケストラのための『序』」、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」。
できたてほやほやの石井の「序」(あー、これもう一度聴きたい!)は当然としても、ラヴェルの「左手」も「ペトルーシュカ」も、14年間演奏曲リストには載っていない。
つまり、岩城はオール札響初演プログラムを組んだわけだ。
第153回定期については、しかし、これまでもここやここなどで書いているので、ここではスルー。
急きょヴィオラ首席の西川がソリストに
11月の第154回定期は、札響に何度も来ていたコシュラーの指揮。
この回は、当初バルトークのヴァイオリン・コンチェルト第2番のソリストを務める予定だったシルヴィア・マルコヴィッチが直前になってルーマニア政府に国籍変更を申請、来日不能になるという事件があった。
当時のルーマニアは社会主義共和国だったが、ルーマニア共産党のトップであるチャウシェスクの独裁政権国家だった。シルヴィアさん、逃げ出したかったのね……
そのためヴィオラ首席の西川修助が急きょソリストを務め、同じバルトークのヴィオラ協奏曲を演奏した。
私がバルトークのヴァイオリン協奏曲よりもヴィオラ協奏曲の方が好きなのは、こんなことが影響している、ってことはないか……
12月の第155回は再び岩城が。ソリストは岩城の奥さんの木村かをり。
木村が弾いたのはラヴェルのピアノ協奏曲。また、プログラムのメインはショスタコーヴィチの交響曲第5番!
だが、たいへん残念なことに、この月と、年明け1月の定期(指揮&ピアノ:ジェスキント)に、私は行っていない。だって、受験生だったんですもの。
「海」もこのときが札響初
2月の第157回定期は、正指揮者・岩城の3度目のステージ。
プログラムは、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」と「海」、そしてベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」。
「イタリアのハロルド」はもちろん、「海」も“札幌交響楽団14年間の作曲家別演奏曲目”には出てこない作品。
この日の曲目解説には、異例なことに、岩城時代になって札響のプログラムに大きな変化が現れたことについて、最初に触れている。
西川修助は11月に続いてのソロ。
なお、当日になって演奏順が変更となった。
「イタリアのハロルド」→(休憩)→「牧神の午後の前奏曲」→「海」である。
「イタリアのハロルド」には圧倒された。
こんなすばらしい曲があるのかと思った(それまでの私は、あまりベルリオーズになじみがなかった)。
さっそく玉光堂オーロラタウン店でLPを買い(あの店、当時は意外と旬なクラシックのレコードが置いてあったということだろう)、無事に合格した高校へ早起きして通学するために、目覚まし時計がわりにしたのはここに書いたとおりである。
最初に買ったLPはロンバールが指揮した当時新譜としてリリースされたばかりのものだったが、この録音は左右のバランスが悪かった。どっちかは覚えていないが、オーケストラが片側に寄っているような音場だった。
次に買ったバーンスタイン/ニューヨーク・フィル、リンサー(ヴィオラ)の演奏は、最後の最後でタンバリン奏者がステージの上を右へ左へ駆け回るような録音。ステレオ効果を狙ったのかもしれないが、会場狭しと動き回る床運動の選手じゃあるまいし、こんなんありえん!ってものだった。
この夜の演奏が、果たして演奏として良かったのかイマイチだったのかはわからないが、「ペトルーシュカ」に続いての、岩城/札響の記念碑的演奏だったことは間違いないだろう。
タワレコでCD化してほしい演奏の1つだ。おねがいしますおねがいしますおねがいします。
ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の交響曲「イタリアのハロルド(Harold en Italie)」Op.16,H.68(1834)で、私がこれまで聴いてきた中では、血が騒ぐタイプの表現ではないが、バランスの良いコリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団、今井信子(va)の演奏が、いちばん安心した気持ちで聴ける。
1975年録音。TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus(原盤:フィリップス)。
狂気じみたのが好きなら、タンバリン激走のバーンスタイン/NYPの演奏も面白いだろうが-私もまた聴きたくなってきた-、ネットでいくら探してもCDが見つからない。